負けず嫌いな新田さん 作:弥生
「──はい。とりあえず、説明はここまで。次の仕事の段取りは理解できた?」
「大丈夫です」
プロデューサーの問いに頷いた美波は、笑みを浮かべてテーブルにあるクッキーを食べる。
これはかな子が差し入れに持ってきたものなので、味の美味しさは折り紙つきだ。
現に美波も満足したのか、笑顔が深まっていた。
現在、プロデューサーは事務所で美波に次の仕事の段取りを教えていた。
アイドルに気持ちよく仕事をしてもらうために、こういった事前報告は欠かせないのだ。
それも終えたため、今はどこか弛緩した空気が漂っている。
「今回の仕事はバラエティーだけど、大丈夫か?」
「問題ないです。前にも何度かやったことありますし、プロデューサーさんが持ってきた仕事ですからね。信頼していますよ」
「ははは、じゃあその信頼に報わなきゃなあ」
「ふふっ……あ、そうだ。このあと、プロデューサーさんも時間ありますよね?」
「ん? まあ、少しならあるけど」
プロデューサーがそう答えた瞬間、美波の両目がキラリと光った。
まるで獲物を見つけた猫のような瞳で、怪しい笑みを浮かべながらクッキーを摘む。
「じゃあ、今から私と勝負しませんか?」
「……まあ、いいけど。勝負の内容は?」
「しりとりです」
ビシッとクッキーをプロデューサーに突きつけたあと、それを口に入れて満足げになっている美波。
対するプロデューサーは、呆れたため息を隠しもしなかった。
「しりとりなら、前にやって俺の勝ちだっただろ?」
「だからですよ。今度こそはリベンジを成功してみせます!」
「はぁ……無駄だと思うけどな」
「むっ。私だって、あれから言葉を学んで覚えたんですからね。甘く見てると痛い目にあいますよ?」
「はいはい。で、どっちから始める?」
「あ、待ってください。ただしりとりをするだけだと面白くないですし、ここは文章しりとりをしましょう」
「文章しりとり?」
首を傾げたプロデューサーに頷き、指を立てた美波がそれを振りながら言葉を繋ぐ。
「そうです。単語だけではなく、その文章を繋げるんです。もちろん、意味のない言語や文脈がおかしかったらダメです」
「うーん。いまいちピンと来てないけど、まあやってみようか」
「じゃあ、私からいきますよ。──しりとり、スタート!」
手を合わせた美波の合図により、急遽文章しりとりという催しが始まった。
美波は手を合わせたまま小首を傾けており、微笑を浮かべてプロデューサーを促している。
この場面だと、スタートの“と”が最後の言葉となるのだろう。
つまり、プロデューサーは“と”から始まる言葉で、美波に文章……話題を振らなければならない。
普通に話す分にはいくらでも出てくるが、いざしりとりの体を取ると言われると、中々それらしい文章を思いつくのが大変だ。
腕を組んで頭を悩ませているプロデューサーは、ふと美波の様子の変化に気がつく。
彼女は可愛らしいポーズのまま、微かに口角を吊り上げていた。
『──さあ、言葉が出てきますか?』
言葉にせずとも、視線が物語っていた。
美波はこれを狙って、プロデューサーにしりとりを提案したのだと。
恐らく、美波自身はあらかじめ練習していたのだろう。だからこそ、不慣れなプロデューサーを見て、しめしめとほくそ笑んでいるのだから。
しかし、プロデューサーだってただ負けるわけにはいかない。
それによくよく考えれば、文章になればいいのだ。単語を言うより、簡単に続けられる可能性だってある。
適当に思いつくまま、話していけばいい。
「とりあえず、しりとりの概要はなんとなく理解した」
「助けが必要かと思いましたが、大丈夫なんですか?」
「からかわないでくれよ。幼児じゃあるまいし、なあ?」
「あはは、それもそうですね」
表面上は一見普通の会話に聞こえなくもないが、二人の頬は早くも引き攣っていた。
お互い声にせずとも、このしりとりが面倒だと思わずにはいられない。
そもそも、しりとりを文章でやるのが間違っているのだ。
