南チロルの宮廷道化師   作:神山甚六

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 イタリア人よ!

 1人のイタリア人ガブリエーレ・ダンヌンツィオより、全てのイタリア人に、トリコローレ色の御挨拶を申し上げる。

 イタリア人よ!

 貴方達は知っているはずだ。このトリコローレには、それぞれの色に意味があることを。

 その国土を表す緑、正義と平和の象徴である白、そしてリソルジメントにおいて流された、夥しい愛国者の血の色である赤。

 諸君も1人のイタリア人ならば、このトリコローレを見て感じるものがあるはずだ。

 イタリア人よ!

 我らが祖国イタリアは、大国間の国益や、地域権力者のエゴイズムの犠牲となり、長く分断されてきた。

 愛国者達の赤い血が流され、正義と平和の色である白が踏みにじられ、国土の緑が土足で汚されてきた。

 祖国が統一を取り戻すまで、長い年月と夥しい犠牲が必要であった。

 我らの祖父達は、イタリア統一という崇高なる戦いに身を投じた。誰一人として臆することなく大国からの干渉を撥ね退け、英雄的に戦い、そして死んでいったのだ。

 イタリア人よ!

 我らの祖父達が作り上げた、トリコローレが引き裂かれようとしている!

 統一イタリアが、再び大国と権力者のエゴイズムによって、分断の危機に晒されている!

 自由の敵であるトリノのサンディカリスト政府は、イタリア人から平和とパンを奪い取るだけでは飽き足らず、憎しみと幻想の元凶である社会主義を、イタリア全土に広めようとしている。残忍な政府は、盲目的な主義主張のためには、戦争すら厭わない狂信者だ。今この瞬間も、パリの精神的奴隷である彼らは国民を弾圧し、その血に飢えた牙を、我らの喉元に突きつけようとしている。

 社会主義の価値観をイタリアより重視する彼らに、イタリアを名乗る資格はない。

 イタリア共和国を自称するロンヴァルト=ヴェネトの指導者達。だがイタリアが現在のような状況に陥ったのは、サヴォイアの王家と共に、ドイツとの戦争を支持した彼らブルジョアジーと、自由主義者の責任ではないか!挙句、彼らはハプスブルクの飼犬に成り果てて、国家と民族の誇りを売り飛ばした!

 二重帝国の制服を着用する彼らに、イタリアを名乗る資格はない。

 南部の分離独立主義者は、イタリアを、かつての弱く分裂した時代に引き戻そうとしている。彼らはボルボーネ=シチリア王家やローマ教会の支持者でもなければ、1871年の復讐などという、高貴な考えにより行動したわけではない。彼らは旧体制の既得権を取り戻し、今の自分達の生活を守りたいだけなのだ。北イタリアの現状から目を背け、懐古主義に耽る貴族主義者に、未来があろうはずがない!

 この手紙を読む、貴方に問おう。

 そもそも私達は何者なのか?貴方は何者なのか?

 私たちはハプスブルク臣民とは違う。私たちは彼らのように、因襲に囚われてはいない。

 私たちはプロイセン人とは違う。私たちは彼らのように、戦争に生きがいを感じることはない。

 私たちはフランス人とは違う。私たちは彼らのように、相手を論難し否定せずとも、自分達が何者であるかを知っている。

 私たちはスラブの諸民族とは違う。私たちは彼らのように、目的のためには手段が正当化されるという野蛮な考え方を支持しない。

 私たちは他の何者でもない……ただ1人の、誇り高きイタリア人なのだ!

 我らは自由の意味を知り、それを誰よりも愛するイタリア人である。

 我らは平和の尊さを知り、それを誰よりも希求するイタリア人である。

 我らは変革の可能性を知り、それを誰よりも具現化してきたイタリア人である。

 偉大なローマ帝国が滅亡した後、我らイタリア人の歴史において、戦争と戦乱が絶えたことがなかった。だがそれ故に、我らイタリア人は永遠の闘争の先にあるものは、破滅だけであるということを身をもって知っている。闘争のための闘争は、自殺と変らない愚かな振る舞いであることも。

 それでも私は、諸君に訴えたい。

 目の前の安穏たる平和を、断じて受け入れてはならない!

 私達イタリア人は、戦いを続けなければならない!

 ……何故か?と諸君は問うだろう。今の安穏とした現実を投げ打つ必要がどこにあるのかと疑問に思うだろう。

 それはトリコローレ色のイタリアを、祖国を我らの手に取り戻すためだ!

 私達の父や祖父が、70年前にリソルジメントを成し遂げたイタリア人が渇望したものはなんだったのか。サヴォイア家を擁立したのは、建前に過ぎない。

 我らが求めたもの。それは誰にも侵害されない国家と民族の尊厳と誇りを取り戻し、イタリアの自由と独立を手に入れるための戦いであった!

