南チロルの宮廷道化師   作:神山甚六

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「余はドイツのカリフでもなければ、イギリスのスルタンでもない。余は全てのオスマン人の皇帝であることを、今ここに、改めて宣言する。余の傍には双頭の鷲と、獅子とユニコーンの紋章が施された2本の剣がある。余はベルリンの良きパートナーであると同時に、ロンドンの古い友人でもある。余はただ1人のオスマン皇帝である」

(写真)

 4・30政変直後、ドルマバフチェ宮殿の皇帝門に詰めかけた群衆に演説するメフメト6世(写真中央)。右隣が、オスマン帝国軍総司令官に就任したザンデルス陸軍元帥(ドイツ)。左隣がホレス・ランホールド駐在オスマン大使(イギリス)。双頭の鷲はホーエンツォレルン家の、獅子とユニコーンはウィンザー家の紋章である。

諸民族の統一(イッディハード・アナースル)

 アブデュルハミト2世(在位1876-1909)による、上からの改革が失敗ししたオスマン帝国では、停止されていた憲法が復活し、議会が再開された。メフメト5世(在位1909-18)の下で国政を主導したのは、パリとサロニカ(ギリシャ領)で活動していた、反アブデュルハミト2世派を起源とする「統一と進歩委員会」である。

 進歩と統一委員会は、フランス流の統治機構改革を志向しつつ、軍事面ではドイツ帝国に依存していた。しかし瀕死の病人と呼ばれる帝国内部では、その将来像をめぐり、パン・トルコ主義と諸民族の統一(イッディハード・アナースル)の路線対立が生じていた。

【バルカン戦争の衝撃と、パン・トルコ主義の台頭】

 多民族国家であるオスマン帝国にとって、領域内に居住する全ての民族と、宗教の平等と共存を目指す諸民族の統一(イッディハード・アナースル)は、単なる政治スローガンに留まらず、海外勢力からの干渉と侵略に対抗するための理論武装でもあった。

 この諸民族の統一(イッディハード・アナースル)を真っ向から否定したのが、1900年代まで続いたバルカン半島における独立戦争と、第1次バルカン戦争(1911)である。民族自決を掲げた独立勢力に、帝国軍は各地で敗退を続け、東トラキアを除くバルカン半島から駆逐された。ロシア人の支持を受けるセルビア人はもとより、ルーマニア人もブルガリア人も、何より同じスンニ派ムスリムであるアルバニア人が独立を支持したことは、進歩と統一委員会に衝撃を与えた。

 1913年の軍事クーデターで政権を掌握した3人のパシャ。すなわち大宰相タラート、海軍大臣のジェマル、陸軍大臣のエンヴェルは、これまでの諸民族の統一(イッディハード・アナースル)の継続は不可能だと判断。新たにパン・トルコ主義-すなわち最大民族のトルコ人を中心とした、オスマン帝国の「オスマン・トルコ化」こそが体制改革に必要であると考えるに至った。

 つまり帝国少数民族の多数派への同化政策を強化することで、帝国の純化路線を強化し、一体性を保とうというものである。進歩と統一委員会の源流であるパリ・グループの、大革命以来のフランスの文教政策の影響が見られる。

 閣内においてパン・トルコ主義を熱心に主張していたのは、陸軍大臣エンヴェル・パシャである。彼は欧州大戦においけるカフカス戦線の最初の指揮官であり、帝国全体では少数派の、さらにキリスト教徒の中でも少数派のアルメニア人を「危険分子」として認定。首都や占領地から、シリアの砂漠地帯に強制追放。移送中の劣悪な環境により、多くの犠牲者が出た(アルメニア人虐殺問題)。

 国際世論からのアルメニア人問題への批判の高まりは、3人のパシャが失脚する原因となった。1917年のロシア革命によるカフカス戦線の消失と、ドイツ軍の軍事支援により、戦争には勝利したものの、保守派の中では諸民族の統一(イッディハード・アナースル)を支持する声は根強く、トルコ系の間からも戦争指導への疑念が噴出した。1918年にメフメト5世が死去し、弟のメフメト6世が即位すると、政権への風当たりは強まった。

【4・30政変】

 1923年1月にジェマル海軍大臣が失脚し、オーストリア=ハンガリー帝国大使館内に亡命した後、メフメト6世は野党の自由連合党の党首ダマット・フェリッド・パシャを大宰相に任命。組閣を命じた。ボスニア出身の外交官であり、オスマン帝国屈指の親英派リベラリストとして知られるダマットは、すでに70歳という高齢であった。

