(写真)
バルカン鉄道株式会社の社長に就任したヴィルヘルム・グレーナー(写真中央)の就任演説より抜粋。写真向かって右側手前から、ピーター・タック(フランダース=ワロン連邦王国首相)、アレクサンドル・ガロピン(同国財務大臣、ガロピン委員会委員長)。その奥右から、ヴァルター・ラーテナウ(駐ドイツ大使、ワロン高等弁務官)、エドワード・グレイ伯爵(イギリス首相特使、元外相)、ハーバート・フーヴァー(アメリカ合衆国大統領特使、商務長官)。
ベルギー資本のワゴン・リ社が運行していた国際長距離寝台急行-いわゆる「オリエント急行」を、路線と車両を接収したミトローパ社(1916年設立)が、中央同盟陣営の占領下で運行していたのが「バルカン急行」である。1921年の「名誉ある和平」締結後、ドイツ帝国政府は、中央同盟陣営と協商陣営の和解の象徴として、ワゴン・リ社と、ミトローパ社による合弁会社「バルカン鉄道」の設立を表明した。これ以降、欧州大陸の国際長距離寝台急行は、同社に一元化されることになる。
ヴィルヘルム・グレーナーは、前参謀次長でありドイツ帝国陸軍中将。ロシア内戦(1917-20)におけるドイツ軍介入の中心人物であり、国際的な知名度は高かった。帝国軍における鉄道行政専門家であり、ヒンデンブルク宰相から、ドイツ帝国鉄道検討委員会の委員長にも指名されていた。この異例の人事は、参謀本部のドイツ帝国鉄道の設立に向けた意気込みを示すものであり、ミトローパ社を中心に欧州鉄道網の再編を主導する意欲を内外に示したものであった。
グレーナー新社長の意気込みとは裏腹に、旧オリエント急行の象徴であるカレー~イスタンブール路線(大西洋沿岸のカレー~パリ~ストラスブールとフランス国内を経由し、ドイツ帝国領邦のバイエルン王国首都ミュンヘンに接続していた)は、ミュンヘン~イスタンブール区間のみの限定運行であり、全面再開は1930年代を待たなければならなかった。
その原因はドイツ帝国政府のフランス敵視政策にあるとされたが、1920年代のフランス政府は、鉄道委員会の指導下で鉄道5社を「共和国鉄道」として国有化する途上にあり、これに抗議する保線管理作業員や鉄道員によるストライキが多発するなど、鉄道業務が著しく混乱をきたしていた。
1935年。推理作家のアガサ・クリスティは、カレー~イスタンブール路線の国際列車を舞台とした長編小説『バルカン急行の殺人』を発表する。雪に閉ざされて立ち往生した客車の中での不可解な殺人事件、そして多種多様な国籍と背景を有する容疑者達の魅力的なキャラクターを丁寧に描写した同作品は『アクロイド殺し』(1926年)、『そして誰もいなくなった』(1939年)と共に、クリスティ女史の代表作として人気が高い。
なお『バルカン急行の殺人』の主人公、名探偵エルキュール・ポアロは、亡命ベルギー人である。彼はフランダース=ワロンを「紛い物」「偽物国家」として認めていない。
- 『ドイツ帝国鉄道史』新民明書房(1972年) -
短い19世紀において、大英帝国のロイヤル・ネイビーに支えられた欧州大陸の秩序を打ち破ったのは、プロイセン陸軍の鉄道網であった。
それは洋上艦船で兵員を運ぶよりも、鉄道の方がより多くの兵員を、短期間で輸送することが可能という、言われてみれば至極単純な思考によるものであった。プロイセン人が特異だったのは、このどこまでも独創性というものが欠如した平凡な考えに基づく計画を、凡人では及ぶべくもない水準まで、徹底的に追求した事だ。机上計画から実戦形式の動員訓練に至るまで、彼らは病的なまでに作戦計画と動員の完成度にこだわった。
