「ここは……」
一夏は目を覚ました。自分が今何処にいるのかわからない。記憶はビルの間で倒れたところで途切れていた。
(確か……誰かが来て、それで……)
清潔感のある天井に目をやりながら、匂いを嗅ぎ、耳を澄ます。すると薬品の臭いと心電図の音がしたため、ここが何処かの病室だということがわかった。
起き上がろうとするが、力が入らない。自分がどれだけの間眠っていたのかわからない。一週間なのかそれとも一ヶ月なのか……
「あら、起きたのね」
1人の女性が部屋の中に入ってきた。女性は長い豊かな金髪で、年齢は織斑千冬とさほど変わらないと思う。
「あな……たは……」
一夏は彼女に見憶えがあった。あの雨の日に一夏が意識を失う前に最後にみた女性にそっくりだった。
女性は一夏の寝ているベットに近づくとリクライニングベットを起こし、自分はそばにあったイスに座って一夏と対面する。
「始めまして、織斑一夏くん。私の名前はスコール・ミューゼル。」
一夏はスコール・ミューゼルと名乗った女性が自分の名前を言った事に驚いたが、それよりも気になる事がある。
「僕は……どうなったんですか……」
一夏が力を振り絞って言ったその一言には多数の意味が込められている。その言葉はとても弱々しく、そして震えていた。
「…………」
沈黙
スコールは一夏から目を逸らしてしまう。目を逸らす。たったそれだけの行為、たったそれだけ。しかし、一夏にとって知るには十分だ。
「あなたは……戸籍を消されているの」
気持ち悪い汗が背中に流れて行くのがわかる。
「あなたは死んだ事になっているの。それどころか、今迄あなたという人間がいなかった様にされているだから、今までいた場所には戻れない」
一夏の中で何かが割れた。
スコールさんからの言葉を聞いた瞬間僕の頭が真っ白になるのがわかった。否定したい、その言葉を否定したい。
「ふっ……ふっ……」
だんだんと呼吸が乱れてくる。早く息を吸わないと、でも今迄どうやって息をしていたのかわからなくなって来た。確か、空気を吸って、吸って、吸い続けてそれからどうしてた?
今までの様に生きられない。つまりはアリサや誘宵さんたちにも会えない、マドカを探す事もできなくなってしまう。
嫌だ
「はぁ、はぁ……うぉ……うっうっ」
呼吸もできないし、吐き気も催して来た。このままじゃ死ぬ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
ギュ
「大丈夫、私がいるから。落ち着いて」
突然、スコールさんが優しく抱きしめてくれた。
「はぁ……はぁ……」
だんだんと呼吸が整っていくのがわかる。気持ちが楽になってくる。けれど今度は涙が出てくる、ボロボロと。悲しいわけではない、だんだん心が落ち着いていく感じがするにも関わらず涙が溢れ出てくる。
「大丈夫、泣いて良いのよ。辛かったのね、存分に泣いていいのよ」
スコールさんが優しく頭を撫でてくれる。暖かい、久しぶりに感じる人の暖かさ。その後、僕はスコールさんの胸の中で泣き続けた。
「すいません、迷惑をかけてしまって……」
あれから数分後、泣き止んだ僕はスコールさんと面と向かって話している。
「いいのよ、気にしなくて」
スコールさんは僕が泣いている間、何も言わずにずっと頭を撫でてくれた。誘拐されてから始めて感じた人の暖かさ、それが僕にとってはとても嬉しいものだった。
「それで、あなたの誘拐事件の顛末について話すけど、構わないかしら?」
「……はい、大丈夫です」
返事をするとスコールさんは深呼吸をする。そして僕の目をジッと見て話し始める。
「あなたを誘拐したのは『ネオ』という組織」
「ネオ……ですか」
「それでそのネオと私達、
「そうですか……でもどうして僕は誘拐されたんですか?」
「それは……えっと、織斑千冬を棄権させるためとあなた自身を殺すための道具にするためよ」
「……やっぱりそうでしたか」
スコールさんが少し戸惑ったのが気になったが、やはりそうだったか。気づいていた。でも一応聞いておきたかった
「それで、僕はこれからどうしたらいいんでしょうか?戸籍も既に消されているんですよね?」
僕がそう言うとスコールさんは「ふふっ」と軽く笑い。
「大丈夫よ、私達があなたを保護するから。それにもしあなたが私たちの保護から離れると、またネオに誘拐されるかもね」
クスリと微笑みながら言い放つその言葉に思わず背中からゾクりと何か不気味な物を感じてしまった。この人のいっている事は本当だと僕の本能が叫んでいる。でもこの人は悪い人ではないとも叫んでいる。確かに、もし僕がこの組織を抜けてもとに戻ると言うのであれば、今度は僕の身近にいる人、アリサに迷惑がかかってしまうだろう。そんな事は駄目だ。
「それに」
スコールさんが続ける。
「あなたに会いたがっている子もいるしね」
スコールさんがそういうと同時に入り口が勢いよく開かれた。中に入ってきたのは1人の黒髪の少女。彼女は僕の姿を見ると、勢いよく抱きついてきた。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!よかった、よかった」
僕に抱きついてきた少女、それは。
「マドカ!本当にマドカか!」
織斑マドカ、僕の誘拐された妹。よかった、あれは夢じゃなかったんだ。
「おにいちゃーん!私、嬉しかったんだよ。お兄ちゃんがテレビで私の事を気にかけてくれた事」
マドカが泣きながら話す。そうか、マドカはあの放送を見ていたんだ。無駄じゃなかったんだな、よかった…………でもなんでマドカがここに?
「マドカ、泣かないで。泣いたらお兄ちゃん悲しくなるからさ」
僕はなんとか腕を動かして抱きついているマドカの頭を優しく撫でる。昔はこうやって泣いていたマドカを泣き止ませていたっけ。そんな事を考えながら僕はスコールさんの方を向く。マドカは撫でられて安心したのか泣き止んで僕から離れた。
「どうしてここにマドカがいるんですか?」
「それはね、彼女があなたと同じ様にネオに誘拐されたの。それで私たちが救出して保護しているの」
「そうなのか?」
「うん。それでずっとここで生活していたんだよ」
そういいながら僕を抱きしめる力が強くなっていくマドカ。そんな様子を見たスコールは微笑みながら、席を外した。
しばらくするとマドカは泣きつかれたのか椅子に座ったまま僕のベッドに寄っかかって寝てしまった。
「ん~、ん~」
ゆっくりと寝息をたてながらぐっすりと眠っているマドカ。思わず微笑んでしまう。何年ぶりだろうか、こうやってマドカの寝顔を見るのは。誘拐された時よりも当然成長している。僕は力を込めてなんとか動かして布団から手を出して、彼女の頭をゆっくりと撫でる。ゆっくりとゆっくりと、彼女を傷つけない様に大切に撫でる。
「ゴメンな、マドカ。今まで心配かけちゃって、でもこれからは大丈夫だからな……」
涙が出てしまう。数年振りの妹との再開の嬉しさ。そして、そんな状況であるのにも関わらず、まともに接してあげる事もできない自分に対する嫌悪感から涙が出てしまう。
「お兄ちゃん……強くなるからさ」
そんな事を言いながらも僕は撫でる手を辞めない。
『だったら早く来て』
「!」
僕はあたまの中に響いた声に驚きながら辺りを見回す。しかし、音の発生源は何処にもない。当然だ、もしあれがこの病室になんかあったら大変な事になってしまう。
「……ISがなんで僕を呼んでいるんだよ」