一人欠けた四人テーブル、僕は漸く泣き止んだ。この歳になってここまで泣いてしまうなんて、少し恥ずかしかったけれど、なんだかとてもスッキリした。たまにはこうやって、めいいっぱい泣くのも悪くないのかもしれない。頃合いを見計らって、高橋が話しかけてくる。
「さて、落ち着いたか、帆高。
「悪い、もう大丈夫だ。あれ、井上は?
僕は空の椅子を見ながら尋ねる。椅子の前には描きかけのスケッチブックがおいてあり、その上を鉛筆がフェリーの振動で転がっている。
「所用だ。少し席を外すそうだが、まぁ気にするな。
「そうそう、どのみちもうしばらくは帰ってこれねぇからよ。
「そ、そうなのか?
「ま、細かいことはいいのさ。それより高橋
、続きを聞かせちゃくれねぇか?
「ん?この記事ならもう殆どは説明し終えたが。
「そうじゃねえよ。お前のわかったことがこの記事の内容だけとは到底思えねぇ。つか、わかって言ってるんだろ?
「ふっ、察しがいいな。
「伊達に長く付き合っちゃいねぇよ。
「そうだな。では話すとしよう。そこにいる子犬も待ちきれない表情をしていることだからな。
「誰が子犬だ!!
「ところで帆高、何かこの文章を読んで気づいたことはなかったか?
「誤魔化すなよ………いや、なんだか懐かしい気はしたけれど、特にないかな…
「なら、執筆者名のところを見るんだ。お前のよく知る人物が、そこにいる。
「え、まじか、てか、まさか!
僕は慌てて、文章の終わりを探す。特殊ページの最後の文の端の方に、ちょこんと書いてある。執筆者、K&A プランニング、須賀 圭介…
「須賀さん!?!?え、どういうこと?
「どうもこうもない。彼の記事が一面特殊に採用された。ただそれだけの話だ。
「え、この人、帆高の知り合いなのか?一面特集とか、俺よくわかんないけど凄そうだな!
「いや、その認識で合っている。こんな雑誌と思うかもしれないが、なかなか歴史があり、載せる記事もかなり厳選しているようだ。それの特集ともなると、並大抵の腕ではないのだろうな。
「須賀さん……
出会った時も、その後も、色んなことで助けられた。最後も、僕を信じて、わかってくれた人…よかった。僕のせいで捕まったりとかで、仕事に影響とかあったらどうしようと考えてたけれど、この分なら大丈夫と思っていいのだろう。東京に行ったら、一度は会いに行って、お礼を伝えないとね。ん、まてよ。僕はまだ高橋に須賀さんのこと話してなかったはず、どうして知ってるんだろう。僕は雑誌から顔を上げ、高橋を見つめる。
「どうして知っているのか、だろ。それは私がこの人に昨日電話をして、話を聞いたからだ。
「え、そうなの!?須賀さん、元気そうだった?俺のことなんか言ってた?
「待て待て、そう急くな。ちゃんと順序立てて話すつもりだ。
「そうそう。そうなる気持ちは分かるけどよ、黙って聞いてようぜ。
「あ、悪ぃ。
「気にするな。さて、話を続けるぞ。五分ほどで読了した私は、その内容とタイミングの良さが気がかりになってな、すぐさま検索して、この著者の事務所に電話をかけたのだ。そしたら、なんと著者本人の須賀氏が出てくれたのだ。私はこの時ほど、神の存在とやらを信じてやっても良いと思った事はない。
「確かにすげー確率だな!色々と!