勝利の女神は、プロイセン人の努力を正しく評価した。第2次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争でも、普墺戦争でも、そしてドイツ統一を決定づけた普仏戦争でも、彼らは軍事作戦と動員計画に従い、機械的に宣戦布告を行った。デンマークも、二重帝国も、そして帝政フランスも鉄道を利用したが、やはりプロイセンに一日の長があった。プロイセン軍人が脳味噌から流した汗は、帝政ドイツ建国の礎となったのである。
こうした歴史的背景有するプロイセン陸軍参謀本部-ドイツ帝国軍参謀本部の鉄道部が、ドイツ帝国内の鉄道網と管理の一元化を志向するようになったのは、ごく自然なことであった。彼らは、ドイツの欧州大陸における軍事的な優位性を維持し続けるためには、戦時であろうと平時であろうと、参謀本部か、あるいは政府の影響下にある組織に、鉄道網や経営が一元化されているのが望ましいと結論付けた。
初代帝国宰相のオットー・フォン・ビスマルクは、参謀本部からの提言に従い、普仏戦争で手に入れた旧ハノーバー王国領やエルザス・ロートリンゲンの鉄道網を中心に「ドイツ帝国鉄道」構想の検討に着手した。
しかし鉄血宰相の作り上げたドイツ帝国は、統一ドイツを優先したため、プロイセン国王を頂点とするドイツ諸侯や自治都市による連邦国家であり、皇帝専制とは程遠かった。
既に鉄道を運営している民間企業、大株主である金融機関、そして領邦鉄道を所有するドイツ諸侯は、ドイツ帝国鉄道構想に反発した。彼らは自分達の資産を切り崩し、あるいはリスクを背負った起債によって鉄道網を整備した。「戦時ならともかく、金を出したわけでもないプロイセン人に、経営権を取り上げられる所以はない」と言うわけだ。
反対の急先鋒となったのは、自らも領邦鉄道を有するドイツ諸侯である。普仏戦争でプロイセン側として参戦し、プロイセン王のドイツ皇帝戴冠にも賛成した親プロイセン派諸侯は、オルデンブルク大公国が中心となり、連邦参議院で反対を表明した。強引に推し進めれば、発足間もないドイツ帝国の土台を揺るがす恐れがあると判断したビスマルクは、大モルトケと協議した結果、戦時下における動員への協力と引き換えに、事実上の構想撤回を表明する。
ドイツ統一の功臣ですら不可能だった帝国鉄道は、タンネンベルク会戦において東部プロイセンをロシア軍の脅威から開放した2人の英雄。帝国宰相ヒンデンブルグ元帥と、ルーデンドルフ参謀総長の手により、半世紀ぶりに動き始めた。
キール軍港の水平反乱に端を発する1918年暴動に際して、ルーデンドルフ参謀次長は「社会主義勢力によるクーデター」であると断じ、帝国軍による武力鎮圧を主張した。ベルリン市内の暴動により、旧ベルギー領スパの帝国軍大本営に移動していたドイツ皇帝は、ルーデンドルフの主張を受け入れ、融和策を主張するヘルトリング宰相を更迭。ヒンデンブルグを後任に任命し、ルーデンドルフを参謀総長に上番させた。
全権を掌握したルーデンドルフは、帝国全土に戒厳令を布告。情け容赦のない武力鎮圧を、自国の市街地で開始した。わざわざ結果、1848年革命をはるかに上回る数千人の死傷者と引き換えに、反対派勢を一層した。
暴動を鎮圧したルーデンドルフは、キール軍港暴動でアダーベルト殿下(現在のフランダース=ワロン連邦王国国王)が負傷したことを理由に、中央党のヘルトリング宰相と、海軍の責任を糾弾。無制限潜水艦作戦への反対により独自性を強めていた帝国海軍を屈服させ、参謀本部が国政の全てを決定する戦時独裁体制を再構築した(ルーデンドルフ体制)。
ルーデンドルフの強権は議会にもおよんだ。勝利による平和で国論を統一したいルーデンドルフは、和平派の帝国参議院を勅令により停止。残る帝国議会(下院)も、最大会派の社会民主党(SPD)を社会主義者鎮圧法の復活をちらつかせて牽制することで、国内反対派を沈黙させた。
