刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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令和御前試合第三日 その3

 分かってはいたが、やはりモノが違う。

 改めて姫和は、舌を巻いていた。物覚えの良さ、器用さはそれこそ、あの衛藤可奈美にも迫るものがある。

 今早苗が使って来ている新当流は、たった二年ほど前から姫和が教え伝えて来たものだ。それがどうだ。今や全くの五分と五分。これでは立つ瀬がない。もし早苗が母の子であったなら、母も喜んだのではないだろうか。

(何故なんだ)

 突身ノ太刀、相霞ノ太刀、巴三ノ太刀、柴隠ノ太刀、柳葉ノ太刀――

 霞んで、躱し。霞んで躱され。

 京都の実家の庭先で、幾度繰り返したか分からないやり取りを、今御前試合の折神邸でやっている。あの冬と同じように。

 あの頃の姫和には、早苗のことを慮っている余裕が無かった。折神紫を討った後には、もう戻ることも思い出すことも無い日々だと思っていた。

 早苗とは、この冬を限りの関わり合いになるのだから、特別配慮は必要が無い。今は只、母の仇のことだけを考えようと、そんな風であった。

(それなのに何故、こんなにも、私の事を…)

 いくら姫和でも、それくらい分かる。分からないのは、早苗が己に拘る理由だ。

(どうしてなんだ、岩倉さん)

(そんなの、決まってる)

 何故か、と問われれば答えることが、早苗には出来る。

 それは姫和があんなに綺麗なのに、どんどん遠ざかっていくから。どんなに追っても走っても、見えなくなってしまいそうで。

(そんなの、決まってる…)

 引ノ太刀、拂ノ太刀、違ノ太刀、薙ノ太刀、乱ノ太刀、縛ノ太刀――

 まるでワルツだ、と誰もが思った。深緑の平城の制服をドレスに、申し合わせなしのまま、申し合わせたペアダンスのように。

 霞んで、躱し。霞んで躱され。

 京都のあの庭先で、姫和に学んだ鹿島新当流、面十二ヶ条、中極意十七ヶ条、大極意十ヶ条――全て出し尽くし、残るは只一ヶ条。

(だから、もし私の前から居なくなるのなら、せめて…)

 せめて、忘れないで。

 切なき想いが、形となった。それこそが――

(十条さん…)

 いつかは訪れるその時が、ついに訪れる。

(来るか…岩倉さん…!)

 熱情のワルツが、突如、時と共に凍り付く。

「あ…」

「相車…」

 左の肘が正面を指向する、そして、その切っ先は姫和も早苗も指向しない、二人の、二条の一つの太刀。

「み、ミルヤさん…」

「…一指の太刀に分はありません。十条姫和の唯一の太刀は後発の、一指の太刀を破る為の業だからです。しかし、岩倉早苗は敢えて仕掛けました」

「何か、作戦が…」

「…」

 あの岩倉早苗である。何か考えがある筈だと、そう言い切ることがミルヤには出来ない。御前試合準決勝の勝敗という、ミルヤの基準を超えた何かが伝わって来るからだ。

 そう感じた者は、ミルヤだけではなかった。

「…死ぬ気だ」

「え!?」

「止めなきゃ」

「ちょ、ダメですよ!」

 田辺美弥が抱き留めなければ、本当に、千鳥片手に御前試合準決勝に乱入していただろう。

「ダメです、可奈美さん。これは…」

 そう言いながら歩は、モニターから目を逸らさない。

「私には分かる…これはあの二人の…あの二人だけの…」

 可奈美が、ピタリと止まった。そればかりか、可奈美を止めるつもりの美弥も、歩の言葉で、モニターに釘付けになった。

 歩には、分かるのかもしれない。

 自身が、そのような戦いをしてきたのだから。

(知らない。知らないよ)

(何があったの? あのひとと、岩倉早苗さんと)

 千住院力王を彗星の尾と引く早苗の姿に、突き付けられた気が、可奈美にはしていた。

(たくさん一緒に居たと思ったのに、私…)

 姫和ちゃんのこと、全然知らないんだ――

 

***

 

