クソニート、TSするってよ 作:いたちしゃーく
お母さんと先生に自分の気持ちを話し、女の子として生きる為にリハビリを始めてからかれこれ二ヶ月。性転化後の検査も問題なかった僕は病院も無事退院し、自宅で先生から渡されたリハビリプランに勤しむ日々を過ごしていた。
リハビリプランは先生と話し合って必要な課題を決めていくので、一人一人全然違うものになる。僕のプランは女性として生きる為の社会性を身に付ける事と、体力をつける事が一番の課題だった。なのでお母さんが昔買ったウォーキングマシンを引っ張り出して、毎日歩きながら先生から貰った教材を読み耽っている。おかげで十キロくらいはへばらないで歩けるようになった。時間は少し掛かってしまうけど。
女の子としてのあれこれは・・・まぁ、難しい。
下着はちゃんと付けられるようにはなったけど、今の所それくらいだ。鏡で見た僕の見た目はすっかり女の子みたいだけど、中身はあれからあんまり変わってないので、もう残念としか言いようがない。
その日も教材を読みながらウォーキングマシンでトコトコ歩いてると、不意にチャイムが鳴った。お母さん達が帰ってくるには早いなぁと思いながら、ドアホンのモニターを覗きにいくと配達の人が映っていた。
『すみませーん。何方かいらっしゃいませんかー』
配達の人はそう声をあげながらカメラを覗く。
お母さん達からは人がきても出なくて良いと言われてるけど、急ぎの荷物だったら後で大変だ。最近僕関係の書類がよく届くし、この間だって受け取り損ねて手続きが余計に遅れる所だった。で、でも、出た所で上手く話せる気もしないし・・・・。
インターホンに出ようか迷ってると、また少しの間を置いてチャイムが鳴らされる。
『すみませーん。お届け物なんですがー?』
そう言うと配達の人はカメラの前に大きめの封筒を翳した。封筒には差出人である市役所の名前と住所、宛先である僕の名前が記載されている。
僕は何度か深呼吸しながら、カウンセリングの先生の言葉を思い出す。大丈夫。よくなってる。先生はそう言ってくれた。だから、きっと大丈夫。
何度か言い聞かせた後、僕は通話ボタンを押した。
「あ、あの・・・」
『あっ、すみません。お忙しい所に。お届け物なんですが、えーと、兎月晶さんのお宅で間違いないでしょうか?』
「・・・・は、はい。そ・・・そこに、置いてもら」
『すみません。こちら個人情報が記載されてまして、受け取りにサインを頂きたいのですが』
サイン・・・サイン・・・・・サインんん。
て、手書きで名前を書けば良いのだろうか?それとも判子?こういう物の受け取りはした事がないから、全然分からないのだけど。でも普通に考えたら判子かなぁ。判子何処にあるんだろう・・・。
周りを見渡してみるけど、判子らしき物はない。
お母さんが使ってる小物入れも見たけど、やっぱりない。途方にくれそうになってると、『判子じゃなくても大丈夫ですよ』と声が掛かってきた。良かった。判子じゃずっと押せなかった可能性がある。
ペンを持って玄関に行く。
何度か深呼吸してから、ドアチェーン掛けたままにして僕はドアを開けた。
するとドアが開いた事に気づいた配達の人が挨拶してくる。
「すみません、お忙しい所。こちらお品物です。サインはここに」
差し出された荷物を床に置いて、続いて受け取った伝票の頼まれた場所に兎月と書き込む。ちょっと曲がってしまったけど、受け取った配達の人は気にしてる様子はなくて「ありがとうございました」と一言を残して帰っていった。
配達の人が帰ってから封筒を開けると、以前先生から言われていたある書類が入っていた。
「・・・新しい・・・戸籍」
女の子として生きると決めた日。
先生からこういった書類や手続きがある事については聞いていた。だから今更驚きはないけど、なんだか変な感じだ。これを役所に提出すると、僕は記録上では本当の女の子になる。こういった場合、名前の再登録も可能らしいけど、色々悩んだけど結局そのままにしてる。晶なんて、女の子でもおかしくないし。
僕は早速書類を手にし、説明書を見ながら必要な所へ記入していく。大体三十分くらいかけて書類を書き終えた頃、「ただいまー」というお母さんの声が玄関から響いてきた。荷物運びを手伝う為に顔を出すとお父さんの姿もあった。
