刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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令和御前試合第二日 その5

 可奈美は思い出していた。

 母から与えられた、最初は重かった木太刀を初めて上手く振り下ろせたときの、空気を打ち破る手ごたえ。

 初めて真剣を手にした時の、ずしりとした重さ。

 母の千鳥に選ばれたあの朝。千鳥に会えるのが楽しみ過ぎて、学校まで走った。

(嬉しかった。楽しかった) 

 どうして今まで、あの高鳴りを忘れていたのか。

(…そっか)

 あの時放り出したから写シが張れなくなったんじゃないんだ。千鳥は私が嫌になった試合から、私を遠ざけようとしてくれていたんだね。

(辛ければ止めていい)

(嫌になったら辞めてもいい)

 ありし日の母に、そう言われた気がした。

(それで止めてしまえる好きは、止めてしまった方がいいと思う。けど、もしそうじゃなかったら)

(やっぱり止めたくないと思うことがあるなら)

 握った千鳥の飛鳥柄が、可奈美の右掌を握り返して来るようであった。

「それは本当に好きってことだよ」

 そう、母の声が聞こえた気がした。

(うれしい…母さん…千鳥…だいすき…)

 今や可奈美の中では、千鳥と母、美奈都との意味合いの境界が、渾然となっていた。それは可奈美が可奈美であることと何の隔たりもないことであり、つまり母を通じて、千鳥と可奈美はより一体となっていた。

「や、あ、あ、あああ…!」

 歓喜は咆哮となった。

 迸る歓喜のままに、可奈美は走った。実際走り出さなければ爆発してしまいそうだったのだ。

「あああああ!」

「…!」

 衛藤可奈美と言えば、後先の技が有名である。活人剣、とは人を活かすと書くが、内実は相手を動かしておいて、技の尽きたところを斬って落とす回避不能の恐るべき技で、大荒魂、イチキシマヒメと融合した十条姫和の三段階迅移すら、これで可奈美は破っている。

 一方、年の瀬の十条姫和奪還作戦の際には可奈美はその対極たる殺人剣(せつにんとう)でタギツヒメに太刀を付けている。新陰流における殺人剣とは敵を殺し、我を殺し、損害に構わずひたすらに制圧前進する超攻撃型の剣を指す。

(…逆風の太刀だ!)

 美炎はこれに面食らったりはしなかった。

 逆風の技は新陰流に伝わる連続攻撃で、何度も見ている可奈美の得意の技だ。待つ剣のイメージが強い可奈美であったが、本当は御刀を振り回すのが大好きな腕白刀使であることを、美炎は知っている。

(可奈美だ! 可奈美が返ってきた!)

 歓喜を、歓喜が迎え撃った。

「だあああ!」

 真っ向から応じていた。

 千鳥と清光が十文字に噛み合う。御刀と御刀が激突した際に特有の青白い火花が飛散する。それが一度切りでなく、何度も、何度も。

(逆風の技は、受ければ受けるほどどんどん回転が上がってく。負けないようにこっちもギヤを上げるんだ!)

 一足刀での間合いの盗み合いでは、到底可奈美には敵わない。けどこうしてどんどん出てきてくれるなら、美炎にはありがたい展開だと言える。太刀行き任せだったら、自信があるのだ。

(千鳥…千鳥の思うままに…!)

 一方の可奈美も、胸の高鳴りに任せてとはいえ、非常に技に乗りにくい、後先殺しの美炎に対し、期せずして適切な選択をしたと言える。さっきは上手く行ったが、次はどうか分からない。何せ「どっちの美炎か」でタイミングが全然違う。半々で斬られてしまうのだ。

 つまりが両者が両者共に、真っ向から斬り結んで、斬り勝つのが最適解であり、 まるで相撲の突っ張り合いのような応酬は、意外と見えて実は、両者の最良の展開であった。

 

「「ヤッ!」」

「「だあッ!」」

「「はあッ!」」

 

 新陰流では発声を唱何(しょうが)と呼称することもある。両者のそれは正に合唱かなにかのように何度も重なり、ぶつかり合う。二合、三合、四合――十合を超えても優劣は付かない。がっぷり四つで、中央開始線の真ん中で斬り結んでいる。

