南チロルの宮廷道化師   作:神山甚六

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 アフメド・ゾクが、ファン・ノリに問いかけた。

「つまり貴方が、アルバニアのローマ教皇になるわけか?」
「詐欺師に間違えられないようにしなきゃいかんな」
「心配いらんよ。大した違いはないから」



 ラテン語で「白い国」を意味するアルバニアは、かつて古代イリュリア人が住んでいたとされる。ギリシャの植民地が建設され、早くからギリシャ文明の影響を受けていた。ローマ帝国の東西分裂では東側に属した。オスマン帝国がバルカン半島に進出すると、その支配下に置かれた。多数派をムスリムに譲った後も、正教会は一定の勢力を保ち続けた。

 正教会では国ごとに教会組織を持つことが一般的であるとされ、1913年にロンドン条約でアルバニアの独立が認められると、アルバニア国内からは、正教会組織をアルバニア正教会として組織するべきだという意見が出された。しかし元々が国内少数派であったために人材に乏しく、ギリシャ正教会の影響も強かったことから具体化しなかった。

 1919年。ドイツ軍によるアルバニア進駐によりギリシャ軍が撤退したことで、正教会設立の動きは本格化した。相変わらず人材不足は深刻であり、現にアルバニア正教会の創設者とされるファン・ノリは、アメリカ帰りの作家兼翻訳家であり、聖職者としての経験は乏しかった。そのためドイツ軍は北部の有力貴族であったアフメド・ゾグに正教会設立の支援を依頼したが、何と彼はスンニ派のイスラム教徒であった。

 ゾグがドイツ軍からの要請を受け入れた背景には、アルバニア国内の反ギリシャ感情がある。第1次大戦の開戦直前、ギリシャはアルバニア国内の少数派ギリシャ正教徒保護を名目に、アルバニアに進駐していた。国内の正教会をギリシャ正教会の影響下にしたままにすることは、アルバニア民族主義者であるゾグには受け入れられなかった。

 正教会をムスリムが支えるという奇妙な構図は、格好のジョークのネタにされた。

- 『世界のジョーク集』民明出版(1960) -


ミラノ会談・後編(1922年2月 イタリア共和国 首都ミラノ)

 1914年6月のサラエボ事件勃発当時、バルカン半島には7つの独立国家が存在した。セルビア王国、モンテネグロ王国、ルーマニア王国、ブルガリア王国、オスマン帝国、ギリシャ王国、そしてアルバニア公国である。オーストリア=ハンガリー帝国も加えれば8カ国ということになるが、今は数えない。

 

 この内、中央同盟として参戦したのはブルガリア王国とオスマン帝国の2カ国。中立国のアルバニアを除くセルビア王国、モンテネグロ王国、ルーマニア王国、ギリシャ王国は協商陣営として参戦した。

 

 オスマン帝国を除けば、第2次バルカン戦争(1913)の対立構図が、そのまま引き継がれていた。ルーマニアにしてもギリシャにしてもモンテネグロにしても、バルカン半島諸国には、短期間で終わった第2次バルカン戦争の延長線という意識があったのかもしれない。そのためバルカン諸国では、先の大戦を「第3次バルカン戦争」と呼称している。

 

 第3次バルカン戦争は、協商陣営として参戦した国々に破滅をもたらした。

 

 1916年の段階で、セルビアとモンテネグロは領土を追われ、前者はギリシャ王国に亡命政権を樹立。後者はロンドンで徹底抗戦を主張する国王を切り捨て、二重帝国軍に降伏した。1918年にルーマニアが、1919年にはギリシャ王国政府が降伏したことで、バルカン半島における戦いは終結した。

 

 旧モンテネグロは行政機構ごとハプスブルク領邦に組み込まれ、二重帝国は仇敵セルビアを軍事占領下に置いた。ギリシャとルーマニアは、ブルガリアに領土を割譲させられた上に、莫大な賠償金と資産差し押さえによって、ドイツとオーストリアの経済的な植民地へと転落した。講和条約への不満が噴出したことで、ギリシャでは王政が倒れ、ルーマニアは第2のギリシャとなりかねない政情不安が続いている。

