金剛身から八幡力、迅移をほぼ連続同時に連携させる指切。
二段階迅移中に三段階迅移で再加速する新型の唯一の太刀。
何れも、史上如何なる刀使も行い得なかった、いや思い描きもしなかった技が、同時に発動し、それも激突した。
試合を止めるべきだったのか。
止めるべきだったとしても、それでも見届けるべきだとの確信が紫にはあった。
見届けるべき、結果とは――
「は――…っ、は――…っ、は――」
「ぜ――…ッ、ぜ――…ッ、…」
両選手の呼吸のみが、補足可能な音であった。
結果は――
何も起こらなかった。
(むう…!)
迅移に金剛身と八幡力を併用する指切。
二段階に三段階を組み合わせた唯一の太刀。
突きと突きは激突した。
それなのにどちらも石台中央から飛び出すことも、写シが飛ぶことも無かった。
それどころか、交錯すらしていない。小烏丸と千住院力王の切っ先は互いの鍔元にそっと触れたきり、それだけ。
何も起こってはいなかった。
(これは…指切は、唯一の太刀を、唯一の太刀は指切を…)
その威力を打ち消し合ったのか…!
「か…完全に互角…」
どちらかの運動エネルギーが一ミリグラムでも勝っていれば、片方は消し飛んでいた筈だ。
でもどちらもそうはなっていない。
「…説明が付きません」
「説明、って?」
「百歩譲って新型の一指の太刀と唯一の太刀の運動エネルギーが全く等しかったとしましょう。…いや百歩譲っても全く等しいなんて有り得ないですがともかく、威力が等しかったとしても、双方とも未完成の技です。同じタイミングで技になることはあり得ない」
「でもミルヤさん。結果は…」
「ええ。見ての通りの結果です。ですから説明が付かない」
「奇跡ですよ」
とても山城由衣らしい意見だと、美炎や清香は思う。
「あの二人なら起こせますよ。奇跡の一つや二つ」
二つ以上の刀使技を組み合わせる、複雑極まりない指切と唯一の太刀である。工程が複雑になる程結果は一定では無くなる。
今回は奇跡的に、二人共無事で済んだ。
もう一度やればどうか?
「…いけない」
衛藤可奈美がモニターの前でこの言葉を発するのは何度目か。
岩倉早苗が、モノも言わずに再び、車構えに取ったのだ。
全く、躊躇いを感じさせない動作だった。
「は――…っ、は――…っ、は――」
単なる一指の太刀では止められない。金剛身の恩恵で早苗は写シ消失を踏みとどまれるかも知れない。けど、姫和は場外に飛び出してしまう。場外警告三回、合わせて一本で試合は終ってしまう。
そんな理屈を、早苗はもう考えられなくなってしまっていた。
止めるには、こうするしかない。もうこれしかない。
ただそれがあるのみだ。
(見え…た?)
一方、唯一の太刀を超えた唯一の太刀は、姫和に何ももたらさなかった。何も起こらなかった。小烏丸の切っ先が千住院力王の鍔元に触れたという、それだけのことしか起こっていない。
だがそこに、垣間見えた気がするのだ。急ぎ過ぎ、速過ぎて見えなかったもの。
(そこに…そこに居るのか、岩倉さん…!)