普通にしりとりをすればいいのに、どうしてこんな捻ったことをするのか。
プロデューサーが下手人を見つめると、当の本人は気まずそうに目を逸らした。
「ねぇ、もうこのしりとりやめない?」
「嫌です、それじゃあ私が負けたみたいになるじゃないですか」
「硬いな、相変わらず。……ず、って言葉で思ったんだが、流石に濁点の有無なんかは見逃してくれる?」
「ル、ルールは柔軟に変化させるべきなので、認めましょう」
絶対、自分が負けないために、ルールを緩くしたかっただけだろう。
練習したとはなんだったのか。美波の意思が弱すぎて、なんだか残念な気持ちが湧いてくる。
プロデューサーにとっても助かると言えば助かるので、特に文句があるわけでもないのだが。
とはいえ、このまま話しているだけでは、美波に勝てそうにない。
ここは一つ、会話の流れを変えてみるべきだろう。
立ち上がったプロデューサーは、わざとらしく伸びをしながら口を開く。
「うーん、それにしても今日もいい天気だなー」
「……なにが言いたいんですか?」
「カロリー」
その言葉に、大袈裟に肩をすくめさせる美波。
プロデューサーの視線がクッキーに向いているのに気がつき、慌てた様子でこちらを睨む。
「り、量は調節しているので」
「でも、かな子のお菓子は美味しいから、つい食べ過ぎちゃうんじゃない?」
「い、いえいえ、そんなことはありませんよ。夜までに食べた分は減らしますから」
「ラクロスをして?」
「です!」
手強い。
鼻息荒く頷いた美波の言葉を、中々上手く崩せない。
動揺させて違う言葉を言わせる作戦だったが、どうやら無駄骨だったようだ。
頭を掻いたプロデューサーを見て、美波は甘いですね、と笑みを浮かべた。
手を向けて次は貴方の番ですよ、とプロデューサーを促す余裕すらある。
「随分と、余裕があるな」
「なんて言っても、プロデューサーさんに勝つためですからね」
「ネタが思いつかなくなればいいのに」
「逃がしませんよ。よく考えればちゃんと文章になりますので、今回は勝ってプロデューサーさんに土をつけさせます」
「凄い気合いだな、ほんと。……ところで、後ろに黒いあいつがいるんだけど」
プロデューサーが美波の背後を指さすと、彼女の表情がわかりやすく固まる。
冷や汗を大量に流しながらも、努めて冷静な顔のまま肩をすくめた。
身体の震えは誤魔化せなかったが。
「ど、どうせプロデューサーさんのはったりでしょう?」
「裏をかいて、本当のことを言っているのかも?」
「……も、も、もう、プロデューサーさんには騙されませんよ!」
「よーく耳を済ませてみたら、俺の言葉の真偽がわかると思う」
プロデューサーの言葉を信じてはいないが、念のため念のため。万が一、いやいや億が一にもそいつがいた時のためだから、信じていないけどそういうことだから。
そんな葛藤がありありとわかる面立ちで、耳に手を添える美波。
眉間にシワを寄せて集中しているようで、少しの音も逃さないと必死だ。
しばらくして、なんの物音もしないことを理解したらしい。
ジロリとプロデューサーを睨めつける目になりながら、美波が不満げに口を開く。
「後ろにはいなさそうなんですけど?」
「どこにもいないって?」
「デタラメだったんじゃないですか、やっぱり」
怒りを露わにする美波の膝へ向けて、プロデューサーが指をさす。
「両膝の上に、そいつが乗ってるよ」
「……よ、良くないです、そんな嘘をつくのは」
頬を引き攣らせた美波が震え声でそう告げるも、プロデューサーは首を横に振るのみ。
残念ながら、本当にそこにいるのだ。美波が背後に意識を向けていた隙を縫って、あいつは彼女の膝の上に飛び乗ったのだった。
完全に身体を硬直させたまま、視線だけを下に持っていく美波。
そこで例の黒い虫を見つけてしまい、じんわりと涙を滲ませていく。
「は、は、早く取ってくださーいッ!」
結局、この騒動でしりとりは有耶無耶になったため、引き分けといった形で落ち着くのだった。