 

 ブルガリア王国は、国王フェルディナンド1世の悲願である大ブルガリア王国の版図を獲得した。ハプスブルクはセルビアへの懲罰戦争を成功したことで、バルカン半島への影響力を回復。オスマン帝国は半島の旧領回復こそならなかったものの、第1次バルカン戦争における屈辱を晴らした。

 

 とはいえ内実は、各国ともお寒いものだ。軍事占領下にある旧セルビア王国では、民族主義者による反ハプスブルク暴動や社会主義者によるゼネストが相続いでいる。オスマン帝国とブルガリアは、国内問題に掛かりきりで、周辺諸国に干渉する余裕すらない。その為、二重帝国軍は一連のバルカン半島情勢に対処するため、セルビアとモンテネグロを中心に15万以上の駐留を続けていた。

 

 オーストリアのカール・レンナー首相が「バルカン問題の解決なくして、ハプスブルクの戦後はない」と議会で答弁した通り、駐留軍の経費負担は帝国財政に重く伸し掛っていた。かと言って、一方的に駐留軍を引き上げることは不可能だ。セルビア民族主義者の暴動が発生しかねないし、そうなれば帝国内部の南スラブ民族自治運動や「クロアチア王国」をめぐるハンガリーとの折衝にも、悪影響を与えることは必至である。

 

 軍や保守派からは、旧セルビア王国領をボスニア・ヘルチェゴビナのように併合するべきではないかという意見も出されている。

 

 確かにセルビア王国のテロリズム体質が先の大戦の一因となったことを考えれば、国際社会の理解を得ることは難しくないだろう。同じスラブ人の東方正教徒として後ろ盾であったロシアも、バルカン問題どころではない。ドイツ帝国やブルガリア王国も、反対はしないだろう。一見すると、好機に思える。

 

 しかしこれでは、第2のサラエボ事件を引き起こす土壌を育成するだけだ。民族主義を甘く見た結果が、イタリア内戦である。流石に保守派も、本気でセルビア併合を主張しているわけではないようだ。政府の対応を牽制するのが狙いなのはわかるが、私は彼らの言動が苛立たしくもあった。

 

 ロシア共和国大統領からの、セルビア亡命政府との仲介外交を行う用意があるとの親書がウィーンに届いたのは、昨年のコペンハーゲン会議終了直後のことであった。

 

 

「ケレンスキーという若者、なかなか好感の持てる青年ですな」

 

 セルビア王国亡命政府の特使であるニコラ・バシッチ元首相は、親子ほども年齢の離れたロシア大統領を褒め称えてみせた。ロシア大統領が生まれる前から政治活動を続けてきた老人からすれば、祖父と孫にも等しいほどの年齢と経験の埋めがたい差がある。

 

 にもかかわらず、バシッチ老人は旧同盟国の国家元首として筋を通す姿勢は賞賛に値するだの、国際政治におけるバランス感覚が優れているだの、軍事ではなく外交を主とする姿勢には好感が持てるだのと、中身のない賛辞を繰り返す。最後のそれがハプスブルクに対する嫌味であることは明らかであったが、私は反応しなかった。

 

 アレクサンドル・フョードロヴィチ・ケレンスキー大統領の直筆による親書は、長たらしい外交辞令と共に、昨年8月のセルビア国王ペタール1世の崩御を伝え、ハプスブルクとカラジョルジェヴィチの和解のために、ロシアが仲介外交に乗り出す用意があるという内容であった。

 

 なんとも情けない話だが、ハプスブルクが自治領としたモンテネグロを除けば、ギリシャ共和国、ルーマニア王国、そしてセルビア亡命政府の中で、まともに政権として機能しているのは最後だけである。本国のに政権が亡命政権よりも劣るとは、ブラックジョークにもならないが、これが事実なのだから堪らない。

 

 セルビア王国亡命政府は、依然として正式な協商陣営であることから、イギリス政府からの財政支援を受けている。そのためギリシャの軍事政権にも手出しが出来ない。コルフ島の亡命政権は、ロンドンとのパイプを生かして、混乱が続くギリシャ政府に特権的な地位を認めさせた。またセルビア人亡命者を積極的に受け入れると同時に、亡命軍を中核として組織化することにも成功している。

