クソニート、TSするってよ 作:いたちしゃーく
僕が女の子として市役所に登録されてから一ヶ月。
お父さんも仕事の為に海外へ帰ってからも、順調にリハビリプランのこなしながらカウンセリングを受けていた僕に、カウンセリングの瀬戸先生から一つの課題が出された。
それは大した事ではないんだけど、僕にとっては大問題で、その日も朝から課題が書かれたプリントと睨めっこしながらウォーキングマシンでトコトコしてた。
「・・・・・かっ、買い物・・・・・んん」
大分良くなってきたからと、瀬戸先生は一人で買い物にいく事を課題として出してきたのだ。目標は近所のコンビニなので遠くはないし、交通機関を使う訳じゃないからそこまで大変じゃない・・・じゃない筈なんだけど・・・・どうしても玄関から出られなかった。
「はぁ・・・・」
市役所へ行く時とは訳が違う。
あの時も外に出たけどお母さんもお父さんも側にいてくれたし、駐車場まで行けば直ぐに車に乗れた。移動中も大体目を瞑って音楽聞いてた。知らない内についてた感じだ。頑張ったにしても、そのハードルはかなり低いと思う。それでも瀬戸先生は褒めてくれたけど。
一旦ウォーキングマシンから降りてカーテンをちょびっとだけ開けて窓の外を覗いた。
そこには狭い縁側と小さい庭、ひょろひょろ伸びた何かの木と古ぼけた塀、それと塀の向こうに閑静な住宅街。少し遠くにはずらっと並ぶ団地も見える。
お父さん達が僕の為に態々引っ越してきたここには、僕を知ってる人は一人もいない。引っ越してから一度も家を出なかったし、誰かが来ても僕は部屋から出なかったから。お母さんが近所の人に子供がいる事や、体が弱くて外に出られないと教えてる姿は見てるから・・・まぁ、僕の存在くらいは周知はされてはいると思うけど。
ぼやーっと、外を眺めていると猫が塀を歩いてるのが見えた。やけにぽっちゃりした灰色の猫で、顔もマフィアのボスみたいにふてぶてしい感じ。僕の視線に気づくと、ぽっちゃり猫は塀から降りて僕の方へとやってきた。カリカリと窓枠をかいて、じっと見上げてくる。
「・・・・?」
なんだろう。
じっと見てると、ぽっちゃり猫は目付きを鋭くさせて荒っぽく窓枠をガリガリしてきた。何となく分かった。餌を要求されてる気がする。
急いで冷蔵庫へ行き、猫が食べても大丈夫そうな物を探す。けど、よく考えたら猫の食べられる物とか知らない。ネギは駄目なんだっけ?
迷ってると窓枠から催促のガリガリ音が聞こえてきた。
よっぽどお腹減ってるのかも知れない。
魚肉ソーセージがあったのでそれを持って窓を開けると、猫がガリガリを止めてドシンと縁側に座る。ふてぶてしい。勝手にきたのに、なんだかお客様みたい。
魚肉ソーセージのビニールの皮を取ってから縁側に転がすと、ぽっちゃり猫は何度か臭いをかいでから不機嫌そうにそれを咥えて庭へとのそのそ歩き出した。器用にまた塀の上へと昇り、何処かへといってしまう。
・・・何だったのか。
「猫でも・・・出歩けるのに・・・・・・はぁ」
去っていった後ろ姿を思うと、何だか情けなくなってきた。いや、情けないのは元からだろうし、だからといって出掛ける気にもなれないんだけど。
今日分のランニングを終えた頃、お母さんが買い物から帰ってきた。荷物運びを手伝いにいくと今日は食料品だけじゃなくてトイレットペーパーとか洗剤とか生活用品も買ってきたみたいで荷物が多い。取り敢えず生活用品はお母さんに任せて、僕は食料品の袋を手にした。
「・・・・・んんっ」
「晶くん大丈夫?」
「だ、だいっ、じょうぶ」
思ったより重かった。特にペットボトルが重い。
