「この声は……」
水を差すように割って入った声の主に心当たりがあるらしいリィンが呟く中、一羽の蒼い鳥が近くの雪に覆われた岩場へと降り立つ。その蒼い鳥を見たセリーヌは、警戒心を引き上げたかのように身を屈めた。
「グリアノス……!あんたがいるってことは―――」
『ええ、その通りよ』
グリアノスと呼ばれた蒼い鳥から先程の声が正解だと言わんばかりに発せられる。その直後、グリアノスの真上に蒼いドレスを着た半透明姿の女性が現れた。
「ええ……!?」
「二年前にリベールで聞いた、《怪盗》の時と同じ……いや」
「ああ。完全にこっちを認識してやがるぜ……!」
《怪盗紳士》が《
似て非なる現象に半分は驚愕、半分は警戒する中、件の女性は笑みを浮かべながら答えた。
『フフ、こんにちはリィン君。一ヶ月半前の帝都のブティック以来かしら?グリアノス越しで失礼するわ。それとセリーヌも久しぶり』
「何が久しぶりよ、ヴィータ!よくも抜け抜けと……いえ、今はこう呼ぶべきかしら?結社《身喰らう蛇》の第二使徒、《蒼の深淵》ヴィータ・クロチルダ!」
「使徒……!」
「《結社》の最高幹部か……!」
セリーヌによって彼女―――クロチルダが《執行者》ではなく《蛇の使徒》であると分かり、ルークとトヴァルは警戒心を最大まで引き上げる。特に使徒と対峙した経験があるルークは剣の柄に手を握って臨戦態勢となる程だ。
『フフ、妹さんと遊撃士さん、《絶剣》さんとはお初にお目にかかるわね。《絶剣》さんにはかなり警戒されちゃってるみたいだけど』
「警戒して当然だろ。あの外道だった《白面》と同じ地位の人間なら尚更な」
『……アレと同じ扱いなのは心外なのだけど』
ルークの返しにクロチルダは心底嫌そうに呟く。どうやら《白面》は組織の身内からも良い印象を抱かれていなかったようだが、それとこれとは無関係である。
「ミスティ―――いえ、クロチルダさん。どうしてここが分かったんですか……?」
その中で、リィンが誰もが気になったであろう疑問を投げ掛ける。それに対し、クロチルダは何てことのないような表情で答えを返した。
彼女曰く、自分もリィンと《灰の騎神》の行方を探していたらしく、この地の《魔煌兵》の稼働を感知したことで漸く居場所を突き止められたそうだ。
クロチルダの種明かしを聞き、セリーヌは早くバレたことに悪態を付いていたが、クロチルダは騎神同士の戦いにも触れ、
「……クロウが《蒼の騎士》と呼ばれていることは聞きました。士官学院の生徒も大勢が行方不明になっていることも。あなたとクロウは、これから何をしようとしているんですか!?」
『そんなに気になるの?そうね、教えてほしかったら―――』
リィンの問いかけに、クロチルダは嫌らしい笑みを浮かべながら何かしらの対価を要求しようとしたが、それは前触れもなく響き渡った銃声によって遮られた。
「え……」
「銃声だと……!?しかもこの方向は―――」
「
ルークのその言葉でリィンとエリゼの表情が険しくなる中、クロチルダは意外そうに声を上げた。
『あら、早かったわね。アルバレア公の雇った猟兵部隊……皇女殿下の身柄の確保も時間の問題かしら?』
クロチルダがもたらしたその情報により、一同は更に一層険しい表情となる。
何せユミルにはマトモに戦えそうな人物はテオ男爵一人しかおらず、アルフィン皇女はARCUS持ちとはいえ出来ることは支援くらいなのだ。複数人で来たであろう、戦闘慣れしている猟兵たちが相手では些か分が悪いのは明らかだ。
クロチルダは今回のユミル襲撃と自身は無関係、今から急げば間に合うかもしれないとだけ言い残して姿を消し、グリアノスもその場から立ち去っていった。
「くっ……言うだけ言って……!」
「文句は後だ!急いで郷に戻るぞ!!」
「ああ!グズグズしている暇はなさそうだからな!!」
ルークのトヴァルの強めの語気による促しに、リィンとエリゼは同意するように頷く。そして、一同は足下が滑らないように注意しながらも駆け足で山を下り始めていく。
道中にいた魔獣は剣の腕が立つルークとアーツのストックができるトヴァルが率先して片付けたことで、ほとんど足を止めることなく進んでいく。