 独立なくして自由なし!自由なくして平和なし!

 銃による戦いで、イタリアは敗れた。

 しかし、リソルジメントにおける戦いでイタリア人が全欧州に示した、崇高なる精神までは敗れ去ってはいない!

 イタリア人よ!

 汝らに重ねて問う。イタリアは誰のものか?

 パリの、ウィーンの、トリノの、ミラノの、ローマの、ナポリのためのものではない。

 イタリア人よ!

 王党派の、共和派の、自由主義者の、社会主義者の、保守主義者の、帝国主義者のイタリアなど存在しない。

 イタリアはすべてのイタリア人にとってのイタリアなのだ!

 イタリア人よ!

 強く、また雄々しくあれ!貴方達はどこにいようともイタリア人なのだ。恐れてはならないし、おののいてもならない。

 イタリアの数千年の歴史が、私達と共にある!民族の英雄が、我らの祖先と同じ血が、私達の中にも流れている!!

 すべてのイタリア人よ!

 目の前の敵に勝利するためではない。これは崇高なる観念と精神の戦いである。

 自らの自由と誇りのために、戦い続けるのだ!

- ガブリエーレ・ダンヌンツィオの『イタリア独立宣言』 -


ダンヌンツィオのイタリア上空飛行(1923年1月~2月 オーストリア帝国 首都ウィーン)

 故フランツ・フェルディナント皇太子殿下は、王権神授説を信奉する保守派でありながら、二重帝国の再編を目指す改革派という、相反する政治的キャラクターの持ち主であった。その複雑な政治姿勢に影響を与えたのは、肺結核という死病に罹患した経験が大きく影響していると思われる。

 

 そもそもフェルディナンド殿下は、当初からハプスブルクの後継者として望まれていたわけでも、期待されていたわけでもない。1889年。当時のルドルフ皇太子殿下が不名誉な死を遂げ、他の皇族に適格者が存在しなかったために、急遽オーストリア=エステ家(旧モデナ=レッジョ公国君主)の当主だった殿下が後継者に指名された。

 

 そのため国政関係者や貴族にパイプが乏しく、有力貴族や政治家の間では、年若い皇太子を侮る声が聞かれた。そのような環境でも、フェルディナンド殿下は軍務の傍ら、熱心に帝国各地を巡幸。ハプスブルクの継承者としての「売り込み」を計ると同時に、ルドルフ皇太子の側近であった自由主義勢力と対抗するために、保守派の門閥貴族と軍に接近した。

 

 激務による疲労が重なった殿下を、肺結核という病魔が襲う。奇しくも母君であるマリア大公妃(両シチリア国王の娘)が、同じ病によって28歳の若さで逝去されている。病苦を押して軍務を続けていた殿下も、1895年には退役せざるをえなくなった。

 

 宮中は、殿下の健康不安を払拭する事に躍起となった。たびたび報道された殿下の動静と狩猟における成果も、その一環であろう。しかし元々権力基盤が脆弱な殿下にとって、病弱な後継者という風評は致命傷であった。対抗馬を担ぐ動きが出るなど、宮中における殿下の立場は不安定であった。奇しくも最大の対立候補が、実父のカール・ルートヴィヒであったという事実も、殿下を大いに苦悩させた。

 

 1892年。殿下は世界歴訪の旅に出立された。地中海のイタリア領トリエステ、スエズ運河を経由してイギリス領インド、オーストラリアと太平洋島嶼部、オランダ領東インド諸島、サワラク王国、香港、日本(ヤーパン)、太平洋を横断してカナダ、そしてアメリカ。海軍の軍艦と鉄道を乗り継いだ強行軍の日程である。

 

 この1年にも及ぶ長期の海外訪問により、殿下は自らが帝国を継ぐに相応しい気力と体力の持ち主であることを内外に証明された。また、この外遊で多くの異文化と異民族、そして異なる政治体制の国家と向き合った経験が、皇太子殿下の政治的な思想に大きな影響を与えたとされる。すなわち殿下は、新たな連邦制の導入こそが、ハプスブルクの存続に必要であるという結末に至った。

 

 いわゆる「ドナウ連邦」構想である。

 

 1919年のバーデン勅令の土台となったハンガリー王冠領解体による二重帝国の再編構想は、こうして殿下の中で具体的な政治構想となったとされる。皇太子殿下が亡くなられた今となっては、確かめるすべもない。かといって皇太子殿下が、帝国内部の少数民族に同情的だったわけではないし、自由主義的な改革派だったわけでもない。それは保守派の雄たるテッシェン大公と親しかったことからも裏づけられる。

