刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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令和御前試合第三日 その2

 六角清香は安桜美炎と共に、準決勝観戦の刀使勢の内より、つま先立ちとなって鈴本葉菜の姿を求めたが、やはりその姿はない。

 まだ官邸より戻らないのだろうか。ならば葉菜は相楽結月副長官と共に、一夜を官邸で過ごしたのか。

 それほどの大事があったのだろうか。

 なら、果たして伍箇伝年次行事など行っている場合なのだろうか。中止して有事にそなえるべきではないだろうか。

 清香も美炎も、もちろんそうと望んでいるわけではない。その逆で、そうならないか不安なのだ。去年に引き続き今年も、となると本当に不安になる。刀使ならば皆一度は思い描く御前試合の折神本家本庭、今年こそは伍箇伝刀使第一席を決めて欲しい。

 主席を得るのは、美炎の美濃関の柳瀬舞衣、衛藤可奈美であるかもしれない。

 あるいは清香の平城の、岩倉早苗、十条姫和なのかもしれない。

 美炎や清香の友達であるこの四振りの、何れかが本年度第一席刀使なのだ。

「目下、日程に遅延はありません」

 大波乱の幕開けだった昨日と異なり、御前試合第三日は粛々と日程通り執り行われて行く。ただ、折神朱音の周囲に群がる報道陣は多いように感じられる。

「現在、関係各省庁と連携して事態を精査中です」

「本日、翌日と開催中の御前試合の日程に変更などはないのでしょうか?」

「現在共有されている情報を見る限り、日程に影響を及ぼすような事態にはならないだろうと考えています」

「しかし…」

 局長、折神朱音御本家の回答は堂々としており、淀みを感じさせない。

 感じさせなさすぎる。恐らく、予想通りの質疑というところか。

「日程に変更があれば、マスコミがどう報道するか分からない。あのように対応するしかないでしょう」

「ミルヤさん…」

 既に卒業生である瀬戸内智恵副長を除き、赤羽刀調査隊はそろい踏みでここに居る。調査隊以外にも、選手である可奈美たちを初め、多くの刀使がここには詰めかけている。それはつまり、他が手薄になっているということだ。手薄に出来る状況であるということだ。そう見せかけられるということだ。

「特別刀剣類管理局が不安を感じていない、ということが言外にも報道陣に伝わるでしょう。あるいは…」

「あるいは?」

「そう伝えたい、と感じているのでしょう。いずれにせよ私達のやることは変わりません。今から行われる二戦、それを直接に見て、感じるところによって何かを得ることです。そうすることで…」

「お。出て来やがったぞ」

 七之里呼吹が、注意を促す。

 御前試合第三日(だいさんじつ)、準決勝第一戦を戦う刀使二名が、花道に姿を現しつつあった。

 

***

 

 西陣より、平城学館主席代表、岩倉早苗。

 東陣より、同じく平城学館、前年度御前試合決勝戦主権者、十条姫和。

 平城学館同士の対決が、第三日の御前試合の第一戦にプログラムされていた。これは選手のダメージを配慮してのことである。昨日第二日準々決勝において選手何れもが死闘を演じたが、姫和と早苗、この両選手のダメージは、可奈美と舞衣に比較して少ないものと見られたのである。

 美濃関の二選手、衛藤可奈美と柳瀬舞衣の被ったダメージは甚大であり、最大限のインターバルを与える必要を紫は感じていた。これは朱音局長も馬庭司令も同意し、初戦での平城対決が実現したのである。

(昨年、ここで十条姫和と対したのは相楽瞑、あなたでした)

 かつて綾小路予選で幾度となく対峙した、相楽結月学長の一女を木寅ミルヤは想起する。まさかあのような形で、死したと思われた瞑と再会するとは思いがけなかった。

 一年後の今日、かつて刀使勢の副将と謳われた柊一族の娘、姫和に挑むのは中等部一年より三年連続本戦進出の岩倉早苗である。近年にこれを為し得る刀使は恐らく、今なお昏睡している糸見沙耶香以外には居ないであろう。

