負けず嫌いな新田さん 作:弥生
現在、プロデューサーは美波とスタジオ裏の楽屋で待機していた。
このあと彼女はテレビ出演の仕事があり、その準備が終わるまで待っている状態だ。
手持ち無沙汰気味に雑誌を読んでいる美波と、手帳を見てアイドル達のスケジュールを確認しているプロデューサー。
辺りには沈黙が流れているが、お互いに慣れているため嫌に感じない。
どこか居心地の良い、静かな空間になっていた。
「……ふぅ。とりあえず、こんな感じか」
「このあとはどうするんですか?」
「ん? えーっと、美波のスタジオ入りを見送ったあとは、一旦事務所に戻って他のアイドルを迎えにいく感じだな。今日はそんなに忙しくないから、気持ちゆっくりできそうだよ」
「あの、プロデューサーさんってよく働いていますけど、身体とかは大丈夫なんですか? 過労で倒れたりしないでくださいよ」
「ははは、そんなヤワじゃないよ。美波の方こそ、仕事に張り切りすぎるなよ?」
「わかってますって」
笑みを浮かべた美波は、壁にかけられている時計を一瞥。
番組が始まるまで時間はまだあり、もう少し楽屋で待っている必要がありそうだ。
予定確認が終わったプロデューサーも暇になり、自然と暇つぶしの方法を模索することになる。
しかし、プロデューサーと美波の二人ならば、格好の時間つぶしの手段があるだろう。
彼女もそれを理解しているのか、どこか期待に満ちた視線を向けてくる。
思わず苦笑いが零れたプロデューサーは、手帳をポケットに入れて口を開く。
「なにか勝負でもするか?」
「勝負ですか!? やります、やります! 今日こそはプロデューサーさんに勝って、気持ちよく仕事に望みたいと思います!」
「お、おお……相変わらず、凄い食いつきだ。それで、勝負内容はどうする?」
「うーん、そうですね」
プロデューサーの問いに、顎に指を添えた美波が虚空を眺める。
少ししてなにかを思いついたのか、悪戯っぽい笑顔で手のひらを突き出す。
「ここは一つ、簡単にじゃんけん勝負なんてどうです?」
「じゃんけんって、あのグー、キョキ、パーの?」
「そのじゃんけんです」
「うーむ……」
じゃんけん自体は、美波と何回かやったことがある。
それは普段の勝負でもそうだし、最後のお菓子をどっちが食べるか決めるためや、先行後攻がある勝負内容でどちらが先行になるか決めるためなど、多岐に渡ってじゃんけんが使われていた。
戦績としては、大体五分五分といったところだろうか。
最近は美波が勝っていたため、流れは彼女の方に向いているかもしれない。
恐らく、美波はそれを見越してじゃんけんを提案したのだろう。
「さあ、どうしますか? 私とじゃんけんをするか、尻尾を巻いて逃げるか」
「むっ、そう言われたらやらないわけにはいかないじゃないか。わかった、じゃんけんをやろうか」
「ふふっ、そうこなくちゃ!」
美波が好戦的な笑みを浮かべると、雑誌を戻してから両手を合わせる。
指を絡ませてストレッチをするようにしながら、静かに戦意を高めていく。
対するプロデューサーも、美波の表情をつぶさに観察をして、相手が出すであろう手を読み取ろうと試みる。
実際に効果があるかはわからないが、要は気の持ちようだ。もしかしたら、ヒントが見つかるかもしれない。そういった、願望のようなものであった。
「ルールは、いつも通り三回勝負。最初はグーの掛け声から始めて、一緒に手を出す」
「それで構いません。……ですが、今日の私はいつもとは違いますよ」
「どういうことだ?」
たしかに、今の美波からは揺るぎない自信を感じる。
普段の彼女ならウンウン悩みながら手を考えている最中なのに、どこか余裕すら窺える表情をしていた。
まさか、なにか必勝の手があるのだろうか。
プロデューサーの癖を見抜いたのか、それとも秘策を手に入れたのか。
どちらにしても、今日の美波はいつも以上に手強そうだ。
