偉大なる旅路 作:お下品さむらい
「メリー号が……直らない……?」
造船場にいるルフィ達は、避けられぬ大きな問題に直面していた。船を査定しに行った船大工・カクが戻ってきてから、その結果に胸が引き裂かれ、つむじが割れるような痛みに全てが揺さぶられる。神妙な面持ちの一同に、気の強いパンが所在なく影を落とす。流れ着いた漂流物のような雲が天を塞いだ。
「ああ、直らん。絶対にな」
角ばった鼻が上を向く。パウリーの葉巻きの先からぽろりと灰が落ちる。泰然、アイスバーグがカリファに目配せをして、カタログブックをいくつか見繕う。
「そんなわけねえ」
「ルフィ……」
「メリー号は今まで一緒に旅してきたんだ! ノックアップストリームだって乗り越えてきた強い船だ! 今朝だって俺達を載せてここまできたんだぞ!」
息せき切って止まらない言葉が物悲しく響く。角材を運んでいた数人の大工がなにごとかと顔を見合わせ、肩をすくめて仕事に戻った。
「竜骨、というものを知っとるか。船の心臓であり背骨でもある、絶対に替えのきかないトコだ。そこに大穴が空いとった。つい最近できたものじゃろうな。お前らがとんでもなく荒い旅をしてきたことが一目でわかったくらいじゃな」
ルフィが何かを言おうとして、その前にアイスバーグが冷静に言った。
「ンマー、疲労骨折みたいなものだな。蓄積していた傷みによってほんの少しの衝撃でポキリと折れる。船の寿命だ。金は、まあ一億あるんだろう? 新型から中古まで、そこそこのモンは作れるさ」
「これ、カタログです。整理がついたらまた来るといいわ」
「で、どうするんだルフィ」
とぼとぼと帰路につく一行の足取りは、水を吸ったように重い。腕を組んで歩くゾロが冷たく聞き、ルフィが立ち止まる。
「…………」
「ねえ、まずはみんな集まってから考えましょう? ロビンならなにかいい案を知ってるかもだし、ウソップがいない内に決められることじゃないわよ」
「ナミさんの言う通りだよ。たらふく食べたルフィと違って俺達はなにも食べてないし、腹ごしらえがてら買い物でもしよう! 俺水わたあめが食べたいな」
ナミもチョッパーも気を使ってそう声をかけるが、ルフィは一言も発さない。水の都特産の水みず肉を使ったアクアパッツァの匂いがしているのにも関わらず、微塵も反応しないのだ。敏感な鼻を抑えて遠くを見るチョッパーが心配そうに顔を見上げている。
「予断は許されねえんだ。いつまでも待っちゃくれねえぞ」
「いちいちうっさいわね、黙らないとお酒買ってあげないわよ」
「ゲッ……そりゃねえだろ」
ナミに胸ぐらを捕まれ脅されたゾロが渋面を作った。と、ここで珍しく黙っていたもう一人が朗らかな声をあげる。
「ねえねえ、木材はここでたくさん買えるんでしょ? メリー号と同じやつ」
「聞かないとわかんないけど、でもたぶんあるんでしょうね。いいとこのお嬢様のために買ったやつだから、結構いい素材だから」
「じゃあさ、直せるかもよ!」
「え? ホント!?」
「トランクスが復元光線銃っていう、なんでも直せる道具を持ってるんだけど、同じ素材が必要なの! だからトランクスが戻ってきたらきっと……」
「やった……! だったら悩む必要ないじゃない! お金使わなくてすむわ!」
「やったー、ってそっちかよ!!」
パンの思わぬ提案に喜ぶチョッパーとナミ。困った人を目の前に、パンの中にもはや技術を隠すつもりもない。だが、ルフィの顔はいつまでもあがらなかった。
ルフィ達がメリー号に到着すると、悟空とサンジが他の海賊と一緒に騒いでいた。
「おっかえるぃ~~~~ナミさァーんヌ!!」
「おうっ、パンも一緒か? トランクスはいねえみたいだが」
甲板から顔を出したサンジと悟空が陽気に手を振っている。来た時にはなかった多くの海賊船がずらりと並び、どんちゃん騒ぎで賑々しく歌っているようだ。
「早く登れよみんな、良い物が見れるぜ!」
サンジの明るい声に誘われた一行が船に登ると、そこにはうず高く山盛りになった金銀財宝が光り輝いていた。
「お宝ーっ! ちょ、ちょっと、これどうしちゃったのー!?」
「悟空のおかげさっ!」
「お爺ちゃんなにかしたの?」
「おう、オラ沈んだ船がどれだかわかんねえから全部揚げたんだ。そしたらなんとかっちゅう大昔の海賊が運んでる途中で沈んじまった宝船だったらしくってなー! 山分けしたんだ!」
「なんてことすんのっ、お宝は全部私の物なのにっ!」
「でもこれでお金も戻ったし、本当に問題ないかも。なあゾロ?」
「いや……どうだかな。ルフィの中じゃ違うみたいだぜ」
「え? ルフィ?」
「ああ……、俺、決めたよ。メリー号とはここで別れる」
トランクスは聞き出したフランキー一家のアジト兼遊び場に急行し、気合い砲の一発で建物を吹き飛ばしていた。瓦礫とともに人間が舞い散り、陸がえぐられ砂に変わる。だが、金は既になかった。
