刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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馘御用 その5

「今際の家の生き残りを名乗っているのは貴方?」

「今代今際を襲名し、雅号(がごう)乱世(らんぜ)を頂き申した」

 真希と寿々花の死闘とほぼ時を同じくして、智恵とミルヤは対象の捕捉に成功していた。

「雅号…そういうことなら、今際乱世(いまわの・らんぜ)さんとお呼びしてもいいかしら」

「如何様にお呼び頂いても差支え御座らぬ」

 襤褸を身にすっぽりと覆ったその風体からは、容貌も背格好もうかがい知れぬ。服装、装備も不明であったが恐らくは御刀を携えて居よう。

 しかし都会にそのような形では、返って人目を引いてしまうものである。捕捉はいとも容易かった。

「じゃあ、乱世さん。貴方には、殺人容疑が掛かっています」

「疑義を承ろう」

「ここよりさほど遠くない下町の路地で、殺人がありました。その…生胴試しが」

「生胴試しとは穏やかならぬ。御公儀より免状得たるは当家今際のみの筈、何者が如何なる仕儀で行いたるや」

「その疑いが貴方に掛かっているのよ、乱世さん」

「とは、解せぬ」

「解せぬ、って?」

「申し上げたる通りにて、当家は御公儀より公儀御試し御用に任じられて御座る。されば例えこの身が何を試そうと、罪科を負うことは無い筈」

「殺人は罪です。誰であろうとそうです」

「無法なり」

 今際乱世は断言した。

「何者の定めた法か」

「国の。日本の定めた法です」

「ニホンとは、薩長に与した折神のこしらえた国か」

 智恵は、絶句する。

 その通りはその通りである。明治の維新を成したのは薩長土肥で、明治以降の国は薩長閥が動かしてきたとしても過言ではないからだ。

「薩長の法に従う義理は無し。さらば失礼申し上げる」

「まって。違うの」

「察するに貴公らは、薩長に追従する折神の家の刀使であろう。主に従う身の上と覚える故直ちには斬らぬ。されど御試し御用を阻むとあれば、当方に容赦なしとお覚悟召されよ」

「我々が明治政府の走狗、と考えているのでしたらそれは違います」

 これは、今の今まで黙していた木寅ミルヤである。

「今や明治政府など跡形も有りません。日本は太平洋戦争でアメリカに敗れ、明治以来の主だった幹部は皆処刑されました」

「アメリカ…つまり夷狄(いてき)に敗れ国を失ったと申されるか」

「その通りです」

「重ねて問う。貴君らの仕えし者とは」

「我ら伍箇伝の刀使は須らく折神御本家に仕え、それにより御本家より許されて御刀を借り受け、任務を行っています」

「折神家が今なお御刀を収集している事は置くとして、それが明治政府の指図でないとするなら、それを破ったという夷狄の差配によるものか」

「貴方の言う夷狄をアメリカ進駐軍とするなら、彼らは荒魂との戦いに敗れ、退きました。彼らの去った後私たちの祖父母たちが立てた日本政府が、今国を治めています。日本政府は民主主義なので、私たちの主人は民、と言うことが出来るでしょう」

「夷狄が去った後、文民自身が国を興し、治めているというか」

「そういうことになると思います」

「それに刀使が、仕えていると」

「はい」

「にわかには信じがたき哉」

 今際乱世は唸る。

「我が身が野呂(のろ)に投じられる以前の世とは、隔世の極み」

「ノロに…投じられた?」

「我が代では、ノロを満たした窯もまた、同じく野呂と呼び習わしており申した。一度敗死したるこの身が今在る理由、この他に思い当たらぬ」

「その窯に、投げ込まれたって言っているの?」

「敗れ伏したる身故、確たることは言えぬが、折紙の家との戦に敗れた我が身の亡骸は、我らが家中により密かに野呂に投じられたと覚える。この身が今在るは二世紀の長きを経て、先代の処置が功を奏したるものであろう」

「今は西暦2020年、令和2年。貴方の生きていた時代から、二百年が過ぎているのよ」

「今際家伝の人丹(じんたん)法と言えど、死人を蘇らすには月日が必要であったということになろう」

「一度死んだって言うの貴方は?」

「恐らくは」

「そして二百年後にまた蘇った、ノロの力で」

「恐らくは」

「…信じられない」

「ノロを医学的に用いる研究が存在したことは事実です、瀬戸内智恵。冥加刀使の複数名がノロの投与で心肺停止状態から蘇生しているという、資料を閲覧したことがあります。その最初の治験が旧折神家親衛隊の燕結芽であるとか」