「そ、そうだね…
僕は苦笑いで応えてしまう…あ、夏美さん、就活、上手くいったんだな…僕が見ている限りでは、須賀さんはあまり積極的に自分で電話を取ろうとはしていなかった。多分、めんどくさいのもあったろうけど、催促の電話から逃れるのが最もだったのだろう…そんな須賀さんが、しかも夕方なんかにかけて出るってことは、恐らくそういうことなんだろう。夏美さん、懐かしいな。とても面倒みのよく、めちゃくちゃだったけれど、とても優しい人だった。バイクと就職を駄目にすることも厭わず、僕を助けてくれたことは、絶対に忘れない。…元気にしてるだろうか…いや、あの人が元気じゃない姿なんか、想像できないな。多分、大丈夫だろう。もし東京で会えたら、あの時のお礼を伝えよう。そうだ、凪先輩にも、ね。まぁ、先輩には、陽奈さんを助けてからにしよう。そうでないと、締まらないや。
「ともかく、自由研究の一環で調べていて、少し教えてほしいことがあると言ったら、少し面倒げだったが、丁寧に教えてくれてたのだ。それで、要件も済んだから切ろうとしたら、どこの高校かと聞かれて、答えたら、同級生に帆高って奴はいないかと聞かれてな。その子の彼女を救うために色々と調べていると答えたら、態度が一変してな。もうそこからは向こうの質問責めを食らわされたのだ。元気かとか、最近の様子はだとか、まさに機関銃のように聞かれたさ。ああ、勿論ちゃんと答えておいた。向こうも納得してくれた様子だったから、問題ない筈だ。
「そ、そうだったのか…よかった。ありがとう高橋。
高橋はただ笑って頷いてくれた。やっぱり、いい奴だな、感謝してもしきれないや。
「で、結局その人と帆高の関係ってなんなの?
「東京で途方に暮れていた帆高を住み込みで雇ってくれた人だそうだ。
「え!まじかよ!そんな人だったのか!つか帆高、お前そんな大事なことなんで言わないんだよ!
「え、俺言ってなかったっけ?つか、これ、そこまで重要?
二人は同時に、はぁぁ、と深いため息をついた。…訳がわからない…
「あのなぁ。須賀さんはこの手のプロだろ?だったらはじめっからこの人に聞いときゃあよかったじゃねえか。そしたらもっと色々とわかったろうし、お前の東京行きのことも前もって話せたじゃんかよ。
「うっ……
「全くもってその通りだ。しかも、この文章の一部はお前の文をそのまま使っているそうだ。つまり、お前はこの記事の原案を見たり、もしくは取材に同行したりしていたのだろう?何故その時に見たことや聞いたことを私たちに話してくれなかったのだ?
「ううう!!そ、それは、その、あの、ええと…………
二人の目が、僕をじっと見つめる。ま、まずい…だけど、もう正直に言うしかない…
「………ごめん、忘れてた……
「はぁぁ。だろうと思ったよ。
「マジで、すみません……
「まぁ、帆高のことだ。保護観察中の身だから、電話をかけては迷惑だろうと考えていたのだろう。心の片隅くらいでな。
「おっしゃっる通りです……
返す言葉もなく、僕は項垂れた…
「まあ、今はそれは置いておこう。ともかくそこから話が弾んでな、もっと色々と教えてくれたのだ。おい、帆高、そろそろ戻ってこい。せっかく例の廃ビルの場所まで教えて頂いた須賀氏の好意が無駄になる。
「え、まじか!
僕は勢いよく顔を上げると、高橋がマップアプリを開いたスマホを見せてきた。
「ここは…そうだ!ここだ!!線路も近くにあるし、間違いない!!
「へーなになに、旧代々木会館、へーこんなビルか。帆高良かったな。歩いて確かめるなんていう、時間のかかることしなくていいじゃん。これでもっと早く陽菜ちゃんに会えるってもんだ。ほんと、須賀さん様々だな。
「ああ、ほんとだよ!!須賀さんに感謝しなくちゃ!
どうしてこんなことを言っているかというと、僕が神社の詳細な場所を忘れていたからだ。だから、あの時走った道をもう一度走って、思い出そうとしていた。よし、これで余計な時間を使わなくて済む!気を利かせてくれた高橋には本当に感謝するほかない。今度何か奢らなきゃね。
「よし、ならもう他に問題はないだろう。あとは帆高、お前の根性とやる気次第ということだ。覚悟はできているな?
「当たり前だろ!!俺は、絶対に陽奈さんを取り戻す!そう約束したから!
血が滲み出るほど、拳を握りしめる。これが、この言葉が、僕の覚悟の証だ。高橋は満足げに笑う。
「それなら大丈夫そうだ。ん、言い忘れていたが、須賀氏からお前にと、伝言を預かっている。
「え、何て言われたの!?