 

 つまりある程度の実力部隊を、自前で確保している。「無政軍事占領を続けるのが難しいのなら、無政府状態で放棄するよりも、セルビアと政治合意したほうが良いのではないか」-親書に同封されていたケレンスキーの個人的な手紙には、恩着せがましく押し付けがましい、そして馴れ馴れしい下品な文体で、そのように記されていた。

 

「摂政殿下(アレクサンダル王太子)より、国王陛下への弔意に関する謝辞を預かっております」

 

 バシッチ老人は恭しく封書を差し出した。私はそれを立礼して受け取ると秘書官に渡す。

 

 皇帝陛下がセルビア国王への弔意を伝えると決められた時には、私も大いに驚いたものだ。前大戦勃発の契機となったサラエボ事件を考えれば、秘密裏とはいえ政治的リスクを伴う判断であった事は間違いない。その点を改めて御説明申し上げたが、陛下の御意向は変わらなかった。

 

 臣下である私には、その真意を知る由もない。あるいは陛下の中で、国を追われ異国の地で崩御された老王の最後が、平和を望みつつも戦争の中で崩御された先帝陛下と重なったのかもしれない。ともかく私の立場としては、事前交渉としての弔問外交が円滑に進む結果になったことは有難かった。

 

 セルビア亡命政府も、弔問外交を受け入れた。彼らとしても協商陣営と中央同盟陣営の正式な和平が成立した今、イギリスからの資金援助縮小は必須。旧セルビアの反ハプスブルク感情が根強い今であれば、交渉のカード足り得る。ケレンスキー提案は、セルビアにも渡りに船だったのだろう。

 

 会談場所については、さすがに私がコルフ島へ出向くわけにも、ウィーンに老人を呼び出すわけにも行かず、妥協策としてイタリア連邦の首都……ということになっているミラノが選ばれた。

 

 ひょっとするとペタール1世の崩御を伝えることによる王族外交を再開することが、セルビア政府の狙いだったのかもしれない。そのために国王の崩御を隠していた、あるいはロシアへ情報を漏らしたと考えるのは、穿ち過ぎだろうか。

 

 あるいは情報を得たケレンスキーが自分の外交得点を稼ぎ、スラブ人の団結を主張する国内民族派への材料として利用したのかもしれない。そうだとすると、皇帝陛下が利用されたようで面白くはない。例えそれがハプスブルクの国益に繋がるとしてもだ。

 

 私は秘書官らを遠ざけると、早速「本題」を切り出した。

 

「帝国が実効支配する旧セルビア王国領を含めたバルカン半島情勢について、私と御老体の間で率直な意見交換をしたい」

「異論などあろうはずがありません」

 

 バシッチ老人は微笑みながら頷く。内心の不快感を押し殺しながら、私は帝国の基本的な立場から話し始めた。

 

「軍部や治安警察の間では、テロ対策のために旧セルビア王国領を直轄地とするべきだという意見が根強い。しかし彼らは声が大きいだけの存在だ」

 

 セルビア人は許せないが、これ以上セルビア人に関わりたくもなければ振り回されたくもない。ハプスブルクの多数派ではない。「セルビアの全土併合は避けるべきというのが、宮ウィーンの意向である」と私が率直に伝えると、バシッチ老人は冷笑を口元に浮かべながら頷く。

 

「なるほど。つまり南スラブ系住民の独立運動を押さえ込みたいハンガリー政府との見解とも一致しているわけですな。多民族国家というものも、楽ではありませんな」

「国内に不穏分子をこれ以上抱え込みたくない。ただそれだけのこと」

「実に興味深い御意見です」

 

 1882年の独立以前から政治活動を続けてきた老人は、セルビア民族主義の為に戦い続けた。彼からすれば多民族国家など、帝国主義者の異民族支配の口実に過ぎない。口元に浮かぶ薄い笑みに、嘲笑が混じっているのは気のせいではなかろう。私は鞄の中から書類を取り出すと、それを読み上げ始めた。

 