こうして国内の戦時体制を再編したドイツ軍は、1919年の大攻勢(カイザー攻勢)により西部戦線を突破。国内におけるゼネラルストライキや、命令不服従と反乱が相次いでいたフランスを崩壊させた。
その後もルーデンドルフ体制はロシア内戦への干渉、東方諸国のドイツ帝国の属国化、旧フランス植民地を割譲させた植民地大国ドイツの建設、「名誉ある平和」による協商陣営との講和条約締結など、多くの功績を残した。
講和条約の成立後も、ルーデンドルフ体制の根幹とも言える戒厳令は、解除される事はなかった。
反対派の中心勢力であった帝国参議院を停止した段階で、ビスマルクや大モルトケですら成し遂げられなかった「ドイツ帝国鉄道」にルーデンドルフが着手するのは、むしろ既定路線とみなされていた。それでもルーデンドルフが、グレーナー参謀次長をバルカン鉄道の経営責任者に任命すると同時に、行政府にドイツ帝国鉄道創設委員会の委員長として推薦したことは、驚きを持って受け止められた。
ヴィルヘルム・グレーナー中将は優秀な軍政家であり、プロイセン軍事省次官としてルーデンドルフ体制の確立に貢献した将官であったが、その為にルーデンドルフとの対立を深め、ウクライナに派遣された。
ロシア内戦(1917-20)に遭遇したグレーナーは、同国内の赤軍残党を掃討すると、ウクライナ軍団などの反ボルシェヴィキ派の組織化に成功。反共ドイツ義勇軍を指揮し、白衛軍のコルニーロフ元帥と共にモスクワ入城を果たすなど、内戦集結に多大なる功績を上げ、参謀次長としてベルリンに返り咲いた。ホルベック将軍には及ばないものの、国民からの人気が高く、ヒンデンブルク宰相の信任も篤い人格者である。
今回の人事も「潜在的な競合相手に手柄を譲るとは、さすがルーデンドルフ将軍は器量人よ」と評価されているが、成功している間は、失敗ですら評価されるものである。厄介事を押し付けたと取れなくもない。
ドイツ帝国鉄道が成功するならばそれで良し。失敗してもルーデンドルフには傷はつかない。バルカン鉄道社長に内定した段階で、グレーナーは予備役に編入されている。軍の中央から追い出すという目的は達成しているというわけだ。
……大モルトケを越えると放言する割には、あの「茹でたジャガイモ男」はやる事がせこい。顔に似合わない神経質な緻密さを有していたからこそ、現在のルーデンドルフの成功があるのだと言われると、反論は難しいのだが。
*
グザヴィエ公子の思わぬ乱入により、ウィーン・ロートシルト家当主のルイス・ロートシルト男爵と、”ホレス・グリーリー”ヒャルマル・シャハト頭取との会談は、バルカン鉄道設立の式典後にずれ込んだ。
当初は同席する予定だった補佐官のデ=ガスペリは、席を外している。シャハトは「彼と話すのを楽しみにしていたのですが」とあからさまに残念がって見せた。
「君の名前には聞き覚えがある」
「どうせ碌なものではありますまい」
数時間前まではグザヴィエ公子が座っていた椅子に腰掛けたシャハト頭取は、自身に纏わる風説を笑い飛ばす。確かに私が聞いたものは彼の名誉に繋がるものではなく、むしろ犯罪者として糾弾するものであったが。
「ベルギー総督府から、汚職で告発されたと聞いたが?」
紹介者であるルイス氏を疑うわけではないが、慎重ではあるべきだ。犯罪者ではないかとの疑問を投げかけられたにも拘らず、シャハト頭取は眉一つ動かすことなく応じた。
「自らが設定した戦場でしか戦うことが出来ない軍人共に、森羅万象の全てが関係する金融について、何の理解が出来るというのです?自分の無知と不勉強を曝け出しただけのことであり、それにすら気がついていない。ラム将軍は、度し難い愚か者です」