安売りしてるのを買いにいったのは聞いてたけど・・・というより僕の腕弱すぎる。男だった頃なら、余裕で持てたのに。最近ダンベル楽に持ち上げられるから、すっかり筋肉ついてきた気になってた。まさか、この程度もちゃんと持てないとは・・・っ。ぐぅっ。
ふらつきながら何とか冷蔵庫前に辿り着くと、影から覗いていた涙目のお母さんに拍手された。のたうち回りたくなった。
荷物を片付けた後、お母さんのお茶しながら先程のマフィア猫の話をすると「ブーコのこと?」と何とも言えないけど嫌にしっくりくる名前を教えてきた。聞けばブーコと呼ばれるぽっちゃり猫は二つ隣に住んでる森田さん家の飼い猫らしい。因みに名前は森田さん家の長女みよりちゃんが付けたもの何だとか。
「それにしても、ブーコが晶くんに餌をおねだりだなんて・・・あの子結構きむずかし屋なのよ。慣れてない人には寄ってこないんだけど・・・・動物ってやっぱり分かるのかしら?」
「ん?・・・・なに、が?」
「優しい良い人のこと」
・・・いや、優しいとは違うと思う。
どちらかと言えば脅されて持っていった感じだったもん。魚肉ソーセージ出したら凄い顔で睨まれたし。気弱な人狙ってるんじゃないのかなぁ。
「そう言えば、瀬戸先生からの課題はどう?出来そう?」
ふと、紅茶を飲む手を止めてお母さんが聞いてきた。
僕はバームクーヘンをもしゃりながら課題の事を少し考えたけど、出掛ける想像をすると途端に震えがきてしまう。情けないことだけど、どうしても怖さが勝ってしまう。お母さんはそれを見て眉をハの字にした。
「今回は一人で出掛けるのはやめにしましょうね。その代わり一緒に出掛けてみましょう。この間だって出来たんだもの、大丈夫よ」
「・・・・・・いく」
「えっ、だけど、大丈夫なの?瀬戸先生も無理はしないで良いって言ってたでしょう。焦らなくても・・・」
お母さんが僕を思って言ってくれるのは分かる。
でも、その言葉に甘えてまた何も出来なかったら、僕はあの日から何も変わらないままだ。
「・・・・あした、いく」
「そう・・・・分かったわ。頑張るのよ」
「・・・ん」
お母さんと話合って翌日の昼ごろに出掛ける事にした。
目的地は近所のコンビニで、何かしら買って帰る事が目標だ。大丈夫。きっと出来る。市役所では少しやっちゃったけど、あれからまた良くなってるって先生は言ってた。配達だって対応出来たし、知らない人とも話せた。だから、大丈夫。
翌日、僕は朝からお昼のお出掛けの為に準備を始めた。
出掛ける為に必要な事・・・まずは身嗜みから。
伊達に三ヶ月も勉強してきた訳じゃない。一人でだって色々と出来る。
さっさと洗面所へいって顔を洗って歯を磨き、寝起きではねかってる髪をとかす。眉毛は昨日の内に整えたから大丈夫。爪も切ってある。化粧はまだまだ出来ないから、少しでも清潔に見えるように。鏡を見ながら一つ一つチェックし、おまけにもう一回全部確認し直してか━━━歯みがき粉顎に垂れてるっ!
顔を綺麗にしたら次は着替え。出掛ける為の服は昨日の内に用意してるので今から慌てる事はない。用意したのは灰色のパーカーと紺のズボン、それと帽子。お母さんからは地味とか言われそうだけど、目立ちたくないからベストチョイスだと思う。うん。
因みに服の中にはスカートも一応ある。お母さんが選択肢は多い方が良いからと買ってくれた。だけど、流石にあれは未だに履く気にはなれない。履き方というか、履く上で気を付ける事とかは教わってるから知ってるけど・・・いや、無理。想像したけど、無理。無理。
パジャマを脱いでさっさと下着を付ける。
三ヶ月の間ほぼ毎日付け外ししてるから、今では自然と出来る。最初こそどうすれば良いか分からなかったけど・・・本当に、もう毎日っ・・・・くっ、毎日、まいっ、ふんぐぅぅ!んんんん?んーん?なんっ、ふんっ!ふぅぅぅぅぅん!ん!!っし、出来たっ!
