プロローグ
ジリジリと照りつける太陽がアスファルトを焦がすように焼き、喧しい蝉の音が嫌でも耳に入る。そのせいでただでさえジリ貧なこちらの精神もすり減ってくる、そんな夏のことだった。
「あっつ……」
学校帰り、ゲーセン行こうぜとかプール行こうとか、そんな夏休みの予定をガヤガヤと話すクラスメイトを置いて俺はすでにチャリに腰掛けていた。信号待ちは最も辛い。無風状態で炎天下の中、ひたすら青色を待つ。
今日は晩飯何にしようかな、なんてぼんやり考えていたらぽこん、とスマホがなった。
今年の春に買ってもらった真新しいそれを慣れない手つきで弄る。
『今日帰り遅くなるー!』
「またか……」
はあ、とため息をついて仕方がないので返信する。そろそろその酒癖をどうにかした方がよいのではないかと甥っ子として大いに心配だ。
『昨日も朝帰りだったろうが。一体どこで何してんだよ』
『ごめんごめん(^^)昨日は酔いつぶれて寝落ちしちゃってさ笑笑 今日は女友達と行くから大丈夫ー!』
『じゃあ俺も外で飯食ってくるわ。気をつけて帰ってこいよ』
ぽこっと【了解!】スタンプが送られてきた。我が叔母ながらこの能天気な性格は俺の頭痛の種である。
人の往来が激しい通りを自転車から降りて一気に駆け抜ける。坂道を上がって、下って、また左に曲がればアパートが見えてくる。それが俺の家だ。
「……あっちー…」
額に浮かぶ汗を拭う。
何気なくその右手を眺めてみれば、うっすらと浮かぶ赤い筋、模様のように見えなくもないそれはつい最近から俺の右手に鎮座している。
どこかでついたのかはわからないが、血ともペンキとも違うような。洗っても落ちないので結果的に放置している。
そんなようなどうでもいいことを、つらつらと考えているのはおそらくこの暑さのせいもあるだろう。
両親が亡くなってすぐに一人暮らしの叔母の家に預けられた。叔母といっても今年で大学二年生になる。バイトが忙しいようであまり家にはいない。まあ本当に働いていて忙しいのか遊んでいて忙しいのか、はたまた課題に追われて忙しいのかは定かではない。というか恐ろしくて聞けたものではない。
「夏紀もいないし、今日はマックでも行くかな。」
鞄を置いて乱暴にワイシャツを脱ぎ捨てた。汗をタオルで拭う。
今日の分と、予め決めて置いた課題を片付け終わると既に夕方だった。
かんかんかんかんかんかんかんかん
勢いよくアパートの階段を駆け下りて、さっき降りたばかりのチャリの鍵をもう一度開け直そうとした。
そう。
開けなおそうとして、
開けられなかった。
「は?」
まさか、壊れたのか?
何度も何度も試みるが自転車はうんともすんともしない。ガチャガチャと音が虚しく響くだけだった。
「くっそ、なんなんだよ」
諦めて部屋に戻ろうとしたが、そういえば食材の買い出しもしていなかった。最悪だ。歩いて行くしかない。
「………最寄りのスーパー徒歩で何分だっけ」
こういう時にスマホは便利だとつくづく思う。地図まで搭載しているんだから捨てたもんじゃない。なんて、考えながら歩いていて、それで、
-------見知らぬ男に斬りつけられるなんて
誰が想像するだろう。
「っ…!?」
剣を持った男は、いや男『達』は、土の中からずるりと這い出してくる。ずるずる、ずるずる。あっという間に10人単位の大柄の男達が俺の周りを取り囲んだ。ナニガ起こっているのか分からない。
「は、うわぁあああ!!」
踵を返して走った。全力で走る。
斬りつけられた頬から血が溢れてくる。熱い、暑い、アツイ暑いアツイアツイアツイ。
「はっ、はっ、はっ」
どういうことだ、俺はただ買い物に。
気づいて空を見上げればまだ夏の夕方であるのにも関わらず真っ暗だった。
闇。暗闇。
情報をうまく処理できない。
「〆^¥°+$○々=%!」
「……っ、何言ってっか分かんねえよ!」
男達は意味不明な言葉を叫びながら追ってくる。いや、そもそも俺はどこへ向かっているんだ。思えば明らかにおかしい。ここは都心だ。俺の住むアパートは繁華街からは外れているが、スーパーまで足を運んだのだから人が誰一人として歩いていないのは、あまりに、不自然すぎる。
「なんなんだ……っぐあッ!」
ばちん、背中の割れる音がした。
刃が突き刺さっているのか。
「かはっ、ひゅ、ぅぐ、うぅ…」
痛い。痛いを通り越して熱い。苦しい。
訳がわからない。きっと俺は、訳がわからないまま、こんなところで意味もなく死ぬんだ。目が霞んできた。
男達は、なにやらまた意味のわからない言葉を宣っている。俺の様子を見ているようだ。
くそ、くそ。なんなんだよ。俺は、晩飯を食いに、
両親みたいに死ぬのは嫌だ。
俺を置いて、何も残さず、残せず、意味もなく、唐突に死ぬのなんて嫌だ。また、夏紀に泣き顔を晒させることになる。だめだ、それは。俺は、あの人たちのようには死なない。
誰かを悲しませたりはしない。俺は俺のやりたいことをやりきってから死ぬ。だからこんなの、だめだ。
へえ。だか、ふーん。だか、癪に触る声が聞こえたような気がした。
“生きたい?”
…………。
“生きたいんでしょう”
……こんなとこで死んでたまるか
ああ。そうだよ、そうだ。ふざけんな。
「ッッざけんな‼︎‼︎‼︎俺はまだ生きてるぜ醜男どもが‼︎‼︎‼︎‼︎」
ばっとヤツラが振り向いた瞬間に、背中に刺さった刃物を抜いて思い切り振りかぶった。
「ッアアああアアア!!!!!!」
「$→1○々+gb×¥1|〜[]-^5‼︎‼︎⁈」
ざくりと顔面に刺さり、悶える男。
「フーッ、フーッ、フーッ」
俺はさぞ酷い顔をしていることだろう。
だって激痛だ。痛い。刃が刺さっている一人は騒ぎ立てているものの、大したダメージを負っていないようにも見える。
「は、はは、やっぱ無理かあ」
急に眠気が襲ってきて、体が後ろに倒れる。
待て。もうこれで倒れたら立ち上がれない。踏ん張れ。ここで倒れたら終わりだぞ。なあ頑張れ。立て、早く立て、立て立て立て立て立て立て立て立て立て立て立て立て立て立てた---
「はーーい、選手こうたーい!」
遠くの方で、場違いに明るい声がして、
想定していた硬いアスファルトの感触はいつまでたってもやってこなかった。
どうやら、俺は、抱えられているらしい。
びゅうと風が吹き抜ける。
目を細めたその女性は、確認だけどと前置きをして俺を見つめた。
「アンタが私のマスター?」
茶色い毛並みの、女子高生のような出で立ちをした狐はにこにこしながら尋ねている。もう何だかよくわからないが、問われるままに俺は答えた。
「俺が、君のマスターだ。」