身を乗り出す僕をまあまあと手で押さえながら、高橋は話し出す。
「帆高、お前のせいで逮捕されかけた、つか逮捕された。それで危うく仕事と娘を失うとこだった。だから東京に来たら、なんか美味しいもん買って、俺の事務所に来い。あとビールもな。ともかく、顔を見せに来い。それとあまり気負うなよ。だとさ。
「うん、わかった。俺、気負わないよ。
須賀さんも、やはり色々あったみたいだ。でも、相変わらずだな。やっぱりあの人は、なんだかんだでよく人を見てる。本当に、僕は恵まれているな…あとあんな感じだけどやっぱり良い人だ…ビールのところがなかったら、もっとね。
「よし、なら、これで報告は以上だ。あとは先ほども言ったが、お前次第ということだ。私達は後方支援に徹する。しっかりやれよ。
「そうだぜ!!バックアップは任せな!お前はシャキッとビシッとしてりゃ、それでいい!
「ああ!俺、頑張るよ!
二人はニカッと笑って、拳を寄せてきた。僕も拳をぶつける。そうだ、あとは本当に僕次第、頑張る他ないんだ。いや、もうともかく、会いたいんだ!!なら、なんだってやってやるさ!!別に気負うつもりはないよ。だけど、これは僕にしか出来ないんだ。覚悟はもう、出来てる!
「よーし、じゃあとりあえず今さ、今日行くとこもっかいチェックしとかね?
「ふむ、まぁ悪くはないだろう。はっきり言って暇な訳だしな。
「うし!なら、今日最初に行くとこなんだけど
「あ、悪い!ちょっと、二人に聞いておきたい事があるんだけど…
「なんだ?
そう、僕はとんでもなく今更なことが気にかかって仕方がなかった。
「二人はさ、どうして俺の話を信じてくれるんだ?今更なのはわかってるけど、どうも気になってさ…
二人は目を丸くして僕を見つめ、そして笑い始めた。
「ははははは!!!ほんとに、ほんとに今更かよ、はははは!!!ひーおっかし、ふふ、ははは!!はは!!いーひひひ、ひひひ、!!
「ふふ、そ、そうだな、ふふふふ、くくく、全くだ、くくく、ふふ、腹が、よじきれそうだ、くはははは!!
「な、そ、そこまで笑うことはないだろ!!
僕は顔を真っ赤にして言い返すと、二人はさらに笑いだした。…ムカつくけど、笑い止むのを待つ。
「ひひひ、ふ、ふぅ。わ、悪りぃ、ふふ、そこまで笑うつもりは無かったんだが、ふ、ふふ、つ、ツボにはまっちまってよ、ふふ、
「くく、同じくだ、くくくく、す、すまんな、くくく
「…もういいさ。そりゃ笑い飛ばされるってわかってたよ。
「ふぅ。ちげぇって。そんなに拗ねんなよ。
「拗ねてなんかねぇよ!
「くく、そういうところを山田は言っておるのだ。
「ぐぬぬぬぬぬ。
「ま、いいさ。ともかく、なんで俺たちがお前の話を信じたかというと、そりゃダチだからに決まってんだろ。
「え…
「その通りだ。それに、あそこまで一生懸命で、必死な表情で語るお前を、無碍に嘘つきだとすることなどありえんよ。
「そ、そうだったのか…
なんだか、ホッとした。そりゃみんな大事な友達なのは当たり前だけど、正直面白いからだとか言われるかと思ってたから、嬉しかった。
「それにだな。不可解な偶然も重なり過ぎている。私としては、これを見逃してはならないと感じている。
「え、どういうこと?
「つまりは、こ
「おーいみんなーー!!ちょっとテレビに注目してくれーー!!!