僕の件で帰ってきてるお父さんは本当なら今頃海外で仕事してる筈なので、ここにお父さんがいる事にまだ違和感を感じてしまう。嫌ではないけど。
「おか、えり、なさい・・・」
「ああ、ただいま。晶、リハビリ終わった所か?」
リハビリはやっていたけど終わってはいない。
だから首を横に振ると、お父さんは「さぼりかぁ?」と厭らしい笑みを浮かべた。
「駄目だぞ、晶。こういうのは継続する事が大切なんだ。どこかの誰かさんのように、明日から頑張るなんていう三日坊主ダイエッターにな━━━ふぐぅ!?」
「あなた、晶の前で余計な事を言わないで頂戴」
静かに肘鉄を受けたお父さんは玄関で踞る。
あんまり苦しそうだったので様子を見ようとしたけど、触ろうとするとお母さんに「お父さんは無視していいのよー」と微笑まれて止められる。ごめんお父さん。僕は無力だ。
買い物袋の食材を冷蔵庫に片付けてから、僕はお母さんにさっきの書類を見せた。お母さんはそれを少しだけ悲しそうに見つめた後、内容を確認して「大丈夫そうね」と笑顔を浮かべる。
「お昼ご飯食べたら、皆で役所にいきましょうか」
「これで晶も女の子かぁ~。しかし名前そのままで良かったのか?今からでも女の子らしい名前を考えた方が良いんじゃないか?・・・・ほら、大分離れているから、大丈夫だとは思うが」
「そう・・・・ね。ねぇ、晶くん今からでも━━━」
「いい」
首を横に振って、二人の目を見た。
二人が僕の為にそう言ってくれてるのは分かるけど、これだけは頷く訳にはいかない。僕と同じ性転化してしまった人の中には、前の性の名残である名前を変える事を極端に嫌う人がいるらしい。でも僕は別に男の体に未練がある訳じゃない。先生のいう通り、やり直そうと思ったのだから。だけど、この名前を失ってしまうのはとても嫌だった。理由は、僕にもよく分からないけど。やり直すなら、変えた方が良いに決まってるのに。もしかしたら、他の人達も僕のようによく分からないまま嫌だと思っているのかも知れない。
僕の気持ちが変わらない事に気づいた二人は心配そうな顔をしたけど、最後は僕がそれで言いならと認めてくれた。少しだけ申し訳ない気持ちになるけど、これだけはやっぱり嫌なのだ。
「・・・さて、お昼の用意しましょうかね。晶くん、今日も手伝ってくれるかしら?」
お母さんの明るい声に、静まり返っていた部屋の中が少しだけ明るくなった。僕が頷くとお母さんは笑顔を浮かべて台所へと背中を押してくる。お父さんは手伝う気がないみたいで、いつもみたいにリビングで横になってテレビを見始めた。じっと見てるとお母さんもお父さんを眺めた。
僕らの視線に気づくと「卵焼きを廃棄物へと変える、俺のスタン●がみたいのか!」と言ってきたので首を横に振っておいた。なんで偉そうなのか謎だ。お父さんが戦力外なのはキャンプの様の見てるから知ってるけども。寧ろ手伝わないで欲しいけども。
あの日以来、少しずつだけど家事を覚えた。
手際は悪いけど、簡単な料理くらいは出来るし、洗濯物だってちゃんと洗える。そうやって少しずつ出来るようになって思うのは、僕が随分と楽をしていたんだなぁってこと。引きこもる前から、僕は僕の事しか見えていなくて、そんな苦労知ろうともしなかった。毎日お母さんが家事をするのは当たり前で、それをやって貰うのは当然なんだと思ってた。
今はそうは思わないけど。
「おかあ、さん。お昼、なに、にするの?」
「そうね・・・鶏肉があったし、パパッと親子丼にしちゃおうか?」
「・・・・親子、丼・・・・ん」
冷蔵庫から材料を取り出す。
卵のパックと鶏肉、それと玉ねぎ。
お母さんに見せればOKサインが返ってくる。
「ふふふ、晶くんは物覚えが良いから教えがいがあるわね。そこはお父さんに似なくて本当良かったわ。結婚する前なんだけど、お父さん大学生の頃一人暮らししててね?毎日ひもじそうにしてるの見かねて、じゃぁ節約料理の一や二つ教えてあげるわよっ!て教えにいった事があったのよ」