「はあっ、はあっ……」
しかし、ほとんど強硬な上《魔煌兵》との戦闘の疲労もあり、この中では一番経験が乏しかったエリゼが息を上げてしまった。
「大丈夫か、エリゼ……!」
「少し息を整えた方がいいな。あまり無理をするといざという時に響くし」
「そうだな。一度情報を整理しときたいしな……猟兵をいきなり送る辺り、貴族連合も手段を選ばなくなってきたな」
小休止を兼ねたトヴァルの呟きに、ルークとリィンは同意するように頷く。最初は探りを入れるだろうと考えていたテオ男爵の予想を裏切り、実力行使の強硬手段でアルフィン皇女の身柄を押さえようとしているのだから当然である。
「向こうは無関係と言っていたが……実際はどうなんだ?やり取りを聞く限り、お前と彼女は知り合いみたいだったが……」
「ええ。
その意味では貴族連合も一枚岩ではない。そう締め括ったセリーヌに対し、リィンはどういう関係なのかと一歩踏み込んだ発言を投げ掛ける。それに対し、セリーヌはこう返した。
「一言で言えば……《魔女》の身内ね」
セリーヌ曰く、クロチルダも《魔女の眷属》の一人であり、七年前に“禁”を犯して行方不明になっていた、リィンのクラスメイトのエマにとっては姉同然の存在だったとのこと。
エマも《魔女》としての“使命”の傍らで行方を追っていたそうだが、自身も含めて魔女の秘術による“呪い”で自身の情報を彼女らに届かないようにされていたことも話した。
「呪い……」
「要は一種の暗示みたいなものか。情報と認識が直接結びつかないといった感じの」
「その認識で構わないわ」
そうして情報の整理をしている間にエリゼも息を整えられた為、再びユミルに向かって駆け足で下っていく。
ユミルとは目と鼻の先―――あと少しで到着するというタイミングで銃声が再び響き渡った。
「機銃の音……!?」
しばらく鳴り止んでいた銃声が再度響いたことで一同は嫌な予感を覚えながらも、郷の入口へと辿り着く。その先で広がっていたのは、幾つかの建物が壊れ、あちこちで小さいながらも火の手が上がっている光景だった。
「……ッ!」
その光景にルークは怒りを堪えるように歯を食いしばり、拳を握り絞める。十二年前のあの日を連想させられ、激情に駆られそうになるが、息を深く吸い込んで吐くことで何とか抑え込んだ。
そして、被害の確認とアルフィン皇女たちの無事を確かめる為にシュバルツァー邸に向かうと―――その広場では数名の猟兵とアルフィン皇女、そして地面に倒れたルシア夫人と血の海に沈んだテオ男爵がいた。
「と、父様!?―――いやああああああっ!!」
父親が血を流して倒れている光景を前に、エリゼの悲痛な叫びが響き渡る。ルークは爆発寸前で剣に手を掛けようとするが―――
「―――オオオオオオオオオオオッッッ!!!」
それよりも早く、赤黒いオーラを纏い、髪も黒から銀色になったリィンが雄叫びを上げた。
「なっ、なんだ……!?」
「闘気!?いや……」
明らかに普通ではないリィンの姿にトヴァルはもちろん、冷水を浴びせられたかの如く頭が冷えたルークは困惑の声を上げる。
ある程度の高みにいる武人であれば、闘気を纏って自身の身体能力を引き上げることが出来る。しかし、リィンのそれは闘気とは別の、
「シャアアアアアアアアアアッッッ!!!」
そんな明らかに普通ではないリィンは太刀を引き抜くと禍々しいオーラを刀身に纏わせ、獰猛な獣のような動きで猟兵の一人と距離を詰める。そして、激情に駆られるような一太刀で強化ブレードを両断し、防護用のプロテクターさえ無意味と言わんばかりの剣圧によってその猟兵を戦闘不能にしてしまう。
それを二度、三度と繰り返したことで、広場にいた猟兵たちをたった一人で戦闘不能へと追い込んでしまった。
「ホロビヨ……!」
「駄目です!兄様っ!!」
猟兵たちを追い込んでも尚、止まらずに太刀を振るおうとしたリィンであったが、父親のショックから立ち直ったエリゼが涙ながらに止めに入ったことでその動きを止める。
リィンに抱きついて止めに入ったエリゼは、憎悪に任せて剣を振るってはいけない、それでは八年前の時と同じだと告げて必死にリィンを落ち着かせようとする。
