クソニート、TSするってよ 作:いたちしゃーく
始まりは些細な事だった。
ただ単純に他の奴らより足が遅かったのだ。
それをクラスで人気のある人がからかい、皆からそれをからかわれるようになった。変な渾名をつけられたり、鬼ごっこをするといつも鬼に選んできたり。最初はそんなものだった。
そうしたら今度は人より食べるのが遅い事もからかわれるようになった。また変な渾名がついて、僕の配膳台にはいつも皆が嫌いな野菜が沢山盛られていて、給食係りになるといつも重い物を持たされた。
人気のあるやつが一度からかうと、また皆がからかってくる。正義感の強い人が何度か止めたけれど、一度そういう空気が出来上がると次第に止めてくれる人も少なくなって━━━━中学生になる頃には虐められるのが当たり前のやつに、僕はなっていた。
渾名はゴミ。
殴られたり蹴られたりするのは当たり前。暴言は挨拶みたいに掛けられたし、関わりたくないやつからは徹底的に無視された。いつも僕の机は落書きと傷で一杯で、何か物を置いていけば翌日にはボロボロになってゴミ箱に捨てられていた。僕自身、焼却炉に捨てられた事もある。学校の隅に置かれた、今は使われてない物だったけど。
痛みに顔を歪めながら、僕は何が行けなかったのかいつも考えていた。もっと足が速ければ、食べるのが速ければ?きっと違う。あれは切っ掛けなだけ。理由はそこにはない気がした。だから考えた。ずっと。
けれどどれだけ考えても、その答えは出なかった。
結局情けない僕には、耐える以外の選択肢がなかった。
そんな生活が三ヶ月も続いて。
ある朝僕は限界を迎えた。
今から丁度三年前、中学一年の夏。
僕は晴れて引きこもりなった。
そしてこれからも、ただのクソニートで終わる━━━━━筈だった。
あんな事が起こるまでは。
◇◇◇
「━━
ドンドンドン、とドアを乱暴に叩く音と甲高いお母さんの声で目が覚めた。
頭痛に耐えながら重い瞼を開ければ、青白い光が瞳に飛び込んで来る。記憶が正しければゲームをしていた筈だけど、テレビ画面に映っているのはただの黒い映像だけ。ゲーム機を見ればオレンジ色のランプが見えてスリープモードに入った事は察した。
「晶くん!聞いてるの!?晶くん!昨日もご飯食べないで、大丈夫なの!?」
僕の反応がないからか、お母さんの声はなりやまない。
声をあげようとしたけど、随分と喋ってないせいか掠れた声しか出てこなくて『大丈夫』という言葉すら言えない。仕方がないのでドアに何かぶつけて反応を返す事にした。周囲を見渡して投げられる物を探すと、直ぐそれが目に入った。寝落ちする前、飲み始めていたジュースのボトルだ。しかも蓋が開きっぱなし。
うわぁと、思いながら手に取る。
中身は殆んど残っていなくて、揺らすとチャプチャプと小さな音が鳴る。
本当に口を少しつけただけのボトル。どれだけ溢れたのかと不安に思いながらカーペットに触ると、不思議と濡れていなかった。いや、正確にはベタついた場所があって、それで溢れたのは間違いないんだけど、なんか殆んど乾いてる気がするのだ。
「晶くん!!」
声にはっとした僕は、手にしたボトルをドアへと投げた━━━筈だった。
「?」
すっぽ抜けるような感覚と共に、ボトルがドアから少し外れた壁に当たる。音がしたことにお母さんの声が止まったので、別にどこに当たろうと構わないんだけど、何か違和感がある。
よくよく自分の手を見れば、ブクブクと膨れていた筈の手が酷くほっそりした物になっていた。
「?」
不思議に思って見ているとまたドアが叩かれた。
「晶くん!大丈夫なのね!ねぇ、お願い!少しだけで良いから顔を見せて頂戴!三日も何も食べてないでしょう!晶くん、お願いだからね!」
三日という言葉に耳を疑った。
言われてみれば喉の乾きが酷い気がする。
頭がぼーっとしてるし、気だるいし、力も上手く入らない。お腹が減ってるのかとか、、三日も寝ていたのかとかはっきり分からないけど、それだけは確かだった。