警戒して姿勢を正すプロデューサーを見て、美波は楽しげに口角を上げて言い放つ。
「──最初に私が出す手はグーです」
「なに?」
「もう一度言いますよ。私は、最初にグーを出します」
ありえない。
プロデューサーの心境は、この言葉に尽きた。
グー、キョキ、パーの三手しかないじゃんけんで、相手に自分の出す手を伝えるなど。
呆れを通り越して、無謀としか思えない。
いや、じゃんけんに限らず、勝負事において自ら手を晒すというのは、よほどのバカか自信家でしか……つまり、そういうことなのだろうか。
美波は自分の手の内を見せても、プロデューサーに勝てると思っている。
だからこそ、プロデューサーに宣言して、余裕そうにしているのだ。
ではなぜ、美波は余裕でいられるのか。
プロデューサーがチョキを出すと知っているからか。あの言葉は嘘で、プロデューサーにパーを出させるためか。その裏をかいて、プロデューサーにはグーを出させたいのか。
わからない。美波の考えていることがわからない。どの手を出せば勝てるのか、まったくわからない。
ここに来て、美波の思惑通り、プロデューサーは思考の坩堝に捕らわれていた。
仮に心理戦の戦いをしていたとしたら、今回は彼女の圧勝と言えるだろう。
なお、美波が自分の手を宣言したのは、最近読んだ漫画の影響で真似しているだけであった。
「じゃあ、いきますよ?」
「ま、待って、待ってくれ! まだ、なにを出すかを決めて──」
「最初はグー、じゃんけんぽん!」
美波の掛け声に釣られたプロデューサーは、思わず握り締めていた拳を突き出した。
つまり、プロデューサーの出した手はグー。対する美波の手も、当然グー──ではなく、パーだ。
「えぇ!?」
「やったぁ! 一回目は私の勝ちですね」
「ちょ、ちょっと待った! 美波は嘘をついたじゃないか! グーを出すって言ったのに、パーを出して」
「嘘はついていませんよ? たしかに、私はグーを出したじゃないですか」
「でも、実際に美波が出したのはパーで」
「最初は
プロデューサーの言葉を遮り、拳を振って微笑む美波。
その動作を見て、ようやく彼女の言っている意味がわかった。
「ず、ずるい! そんなの、最初はグーを出すに決まっているじゃないか!」
「ずるくないですよ。気づかなかったプロデューサーさんが悪いと思います」
「ぐぅ……」
まさにぐぅの音も出ない正論だ。いや、プロデューサーはぐぅの音を出していたが。
ともかく、今回に関しては、美波の真意を見抜けなかったプロデューサーの落ち度だ。
彼女はなにも間違ったことは言っていない。プロデューサーが勝手に出す手をグーだと思ったのだし、美波を責めることはできないだろう。
悔しそうにしているプロデューサーに、美波は満面の笑みを向けている。
よほどやり込めたのが嬉しかったようだ。今にも鼻歌を始めそうな表情で、普段のクールな美貌にキュート属性が追加されていた。
「ふふっ。さあ、どうします? 次の手は考えましたか?」
「じゃ、じゃあ、俺も次はパーを出す!」
「あら? プロデューサーさんも私の真似をするんですね。余裕がない証拠ですね。今回は、私の勝ちかもしれませんね」
「そんなことはない。次からは二連勝をして、この勝負に勝ってみせる」
同じように心理戦を仕掛けたのだが、美波は特に堪えた様子がない。
パー宣告をしたプロデューサーを、微笑ましそうに眺めている。
そのやけに余裕たっぷりな態度を見て、プロデューサーは冷や汗を垂らす。
もしかしたら、自分はなにかとんでもない見逃しをしているのではないだろうか。
いつもの美波ならば、もう少し慌てているはずなのだ。そういった様子もなく、むしろこちらを観察する素振りすらあるなんて。
おかしい……そう、おかしい。