 オスマン帝国軍総参謀長であり「事実上の高等弁務官」と呼ばれたドイツ軍のオットー・リーマン・フォン・ザンデルス元帥と、帝国議会多数派の旧進歩と統一委員会勢力は、親英派の元外交官の組閣を認めた。帝国議会の全275議席中、自由連合党の議席は10議席前後。旧進歩と統一委員会系の勢力は、依然として9割以上の議席を占めており、内政外交共に、大きな路線変更は困難であると考えたためだ。

 ザンデルス元帥と帝国議会の予想は、大きく裏切られた。

 1923年4月30日。メフメト6世はダマット大宰相の上奏に従い、オスマン帝国軍参謀総長ザンデルス元帥を、オスマン帝国軍総司令官に任命。参謀総長の後任に、勤皇派として知られる外相のアーメド・イゼット・パシャ陸軍元帥を指名した。同日、二重帝国大使館を包囲していた国家憲兵隊(ジャンダルマ)の治安部隊は、大宰相府の支持に従い、イスタンブール市内の帝国議会と中央庁舎における一斉検挙を開始。汚職疑惑により、多数の議員や政府、軍の高官を検挙した(4・30政変)

 ダマット大宰相は、就任当初から進歩と統一委員会勢力の影響力を、国政から一掃する機会をうかがっていた。老宰相はアリ・ケマル内務大臣やルザ・テフフィク・ベリュクバシュ上院議長などの自由連合党の急進派をおさえつつ、軍部や国家憲兵隊(ジャンダルマ)、中央省庁幹部から、クーデターへの支持を取り付けることに成功した。

 パン・トルコ主義を「共和制革命の排他的な民族思想」として嫌う皇帝メフメト6世は、4月30日政変に対する明確な支持を表明。一連の政変により、イスタンブール市内は混乱したが、皇帝が支持を表明したことで、事態は沈静化へと向かった。逮捕、あるいは拘束された高官の多くは、旧進歩と統一委員会に所属していた親ドイツ派が中心であった。その中にはガリポリの英雄であるムスタファ・ケマル将軍も含まれていた(すぐに釈放される)。

 同時にメフメト6世とダマット大宰相は、この政変の目的は、あくまでも統一と進歩委員会の影響力を排除することにあり、反ドイツではないことを繰り返し強調した。欧州大戦への参戦に最後まで反対していたダマットは、もはやドイツの軍事力と経済力の支援がなければ、オスマン帝国が国家として立ち行かないことを理解していた。

 ドイツのアルトゥール・ツィンメルマン外相とルーデンドルフ参謀総長は、ダンケルク問題をめぐり対立を深めていたが、中東情勢よりも欧州問題を重視する点では一致していた。名目上とはいえ、ザンデルス元帥がオスマン帝国軍総司令官に就任したこともあり、ドイツはクーデターを黙認した。イギリスのカーゾン外相は、連合王国の古い友人の決定を当然ながら歓迎した。

 オスマン帝国臣民の多くは、旧統一と進歩委員会の大戦への参戦が、現在の経済危機や社会的混乱の原因であると考えており、この政変を支持した。両大国からの承認と、国民の支持を得たことで、ダマット大宰相は権力基盤を確立。オスマン債務管理局との、債務再編交渉に着手した。

 二重帝国大使館内に逃亡していたジェマル元海軍大臣とその一家は、帝室と縁戚関係にあることが考慮され、イギリスの仲介によりオーストリア帝国への政治亡命が認められた。

- 『第1次世界大戦後のオスマン帝国』(民明社会主義研究会編(1955年)-


パシャ!パシャ!!パシャ!!!(1923年5月 デンマーク王国首都コペンハーゲン)

 「北のパリ」と呼ばれる北欧最大の都市コペンハーゲンは、バルト海に浮かぶシェラン島東端に位置する。エーレスンド海峡を隔てた対岸は、現在ではスウェーデン領であるが、かつてはデンマーク領土の一部であった。

 

 デンマークの海洋国家としての歴史は古く、11世紀にはイングランドからスカンジナビアまでの広大な領域を支配した。その北海帝国の子孫も、今ではユトランド半島とその周辺諸島をわずかに領有するのみ。それでもデンマークは幾度となく大きな危機を乗り越え、独立を維持し続けている。

 

 かつてのデンマークと同じく、イングランド島の連合王国-|グレートブリテン島及びアイルランド連合王国《United Kingdom of Great Britain and Ireland》も、没落と衰退の瀬戸際に立たされている。ベルリンを中心とした新たな経済秩序が作られようとする中、ロンドンは欧州における過去の都市となりつつある。

 

 国論は分裂し、民心が動揺する激動の時代にあって……いや、むしろこうした時代だからこそ、平時であれば鼻持ちならない貴族として終わるしかない強烈なキャラクターの人物は、大英帝国の復活を望む保守層の期待を集めつつある。

 

「御足労をお掛けした」

 