「あの男の言う通りだったようだな。二億ベリーは行方しれずか……みなさんになんと言い訳しようか」
潮風に流れる青い髪をひと撫で、ジャンパー・コートが翻って流線に変わった。男達を縛り上げ監視代わりに残したウソップの元に飛ぶ。米俵のように積まれた悪漢を見つけ、鷲のように降り立った。
「あれ、ウソップさん?」
ウソップの姿がない。待つように言ったが、なにかあったのか。一抹の不安がよぎりどうしようかと考えた時、縛られている一人が震えながら声をあげた。
「へ、へへ。あのザコならいねえぜ……、仲間割れかしらないが、いい気味だ……」
「仲間割れ? 貴様、なにを見た?」
「女さ。懸賞金額七千八百万ベリー……ニコ・ロビン、あの女、長鼻の小僧の腹ぁ刺して連れて行きやがった! へへへへ、ヒッ……!!」
「余計なことを喋らんことだ……」
ただ冷徹な瞳を向ける。それだけで大の男が震え、うずくまった。
「ウソップさんにロビンさん……、なにが起こってるんだ?」
空に浮かび、街中に気を巡らせる。ただでさえ小さいウソップの身に危機が訪れている以上、人混みの中に紛れられたらわからない。自分の不始末に心中怒り狂うトランクスの焦りが握られた拳に表れていた。
風が強く波が襲う島だ。高い建物はみな細くなるか、風を受け流すために丸まっている。遮るものがない町並みを天から眺めウソップを探しているトランクス。ウソップの位置はわからずともロビンの気ならわかるはず、そう思ったがどうやら彼女は気配を消すのが得意らしい。ある程度の場所はわかっても断定はできずにいた。
「困ったな……、ん?」
天上よりも高い位置に浮かぶトランクスだ。鳥でもなければまず顔を見合わせることなどない。だがその実、今トランクスは数人の影に囲まれていた。
「誰だ!」
「…………」
影は詰問に答えない。水の都で愛好されている仮面と白い外套に身を包み、まるで陽炎のように揺れ動く。はりつめた空気がぶつかって、空間が軋んだ。
「ッ!」
本気ではなくとも油断はなかった。一瞬の間に懐を侵し、殺意をはらんだ拳が腹にめりこんだ。
「……フフ、軽いな」
「ッ離れろ!」
「遅いっ!」
重い金属の塊を叩きつけたような激しい音が街に響き、屋根が震える。弾き飛ばされたひとりが地面に落ちる寸前、バネでもついたかのように跳ね返った。
「飛べるのか?」
くるりと縦に一回転してかかと落としで出迎える。今度は鉄パイプを地面にぶつけたような音がする。トランクスが意外そうに眉をぴくりと上げる。予想する硬さよりも上だった。
「我らの身体は鋼に変わる……!」
「それはそれは……拍手でもしたほうがいいのか?」
「軽口をッ」
――指銃!!――
硬質化した鋭い刺突が繰り出され、だがトランクスは手のひらを使って軽々防ぐ。しかしこれは一手にすぎない。静かに見ていた他の影が攻勢に出た。すらりと伸びた長い足を薙げば乱風を生み空を裂く。硬化したまま大回転、勢いつけて巨腕を振る。飛ぶ指銃を散弾銃のように繰り出す。そのどれもが人ひとりを殺すに足る必死の一撃であった。
だが。
「うッ……」「ぎゃぁあああ!」「何!?」
全ての攻撃が躱されるだけでなく、全員同士討ちするようにバランスを崩された。
「どうやら自由に空を飛べるわけではなさそうだ。次は気絶させるつもりで行く」
拳を握り、わかりやすく前に突き出してトランクスが挑発する。その声に、全ての影がその外套を脱ぎ捨て、不敵に笑う。
「……ふふふ、やはりこうなってしまったか。トランクス!!」
予想外、影がトランクスの名前を呼んだ。トランクスは初めて怖れを抱く。トランクスを知っている。それはつまり、元の世界の関係者だという証明に他ならないからだ。なんとしても事情を問い質す。彼らの戦いは今始まったのだ。
「今は痛いかもしれないけれど、我慢してね。長鼻くん」
仮面も無く、素顔を晒すロビンの表情は能面のように死んでいた。腹を刺されたウソップを抱え、隣に連れた仮面の人間とともに行く。影に消えた二人を見る者はいない。
(ああ、痛えよ)
ウソップは気絶していなかった。気絶などできなかった。濁濁と血に汚れていく腹を抑えることもできず、いつ腹わたがまろびでるかもわからない。それでもウソップには、気を失ってしまうことなどできなかった。
(なんで俺を刺した? そいつは誰だ? 俺をどこに運ぼうってんだ? なあ、ロビン)
ウソップの視界が闇に溶ける。隣の男が頭から麻袋をかけたのだ。麻の繊維がこすれる音でウソップはそう悟った。少しして、ヤガラやカモメの鳴き声も聞こえなくなり、ただ革靴の底が石畳を叩く音が強く響く。何時間経ったのか。あるいは数分なのかもウソップは知れない。光の閉ざされた眼に浮かぶのは、最後に顔を合わせた仲間の顔。少し呆れ気味に怒るナミ、興味なさそうにするゾロ、ケラケラと笑うルフィ、慌てるチョッパー。そして。
(なんでそんなに、泣きそうな顔してんだよ? ロビン)
ウソップの思考はそこで途切れた。