 燕結芽。

 またもこの名前であった。

 智恵にとって、喉につっかえた小骨のような名であった。

「…しかしそれは綾小路学長、相楽結月の長年の研究による最新の治験です。未だ薬学の範疇となったとは言い難い。それを二百年も前に実用化したとは考えられません」

「ええ。ええ。分かってるわミルヤ。けれど…」

 信じられない。

 けれど嘘を言っているとは思われない。

 信じるしかないのではないか。そう思っている己を、瀬戸内智恵は自覚する。

「でもこうして、この人が目の前に居るのよ。最新の研究も覆す事実が目の前に居るっていうことにならないかしら」

「その通りかもしれません、瀬戸内智恵」

 学において瀬戸内智恵を上回る自信が、ミルヤにはある。その知恵をミルヤが尊敬して止まぬ理由は、資料の山からは決して得ることの出来ない知見を、この智恵が得ていると思われるからだ。

「重ねてお願いします、今際乱世さん。私たちに同行願えないかしら。もっと詳しく、話を聞きたいの」

「不承知」

 短く、乱世は答えた。

「もし我が身を折神の手の者に委ねるとなれば、この月山鬼王丸(がつざん・おにおうまる)は召し上げとなろう。そうなれば御用に差し障りが出申すが故に」

「鬼王丸…月山?」

「知ってるんですかミルヤさん」

「御刀の発祥に諸説ある中、鬼王丸は神から出羽月山に於いて御刀を得たと昔語りに伝えられる刀仙です。その名に因み、最初に神より得た御刀を月山と称する人も居る程です。昔話の類と思っていましたが…」

「神より賜りし御刀の第一はソハヤノツルキに御座れば、それは誤りに御座り申そう。家伝の月山鬼王丸はその神より、最初に奪いし御刀と伝えられており申す」

「ソハヤノツルギ?」

 思わぬ名が出て来た。それならば瀬戸内智恵の腰間にある。元来は日光東照宮の御神体であり、GHQも手を出しかねたものを、駿河湾大災厄の後今代折神紫が召し上げ、巡り巡って智恵の手にある。

「ソハヤノツルギなら、ここにあるわ」

「何と申されたか」

「ソハヤノツルギならここにある。私の御刀よ」

 ここに至って、その言葉に乱世はゆっくりと向き直る。

 今の今まで、乱世は帯刀した智恵たちに背中を晒して、話をしていたのである。

「聞き捨てなり申さぬ。ソハヤノツルギは畏れ多くも東照大権現様の佩いたる御刀ぞ。東都鎮守の為、日光東照宮に配置されていたものを、何故折神の刀使が腰に差すか」

「東照大権現…徳川家康公のことね。私の御刀は妙巡和尚伝持(でんじ)のソハヤノツルギの写しで本歌(ほんが。モデルとなった刀を指す)ではないとされているけれど、家康公の御刀に間違いはないと思うわ」

 刀使の神技たる写シと御刀の写しとは似て非なるものの通性を備える。

 征夷大将軍坂上田村麻呂が、世の荒魂を大征伐する折に天皇家より賜ったという御刀がソハヤノツルギ、その本歌とされるものであるが、今や見たことの在る者は誰も居ない。家康が所持していたのは、それを写したと伝承される御刀である。

 むろん御刀を鍛造する技術は失われて久しく、ましてやそれの写しを作成することなど現代では不可能である。写しとされる御刀は、そのような伝承がある、ということに過ぎない。

 しかし本歌が現存しないとされる写しの御刀は、その本歌の行方は知れず、往々にして現世にはもう存在しない、とされることもあり、そのアストラル、刀使が行っているところの写シのみが現存しているのでは、という説を唱える者もいる。

 智恵の佩刀ソハヤノツルギなどがまさしくそれである。千鳥や小烏丸にも匹敵するような存在であるかも知れない、人類の重宝であった。

「御試し御用は容易ならざるお役目なれど、避けては通れぬ仕儀と相成った」

 今際乱世は今や、智恵と真っ向から相対していた。

「今際流試刀術相伝印可、今際乱世。只今より御用仕る」

「長船女学園練士四段、瀬戸内智恵よ」

 直新陰流を学んだとされる瀬戸内智恵だが、それは伏した。

 駆け引き、というわけではない。御刀の扱いは真剣に準じる為刀使の多くは、御刀を得て後はその扱いを学んだ門派を名乗ることが多いが、元々智恵は全日本剣道連盟で得た段位を好んで用いていた。伍箇伝各校を冠すれば刀使の間では道場名として通用するので、流儀を求められればそうして応じるのが、門派を持たぬ刀使の常であった。