高橋の話を遮って、山田先生の声が船内に響いた。声の方を向くと、先生がテレビを凝視していた。僕らも、テレビの方に体を向ける。ごく普通の朝のニュース番組が映っている。どこかの行楽地であろうところに、女性のアナウンサーが観光客に取材している。すると、唐突に画面が暗転し、切り替わった。緊迫した表情のアナウンサーが、スタジオの椅子に座り、机の上の資料を読んでいる。画面下のテロップには、大きく緊急速報の文字が描かれている。騒めく船内に、アナウンサーの声が響きだす。
「えー、ただ今入りました速報です。現在、東京上空に、非常に巨大な積乱雲が発生している模様です。詳しいことはまだわかりませんが、五分程前から突如発生し、急速に発達しているようです。規模は、まだ現時点でははっきりと分かりませんが、去年の局地的豪雨に状況が酷似していますので、お出かけ中の方は十分注意して下さい。現在中継車の映像を確認しております。もう少々お待ちください。では、ここで各地域の情報を…
「と、言う訳だ!!だから、屋外関連の班は、ちょっとこの事を頭に入れておいてくれ!!
山田先生が座ると、船内は更にざわめきたった。
「えーー!ウチら行くとこオープンテラスカフェだから、マジありえないんですけど!
「ほんとね!天気さん、マジないわー。
「どうする?違うカフェにする?
「えー今回あそこ狙いだったし、まぁ傘させばなんとかなるでしょ!
「いや、傘の方がマジでないわ…
「うーん、だったらさ、ここのカフェとか……
女子はそうやって騒いでいたが、僕らは微動だにせず、固まっていた…
「おい、まじかよ…なんか、映画みたいなタイミングだな…
「ああ、本当に、これが偶然とは思えんな…
「…偶然なんかじゃない…
僕は呟くように、続ける。
「陽奈さんが、空から出て来てくれたんだ!僕が来るのを待ってるんだ!絶対に、絶対にそうなんだ!!偶然なんかじゃない!!
「帆高……
椅子から立ち上がり、僕ははっきりと、そう告げた。そうだ、これは偶然とか、神さまの気まぐれとかなんかじゃない。僕と、陽奈さんにとって、必然なんだ!!すると、突然ドアの開く音が僕らの耳に流れ込んできた。
「ねぇ、三人とも!!外、凄いよ!!早く来て!!
井上が船内に飛び込み、僕らを呼ぶ。その顔はいつにもなく必死な表情だった。僕ら三人は一瞬顔を見合わせ、駆け出した。ドアを通り抜け、そのまま室外の柵まで進む。
「うわ!!
「おい、帆高!気をつけろ!!
ドアをくぐり抜けた僕らを、とてつもない風と揺れが襲った。一瞬だけど、体がほんとに持っていかれるかと思った。いや、山田が背中を持ってくれてなかったら、危なかったかもしれない…なんとか、船縁の柵に、体をくくりつけるかのように、へばりついた。船は大きく上下に揺れ、まるで僕らを振り落そうとしているかに思えた。顔に当たる水飛沫、風、そして揺れ、全てが恐ろしく、現実だった…
「くっ、風も酷いが、予想以上に波も酷いな、これは…
「あ、あれ!?さっきまで、ここまで酷くかったのに、うわぁぁ!!
「井上!大丈夫か!?
「な、なんとか…いま、ガチで、やばかった…
「しっかりと両手で柵を掴め!!冗談抜きで、船から振り落とされかねないぞ!!
「っ…ああ!!
声を振り絞って、返事をする。そうでないと、届かない。僕はなんとか、空を見上げる。朝まで綺麗さっぱりと晴れていた空は、まるでとめどない怒りを発散するかのように荒れ狂っていた。細長い雲が尾を引くように動いている。まるで、空に住む龍のように見えた…それに応えるように海も更に大きく荒れ始めた。顔に当たる水飛沫の量も、増えている気がする。もはや遊園地のアトラクションをも超えるそれは、僕らの恐怖を更に刺激した…
「くっ…まるで台風の側に居るみてぇだな、こりゃ!!
「ね、ねぇ!戻った方が良くない!?
「無理だ!今戻る方が危険すぎる!!それに、どのみちここまで揺れていては、ぐっ…
「わわわわわ!!また、また揺れが、大きくなった!!
「くそ、マジでヤベェな!!!どうする!?
「耐えるしかあるまい!!なんとかな!
「ねぇ見て!!あれ!東京の空なんじゃない!!??
「え…は!!