この銀行家は鼻眼鏡の下に侮蔑の色すら浮かべながら、轟然たる態度と口調で一挙に捲くし立てた。これには私も返す言葉が、咄嗟には見つからない。ルイス氏は「困ったものだ」とでも言うような、苦笑とも失笑ともつかぬ表情を浮かべているが、当の本人は一向に悪びれる気配がなかった。
1914年、設立されたばかりのベルギー総督府のカール・フォン・ラム少将が、元ドレスナー銀行副頭取のシャハトに命じたのは、旧ベルギー国内の金融安定化のための対処方針の立案であった。当時のドイツ帝国軍は年内、もしくは1915年中の決着に望みをつないでおり、ベルギー焦土化の意図はなかったとされる。そのため西部戦線の後方支援拠点として、旧政府の発行した通貨の安定性を確保することを目的としていた。
シャハトは「私は自分に与えられた任務を、自分が信じる最善の形で忠実に果たしたに過ぎません」と説明した上で「通貨の信任を維持することは、患者の治療に似ています」と例えた。
「当時のベルギー経済は、正貨の流出と物資不足に悩まされていました。いわば出血多量と栄養不足によるショック状態です。1日どころか1時間遅れただけでも、銀行や企業には致命傷になりかねない危機的な状況だったのです。だからこそ私は血管を結紮し、傷口を縫合することを優先しました。栄養失調は確かに問題ですが、すぐさま死ぬわけではありません」
「しかし君の古巣であるドレスナー銀行と、総督府の許可なく取引をすれば、あらぬ疑いをもたれることは、君には想像出来たのではないかね?」
「私の古巣だからこそ、あれだけ巨額の決済を、それも速やかに行うことが出来たのです。目の前で出血を続ける患者を救うために、町に出て外科医を探せという命令だったのなら、話は別ですが。私としては最善を尽くした結果であり、それを疑われるのは心外であります」
旧ベルギーの金融破綻を防いだのは自分1人の功績であるといわんばかりに、シャハト頭取は胸を張った。アメリカ流の合理主義精神は、彼をドイツ流の論理性を追求したための非合理性から遠ざけたようだ。だが同時に彼はアメリカ流の押しの強さも獲得していたらしい。その口調や態度からは、聊かの悔恨も後悔も感じられなかった。
「それを古巣と談合しただの、紙屑同然のベルギー国債で私が私腹を肥やそうとしていただのと、言いがかりも甚だしい。私が決済しなければ、旧ベルギーの国内経済は1917年を迎える前に、1914年段階で石器時代に戻っていたと断言出来ます」
「……正規の手続きを待つ時間的余裕がなかったという、君の言い分は理解した。それでも……確か4億フランだったか。上官の許可なく、君の独断で億を超える決済をしては、解職されるのは当然だと思うのだが?」
「議長閣下。数字は正確に。私が送金の決済をしたのは4億ではなく、5億です」
……開いた口が塞がらないとはこの事だが、その開いた口の中に爆竹を投げ込むような真似をするのが、この男やり方のようだ。シャハト頭取は「政治と同じく、経済は結果が全てであります」と断ってから、1917年以降のベルギー総督府の無惨な失敗と、自らの対応を比較して見せた。
「結果はどうなりましたか?経済の混乱により、旧ベルギー国内のレジスタンス活動は激化。占領政策への協力を取り付けるどころではなくなりました。その結果がベルギー王国の解体であり、フランダース=ワロン連邦王国の建国なのです。ドイツの従属国として再編したというのは、後付の理屈でしかありません」
「大胆な仮説だ」
私は『仮説』の部分に力を込めて、シャハトの顔を見つめた。
ラム少将を含めた総督府の幹部は、旧ベルギーの治安と経済状況の悪化に伴って更迭された。一見するとシャハトの主張は正しいように思えるが、現在の状況から、当時の自分の行動を正当化しているだけのようにも聞こえる。