 

 ボヘミア系貴族の令嬢と貴賎結婚したことで、スラブ民族には同情的であったが、その他の民族の権利拡大には、一般的な保守派門閥貴族と同じく否定的であった。ハンガリー王国のマジャール化政策に批判的だったのも、帝室の権威を利用するかのようなハンガリー政府の姿勢が気に入らなかったという点が大きいのだろう。

 

 特にリソルジメントに呼応するかのような姿勢を見せたイタリア系に対する視線は、一般的な二重帝国の貴族同様に厳しかった。殿下は肺結核を南チロルの保養地で静養したことで心身の健康を取り戻したにもかかわらず、マジャール人と同程度にイタリア人を嫌っていたとされる。

 

 皇太子殿下はイギリス嫌いであり、私のことも「あのイギリス人」と読んで嫌っておられた。皇太子殿下が存命であれば、少なくとも親英派の私やデ=ガスペリの出番はなかっただろう。もっともそれを言うのならば、サラエボ事件さえなければ、私は今でも駐英大使としてロンドンにあり、「道化師」はトレンティーノ人民党の幹部として帝国議会で弁を振るっていたかもしれないが。

 

 そこまで考えをめぐらせてから、私は自分自身の発想の飛躍-空想といってもよいそれに苦笑する。ベトヒトルト伯爵は辞任後、「もう戦争の事など聞きたくない」と領地に籠ってしまったというが、この様ではあの男の事を笑えないではないか。

 

 私は自身を戒めると、自らの視線と意識を「アズマヤ」と呼ばれる木と竹で編みこむように出来た小屋の中から、「カレサンスイ」という名前の岩と石が織り成す幻想的な芸術へと集中させた。

 

 亡き皇太子殿下は、海外歴訪中の1893年に日本を訪問。1ヶ月に及ぶ滞在記録を手記にまとめられたが、この手記は滞在中に収集された数万点もの美術品や工芸品と共に、ハプスブルクにおける日本研究の濫觴となった。

 

 ここシェーンブルン宮殿内の日本庭園も、フェルディナンド殿下の遺産のひとつである。殿下が日本滞在中の記憶を頼りに庭師に作らせたという日本庭園は、先の大戦により日本と二重帝国が敵国同士となった後も……グレイ外相が「文明の光が永遠に消え去っていく」と予言した総力戦の中でも維持された。

 

 大戦を通じて両国が直接的に戦火を交えなかった事も、大きな要因なのだろう。だが狂気と劇場が渦巻いたあの時代に、平時と変わらぬ光景が維持された。この事実だけでも、私は救われたような気分になるのだ。

 

 いくつかの岩と、無数の小石と砂で表現された川や滝。「カレサンスイ」は狭い日本の狭い庭園において、限られた空間を最大限に活用するために生み出されたという表現方法だという。

 

 静寂の中に動があり、動の中に静寂がある。矛盾しながらも対立せず、それでいて凡俗や柔弱には流れない。張り詰めた糸のような。程よい緊張感に満ちた空間。耳を澄ませば、今にも流れる水音が聞こえて来るかのようだ。

 

「閣下、パラヴィチーニ大使(駐オスマン大使)より急報です」

 

 ……聞こえてきたのは、チェコ人秘書官の暗く焦った声であった。

 

 どこか泣き顔に見える、幸薄そうな表情が特徴的なヤン・マサリクの陰鬱な声が後ろから投げかけられ、私はオリエントの幽玄な「ワサビ」なる世界から、現実へと引き戻された。

 

「大宰相代理のアフメト・ジェマル・パシャ海軍大臣が」

「とうとう政権が崩壊したか」

 

 「よく持ったというべきか」と、私は独語した。去年の11月に大宰相のメフメト・タラート・パシャがロシアに亡命したのが11月16日。今日が1月20日なので、約2ヶ月近く政権が続いた事になる。

 

 とにかくこれで「統一と進歩委員会」の、1913年のクーデター以来続いてきたトロイカ体制(タラート大宰相、エンヴィル陸相、ジェマル海相)は完全に崩壊した。

 

 いわゆるトロイカ体制の中で、彼が最後まで政権の座にとどまれたのは、彼がオスマン帝室と婚姻関係にあったからだろう。「事実上の高等弁務官」「ドイツのオスマン総督」と呼ばれるオスマン軍参謀総長のザンデルス元帥(ドイツ陸軍元帥)が、政治的中立を保つ中、後ろ盾もないのに2ヶ月も政権を維持したことを褒めるべきなのか、政局を後戻りできない段階まで混乱させた事と批判するべきなのか。

 