「引渡しに関しては、いくつかの条件がある。1つ、ヴェルサイユ会議とコペンハーゲン会議で締結されたあらゆる条約や協定に基づく現在の国境線の受け入れ。1つ、周辺国への領土要求の放棄。1つ、大セルビア主義の放棄。1つ、テロリズム及び過激主義との決別。1つ、軍備の制限……」

「……失礼、議長閣下」

 

 バシッチ老人の口元から、微笑が初めて消えた。

 

「この老体の聞き間違い、あるいは解釈の誤りでなければ、亡命政権の旧王国領への復帰を認める前提での条件のように聞こえましたが」

「聞き間違いではない。カラジョルジェヴィチ家の復帰も、アレクサンダル王太子殿下の国王即位も認める。その意味で申し上げている」

「……それは、何とも」

「不服かね」

「不服ではありません。ただ不可解ではありますな」

 

 バシッチ老人は、まるで詐欺師の話を聞く警官のような疑念の視線を私に向ける。

 

 大戦中のセルビア軍の累計犠牲者は、確認出来るだけでも130万以上。セルビア王国の人口が450万人であり、人口の約3割、男子に限れば7割近くが戦死した計算になる。そして戦病死や餓死者は、この中には含まれていない。

 

 オスマン帝国により中世セルビア王国が滅亡して以降、セルビア人が独立を回復するまでには、3世紀近くの時間が必要であった。いきなり独立の回復を認めると言われても、俄かには信用出来ないのだろう。

 

 これ以上の腹の探り合いも馬鹿らしく、私は顔の前で手を振った。

 

「例えセルビアの独立を帝国が認め、国土が回復したところで、セルビア人のハプスブルクへの憎悪や、バルカン半島でのスラブ人の統一国家を求めるセルビア民族主義が消えないことも理解している。セルビア人を皆殺しにしたいほど憎んでいるのは、こちらも同じ事だからな。とはいえセルビア領で騒乱状態が続き、無政府状態にでもなれば過激主義者が台頭するのは必至。ならば同じ民族主義者でも、少しはましな連中を後押ししたい」

 

 サラエボ事件の黒幕である黒手組をセルビア政府が粛清していなければ、この決定は出来なかっただろう。私や軍の情報部も、セルビア政府のテロリズム体質が完全に消え去ったとは思っていない。それでもパリやトリノのような、民族主義者と社会主義者が合体した悪夢のような政権がバルカン半島に出来るのは御免被る……

 

 私の説明を聞き終えたバシッチ老人の口元には、再び微笑が戻っていた。

 

「そこでアルバニアの名前を出ないということは、多少は後ろめたさがあると理解してもよろしいので?」

 

 全くもって口の減らない爺である。私は憮然としたが、否定するわけにもいかず、かと言って肯定するのは業腹であるため、沈黙をもって答えた。

 

 

 当事者であり現在の責任者である私が言うのは不適格かもしれないが、20世紀に入ってからのハプスブルクのバルカン外交は、稚拙かつ拙速なものであった。

 

 良く言えば恐れ知らず、悪く言えば身の程知らず。戦略性が欠落した機会主義的な口先介入を繰り返し、1914年7月危機以前にも、二重帝国が総動員の前段階に着手して、欧州全体がパニックになったこともある。国際協調路線のイギリスのグレイ外相はもとより、ドイツ帝国ですら始末に悩まされ、ドイツと帝政ロシアとの再保障条約廃棄の一因となったというのだから、その乱暴さがわかるというものだ。

 

 ハプスブルクと共にバルカン半島の覇を競ったのは、オスマン帝国である。そのライバルは瀕死の病人と呼ばれて久しく、権力の空白を突く形で、2度のバルカン戦争(1912~13、1913)が発生。バルカン半島には新興独立国がひしめき合うように乱立した。

 

 この状況を見たウィーンは、バルカン問題を解決する好機と考えた。長年、フランスやドイツ(プロイセン)に煮え湯を飲まされ続け、屈辱を味わった憤懣を晴らせる好機とみなしたのかもしれない。バルカン半島諸国が相手であれば、二重帝国軍であっても遅れをとる事はないだろうという楽観的な観測、三国同盟(1882年)の締結により背後の憂いがなくなったことも、ウィーンの冒険的な外交政策を後押しした。