「後付の理屈とは、誰にとっての理屈なのか」という私の皮肉に対して、シャハトは「私は仮説ではなく、事実を申し上げているのです」と反論した。
「ワロン工業地帯の解体に、ドイツ国内への労働者の強制連行……強制労働といっても、食事や住居、無論働かせる場所はドイツ側が用意しなければなりませんので、これもドイツからの持ち出しです。軍の駐留経費に、解体したベルギー警察に代わる治安維持組織の設立、フラマン人民族自決運動への支援……一体どれほどのマルクが費やされたことか。少なくとも私が決済した5億フラン以上の必要経費が掛かったことは間違いありません」
私はシャハトの振舞いに、出会った事もないドイツ軍の将軍達に深く同情した。たとえ彼の指摘通りに、それが適切な判断であったのだとしても、上意下達に従わなくては組織の規律は保てない。敵地で占領軍を指揮するラム少将からすれば、シャハトを許容出来るわけがない。
ドイツの金融業界は、ベルギー総督府ではなくシャハトの対応を支持した。解任された直後にもかかわらず、中立国である米国の金融機関とのパイプのある彼は引っ張りだこであり、すぐさまドイツ国家銀行頭取に迎えられた。
ドイツ国家銀行は、ベルリンを創業地とする民間銀行である。今はダルムシュタット銀行との合併交渉中であるが、そのダルムシュタットとの関係が深いのがウィーン・ロートシルト家。 ロートシルト家が主導するコンソーシアム(共同事業体)は、ドイツ帝国領邦や二重帝国共同財務省の起債には欠かせない存在だ。ここでルイス氏とシャハトの関係が生じたのだろう。
ならばむしろベルリンのドイツ帝国銀行(中央銀行)か、ブタペストの共同財務大臣に挨拶するべきではないのか。私が抱いた疑問に、シャハト頭取は自分の鞄から取り出した書類を捲りながら答えた。
「本来であればそうするべきなのでしょうが、今回は民族主義者のマジャール人よりも、不穏分子であるイタリア人を補佐官にされる器量をお持ちの閣下であれば、話が通じやすいと判断しました」
「……ここは君の生まれ育った東海岸ではない。率直な物言いが、必ずしも美徳として評価されるとは思わないことだ」
「議長閣下の貴重な御意見と御忠告に、感謝致します」
言下に改める気はないという態度を示した後、シャハト頭取は本題を切り出した。
「合衆国大統領特使のフーヴァー氏が、閣下との会談を希望しておられます」
「フーヴァー特使か」
私はその名前を繰り返した。
1919年のノーベル平和賞受賞者であるハーバート・フーヴァーは、おそらく欧州で最も有名なアメリカ人であろう。
鉱山経営者であった彼は、大戦勃発と同時に欧州大陸の米国人引き上げに関わったが、この時にベルギー国内の窮状を知る。彼は官民で構成されたベルギー救済委員会の委員長に就任。中央同盟や協商陣営と独自に交渉し、救援活動を行った。またロシア内戦やイタリア内戦でも、人道支援活動を指揮。同委員会と、その後継組織が支援したのは、合計で3000万人以上にも上るという。
私はフーヴァーの名前に「道化師」の顔を脳裏に思い浮かべた。1917年以降、欧州諸国にとって米国からの食料輸入枠拡大は食糧供給の生命線であった。二重帝国のイタリア人救援活動を指揮していたデ=ガスペリが、フーヴァー個人との関係や繋がりがあったとしても不思議ではない。
私がシャハト頭取に視線を向けると、彼ではなくルイス氏が口を開く。彼が同席しているということは、彼自身の口から切り出すには政治的であったとしても、その内容には賛同していると判断していいだろう。
「アメリカ経済も表面上は好景気が続いておりますが、フランス政府の一方的なデフォルト宣言と、ジャコバン急進派による資産差し押さえは大きな懸念材料です」
「致命傷になりかねないと」