 3人が失脚した今、「統一と進歩委員会」の内部における主導権争いが激化する事は必須。ひょっとすると委員会そのものが崩壊するかもしれない。彼らの戦争指導に批判が多かったのは事実だが、彼ら以上に政治的経験と決断力の両方を兼ね備えた人材は、今のオスマン政界には見当たらないのも事実だ。もっとも現地のパラヴィチーニ大使には別の見解があるかもしれないが。

 

 軍部に官僚、都市部と地方、中央集権派と地方分権派、アラブやクルドの独立を目指す民族主義者、保守派に改革派、反体制派に共和派……今のハーレムで遊びほうけるスルタンに当事者能力があるとみなすものは少ない。次にドイツの支持を得て主導権を握るのは誰なのか。

 

「……オリエントの庭園で思索という名前の逃避に耽る私に、スルタンを批判する資格はないか」

「は?閣下、今なんと?」

「いや、独り言だ」

 

 オスマン帝国の政情はバルカン半島の安定に直結する。ブルガリア問題をこれ以上複雑化させないためにも、慎重に対処する必要がある。私は振り返ると、この勇敢な元海軍士官の顔を見ながら命じた。

 

「第1部長と第2部長を大臣室に呼べ。善後策を協議する」

「閣下。その……ジェマル海相なのですが。パラヴィチーニ大使は至急、政府としての対応を決定してほしいと」

「対応?対応というのは……」

 

 勇敢な海軍軍人であったという秘書官の、喉に物が引っかかったような態度に首を傾げつつ、私は直ぐにその理由に思い当たった。

 

 そういえば私はジェマル海相の亡命先を、彼から聞いていなかった。

 

 ロシアか、ドイツか、イギリスか、スイスか。思い当たる候補先はいくつかあるが、そのどれでも何らかの対処をしなければならない。

 

「すまない。ところで、海軍大臣はどこに亡命したのだ」

 

 私に促されたマサリクは、意を決したように唾を飲み込む音を響かせてから続けた。

 

「コンスタンティノープルの大使館です」

「だから、どこの大使館だ」

「我が国の、大使館公邸です」

 

 思わず黙り込んだ私に、ヤン・マサリクは出征兵士の戦死を遺族に伝える軍の人事担当者のような口調で続けた。

 

「ジェマル海相が家族と共に駆け込み、政治亡命を求めております。現在、大使館の周辺は国家憲兵隊(ジャンダルマ)の治安部隊が取り囲んでおり、人の出入りが出来ないとのことです」

「……マサリク君。話や物事の順序というのは確かに大切だ。それを踏まえた上で、次から緊急の報告の場合については結論から述べるように」

 

 親子ほども年の離れた私からの皮肉交じりの叱責に、このシャイなチェコ人は、はにかみながら頷いた。

 

 

 二重(あるいは三重)帝国外務省は、省内の行政事務を担当する第1部と、政治部門を担当する第2部に分けられる。これに加えて情報証拠局(エヴィデンスブロー)と呼ばれる諜報機関を傘下としていたが、先の欧州大戦開戦と同時に、情報証拠局は陸軍省へと管轄権が正式に移管された。

 

 つまり、それまでは人員の殆どが二重帝国軍からの出向だったにも関わらず、外務省が諜報部門を統轄していた。逆に言えば、それだけ外務省の平時における権限が大きかったということだ。

 

 つまり実際にそれが可能な政治状況であるかどうかは別として、私がその気になれば、共通閣僚評議会議長の共通外務大臣という職は、平時の外交安全保障政策で、独裁的な権限を振るう事が可能ということになる。1914年7月危機のベルヒトルト外相が、独断で最後通牒をセルビア政府に突きつけるまで暴走したように。

 

 とはいえ1914年7月危機の収拾に外務省が失敗したのは事実であり、限定戦争が全面戦争になったのは外務省の責任である。外務省の権限見直し声が出ても良さそうなものだが、その本命である陸軍省は「レードル事件」(1913年)という古傷に未だに悩まされている。

 

 語学と諜報のプロとして太鼓判を押して送り込んだレードル大佐が、私的な事情を理由に脅迫され、ロシア帝国の二重スパイとなり一級の軍事機密(それもロシアに対する作戦計画!)を流出。挙句、ヘッツエンドルフ参謀総長ら軍の高官は、自体発覚と同時にレードルに自殺を共用してもみ消そうとしたが、レードルの自殺後に新聞にすっぱ抜かれるた……というのが「レードル事件」のあらましだ。

 

 予告からエンドロールまで、どこをどうひっくり返してみても擁護の仕様がない失態と醜態である。大戦勃発により責任追及は有耶無耶になったが、諜報部門の体制建て直しが急務である事に変わりはない。