玉ねぎの皮を剥きながら、お母さんは懐かしそうにいった。僕は卵の割る手を止めて首を傾げる。教えたのに出来ない?謎の言葉だ。いっても料理ってそこまで難しくないと思う。手順をみたり、教えて貰えれば失敗なんて態とじゃなければあり得ない気がする。味覚的に好みが違い過ぎれば、そんな事もあるかもだけど。
すると僕の様子を見ていたお母さんが、楽しそうにクスクス笑い出す。
「ね、そうなのよ。失敗なんてさせる訳ないじゃないの。隣で教えてるんだもの。それなのに、もうっ、ふふふっ、もう何にも出来ないのよ。塩って言ってるのに砂糖入れたり、何故か小麦粉入れちゃったりして、なんでそうなるのー!って。やっと一回出来ても、次が絶対に出来ないのよ。何かしら間違えるの。もうあれね、お父さんは料理するなって事なのかしらね」
お母さんの笑い声が聞こえたのかリビングの方から「誰が家庭科室の魔術師だ!」とツッコミが入ってきた。お母さんはそれを聞いてもっと笑う。
最近お母さんはよく笑う。僕が引きこもってた頃・・・そもそも顔を合わせる事自体少なかったけれど、いつも心配そうな顔ばかりだった。だから、それは嬉しいと思える。頑張って外に出て良かったと。ずっと迷惑ばかり掛けていたから。
「晶くん、卵割り終わったみたいね。それじゃ、そのまま卵溶いておいて貰える?」
「・・・・ん」
それから親子丼が出来るまでそんなに時間は掛からなかった。お母さんの手際は相変わらず良くて、直ぐ出来上がってしまう。もしかしなくても僕が手伝わない方が早く出来る気がするけど、お母さんが楽しそうなのできっとこの方が良いんだと思う。
ご飯を食べてから暫く。
お父さんの車に揺られて市役所へやってきた。
病院へ通院するようになってから少しずつ外に出る練習はしてるけど、やっぱり日の光が差し込む場所は苦しい。息がつまって、心臓がうるさいくらい鳴ってく。知らない人の声が聞こえる度、嫌な汗が背中を流れて、お腹が痛くて、吐き気が止まらい。
「大丈夫、晶くん?無理そうなら車にいても良いのよ」
お母さんは心配して言ってくれるけど、ここで帰るくらいならリハビリをしたいなんて言う資格はない。僕は自分で変わりたくて、それを選んだのだ。あの部屋にこもっていれば、きっと何も起こらない。でも、それじゃ駄目なんだと思った。お母さんの体を支えた時、そう思ったのだ。
お母さんの手を握ると、前より少しだけ柔らかい感触が掌に伝わる。あの時よりずっと柔らかい感触が。
「だい、じょうぶ」
「そう。無理はしなくて良いのよ。手続きはお母さんだけでも出来るからね」
市役所の入り口を潜ると、目の前の人の数に体が震えた。でも大丈夫だ。病院でも、これは変わらない。
お母さんに手を引かれながら歩いて少し、市民課の窓口についた。訝しげに見つめる視線にお腹が痛くなるけど、なんとか堪えて窓口側に置いてある番号札の紙を取る。
待合室で番号を手に待っていると、誰かの声が聞こえてくる。それは僕に掛けられた声ではないし、僕の事を話している訳じゃない。けれど、嫌に耳についた。周りの人の話がずっと。
「・・・晶、何か飲み物でも飲むか?」
心配そうな声に、僕は頷いた。
本当は飲み物どころじゃなかったけど、何かしてないと余計に周りが気になって仕方なかったから。
大丈夫。
ここにはあの時の人達はいない。
ここにいる人達が何かする事はない。
ここには知らない人しかいない。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
何度も何度も言い聞かせながら待っていると、その声が耳に聞こえてきた。それは本当に小さな声で。でも、僕に向けられた言葉だった。
「あの子、大丈夫かしら」
ただ心配してくれた優しい言葉。
なのに僕はその声が、見られていることの事実が。
どうしようもなくて。
「━━━━っっっっっぇぇ」
僕はそこで床を汚してしまった。
沢山の人の視線を感じて、お腹はもっと痛くてなって、吐き気は止まらなくて、苦しくて、苦しくて━━━━結局僕は、お母さんに書類の手続きを任せて、お父さんと車に戻る事になってしまった。
何かを変えたかった、その最初の一歩目は。
情けない結果で終わってしまった。
それからお父さんに連れられて車に戻った。
お父さんの好きな曲が流れる車内は賑やかだけど、けれど僕には凄く静かに思えたら。黙って外を見つめるお父さんの横顔を眺めていると、不意にこっちへ振り向いたお父さんと目があった。