 臨時首相代理のケドルストンの初代カーゾン侯爵ジョージ・ナサニエル・カーゾン外務大臣は、相変わらず大理石彫刻のように温かみというものが感じられない口元だけの笑みを作り、私を大使館内のロビーで出迎えた。

 

「侯爵に叙されたとお聞きしました」

 

 私は握手を交わしながら、祝辞を述べる。この傲岸不遜な貴族が、敗戦国である連合王国の外務大臣として大車輪の活躍をしているのは、ウィーンにも聞こえていた。そしてイングランド人の慇懃無礼なまでの過剰な謙遜を、一切持ち合わせていないカーゾン卿は、ただ肩書が増えただけだと言わんばかりに素っ気なく答えた。

 

「負け戦を糊塗するための方便です」

 

 

 意図的に、しかも露悪的に他者を不愉快にさせるという点に関して言えば、カーゾン卿の右に出るのは、1917年に死去したロスチャイルド男爵(ロンドン・ロートシルト家当主)ぐらいしかいない。そして貴族社会への反発から意図的に不作法だったロスチャイルド男爵とは異なり、カーゾン卿はやろうと思えばどこまでも貴族として優雅に振舞えるにも拘らず、それを弄ぶという狷介な性格。

 

 年齢が近いこともあり、私は駐英大使時代からカーゾン侯爵とは個人的な面識があった。しかし知己であることは、貴族としての粗暴さを自分の強さであると考える価値観の持ち主である彼と、「イギリス人以上に紳士らしい」と、ロンドンの新聞に揶揄された平均的なハプスブルク貴族である私が、個人的に親しいことを意味しない。

 

 同じ外務大臣の職責にあるとはいえ「何れは首相」と「消去法の外務大臣」では、共通点を探すほうが困難である。カーゾン卿との長時間に及ぶ会談は、いつものように私を不愉快な感情に陥らせた。

 

 この会談について、私はイギリス政府との信頼回復に向けた最初のステップだと認識していた。しかしカーゾン卿は、こちらの意図を理解しながらも、一切の言質を与えようとはしなかった。私が失脚間近だと判断していたのだとしても、自分の要求ばかり突き付けるのは交渉ではない。

 

 そして私を最も不愉快にさせたのは、カーゾン卿の要求に誠実なまでに応えて見せる事が、結果的には私個人にとっても、ハプスブルクにとっても最善であるという、身も蓋もない事実に気が付かされた時である。こちら側の実力から、思考体系に財布の残高まで、全て見通されている感覚が心地よく感じる人間など、この世に存在するはずがない。

 

「貴様が相手なら、私としてもやりやすい」

 

 私を意図的に挑発しているわけではなく、これが素に近い反応だというのだから、政敵が多いのも頷ける。とはいえ特権と名門意識を振りかざす老人は、それに伴う責任を果たす気概と蛮勇染みた決断力があるだけ、スカートの裾を踏みつけることばかり熱心な連中に比べればましなのかもしれないが。

 

 私の対面のソファーに座ったカーゾン卿は、ネクタイを緩めて腕まくりをした。こうした、いかにも紳士らしからぬ粗野な振る舞いも評判を落とす理由なのだろうが、紳士であれば物事が解決されるのなら、これほど簡単な話もない。

 

 欧州大戦により既存の国際秩序(ヨーロッパ・コンサート)は崩壊し、ドイツ帝国の覇権が確立した。そしてドイツは国益のために混乱と災禍を自らの手で呼び戻した。かくも条理が通用しない世界において、むしろ求められているのはカーゾン卿のような政治家なのかもしれない。

 

「早速だが、オスマン帝国の宮中クーデターに関してはお聞き及びだろうか」

「承知している」

 

 4・30政変に関しては、私もヤン・マサリク秘書官から報告を受けていた。カーゾン卿の口から語られる事件の概要について、手持ちの情報と齟齬がないかを確認しつつ、私は細かく頷いた。

 

 「皇帝は国政に興味がなく、ハーレムで遊び惚けている」という噂は、統一と進歩委員会を油断させるための策略であったようだ。帝政に批判的なリベラル系新聞に批判を書かせるあたりが、実に狡猾である。結果として3人のパシャは残らず失脚し、残存する勢力は、内部分裂による主導権争いにかまけていたところを一層された。

 

 もっとも私は、そこまで狡猾な昼行燈を演じたわけでもなかろうと考えている。そうでなければ、5人の妻を同時に持つ事など出来るはずがない。

 

「鮮やかなお手並みですな」

「ロシアの二重スパイに成り果てる貴国に比べれば……と言いたいところではあるが、連合王国政府としてはコメントすることはありませんな」

 

