刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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令和御前試合第二日 その3

 何れかが沙耶香。何れかがその写シ。実態はそうでも、咄嗟に見分けるのは至難だった。何れかに斬り込めたとして、もしそれが本物の沙耶香なら当然絶命する。写シに斬り込めたとしても、刀使生命がどうなるか知れない。使用時点で致命傷を負ったも同然の技なのだ。

(星王剣…ッ)

 事ここに至り、舞衣の頼むところは、この技しかない。

 瞬間舞衣は、遥か宇宙へと舞い上がる。

 実際は肉体も、その写シも御前試合で、二人の沙耶香に挟撃されている。星へと飛んだのは、舞衣の知覚だ。

 本来明眼、透覚は、見える筈も聞こえる筈も無い遥か彼方の事物を見聞する技である。

 これを眼前の敵に用いるのが星王剣だ。

 敵の観測地点を複数化しようというのだ。製図の三面図の如くに分析画像を増やし、目前の対象をより精査しようというのだ。

 剣を知らぬ者が同じ技を使ったところで無意味である。幾ら視点を増やし、映像を増やそうとも、分析によって得られる情報は少ないからだ。しかしこれを舞衣が行うのだ。北辰一刀流を通じて剣理に通暁する柳瀬舞衣がやるのである。 

(本当なら、稽古を重ね、試合を重ねて学び取るもの)

 衛藤可奈美がそうだった。衛藤美奈都の娘として非凡の才を持つ可奈美は、現世と幽世に主を持つという御刀・千鳥の特質により夢の中で美奈都と邂逅し、稽古を重ねた。それにより常の刀使の倍のキャリアを積むことが出来た。

 単純に、稽古が進んでいるから強い。それが可奈美だ。

 正面からの一面図を見て悟り得るところは可奈美には到底及ばない。可奈美の方が倍も稽古が進んでいるからだ。三面図を見ることによって可奈美と対等の分析を得ようというのが、星王即ち北辰の名を冠する舞衣の切り札である。

 その星王剣が告げた。

(…無理だ…)

 高津刹那の顎を受けた時とは異なる。あれは、極限の二連撃だった。

 沙耶香のこれは異なる。斬りかかってこない。二人の沙耶香が腹背から、じりじりと間合いを詰めて来る。

 未熟な刀使ではない。小野派一刀流の精髄を高津雪那に叩き込まれ、正面切っての技術戦では舞衣と互角の沙耶香が腹背から来るのだ。

 すぐに掛かって来ないのは、恐らくは舞衣に不利を教えているからだ。その場に留まれば確実に斬られる。舞衣は先んじて動かねばならない。どちらか一方を討って、一対一に戻さなければ勝ち目が無いのだ。

(その上で沙耶香さんは、舞衣さんが動くのを待っている…!)

 七奈には分かる。

 必ずや舞衣は先んじて動く。一名の沙耶香がこれを受け、今一人の沙耶香が仕留める。そのつもりでいるのだ。

 しかしそれが分かっているからと言って、坐して待っていれば前と後ろから斬られるだけだ。前は躱せても後ろは躱せない。後ろを躱せても前は躱せない。

「舞衣さん…!」

 七奈にはもう、叫ぶことしか出来なかった。

(七奈さん…)

 その声は舞衣の耳にも届いていた。

 どうしようもない。

 そう思うのは舞衣も同じだった。

(ごめんね)

 あんなに協力してもらったのに、どうやら水の泡となるようだ。

 可奈美のところには行けない。いや、行っても意味はないのか。もう可奈美は、刀使では無くなるかもしれないのだから。

 だからもう、いいのか。これで。ここで斃れて。

(可奈美ちゃん…)

 沙耶香なら。この糸見沙耶香なら必ずや、肩を並べる可奈美のとなりへとたどり着くことが出来る。そうすれば可奈美は救われる。可奈美は、沙耶香と肩を並べて、彼方へ。

 舞衣の手の届かない、目で見ることすら叶わない、遥か彼方へ――

(…いや)

 一年前が蘇る。可奈美のことを姫和に託したあの時。まるで心に穴が開いたような、あの気持ち。

(あんなの、もういや)