 京都実家のあの夜以来、ここ、この時を思わぬ日は無かった。

 岩倉早苗と。一指の太刀と再び対峙する、この日、この時。

 勝ちたいのか。超えたいのか。

 そうではない、と姫和は思う。早苗を押しのけて何かを手にしたい、という気持ちはない。ただ、失いたくない、という想いがあった。

 このひとに敗れたままでは、進めない明日がある。失われる未来がある。

(可奈美…)

 何故だか、その面差しが、次々と浮かぶ。

 もし、一指の太刀を破り、姫和が決勝に進めば、出会うであろうひとだ。

 今や会おうと思えば、電話一本で可奈美とは何時でも会える。けど明日出会うであろう可奈美は、きっと明日でなければ会えない。

 御前試合決勝でなければ、会うことが出来ない。

 そしてきっとそれは、去年出会う筈だったであろう可奈美だ。

 私は可奈美とは違う。

 剣は、好きでは無かった。好きなのは母だった。

 そのはずだった。それがどうだ。今は、去年の明日が、去年の御前試合決勝が恋しくてたまらない。

 もしあの日、恨みも怒りも無く、衛藤可奈美と対峙していたなら。

 それはどんなにか、素晴らしかったことだろう。

(我ながら妙な気持ちだ)

 去年の今日の、今や思い出の。

 その光景の先を見たくて仕方が無くなるとは。

「いくぞ、岩倉さん」

 我知らず、逸る心が声と出ていた。

(来るのね…十条さん)

 とうとう、この時が訪れた。そうと聞いて、早苗は思う。

 時が止まってしまえばいいのにと、こんなにも思ったのは初めての事だ。

 姫和と初めて出会った頃の時間が、今早苗に戻ってきたかのようであった。

 全く、あの頃の己と来たら、あの頃のあの時がこんなにも愛おしくなるとは思っても見ていなかったのだ。

 この先、姫和が進んでいく未来に、己は居ない。

 己は、姫和の過去となるのだ。

(だけど、せめて思い出に…)

 もともとそうだった。ひと時でも、一瞬でも、真っ直ぐなその瞳の前に立ってみたかった。それだけで良かった。

 早苗の右指より、光芒が、折神正庭を昼尚眩く照らし出す。

 最初は小さく。徐々に明るく。

「いくよ、十条さん」

 そうと声には出さずとも、その輝きが応えであった。

 

「一指の「唯一の、太刀…!」」

 

 ついに、その時が訪れた。

 

***

 

 今年度御前試合決勝トーナメント、その全ての試合において、一指の太刀は姫和の前に立ち塞がった。

 一試合目においては五条丹穂が、二試合目においては馘、今際乱世がそれぞれのやり方で、一指の太刀を用いて姫和と戦っている。

 姫和にとってそれが幸いした。丹穂が、乱世が居なければ、唯一の太刀は産まれなかったのだ。

 分けても昨日、御前試合第二日第一戦において、馘が用いた一指の太刀との激突が最も参考となる戦例であろうと、木寅ミルヤは見ている。馘は他の刀使の写シを剥いで纏う影試しなる技を用いる。岩倉早苗の写シを纏った上でのその技は、当然ながら本家の技と等しい技となるだろう。

(その性質上、一指の太刀は金剛身を併用する。十条姫和の唯一の太刀と言えど、その威力は減衰させられる)

 馘の写シを剥ぐことが出来なかった一方、姫和は場外判定を喰らい、分の良い交換ではなかった。

(ならば、今回も…)

 等しい結果となるのではないか。ミルヤのみならず、早朝の第一試合を目にしたものの全てが、その結果を思い浮かべたであろう。

「…!?」

 思い浮かべた全員が、想像を裏切る結果を目にしていた。

 姫和は一歩も、その場を動いてはいない。

 放たれたのは、一指の太刀のみであった。

 姫和は突かれたのか。

「らしくないぞ、岩倉さん。何処を狙っているんだ」

 突かれていなかった。早苗の一指の太刀は大きく目標を外れ、空を突いたに過ぎなかった。

「今度はこっちの番だな」

「あ…」

 違うの。今のは、考え事していて。本調子じゃあなくて。

 試合本番で、していい筈も無い言い訳で、早苗の中はいっぱいになっていた。

(何で?)

 分からない。

 姫和は一歩も動いていない。だから己が勝手に外したのだ。そんなことがあるのか。あんなに練習したのに、いったい何故?

(分からない…分からない!)