今、行く。
(だからお願い。そこに居て)
私はいつも急ぎ過ぎてしまう。また見えなくなってしまう。だから…
「ゆ、び、切り…ィ!」
「ゆい、いつの太刀…!」
結果は同じだった。
互いの突きが、互いの一番近い部位、即ち互いの手元を突いている。手元は鍔で守られている故、互いの鍔を突いているように見える。
「…信じられません」
「でも、夢じゃない。目の前で起こってる本当のことだよ、ミルヤさん」
どちらの写シも飛んではいない。姫和は場外に飛び出してはいない。
何も起こらなかったかのような、両者の激突など無かったかのような――
これは、さっきの今と全く同じだ。
二度、同じことが起こった。
千住院力王は小烏丸の。
小烏丸は千住院力王の。
切っ先が鍔元に触れている。ただ、それだけ。
「…信じるしかありません。しかし二度続けば偶然ではない。十条姫和、岩倉早苗、技の威力は寸分たがわず全くの互角。しかしそれだけではない。明らかに両者が両者とも互いの技に己の技を被せに行っている」
二度続いた拮抗の理由は他に考えられなかった。
「しかし、だからと言って相手に合わせて出せるような技では何れもありません。問答無用、出した者勝ちの必殺剣です。次も均衡が続くとは限らない」
「…続く、と思う」
「何故そう思うのですか? 安桜美炎」
「分かんない。でもきっと、可奈美が私達刀使みんなの夢なのと同じように、あの岩倉早苗って人の夢は姫和さんなんだ。それくらい、私にも分かる」
美炎の傍らで、六角清香が頷く。
瞳を閉じて。
***
御前試合準決勝の試合時間は、変わりなく五分。
試合開始四分を告げる拍子木が鳴り、残り時間はどれ程なのか。
その残り時間の全てを。
「…び、切り…ィ!」
「…い、つ、の太刀ィ…!」
指切は、一指の太刀に八幡力を加えた太刀技だ。
可奈美の見立てが正しけれれば、その性質上、千住院力王に添えた我が指を、金剛身で金属化した状態で八幡力を加えて切断しなければならない。金剛身と八幡力と迅移は同時に出来ないから、先ず金剛身、続いて八幡力を発動する。金剛身の硬化は一瞬では失われず、徐々に戻っていく。そこに八幡力の剛力が加わる。鋼と分子結合した早苗の指はだが、八幡力の発する高エネルギーを止めてしまう。そこに金剛身解除により皮膚の金属化が解かれ、ある程度効果が弱まった時点で切断が発生。この瞬間、八幡力の膨大なエネルギーが解き放たれ、千住院力王は爆発的に運動する。
早苗が迅移で飛ぶのはそこだ。八幡力に耐えきれず、我が指が飛ぶそのタイミングに合わせるのだ。ここまで考えただけでも、もう無理だと分かる指切の発射シーケンスである。金剛身で硬化した自分の指が、八幡力で切断出来る時間とか圧力とか、そんな研究をしている人がいるわけがない。出来たとしても、それで相手を狙うことが出来るのか。狙うことが出来たとしても、あの姫和の唯一の太刀の出鼻に指が飛ぶのを合わせてカウンターを取るなんてことが出来るのか。
出来やしない。何時出せるかも分からないのに、相手の技に合わせるなんて不可能だ。出来なければ早苗は、唯一の太刀、プラスその膨大な指切の威力をカウンターダメージで貰うことになる。
写シが飛ぶ、で済むわけがない。刀使生命ごと消し飛んでしまうだろう。
「どうしてそんなことが出来るの…」
歩も美弥も、可奈美のこのような顔を始めて見る。
数分前は、控室を飛び出そうとしていたのに、今はただただ画面の前で固唾を飲むのみだ。
最早、何度目の拮抗となるのか。
御前試合準決勝、大詰めの残り一分を切って、何一つ起こらない。
(どうしてこんなことが出来るんだろう)
早苗自身不思議だった。だってもう右も左も、上も下も分からない。たった一つ、刀使としての己に刻み付けて来た技を、只々繰り返しているだけ。
(どうしてだ、って思う?)