 

 戦略なき外交が、国益に繋がった試しはない。まして「国益」とは何かを巡り、諸民族の意見が尽く対立するハプスブルク領邦である。予想に反してバルカン半島への介入姿勢は領邦内の民族問題を刺激し、更なる政局の不安定化に繋がった。

 

 例えばトランシルヴァニアのルーマニア人は、ルーマニア王国と手を結ぼうとしたし、民族分布や宗教分布がモザイクのように複雑に入り組んだボスニア・ヘルツェゴビナでは、すべての勢力が入り乱れて、多数派形成のための合従連衡と離合集散を繰り返した。

 

 1908年。先帝陛下はイギリスと、同盟国ドイツの慎重意見を押し切って、旧オスマン帝国領のボスニア・ヘルツェゴビナを併合した。

 

 大セルビア主義を掲げ、セルビア王国を中心とする南スラブ系民族の統合を主張するセルビアは、予想通り猛反発。正教会とスラブ系民族の盟主を自負する帝政ロシアも、二重帝国の拡大路線を牽制した。バルカン半島では、むしろハプスブルク家が問題行動を引き起こすという認識を持たれたことは、その後のハプスブルク外交を大きく束縛した。

 

 そしてバルカン半島で孤立化した二重帝国が、1914年7月危機において発したセルビア宛の最後通牒。共同外務省が主導したそれは、独立国への司法介入という内政干渉を要求していた。

 

 いくらセルビア王国が、1903年の国王暗殺事件でテロリズムを取り締まれない後進国とみなされていたからといって、ここまで他国の主権を軽んじた外交文章は存在したことがない。その上でセルビア側の拒否を前提に、総動員を開始したのだ。これはハプスブルク家が続く限り、外交の汚点として付きまとう事になるだろう。

 

 この7月危機への対応に追われる形で注目されなかったが、ハプスブルクは同時期にアルバニア公国に対して、とんでもない要求を突きつけていた。それはドイツ帝国のベルギーへの中立侵犯のように、悪い意味での注目を欧州各国から集めなかったものの、内容ではそれに匹敵している。あるいはセルビア宛の最後通牒よりも、酷いものかもしれない。

 

 その内容は、国際条約で定められた中立国であるアルバニアに対して、条約違反になる軍事作戦への協力を、ハプスブルクの要求ではなく、あくまで「自主的」におこなうように求めるというものであった。

 

「うまく切り抜けられたものだと感心致します。もっとも、アルバニア全土が無政府状態となったのを『成功』と表現すればの話ですが」

 

 暖炉の火かき棒で、目の前の「サミクラウス」の顔面をフルショットする誘惑に駆られた事は、墓場の中まで持っていかねばならない秘密であるが、今はそれはいいだろう。

 

 アドリア海に面する小国アルバニアは、第1次バルカン戦争のロンドン条約(1913年)で独立を認められたばかりの主権国家であった。国内人口200万の内、7割近くはスンニ派ムスリムであり、残りはカトリックや正教会、少数民族も存在している。

 

 人口規模や国土面積から王国ではなく公国とされたが、それでは隣接するモンテネグロが王国である事との整合性がつかない。つまりはムスリムが主流だったから、公国とされたのであろう。

 

 当たり前と言えば当たり前なのだが、ロンドン条約では、アルバニアの国家元首は欧州諸侯から迎えられると決められていた。オスマン帝国のスルタンでありカリフの影響力をバルカン半島から排除するという目的で第1次バルカン戦争始まった事を考えれば、自然な帰結ではあったが、これ以上不自然な結論もない。

 

 部族社会のアルバニア支配層は、渋々ながらもこれを受け入れた。とは言えムスリムが主流派の公国に、キリスト教の君主を送り込もうというのである。カトリックであれプロテスタントであれ、これでは君主候補があらわれるはずもない。かといってオスマン帝国の皇族などありえない。

 