 涙が滲んだ。

 こんな、こんな終わり方があるのか。いやだ。こんな終わりなんていやだ。

 いやだ、終わりたくない、終わりたくない…!

 そんな早苗の涙を拭うように、一陣の風が吹き抜けた。

 姫和だった。

「…あ」

 唯一の太刀が、早苗の頬を掠めていったのだ。

 早苗が感じられたのは、風だけだった。姫和の姿は、もう早苗の後ろにいた。

 

「「おおっ!」」

 

 どよめきが、折神正庭を覆う。

 早苗は、写シを失ってはいない。

 小烏丸は早苗の何処にも触れていなかった。

 姫和が恣意的に狙いを外したのは明らかであった。

「両者中央」

 主審・紫が試合を止める。

 姫和は、石台の上に居なかった。例によって勢い余って場外に飛び出した姫和は、昂然と、早苗を見上げていた。

 

***

 

 両選手、揃って必殺迅移失敗。

 絶体絶命を脱した早苗は、利を拾った。場外判定を貰い、姫和は不利を貰ったと言える。

 もし唯一の太刀をあと二度放ち、二度とも場外となれば姫和は反則負けとなる。

 唯一の太刀はあと二度しか使えない。つまりあと二度、唯一の太刀を凌ぎきれば、早苗は決勝進出となる。

「…どうして?」

「それはこっちのセリフだ、岩倉さん」

 主審・紫は、本来与えるべき注意警告を与えなかった。

 恣意的に切っ先を逸らしたと見えた姫和に、相応の理由を看て取ったのか。

「私を前に何故迷う。心が迷えば剣もまた迷う。刀使なら誰でも知ってることだろう」

「迷ってなんかないよ!」

「なら何故外す」

「それは…」

「貴方に勝たないと、私はずっと、あの京都の夜から先に進めない。だから頼む。あの夜のように真っ直ぐ来てくれ。私も、そうするから」

 今勝てば良かったのに、と思う。

 隙だらけだった筈だ。頭もパニックになっていた。そこに唯一の太刀を打ち込まれればもう写シを張り直すことは出来なかったろう。それなのにどうして?

「ハジメ!」

 ここで紫が試合を再開する。

 二人の言葉が途切れるのを待っていたようであった。

 飛び離れた姫和が、小烏丸の切っ先を天に掲げる。

 但し、刃は早苗にではなく、姫和自身を指向する。

 陰剣――

 試合劈頭、早苗が仕掛けた、鹿島新当流の礼法であった。

(…私、迷っているの?)

 問いかけられたような気がした。

 姫和に応えなければ。早苗もまた天に掲げた刃を返し、陰剣となる。

 眼前の千住院力王は何も語らない。しかし切っ先を返すその一瞬、刃は早苗を写した。早苗と、早苗の後ろの光景を。

(…!)

 刃は早苗と共に早苗の背景も当然ながら写していたが、そこに姫和の姿はない。姫和が居るのは早苗の前だ。

(どうして、後ろ見てたの私)

 早苗が見ている過去に、姫和は居ない。

 何時だって姫和は、早苗の未来に居るのだ。

(もう迷わない)

 ただ一度だけ、一瞬だけ、姫和を振り向かせる為の剣だった。初めから、それだけで良かった筈だった。

 なのに何故だろう。去来するのは、昨日、柳瀬舞衣と見上げた星空だった。昨日はそんな風に思わなかったのに、何故だか今、早苗が独り見上げた京都の、あの夜歩んだ帰り道の星空と重なる。

 舞衣との指切は、守る事が出来ないかもしれない。

 それでも振り向かせたい。今度こそその背、掴んで止める。

(私の、一指の太刀で…!)

 天を差していた千住院力王の切っ先が、後ろ髪の如くたなびいていく。

(来るか、岩倉さん…!)