あれこれと頭が働き始めた頃、部屋に籠る異様な臭いに気がついた。
頭痛くて気づかなかったけど、一度気づけばそれが嫌に鼻についた。鉄臭いような、何か腐ったみたいな、アンニモアみたいな・・・そんな色んな嫌な物が混ざった不快な臭い。いてもたっても入られず、僕は重い体を引き摺ってドアへと向かう。
何とかしドアの所へ行き鍵を開けると、僕が開けるより早く扉が開かれた。カーテンを締め切った部屋とは違い光に満ちた外。僕は眩しさから目を細める。ドアの向こうにいたお母さんは酷くやつれた顔で僕を見ていたんだけど、何故か驚きの表情を浮かべてた。
「晶くんっ・・・・な、の・・・?」
何を言ってるのかと思えば、お母さんは震える手で体を触ってきた。すると、また違和感を覚えた。触れられたそこが、随分と、なんというか、内側だったのだ。本来肉があった場所より、ずっと内側を撫でられているのだ。触られてる感覚がある以上、僕の体なのは間違いない。けど、おかしい。僕の体に触ってるのだとすれば、なんでこんなに━━━━。
ふと側にあったガラス窓が視界に入った。
そこにはお母さんの姿と見たことのない随分と胸の大きい女の子の姿が移り込んでいた。反対側を振り返って見ても当然そんな女の子はいない。いや、反対側にいたら、僕が邪魔でガラス窓に映る筈もない。もう一度振り返るとやっぱりガラス窓には女の子がいる。体を傾けると同じ方向に動いて━━━ついでに体の傾きに釣られて動く胸に視線も向く。ジャンプするとやっぱり胸が揺れて、激しく動いた反動で胸がめちゃくちゃ痛む。なにこれ。
痛みにこらえながら顔をあげると、僕の気持ちとシンクロする女の子の顔がやっぱりそこにあった。
「えっ、僕・・・・?」
漸く出た言葉を最後に、何かが限界を迎えたのか重たくなる瞼と共に体が床に崩れ落ちた。何処か遠くからお母さんの悲鳴が聞こえて、その内サイレンの音が聞こえて、僕は━━━━━。
「まぁー俗にいうTS病ってやつですね」
「・・・・TS病」
飾り気のない白を基調とした診察室の中。
精密検査を終えた僕に、目の前の医者と呼ぶには体育会系でサングラスの似合いそうな先生は呆気らかんとそう答えた。
「そう、TS病。男の子が女の子になっちゃったり、女の子が男の子になっちゃったりするやつ。テレビで見てないかな?ほら、最近噂になってる」
そう言われてもテレビなんてアニメくらいしか見てない。ただネットの書き込みで、そんな嘘みたいな病気がある事は何処かで聞いた気はする。ぼんやりとだけど。答えに悩んでると先生は顎髭を撫でながら「それじゃぁねぇ」と話出す。
「呼び名の由来くらい聞いた事ないかな?transgender fiction。所謂TSF、異性に性転換してしまう創作物のジャンルの呼び方なんだけどね。TS病ってはそこからきた呼び名なんだよ。正式な呼び名はもうちょっと長いんだけど・・・あぁ、ほら、タツノコ病なんて聞かないかな?あれが一番有名だと思うんだけど。いや、タツノコは性転換とかしないんだけどね?雄が妊娠するとか、不思議な生態ではあるけどさ。あははは、誰が言い始めたんだろうねぇ、あんなの。ははは」
「・・・・・・雄が、妊娠」
「OK、分かった、一から話そう!そうしよう!以外と皆詳しく知らなかったりするしねぇ!ははは!」
そうして先生は自分の膝をパチンと叩くと、この病気に関して話始めた。僕のかかったそれの正式な病名は突発性性転化症候群と呼ばれるもので、ここ二十年の間でよく見られるようになった原因不明な奇病らしい。数年前までは、その病気の研究者や一部の医療機関を覗き、多くの病院であやふやな認識しかされていなかったらしいが、少し前ある有名な女優がこの病気で性別が変わった事をカミングアウトアウトして以来注目を浴びるようになったのだとか。