 沙耶香が居なければ、どうにかなっていたかもしれないと思う。

 だが、舞衣は沙耶香を救ったが、同時に沙耶香に救われていたとも思うのだ。

「可奈美ちゃん…」

 その声は小さく、でも沙耶香にだけは聞こえた。

「力を貸して…」

 舞衣が膝を突く。

 座り込んだ…ように見えた。

(これは…)

 絶望してへたり込んだのではない。ひれ伏したのではない。沙耶香には見覚えがある。たった一度だけ、舞衣は見せたことがある。この構えを。

(座構え…)

 昨年の御前試合、準決勝。衛藤可奈美戦において一度だけ見せたことがある、その構えだった。

「舞衣ちゃんが…座構えを…」

 控室のモニターの前の可奈美の、我知らず呟くのを、傍らの友里歩は聞く。

「…だめだ、沙耶香ちゃん、二人になってるからって正面から近づいたらダメ…右、右に回って…」

 歩は傍らにいたが、可奈美のそれは歩に対してのものではない。

「座構えは、回り込まれたら付いてくのが難しい…沙耶香ちゃんは速いから出足をよく見て…うん、流石舞衣ちゃん…」

 沙耶香に対してでも、舞衣に対してのものでもなく、どうやらその両方への呟きであるようだった。まるで発熱時のうわ言のように、それが可奈美の口から漂い出て来る。

「どっちも…どっちも負けるな…」

 この言葉こそが、可奈美の本音であると思えた。どちらかを応援しているのではない。勝ってもらいたいのではない。ただどちらの負ける所も見たくないという、可奈美の呟きであった。

(聞こえて居ますか。届いて居ますか)

 歩は、そう思わずには居られない。

 もちろん戦う二人に、控室の可奈美の声が聞こえるはずもないことは分かっていても。

(舞衣さん。沙耶香さん。どうか…)

 そんな、可奈美と歩の気持ちが届いたか。

 試合は動いた。

 仕掛けたのは舞衣の居合だった。

(来た…迅移!)

 狙ったのは正面に居た沙耶香だ。

 写シを張っているように見える。つまりは分身の方の沙耶香だった。

(私には、沙耶香ちゃんや姫和ちゃんのような必殺の迅移はない。だけどあの日、京都で、早苗さんの一指の太刀を見た)

 沙耶香は迅移で逃れる。

 環視の刀使がどようめく。分身も刀使技は使用出来るようであった。沙耶香本人が得意の、長い迅移。

 舞衣とて二段階の迅移までならば、使いこなす。速力としては同等でも、持続距離は比較にもならない。一度の迅移で沙耶香は、舞衣の数倍もの距離を飛ぶことが出来る筈であった。

「…!?」

 にも拘わらず、舞衣は捉えた。下がる沙耶香に追いついたのである。

 何故か。

 沙耶香は悟った。

 陸上競技における、クラウチングスタートのようなものだ。

 坐することによって舞衣は、下半身をバネとしたのだ。それで迅移に一伸びを加えた。

(迅移に差があっても、埋める方法はある…!)

 それだけではない。所謂居合の平抜きは、片手での刀法である。それも、右手前の右足前という、肩を入れてリーチを稼げる刀法である。舞衣は、迅移に加え、刀法によって沙耶香を補足したのだ。

「…ッ!」

 振り切れない。沙耶香は悟った。

(舞衣…)

 一昨年、可奈美と戦うために編み出した、可奈美に追いつくために工夫して来た居合が今、沙耶香を退けようとしている。

 しかし、去年可奈美はこの技を退けているのだ。

 なら、己も退けなければ。

 でないと可奈美に負けたことになる。

(負けたら、舞衣は…)

 舞衣は明日の準決勝に進む。そこに待つのは友里歩で、衛藤可奈美ではないのだけれど、それでも。

 一歩でも近づく。一歩ずつでも可奈美に向かって。

 現実のものとするのは危うくても、それが舞衣のやりたいことなのだ。

(沙耶香ちゃんのやりたいこと、全部やろう)

 その舞衣が、そのようなことを言っていたのは何時だったろう。思い出せない程の、昔に思える。

(私の、やりたいことは…)