 そうと見た木寅ミルヤが、一歩を引く。

 名乗りに対し名乗ればこれは、一対一の果し合いであった。

 ツラ、白刃を抜き合わせた両者は、共に中段に付ける。

 相正眼となった。

 剣道の試合に見られるようなそれは、仕掛けられ難く同時に仕掛けて行き難い、手堅い構えであった。

(初見の相手には無難の構えですが…)

 智恵は兎も角、乱世がそう布陣したのは、ミルヤには拍子抜けであった。

 二百年前折神家と抗争を繰り広げ、敗死して二百年後に彷徨い出でたという怪物にしては、こう言っては何だが面白味が無い。初代月山鬼王丸を帯びたる刀使に相応しい秘術をこの目で見極めてやろうと身構えていたのが肩透かしを食らった格好である。

(最低限データを取って撤収しようと思ったのですが、案外その必要も無いかもしれません)

 智恵は強い。

 高校を卒業し女子大生となってなお現役の智恵のキャリアは大抵の刀使より長い。刀使の歴代を見ても長寿であると言えよう。それもただ長いだけでなく、特祭隊最精鋭たる赤羽刀調査隊副長として濃密な時間を過ごしてきている。

 柔道や空手道のピーク年齢が二十歳前半から後半と言われるのに比べ、剣道のそれは七十歳頃とされている。剣道は面数、という言葉通り、面を被った数がそのまま強さに結び付くのが剣道という武道である。

 瀬戸内智恵も御刀を取ってからは古流や居合に触れて来ている筈であるが、その上で御刀で剣道をやっているのであれば、己の強みをよく理解していると言えるだろう。

 ようは、場数が違うのだ。何度も勝ち、負けもして来たそのキャリアを最大限に活かそうという、智恵の構えである。

 対する今際乱世は――

(動かない…)

 どのような動きも見逃してはならない。

 そう考えてミルヤは、一歩を引いたのである。ミルヤなら見極めてくれると、そう信じて智恵は明治維新から彷徨い出て来た危険な相手に挑んだのである。

 なればこそ見極めねばならない。御刀定めの鑑定眼、他に類を見ないスキルを持つ木寅ミルヤの名に賭けて――

 しかし、動きは無かった。

 真似のように月山を、智恵と同じ中段に付けてから、それきりであった。

(何のつもりだ)

 御刀を持っているだけの棒立ちであった。

 何もしようとしていない。

(今際乱世、一体貴方は――)

 どういつもりであるのか。当然ながら同じ感想を智恵も懐いた。

(罠?)

(分からない)

(でも、見極めないと)

 ミルヤの為に、その役を買って出たのだ。

(…いこう)

 行く、といっても御刀を振り上げて踊りかかったわけではない。智恵のしたのは、ソハヤノツルギを中段に付けたまま、そろりと、ほんのつま先ばかりを、前に進めただけのことであった。

(…!)

 それと全く同じタイミングで、乱世も動いた。

 やはり鏡のように、智恵と同じだけ、ほんのつま先ばかりを智恵の間合いへと忍び入れたのだ。

(偶然? それとも…)

 智恵の真似をしているのか。

 分からない。だがこれで一気に危険が高まっていた。

 これにより両者の間合いは、合わせて一足分ほども縮まったこととなる。

 踏み込んでいかねばならない距離であったのが、今や手の働きのみで相手の皮膚に刃を走らせることが出来るところに来ている。

(どうする…!?)

 下がるか。進むか。斬って行くか。斬って行くならどういくか。一番手近の小手か、深く踏み込んで面か、突いて行くという手もある、或いは、或いは――

 怒涛の選択肢より選択をせねばならない。それも一刻の猶予もない。一瞬遅れれば斬られるのは己なのだ。

(いくんだ!)

 斬られるかもしれない。

 けど大丈夫。ミルヤが居る。何とかしてくれる。

(信じるんだ!)

 友ミルヤの存在が、智恵に勇気を与えた。

 果敢にも真っ向唐竹割りに斬り割っていく智恵に、これも――

(まさか!)