 

 そして1917年に隠蔽に関わった上層部が更迭され、満を持して情報証拠局長に就任したのが、マクシリミリアン・ロンジ大佐であった。

 

 レードル大佐が言語屋の管理者タイプならば、ロンジ大佐は根っからの現場一筋の治安畑。そして前任者であるレードル大佐の不正をいち早く察知し、それを摘発した張本人でもある。反帝室、反革命の不穏分子を摘発する猟犬として、革命派や民族主義者から蛇蝎のごとく嫌われると同時に、悪魔のように恐れられる人物だ。

 

 当然ながら、高名なチェコ民族派の指導者を父に持つヤン・マサリクとの相性は最悪である。

 

「……」

 

 さすがに先の大戦で海軍軍人としてアドリア海や地中海を戦い抜いただけのことはあり、マサリク秘書官は怯懦とは程遠い性格であったようだ。普段の陰鬱な雰囲気は何処かに消え、眼光鋭くロンジ大佐を見据えている。

 

 ロンジ大佐は顔色一つ変えず、この若いチェコ人の視線を受け流している。第1部長(行政事務担当)のオスヨ伯爵、第2部長(政治担当)のジュリアス男爵は、普段の冷ややかで事務的な関係を忘れたかのように、互いの顔を見合わせた。

 

 が、直ぐに熟したザクロが弾けるように、互いの顔を背けた。子供ではないのだ。少しは取り繕うという事を覚えたらどうなのだ?

 

「……ではパラヴィチーニ大使に対する訓令は下記の通りに。バルカン半島情勢に関しては以上となります。次に、こちらが例の……イタリア半島各地でばら撒かれた、ビラの文面です」

 

 いつもと代わらないのは、会議の司会進行を務めるこの男だけかもしれない。私は補佐官である「道化師」が書類を配るのを観察していた。

 

 それなりの給料を出しているにもかかわらず、この男の身なりは酷くだらしない。薄汚いのではなく、ただひたすらに貧乏臭いのだ。オーダーメイドのスーツを着ても、中古の古着を着ているかのように見えるのは、この男ぐらいのものだ。

 

 清貧と貧乏を、貧乏と貧乏臭いを履き違えている疑いが残るデ=ガスペリは、ビラが配布された地域の名前を数え上げていく。

 

「両シチリア王国、サルデーニャ=ピエモンテ王国、イタリア社会主義共和国、ロンバ……実情に即して呼びますが、イタリア共和国。そしてオーストリア帝冠領、ティロル伯爵領内」

「御丁寧に、民族統一派が『未回収のイタリア』と呼称する、フィウーメやダルマツィアといったアドリア海沿岸の地域にもばら撒いている。イタリア語が読めるかどうか疑わしい地域にもばら撒くとは、熱心な事ですな」

 

 ロンジ大佐が皮肉気な調子で続ける。陰気と陰鬱は似て非なるものだ。前者は悲観主義者によくある湿っぽい思考だが、後者には狂信的な情熱と、独特の利己主義(本人曰く合理的思考)が根底に流れている。治安屋のロンジ大佐は、万人が後者に属する人種と認めるであろう。

 

 1922年。イタリア連邦評議会が提案し、オーストリア帝国とイタリア共和国(ミラノ)、両シチリア王国が共同出資したミラノ航空が設立された。トスカーナ大公は設立会見で「旧大戦からの復興と和解、アドリア海沿岸諸国の人的・経済連携を強化」する事を目標として掲げ、ツェペリン飛行船会社から新型の大型飛行船を20機以上チャーターするなど、意欲的な経営計画を発表した。

 

 そして共同会見で語られなかったものの、ミラノ航空関係者や経済界にとっては暗黙の諒解事項が存在する。

 

 それは、主要都市を結ぶ定期空路便を早期に運航することで、アドリア海をかつてのヴェネチアが如く、ハプスブルクの内海とすることだ。

 

 飛行船の護衛役として、会社には旧イタリア王国空軍機の複葉機が払い下げられた。当然ながら旧イタリア王国製であるため、二重帝国では操縦ノウハウに乏しい。戦後和解を強調する狙いから、旧イタリア王国軍人が採用されるのは自然な流れであった。

 

 今回の犯人であるガブリエーレ・ダンヌンツィオこと、ガエターノ・ラパニェッタも、その中で採用されたパイロットの1人である。

 

 ガブリエーレ・ダンヌンツィオは元イタリア王国下院議員で空軍軍人だが、詩人にして作家、劇作家としての名声で欧州各国で広く知られている。先の大戦では51歳という高齢ながら戦闘機パイロットとして志願。中央同盟諸国と戦ったという、誰もが認める「愛国者」。