 先生のこと。刹那のこと。いつの間にか、沢山になった。けど一番、大事なことは。

「今日の相手は可奈美じゃない」

「…!」

 目の前の沙耶香が消え失せた。文字通り煙のようにだ。しかしそれも当然。舞衣の眼前の相手は、沙耶香の写シに過ぎない。

「今日の舞衣の相手は、私…!」

「あ、ぐ…!」

 消え失せたのは写シのみ。二人の沙耶香の一人のみ。

 本物の沙耶香の、妙法村正の切っ先が舞衣の脇腹を抉っていた。

「ぃ良し!」

 刹那が思わず、拳を握る。

「舞衣さん…!」

 七奈が悲鳴を上げる。

 舞衣の、写シが飛ぶ。膝を突く。

「マテ!」

 主審、紫が試合を止める。

「写シを張れ」

 どちらの名も言わない。

 何故なら両方の写シが消滅していたからだ。

「「…!」」

 二人とも同時に、それに気付いた。会場の全員がそのことに気付いた。

「「写シだ…!」です…!」

 二人の師弟子が、期せずして唱和する。

「「写シ!」」

 二人が同時に叫ぶ。

 主審、紫が瞳を凝らす。

 一念無想を出した後の、試合時間中での写シ再展張は成功した例がない。しかしその一念無想は、存分に舞衣に致命傷を与えていた。しかも、舞衣は切れ切れにではあるが、星王剣を使用している。バッテリー残量は多くない筈だ。

 再び写シ展張は至難だろう。

 このまま二人とも写シが張れなかった場合、最後の加撃は沙耶香である。勝者として沙耶香を宣する可能性は高い。

 舞衣か。沙耶香か。

 舞衣は膝を突いたまま。

 沙耶香は立って舞衣を見下ろしたまま。

 幽世の紗幕は舞い戻った。

 柳瀬舞衣のみの許へと。

 

***

 

「何故だ…!」

 弟子、高津刹那は覚えず叫んでいた。

(何故…!)

 最低、相打ちの筈だ。そして相打ちともなれば、最後に太刀を付けた沙耶香が勝者となる筈。

(まさか…)

 浅かったのか。沙耶香の突きが浅かったとするならば、それは何故?

 考え得るのは、想定よりも舞衣が踏み込んでいた、つまり背後から追撃する形となった沙耶香の本体からはより遠ざかっていたということだ。

 ならばもっと近づいて突けばよかろう、とも思われるがそれにはリスクが伴う。技を遅らせてさらに近づけば舞衣に対処される可能性が高まるのだ。正面の沙耶香を消したと同時に突く。このタイミングなら舞衣の技は尽きており、どうしても対処は出来ない。

(ところが、舞衣さんの居合のスピードは沙耶香さんの予想を上回っていた)

 先ほどとは逆に、七奈は拳を握る。

 急所には届いた。

 しかし完膚無き破壊には至らなかった。僅かに舞衣は、遠くに居たのだ。

 沙耶香の、手の届かない遠くに。

 おそらくもっと、可奈美の近くに。

(舞衣…)

 拾われたのだと、沙耶香は思っていた。

 拾ってもらったあの頃から舞衣は、可奈美の事を追い続けていた。そんな舞衣と沙耶香は、一緒に居たいと思ってきた。支えていようと思って来た。

 舞衣の、可奈美への気持ちと、己に向けられる気持ちは全然違うもので、全然違う関係を築いてきた。だからヤキモチとか嫉妬とか、そんな暗い気持ちが沙耶香の真ん中に来たことは、今までは無かった。

 昨日までは。

 沙耶香の今いる居場所が、かつて可奈美が居たところだと気付いたのは、つい昨日のことだ。

「私は、お姉さんだから」

 だから大丈夫なんだと、そんなことを言って微笑んでいた過ぎし日の舞衣と、昨日の舞衣の顔が重なって見えた時からだ。

(昨日の舞衣も、大丈夫って言っていたから…)

 だから分かった。

 あれは可奈美が居なくなってしまった時の舞衣なんだ。

(もう、分かってる)