 二重帝国の情報部門責任者であるロンジ大佐は、イギリス諜報部門の協力があったと判断したが、私も同意見だ。統一と進歩委員会は、自らがクーデターで政権を奪取したこともあり、帝国内部の縦と横の連絡を、厳重に監視していた。いかにダマット宰相が外交官としての交渉手腕を有していたとしても、10年近く国政の中心から遠ざかっていた弱小野党の党首に、軍部や治安機関の有力者との伝手が存在したとは考えづらい。

 

 自分の手を汚すことなく、信用を担保として相手を自分の意図する方向へと誘導する。仮に失敗したとしても、駒が1つなくなるだけのこと。オスマン帝国とドイツとの2国間関係に楔を打ち込むいう目的さえ達成できれば、それでよい……まぁ、こんなところか。

 

 リスクは最小限に、見返りは最大限に。中央アジアで諸侯や君主を駒に、ロシアとの陣取り合戦を繰り返していた老人らしい発想ではある。そしてカーゾン卿は、こちらからの意見を聞こうともせず、一方的に結論だけを口にした。

 

「ジェマル一家に関するオスマンとの折衝に関しては、連合王国政府が責任を持つ。貴国には政治亡命と護衛を引き受けてもらいたい」

 

 ドイツ人以上に高圧的かつ一方的な物言いは実に不愉快だったが、ハプスブルクだけではなく中央同盟陣営としても利のある内容であると、私は自分に言い聞かせた。

 

 ミスショットをした玉突き(ビリヤード)の如く、国際情勢は揺れ動いてきた。ドイツを念頭に置いたロシアとイギリスの接近は、オスマン帝国とイギリスの関係悪化、次いでオスマン帝国とドイツとの接近をもたらした。そのうちのひとつが、ドイツ海軍との軍事協力拡大であり、その責任者がジェマル海軍大臣。彼はドイツの海軍将校を受け入れ、その指導と教育に忠実に従い、オスマン海軍をドイツ海軍式に再編した。

 

 オスマン帝室と縁戚関係にあるジェマル海軍大臣は、最後まで政権の座に留まることが出来た。そして今となっては、その縁戚関係を政治利用される危険性から、帝国内に留まれない。

 

「ドイツが受け入れればよいものを」

「あのプロイセン軍人共が、利用価値のない人間を受け入れるものか」

 

 そう吐き捨てたカーゾン卿自身、ジャマル元海相のイギリスへの亡命受け入れには否定的なスタンスを崩していない。自由党政権がオスマン帝国のアルメニア問題を批判してきた経緯があるだけに、政治的に困難であることはわかるが、弱者に対する利用価値を認めないという点では、彼もドイツ人と大して差はないように思われる。

 

「消去法のようだが、貴国が最もふさわしい。相手は瀕死の病人とはいえ、中東の大国。中小国では、オスマン帝国の新政権からの引き渡し要求に応じてしまう可能性があるし、スンニ派の盟主としての歴然たる影響力は侮れない。だが、カトリックの盟主たるハプスブルクならば、その心配はない。ジャマルもそう考えたのだろう」

「圧力とはオスマン帝国ですかな?それともアルメニア?」

 

 私の言葉に、カーゾン卿は足を組み替えた。相手(つまり私)を軽んじているというよりも、相手に距離を詰められたくないという、心理的な防御姿勢なのかもしれない。

 

「どちらも可能性はある。十分に留意してもらいたい」

「他にも受け入れ可能な国はあるだろう。例えばアメリカ……いや、なんでもない」

 

 思わず私の口をついて出た国前に、カーゾン卿の形の良い眉が「馬鹿か」と叱責するように顰められる。

 

「中立主義を標榜する割には、自国に直接関係のない人道問題に関しては熱心な御国柄だ。邪魔になった黒人奴隷を北アフリカに押し付けて独立させるなど、私には考えられないが、そんな連中だからこs、アルメニアからの引き渡し請求には、喜んで応じるだろう」

 

 先の大戦において中立を維持したアメリカ側の対応に不満があるのだろう。カーゾン卿は、1822年のリベリア独立に関する事例まで持ち出して、チクチクと悪意のある皮肉を織り交ぜる。

 

「その無邪気な人権感覚こそ、アメリカのアメリカたる所以だというのかもしれないが、今の問題は貴国だ」

「何が問題なのか。いや、問題しか存在しないのは理解しているが」

「仮に中立国に引き渡して暗殺されたとしても、貴国は面白くはないだろう」

 

 この露悪的な物言いには、私もさすがに顔を顰める。

 

「面白いかどうかの問題ではないと考えるが」

「テロリスト取り締まりのために、セルビアに最後通牒を突き付けたのが貴国だった……アルメニアのテロリストに対しても、断固として対処するものと期待している」

 