「なにちまちまやってんだ、ぶっ潰せ美炎ぉ!」

 業を煮やして叫んだのは、七之里呼吹であった。

 試合中静粛が伍箇伝の御状であったが、そんな常識が通じる呼吹ではない。

 いや、常識を忘れているのは呼吹だけではなかった。

「ほのちゃん! ほのちゃん!」

 傍らに居た早苗と姫和は驚く。六角清香がこんな場面でこんな大きな声を出すなんて、思ってもいなかったのだ。

 それらがきっかけとなったか。

 大声援が折神正庭に巻き起こる。

 さもありなん。衛藤可奈美と五分に戦う刀使など誰一人居なかった。美炎といえど成せると思っていた者は居なかった。しかし美炎は成している。感じる処のない刀使など居ようか。

「いける…いけます…ジャイアントキリングきちゃいますよ美炎さん!」

 山城由衣が、木寅ミルヤの袖を掴む。

(確かに行けるかもしれない)

 ミルヤも、調査隊で苦楽を共にした美炎に肩入れせざるを得ない。

(安桜美炎は強敵に強い。弱敵にあっさり倒されることもある一方で、明らかに格上の相手に対して実績を残して来た) 

 驚くべきことにこの時点で、後先殺し、という美炎の特性について自力で、ある程度のことをミルヤは掴んでいる。その理由は一言で言うと美炎の「ムラっ気」ということも分かっていたが、真因に踏み込むことは出来ていない。

 ともかく、伍箇伝最高技量の衛藤可奈美に対してそれが機能しているなら、その脅威の殆どが取り除かれる。技術戦でなく、肉体と肉体の勝負になるのだ。

 互い身長は150センチ中ほど、体重も大差なし。

 文字通り寝ても覚めても剣であった可奈美の練習量は並外れている。如何なる操刀も見ただけでこなせるのは、相応の土台あってのことだ。体力という点では並みの刀使を大きく上回っているだろう。

 対し我らが安桜美炎は、剣は好きだが好きはそれだけではなく、どんな好きも全力で愛するタイプだ。散漫なようでいて、しかしそれらは何れもその剣に収束していく。その結果柔術紛いもポンとこなしてしまう運動神経を獲得している。要するに体育が好きだし、得意なのだ。当然ながら見合う体力を有している。

(総合的なフィジカルは五分と五分。強いて言えば剣士の衛藤可奈美に対し、兵士として安桜美炎が優位に立っていると言えなくもない)

 美炎に突破口があるとすれば正にそこにあるだろう。

「…可奈美ちゃん…」

 声援を受けているのは美炎のみではなかった。

「可奈美ちゃん…可奈美ちゃんが戦ってる…可奈美ちゃんが…」

 思わず漏れ出た、という舞衣の声を聞き取ったのは沙耶香のみだった。

「可奈美――!」

 舞衣の声が、可奈美に届いていない。 

 そう思った時、人生で一番大きな声が出た。舞衣の代わりのつもりだった。 

「可奈美さん!」

「負けんな! 可奈美さん!」

 歩と美弥もこう見えてバリバリの体育会系女子だ。声を出せばデカい。

「…プロレス?」

「おー女子プロか。悪くねえ。気合みせたれ美炎ぉ!」

 会津組は、美炎の味方であった。

 平常、水を打ったような静けさの中で執り行われる御前試合が、今やプロレス興行のメインイベントに迷い込んだような様相となっていた。本来、静粛を指導するべき主審・紫にも、天覧席の馬庭司令や御本家・朱音にもその様子はない。

 むしろ、彼らも眼前の試合に集中していた。

「…よかった」

 朱音には、元気のなかった可奈美をずっと気にかけていた経緯がある。写シが張れなくなったと聞いた時には目の前が真っ暗になるのを覚えた。

「出来たのですね。良かった…可奈美さん」

 その可奈美が、今は元気いっぱいに斬り結んでいる。声援は可奈美への祝福のように、朱音には聞こえていたのだ。

(美炎ちゃんには私の新陰流は通じない! 力で、力で押し切る!)

(強い…可奈美は強い! その強さが、私に力をくれる!)