「いやぁ、でもよく頑張ったね。晶くん。性転化の痛みは凄かったろう。大人でも絶叫ものなんだよ?痛み止めがないと、大半の人が失神しちゃうからね。でもまぁ、3日から4日なんて驚異的な短期間で、無理をやり肉体を変化している訳だからね。それこそ骨から筋肉、神経は勿論、体のサイズまで変わるんだから、痛みがあるのは当然といえば当然ではあるんだけども。━━━あっ、部屋血塗れで凄い事になってるって聞いてる?性転化で不要な体皮やら、過剰な血液やらが外にでちゃったみたいでね」
そう言われても痛みをあんまり覚えていない。
確かに苦しかった記憶はある。でも詳しくといわれると答えるのは難しい。その時のそれは意識が朦朧としていてよく分からないのだ。何度も寝たり目を覚ましたり、朧気な記憶はあるけど、それだけ。はっきりしない。
ただ一応、苦しかったのは間違いないので頷いておく。
それを見た先生はニッコリ笑い、よく頑張ったと力強く褒めてくれた。なんだかその手放しな褒めっぷりが小学生に戻った気分にさせ、何ともいえないむず痒いものを感じさせた。
「あの、すみません先生。それで、晶くんは治るのでしょうか」
僕と先生の話を遮って、不意にお母さんが尋ねた。
すると先生は緩めていた顔を引き締める。顎髭を擦りながら難しい顔で考えたあと、小さな溜息をつき口を開いた。
「申し訳ありません、お母さん。現状ではここまで変化してしまった体を元に戻せた事例はないんです。症状の出始め、まだ肉体的な変化が現れていない段階で投薬治療を行うことが出来れば、かなり高い確率で完治する可能性があったと思いますが」
「それでは、治療は出来ない・・・という事でしょうか」
「いえ、今からでも投薬治療は自体は可能です。完治する可能性も、まったくないと否定は出来ません。投薬治療によって体に多少変化が起きた方も少なからずいますから。ですが、一度体が出来上がってしまってからの投薬治療は非常に負担が大きいんです。以前私の担当していた患者さんの中に、この治療を試みた方はいましたが、効果が出るより早く副作用の苦しさに治療を断念する方が多かったです。あとは金銭的な問題で断念した方もいましたが」
話を聞いて肩を落とすお母さんを横目に、先生は更に続ける。
「あとはですね・・・外科的な手術を施す事は出来ます。従来の性転換手術と内容は変わりません。しかしまぁ、そういったものは体に負担をかけます。体が変化したばかりで体力が落ちている晶くんなら、半年は期間を設けた方が良いでしょう。ただですね、手術したからといって、元の体に戻せる訳ではないのでおすすめは出来ませんよ。私としては、今ある現状を出来るだけ早く受け止め、その体に慣れるようリハビリを━━━━━」
「そんなっ・・・」
絶句したお母さんがふらっと揺れる。
慌てて体を支えれば、その異様な軽さに胸がどきりと鳴った。苦労を掛けていたのは知っていた。少しずつ痩せてきてることも。僕のことでお父さんとお母さんが話し合っているのは何度も聞いていた。けれど、こんな事になってるなんて、思わなかったのだ。
どうすれば良いか、何を言えば良いか分からなかったけど、部屋の隅にベッドが置いてあるのが目について、僕は凍りついたように動かない先生へと視線向けた。
「あっ、あの、先生・・・大丈夫、ですか?そ、その・・・・お母さんを」
「あっ、ああ、すまない。大丈夫だよ。ベッドは使って構わないとも。さぁ、手を貸そう」
声を掛ければ先生はお母さんを運ぶのに力を貸してくれた。正直助かった。以前の僕なら今のお母さんくらい運べたかも知れないけど、今の僕の腕は随分とひ弱で、ベッドまで運ぼうとしたら引き摺るしか出来なかっただろうから。
お母さんをベッドに寝かせると、先生が軽く診察してくれた。
「随分と疲れが見えていたし、それに話を聞く限りだと寝不足もあったようだからね。多分過労だとは思うけど・・・・まぁ、内科の先生に話は通しておくから後で診察を受けて貰ってね」
先生の言葉に頷くと笑顔が返ってきた。
「晶くん、君は強いな」
そんな言葉と共に先生は僕の頭へと手を伸ばしてきた。