 あの時、可奈美が居なくなってぽっかり開いた舞衣の心の穴に、たまたま忍び込んだのが沙耶香なんだと。

 でももし可奈美が戻って来たなら。

 沙耶香の今いる、舞衣のとなりに戻って来たなら。

(でも、舞衣。今日だけは)

 もう、己の居場所は無くなるのかも知れない。だとしても。

 今日だけは。今だけは。

(私だよ。舞衣)

 だから、私を。

「私を見つけてみて」

 あの時みたいに――

 

「キャアアアアアアア!」

 

 それは、死にゆく鳥のようであった。

 凡そ沙耶香が、いや人が発した者とは思われないそれと共に。

 沙耶香が。沙耶香が。沙耶香が。

 数えきれない程の沙耶香が。

 

「アああああああああ!」

 

 誰彼、相手構わず襲い掛かる…!

 

***

 

 誰の想定も超えていた。

 想定など出来る筈も無い。

「「な…!」」

 七奈も刹那ももちろんそうであった。

 一体の分身を繰り出して挟撃する技、という認識しか七奈には無かった。それは、弟子である刹那も同様であった。それがまさか複数の――いや無数の沙耶香を繰り出して来ようとは。

「敵襲!」

 混乱の内に在って、主審・紫の一声は鋭かった。

「各個に対応せよ!」

 しかしその紫も、右と左に沙耶香と沙耶香を相手取っていた。

「各自相互に防御陣形を取り、反撃に徹しろ。山城由衣、遊撃に回れ。益子薫、居るならば山城由衣に倣え」

 具体的な戦闘指示を最初に出したのは伍箇伝最高の前線指揮官、木寅ミルヤが最初であった。

「状況、奇襲! みんな、訓練を思い出して!」

 ミルヤと並び称される名指揮官、岩倉早苗も対応を始めたが、相楽瞑との死闘の直後であり、疲弊の極にあった。

「岩倉さん!」

「! 十条さん! 六角さんも!」

「これ、どうなってるんですか!?」

「分からないよ! でも、攻撃してくる!」

 平城の三人は背を合わせて四方の沙耶香に対抗する。

(夜光刀使…)

 姫和はかつて遭遇した事件を想起する。

 沙耶香の写シのみが無意識に彷徨い出た、あの事件を。

「沙耶香…」

 沙耶香が重いストレスに晒されて起こった事件である、というのが姫和の認識であった。写シが亡霊のように彷徨い出してしまうほどのストレスがどんなものであったのか、姫和には想像すら出来ないが、分かる事もある。

「沙耶香…!」

 原因が沙耶香である、ということ。そして事態は沙耶香の意思を離れてしまっている、ということだ。

 

「キアアアアアアアアア! あああああああ!」

 

 沙耶香は叫び続けている。

「沙耶香! しっかりしろ沙耶香! くそ…!」

 舞衣は。柳瀬舞衣は何をしている。

 ああなった沙耶香をどうにか出来得る人間を、姫和は他に知らない。

(見つけてみて、って…沙耶香ちゃんは目の前に居るじゃない)

 その舞衣の心境は、これに尽きる。ようするに、途方に暮れていた。

 目の前に居る己を見つけてみろという沙耶香の言葉の意味が、舞衣にはよく分からない。

 分からないが、分かることもある。

 これだけの沙耶香を繰り出しながら、当の対戦相手の舞衣には不思議と、どの沙耶香も斬りかかって来ない。

 そして目の前に、沙耶香が居て苦しんでいる。

 そう。苦しんでいる。沙耶香は、悲鳴を上げ続けている。

 ならば、舞衣がすることは一つだ。

「沙耶香ちゃん…」

 一歩を踏み出しただけで、一瞬だけ写シが飛んだ。

「あ…」

 腰が砕けかける。舞衣とて限界であったのだ。でも歩まなければ。でないと沙耶香の傍へと行くことが出来ない。

(どうしてそんなに泣いてるの?)