 1914年7月危機における二重帝国の対セルビア外交を批判しながら、今回、テロ取り締まりを名目にダンケルクに進駐したドイツに対する皮肉を続けると、カーゾン卿は反論を許さないと言わんばかりに言い切る。そして、いささか辟易とした調子で、南コーカサス問題の焦点となりつつある、アルメニア問題について触れた。

 

 アナトリア半島の付け根に面する南コーカサスは、西は黒海、東にはカスピ海、北はロシア、南はオスマンやペルシャと面する戦略的な要地である。先の大戦ではロシア革命までカフカス戦線が構築され、ロシアと中央同盟軍が1917年まで一進一退の攻防を繰り返した。

 

 1918年に独立を宣言したアルメニア共和国は、大戦中のアルメニア人問題についてオスマン帝国に謝罪を要求したが、進歩と統一委員会政権はこれを拒否。むしろアルメニア共和国が実効支配する領域は、オスマン帝国の不可分な領土であるとして、軍事介入をちらつかせた。

 

 オスマン帝国が、アルメニアと国境紛争を続けているカスピ海沿岸のアゼルバイジャン共和国と連携すれば、アルメニアはメンシェヴィキ政権のグルジア民主共和国と「南コーカサス連盟」を結成。ドイツやロシア、ペルシャ王国を巻きこんだ外交ゲームが続いている。ダマット宰相は進歩と統一委員会のアルメニア政策に批判的だったが、軍部や治安機関の協力を取り付けた以上、大幅な方針転換は難しいだろう。

 

 特に関係各国が頭を悩ませているのは、アルメニア共和国の、オスマン帝国のアルメニア人虐殺(アルメニア側の呼称)の報復作戦である。

 

 アルメニア共和国ではシャハン・ナタリー内務大臣が中心となり、一連のアルメニア人虐殺に関わったオスマン帝国要人を対象とした報復作戦「ネメシス」を実行すると宣言。国家がテロ活動を公認するなど、正気の沙汰とは思えないが、すでにオスマン側では、ヴァン攻防戦に参加したキャーズム・キョプリュリュ少将など数名が、ネメシス作戦の犠牲になっており、オスマン政府は神経をとがらせている。

 

 報復作戦の最重要目標は、言うまでもなく3人のパシャ-タラート・パシャ、イスマイル・パシャ、そしてエンヴェル・パシャである。タラート大宰相は内務大臣として実際にアルメニア人のシリアへの追放計画策定に関与しており、パン・トルコ主義の旗振り役であったエンヴェル陸軍大臣に関しては語るまでもない。ジェマル海軍大臣も政権の中枢にいた以上、責任は免れないだろう。

 

 彼らが生きている限り、アルメニアが報復を止めることはない。つまり、ジェマル海軍大臣の亡命を受け入れることは、アルメニアとの外交関係悪化、そしてジェマルとその一族の警護に関する責任を、ハプスブルクが将来にわたって負担することを意味している。

 

 確かにその点でいえば、ウィーンは格好の都市かもしれない。ロンドンほどではないとはいえ、ウィーンも多くの政治亡命者を受け入れてきた歴史があるし、国外勢力の取り締まりもお手の物だ。仮にもオスマン帝室につながる一族。警護に護衛に失敗した場合、オスマン帝国とハプスブルクとの関係悪化というリスクがあるのも事実。

 

「そうなったとしても、少なくとも最悪の事態は避けられる」

 

 カーゾン卿は、こちら側の懸念に配慮するかのような姿勢を形だけでも見せた。

 

「アルメニアと国交を断絶したところで、貴国が南コーカサスまで懲罰出兵が出来ないことは、誰もが理解している。これがドイツやロシア、オスマン帝国で行われた場合は、報復せざるをえないが」

 

 そしてハプスブルクに責任を押し付ければ、イギリスも矢面に立たずに済む。カーゾン卿はその点に関しては何も触れなかった。

 

「テロリストから白色テロリストを守れとは、どうにも釈然としない」

「こちらとしても釈然としないのは同じだ。だが、あの忌々しい裏切り者のロシアが……あの何を考えているかよくわからない小僧(ケレンスキー)に率いられている以上、我々としても貴国に任せるしか方法がない」

 

 あの「マトリョーシカ」は、自分の肩書以外に関しては、根本的に興味が欠けているだけだ。私はそう心の中で呟いた。

 

 カーゾン卿を筆頭に、イギリス政府関係者は、ロシアの現政権を信用していない。

 

 内戦中に協商陣営を去ったロシアは、中央同盟からの支援を受けることで、ポルシェヴィキとの内戦に勝利した。その選択自体はやむを得ないものだったとしても、その寝返り工作を主導したのが暫定政府首班、かつロシア共和国大統領に就任したアレクサンドル・ケレンスキーであれば、穏やかではいられない。彼の政治的目的なり思想が不透明であり、政治主張の変遷があれだけ激しければ、信頼出来る人物ではないと判断するのは無理からぬことであった。