 まさか、まさかであった。

 これも乱世は合わせ鏡としたのである。

 唐竹割りの応酬、それもノーガードの斬り合いとなった。

(バカな)

 一体なにを考えているのか。

 見守るミルヤは、正気を疑う。

 智恵はまだいい。写シを斬られて意識が飛んでもミルヤや、何処かに潜んでいるであろうSTTの支援がある。生還が期待できるのだ。しかし乱世が相打ちとなって斬られた場合そんなものはない。煮るも焼くも自在だ。

(今際乱世、貴方は――)

 斬撃と斬撃が、両者の間で火花を散らした。面打ちと面打ちが空中衝突したのだ。昼なお明るく路地を照らす程の光芒は、御刀の棟と棟ではなく、刃と刃がぶつかり合ったことを示唆する。

 合わせ鏡にも程がある。

 そのまま刃は、右と左へ、同じだけ逸れた。

「ぐ…!」

 脳天をカウンターで斬り割られれば生身なら即死、写シを張っていても失神コースは確定であったが、その結果双方の御刀は双方の肩口を斬り飛ばしていた。

 智恵の写シが飛ぶ。

 ミルヤが抜刀する。

 乱世は――

「お見事」

 乱世の写シも飛ぶ筈であったが、そうはならなかった。

 写シが飛べば肉体が残る。その筈であったが、乱世であったものは肉体どころか肉片すらも残さず、霧散しつつある。

「「な…!」」

 ゆめ幻か。

「確かに面打ち一本、お預かり致し申した」

 その言葉を限りに、今際乱世のその姿は智恵とミルヤの眼前から霞と消え果ていた。

 

***

 

 折神家本邸の階段を駆け上っていく安桜美炎の血相が変わっている。

 美炎だけではない。六角清香、七之里呼吹、山城由衣、鈴本葉菜ら赤羽刀調査隊の面々がその後に続いている。

「ちぃ姉! 写シが張れなくなったって本当!?」

 局長室の扉をノックも無しに打ち開いた美炎の開口一句がこれであった。

「智恵さん!」

「マジかよチチエ!」

「嘘ですよね!」

 口々に言う調査隊の刀使達に、智恵は微笑んで応える。

 寂し気な微笑みであった。

「申し訳ありません、私が付いていながら」

 木寅ミルヤの言葉の語尾は僅かに震えており、調査隊の面々は現実を突きつけられる。

「…その馘ってやつは何処に居やがる」

「許せない…許せないよ!」

「待って皆、落ち着いて」

 殺気立つ美炎たちを制したのは、隊長であるミルヤや、その上司でもある折神朱音、真庭紗南でもなく、当の瀬戸内智恵であった。

「私もうすぐ、二十歳になるの。成人して現役だった刀使は、そんなには居ない。だから今度斬られたらって覚悟はしていたの」

「ちぃ姉だったら行けるよ! もっともっと行けるよ! 紫様と同じくらいまでだってきっと…」

 成人式に御刀を返納する刀使は多い。

 人に成ると書いて成人であるが、刀使にとって成人とは寿命であり、即ち刀使としての生の終わり、死を暗示するものであった。

「きっと…きっと…」

 美炎の瞳から、熱いものが零れて落ちる。

「智恵さん。今まで、大変お疲れさまでした」

 今の今まで黙していた折神朱音がこれを発した時、声にならぬ悲鳴のようなものが、調査隊の面々に走る。

「ソハヤノツルキですが、暫しの間、貴方に預けます。宜しいでしょうか、真庭司令」

「はい。急な話で、ソハヤノツルギの次の適合者の捜索は段取りさえ出来ていませんし、歳を重ねれば一時的に写シが張れなくなったりする例はあります。もう少し様子を見てみるのが妥当だと、私も思います」

「ホントですか!?」

 泣いた烏がもう笑うというが、今の美炎が正にそれであろう。

「智恵さん。貴方さえ良ければ」

「…有難うございます、局長。お言葉に甘えます」

 智恵は微笑んだが、それは寂し気であった。

 

***

 

 モニターに表示された画像は急激に落下し、二度三度と跳ね回った挙句同じところしか薄さなくなってしまった。

「撃墜したのか!? 荒魂がドローンを!?」

「この時までパラメーターに異常は有りませんから、恐らくはそうですね」

「ドローンが何なのか分かっているのか、奴らには」

「はっきりと分かっているとは考えにくいですが、有害なものであるということは認識しているのでしょう」

 真庭紗南司令に応えているのは、最近オペレーター兼技術参謀として司令部に招かれることの多い播つぐみ(ばん・―)である。かつては錬府学長高津雪菜の子飼いとして活躍していたが、療養中なのをいいことに紗南がいいように使っている。ざまあみろ、と思っているかどうかは定かではない。