「即死はしませんが、腹に短刀が突き刺さった状態でしょう。抜けばどうなるか」
書類を捲っていたシャハト頭取が続きを引き取ると、指を折りながらフランス共和国の経済発展を支えた企業名を列挙した。
「パリバ銀行、BNP(パリ国立銀行)、ソシエテ・ジェネラル……名だたる大銀行の中で、アメリカ金融業界と取引のなかったものは存在しません。建材セメントのラファージュ、自動車産業のルノーとプジョー、世界的なタイヤメーカーのミシュラン……小売業界や旅行業界を含めれば、その損失は天文学的です」
敗戦革命により誕生したパリのフランス共和国は、フランス労働総同盟(CGT)が、共和国議会に取って代わった。彼らはこの2年間、ブルジョワジー資本主義への闘争を続けてきた。ドイツへの賠償金を「戦争の責任者であり戦争で設けた資本家に支払わせる」として、大企業の資産や設備の差し押さえを開始。反抗するものは殺害され、パリ市内には「奇妙な果実」が連日吊り下げられた。
結果として、フランスに対する投資や契約を行っていたアメリカ企業は、大きな損害を蒙った。旧協商陣営の政府や企業は、アルジェの亡命政府や、他国に拠点を移したフランス企業との契約を形式的ながらも存続したが、中立国であるアメリカは後回しにされた。
「フランスがアメリカ企業の資産を差し押さえたように、アメリカ政府や企業も、契約不履行への対応措置は講じたはずだ」
「対等であればそうでしょう。しかし実際には借り手の多くがフランスであり、貸し手の大半がアメリカでした。フランス企業の技術や特許を差し押さえたところで、即座に数十万ドル以上にもなろうかという巨額債務を、穴埋め出来るものではありません。それを虎視眈々と買い叩いているのがベルリンです。パリの社会主義者は資本主義体制から離脱したので、アメリカと対立することを恐れていません」
「それはアメリカ人の自業自得ではないか」
私は腹を立てたように-実際に苛立っていたが-呟いた。
「そもそも合衆国政府は、正規の外交ルートを使用しないのだ」
「それは……」
「いや、結構」
それ以上言うなという意味を込めて、私は右手の掌を自分の体の前に出す。
あらゆる交渉と同じく、個人的な人脈や関係が重要になる局面というものは存在する。イタリア内戦におけるデ=ガスぺリのカトリック人脈がそれだ。しかしそれは、あくまで補完的なもの。正規の交渉態勢が整備されているという前提があって、初めて個人的な外交のパイプは役に立つ。
順序や慣例を無視するスタンドプレーを好むやり方は、いかにもアメリカ人らしいが、それでは成功するものも成功しない。私は自分の感情を押さえ込むように足を組むと、私はドイツ人銀行家に詰問するような口調で問い質した。
「シャハト頭取、君はフーヴァー氏とは、どのような関係なのかね」
「ドレスナー銀行時代、1年ほどアメリカに駐在しました。その時の共和党政権の閣僚とは、今も関係があります。今回はヒル元大使を通じて打診がありました」
「共和党?彼は民主党のマカドゥー政権の商務長官であったはずだが」
「フーヴァー氏は共和党員です。民主党は前政権まで政権から遠ざかっていたために、必然的に人材不足です。党派は異なりますが、進歩主義的な改革姿勢では一致しているので、入閣したのでしょう。それに党派は異なっていたとしても、フーヴァー氏ほどの人材を野に置くのは、国家的な損失というもの」
なるほど、マカドゥー大統領の思惑とフーヴァー氏の立ち居地については理解した。しかしそれを理解したからと言って、ハプスブルクの外交責任者である私とは、関係のない話である。
「今更、助けてくれとは虫が良すぎるのではないか」
私は込み上げてきた不快感を、何ら隠すことなく吐き捨てた。