 

 イギリス政府がケレンスキー政権に対して、更なる不信感を抱く原因となったのは、1921年10月からロシア国内に亡命していたエンヴェル元陸軍大臣-アルメニア革命連盟の最重要指名手配人物の行方不明事件である。

 

 エンヴェル元陸軍大臣が、旧ロシア帝国領のトルキスタン地方に逃亡したとの報告がロシア大使から知らされたのは、今年3月のことである。それも昨年から行方不明になっていたので、実際には5か月近くが経過していた事になる。

 

 インド副王の経験をもつカーゾン卿からすれば、悪夢以外の何物でもない。中央アジアのトルキスタンは、南下を続けるロシアとの最前線であった。同地域の不安定化は、インド情勢に直結する。最悪の事態を想定しているためか、話す顔もひと際険しい。

 

「トルキスタンはテュルク人の土地を意味するペルシャ語を起源としており、その面積はインド亜大陸よりも広い……あの広陵として不毛な草原や砂漠には、テュルク系遊牧民やイスラム教徒が点在している」

「そのすべてが、エンヴェルの扇動に乗るとは思わないが」

「ボルシェヴィキやサンディカリズムのような危険思想でも、あれだけの支持を集めたではないか。パン・トルコ主義の結集が、それ以上の夢物語であるとは、私には思えない」

 

 カーゾン卿は警戒感を崩さない。

 

 パン・トルコ主義は、中央アジアからアナトリアにかけた、テュルク系諸民族の合同による統一国家の建設を目指す政治思想だ。オスマン帝国の進歩と統一委員会からすれば、帝政ロシアの反政府勢力を糾合する方便だったのだろうが、エンヴェルにとってはそうではなかったようだ。

 

 1923年4月。インド総督府からロンドンに向けて「大トゥラン革命軍司令官」を自称する人物が、トルキスタンで反乱軍を率いているとの報告が寄せられた。

 

 ブハラ・アミール国の君主を擁立して地元首長を糾合しつつある「大トゥラン革命軍司令官」の正体は、調べるまでもなくエンヴェル・パシャ、その人であった。

 

 ニュージーランドやオーストラリアといった連合王国本土との関係が深い自治領ですら、政情不安がささやかれている。人口3億の多民族を抱えるインド自治領に政情不安が波及した時の混乱は、現在の比ではない。カーゾンのみならず、イギリス政府関係者がロシアの対応に激怒しているのは無理からぬことであった。

 

「やはり、意図的にロシアが逃亡させたと?」

「……私個人としては、資金面の支援があったと考えている」

 

 さもありなん。ロシア内戦直後に、いけしゃあしゃあと「トロッキーをフランスに亡命させたのは自分である」と言ってのけるのが、アレクサンドル・ケレンスキーという人物である。イタリア内戦(1919-20)における仲介交渉を依頼しただけに、あまり強く批判も出来ないが。

 

 仮にロシアがエンヴェルの行動を支援しているのなら、その理由は何か。オスマン帝国=アゼルバイジャンの連携を牽制しつつ、カザフ平原の民族主義者を南から牽制させる。あるいはペルシャやインド自治領の脇腹を衝く。そのどれもが説得力を持ち合わせてはいたが、そのどれもが決定打に欠けているように、私には思えた。

 

「あの小僧の意図など、考えていても意味がない」

「ロシア大統領と親しい貴兄がそう言うのなら、これ以上の詮索は無意味か」

 

 こちらの財布の残高を予想するだけならいざ知らず、勝手に友人関係を定義しないでもらいたい。私はムスッとして顔を顰めた。

 

 

 ハプスブルクにおいてイギリス贔屓と揶揄される私だが、実のところ連合王国人のアフタヌーン・ティーに掛ける情熱には、ついていけないものを感じていた。

 

 生活スタイルや慣習を維持することの是非を問うているわけではない。どれほど急がしくとも、毎日決まった時間に茶会を行う。何故そこまで、たかが茶を飲むことに情熱を費やすのか、その感性が理解出来ないのだ。それは私の中に流れるフランス人貴族としての、あるいはドイツ人としての本能が、やんわりと拒絶しているからかもしれない。

 

「今回のダンケルク進駐問題についてだが」

 

 アフタヌーン・ティーをきっかり30分で終わらせたカーゾン卿は、最大の懸案である北フランス問題について切り出した。

 

「連合王国政府としての見解を申し上げる。外務大臣である私個人の発言ではあるが……次の内閣の基本的な立場であると解釈して頂いて結構だ」

 