 二十合を超えても、両者は中央より一歩も動いていなかった。

「あ!」

「ぐ!」

 両者、守りは念頭に無い。時折入る。写シが飛ぶ。

 マテ、としかし主審・紫が号令する暇も無く飛んだ写シが戻る。制止するいとまも息つく暇も無く、斬り合いは続く。もし刀使同士の斬り合いでなければ、両者とも無数の刀傷を負い、勝利したとしても命は無いであろう。

「はあ、はあ、は…」

「はっ…はあ…は…」

 息が苦しい。こんなに苦しいと思ったのは何時ぶりだろうか。それもその筈だ。示現流の立木打ちや剣道の反復切り返しと等しいことをずっとやり続けている。無酸素運動を何連続も行っていれば肺の空気は空っぽになる。血中の酸素も使い果たし、今や酸欠状態と言ってもいい。

(どちらだ)

 十条姫和は目を凝らす。

(例え写シで致命傷にならずとも、この勢いで斬り結び続ければどちらかが先に息が切れる。動きが止まる。そうなったどちらかが一方的に斬られる――)

 可奈美。お前の方じゃないだろうな。

 そのはずだ。何故なら私がこの先、待っているからだ。私の突き進むところには必ずお前は付いて来た。幽世の最果てまでも、そこから現世への帰還行においてもお前は私と共にあった。

「可奈美…」

 だからお前は私の待つここに来る。その筈だ。その筈だろう。

「可奈美…ッ!」

 傍らの早苗は、姫和のこれを何と聞いたのか。

 もはやこの斬り合いは、30合を超えつつある。

(決着が着く…!)

 誰もが思った。

 可奈美も、美炎も、急速に太刀行きが重くなって来つつある。当人らに自覚は無かろうが、スピードもパワーも激減しつつある。

(もっと…もっと頑張れ私…)

(もっと、もっと美炎ちゃんと…)

 主審・紫は目を凝らす。写シが張れなくなったら敗北というルールはあれど、その他にも試合を止めるべき時は存在する。本試合の可奈美と美炎の場合、両者が両者、ガードなど念頭に無い。渾身の太刀をノーガードで打ち合い、それがたまたまかち合い続けているから両者共に立っている。

 このまま酸欠状態が極まれば、写シどころか意識が飛ぶ。どちらが先になるかは分からない。その瞬間斬られれば命は無い。両者渾身の太刀を、肉体の限界を超えて打ち合っているのだ。

(ぬう…!)

 二人の剣は同様に鈍っていき、同時に止まった。

 美炎と可奈美のフィジカルは全くの互角であった。

 太刀を取るどころか立っているのも重労働の筈だった。脳の中にはもう酸素は無い。眠っているも同然の筈だ。

(いかん!)

 それでも二人が二人共、御刀を振りかぶりつつある。刀使生命を縮めかねない、致命の袈裟を、互いに。

(全力…私と清光の、全力…!)

(美奈都母さん…力を、力を貸して…!)

 ガチン、と清光と千鳥が噛み合う。

 刃鳴りの冴えた音色ではない。鈍い音であった。それきり、両者共に動かない。

 斬られても居ないのに写シが消えていた。両者が両者共にだ。

(過呼吸による窒息死と同じ症状…二人共斬り合い過ぎて死んだのか…!)

 流石の紫も、このような事態は記憶にない。

 可奈美も美炎も立っていたがそれは、可奈美は美炎を、美炎は可奈美を支えとして立っているに過ぎなかった。もしどちらかが倒れたら、もう片方もその場で倒れて二人共もう動けないだろう。

「はー…ッ、はー…ッ、は…」

「ぜー…ッ、は―…ッ、はー…」

 苦しい。苦しさ以外を感じることが美炎には出来ない。それでも、もっと。そう思う。この時を夢見て、苦しかった任務も、辛かった戦いも乗り越えて来た。偽神スルガも、禍神ヒルコミタマも可奈美に比べればどうってことない相手だと本当に思えた。可奈美と戦ったんだと思ったら、どんな相手にも怯むことが無かった。

 可奈美が己を強くしてくれた。どんな困難にも立ち向かう勇気をくれた。

 ここまで戦ってきた敵も、競って来た仲間も、みんな強かった。だけど乗り越えて、ここまで来られた。

(可奈美が待ってる。そう思ったら頑張れた)

 ぐらり、と美炎が後ろによろめく。

 いや、可奈美にもたれていた身を起こしたのか。そのままふらふらと、一歩、二歩とよろめき下がる。

 そうすると自然に、ずっと追い求めていた可奈美の姿が目に入ってきた。

(ああ…本当に可奈美だ。約束を守ってくれたんだ)

(目の前に可奈美が居る。だから今度はもっと頑張れる。戦える…!)