 人外中の人外、刀使の理の枠すら超えた刀使二人が激突する。

「一指の太刀バーザス、唯一の太刀。この必殺剣対決、どう見ますか解説のミルヤさん」

「誰が解説ですか」

 綾小路の後輩刀使、山城由衣は平常運転であった。

 とはいえ、由依の一連の超常軌的な言動が多くの刀使に好影響を与えているのは、副長智恵に指摘されるまでも無く認識をしている。

「こほん。…一指の太刀に対抗する為に工夫されたのが唯一の太刀であるということを鑑みれば、十条選手に分があると考えられるでしょう。これは昨日の対五条丹穂戦を見ても明らかです。但し」

「但し?」

「十条選手が相対するのは伍箇伝史上屈指、現役最優の名司令官岩倉早苗です。無策であるはずがありません。容易い試合とはならないでしょう」

「おおっ!」

 由依は、ミルヤのリアクションに、感じるところがあったようである。

「盛り上がってまいりました御前試合準決勝、第一戦の実況は私山城由衣、解説は木寅ミルヤでお送りいたします!」

 あ、このノリでいくんだと、美炎はちょっと引いた。

 清香はミルヤを気の毒に思った。

 呼吹はあんまり気にしてなかった。

 ミルヤはもう、色々とあきらめていた。

「主審に招かれ、東西選手、双方中央、開始線に進みます。今や紫様の合図を待つばかりとなりました!」

 結果誰にも止められなかったので、マイクのつもりなのか山城由衣、蛍丸の柄をがっきと掴んでノリノリで絶叫する。こいつなかなか活舌いいな、などと呼吹は妙に感心したりする。

 正面神前並びに天覧席、及びお互いに一礼を交わし、抜刀写シの合図と共に両者抜き合わせる。

 実は本年度御前試合においてそこそこの試合が、この尋常な手続きを踏んでいない。まともに始まっていないのだ。第一日第一戦からして試合が三対三に変更になったし、美炎と新田弘名の試合では弘名が開始を待たず奇襲を仕掛けている。昨日、準々決勝初戦も、選手が開始線で抜き合わせることは無かった。

 御前試合第三日の初戦も果たして、まともな試合開始とはならなかった。

「おおっとこれは!?」

 岩倉早苗が動いた。

「…印の構え?」

 似ているが異なる。切っ先が垂直に点を刺すのは変わらず、刃の向きが異なる。相手とは逆、つまり自分の方を向いているのだ。

「これは何を意味するのか!?」

「放送席の由依ちゃん! 放送席の由依ちゃん!」

「枢羽ちゃん!」

 伊南枢羽は赤羽刀調査隊ではなかったが、由依のノリになんとなく乗っかっていた。ちなみに報道陣は全く関係ない所に陣取っているし、実況放送席など何処にも設置されてない…

「情報によるとこれは、鹿島新当流に伝わる陰剣という礼法だそうです!」

「鹿島新当流と言えば十条姫和選手ですが、御刀を返したのは岩倉早苗選手の方ですよね」

「それについては北斗先輩が…」

「北斗先輩? というとあの朝比奈北斗さん!?」

 準決勝が平城同士の組み合わせと聞きつけ、京都より登殿して来たのか。

 朝比奈北斗は、平城予選での岩倉早苗の準々決勝の対戦相手である。猛稽古で知られた刀使であり、旧親衛隊第一席、獅童真希の再来とまで言われる程の剛剣で、早苗を大いに苦しめた。判定で遅れをとったものの、審判によって勝者が入れ替わっていた可能性は今なお、平城の生徒の間で取り沙汰されている。

「本来ならば双方が同時に太刀を返す。何れがが先に太刀を返す場合、それはそちらが打太刀、つまり教わる方ということ。つまり岩倉は、鹿島の太刀を教えてくれ、と十条に入門を申し入れたことになる」

「岩倉さんって確か、先輩と同じ真庭念流だったですよね」

「真庭念流道場は出禁、つまり破門の身だ。馬庭の太刀技を使うことは出来ないし、本来なら竹刀すら持つことも許されない」

「…それは、鹿島新当流に鞍替えしたから?」

「宗旨替えは五条いろは学長の意向あってのことだ。つまりが上意。さむらいなら止むを得ない」

 早苗さんは別に侍ではなく、友達思いで美味しいものが好きな普通の可愛い女の子なのだが、それを侍扱いは、とても北斗先輩らしいと枢羽は思う。

「技は用いなくとも、支える足も腰も、御刀を握る手指も全て、真庭念流の稽古で培われたもの。ならばきっと…」

 朝比奈北斗は、岩倉早苗に真庭念流に戻って欲しいのだろうか。

 はっきりそうと言われたわけでは無いが、何故だか枢羽は思った。そしてそれは、由依も同感であった。

 もし早苗が鹿島新当流を辞し、古巣の真庭念流に戻るのであれば、それは十条姫和と疎遠になることを意味する。由依や枢羽の好みの言い回しにするなら、今カノの姫和と破局し、元カノの真庭念流にモトサヤするということであり、由依たちなりに由々しき事態である。