 カーゾン卿は自分の肩書から「臨時」が外れる事を、太陽が東から昇るようにまったく疑う余地のない前提として話し始めた。それは来るべきカーゾン内閣における国王演説の草稿案でもあった。

 

「テロリストの取り締まりであろうが、賠償金確保の保障占領であろうが、単なる軍事的合理性からの領土欲求であろうが、ドイツの行動はいかなる理由をつけたところで、正当化されるものではない」

 

 国際法は慣習法と条約により成り立つものだ。憲法ですら慣習法であり、問題があれば新たに作ればよしとするイングランド流の考え方とは、極めて相性が良い。アフタヌーン・ティーをかたくなに守り続ける性格も、あるいはそれに影響されているのかもしれない。

 

「今回、それらは重要ではあっても、決定的ではない」

 

 狡猾さと大胆さ。そして危機的状況において真価が発揮されるカーゾン侯爵は、回りくどい外交修辞を嫌う。自らの欲めるものと、自分の基本的なスタンスに一貫して忠実な姿勢は、むしろプロイセン流に近いかもしれない。

 

「現在の北フランスにおける危機的状況を、いかようにして外交的に決着させるか。連合王国の関心は、その一点に向けられている」

「……先に確認しておきたいことがある」

 

 唯々諾々とカーゾン卿の命令に従うばかりでは、交渉とは言えない。私が納得したとしても、軍部や省内が納得するとは限らないからだ。

 

「元海軍卿であるチャーチル氏の、スカゲラクとドーバーの両海峡封鎖封鎖という提案に関して、イギリス政府……貴殿の見解を伺っておきたい。状況に応じて、実行に移す用意があるのか否か」

 

 わが国を含めた欧州大陸の国家にとって、チャーチル卿の発言はブラフであったとしても、あまりにも重大かつ深刻なものである。仮に両海峡が海上封鎖された場合、通商国家であるイギリス自身もダメージを受けるだろう。だがそれ以上に、欧州経済に対する影響は計り知れない。

 

 フランスは急進的な農地改革の後遺症による生産力低下に苦しんでおり、ドイツ帝国は東部も西部も北部も南部も、多くの農地が死体と砲弾、そして化学兵器の後遺症に悩まされている。被害が深刻だった西プロイセンの再開発計画も、計画があまりに杜撰なことを批判され、中止に追い込まれていた。

 

 チャーチル発言に対して、ドイツ外務省は、高温の油の中に水を入れたが如くに激しく反応した。曰くコペンハーゲン停戦協定違反だ、やれ航海の自由を阻害する海賊行為を正当化するものだ、やれイギリスは海洋国家であることを忘れたのか……口を極めて「ガリポリの肉屋」を糾弾した。

 

 先の大戦中に、無制限潜水艦作戦の継続を強硬に主張したのがルーデンドルフ参謀総長である。どの口が言うのかと埒もない考えに耽る私に対して、カーゾン侯爵はごく簡潔に答えた。

 

「王立海軍はいかなる状況にでも即応可能だ。そして次の総選挙において、あれの選挙区に保守党は対立候補を立てない。そのため、我々としては質問を許可した」

 

 あまりにもそっけなく応えたため、私は一瞬意味がわからなかった。だが発言の内容を理解すると、自らの臓物と汚物を見せ付けるかのようなカーゾン侯爵の物言いに吐き気を催した。

 

 どれほど信義と条理が泥に塗れていようとも、越えてはならないものは存在する。フランス政府が断固として戦うのならば話は別だが、今の段階ではそれも難しい。チャーチルという牽制球を投げた意図は理解した。だが感情的に納得出来るか否かとは、別の問題だ。

 

「……残念ながら現在のイギリス政府には、地上軍を再度大陸に派遣する余力はない」

 

 大英帝国は、世界を指導する覇権国家でなければならないと考える卿からすれば、今の欧州情勢のみならず、世界情勢は断固として受け入れがたいものだ。カーゾン侯爵は、ひどく冷たく、そして重く感じる口調で吐き捨てた。

 

「ドイツに対抗可能な、有効な軍事的圧力をかけるとすれば艦隊戦力しかないが、これを失うことは海洋国家としてのイギリスの崩壊を意味する……しかし、使用不可能なカードだと判断されてしまえば、艦隊戦力を温存したところで同じく意味がない」

 

 そう呟いたカーゾン卿は、パシンと自らの手のひらで額を叩いた。

 

「外務大臣や政府の立場では、発言に制約がある。だがあのブルドックならば、今更誰も驚かないし、誰も問題であるとは思わない。『あの男ならやりかねない』という、条理の鎖に縛られない説得力もあることだし……何より、あれはあの男の本心だ。私以上に頭のネジが外れているからな」

「……いささか本題から外れたと思う」

 