 

 そしてミラノ航空は「戦後和解」の象徴として、この60歳の老人とパイロット契約を結んだ。

 

 2月1日。ウィーンとナポリの定期便の試験飛行を目的に飛び立った旧イタリア空軍の機体はコースを大きく外れ、「何故か予定よりも多く積んであった燃料」を使い「何処かで定期的に補給を受け」ながら、イタリア半島各地に、統一イタリアの回復を求めるトリコローレ色の政治ビラをばら撒いた。

 

 ロンジ大佐は、やおら懐から背表紙の着いた本を取り出す。背表紙のタイトルには、イタリア語で『君主論』と書かれていた。

 

「『最近に与えた恩恵によって、以前の怨念が消えると思うならば、取り返しのつかない誤りを犯す』。流石は同じイタリア人だけあって、マキャベリの見る目は正確ですな」

 

 常日頃、必要とあれば皇族に対する批判や追及も厭わないのが治安屋としての矜持であると嘯くロンジ大佐は、言葉通りにトスカーナ大公とイタリア連邦評議会の宥和政策の誤りを批判して見せる。そして出席者が何か反応を示すよりも前に、発言を続けた。

 

「これがただの国粋主義者の老人の戯言ならば、誰も耳を傾けません。ですがこの老人は実際に戦場で戦った経験がある……空の上から地獄を見下ろしていただけで、あの塹壕戦を経験していないとはいえ、その差は大きい」

 

 ロンジ大佐が淡々とした口調で指摘すると、オスヨ伯爵は「これは政治テロです!」と、いささか思考と感情が先走った声で声をあげる。

 

「ミラノ航空内部と外部にも大掛かりな協力者がいるに間違いありませんぞ、ロンジ大佐!」

「すでに取り調べを開始している」

 

 ロンジ大佐は短く、しかしはっきりとした口調で答えると、すぐさま動揺する外務官僚に切り替えした。

 

「帝国領内のイタリア系民族統一主義派団体にも、捜査をする予定だ」

 

 ロンジ大佐の視線が「道化師」に向けられたが、この男も面の皮の厚さでは大佐と良い勝負である。補佐官が何の反応も示さない事に、大佐は一瞬だけつまらなそうな表情を浮かべたが、そのまま本題へと移った。

 

「問題は、この声明文が旧イタリア王国の人心に与える影響にあると考える。外務省としては、どのように分析しているのか」

「両シチリア王国は選挙を終えたばかり。リソルジメントは、南イタリアにとっては侵略行為であり、旧サヴォイア王家への反感や、大戦中も実際に戦場とならなかったことから、さほどの反応は見られない。しかし退役軍人の一部からは支持する声が出ている」

 

 むしろ質問したロンジ大佐をせっつく様に答えるオスヨ伯爵に、ジュリアス男爵が「ローマやミラノは?」と尋ねた。

 

「現在のイタリア共和国の暫定議会は、旧イタリア王国議会の議席を引き継いだもの。正統性としても体制としても脆弱であり、選挙を実施する目処も立っていない。しかしイタリア王国の正当な継承国家であるとする政権内部では、両シチリア王国議会選挙は憲法違反の違法行為だとする声も」

「敗戦国でありながら、ずいぶんと悠長な事だ」

「ジュリアス男爵。あなたはそう仰るが、彼らからすれば自分達が社会主義者とポー川を挟んでにらみ合っているからこそ、南の治安が保たれているという考えなのだ」

 

 オスヨ伯爵は頭を左手で掻きまわしながら続けた。

 

「イタリア内戦において社会主義政権にあれだけの支持が集まったのも、ハプスブルク……というよりも、オーストリア帝国がイタリアを分割する……積極的にリソルジメントを否定する意向であると受け取られたからだ。オーストリアの半島における同盟国として、イタリア共和国の存在は無視出来ない」

「それは両シチリアも教皇領も同じ事だ……現状をどのように認識して解釈しようとも彼らの自由だが、この期に及んで空理空論に耽るとは。評価するのも憚られるな」

 

 ジュリアス男爵の率直な物言いには、相手を慮るという感情が決定的に欠けているが、今の伯爵に対する物言いは、常日頃のそれよりも激しかった。外務省内におけるベルヒトルト外交のもっとも強烈な弾劾者であったのがジュリアス男爵であり、それは同時に7月危機当時に外務省官房室でベルヒトルト外相を支えていたオスヨ伯爵への厳しい批判となってあらわれる傾向があった。

 

 それでなくとも、ハンガリー貴族のオスヨと、古いスコットランド系銀行家の家系でスイス出身の叩き上げ外交官ジュリアスとでは、相性がよいはずがない。それでもこの両者を使わねばならないのが、今の私の立場だ。マジャール貴族と外務省本流を敵に回せば省内は機能しないし、反ベルヒトルト派を使わなければ、私の手足が存在しない。