 すったもんだの押し付け合いの末に、南ドイツのヴィート侯爵家の3男であり、ルーマニア王妃エリザベータの甥であるヴィルヘルムが選ばれた。

 

 ヴィルヘルム青年は拒否した。

 

 本人はプロテスタントのルーテル派(ルター派)であるし、国内小数派のキリスト教徒も、多くはカトリックか、ギリシャ系の正教会。プロテスタントは探してもいるかどうかわからない。そもそも国勢調査で人口動態を調査したことがないので、正確な人口や国土面積も未確定である。国土の半分以上は山岳地帯で、主要産業は農業。鉱物資源は確認されているが、インフラは無きに等しい。

 

 こんな新興独立国の国家元首を引き受けたがるのは、蛮勇というよりも無謀に近い。

 

 人並みの理性と知性、そして正しい意味での慎重さを持ち合わせていたヴィルヘルムは散々に条件をつけて、ゴネて焦らして抵抗を試みたが、列強と周囲からの圧力に耐え切れず、また本人も公王(国内では国王)の地位には未練があった。最後は痺れを切らしたオーストリアの外交圧力に屈服する形で、不承不承受け入れた。

 

 ヴィルヘルムは「1914年2月」に即位を宣言。中世アルバニアの君主で、オスマン帝国の支配に抵抗した英雄スカンデルベクにちなみ、スカンデルベク2世を名乗った。

 

 こうしてスカンデルベク国王(対外的には認められなかったが、国内では国王を名乗ることが認められた)は38歳にして、妻と共にアルバニアに足を踏み入れた。

 

 その途端に、大臣のクーデター未遂事件が露呈した。

 

 どうやらイタリア王国の陰謀があったらしいが、今となっては実態は不明である。死刑判決を受けた首謀者をイタリア政府が軍事的圧力をちらつかせて亡命させたというのだから、何もなかったと考えるのは余程の御人好しか、底なしの間抜けである。なんという事だとスカンデルベク国王は激怒した。

 

 すると今度は、アルバニア東部と中部で叛乱が発生した。

 

 東部に居住する国内多数派のムスリムは、旧オスマン帝国総督代理が率いる反乱に参加した。また中部では国内少数派のギリシャ正教徒が決起。共に「外国人の王はいらない!」と叫んでいたのだから、悲劇を通り越して喜劇ですらある。これを受けて「少数派ギリシャ正教徒の反故」を名目に「国会の議決」をうけたギリシャ軍がアルバニアへ侵攻。南部を武力占領した。

 

 アルバニア人としての独立を求めておきながら、これではまるでイソップ童話の「王様を欲しがった蛙」ではないか。ふざけるな、貴様らなど全員残らず鶴にでも喰われてしまえ……とスカンデルベク国王が思ったかどうかはわからない。

 

 彼は驚異的な忍耐力を発揮して、自分の後見人である二重帝国と、ドイツ帝国(ギリシャ国王はドイツ皇帝の妹と結婚した義弟であった)に仲介交渉を求めた。至極真っ当、かつ穏当な判断であろう。

 

 そして6月28日、サラエボ事件が発生。1914年7月危機に続き、世界大戦が勃発した。スカンデルベク国王は大いに打ちひしがれたが、続くウィーンからの要求事項に、再び怒髪天を衝くほどに怒り狂った。

 

 セルビアとロシアに対する総動員を進めていたウィーンが、アルバニアに突きつけた要求は、簡単に言うと次の通りだ。

 

『アルバニア公国軍をオーストリア=ハンガリー軍の支援に向かわせよ(セルビアとモンテネグロの背後を突け)』

 

 そもそも満足な軍隊どころか政府すらあるかどうか怪しい状況で、どうしろというのか。彼は憤慨しながらもアルバニア独立を定めたロンドン条約で、アルバニア公国は中立を維持することが定められているため条約違反になるという至極もっともな理由と、自らの恥となる最新の国内情勢まで懇切丁寧に説明した上で、要求を断った。

 

 ウィーンはスカンデルベク国王への支援を「国際条約による中立違反に繋がる恐れがある」として、打ち切った。

 