 私は胸元からハンカチを取り出して、口元を拭った。口元周りの少しだけ伸びた髭が手にあたり、妙にむず痒く感じた。

 

「先ほど侯爵は、ダンケルク問題の外交的解決を目指すと言われた」

「解決策は2つだろう。金銭的買収、あるいは期限付きの主権の譲渡。このどちらかだ」

「経済的、あるいは軍事的圧力をかけてドイツ軍を撤退に追い込むという選択肢は?」

 

 私は可能性が低いことを知りながら、第3の可能性について確認した。カーゾン卿は「ふむ」とつぶやいてから、軽く肩を竦めた。

 

「私はソールズベリー侯爵より、世界一の臆病者として悲観的に用意し、世界一の楽観論者として振舞えと教わった……だがH・G・ウェルズの小説のように、宇宙人の侵略に備えて軍備を増強するべきだとは考えない。今のドイツが無条件で撤退する、あるいはテロ対策に満足して引き上げるなど、イルカが地上を侵略するぐらいにありえないことだ」

 

 なんとも回りくどい言い回しで私の質問に答えたカーゾン侯爵は、右手の人差し指と中指を立て、それをひとつずつ折りながら、自らの私案を述べた。

 

「金銭的解決は簡単だ。フランダース=ワロン連邦王国が、ダンケルク一帯の領土をフランスから買収する。その形式だけ整えればいい。ナポレオン戦争中の1803年に、アメリカがフランス領ルイジアナを買い叩いたように」

 

 領土問題の金銭による解決は、古くからある手法の一つだ。実際には軍事的脅迫や恫喝による割譲だったとしても、形だけでも土地売買であるとすれば、相手も受け入れやすい。

 

「あるいはチャイナの九龍半島のように、フランスからフランダースワロンが、長期間の期限付き租借契約を結ぶ。この方法であれば、主権の割譲や制限はあくまで時限的なものと主張することも可能だ」

「ドイツではなく、フランダース=ワロン。そのための共同出兵か」

「領土が拡大して怒り出す国民は少ない。それがドイツを嫌悪するワロン人であろうともな」

 

 イギリス政府は、現在のパリのフランス政府を国家として承認していない。そのため現状の国境に拘る理由など存在しない。イギリスの3野党が問題としているのはドイツの条約違反だが、これも上記のどちらかで理屈がつけば賛成か棄権に回るだろう。

 

「ダンケルク周辺は北フランス有数の工業都市。社会主義者にむざむざと力をつけさせるよりも、ドイツの犬にくれてやったほうがましというものだ」

「……追い詰められた鼠は猫を噛むという」

 

 目の前の事象にとらわれる事なく、全体を俯瞰するように語るカーゾン卿に対して、私は懸念すべき点を率直に指摘した。

 

「民族主義という可燃物に火がついた結果が、今のフランスであり北イタリアだ。今にも政権が崩壊すると言われていたフランス政府は、ドイツの火事場泥棒に息を吹き返しつつある。過激思想が民族主義や国家主義と結びつく危険性については、どのように?」

「議長閣下はいささか先走りすぎだ。今は来年のことよりも、まずは目の前に降りかかった火の粉をはらわなければ」

 

 カーゾン卿は一呼吸置くためか、冷めた紅茶を口に含んだ。

 

「……おそらく議長閣下は、往時のナポレオン戦争時代を念頭に置いておられるようだ。だが当時とは、時代背景も社会構造も、戦略も戦術も大きく異なっている。素人の下士官だけで戦争が出来るほど、近代陸戦は容易なものではない。それは貴国やオスマン帝国が、先の大戦で身をもって学ばれたはずだが?」

 

 本当に嫌味な言い方をする。私は内心、舌打ちをしながら続けた。

 

「パリの社会主義者に感じている不愉快な感情は別として、今回のドイツの要求をそのまま受け入れることは出来ないという点では、貴国と認識を共有出来ると考える」

 

 私の発言に対して、カーゾン侯爵は、相変わらず殴りつけたくなるような冷笑を浮かべた。

 

「8人の兵士(ポーン)が全滅し、騎士(ナイト)と、聖職者(ピジョップ)が倒れ、(ルーク)がすべて落城し、王妃(クィーン)が身代わりになろうとも、それは敗北ではない」

国王(キング)を確保しなければ、勝利ではないと?」

「如何にも。そしてこの世で最も強いのはルールをよく守るものではなく、ルールを作るもの。ドイツはその勝者としての特権を意図的に放棄した……その秘めたる価値も知らずに」

 

 ルール整備を主導することで世界秩序を牽引して来た大英帝国の末裔であるカーゾン卿は、自分こそがルールの価値を知る王者(キング)であると主張するかのように、不敵な笑みを浮かべた。

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