 そこで踏ん張った。写シが戻った。美炎の許に生命が戻ったのだ。その魂の炎のように、その紅射した髪の色が燃え立つかと見えた。

(ええと…なにしてたっけ…あ、美炎ちゃん…)

 この時可奈美は、まだ朦朧としていた。このような写シの剥離を経験したことが無かったから、自分がどのような状態なのかよく分かっていなかった。

(あは。凄い声援。美炎ちゃん、人気者だなあ)

 しかし、よく聞いてみると、聞こえてくるのは美炎へのものばかりではない。可奈美へのものが相半場していた。

 信じられなかった。

(どうして、私も応援してくれるの…?)

 皆、己の事を避けていたのではないのか。無視していたのではないのか。

「可奈美さーん!」

「可奈美…!」

 聞き知った声が混じっているのが分かる。友里歩や、糸見沙耶香の声だ。二人共、応援してくれているのか。だったらとても嬉しい。

(美炎ちゃん、髪、綺麗。でも、苦しそう)

 目の前には、美炎が居る。息は上がって、苦しそうだった。けど、それだけではないように見えた。

(…うれしそう?)

 その唇は微笑んでいた。だからそう思えたのだ。

 だったら私も嬉しい。もう戦えないかって思ってたから。また美炎ちゃんと戦えて嬉しいよ。

 その美炎の姿が不意に視界から失せる。代わりに目の前にあるのは己の手と、己の佩刀、千鳥だった。その千鳥の刀身が写した誰かに、可奈美は目が合う。

(…誰?)

 この、ゾンビみたいな真っ青なコ、誰なの? 誰かに似てる。誰だっけ。

 確か、このコは…

(……―ッ!)

 だん、と足を踏ん張る。

 千鳥の刀身に見たのは、映った己の顔であった。

 美炎が離れた為、支えを失って前にぶっ倒れかけていたのだ。

(私は、衛藤可奈美! 今は、美炎ちゃんと戦ってること!)

 うん。そうだ。頑張れ、可奈美。

 千鳥の中の己の顔が、そう言ったように思えた。

「写シ…!」

 可奈美の許に、刀使の魂が戻った。試合の直前までは失っていたものだった。歩が預かっていてくれた、美炎が呼び戻してくれた、取り戻してくれたそれによって、今美炎に立ち向かう。

(いこう)

 十条姫和の、柳瀬舞衣の姿が見える。可奈美のことを呼んでいる。叫んでいる。

 もしも、明日に進むことが出来たなら、きっと待っているだろうひと達。

(いくんだ)

 美炎と同じように、私のことを呼んでくれているなら、待っていてくれているなら、私は――

「始め!」

 主審・紫が宣じる。

 ここに至って両選手が写シ展張を終えた。試合再開の体勢が整ったのだ。

 可奈美は、中段に取る。というか、自然その構えになっていた、という感じであった。対する美炎は――上段。

 火の位、とも石火の位とも別称される。

 これほど美炎に似合いの構えがあろうか。

 公式戦では、始めて見せる美炎の上段構えである。

(く…苦しい…まだ息が戻らない…もう写シが張れなくなるかも…でも、その前に)

 美濃関で同期の可奈美も、これは初めて見る。それもその筈、美炎だって実戦で用いたのは、さっきの今だ。

(出せるもの、出したい。可奈美に、全部…!)

 石火の位、上段から繰り出される石火の打ち。美炎のそれは、差し詰め「炎の位」、とでも呼ぶべきか。

 対する可奈美の千鳥もまた同じく中段から変じていく。

 相上段となった。

(うちの流派じゃあ、上段雷刀、とか呼んだりするね)

 だれの言葉であったか、今は分かる。これは夢で稽古を重ねた母の、衛藤美奈都の教えだ。

(切り落としとか、合し打ちとかの後先は上段相手じゃ難しくなる。どうしてだか分かる?)