 そうと見て、小烏丸の切っ先もまた、姫和の背へと白銀の尾を引いた。

 相車――

 香取神道流中極意として伝わる車構えが、両者最大の剣の発起体勢であることは語るまでもあるまい。

(今度こそは…)

 木寅ミルヤの胸中は、全ての刀使の胸中であったろう。

 

***

 

 この時、柳瀬舞衣はまだ、準決勝選手権者に与えられる控室に入っていない。

 舞衣は、病床に眠り続ける糸見沙耶香の手を握っていた。

 第一試合が始まる時間であることは分かっている。第一試合後、少々の休憩を挿んで第二試合が始まることも。

 そこに待つのが、衛藤可奈美であることも分かっていた。

 追いつくどころか、どんどん水を開けられ、何時しか追うことも諦めていたひとの前に、羽島江麻学長や、その娘、七奈の協力もあって、今は立つことが出来る。可奈美に肩を並べて、歩んでいくことが出来るかもしれない。

 夢のような話だった。

 可奈美が夢である、とは同期の安桜美炎の心中であるが、これは舞衣も同じであった。美炎の思う通り、可奈美は伍箇伝みんなの夢であるのかもしれない。

 そんな夢の瞬間まであと十数分もないというのに、舞衣は不思議とここから離れたくなかった。

(舞衣の明日の相手は、私…)

 そんなことを沙耶香から言われたせいなのか。これから可奈美と戦うことが、沙耶香を取り残していくことのような気がして仕方が無かった。もし沙耶香もそう感じているのなら、沙耶香の手を振りほどいていくことなど、舞衣に出来よう筈がない。

 昨日の星空が、胸中に浮かんだ。

 岩倉早苗と見上げた星空であった。

 明日の、その先に約束がある。可奈美を超えて行かなければ果たせないことがある。そう思いでもしなければ、安桜美炎と同じように、可奈美の前に燃え尽きるだけだと、昨日、早苗の姿を探したのだ。

 指切をした。

 早苗は、指切を守ってくれるだろうか。

 早苗ならば守り得るのかもしれない。現に京都のあの夜、早苗は見事、舞衣に為し得なかったことを成して見せたのだ。成そうとすら思わなかったことを。

 凄いコだった。

 きっと、早苗ならば成せる。

 早苗に成せることならば、己も成してみたいと舞衣は思った。その為の星王剣、その為の居合だった。一指の太刀に負けないモノを、身に付けて来たと舞衣は自負している。

 だから早苗がそうしたように、舞衣も可奈美の前に再び立つことが出来る筈であった。

 だから行こう。

 そう思いながらも、今朝からずっと、ここにこうしている。

 第一試合は始まっている。早苗と姫和が戦っている。舞衣には分かる。

 二人の決着が着いたとして、次なる第二試合の舞台に登ることが出来るのか。

 眠り続ける、沙耶香の手を振り払って。

 

***

 

 光芒が、いま再び御前試合の折神正庭を照らし出す。

 

「一指の「唯一の太刀…!」」

 

 再度の激突であった。

 そして、今年度御前試合本戦初の、一指の太刀と唯一の太刀の本家同士の激突であった。

 十条姫和は、前試合、前々試合と一指の太刀に相対している。だが、その何れもが模倣された亜種であり、イミテーションに過ぎなかった。この前にも両者の必殺迅移を放ちあったが、何れもコントロールを失っていた。

 だからこれが本当に、初めてのことだった。

 

「「「おおッ!」」」

 

 見守る手練れの刀使勢にあっても、看取った刀使は僅かであったろう。

「…ぐッ」

 早苗が膝を付く。

 写シが一瞬ではあるが、飛んでいた。付いた膝を石台から引っぺがしたときには、もう写シは元通りになっている。

「場外」

 主審・紫が宣する。

 石台の下から、ぐるりと振り向いた姫和が上の早苗を仰ぐ。

 写シは、飛んでいない。

「姫和さんの唯一の太刀が押してる…」

「昨日、馘の一指の太刀と対した時には、馘の写シは剥げませんでした。つまりこれは…」

 唯一の太刀は、性能向上を果たしている。

「進化、してるんだ…」

 可奈美が呻く。

 これを見た刀使の全員が、可奈美と驚きを共にした。

 唯一の太刀は、十条姫和は進化していた。

 一の迅移で加速し、二の迅移で再加速する、そのシークエンスが短縮されている。二回目の迅移が速まることによって、加速が向上し、短いテンポで最高速に達している。要は、足さばきが上達しているのだ。