「言葉を操る機能はないにしろ、人型相応の知能があると見て良いでしょう。作戦科から上がってきた対荒神用の作戦案が役立つかと」

「だと良いのだがな」

 剣対剣に優れた刀使一名ないしは二名を護衛し敵中を突破、という作戦骨子はタギツヒメ戦で柳瀬舞衣が立案したものを踏襲している。ただ、大荒魂の多くが引き連れる荒魂の群れを突破するには突破重点が形成されねばならず、そうなれば荒魂も集中してくる。混戦になれば事故も起きやすい。大荒魂と対峙するまでは、可能な限りエースの写シを温存しておきたい。

 このような事情で、ここ最近の手ごわい荒魂にはは少数のエース刀使を有象無象をかき集めて全力護衛というような作戦になりがち、というかそれ一辺倒と言って良かった。

 エースのタマが少ないのだから他にどうしようもない。対大荒魂決戦戦力が衛藤可奈美、十条姫和のみという状況は余りにも作戦資源に余裕がなく、この両名に拮抗する刀使の錬成が急務となっている昨今である。

 せめて春先、御前試合が終わるころには対荒神用の作戦の錬成がひと段落する筈であったがそれを待ってはいられない。何せあの偽結芽の手勢の支配区域にはまだ取り残されている人々もいるハズであった。こうしている間にも犠牲者が出ているかも知れない。

「なけなしの決戦戦力の一翼、十条姫和は地元…すぐ動員は難しい。ここは衛藤可奈美を突入に、獅童真希、此花寿々花の両名を決戦中核として出動割りを作るとしよう」

「はい。あと、例の申し出、どうしますか」

「自衛隊か」

「大荒魂に突破を許した負い目があるんでしょうね、恐らく」

「協力してくれる分にはありがたいが、こちらの手の内を見られるのもあれだ。情報協力だけ有難く受けて置こう」

「分かりました。それと、あの…」

「ああ」

 特祭隊最精鋭たる赤羽刀調査隊は今、フルメンバーが動員可能状態にある。しかし――

「馘め」

 真庭司令は吐き捨てる。

 あの亡霊のお陰で、調査隊は今、気持ちが作戦に向いていない。副長、という以上にメンバーの精神的支柱である瀬戸内智恵の刀使生命を奪われたのだから、無理からぬことであった。

 あの偽結芽だけならまだよい。

 かつて折神家の宿敵となった今際の家の生き残りは、今なお放置されたままだ。まさしく二正面作戦の愚を、特祭隊は強いられている。

 折神紫が示唆する「大荒魂複数体の同時襲来」という事態を、特祭隊は一度乗り切っている。しかしそれはその複数体の大荒魂が相争っていたから何とかなったのだという側面も否定出来ない。

 もし再び、あの年の瀬の災厄のような事態が生起したとしたら――

 それは真庭司令のみならず、伍箇伝指導部の共通の懸念である。あの偽結芽も馘も所謂大荒魂ではないにしろ、それと同等の脅威だ。目下目指す、エース刀使の増強が進んでいない今、少ない手駒でこれを乗り切らねばならなった。

 

***

 

 神々との邂逅は、稀血(まれち)を受け継ぐ稀人(まれびと)を産んだ。

 折神の家の刀使は如何なる御刀とも適合する。神の五体とも云われる天下五剣並びに大包平に適性を示した刀使は現代に至るまで折神家の刀使のみであり、最も神に近いとされる血脈である。

 柊の家は魂鎮めの秘剣を受け継ぎ、その迅移は光速すらも超えるとされる。

 代々荒魂を守護獣とする益子の家もこれに準じよう。

 今際の刀使はノロへの適性を持っていた。一説に今際の始祖が大荒魂に血を与えられた為とも伝う。今際家伝持の月山鬼王丸は神より盗んだ第一の御刀とその家伝に称するが、それとも関わりがあることかも知れない。

 同じく荒魂と親しんだ益子の家が弥々を守護獣としていたのとは違iい、液状化したノロの壺を受け継いでいた。不思議なことにこのノロは穢れを蓄えることがなく荒魂化せず、これを適切に処方すれば死病も治癒した例もあったことから、今際の家は医家としても大家となり江戸時代には一財を蓄えた。