(んー、速いから?)

(ご名答。だってもう振りかぶってるんだもん。合わせ技だって忙しくなる。難しくなる。相手が強い上段だったらなおさらさ)

 美炎のそれは確実に、その強い上段だろう。一部が知るところの「後先殺し」がそれに拍車をかける。技のタイミングが異なる別人の写シがランダムに現れたり現れなかったりする。タダでさえ素早い上段の打ちが、どっちで来るかなんて余計分からない。さっきはたまたま上手く柄を取れたりしたけど二度合わせることが出来るかどうか。

 母、美奈都だったらどうするだろう。美炎の上段に勝つことが出来るだろうか。

「答え、聞きたい?」

 いたずらっぽい母の声が、本当に聞こえた気がした。

(んーん。勝ちたいのは、私だから)

 そっか、と母は、微笑んだ気がする。

 迅移は使わない。じり、と可奈美は自分から詰めていく。同じように、美炎も進んでいく。じりじりとしているようで、そのうちあっという間に間合いが詰まる。

 折神正庭から、歓声が途絶えた。

 うって変わって静まり返っている。誰もが固唾を呑んでいるのだ。

 相上段、炎の位、対、上段雷刀。

 間合いは既に、つま先が触れるか触れないかのところまで切迫した。太刀行きのみに試合を委ねる、まさに電光石火の勝負であった。

 主審・紫は目を凝らす。

 息もつく間もなく斬り結んだ挙句の窒息という、見たことも聞いたことも無い事態が両者にもたらしたダメージは、紫にすら測りがたいものであった。

 判定は互角。

 残り時間からも、斬られた側が試合中に写シを張って試合に復帰できるとは考えない方がよい。電光石火の相上段、これに勝利した方が、この試合の勝者になるだろう。

(近い…)

 ここまで近づくつもりはなかった。けど可奈美が、同じように間合いを寄せて来たから。

 息を吹きかければ届くほどに切迫した間合いで、美炎からはもう、可奈美の瞳が覗き込める。

(私のことが映ってる…)

 多分過去一カッコいい、己の顔だ。

(技術じゃ到底可奈美には敵わない。けどもう、それでもいい)

 試合とか勝敗とか、そんなもの超えた安桜美炎を見せるんだ。その瞳に、この私の事を映すんだ。そうしたらきっと、このカッコいい私をまた、もっと見ることが出来るから。

(だから…いくよ、清光!)

 対する可奈美の方からも、美炎の瞳を覗き込むことが出来ていた。互いが互いをことを見つめていたのだ。

 美炎の瞳はとても綺麗で、それが映す己のことまで綺麗なもののように思える。相手にされなくていじけていた、昨日までの己とは思えない。

(私全然、こんなんじゃないけど、でも)

(美炎ちゃんが見てる私が、こんなに綺麗なんだったら、ホントにそうならなきゃって思える)

 さっきの、千鳥に映った我が顔が思い浮かぶ。

 よかったね。

 母のようにも、己のもののようにも思えるその顔が、そう言っているように思えた。

(美炎ちゃんが来る。だったら私もいく…!)

 私も、美炎ちゃんと一緒に…!

 この時、声にならぬ声が、折神正庭を駆けた。

 千鳥と清光が、交錯する。

 さっきまでは十字に噛み合っていた。かち合い続け、時には互いの写シを奪いながら、四十合近くまで斬り結んだ清光と千鳥が触れもしなかった。

 まともに入った。

 可奈美と美炎、どちらにもだ。お互いがノーガードでお互いを斬ったのである。

 ぶっ倒れた。当然、どっちの写シも飛んだ。無数の、悲鳴にすらならぬ悲鳴が御前試合の折神正庭を駆け抜ける。カウンターでフルスイングの斬撃を交換し合ったのだ。ただでは済まない。刀使生命に届く傷となる筈であった。

 紫は試合を止めるべきであった。

 このような事態を避ける為、折神前当主たる己が自ら進んで行司役を行ってきたのだ。しかし今眼前で、二人の刀使生命が吹き消えようとしている。

 何のためにこの場に居たのか。いったい己は何をやっていたのか。

 このような事態を避ける為ではないか。

 御前試合第四試合に勝者は居ない。再起不能となった二人のもと刀使の少女が残るのみ。そう思っていたのだ。

 しかし、立ち上がってきた。

 安桜美炎が立ち上がる。写シを張る。

(バカな!)