真っ白な闇の中で、それでも不思議と、姫和のことは分かった。見えていた。
その姫和が、我が心の内を教えてくれるような気がする。
(一年前の、明日…)
貴方が何も言わずに居なくなって、私とっても辛かったの。
どうして何も言ってくれなかったんだって腹が立ったの。
お母さんが悪くなってからずっと一緒に稽古してたのに、どうしてって悲しくなったの。
だから…
(何処にも行かないで)
もう私の前から居なくならないで。
そんな想いで創り上げて来た一指の太刀。太刀先には何時も姫和が居た。姫和の一の太刀があった。
何千万回繰り返したか分からない。やっとの思いで出来た。だから出来る。
あの衛藤可奈美というコではないから、どんな相手のどんな技にも合わすなんて出来ない。だけど十条姫和の一つの太刀に合わすことだけは出来る。それが唯一の太刀となったとしても、同じに。
(もう何も分からない、他に何も見えない)
(…もう十条さんだけなの)
(だから…)
もう少し、このままでいさせて――
「ゆ、び、切り…ィ!」
「ゆい、いつの太刀…!」
一度目の拍子木がなってこのかた一分、その全てが指切と唯一の太刀の応酬であった。そしてその全てが互いに触れることは無かった。
そして今、試合開始後、二度目の拍子木が鳴った。
5分が過ぎ去った。試合は終わりだ。
しかし主審・紫はマテをかけない。
御前試合準決勝に判定は無い。一分間の延長戦が設定され、先に写シが飛んだ方が敗者となり、写シを飛ばした方が勝者となる。サドンデス形式の延長戦が、決着の着くまで続くこととなる。
なので当然ながら、試合時間が終わればマテをかける取り決めであった。でなければ延長戦が開始できない。
(だが今の両者を引き分ければ、両者とも精魂尽き果て、試合再開は恐らく不可能)
恐らく、試合時間経過終了を知った時点で両者失神すると主審・紫は見たのだ。
限界を迎えているのは、早苗ばかりではない。
姫和もそうであることを紫は見抜いていた。
かつて、一度三段階迅移を放てば、数日は写シを張れなくなるほどの消耗を強いられたことを想起されたい。おいそれと繰り出せる技であるはずがなかった。そして恐ろしいことに、姫和は綺麗さっぱりそれをうっちゃっていた。たった五分の間に、三段階迅移を何度も繰り出していた。
消耗するだろうと分かっていた。
そうなったとしても求めたい、近づきたいものが目の前に居る。見失ったらもう見えなくなる。
だから消耗承知で行くより他になかった姫和は、分かっているようで分かっていなかった。
このような経験は、姫和にはない。歴史上の如何なる刀使も経験したことは無いであろう。
(め、が…)
目が霞んでいるのか。
己は立っているのか。戦えているのか。
真っ白だ。何も考えられない。何も見えない。
白い闇であった。前後左右も上も下も、何も分からない。何も見えなかった。
(いったい、わたしは…)
何をしていた? 何をしようとしていた?
(私は、母様の仇を…)
折神紫の姿であった筈の仇の姿は、タギツヒメの姿へと変わっていく。
(かあさま…)
可奈美と出会った。
それからは怒涛のような日々だった。可奈美と共に駆けた。
母様とは、思いがけず、また出会うことが出来た。
可奈美と現世に辿り着くことが出来た。
あの時姫和は、刀使としての、母の娘としての己に満足したのだと思う。
刀使を辞めようと思っていた。学校を辞めようと思っていた。母と過ごした思い出の家を守っていく以外何もなかった。
なのに今は、ここにこうしている。
何故なのか。
理由があった筈だ。欲しい答えがあった筈だ。それは…
(あ…)
見えた。
あれだ。あの夜の、あの光。
京都のあの夜、あの時に見たあの輝きは、真っ白の世界にあってなお眩かった。
(…そこか!)
他に、標(しるべ)は無い。だけどそれでよかった。元より求めるものは、他にないから。
(真っ直ぐ、いけ)
私と、母様の――
「唯、一の、太刀ィ――ッ!」
「、び、きりィィィ――ッ!」
閃光すらも切り割った。
光すらも踏み越えた。
何者の目にも止まらぬ、時間すらも超えた最速の応酬。
それでいて、万感の一瞬であった。
***
時間が止まったのかと、そこの誰もが感じていた。
呼吸さえも忘れ見入っていた。
(ど…)
(どっちが…!?)