 何れにせよ、ただの試合にするつもりはない――

 自らに刃を向けた早苗の千住院力王は、その意思をありありと伝えていた。

「…」

 早苗に応じ、姫和も動いた。

 千住院力王に続き、小烏丸もまた、その刃を返した。

 陰剣――

 試合開始の合図後のことである。時計も動いている。が、主審・紫はこれに注意を与えようとしない。

「さあて、なにが飛び出す…?」

 七之里呼吹の口角が、この上もなく上がっていた。

(…岩倉さん)

 如何なるつもりで御刀を返したのか、計り知る術は姫和にはない。ただ決まっているのは、岩倉早苗が何をどうしようと、真っ向から受け止めるということだけであった。

 だから、姫和も応じて刃を返した。

(岩倉さんの作戦が私なんかに見切れる筈がない。だけど、やろうとしてることは分かる。こういうことだろう…!?)

 矢声と共に、中段となる。歩幅を大きく広くとる、鹿島の中段晴眼であった。

 申し合わせたように、早苗も晴眼となる。

 相中段となった。

「へえ…」

 呼吹は、いささか意表を突かれたようだった。

 ここに集う多くの刀使がそうだろう。皆が皆、必殺迅移が飛び交う大銀河宇宙戦争を予想していたからだ。

 御前試合第三日第一戦は、予想外の展開を迎えていた。

 

***

 

「…非切り稽古になった?」

「え?」

 可奈美の呟きを、傍らの友里歩が聞きつける。

「あ、うん。非切り稽古、という言葉が新陰流にはあって…」

 控室据え付けのモニターから目を逸らさず、可奈美は歩とその付き添いの田辺美弥に説明する。

 非切が示す通り切らない稽古で、ボクシングでいうマスボクシング、空手でいう寸止め試合に似る。ただ異なるのは、流の型のみを用いるということ、流の太刀技のみで返すということ。そして流の型であれば任意にどれを仕掛けて行っても良いということである。

 ただそれは、木太刀や鉄刀を用いるから斬らないのだ。これを御刀を用いて行うならば、流の型ならどれで斬っていっても良く、それを流の型であればどれで斬り返しても良い、ということになる。

「それって稽古じゃなくって只の試合じゃ…」

「そうだよ。ようするにこれは、鹿島新当流の試合、なんだ」

 その約束を早苗が押し付け、姫和が売られた喧嘩を買ったのである。

「…姫和ちゃん」

 単純に姫和を応援したいのだが、可奈美にはそれが出来ない。相手となっている岩倉早苗のことを実は可奈美はあまり知らないが、それでも伝わってくるものがあるからだ。

 岩倉早苗は、御刀のやり取りでは伝えきれない何かを、それでも御刀によって姫和に伝えようとしている。可奈美は分かる。それは恐らく、言葉を用いて伝えることが出来ない事柄だ。

 可奈美の知る如何なる相手とも異なる、かつてない、相手であった。

「十条さんの中段なんて、始めて見るかも」

「いや、いくらあいつでも中段くらい普通に構えるだろ」

 美炎に突っ込む呼吹の言葉通り、姫和は中段も普通に用いることを、清香は良く知っている。鹿島の秘太刀で知られる姫和であるが、基礎としての全剣連流、つまり剣道を疎かにしてはいない。周囲が見る以上に基本に忠実な刀使なのだ。

「剣道の足さばきは、基本右足手前の摺り足。だけど、姫和さんは違う。歩み足も、左手前も得意なの」

 鹿島新当流をルーツとすると云われる、卜伝流を学ぶ清香には相応の知見があった。泥濘での野戦を想定する新当流は摺り足など用いない。歩み足も左手前も使う。つまり、姫和のフットワークは非常に多彩であるということだ。