なんとか目をこすり、顔を上げ!井上の指し示す方向を見る。そこにあるのは、僕が去年見た、東京の姿そのものだった…だけど、井上の指しているところはそこではなくて、それよりも高いところだった。そこは、東京の空だった、筈だ…だけど、そこにあるのは、雲の山だった…
「おいおい、なんだよ、ありゃあ…
「馬鹿な、あれが、積乱雲、だと…
「で、でかい……
三者三様に、反応する。でも、そのどれもが正しくて、どれもが感嘆と、恐怖を秘めていた…僕は、じっくりと眺めた。とぐろを巻いた、とてつもなく大きな積乱雲。それが、東京の空を覆い隠すかのように、ゆっくりと、広がっていた…見ている間も、どんどん、どんどん大きく、強くなっているのが、見て取れる。
フォォォォーーンンン
突然、腹の底から震え上がるような轟音が響き渡る。それは、追い討ちをかけるようにして、僕らの恐怖をかき立てた。
「な、な、なんなのこの音ー!!ま、マジで、怖すぎなんですけど!!!
「恐らく、風がフェリーの側面とぶつかっている音だろうが、それにしては、大きいな!
「くっ、また強い波が来るぞ!みんなしっかり掴まれよ!!
「さっきからずっとそうしてるよぉ!!!あと俺、疲れてきたんだけど!!
「あともうちょいの辛抱だ!我慢しろ!!
そんな願いも虚しく、ますます波が、風が、轟音が、強くなってゆく。
フゥォォォォォーーーーーーーーーンンンンンン!!!!
何度目かの轟音、僕にはそれが、まるで龍の咆哮のように感じた。思わず、顔を上げると、そこには、本当に龍がいた…
「雲の、龍!?!?
そう言わずにはいられなかった…見上げた先の空に、細長くて白い雲が、まるで龍のように動き、東京の空へと飛んで行っている。その先をみると、例の積乱雲の中心部に流れ込むように、何本もの細長い龍のような雲が繋がっている。それはまるで、周りの雲を貪り食べているような感じがして、ともかく恐ろしかった。そこら中に、風と風とがぶつかって出来る鈍い音が響き渡る。僕にはそれが、龍の雄叫びのように聴こえて、仕方がなかった。みんなも、僕の声に反応し、空を見上げる。
「ほ、ほんとだ!!ほんとに、ほんとのほんとに、ドラゴンだ!そ、空に、現代の空にドラゴンがいるぅぅ!!!
「ま、マジかよ…マジで、ドラゴンじゃねぇか、ありゃあ!!
「…本当にドラゴンかもしれんな…
「お、おい!!お前までそんなこと言うんじゃねえよ!!た、ただの、雲なんだろ!?おわ!!!
「くっ…今は説明している場合ではない!!みんな、しっかり掴まれ!!
更に波が酷くなり、僕らは振り落とされそうになる。もはやそんじゃそこらのジェットコースターどころではない。全身全霊を込めて
、しがみつく。そんな最中、僕の心はさっきからずっとざわめきたっているんだ。どうしてだろう。恐ろしいはずなのに、どうしてこんなにも心がざわざわするんだろう…僕自身のことなのに、僕自身が一番よくわからなかった…
「どーするの!?このまま、俺らマジで死んじゃったりしないよね?ね、ねぇ!!誰か返事してよぉぉ!!
「は、はは、も、もうじき収まるだろ。きっと、だから、も、もうちょいの辛抱さ!!
「それさっきも聞いたやつ!!ね、ねぇ、高橋、だ、大丈夫だよね!、お、俺たち、死んだりしないよね!!
「ふっ、わ、わからんな…
「わ、わからないってなんなのそれ!!高橋らしくないでしょ!!
「そ、そうだぜ!!らしくねぇ事言うなよ!!!うぉお!!
僕らは、高橋の方に顔を向ける。あの高橋が、こんな曖昧な返事などありえないからだ。高橋は必死にメガネを押さえながら、怒鳴り返すように話し出す。というか、そうでもしないと声すらまともに聞こえない。
「仕方なかろう!!!こんな事、経験した事ないのだからな!!それに、こんな事、ありえないのだ!!