「両者中央」

 主審、紫が両選手を招く。

 開始線で再度両者は対峙する。

「確かに、唯一の太刀は一指の太刀を上回っています。岩倉早苗は写シを維持できませんでした。しかし、戦況は真逆に、岩倉早苗の方に傾いています」

 ミルヤは正しい。

 唯一の太刀が一指の太刀を上回っているのは確かだ。ダメージを負っているのは明らかに早苗の側であろう。

 しかし、姫和はもう二度、場外判定を喰らっている。

 あと一度の場外に出れば敗北なのだ。

「つまり、あと一度、唯一の太刀を凌げばよい。それで岩倉早苗は勝利します」

「じゃあ、早苗さんの作戦っていうのは」

「おそらくは」

 場外反則の累積で敗北するのが嫌なら、もう姫和は唯一の太刀を使えない。しかし使えなければ、早苗の一指の太刀に突かれるだけだ。

「ハジメ!」

 号令と共に、両者飛び離れる。

 二足刀――互いの一つの太刀の射程であった。

「十条姫和は、一指の太刀を掻い潜って金剛身を貫通するダメージを与えるしか手がありません」

 唯一の太刀は、確かに一指の太刀との打ち合いで、早苗にダメージを残している。しかし、早苗は主審のマテを待たすに写シを回復している。大きなダメージにはなっていない。

 これがもう一度繰り返されれば、勝手に場外に飛び出し、勝手に敗北する。

「恐るべし、岩倉早苗」

「じゃあ、追い詰められてるのは…」

「姫和さんの方ってことなの?」

 不利を背負ったと知ってか知らずか。姫和が再度、陰剣となる。

 早苗も、それに応じる。

 三たび、相車――

(いけない…!)

 姫和を応援する、六角清香は思った。明らかに罠だ。 

(得たり…!)

 早苗に味方する朝比奈北斗は拳を握る。真庭念流を袖にした早苗を、悪し様に思ってはいない様子であるのが、傍らの伊波枢羽にも伝わって来る。

(これで最後だ、岩倉さん)

 姫和は覚悟を決めていた。

 昨日、壁を相手にぶつかって写シが飛ぶくらいには練習をした。結果いくらか加速短縮は成されたものの、結局モノにはならなかった。それは己の未熟である。ここに至っては、未熟なりに己の全てを早苗にぶつけるしかない。

 次で倒さねば、場外三度で反則負け。そうと分かっていても、これ以外に一指の太刀に対抗できる手段は無い。分かってやっているなら流石は知略の岩倉早苗だと、姫和は思う。 

 だから、これが本当に最後だ。これで金剛身を貫通し、早苗を倒さなければ己は破れ、もう可奈美の許に行くことは出来なくなる。

 だから、全てを賭す。

(この、唯一の太刀に…!)

 この時、姫和は相対する早苗に一抹の違和感を感じた。

(…!?)

 何だこれは。

 何かが違う。

 早苗は、こちらの唯一の太刀に対し、一指の太刀を出して行くしかない。事実、出してきている。だけど何かが足りない。何が――

(指摘…!)

 高みで人知れずこの戦いを見守る五条丹穂は、早苗の覚悟を見て取る。

 威力重視型の一指の太刀、即ち指摘は、金剛身の代わりに八幡力を用いる。迅移と八幡力のコンビネーションだ。このバリエーションは金剛身の防御を捨て、速度と威力に特化する。

 迅移の重ね掛けとも言える唯一の太刀に対し、迅移を八幡力によるハンドスピードで加速して対抗しようというのか。

(いかん…)

 丹穂は最悪の結果を思い描く。

 昨日の準決勝で衛藤可奈美と安桜美炎が唐竹割りを交換し合ったように、早苗は、唯一の太刀と指摘を交換し合うつもりなのか。

 そうなれば、準決勝第一戦に勝者は居ない。明日の決勝にはどちらも進出出来ない。写シが張れるまで回復しなければ、試合は出来ないのだから。

 一指の太刀を特徴付ける、光芒の飛散は無かった。

 代わりに飛んだのは、早苗の二本の指。

 丹穂は思わず、目を背ける。

 正視に堪えぬ光景を、想像したからであった。

(早苗はん…!)