中央同盟と旧協商陣営を問わず、先の大戦の交戦国が、中立を維持した新大陸に向ける視線は冷ややかなものだ。中央同盟陣営がアメリカに対して中立を維持するように働きかけていたのは事実であるが、大西洋を隔てた安全な環境から、道徳的な優位性を誇示しつつ好景気を謳歌したアメリカのやり方が、面白いはずがない。
「……こちらも資産差し押さえに対する対処には苦労している。その我々に、アメリカ人は更なる政治的リスクを背負えというのか?中立国であることを利用して暴利を貪った新大陸のプロテスタントを擁護する義務など、我らにはない」
「相手から差し伸べた手を振り払うほど、貴国には余裕があるのですかな?」
シャハト頭取の物言いに、私は鼻白む。アメリカ人の率直さとドイツ人の言葉の装飾を嫌う気質が合わさると、こうも他人に不快感を与えるものなのか。
その間隙を逃す事無く、シャハトは続けた。
「失礼ながら閣下。欧州大陸における総力戦体制の確立と、通常の産業活動の一時的な停止が、アメリカの経済成長を支えたのは事実でしょう。ですが中立国という国際政治上の環境だけで一方的に利益を叩きだせるほど、多国間の金融活動や貿易は簡単なものではありません」
「アメリカ人が優秀だったとして、それが私とフーヴァー氏との面会に何の関係がある」
「その通りです。そしてフランス国内の米国企業の資産を、一方的に差し押さえられる理由にもならないのです」
「……君は私に、パリの社会主義者に対する被害者の会を作れとでも言う気かね」
今のフランス共和国は、ロシアのボルシェヴィキ政権をモデルとしているというが、レーニンよりも遥かに狡猾だ。社会主義者やジャコバン派、アナーキスト(無政府主義者)、急進自由主義者の寄り合い所帯の結束を固めるため、ドイツという外圧を徹底的に利用している。
彼らは巨額の賠償金支払いを約束することで、ドイツを他の中央同盟や協商国の共闘から外した。自国中心主義のルーデンドルフ体制下のドイツは、自国の権益と補償さえ確保出来るのなら、ハプスブルクやイギリスの代理人として、パリに軍事圧力を掛ける積極的な動機がなくなる。まして、中立国であったアメリカに協力するはずがない。
そして苛立たしい事ではあるが、ドイツの軍事力がなければ、他の国々はフランスに圧力を掛けることすらままならないという現状がある。経済制裁で締め上げようとしても、そもそも資本主義国家との関係を絶とうとしているのだから、彼らの体制強化を手助けするだけになりかねない。
「まったく、CGTは大したものだ」
「銀行家も外交官も人脈の重要性は変わらないでしょう。それに閣下、お会いするだけならタダではありませんか」
「シャハト頭取。この世に無償のものなど、神の愛以外には存在しないのだよ……それに」
私はその続きをシャハト頭取ではなく、ルイス氏を見据えながら発言した。
「私にとってはアメリカ大統領の特使と個別に会うだけでも、政治的にはリスクになる」
確かにホワイトハウスの人選は悪くはない。欧州を飢餓から救ったという名声に加えて、孤立主義的な外交を支持する共和党の党員でもある。パリのロスチャイルド家の当主は、ロンドンやスイスを経て、現在はアメリカ国内に滞在しているという。旧ベルギーを通じて、フランスの金融資本と合衆国政府が連携する余地が生まれたのだろう。
孤立主義外交により、アメリカは国際社会で文字通り孤立しつつある。その現状を打破しようとしている意気込みは伝わった。そして懸念材料があるとしても、現在の米国の経済力は二重帝国にとっても魅力的なのは確かだ。
問題はマカドゥー現大統領、その人にある。
彼は前政権の財務長官であり、民族自決を唱えた前大統領ウッドロー・ウィルソンの娘婿。進歩主義的な考え方の改革派政治家であり、漸次的な改革よりも急進的な改革を望む。ハプスブルクの古い体制との相性は最悪といってもよいだろう。1927年に予定されるアウグスライヒ会合に向けて懸案をひとつずつ処理している最中、私にとっては爆弾を抱え込むようなものだ。