準備はちゃんとしていたつもりだったのだけど何かと手間取ってしまって、気がついたらお母さんがドアの隙間から手伝いたそうに見ていた。抵抗空しく、頭の後ろでひっそり跳ねてた寝癖を直された。・・・えぇ、ああ、うん、ありがとう。言ってくれれば、自分でやったのに。
「いってらっしゃい!何かあったら直ぐ連絡するのよ!・・・・やっぱりお母さんもついて━━━」
「いって、きますっ」
ついて来そうな雰囲気のお母さんを振り切って、僕は財布をポケットに詰め込んで玄関から外へと踏み出した。
最初の一歩目。
外の明るさに一瞬目眩がした。
呼吸も少し荒くなる。
帽子を深く被り直して何度か深呼吸する。
心の中で瀬戸先生の『晶くんなら大丈夫』という言葉を言い聞かせれば、少しだけ落ち着いてきた。お腹は痛くない。
コンビニは家から出て一キロもない。
ほんの少し出掛けて、何か買って帰るだけ。
よし。
家を出て直ぐ左に曲がる。
最初に目指すのは二つ目の十字路。
一歩踏み出すごとに風景が変わっていく。当然だけど、僕の視界の中にはどんどん知らない風景が映りこんでいく。窓から覗く住宅街と違って、僕の進むそこには何処かしらから人の気配を感じた。
「あら、こんにちわ~」
急に耳に響いた声に背中がぞくりとする。
声の方を確認すれば、道の反対側でおばあさん達が手を振り合っていた。
「宮さんのお葬式以来ねぇ。この頃顔を見ないからどうしたのかと思ってたのよ」
「あらやだ、お葬式の後もあったわよ~。その時に旅行に行くって話もしたじゃないの。もう、たまちゃんったら直ぐ忘れちゃうんだから」
「あら、そう言えば、そうだったわねぇ。いやだわ、最近ほんと物忘れが酷くて」
楽しそうに話す二人の関心は少しもこっちにない。
僕は煩くドクドク音を立てる胸を押さえながら、そこを足早に通り過ぎた。多分ご近所さんだし、お母さんが付き合いあるみたいだから挨拶くらいはした方が良いんだろうけど・・・。
おばあさん達を通り過ぎてからは二つ目の十字路まで人はいなかった。途中布団を干してる人は見かけたけど、それだけだ。それにその人も布団を干し終えたら直ぐ部屋の中に戻っていったし。別に何もない。
十字路を右に曲がると少しいった先にコンビニが見えた。お店の並んでる通りだから人通りがある。もう既に数人歩いてる人が視界に入った。出来るだけ見ないように、僕は少し下を見ながらコンビニへ進んだ。
人の声が聞こえる度、僕の心臓は馬鹿みたいに騒いだ。
人が通り過ぎる度、体に悪寒が走ってお腹が痛む。
でも、吐き気まではない。大丈夫。
気が遠くなる程歩いて暫く。
ようやくコンビニの入り口に辿り着いた。
僕に反応して自動ドアが開けば、けだるげな「いらっしゃいませ」の声が僕に掛けられた。びっくりして思わず頭を下げてると、「っえ?」と戸惑いの声が返ってきた。
「なっ、なんでも、ない、ですっ」
頑張ってそう口にすると「はぁ」と少し気のない返事が返ってきた。視線も感じなくなったので急いで商品棚に隠れるように移動する。うるさい心臓を落ち着かせてから、僕は買うものを探した。
特に買う物は決めてなかったけど、何となく目についたお菓子とジュース、それと随分と読んでない週刊誌を手にした。最近僕の見てるアニメの原作が表紙だったからつい手が伸びたのだ。
レジが空いてるタイミングを見計らって、商品を抱えて僕は会計に向かった。店員さんはまたけだるげに「いらっしゃいませー」と良いながら僕がテーブルの上に置いた商品のバーコードを機械で読み取っていく。
「270円が一点、151円が一点、214円が一点、合計635円になります」
言われた金額を払う為、僕は財布を取り出して千円をテーブルへ置いた━━━━瞬間、何かが僕の背中の所で弾けた。店員さんが不思議そうに辺りを見渡す。僕はといえば、最初は分からなかったけど、その締め付けるような感覚がなくなって直ぐ気づいた。確かめようと背中に手を伸ばすと、肩に食い込んでる筈のものがずり落ちて腕に掛かった。視界の中で胸の所が大きく揺れる。