「どうした?何かあったか」
優しい顔に僕は首を横に振る。
お父さんは安心したように苦笑いを浮かべた。
「じっと見られてるから何事かと思ったぞ・・・まぁ、さっきの事は気にするな。晶、お前はよく頑張ってる。今日は帰りに旨いもんでも食って帰ろうな」
「・・・・うち、で、いい」
「はははっ、お前は本当うち大好きだな。じゃなんか買って帰ろうな。寿司か?寿司だな」
「・・・・そば・・・天ぷら、のせる」
「天ぷら蕎麦か。えび天とか乗せてな。いや、イカ天も・・・・というか、なんか一週間に二三回蕎麦じゃないか?この間も食べた気がするんだが」
ああ、うん。
僕が蕎麦好きだからね。
簡単だし。
暫く音楽を聞きながら待っていると、お父さんの電話が鳴り出した。着信音からお母さんなのが分かる。直ぐ電話に出たお父さんは電話越しから話をきいて首を傾げる。少し聞こえた感じだと、書類に何か不備があったみたい。お父さんは待ってろと言葉を残して車を出ていった。
お父さんが出ていってから、買って貰ったジュースを玩びながら音楽を聞きいてぼんやり窓の外を眺めていると、駐車場の周りにある茂みが揺れた。不思議に思ってそこを見ていると、ガサガサっと黒い影が出てくる。最初は犬かと思ったけど、思ってたよりずっと大きかったそれは、学生服を着た男の子だった。
学生服だと分かって心臓が強く脈をうった。
呼吸も苦しくなって体が震える。治まっていた吐き気が戻ってきて、お腹がきゅぅと痛くなる。目の前が暗くなって、体がふらついた。
見ているのがつらくて直ぐ目を逸らそうとしたけど、それが目についた。
男の子の赤く腫れた頬が。
一度目につくと、他の物にも気がついた。
制服はヨレヨレのボロボロで、素肌の見えてる所から赤い血がついてるのが見える。普通にしていたらそんな風にはならない。きっと、殴られたり蹴られたりしたのだろう。僕も殴られたりした事があるから、その痛さはよく分かる。
男の子が茂みの所で腰を下ろすと、大きな怒鳴り声が外から響いてきた。誰かを呼んでいるみたい。多分目の前にいる男の子の事だろうけど。
少しすると怒鳴り声は遠ざかってく。
男の子は肩で大きくて息を吐くとフラフラしながら立ち上がった。その姿を見て、僕は、気がついたらドアを開けていた。
「あ、あの━━━━」
「あ?」
声を掛けて凄く後悔した。
こっちを振り向いた男の子の目は鋭い。
手足の先が冷たくなって、お腹がもっと痛くなる。
でも、声を掛けた以上、何も言わない訳にもいかない。
「こ、これ、ぬるく、なっ、なっちゃ、たけど」
差し出したジュースに男の子は不思議そうに首を傾げる。だから、ジュースを頬に当てるふりをしたら、男の子は目を大きく開いて「ああ」と気がついた。
「頬に当てろって事か?」
その言葉に頷くと、男の子の雰囲気が変わった。
それまで警戒する番犬みたいだったのに、急にほわっとした感じになる。そうしたら、少しだけ、ほんの少しだけ、お腹が痛くなくなった。
男の子は少し悩んでからジュースを僕の手から受け取った。そしてそのまま頬に当てて痛みに顔を歪める。
「ったく、あの野郎、思いっきりやりやがって・・・。ええっと、何処の誰だか知らないけど、さんきゅーな。でも、あんまりこういうのやるなよ?勘違いするやつが出てくるからな」
「・・・・・かん、ちがい?」
「おう、天然だったか。まっ、お節介も程ほどにって事だ。じゃぁな」
それだけ言うと男の子は駐車場を突っ切って、反対側の茂みに姿を消した。また遠くから怒鳴り声が聞こえたから、見つかっちゃったのかも知れない。
「・・・・・話せ、た、なぁ」
ほんの少しだけど、確かに話せた。
緊張したし、汗も凄いし、今も胸がバクバク煩いし、呼吸も荒くなっちゃったけど。
「・・・・・・・話せた」
確かに、話せた。
それからお母さん達が戻ってきて、約束通り天ぷらを買って帰った。夕飯を食べながら駐車場で起きた事を話したら凄く心配された。結局、男の子と話した内容を教えてあげられたのは時計の長針が一周してからになった。
女の子になったその日。
僕はほんの少しだけ前に進んだ。
本当に、ほんの少しだけ。