刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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一指しの太刀 その1

 平素は夜明け前から日が沈むまで、刀使達の鬨(とき)の声の絶えることのない京都平城学館第一道場が、寂と静まり返っている。

(ようこそおいでやす、江麻ちゃんの秘蔵っ子ちゃん)

 異様なその静寂(しじま)の中心に、二名の刀使が在った。

 互いの御刀を手に、向き合う一人は美濃関学院の次席代表、柳瀬舞衣。

 今一人はこれも平城学館次席代表、岩倉早苗。

 真剣取っての一対一の斬り合いは真剣勝負と一般に呼ばれる。生涯一度きりの立合いである。何故なら何れか一人は斬られ伏し、二度と立つことはないからだ。

 対して御刀取っての斬り合いはこれに準じ、御刀勝負と俗称される。一般的に何れが写シを先に剥がされるかが競われ、二度目三度目がある斬り合いである。

 しかし、舞衣と早苗、両者の間に満ちる気魂は、二度目三度目などといったような余地が感じられぬ、真剣勝負と五条いろは平城学館学長は俯瞰する。

 御刀勝負であるから命は賭けぬ。

 刀使が命を賭すのは荒魂討伐に在ってのみ。しかし命以外の何かのかかった立合いであると、五条いろはには見て取れた。

(美濃関の首席刀使、衛藤可奈美はんとは親友、ということでしたなあ、次席のあのコ)

 対する岩倉早苗は同じく平城学館本年度次席であるが、柳瀬舞衣と衛藤可奈美に同じく、平城学館主席の十条姫和の友、と呼べるのか。

 想起するのは過去、相模湾大災厄の在ったあの頃のことだった。

 衛藤可奈美の母、美奈都には友達が沢山居た。いろは自身もまたその一人であったと思う。 

 対して十条姫和の母、篝はどうであったか。

 衛藤美奈都…当時の藤原美奈都は篝の友であったろう。だが物理的に距離の近かった筈の己はどうであったのか。

(自信、ありまへんなあ…)

 岩倉早苗はどうなのだろうか。

 十条姫和が御前試合での折神家当主暗殺未遂を起こして以来――いや、篝の小烏丸が娘姫和に受け継がれた時から、いろはは特別な思いで、その軌跡を見守ってきた。

 頑なに思いつめる性質の篝と姫和の母子の心を、磊落な美奈都と可奈美の母子が解きほぐしていく様は、往時の篝と美奈都を知る者たちに一様に、運命を感じさせた。

 まるで篝と美奈都のように、可奈美と姫和は関わり合いを深めていった。共に幽世に消え果る、その瞬間まで――

(それが、こうなるとは正直おもいもしまへんでしたけど) 

 可奈美と姫和は、戻ってきたのだ。

 終わったと思っていた美奈都と篝の物語は、この奇跡によってまた書き継がれ始める。可奈美と姫和、次代の千鳥と小烏丸の物語となって。

(歴史は繰り返す、と言いますけれど)

 篝と美奈都がどんどん近づいていって、そんな二人にあれよあれよという間に置いてきぼりされて、ただ見守ることしか出来なかった人々が居た。

(よしなに、江麻ちゃんの見込んだお人)

(そして、うちの見込んだ――)

 道場中央の決着は、そろそろのことになるだろうと、五条いろはには見えた。

 

***

 

 柳瀬舞衣が、平城学館の岩倉早苗という名に接した初めては、御前試合のあったあの春の事であったと思う。

 平城は前年度優勝校であり、当然ながら関心が集まっていた。美濃関で予選が始まったあたりからそろそろ話題に上ってくる。

 親衛隊入りした獅童真希は今年は出てこないから一安心。

 いやいや、安心するには早い。馬庭念流を遣って無双の者が平城に居る、昨年度は中等部ながら真希と共に本戦に駒を進めたあの刀使が。

 恐らくは折神本邸まで上がってくるのは彼女だろうとの噂通りに、岩倉早苗は柳瀬舞衣の前に現れた。

 平城学館主席としてでなく、次席として。

 主席となったのは、あの十条姫和だった。

 糸見沙耶香と並び全国的な迅移の使い手であり、トップスピードでは史上屈指と目される新鋭の天才刀使の前に、またしても早苗は次席に甘んじたのである。

 その早苗と舞衣が合い見知ったのは御前試合本戦前夜のことだった。十条姫和による折神家当主暗殺未遂事件の前夜ということでも、それはあった。

 人当たりの良い人、すぐに友達になれそう――

 この感想を双方が、互いに対し懐いた。

 同じナンバー2同志、立場も同じだ。通じるところもあるだろうと。

 姫和が事に及び、それに衛藤可奈美がくっついて逃亡する事態となり、揃って取り残され、ますますそのように思われる所は増していった。舞衣と早苗は同様に尋問を受け、同時期に開放される。