違和感があるとも言っていいだろう。一体、彼女の身になにがあったのだ。どのような修羅場を潜れば、そこまで高度なポーカーフェイスを維持できるのか。
ちなみに、美波は特になにかを考えているわけでもなく、「漫画に従っていれば、プロデューサーさんに勝てますね!」とある意味思考停止をしているだけだった。
思わず唾を飲み込んだプロデューサーをよそに、美波も笑顔のまま拳を突き出す。
「じゃあ、私もまた宣言しますね。私は、次の手もグーにします」
「どうせ、さっきと同じことを言うつもりなんだろ?」
「いいえ。掛け声のあとの手もグーです。つまり、二回連続グーを出します」
「そうすると、次の勝負は俺の勝ちになるぞ?」
「それはどうでしょうか?」
訝しむプロデューサーに対して、美波は涼しい顔つきだ。
仮に二人の宣言通り手が出されるとすると、プロデューサーがパーなので、美波のグーに勝つことになる。
実は美波が出すグーは石より硬いから紙のパーでも勝てない、などといったハウスルールもないため、本当にプロデューサーが勝利することになるだろう。
しかし、そうなると彼女の行動が解せない。
普通ならば、美波はチョキを出す宣告をして、プロデューサーへプレッシャーをかけるべきだ。
それをせずに、わざわざ負ける手を自分に教える意味不明な動き。
怪しい。怪しすぎる。なにかを企んでいるに違いない。むしろ、美波のお腹が真っ黒すぎるから、このような異次元の行動をするのではないか。
腹黒美波、やはり美波は腹黒であったか。
思えば、普段からその兆候が現れていた気がする。勝負をするようになってから、最初は可愛らしく素直だったのに、今では小狡い策を考えたりして、プロデューサーをやり込もうとしてくる。
他の担当アイドルも「アー、美波、変わりましたか?」と不思議そうにしていた。なお、その言葉を知った美波は、珍しくかなり落ち込んでいたが。
「むっ。プロデューサーさん、なにか変なことを考えていませんか?」
「そ、そんなことないぞ。決して、美波が恐ろしくなったなんて考えてないから」
「わ、私はそんな怖くないですから! ただでさえ、アーニャちゃんからも色々と言われて傷ついているんですから……もう、これも全部プロデューサーさんのせいですからね! 責任取ってください!」
「責任と言われても、どうすればいいのかわからないが」
「……なんかムカつくので、もう言いますよ。はい、最初はグー!」
「さ、最初はグー」
『じゃんけんぽん!』
掛け声と同時に手を出し、互いの手のひらを確認。
美波は宣言通り、グー。対するプロデューサーは──チョキだった。
「えぇっ!? 美波はパーを出さないのか!?」
「あー、プロデューサーさん嘘をつきましたね! 嘘をつくなんていけないんですよ」
「いやいや、なんでそっちはグーを出してるの? そこは裏をかいてパーでしょ」
「ふふん。私は怖くもないし腹黒でもないので、素直に手を出すんですよ。どこかの嘘つきプロデューサーさんとは違いますから」
「うっ」
ジト目を向けれたプロデューサーは、気まずさで目を逸らした。
色々と悩んだ結果、美波はパーにすると踏んでいたのだが、これでは自分が疑心暗鬼になっていただけではないか。
まさに無駄な労力。空回りの果て。骨折り損のくたびれもうけであった。
「というわけで、今回は私の圧勝でしたねっ」
「待って、もう一回! もう一回じゃんけんをしよう!」
「残念ですけど、もうスタジオ入りの時間ですので、行きますね」
「一発勝負でいいから! 頼む!」
「ふっふっふ。勝利した状態で始める仕事は気持ちいいですね〜!」
呼び止めるプロデューサーを無視して、美波は鼻歌混じりに楽屋を出ていった。
結局じゃんけんに負けたまま汚名返上はできず、思わずがっくりと肩を落とすプロデューサー。
「……事務所に戻ろう」
人の言葉は素直に信じよう。
今日の教訓を胸に、プロデューサーも楽屋を退室するのだった。