「衛藤可奈美さんや燕結芽さんばかり名前が挙がるけど、私は伍箇伝最強は、姫和さんだって思ってる」

「手はぶきっちょでも足は器用ってか?」

「手だって、料理とか上手だしそんなにぶきっちょじゃないよ? ぶきっちょななのは性格だけだから」

「二人共酷い!」

「そんな感じですけどどう見ますか? 解説のミルヤさん」

「誰が解説ですか、誰が」

 とか言いながらも、説明したがりのミルヤであることを、山城由衣は良く知っている。

「こほん。確かに、十条姫和のフットワークは、糸見沙耶香と並び伍箇伝最高峰ではあるのでしょう。しかしその相手もまた、真庭念流をベースに鹿島新当流を学んだ刀使。そして非切稽古を仕掛けていったのは岩倉早苗の方です」 

「岩倉選手に策ありと! そういうことなのでしょうか!」

「何時まで続けるんですか、このノリ」

 器用さ、技の多彩さならば、それこそ岩倉早苗は並みの刀使ではない。

 器用貧乏で強みが無い、という評価はそして、もう当てはまらない。岩倉早苗にはあの、絶対的な一指の太刀がある。昨日の準々決勝において、さらなるバリエーションの存在も明らかとなっている。

「予断の許される試合では、ありません」

「なるほど」

 話している内にもいつの間にか、互いの御刀の帽子が触れ合うところにまで、両者は切迫していた。

 一足刀――

 中距離。しかし迅移を用いるに適した間合いではない。迅移急襲は近すぎて無意味。八幡力で太刀行きを加速した方が功を奏する間合いになっている。

 一歩踏み込み太刀を振るえば、決着の間合いだった。

 何時仕掛けるか。いや今か。

 見守る美炎たちの前で、触れ合う二振りの御刀の切っ先が一瞬消失した。

 

「ヤ!」「トウ!」

 

 そうと聞こえた時には既に両者、相中段に戻っている。

「な…」

「何今の…」

「か、解説の…」

「鹿島新当流、面ノ太刀…」

 由依に求められる前に、ミルヤからそのセリフが出た。思わず、という感じであった。

「岩倉早苗が袈裟で仕掛け、十条姫和が躱して袈裟で斬り返し、それを同様に岩倉早苗が躱しました。よく知られた鹿島の基本のシーケンスですが…」

「いやそうかもしんねーけど、異常なのはスピードだろ」

 型どおりの技であった。それも、初伝であるところの面ノ太刀、その第一か条である一ノ太刀。基礎の基礎に過ぎぬ技のやり取りを、トップレベルの刀使がやればこれ程のモノになるのか。

「霞んで躱す。剣でブロックしてるように見えるけど、ああやって、太刀筋から身体ごと居なくなるんだ」

 歩に説明する、というよりも思ったことが思わず口に出ている風の、可奈美である。

「霞んで、躱す…」

「太刀筋から身体をずらしてるから、ブロックしなくても当たらない。ブロックしてるように見える剣は実は、反撃の袈裟の予備動作なんだ」

 竹刀での打突の当たり外れを競う剣道では、あまり意味を成さない用体である。

 しかし御刀取っての試合では、当たったところで相手の写シが飛ばなければ意味が無い。相応に深く斬り込む必要がある。そうなると体軸をずらす意義は、がぜん出て来る。

「姫和ちゃんは体軸の意識が凄いんだ。どう足をさばいても、どんな体勢になっても体軸を失わない。だから、例え体勢が崩れてても立て直すのが早い。素早く反撃してくる。多分なんだけど、姫和ちゃんは徹底的に迅移を鍛えてるから、副次的にそこも鍛えられてるんだと思う」

「足腰が強い。足腰の遣い方が上手い。だから、それを土台にして繰り出す剣が鋭い」

「うん。流石、歩ちゃん」

 十条姫和の剣は鋭い。

 これは姫和の剣を見た刀使の誰もが懐く感想である。直線的、単純とすら言えるかもしれない姫和の技は、数々の強敵を退けて来た。

(けど、あの岩倉早苗、さんは…)

 環視の刀使がどよめく。

 今度は姫和が仕掛けたのだ。早苗は霞んで…交わさない。全く同時に袈裟に仕掛けた。

 