 早苗は母校平城へと戻った。

 舞衣は残り、可奈美を探した。

 舞衣は思った。私たちは中学に入る前からのライバルで今は友達、舞衣ちゃん、可奈美ちゃんと呼び合う仲。だから可奈美ちゃんを放っておけない。

 でも早苗は違うんだろう。それほどの仲じゃあないんだと、舞衣は確証もなく思っていたのだ。

「京都平城にあっても馬庭念流を伝える数少ない刀使だって聞いてたけど…」

「破門になったの。色々あってね」

 中段正眼、北辰一刀流にあっては星眼とも記する。

 切っ先を相手の正中に向け、柄を我が正中へと向ける柳瀬舞衣の構えに対し、岩倉早苗の構えはあらゆる意味で真逆だった。

 先ず分かりやすいところから言えば、切っ先が舞衣の方を向いていない。全く反対の、相手のいない方を向いている。舞衣の方を向いていかるのは、切っ先と逆側の、柄である。

 柄の前には肘がある。

 舞衣の切っ先の一番近いところにあるのは、岩倉早苗の肘であった。

 上段脇構え――舞衣にとっては、見慣れた構えである。

 十条姫和が多用する、あの構えだ。

 これを行う流派は多くはない。姫和の鹿島新当流は数少ない一つである。が、それは舞衣が知る、馬庭念流に学んだという岩倉早苗の経歴と一致しない。

(岩倉さんが、鹿島新当流を?)

 門派というのはどのような武芸であっても、入るのも抜けるのも難しいものだ。伍箇伝の刀使に限っては入るのは殆どクラブ活動の勧誘のノリだから難しくないかもしれないが、抜けるのはやっぱり難しい。

「…どうして?」

「柳瀬さんが勝ったら話すよ」

 早苗としては精一杯、といった感じの不敵な笑みと共に、そう言った。

「分かった」

 舞衣も、真似をして、同じように笑んでみせた。

 それきりもう、何も言わない。

 これより後は、剣のやりとりであった。

(それにしても…)

 何から何まで十条姫和を連想させる構えであった。

 馬庭念流を破門になったと云うが、そんな問題を起こすような人物とは、舞衣には思えない。

(何か理由があるんだ)

 それを聞くためには、どうやら勝たねばならないらしい。

 相手は、舞衣が孫六兼元を手にした時には、既に知る人ぞ知る、平城学館を代表する刀使の一人であった人物だ。簡単な話では、無い筈であった。

 孫六兼元の切っ先が、浮沈を止めて静止する。

 鶺鴒(せきれい)の尾と称し、仕合にあっては盛んに切っ先を運動させることを推奨する北辰一刀流。その教えに忠実な舞衣にあっては稀有なことであった。

(よくみること。見る目は少なく、観る目は多く)

 剣において見の目は忌み、観の目は尊ばれる。兵法にあって見の目とは視覚的光学的情報であり、観の目とは戦術的情報である。

 変化情報、と言ってもいい。

 実地において舞衣は、対手となった早苗を見ておらず、早苗を指した切っ先を見ている。視覚的には、切っ先が遮る分を見ていないわけだが、そうすることにより知覚的に感得しやすくなるのが、早苗の変化である。

 例えば文字を読むなどしている場合、当然周囲のことは見えなくなる。

 一方、何も注意していない場合、動体、つまり何か動くものに気付く範囲は正面より直径190度とも200度とも言われている。

 然るに人体は呼吸などで絶えず運動しており、その全てを観察して判断していては重要な情報を見落とす。ここでは舞衣は、武技的な情報のみ、つまり早苗が次に右に動くのか、左に動くのか、掛かって来るのか下がるのか、そのような大きな運動の情報に絞って判断をしようとしているのだ。

 余計な情報は、孫六兼元の切っ先が切り落としてくれる。

 舞衣に届くのは、攻撃か、それに繋がるような動作のみだ。

(見なくてもいいものは見ないでいい)

(見極めるんだ。見なくてもいいものと、見落としてはいけないものを)

 静止した切っ先。

 そこから透かし見れば、本当のことや、大切なことを孫六兼元の切っ先が指し示してくれるのだ。

(姫和ちゃんとは、全然反対のコ…)

 一方の早苗もまた舞衣と同様、舞衣を透かし見ていた。

 舞衣の孫六兼元の代わりとなっているのは、早苗自身の肘の部分である。

 対敵の舞衣に最も接近しているのが早苗の我が肘であり、肘を切っ先として舞衣の全容を透かし見ているのだ。

 舞衣の方から早苗を見れば顔の下半分までは肘に隠れ、両眼のみが露出して見えるであろう。かつてこの構えで対峙した十条姫和がそうであったように。

 脇構えで上段に付ける利点は攻めの強さだ。我が剣の長さを相手に悟らせぬ為の工夫だ。剣の長さが撃尺となり、間合いとなるなら、それを狂わせれば斬り込み易くなる道理である。