「ど、どゆこと!?だってあそこにあんなでっかい雲あるじゃん!!
「それだ!!それが妙なのだ!いや、ありえないんだ!!普通はな!!ぐっ!!
また一段と揺れが酷くなり、言葉が途切れる。もう、高橋の方へ向くことさえままならない。船の傾斜は更に酷くなり、もし手を離しさえすれば、船を転がってゆくこととなるだろう…考えるだけでも、恐ろしい。
「普通なら、この規模の海の荒れは、台風や竜巻が海上に存在しているからこそこうなるのだ!だが、今回は台風のような暴風低気圧ではなく、積乱雲だ!!それに、あれはどこにある!!東京の真上、つまり、関東平野という大地の上に存在するのだ!!それがどうやったらここまで海を荒らせるのだ!!まるでわからん!!いや、異常事態だ!狂っていると言っていいほどにな!!
「ま、マジかよ…それじゃあ、いつ収まるかも…
「ああ、わからない…あと数分後か、それとも1時間後か、はたまた数日後か…検討すらつかない…ともかく、少しでも収まったら、何としてでも移動するほかあるまい…
それっきり、僕らは押し黙ってしまう…高橋が言うのだ、全くの適当ではないのだろう…だけど、到底収まりそうには思えなかった…それに、本当に訳が分からないんだけど、僕の心は、これを待ち望んでいたかのように、ドクンドクンと、起動してすぐのエンジンのように動き、暴れていた…
「もう、危ないの承知でさぁぁ!!頑張って船の中に戻らない!?ねぁ、どう!これって名案じゃない!!
井上が声を振り絞って提案する。確かに、今はそうする方が妥当な判断だ。だけど、僕の心と体は、全力でそれを拒んでいる。わからない、どうしてだろう…妙に、何か引っかかっている…それに、高橋が悲痛な声音で答える。
「確かに、くっ!!そうかもしれないが…はっきり言って無駄だろう…
「ど、どうしてよ!!
「この勢いのまま、くっ!この勢いのまま波や風が強まれば…こんな小さなフェリーだ。恐らく、横転して、沈没するだろう…
「う、嘘でしょ!!じゃ、じゃあ!俺らどのみち終わりってことじゃん!!な、なんか、なんか策とかないの!!いつもみたいにさ!!
「ふふ、そうだな。まぁ、神にでも祈るくらいが、一番妥当な策だろうな…
僕は驚愕の表情を浮かべた…いや、僕だけでなく、二人も、いや、高橋自身も浮かべているだろう…いつもあそこまで無神論を説いていた高橋が、こんなことを言うなんて…
「お、おい!!ば、馬鹿なこと言うんじゃねえよ!!な、なぁ!お前らもなんか言ってやれよ!!
「あー神様、仏様、天に御坐すB.B.様ぁぁー!!
「バカ!本気にすんじゃねえよ!!ヒェアアアア!!!なんでもいいから、助けてくれヨォォォォ!!
「ち……存外に、短いものだったな、私の人生も…せめて、せめてキャバクラの入り口くらいは、くぐりたかった…
「最後になんて言葉を残してんだよ!!!せめてもーちょいましなもんにしろよ!!
「戯け!!所詮貴様のようなカフェ小坊主風情に、我が野望はわからんのだ!!
「わかってたまるか!!!あーー!!!俺も、カフェ行って、ナンパしたかったなぁ!!くそぉぉ!!!!
「貴様も存外変わらんではないか!!
「うるせーー!!!一緒にするなぁぁ!!!
「もーーー!!!二人とも俺を挟んで喧嘩しないでよぉぉ!!あーーーーー!!俺も、メイド喫茶、行きたかったよぉぉ!!!!!
みんな、思い思いに叫び出す…正直、かなり不純なものも混ざっているけれど、まぁ仕方ないと思う。そんなこと言うでもしないと、耐えられそうにない。僕も、僕も叫びたい。だけど、何を叫んだらいいのか、頭に思いつかなかった…………さけ、ぶ…叫ぶ…叫ぶ…は!!
「そうか!!そういうことなんだ!!わかったよ!!陽菜さん!!