 何故立てる。写シが張れる。昏倒コースは確実だった筈だ。脳天から喉元までを打ち割られているのだ。

「はー…っ …はー…っ」

 美炎自身、どうして立てるのか分からなかった。写シが張れている事が信じられなかった。

 可奈美の力だと思った。

 可奈美が、千鳥を通して美炎に命を吹き込んでくれた。本当にそう思えた。

 信じられなかった。けど、これでまだやれる。

 もっと、可奈美と――

(…可奈美?)

 その可奈美は、まだ立ち上がることが出来ずに居た。いや、これは立てるのか。立ち上がろうと頑張っている。でも、その度に腰が落ちる。

 ついに、千鳥を杖にした。

 それに縋って、立ち上がろうとしている。

 美炎と戦うためにだ。もっと戦う為にだ。

(可奈美…)

 がんばれ。

 頑張れ、可奈美。

 支えようとしたけれど、助けようとしたけど何故か身体が動かなかった。声が出なかった。後で考えてみれば美炎は対戦相手なのだから、そんなことが許されるはずがない。よく自制したものだと思う。兎も角そう祈ることしか美炎には出来なかった。

 そんな美炎の代わりに。

「Come、on(がんばれ)…!!」

 可奈美を支える者たちがいた。

「なにやってる可奈美! 根性みせろ!」

 益子薫や古波蔵エレンは、一瞬任務や立場を忘れていた。

「可奈美! 可奈美! かなみ…!」

 声も枯れよと叫んでいるのは、糸見沙耶香だ。

「立って! 負けないで可奈美さん…!」

 田辺美弥に支えられつつ、友里歩が声を張る。

「可奈美…!」

「可奈美ちゃん…かなみちゃん…かなみちゃん…」

 誰もが聞き取れるかどうか分からない、この声の主を、美炎は知っている。

 柳瀬舞衣であり、十条姫和であった。

 この先、可奈美を待っている人たちの声が、確かに美炎には聞こえた。

(聞こえる? 聞こえてるよね。 皆、可奈美のこと呼んでる。舞衣が、姫和さんが待ってる。だから…)

 千鳥を杖と突きながら、ついに可奈美は立ち上がった。

 奇しくも、友里歩と同じ姿となっていた。

(本当に、私のことを…)

 美炎ちゃんと同じように、呼んでくれるなら。待っていてくれるなら。

「う、つ、し…!」

 まるで必殺技かなにかのように、可奈美がその言葉を絞り出す。

 ふつう、それくらいのことで張れる筈がない。そんな斬られ方、倒れ方ではなかった。

(姫和ちゃんも、舞衣ちゃんも、みんなも。私もっと、刀使で居ていいんだよね)

 だったら、嬉しいな――

(むう…)

 それなのに、可奈美が、写シを張った。

 選手双方が写シを張った。ルール上は試合再開をコールすることが可能だった。

 しかし紫は試合を止めるべきだった。

 当然であった。両選手、写シを張っただけだ。息を吹きかけただけでも倒れて写シを失うだろう。ましてや、この状態で御刀で斬られでもしたら、刀使生命どころか、後の人生にも影響を及ぼしかねない。

 試合を止めたら、この後どういう判定になるのかは念頭に無い。そのような場合ではなかった。中止すべき御前試合第二日、第四試合はしかし、中止されることはなかった。

 既に、決着はついていたのである。

(…良かった)

 可奈美は、負けない。

 可奈美は私達、刀使の夢だ。

 可奈美が負けないで良かった。ほんとうによかった――

「…美炎ちゃん!」

 美炎の手から清光が零れる。それと共に、美炎の写シは失われる。

 ゆっくりと、膝から崩れ落ちる美炎を可奈美が支える。

「勝負、あり」

 奇しくも可奈美の前試合、友里歩戦と同じ構図となっていた。

(写シを張った時点で、安桜美炎は…)

 既に、こと切れていたのか。

「勝者、東、衛藤可奈美」

 精魂尽き果て、寝息を立てる美炎を、かたくかたく、あらんかぎりの力で可奈美は抱き留めていた。

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