 しかし処方は今際の家の者にしか出来ず、様々な憶測を生んだ。曰く、今際の家の者には代々、ノロが血に流れている。荒魂の血を受け継いでいる家である――

 このようなこともあって折神の家とは折り合いが良くなかった今際の家は江戸期に入ると幕臣となり、各地に散逸していた御刀を収集する役割を担った。

 折神の家が極めた御刀を折り紙付きと称するのに対し、業物、大業物などと言った呼称は今際の家が極めを付けた御刀に付く。御刀保全を専らとする折神家に対し、今際の家の極めは実用、対荒魂のみならず対人戦闘用、即ち刀使対刀使の斬り合いにおいても効力が保証された実用刀として、武門に広く認められたとされる。

「代々、今際の家の当主となるものは詩歌俳諧を学び雅号を得なければならないという取り決めがあったそうです」

「がごう?」

「例えば葛飾北斎の北斎は雅号です。松尾芭蕉の芭蕉もそう。今でいうペンネームのようなものでしょうか」

「宮本武蔵の武蔵とか、塚原卜伝の卜伝とか?」

「それは道号ですね。雅号というのは詩歌や俳諧、絵画の道で用いる名です」

「なんで? 俳句と刀使は関係ないんじゃ」

「今際の家は斬首刑にも携わっていたんです。馘を名乗るのはその為でしょう。刑執行の際、受刑者が詠む辞世の句を解する為であろうと一般的には言われていたそうです」

 斬首刑。

 調査隊の面々はうそ寒く首を竦める。

 ここに居る誰もが、実際に人を殺めたことはない。当たり前であった。刀使の斬るのは荒魂であって、人ではないはずだ。

「人を斬るのに使ってたってのか。御刀を」

「徳川が御刀を収集したのは、折神家を擁する天皇家に対抗する為でした。何も徳川に限ったことではなく、鎌倉の昔から、時の権力者は挙って御刀を求めました。優れた御刀が手元に在れば領地の荒魂を鎮めるのみならず、隣国に対する牽制にもなったからです」

「それって今の核兵器みたいね」

「じゃあ実際に人を斬るのはあれか、核実験か何かか。笑えねえ」

 賜った公儀御試し役の名の元、今際の家の収集した数々の御刀は抑止力としての役割を全うした。明治維新、官軍に付いた折神家との抗争に敗れ去るその時まで――

「現代の刀使は幸せなのかもしれません。荒魂のみを相手にしていればよいのですから。同じ刀使を相手に殺し合わなくてもよいのですから」

「そうも言ってはいられないわ、ミルヤ」

 瀬戸内智恵の声色は厳しかった。

「馘は今もまだ、この街の何処かに潜んでいるのよ」

 智恵の言葉に応える者は居ない。

 二百年の過去より彷徨い出たのは、刀使の黒い歴史そのものであった。その重い闇は思いもかけず、歴戦の調査隊の面々ですら、ただ立ち竦むしかなかった。

 

***

 

 無明の闇の内に灯った有るや無しやの燈明が、女の姿を映し出す。 

「あれが今世の折神の刀使。そして今世ソハヤノツルギか」

 呟きは陰々滅滅と、闇を跳ね回って消えた。

 その部屋の内に窓は無い。出入り口らしいものすらもない。

 似たものを探すなら、石室であった。

 故人の棺を納める墳墓の、あの石室である。

 女の坐しているのは、その中央の石台の上であった。

 女、といっても女を思わせるような衣服らしいものを身に付けてはおらず、代わりに身を覆っているのは夥しい面積の包帯であった。

 清潔とは、決して言えぬ。文字通りの襤褸である。

 襤褸の女は刀を手にしていた。

 抜き身である。

 鞘も無ければ柄すらも無いその刀の、妙純傳持、と刻まれた茎を裏返せば、ソハヤノツルギウツスナリ、とある。

「御刀の姿、健全なり」

 呟き、茎に鞘を被せる。その鞘を握り、傍らの鞘を取って納める。

 その一連の動作を終えた瞬間には、その手の内で検めていたはずの御刀は跡形もない。

 霧のように、消え失せてしまっていた。

「但し技前に曇り在り。さらなる試刀の要を認む」

 御刀が消え失せれば、石室に燈明は無い。

 ただ無明の闇のみであった。

 


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