「我が国が口に出来る筋合いではありませんが、碌でもありませんな」

「まともな神経をしていれば、戦争で外交問題を解決しようとは思わないでしょうな。政治的テロリズムで国内対立を解決しようとは思わないように」

 

 バシッチ老人に嫌味を交えて反論しながら、本当にセルビア人だけには言われたくはないと苦虫を噛み潰す。しかし事実である為に、私は脳内でベルヒトルト伯爵(開戦当時の外相)への罵詈雑言を並べ立てた。

 

 ともあれ国王個人への援助金頼みだった中央政府は、これによってまたたく間に崩壊。アルバニア全土は無政府状態に陥り、スカンデルベク国王は祖国ドイツに逃れた。ウィーンの要求に答えるどころではなくなり、彼はドイツ帝国の陸軍将官として大戦を戦い抜いた。

 

 1919年。旧アルバニア国内の北部貴族からの要請を受けたドイツ軍は、アルバニアに進駐。ドイツ軍に護衛されながら5年ぶりの帰国を果たしたスカンデルベク2世は、地域政府が乱立し、無政府状態だったアルバニアを再統一。ベルリンはドイツ軍将校として大戦を戦ったスカンデルベク2世の復帰を歓迎し、ウィーンもこれを受け入れた。

 

 ……というのが、これまでの経緯である。

 

 私は再度、胸中でベルヒトルト伯爵に罵声を浴びせた。

 

「そこでアルバニア公国……あぁ、今は正式に王国になったのでしたか。その領土ですが」

 

 長々と話し続けたバシッチ首相は息を突くと、水指からコップに水を注ぎ、勢い良く飲み干した。

 

「ふぅ。やはりイタリアの水は甘いですな」

「……アルバニア北東部のコソボ4県の取り扱いは、アルバニアへの編入が決定している。これは1919年のヴェルサイユでも、先のコペンハーゲン会議でも認められたことだ」

「自国ですら満足に統治出来なかった人物が、さらに国土を広げてどうしようというのです?今でもドイツ軍の駐留が続いているというのに」

 

 先ほどまでの、余裕すら感じさせる態度とは一変して、バシッチ老人は旧領コソボに対するセルビアの領有権を強く主張する。こちらから思わぬ譲歩を得られたことで、要求出来るものはしておこうという魂胆からか、それとも……

 

「そもそもかの地は、独立の根拠となった1913年のロンドン条約で旧アルバニア公国から分離された土地ではありませんか」

「ムスリム教徒が多数派の地域を統合するというのは、貴国が呪文のように主張する民族自決の観点からみても、間違いではないだろう」

「ロシアにとってのキエフが、セルビアにとってのコソボです。分離など以ての外」

 

 バシッチ老人は握った右手で机を叩き、セルビア人としての立場を強い口調で繰り返す。

 

 12世紀から13世紀にかけて諸侯に分裂していたセルビアを統一したのが、ステファン・ネマニャ。彼はコソボを根拠地としてセルビアを統一した。いわばセルビア民族主義の聖地だ。そのため現在のコソボにおけるセルビア人が少数派であり、多数派がムスリムであろうとも、セルビアの聖地であるという認識に変化はない。

 

 当然ながらドイツ軍、あるいはドイツ人君主には関係のない話であり、ムスリム同士で同じ国にしたほうがよいという単純な判断から、旧コソボはアルバニア王国(公国から昇格)に編入することとなった。

 

 セルビア側の見解を繰り返す老人に、私はいささか辟易しながら答えた。

 

「しかし今のロシアはキエフの、ウクライナの独立を認めている。我がハプスブルクも故郷であるスイスの領有を、今更主張しない。歴史的、あるいは文化的理由による領有権の主張など、認めるわけにはいかない」

「歴史ではありません。1914年段階の国境を尊重する姿勢を見せて頂きたいと申し上げている」

 

 それは詭弁ではないか。私がそう反論するよりも前に、バシッチ老人は手を体の前に出すと「とにかく聞いて頂きたい」と発言した。

 

「これは正式な交渉ではなく、あくまでも率直な意見交換でしょう?だから私も率直に申し上げます。我々は何もブルガリアや貴国に編入された一部領土の回復や返還を、直ちに求めているわけではないのです。コソボにしても、今すぐ返せとは申し上げておりません。せめて一箇所だけでも潜在的な領有権を認めて欲しいという、極めて慎ましやかな要求を申し上げているのです」

 

 どのあたりが慎ましやかなのか?