「確かに私は合衆国政府を快く思っていない。だがそれだけのために会談を拒絶するほど、 狭量ではないつもりだ……シャハト頭取があらぬ誤解を受けたように、私もあらぬ誤解を受けることは避けたい」
会う用意はある。しかし正規の外交もおぼつかないアメリカ人に、その政治的なリスクに似合うだけのものを提供出来る、あるいは提案する用意があるのか。
私の問いかけに、ウィーン・ロートシルト家の主は、少しの間考え込むような仕草をした後、胸の前で硬く組んでいた腕を解いた。
「……合衆国政府に対する閣下の複雑な感情は、私も理解します。しかしフーヴァー氏との個人的な関係は、必ずやハプスブルクの利益となることを、私がロートシルトの名において約束いたします。是非とも国際的な市場と金融安定化のために、閣下の御協力をお願いしたいのです」
先ほどまでのシャハト頭取の雄弁さが乗り移ったかのように、ルイス氏は身振り手振りを交えて、雄弁に語る。
「ハプスブルク単独でリスクを背負うべきだとは、私も申し上げません。軍事的にも経済的にも、それは不可能です。ですが多国間の政策協調を主導するのであれば、二重帝国の果たす役割は大きくなります。金融市場の安定こそ、戦後復興の基本となると、私は愚考する次第です」
「ルールを守るものから、主導する側に回れと」
「ナポレオン戦争後の国債体制を主導したのは、決して軍事力でも経済力でも飛びぬけていたわけではないオーストリア帝国でした……畏れながら、多国間による協調外交は、帝室の平和主義精神とも合致する考えかと愚考いたします」
ルイス氏が帝室を取り上げたことで、自然と私の態度は厳しいものとならざるをえない。私は再び足を組みかえて体ごと向き合うと、彼を正面から問い質した。
「それはロートシルト家の復権のための方便ではないと、私に面と向かって断言出来るかね」
ルイス氏は沈黙する。が、直ぐに口を開いた。
「……その考えがまったくないといえば嘘になるでしょう。ですがそれだけではありません。閣下、私には……ロートシルト家には、初代マイアー以来の矜持があります」
視線で続きを促した私に、ルイス氏は続けた。
「銀行家は何も生み出さない。農業や工業の寄生虫であり、むしろ成長を妨げるものだという批判は、古くからあります。キリスト教でもイスラム教でも、それは共通した考えです。無論、私はその考えを支持しませんが……ですが寄生虫にも寄生虫なりの知恵というものがあります」
ルイス氏はそこで言葉を区切ると、私の顔を見据え返した。銀行家というよりも哲学者のような眼差しのまま、彼は振り絞るような口調で続けた。
「大戦末期に流行したスペイン風邪は、新たな感染者がいなくなったことで、その流行が終息しました。殺しすぎたがゆえに、彼らはそれ以上の種としての繁栄を謳歌出来なかったのです」
「優秀な寄生虫は、宿主を殺すことがないと?」
「銀行が何も生み出せないのは、確かに事実なのかもしれません。だからこそ我々は宿主たる資本主義社会と、それを支える細胞である人類や社会の知恵と努力というものに対する敬意を忘れたことはありません。対価に対しては正当な形で報酬を支払う……それがシャイロックと揶揄されながらも、銀行を続けてきたロートシルト家の矜持であります」
その言葉を最後に、ルイス氏は本当に口を閉じた。シャハト頭取は相変わらず書類を捲っており、私達のやり取りには最後まで関心のない態度を崩さなかったが、その口元は硬く結ばれていた。
照明の灯りだけが静かに部屋の中を照らす中、我々はしばらくの間、沈黙を共有した。