 

 ロンジ大佐に見習ってマキャベリ流で例えるならば、「突然地位を得た人物は、まず何を差し置いても土台を固めろ」というところだろうか。考えてみれば故フェルディナンド皇太子殿下も、突如として後継者指名を受けて以来、20年近く足場を固める為に費やされ、その成果を出される前に非業の死を遂げられた。

 

 せめて私の手で、アウグスライヒの筋道だけでもつけたいものだ。

 

 内心溜息を吐きつつ、私は口を開いた。

 

「その老人は……私とそう年齢の変わらぬ御仁を老人と呼ぶのは聊か気が引けるが、ガブリエーレ・ダンヌンツィオは、ウィーン警察が身柄を確保している。ロンジ大佐、これに間違いはないか」

「ウィーンの空港に降り立った所を、現地警察が確保しました」

「ならば後は、司法当局と入国管理局の問題だ」

 

 「外務省本省としてはこれ以上タッチしない」と私が両手を顔の横に上げる仕草をすると、会議室にいた全員の視線が私に集まった。

 

 何かにつけ黙ってはいられない気質のジュリアス男爵が、早速噛み付いた。

 

「閣下、ガブリエーレ・ダンヌンツィオが居住していると主張するキエーティ県のペスカーラは、イタリア社会主義共和国と両シチリア王国の、事実上の停戦ラインに近い地域です。そしてイタリア共和国同様、トリノの社会主義政権は、両シチリア王国議会選挙を不法だとしています」

 

 独立国家の基本的な3つの要素は、排他的な領土と一時的な政治状況に左右されない不可分の国民、そしてそれらの統治を裏付ける正統な権力(武力による担保)だ。

 

 イタリア王国崩壊後、その旧領は4分割(サルデーニャ島も含めれば5分割)され、統治する権力(政府)も4分割された。イタリア社会主義共和国とサルデーニャ島をのぞく3カ国は、イタリア連邦という緩やかな連合体を形成し、旧イタリア王国の継承国家である事を内外に強調しているが、実際には実行支配する領土を相互に承認しているに過ぎない。

 

 ガブリエーレ・ダンヌンツィオは拘留されてから、一貫して自らを「イタリア国民である」と主張し続け、イタリア共和国へもイタリア社会主義共和国へも、教皇領へも両シチリア王国へも、サルデーニャ=ピエモンテ王国へも、あるいはイタリア連邦加盟国の名ばかりの独立国家への帰属も拒否している。

 

 彼の出生地からすれば両シチリア王国だが、居住していたのはミラノとローマ。両シチリア王国の国民と認めれば後者が反発するし、イタリア王国の正統な後継者を自認するイタリア社会主義共和国も黙ってはいないだろう。黙認する事もありえない。黙認してしまえば自分達が主張する国家としての正統性を著しく棄損することになりかねないからだ。

 

 ジュリアス男爵が懸念している通り、そしてオスヨ伯爵の喝破した様に、これは政治的なテロリズムなのだ。ダンヌンツィオは、アンデルセンの童話の如く「王様は裸だ」と、イタリア半島の欺瞞に満ちた状況を弾劾することで、イタリア半島を強制的に揺さぶろうとしている。その点を見誤れば、手痛い失敗をする事になるだろう。

 

 オスヨ伯爵が、あからさまに困惑の表情を浮かべて続ける。

 

「イタリア連邦評議会では。両シチリアとイタリア共和国の代表が議会選挙の正統性を巡って激しく対立しています。自国民の保護は主権国家の大原則。両シチリア王国がラパニエッタを自国民だと主張すれば、再び武力介入の口実となりかねません。ドイツと国際社会の意識がダンケルクに集まっている状況を好機とみなし、内戦再開を決意する可能性もありますが」

 

 外務省主流派に属するオスヨ伯爵としては、これ以上のイタリア問題での厄介ごとは御免だという認識なのだろう。国際協調と事なかれ主義は、似て非なるものだ。ベルヒトルト時代の反動からか、どうにも外務省主流派は、確固たる姿勢を示すことにも及び腰だ。

 

 ……最も、彼らとしても言い分はある。いざとなれば刀を抜くぞと脅かした所で、二重帝国軍の実力は、すでに先の大戦で内外に知られてしまっている。ドイツ軍の助力がなければ、7年間戦い続ける事は出来なかった。

 

 そしてもっとも大きな問題は、追及するべき「国益」とは何かという問題だ。

 

 「ハプスブルク臣民」の国益なるものは存在しない。オーストリアの国益はハンガリーの国益と相反しかねず、その逆もありえる。「クロアチア王国」や、領邦内部の諸民族などの要素まで考えれば、もはや外交ではなく内政の課題だ。

 

 そして、こちらの利益を最大化して相手に要求する場合、この国内問題と向き合わざるを得ない。

 

 ハンガリー王国自治領のクロアチア王国の出身たるオスヨ伯爵からすれば、簡単に判断が下せる問題ではなかろう。全ての民族と臣民は帝室の為に忠誠を尽くすという原則に忠実に従うにしても、ハンガリーの国益と、帝室の存在がぶつかる様な事態が発生した場合はどうすればよいのか?