「男爵閣下は生きてるぞ!すぐに手当てをすればまだ……!」
「夫人の方も無事だ!気を失っちゃいるが、傷一つ負ってない!」
「なら、こっちを手伝ってくれ!早く処置をしないとマズイからな!」
そこにトヴァルとルークがシュバルツァー夫妻の安否を伝えたことで、リィンは我に返ったのか、力を抑え込むように雄叫びをあげると、元の姿へと戻った。
「すまない、エリゼ……また俺は……」
「いいえ、いいえ……!」
リィンがエリゼに申し訳なさそうに謝り、エリゼも気にしなくていいと告げる中、トヴァル主導による応急措置が終わる。
「何とか止血したが……」
「ああ。銃弾が貫通して体内に残っていないのは幸いだったが、それでも重傷だ。すぐに治療できる場所へ運ぶべきだ」
『―――やれやれ。先走ってくれたものだわ』
すぐにでもテオ男爵を運ぶ為に担架を用意しようと考えた矢先、クロチルダの声が一同の耳に届く。ルークたちは声がした方へと顔を向けると、グリアノスが石柱の上に留まっている姿が写った。
「ヴィータ、あんた……!」
「まだ絡んでくるつもりか?」
セリーヌとトヴァルが厳しい声色で問いかけると、クロチルダは再び自身の姿を投影すると心配で様子を見に来たと言葉を返す。
『お詫びと言ってはなんだけど、後片付けをしてあげる』
ヴィータは敵意を向けるルークたちにそう告げると、子守唄を聴かせるような感じで言葉を続け、猟兵たちに何かしらの催眠をかけてその場から立ち去らせた。
『これでしばらく、この郷は目を付けられないでしょう。この程度の埋め合わせじゃ許してくれないでしょうけど……』
そう申し訳なさそうにするクロチルダに誰もが警戒を解いて身体と顔を向ける中、ルークは視線だけを向けていた。加えてその表情は厳しいものであり、全く気を抜いていないのが一目瞭然だった。
「油断しちゃダメよ!この女はそんなに甘くないわ!!」
「―――目標を捕捉しました」
ルーク同様に警戒を解いていなかったセリーヌの警告と同時に、第三者の声が届く。その声がした方向は―――アルフィン殿下とエリゼの後ろからであった。
「―――そこか!!」
声が聞こえてすぐ、ルークは弾けるようにアルフィン殿下とエリゼの後ろへと移動すると、虚空から現れた宙に浮く黒い人形兵器のような存在に剣を振るい、強引に距離を開かせる。状況とタイミングからして、クロチルダの方も二人の身柄を確保しようとしていたのは確実だった。
『あらら、失敗しちゃったわね』
「……隠密による目標の確保に失敗。次いで戦闘による―――」
クロチルダが悪戯がバレたような感じで残念そうに呟く中、奇妙な黒い人形の腕に座っていた黒服の少女は地面へと降り立つ。黒服の少女はアルフィン殿下とエリゼの確保を諦めていなかったようだが、それは静かに怒気と威圧感を放ったルークによって折られることとなった。
「悪いが、今の俺はかなり頭にきているんだ。例え幼い少女が相手だとしても、
「……ッ」
『X:K*……』
少々自虐気味にルークは言葉を発しているが、銀色の闘気が決壊寸前のように漂わせているその姿は爆発寸前のそれだ。その圧に気圧されたのか、黒服の少女は表情こそ変えなかったが怯えたようにその場から後退る。黒い人形にもそれが伝わったのか、言語らしき音を発して少女に追従している。
そこで漸く我に返ったのか、リィンとトヴァルがアルフィン殿下とエリゼを守るように傍に立って臨戦態勢を取った。
「クソッ、油断も隙もないな……!」
「助かりました、ルークさん。ルークさんが気付いてくれなかったら……」
「いや、こればかりは経験の差だから気にするな。使徒の悪辣さについてはよく知っているからな」
リィンの感謝に対し、ルークは黒服の少女に注意しつつ仕方ないと返す。
何せ《使徒》の一人であった《白面》は弟分を暗示で操り、彼女を自らの手で殺させようとしたのだ。それは《白面》の行動を読んで対策を打っていた弟分自身によって砕かれたが、それを前にしても《白面》は病的なまでに弟分に執着していたのだ。
そんな狂人と同じ地位である人間が、あっさりと引き下がるわけがないのだ。その意味を込めてルークはクロチルダを睨み付けた。