咄嗟に避けてしまうと、先生が何とも言えない表情を浮かべ、「おっさんは嫌だよなぁ」と何処か遠い目をしてしまう。そんなつもりはなかったので、何とか誤解を解こうとしたけど上手く言葉が出てこなかった。もじもじしてると、先生が「あっ」と間の抜けた声を漏らす。
「そう言えば、そうだったね。ごめんごめん、軽くだけど、お母さんから君の話聞いてたよ。無遠慮に触ろうとしてごめんね。晶くん。怖がらせるつもりはなかったんだ。これ、この通り」
畏まった先生は深く頭を下げた。
僕も釣られて頭を下げると笑い声が耳に聞こえてくる。
「ははは、君は下げなくて良いさ。さて、それじゃ少しお話をしようか。君のこれからのお話を」
改めて椅子へと座り向き合った僕に、先生はこれからの事について色々と話してくれた。お母さんに話してくれた外科的な治療法の話や投薬治療の続きの話。実際にそういった治療を行った人達の話や、性転化した体を受け入れてリハビリする事を選んだ人達の話。それぞれの患者さんがどうやって過ごして、何を悩んでいたのかとか・・・先生は知る限り教えてくれた。
そしてその上で先生は「大切なのは君がどうしたいかだよ」と最後を締め括る。
頭の中で沢山の話が交差していく中、先生はカルテを片手に椅子に深く座り直す。
「医者の立場からすればね、体のこともあるし治療は避けたい所なんだけど・・・こればっかりは晶くん次第だからね。どうしてもというなら、治療は行うよ。ただ、それ相応の費用が掛かるし、苦しい思いをしたからといって治る保証も出来ないんだ」
そこの辺りは理解出来ているので頷いて見せる。
すると先生はウンウンと首を動かした。
「だからね、私としては最初に提案した通り、一日でも早くリハビリを始めて貰って、その体と新しい生活をして欲しいと思っているんだ」
「・・・・新しい、生活・・・・」
「医者としてはなんだけど、私はね、性転化は神様が与えてくれた人生をやり直すチャンスであり、一つの試練なのじゃないかな、とそう思うんだ」
人生をやり直すチャンス。
それが頭に響いた。
「ある患者さんはね、性転化でそれまで築き上げた人生を失って途方にくれた。立ち上がることは出来なかった。本当に彼女は何もかも失ってしまったんだ。友人も、恋人も、家族も。これまでいた居場所を」
「でもね、彼女は今、とても幸せに生きている。彼女は自分と向き合って、沢山の事を勉強して、沢山の努力をして多くのモノを手に入れた。確かに以前とまったく同じモノは取り戻せなかったけれど、それでも大切な家族がいて、大切な友人がいて、大切な妻がいて、自分の居場所がある」
「苦労は多かったよ。とても。けれど、自分と向き合って新たな人生を歩んだ彼女は、今を少しも後悔していない。胸を張って、これが私の人生だと教えてくれる。・・・・そんな生き方もあるんだ」
先生はカルテをテーブルに置き、前屈みで僕の顔を覗きこむ。
「晶くん。君はこんな大変な時でも、誰かを心配出来る優しくて強い子だ。一人で性転化の痛みに耐えるなんて、並大抵の事じゃない。私はそれを尊敬するよ」
「だからこそ、そんな君にはよく考えて欲しい。これからどうやって生きていくのか。前の体に戻る為に懸命に治療しても良い。彼女のように新しい人生を歩む為に努力を始めても良い。君ならきっと、どんな生き方でも出来る」
「君が一番に願う未来を、君がちゃんと考え、君が選びなさい。きっとそれは、君を支えてくれる大切な人達の為にもなるだろうし、一番君の為になる筈だ」
先生の言葉はよく響いた。
沢山の気持ちが込められた、優しいその言葉は。
僕はそれから病院へ入院した。
性転化の影響で体力が衰えていた事もそうだけど、肉体的に不具合がないか確認する必要があるからなんだそうだ。
僕は入院してから考えて、考えて。
ずっと、沢山、考えた。
何日も。
性転化してしまってから丁度一週間。
小さな病室の中で僕は決めた。
新しい人生を歩むことを。