「「…!」」

 

 鍔迫り合いとなったのは一瞬で、早苗は直ちに捩じり伏せる。早苗の右肩と姫和の左肩がぶつかり合った。

 千住院力王が、上から下へと小烏丸の鍔元を押さえつけている。言うまでも無く、早苗が体制有利だ。抑えられた姫和は斬っていけない。抑えた方の早苗は任意に斬っていける。しかしこれが瞬く間に、小烏丸が上となった。姫和が体を入れ替えたのだ。

 まるで社交ダンスのような手際だ。押さえつけられているのはこれで、千住院力王の方になった。今度は姫和の右肩と、早苗の左肩がぶつかり合う。

(面ノ太刀、第二ヶ条、二ノ太刀――)

 体制有利となった姫和だが、斬っていくことは出来なかった。早苗が体を入れ替え返してきたのだ。これをさらに、姫和が入れ替え返す。千住院力王と小烏丸が、上と下を繰り返し、その度両者の肩はぶつかり合った。

(完全に対応してる…)

 姫和のスピードにも切れにも全く動じる様子がない。

(姫和ちゃんの技は確かに直線的で真っ直ぐ。けど身に付けている鹿島新当流はそうじゃない。癖技だって沢山ある。例えば…)

 環視の刀使勢がどよめく。

 飛び離れた姫和が、大の字に身体を開いたのだ。

 いや、姫和ばかりではない。早苗も全く同時に大手を広げていた。

「!? 何を…!?」

「中極意、鴫羽返し。姫和ちゃん得意のフェイントだよ」

 鴫とは水鳥の一種である。川や池を狩り場とする鶴や鷺と異なり湿地草原の内に分け入り、長大な嘴で狩を行う。

 鴫の仲間は大小さまざまであるが、共通しているのは生い茂る水草の中をフィールドとしていることだ。鹿島新当流鴫羽返しとは本来、湿地での合戦で生い茂る我が身より高い水草の中を分け入って戦う想定の型なのではないか、と可奈美なりに想像をしている。ああやって大手を広げるのは、草を分けて、目視出来ない敵の気配に接敵する動作なのだ。

 然るにここは御前試合の石台だ。視界を塞ぐ水草などはない。大手を広げる動作に何の意味もありはしない。普通に隙だらけで斬られるだけだ。

 これを、昨年の御前試合本戦で用いた刀使が十条姫和である。

 目の前の相手に、いきなり大手を広げて見せた。これをやられた第一戦の対戦相手は不意を突かれ、この後の対応が遅れ、実力を現わすことなく敗れ去った。幻惑されるのも当然だ。対手を受けて斬ってくれと言わんばかりに両手を広げるような動作は他流にあっては無類、如何なる武術的な動作とも異なる。

 これをフェイントとして用いる姫和の発想は凄いと可奈美は思う。熟練の刀使ほど面食らうだろう。何の合図かと疑うだろう。鹿島新当流に造詣深い者ほどそうに違いない。こんな開けた場所で、敵の眼前で用いる技ではないのだから。一方、仕掛けた方は平素練習した動作通りに斬り伏せていけるのだから実に恐るべき、姫和の鴫羽返しである。

 ところが、岩倉早苗はこれにも動じなかった。

 鴫羽返しに鴫羽返しで応じるのは型通りではあるが、限りなく実戦に近い非切り稽古で、これが咄嗟に出せるものなのか。

(分かっているよ)

 そう言っているようであった。

(あなたのことは、よおく分かっているよ)

 そうと誇示しているようであった。

(早苗さん…あのひとは、一体…)

 姫和の何者であるのか。知らない仲ではないし、同門、であるのは知っているが、それで腑に落ちない何かを、可奈美は感じ取っていた。

 鹿島新当流は面十二ヶ条、中極意十七ヶ条、大極意十ヶ条を伝える。

 非切り稽古であるから、どの序列で何を、ということはない。いきなり大極意を用いていくこともあるだろう。どこで何伝何ヶ条をぶち込んでいくのかは全くの任意。

 そしてその内の一つに、車ノ太刀が存在する。車の構えは言うまでも無く、一指の太刀と唯一の太刀の発起体勢だ。

(それを、何時、どこで…)

 その時、その場が、決着となるか。

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