 

「何度でも申し上げますが、何度言われても同じこと。何よりスカンデルベクの後見人であるドイツが、認めるはずがない。コソボの多数派ムスリムも、アルバニアに抵抗しているわけではない。セルビア人の民族意識を満足させるための要求だとしても、実現可能性のない夢を国民に見させることは不可能なのでは?」

「議長閣下。ロシアは共和制として、単一の共和制国家となったからこそキエフを切り捨てる事が出来ました。それでもケレンスキー君は大分苦労しているようですがね……閣下は先ほど、セルビアの民族主義者をカラジョルジェヴィチ家によって押さえ込みたいとおっしゃった」

 

 私が頷くと、老人は俄かに身を乗り出して、机に両手を付いた。

 

「セルビアにカラジョルジェヴィチ家の復帰を認めるというのであれば、精神的な建国の地の領有権すら認められないというのでは、どうやって民族主義者を押さえ込めるというのですかな?」

 

 最もらしく詭弁を並べ、堂々と弁護を続ける老人の愛国心に、私は感心していた。だからと言って、老人の主張を受け入れる余地はない。私はその点をより明確に答えた。

 

「我々としては、貴国のためにドイツと対立するつもりはない。そこまでの価値をカラジョルジェヴィチ家に見出しているわけでもない」

「では、こういうのは如何でしょう?」

 

 国民の半分以上が犠牲になったセルビアが、二重帝国とドイツ軍を恨んでいないはずがない。本来この場に望むだけでも、老人は政治的なリスクを背負っている。しつこく食い下がる老人の表情と口調からは、それまでの余裕は感じられなかった。

 

「我々はコソボの領有権の主張を続ける。ですが実際には行動には移さない。その環境を貴国が作ればよろしい」

「……国王を暗殺する人間の空手形を信じる国が、一体どこにあるというのだ」

「我々を信用せずとも結構。我々もハプスブルクを信用していませんので」

 

 ぬけぬけと言ってのけたバシッチ老人は、自らの試案なるものを披露した。

 

「アルバニア王国に、貴国が独立保証をかければよろしい。ドイツ人王族を守るためなら、ドイツとて必死になるでしょう。そうなれば敗戦国である我々が、国内で何を主張しようと、まともに取り合う必要などありますまい。黙認して頂ければ、我々としてはそれで良いのです」

 

 人の心の中を除くことが出来ない以上、今の老人が吐露した発言内容の真意を確かめることは出来ない。ただ老人が本気でそれを訴えているという事だけは、私に伝わった。誠心誠意騙そうとしているのだとしても、同じ事が私に出来るとは思えない。

 

 私は腕を組んで溜息をつくと、苦い口調で反論した。

 

「……そのドイツが、ベルギーの独立保証を破り、戦後の独立回復の約束も反故にしたのだ」

「存じております。だからこそセルビアにとっても都合がいい……所詮は口先だけの約束事、今はともかく将来の状況次第では現状の変更が可能。その為には国内復興が最優先と説得するつもりです。私としては少しでも国内の説得材料になれば、それでよいのです」

「嘘をつくための材料を提供しろというか」

 

 笑い飛ばすわけにもいかず、私は沈黙する。とはいえ老人の言い分はハプスブルクにとっても悪い話ではないのも事実だ。セルビアが旧領回復ではなく戦後復興に注力するのであれば、それも最初の仮想敵国がこちらでないのも、都合がいい。

 

「……仮に、仮にだ」

 

 私は言葉を選びながら、老人に確認した。

 

「御老体の言い分が事実だとしよう。そのような話を、一体誰が信じるというのか?」

「追い詰められた人間が信じるものは客観的事実ではなく、自分が信じたいものです……議長閣下も覚えがあるのでは?」

 

 「サミクラウス」の問いかけに、私は「ふんっ」と鼻を鳴らした。

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