「?えっーと、千円お預かりします。お釣りは365円のお返しになります・・・お客さん?」
「・・・・ひっ!?はっ、あ、あの、あの」
お釣りを受け取ろうと思ったけど、腕を動かすと普段押さえつけられてるそれがいやに揺れて、それに何となく店員さんの視線が下がった気がして、頭の中に色んな言葉が押し寄せてきて・・・・気がついたら僕はコンビニを飛び出していた。
後ろから店員さんの声が聞こえた気がするけど、何も考えられなかった。兎に角、人目から隠れたかった。それで走って、走って、走って。僕の頭が少し回り始めた頃には、知らない神社で荒い呼吸を整えていた。
「・・・・どこ、だろう」
呼吸が落ち着いてからスマホで場所を調べようとポケットに手を突っ込むと、そこには何も入っていなかった。別のポケットかと思って探ったけど、財布とハンカチしか見つからない。そこまできて、僕は部屋で充電器に差しっぱなしになってるスマホの姿を思い出す。
途端に震えがきた。
人気のない神社が異様なまで恐ろしく感じる。
「・・・・・・っう」
お腹の痛みと共に吐き気が込み上げてきた。
どうしたら良いか分からなくて、涙が溢れてくる。
体の震えが止まらなくて、手足の先が冷たくなってくる。怖くて、怖くて、仕方ない。
周囲には誰もいないのに、沢山の視線を感じた。
馬鹿にするみたいな笑い声も。
立っていられなくて、僕は出来るだけ小さく蹲った。
そうしてれば見られないで済む気がしたから。
耳も押さえて、体を曲げる。
小さく、出来るだけ小さくなる為に。
いつもそれで何とかなった。
抵抗しなければ、何も言わなければ。
それはいつも通り過ぎていった。
そうしてどれくらい立ったのか。
気がつくと足元にフサフサした感触が触れていた。
恐る恐る目を開けると、ぽっちゃり猫が体を擦りつけている。ぽっちゃり猫は僕の視線に気づくと「にゃぁ」と不機嫌そうに鳴いて歩き出した。
ぼやーっと見てると、ぽっちゃり猫が立ち止まって振り返ってくる。不思議に思って見てるとまた不機嫌そうに鳴いた。何となく呼んでる気がしてついていくと、ぽっちゃり猫はスタスタと歩き始める。
ぽっちゃり猫はたまに立ち止まって僕の方を振り返り、ちゃんと着いてきてるのが分かると前を向いて歩き出す。よく分からないままぽっちゃり猫の後ろを歩いてくと、ある通りに出た所で見慣れた家が視界に入った。
何度か確認したけど、僕の家だ。
歩いた時間は少しだけ。
僕の体力は僕が思ってたより低いらしい。
あれだけ無我夢中で走ったのに。
ぽっちゃり猫は僕の顔を見ると不機嫌そうに塀へ登っていって、直ぐどこかへと行ってしまった。助けてくれたのか分からないけど、「ありがとう」とだけは伝えておいた。今度会ったら魚肉ソーセージじゃなくて美味しいおやつをあげようと思う。
そうして家に帰るとお母さんが青ざめた顔で玄関の所でウロウロしていた。どうしたのかと思って声を掛けると、目に涙を浮かべながら抱き締められた。話を聞くと実はコンビニまで着いてきていて様子を伺っていたらしい。僕がコンビニに入った所で家に帰って待ってると一向に帰ってこなくて、心配になってコンビニにいったら僕が飛び出した事を聞いたのだとか。
僕は取り敢えず心配かけた事を謝って、壊れた下着の話をした。するとお母さんから「ブラジャーが苦しいと思ったら直ぐ言うように」と釘を刺されてしまった。無理につけるのは良くない事なんだとか。
それからお母さんと一緒にコンビニへ商品とお釣を取りにいって、そのままの足で下着を買いに出掛けた。
女性物の下着はやっぱり高くて、買って貰うのは凄く悪い気はしたけど、もうあんな事あって欲しくないのでちゃんと買って貰った。はぁ、いつかこれも、お母さんに返せれば良いなぁ。