僕は叫びながら、船の先端へと進もうと、前へ歩き出す。いや、腕を手前の柵へと伸ばした。
「おい帆高、いきなり何言って、ちょ!おい!!!!あぶねぇぞ!!何やってんだ!!
すぐさま山田が僕を掴んで止める。
「行かないと、行かないと、いけないんだ!!
「はぁぁ!?
「これは、多分、試練なんだ!!俺の、覚悟が問われてるんだ!!だから、あそこに行って、陽奈さんに、言わなくちゃならないんだ!!俺が来たことを、俺が、君を助けに来たってことを!!俺の覚悟を!!伝えなくちゃいけないんだ!!!だから、俺を行かせてくれ!
「な、何言ってんだ!!死んじまうぞ!!おい、帆高を止めるぞ!!離すなよ!!
「う、うん!!
「いや、私達も共に向かうぞ!!
「えっ!!!!
「はぁぁ!?おめぇまで何言ってやがんだ!!!
僕は驚いて、高橋の方へと振り返る。僕と目があった高橋は、一瞬だけ微笑んで、そして話し出した。
「このまま現状維持をしたところで、何も変わらない!!なら、帆高に賭けるのが、この状況での最善策だろう!!
「ま、マジかよ!!
「お、俺も!それ乗ったよ!!
「井上!!
井上は引きつった笑みを浮かべ、それでも必死に声を振り絞って続ける。
「へ、へへ、こ、こんな異常事態とかさ、そういうのの方が効果ありそうじゃん!!それに、死ぬかもしんないとかさ、もう最後とかだったらさ、ハデにやろうよ!!
「あーーー!!どいつもこいつも!!わかったよ!!俺もその策に乗ったぜ!
「山田!!
山田は、僕を睨みつけるように見る。だけど、それは怒りとかそういうのじゃなくて、互いに信頼しているからこその、それだった。
「そのかわり、必ず彼女に届けろよ!!!後で届きませんでしたとかいったら、ただじゃおかねぇからな!!
「ああ!勿論だ!!!
山田の激励と笑顔を受けて、僕は再び前を向く。
「よし、じゃあみんな!行くよ!
「「「おう!!
僕は、いや僕たちは、一歩一歩だけど、前へと進んでいった。手で先の柵を掴み、それから自分の体を引っ張ってそこへともってゆく。とてつもなく地道な道のりだけど、僕たちは着実に進んでいた。強い風、波、揺れ、全てが僕らを阻もうとするけど、僕たちは負けなかった。前へ、前へと、ひたすらに進んでいった。そして、漸く先端へとたどり着いた。さっきの場所より、一段と揺れが激しく感じる。もう、十分だろう。
「帆高ぁぁ!!ここでいいのか!!
「ああ!!ここでいい!!ありがとう!!
「礼はいいから、さっさとなんとかしちまえ!!帆高!!
「ああ、頼んだぞ、帆高!!
「俺も!!信じてるから!!
「ああ、任せてくれ!!!
よし、もうやるしかない。僕は目を瞑り、大きく息を吸う。言葉に、僕の思いと決意、そして覚悟を吹き込む為に、空に、陽奈さんのところに届ける為に!!!
「陽奈さぁぁぁぁんんんん!!!!
荒れ狂う海、風に、負けないように、僕は声を張り上げる。
「俺、君に会いに!君を救いに!ここまでやってきたんだ!!!遅くなったし、色々あったけれど、それでも!陽奈さんに!!会いに来たんだ!!!覚悟はもうできてる!!だから!俺を、行かせてくれよぉぉ!!!!!!
言い切った一瞬、ほんとに、ほんとに一瞬だけだけど、あれだけ強く激しい風や波の音が全く聞こえない、静寂が、僕らを包んだ。そして、目の前の海に一本の光の矢が降り注いだ。それは僕らを照らすどころか燃やし尽くすようなほどの輝きで、目を瞑るほかなかった。そして、
ドゴォォォォォォンンンンンン!!!!!
今までのものと比べものにならない程の轟音が、僕らを、いや船すらも震わせる。ただ必死で柵を掴むほかない。耐えて、耐えて、その時を待った。
そして、気がつくと、そこは空だったんだ…