 そう構えて、早苗は待っていた。

(こう構えたら、十条さんは必ず仕掛けていった)

(堅い攻撃の意思を示す勢なんだ)

 十条姫和は、ここから突きに変化する。

 無類の技だ。

 どう見ても突きに適した構えではない。何せ切っ先は舞衣の逆側を向いているのだ。そこから切っ先を舞衣に突き立てるには身体を半周させねばならない。突くよりは斬って行った方がはるかに能率がいい。

 だけど、もし突いて行けた場合。

 突き技は一点だ。攻撃範囲が小さい分相手にとっては動いて見えるものが少ない技だ。撃尺を隠した剣が、その突き技で飛んで来た時の受けづらさは、多分誰よりも、早苗が知っている。

(誰にも真似の出来ない、十条さんだけの技――)

 攻撃的な構えでありながら、ただ待つ。

 舞衣の正面に晒されるのは生身の肘であり、腕である。そこに孫六兼元の切っ先が突き付けられてあるのだ。勇気や覚悟無くして出来ない構えであることはもちろん、舞衣には分かっていたが――

(岩倉さん、貴方は…)

 立ち合おう、と持ち掛けたのは早苗の方だった。

 受けて立った舞衣だが、内心は意外だった。遠慮深い人という印象を持っていたからだ。

 しかしこうして御刀を通して向き合ってみると、分かってくる気がする。攻撃的な姫和の得手に構えつつ、それでいて攻めてこずただ待っている、岩倉早苗という人が。

 平城学館大道場で両者が立ち合って、最早一時間以上が経過していた。

 環視の平城の刀使達が、そろそろどよめき始める。

 御刀勝負である。両者は写シを張っていた。

 それがまだ剥がれない。

 並みの刀使ならば三度は剥がれているほどには時間が経過しているのにだ。

 通常の御刀での立合いは、写シが剥がされれば負けであり、剥いだ方が勝ちである。

 御刀で斬ればそれが出来るのだが、ここまで両者は一合も剣を合わせていない。それどころか一撃することすらしていない。

 何をしているのか、さっさと斬り合え、攻めろ、と思うような素人はこの場にはいない。技になっていないだけで、両者とも虚実を凝らしている。互いの技が技になる前に潰し合っているとも言える。

(そう来るならこうするよ)

(こう来たらこうだよ)

 そんなやり取りを、ずっと交わしている。

 これはもちろん、尋常の刀使では読み取れないようなものだ。

 舞衣と早苗はそれを読み取り、読み取られながらずっとここまで来ているのだ。

 誰が仕合をしてもこのような場面はあるものだが、舞衣も早苗もそれを尋常でなく早い段階で処方する為、双方とも実際に動作することが出来ない。

 一見御刀を持って向き合っているだけに見えて、恐るべき高等技術の応酬であった。

 それをしながら、これ程の時間、写シを維持しているのだから、疲労しない筈がない。誰の目にもその兆候が見えないのは何れもの集中力が並外れているからであった。ようは正面の相手に集中する余りに疲労を忘れている。時間も忘れているかもしれない。

(あ…)

 終わりは唐突だった。

 早苗の身体が一瞬明滅した。

(写シが…)

 体の縛めが解けたように、舞衣は感じた。張り詰めた糸に、ハサミを入れたようなものだった。

 今なら斬れる。

 舞衣がそう思ったのではない。今まで斬ろう斬ろうとしていた身体が、阻んでいた早苗の技を急に取り払われて勝手に動いた。

 実際に、写シの切れかかった早苗を斬りに行っていたら、大惨事になっていたかも知れない。

 しかしそうはならなかった。

 かくん、と踏み込もうとした舞衣の右膝が砕けた。

(…え?)

 自分がどのような状態にあるのか、舞衣が悟ったのはそれを支えようとした左の足もぐにゃりと萎えて、そのまますとんと座り込んでしまった時だった。

 写シが飛んでいた。

 舞衣も同時に限界を迎えていたのである。

(いけない…)

 御刀を手放さなかったのは流石であるが、それを持ち上げることも出来ない。  

 長距離走を短距離ペースで走ったとしてもここまでではあるまい。疲労の極みであった。もし今早苗が斬り込んで来たら…

 しかし、そうはならなかった。

 向こうでは、早苗もまた舞衣と同じようにしゃがみ込んでいたのである。

 環視の平城の刀使達が駆け寄ってくるのが分かる。まだ勝負の途中なのにと思ったが、考えてみれば写シが剥がれたのだから刀使の仕合は終わりだ。

(でもこれ…)

(どちらが勝ったのかしら)

 見れば多分、向こうも同じことを考えたのか。

 舞衣と早苗は、汗だくの顔を見交わし、笑みを浮かべた。声を発したかったが、二人が二人とも、それが精いっぱいだった。

 




早苗がプレイアブルキャラになった時、モーションが姫和に似てる印象を持ちました。そこから膨らませて言ったお話になります。

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