『……だから、アレと同じ扱いはされたくないんだけど』
「そう思うなら、このまま帰れ」
クロチルダの溜め息混じりだが嫌悪感丸出しの呟きに、ルーク鋭い目付きのまま立ち去れと告げる。
「どうしますか?クロチルダ様。現時点における任務の遂行は不可能と判断しますが」
『そうね。黒兎ちゃんが失敗した以上、そうしたいのは山々なんだけど……二人の身柄の確保はカイエン公の
クロチルダはどこか嫌らしい笑みでそう発すると、アルフィン殿下とエリゼに視線を向けながらその交換条件を提示した。
『皇女殿下とその御友人が大人しく同行してくれるなら、グリアノス越しだけど男爵閣下を治療して上げるわ。遠隔だから日常生活に差し障りない範囲が限界だけど』
「……随分と汚い手を使うな」
貴族連合の暴走で重傷を負ったテオ男爵をダシにした交渉に、ルークは嫌悪感を隠そうともせずに呟く。それはリィンとトヴァルも同じようであり、責めるような視線をクロチルダへと飛ばしている。
『無論、断ってくれても構わないわ。見た限り、男爵閣下の容態は五分五分といったところだしね。お二人をパンタグリュエルに連れていった後はルーファス卿に引き渡すしね。そうでしょ?』
「……はい。お二人の身柄を確保した後は《総参謀》のルーファス・アルバレア卿に引き渡します。それが私に与えられた任務なので」
あくまでどちらでも構わない態度のクロチルダの確認に、黒服の少女は淡々とした口調で同意を示す。
ルーファス・アルバレア―――アルバレア公の次期当主にしてトールズ士官学院の常務理事の一人が《貴族連合》の中核を担っている事実に、彼と面識があったリィンは複雑な表情となった。
「ルーファスさんも貴族連合に……」
「どっちにしろ、タチの悪い条件に代わりないだろ。ルークが言った通り、本当に汚いな」
『さっきも言ったけど、別に断ってくれて構わないわ。あくまで治療の手伝いをするだけ……私の手助けがなくてもギリギリ助かるでしょうから』
受けるも突っぱねるもあくまで本人次第……そんな緊迫した雰囲気を破ったのは、交換条件として提示された二人であった。
「……でしたら、わたくし達はあくまで“招待”されたという立場にしてもらうこと。それが条件です」
「もちろん、私たちを交渉の材料にしないこともです」
「!?エリゼ……!?殿下……!?」
『フフ……そういうことね。それなら“個別”で“招待”させてもらうわ。それ以上は譲歩出来ないわよ』
二人が自ら条件を呑んだ事にルークたちは驚くが、追加条件を出されたクロチルダはその意図を察し、自身も追加の条件を出して二人の要求を了承する。
「本当にいいのか……?」
「ええ。今はおじ様の安全が第一です」
意図を察することができたルークの確認に、アルフィン殿下はテオ男爵の治療が優先だと頷く。エリゼと話していたリィンも意を決したようにクロチルダへと向き直った。
「……クロチルダさん。もしエリゼたちに危害を加えたら、俺は絶対にあなたを許しません」
『ええ。ルーファス卿はもちろん、カイエン公にもしっかりと言い含めておくわ』
不本意ながらも交渉は成立した為、グリアノスはテオ男爵の隣に降り立つとクロチルダの魔女の術による治療を開始。アルフィン殿下とエリゼは黒い人形の腕に座っていつでも発てる態勢となる。
「しっかし、ミリアムって子のアレと同じ機械人形……あんたが連れて来たってことは、彼女も結社の一員か?」
『いいえ。彼女はとある筋から送られた“裏”の協力者の一人……《帝国解放戦線》に《西風の旅団》、我が《身喰らう蛇》と同じくね』
トヴァルの疑問に対し、テオ男爵の治療を続けているクロチルダは裏の協力者たちを上げながら、それらとは別の組織からの協力者だと返す。最低でも四つの組織が裏に関わっていると知って、ルークとトヴァルは頭が痛くなる思いであったが。
「では、行って参ります。兄様」
「必ず“お迎え”に来て下さいね」
「……ええ、もちろんです!エリゼ、殿下……!必ず、必ず迎えに上がりますッ!ですから待っていて下さいッ!!」
一時の別れの挨拶を交わし、エリゼとアルフィン殿下は黒い人形に抱えられたまま、空へと飛んで旅立っていくのであった。