 

 ……故フェルディナンド殿下が「ドナウ連邦」構想を唱えられた気持ちが、今の自分には理解出来る。そして理解出来るからこそ、それがどれほど現実離れした理想かということも嫌というほど思い知らされるのだ。

 

 だからこそ私は、あくまで足場の土台を踏み固めるべきなのだ。

 

「まず両シチリアに関しては、一切の問題はない」

 

 そう告げた私が「道化師」に視線を向けると、会議室にいた出席者全員が得心したように、それぞれの反応を示した。オスヨ伯爵にいたっては、背中に背負っていた荷物が降りたかのように肩を上げて見せた。

 

 デ=ガスペリのカトリック人脈のハプスブルク外交への貢献は、凡庸な外交官の働きに勝るものがある。潜在的な不穏分子でありながら、積み重ねてきた実績は信頼となり、このイタリア人補佐官の政治資産となっている。それが回り巡って私の求心力にも繋がる。

 

「そもそもダンヌンツィオは、ミラノ航空との契約に両シチリア国籍という事で登録しているが、実際には選択移行期間を経ても、登録手続きをしていない。つまり、かの老人は無国籍状態である」

「……仮にイタリア共和国から引き渡し請求が来たとしても、協議に応じる必要すらないと?」

 

 珍しく眉を寄せるロンジ大佐に、私は「妙な勘繰りをしないでもらいたい」と、右手をひらひらと振った。

 

「あくまで人道的な理由によるものだ。無国籍の老人を他国に引き渡すわけにもいかないからな……老人が国籍を選択するのなら、話は別だが」

 

 イタリア連邦の首都であるミラノ、あるいはローマか両シチリアのどこかに強行着陸されていれば、打つ手はなかったかもしれない。そうなればイタリア連邦加盟国における2国間問題、あるいは多国間の問題となり、ウィーンが調停に乗り出した所で「内政干渉」との批判を浴びるだけだ。

 

 だが老人は、自らの決断でウィーンに降り立った。イタリア半島を分断させている、最大の要因はハプスブルクであるという認識から出た決断だったのだろう。

 

 確かにその認識はある程度は正しい。あるいは未回収のイタリアにおける住民の決起や、二重帝国軍の介入も阻止出来ると考えたのか。自分の身柄の取り扱いを巡って、ウィーンとイタリア連邦加盟国の亀裂が生じる事は必須。仮に殺害でもされれば、再度のリソルジメントで国民感情は燃え上がる。その時に自分は、第2次リソルジメントの英雄となれる……

 

 聊か誇大妄想染みてはいるが、この程度のことは考えていてもおかしくはない老人だ。

 

 だからこそ「何もしない」。

 

 国際問題に発展させたい老人の思惑を否定し、単なる不法入国者として取り扱う。

 

 老人が旧イタリアの国籍にこだわり「現実」を認めないというのならば、それでも構わない。何時までもウィーン警察の客人として快適な生活を過ごしてもらうだけのことだ。食費と光熱水費、それと家賃で危険分子が飼い殺しに出来るのなら、これほど安い買い物はない。

 

 「現実」を認め、いずれかの国家の国籍取得の意向を明らかにすれば、その国家との引き渡し協議には応じよう。だがそれは老人自身の政治的な信念に相反する裏切り行為だ。

 

「あの名文家がすばらしい脚本を書いたからといって、我々が老人の脚本通りに話し合い、振り付け通りに踊る必要などない」

 

 自由と独立には、自分の行動に対する責任が伴うものだ。

 

 イタリア王国は三国同盟の廃棄と協商陣営での参戦という政治決断を、自由かつ独立した意思で下した。その結果、敗戦という責任を背負わされたのだ。そして新しいイタリア半島秩序の中で、もっとも脆弱な要であると判断したウィーンに降り立つ決断をしたのは、老人自身である。

 

「ならば自由な独立した個人として行動した事への、責任を果たしてもらおう」

 

 この時の私は、自分にそれが降りかかろうとは、予想だにしていなかった。

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