 車構えから、二条の突きが交錯した。

 どう交錯したかを完全に目視出来た者は居ない。荒神の竜眼をもってすらそれは不可能であろう。

 早苗の右手より泣き別れとなった右中指と人差し指が地面に落ちる直前に霞と消え失せたのは、この直後であった。

「両者、写シ!」

 選手両名の間に割って入りつつ、紫が指示する。

「あ、う…」

 岩倉早苗が膝を付いていた。

 早苗だけではない。姫和も写シが失われている。

 しかし姫和は場外に飛び出してはいない。石台に踏みとどまっている。それに難なく、写シを張り直した。

 明確に、早苗のダメージが大きい。

 姫和の唯一の太刀が勝利したのか。

「出来るか。岩倉」

 紫が重ねて問う。

 異例のことだ。紫が審判を務めた御前試合本戦、今まで行われた12試合で、選手に「出来るか」などと問いかけたことは一度も無かった。

「で、き、ます」

「目を見せろ」

「…出来ます、紫様、お願い、やらせて…」

 そのようなやり取りを聞きつつ、姫和は茫然と我が手と、手の内の小烏丸を見つめる。

(…出来た)

 初めて、石台の内に留まれた。

 その理由を、姫和は分かっている。紫を含め、幾人かは見取っているだろう。

(…岩倉さんが、助けてくれた)

 姫和はこの一突きに賭けていた。己は場外反則を取られるが、もし早苗を写シを奪い得れば、それで早苗が写シを張れなければ己の勝ちとなる。

 もし張り得たなら、敗退するほかは無い。でも、そうしなければ勝てない。一指の太刀に対抗する手段がないのだ。

 負けたとしても、敗北を負う価値はある。母の一つの太刀が敗れるとしても、相手が岩倉早苗であれば、何ら恥じることはにない。むしろ母の一つの太刀あればこそ、ここまで岩倉早苗に立ち向かえた。

 誇らしかった。

(恥じることはない。私も、母様も)

 そのような思いを詰め込んでの、唯一の太刀。

 御前試合の石台に留まれた、その訳は…

「姫和ちゃんの唯一の太刀の威力を、早苗さんの威力型の一指の太刀が相殺したんだよ」

「要は運動エネルギーを運動エネルギーによって中和したのです。そうすることによって十条姫和は場外まで飛び出ることなく、技を終えることが出来た」

 衛藤可奈美は、共に控室に在る友里歩と田辺美弥に。

 木寅ミルヤは、傍らの山城由衣らに説明する。

「それは、そうなんでしょうけど…」

「それは、何故なんですか、ミルヤさん」

 安桜美炎や山城由衣は、これを見切れた数少ない刀使の内の一人である。

「どうして、早苗さんはそんなことを…」

「借りを返した、んじゃねーか」

 ボソリ、と七之里呼吹が呟くように、美炎に答える。

「借りを…」

 先ほど姫和は唯一の太刀を、一指の太刀の空振りという絶好機に外している。明らかに意図的にそうしたのは、美炎や由依にも分かった。

「それにしたって、失うものが多すぎませんかミルヤさん」

「むう…」

 三度目のこのやり取りで、早苗は写シを失っている。二度目と合わせればツーダウンだ。これはボクシングではないが、流石にもう一度早苗が写シを失えば紫は試合を止めるだろう。

「…どちらにせよ、岩倉早苗にはもう、唯一の太刀に対抗する手段がありません。一指の太刀を出し続ける他ないでしょう」

 指摘は確かに唯一の太刀に拮抗しえたかも知れないが、次も同じ結果になるのであれば紫が試合を止め、敗北は確定する。

「岩倉早苗の自滅で十条姫和決勝進出、ってとこか」

「自滅じゃない」

 呼吹に反論したのは、六角清香だった。

「なんでだ? 結果は自滅だろ」

「自滅じゃない。私には分かる」

 予選で早苗と戦い、姫和のことも良く知っている清香である。

「清香さんが言うならきっとそうですよ」

「自滅じゃあない。ん-ん、きっと勝敗ですらないんだ、きっと」

 由依と美炎が同意し、結果少数派に追いやられた呼吹は舌打ちする。

 勝敗ですらない。美炎の言葉はその通りだという気が、清香にはしている。勝負以上の何かを、二人は御刀を通じて交わし合っている。

 だから、次に二人がどうするかも清香には分かった。

 早苗が、突きに指を添わせる。

 応じて、姫和が車となる。

「ハジメ!」

 そうと見た紫が、試合再開を号令する。

 四度目の、相車であった。

 

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