 周囲は阿鼻叫喚であった。御刀と御刀が噛み合い、火花を散らし、怒号と悲鳴が入り混じり、それなのに舞衣には不思議と、泣き叫ぶ沙耶香の声しか聞こえてこない。だから幾人の沙耶香が居ようと迷わず歩める。

 本当は駆け寄って抱きしめるつもりだったのに、一歩、一歩であった。

 もしも我が御刀、孫六兼元を杖突いていなければ、それも出来なかっただろう。二本の足だけでは無理だ。関の孫六が頼りという有様であった。一度死んだのだから当たり前だ。写シに守られていたから、それでもこうして生きて、苦しむ沙耶香に、歩み寄ることが出来る。

(どうして…?)

 心当たりがある。

「今日の相手は可奈美じゃない」

「今日の舞衣の相手は、私」

 そう、沙耶香は言っていた。

「私を見つけてみて」

 とも。

(ああ。ダメだなあ)

 こんなことだから、可奈美に置いて行かれるのだと思う。

 可奈美にされてあんなに辛かったことを、沙耶香に同じようにしようとするなんて、どうかしている。

(私はもう、ダメみたい)

 可奈美の隣へは行けない。

 泣いている沙耶香を、置いて行くことなど出来そうもないから。

「私はここだよ。沙耶香ちゃん」

 歩んで、ようやっと、辿り着いた。

 いや、戻ってきたのだ。

 沙耶香の許へと、舞衣は戻った。

「沙耶香ちゃん。今日のあなたの相手は、私」

 舞衣が沙耶香を包んだ瞬間、沙耶香の絶叫は途絶えた。

 それとともに、無数の沙耶香が変化する。相手構わず斬りかかっていた沙耶香の分身が、今まで一切構っていなかった一人に、揃って一斉に振り向く。

 即ち、舞衣だ。

「私だよ。沙耶香ちゃん」

 全ての沙耶香が狙いを定めた。

(いかん…!)

 紫を始め、この場の刀使たちの全員が最悪の事態を悟る。沙耶香は正気を取り戻しつつある。今は試合中で、試合の裁定は下っておらず、つまり舞衣は試合相手、敵だ。その舞衣は沙耶香を抱きしめており、つまり無防備で、しかも写シが無い。

 写シの無い舞衣へと沙耶香が。

 沙耶香が、沙耶香が、沙耶香が。全ての沙耶香が舞衣に狙いを定めて斬りかかる。

 そうと悟った刀使は多くいたが、だからと言って伍箇伝最速の沙耶香に追いすがれる者は居ない。誰一人として成す術も無く、沙耶香全てが舞衣に殺到した。対する舞衣は――

(沙耶香ちゃん…!)

 沙耶香の上に覆いかぶさる。

 我が身を守ろうとする動作ではない。沙耶香を危険から遠ざけようとする動作だった。

 十数の妙法村正は、全て試合相手である舞衣を狙っていた。

 妙法村正が我が身を貫けば、胸の沙耶香も当然貫かれる。その沙耶香は、写シを張っていない。

 だから守った。

 我が身を盾として。

「沙耶香ちゃん…」

 無謀の極みである。写シもなく、これほどの刃に切り刻まれれば間違いなく命は無いであろう。

(ま、い…)

 沙耶香の意識は清明では無い。

 沙耶香に認識出来たのは、舞衣の胸の内に擁(いだ)かれているという、それだけであった。

 それだけで十分であった。

(舞衣が居ない間、色んな事があった)

(沢山ある。話したいことが、沢山)

(だから、舞衣…)

 もう何処にも行かないで。

 沙耶香の手から、村正が零れる。

 握っていたその手が代わりに回したのは、舞衣の背であった。

 その瞬間、十数の沙耶香が幻のように消えた。十数の舞衣の背を狙った村正の一突きも、舞衣に触れることは無かった。

「勝負あり」

 紫の声は、いっそ穏やかであった。

 舞衣の手には孫六兼元があった。これを頼りに、沙耶香の所まで歩んで来たのだ。

 一方手を零れた村正をそのままに、沙耶香が捉えているのは舞衣の背だ。

「…勝者、西、柳瀬舞衣」

 紫の裁定通り、これを頼りと舞衣の背に回された沙耶香の腕は、もう村正を手にしようとはしなかったのである。

 




祝・終末ツーリングアニメ化!
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