早苗にも姫和にも、一ミリグラムの生命力も残されていないことは明白だった。延長戦を戦うことなど出来よう筈がない。
だから試合は、この突き合いで終わりだ。その結果は。
「どちらが…」
或いは。
またも何も起こらなかったのか。
「いや…これは…」
キン、と冴えた音色とともに、鍔が割れた。
両者揃ってだ。
この時まで指切も唯一の太刀も、全て互いの鍔元を突き合ったところで拮抗していた。今度も、そうであった。
しかしここまで、指切、唯一の太刀、両方の加算威力を今の今まで耐え続けて来た青砥の鍔は、ついにここで力尽きた。
(青砥先生…お見事でした)
木寅ミルヤは我知らず、瞑目する。並みの鉄鍔ならば一撃で消し飛んでいただろう。刀装師、青砥陽司の鍔は早苗と姫和、二人の刀使をここまで守り抜いた。
しかし鍔が割れたことにより、次二人が突き合えば確実に刀刃が身に及ぶ。消耗しきった両者がそれをやれば、刀使生命を縮めることは明白であろう。
それも踏まえて紫は、試合を止めるべきであった。しかし。
「どっちも写シが飛んでない…」
「無理に決まってる。もう試合は…」
「勝負は付いてねえ」
試合は終わりだ。勝負は付いていない。
美炎たちの言葉を借りるまでも無い状況である。試合を終えても、優劣を下すことは出来ない。できよう筈がない。今節の御前試合は、「写シが張れなくなった選手の敗北」が判定の骨子だ。
しかし、この時、姫和の足が動いた。
足のみであった。
(もう、何も見えない。けど、そこに居るんだな岩倉さん…)
岩倉さんは、私より前に、この先に居るはずだ。だから。
左手前より、迅移。
(今、いく。そこで待ってて。貴方の、もっと近くへ…)
続いて、踏み違えて、迅移。
少しでも、一歩でも、前へ。近くに行かなければ。
(あ…)
姫和が、歩む。いやよろめく、と言った方が適切か。
それでも、早苗が見たものは、夢にまで見た夢であった。
(十条さん、が…)
ずっと探していた、見えない程の何処かに飛んで行ってしまっていた姫和が、早苗を探している。早苗の許へと戻ろうとしている。
(還って来る…十条さんが…還って…)
迅移を発動する力など、もう姫和には無かった。精魂尽き果てた姫和に出来たのは、せいぜいよろよろよろと、一歩、二歩とよろめき歩くことだけであった。
(…うれ、しい…)
しかし小烏丸の切っ先は、早苗を指向している。
千住院力王の切っ先も同じだ。
このまま歩みよれば、互いの御刀で互いを刺し合うことになったであろう。そうならなかったのは、主審・紫が両選手の柄本を掴み止めたからであった。
千住院力王も小烏丸も、皮膚を破るすんでのところで踏みとどまっていた。
姫和と早苗、二人の写シが消え失せたのは、紫の投げ捨てた童子切安綱と大包平、折神の両至宝が宙より石台に落下し、渇いた音を立てたのと同時であった。
くた、と両選手がくず折れる。
まるで写シと共に魂が離れて行ったような有様であった。もし紫が掴み止めなければ、互いの切っ先を互いの身に埋めたまま意識と写シを失っていただろう。生命にかかわる負傷となっていた筈だった。
「相打ち?」
「いや…」
紫は左手に千住院力王を掴んだまま、右手に掴んだ小烏丸のみを、天へと掲げている。
「十条姫和、最後はよろめいて相手に倒れ込んだだけ…」
ボクシングでいえばクリンチにいったようなもの。しかし小烏丸の切っ先は確かに早苗を指し示していた。
「それを、紫様は技と判定したのか…」
朝比奈北斗は瞑目する。
写シは同時に消えた。両選手には意識がもうもう無かった。
しかし最後に決着の技を繰り出したのは姫和であった。
「救護班…!」
紫の命を待たず、救護腕章を付けた刀使勢が四方から転がるように石台上へと雪崩れ込む。
唯一の太刀と指切。
全人未踏の絶技を応酬しながら、互いの御刀の切っ先は一度も、互いの相手に触れることは無かった。
令和初年度御前試合準決勝第一試合の記録には、よって決勝の太刀技が記されることがなかった。
十条姫和、決勝進出。
刻まれたのはただそれのみであった。