虚構彷徨ネプテューヌ   作:宇宮 祐樹

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いろいろ忙しかったから許して……


17 ファンファーレ/女神の目覚め

 

「イエロー……ハート……?」

 

 困惑したネプテューヌの声に、はたと我を取り戻す。

 イエローハート。幻想の中に消えていった、理想郷(エディン)の女神。人の手によって造り上げられた、ある可能性のうちのひとつ。とある少女の末路だった。

 ……どうして? この次元にエディンは存在しないし、アネノデスもいないはず。

 そもそもイエローハートが産まれる理由が、新たな女神を擁立する必要がないのに。

 けれど、あの黄金を彷彿とさせる佇まいは、イエローハートのもので。

 

「あれ、みんないる……そっか、みんなも私と遊んでくれるんだ!」

 

 無邪気な笑みを浮かべたかと思うと、彼女は宙を蹴ってこちらへ飛んでくる。

 ……まずい!

 

「ブラン!」

 

 呼びかけた時、既にブランはイエローハートの攻撃を受け止めていた。けれどその威力を殺しきれなくて、体が後方へと吹き飛ばされる。なんとか着地はできたみたいだけど、見開かれたその双眸が、彼女の異常さを物語っていた。

 

「いきなり何なのよこいつ! ロムちゃん、やっちゃお!」

「うん、ラムちゃんと一緒なら――」

「駄目だ、二人とも! 全力で避けろ!」

 

 直前に響いたブランの叫び声に、二人が構えていた武器を下ろし、左右へ跳躍。

 そして次の瞬間、イエローハートの放った拳が、大地を撃ち砕いた。

 

「なぁっ……!?」

 

 かッ、火力! 火力やばい! そりゃブランが吹き飛ばされるわけだ!

 めくれ上がった地面がまるで波のように膨れ上がって、上空から破片を降り注いでくる。大きな塊は無理やり避けて、小さな破片は盾で受け止めて。

 皆の事なんて考えてられなかった。立ち上がる砂煙を手で払いつつ、互いの距離を確認。ロムとラムはブランの処に退いてて、他のみんなもイエローハートとの距離は取れてる。

 だから今、彼女と一番近くに居るのは――

 

「もーらった!」

 

 声が聞こえると同時、足首を女神化させて後方へと跳躍。振りぬいたイエローハートの拳が、俺の頬を掠めた。どろりとした生ぬるい感触が、顔の右半分を埋め尽くす。

 ……普通こういうのって、つー、みたいに血が流れるはずなんだけど。

 どろっ、ってなんだよ。これ、切られたってより抉られたって感じだ。

 

「むぅ、しっぱい! じゃあもういっかい!」

 

 なんて俺の愚痴なんて知る由もなく、イエローハートはもう一度俺へと向かってくる。

 ……受け止めるのは止めたほうが良い。また避けないと。

 でも、どこにどうやって? 何をしてくるのかも分からないし、確実に避けられる保証もない。

 そうやって後手に回るよりは、イチかバチか盾に賭けてみたほうが……

 

「あ!」

 

 なんて、盾を構えようとしていたその瞬間、イエローハートがその足を止める。そしてその直後、眼前に迫っていた緑色の光弾を、右脚で打ち上げた。

 瞬きすら許されないほどの、刹那の光景だった。跳ね返された弾が天井を突き抜ける。ぱらぱらと、破片が落ちる音が聞こえるほどの静寂が、あたりに響いていた。

 

「そんな……嘘でしょ? どんな反応速度してんのよ……!」

 

 震えるユニの呟きに、彼女がくるりと首を回す。

 

「……先にあっちからやろーっと! いくよー!」

「っ!」

「させませんわよ!」

 

 そうやって駆けだしたイエローハートに、ベールが上空から切りかかる。

 

「む、やめてよおねーさん! おねーさんからやっちゃうよ!」

「構いませんわよ、やれるものならですけど! ノワール!」

「ああもう、あなたってこういう時は無茶するわよね、ほんとに!」

 

 なんて叫びを上げながら、槍で手甲を弾くベールの後ろからノワールが滑り込み、握った剣を振るう。両手を無効にされたイエローハートに対する逆袈裟。さすがのイエローハートもこれは予想できなかったらしく、朱に染まった目を見開いていた。

 いける、これなら――

 

「まだまだーっ!」

 

 がいん、と。

 体を翻しながら放ったイエローハートの蹴撃が、ノワールの剣を吹き飛ばした。

 

「な……っ、足癖悪いわよ、あなた!」

「言ってる場合ではありませんわよ! 今すぐこちらへ退いて……!」

「逃がさないよっ!」

 

 着地と同時、地面が爆ぜる。同時にイエローハートの体が、ノワールの眼前へ。

 既に拳は振り上げられていた。逃げ場はない。介入の余地も。ここからじゃ誰も間に合わない。とすれば、俺が盾を投げるか。いや、それも駄目。届く前にやられる。

 まずい。このままじゃ、ノワールがやられ――

 

「ちょっと」

 

 放たれた拳は、ノワールの眼と鼻の先でぴたりと止まる。

 腕に絡みつく剣によるものだった。昏い紫を携えた、漆黒の蛇腹剣。不思議そうにそれを見つめるイエローハートが目で追った先、対面するように立っていたのは。

 

「最初に相手をしてたのは私のはずよねぇ?」

 

 不機嫌そうに彼女を睨む、アイリスハートだった。

 

「あ、最初のおねーさん! わすれてた!」

「勝手に他の女に乗り換えられるの、気分がよくないわぁ」

 

 なんてため息と共に呟きながら、イエローハートの腕に絡まっていた剣を元に戻す。彼女も彼女で相手をすり替えたらしく、困惑とともに後ずさるノワールのことは、眼中にないようだった。

 

「私、他人で遊ぶのは好きだけど、遊ばれるのは嫌いなのよ」

「ぴぃはすきだよ! あそんでくれるひと、みんなだいすき!」

「そうなの……だったら、完全にイっちゃうまで付き合ってあげる!」

 

 ぴしゃん、と蛇腹剣を地面に叩きつけた次の瞬間、二人が衝突した。

 まず飛んできたイエローハートの拳を、アイリスハートが回避。そのまま後ろを取って、真上から剣を振り下ろす。遅れてやってきた斬撃をイエローハートが受け止めるけど、その間にもう二度、三度アイリスハートが剣を振るう。それらを全部防ぎきってから、イエローハートの放つ蹴りを、これも紙一重で回避。

 余裕って感じじゃない。けれど、そこまで突き詰めているわけでもない。

 実力はほぼ互角。それはつまり、それだけ傷つけ合う時間が増えるわけで。

 ……駄目だ。

 

「ちょっと、何やってるのよ黒い私!」

 

 パープルハートの制止も振り切って、激突する二人の間へと駆け出した。

 

「……っ、ねぷちゃん! 勝手に割り込まないでくれる!?」

 

 本気で苛立ったようなアイリスハートの声も、今は無視。

 ちょうど二人が距離を取ったところで、盾を構えつつイエローハートと対峙する。

 

「おねーさん、だれ?」

 

 ――覚えてないのか、やっぱり。

 でも、ここまでは想定内。原作でもそうだったから、驚くようなことじゃない。

 ……それでも悲しいのは事実、だけど。

 

「邪魔するなら、先におねーさんからやっちゃうよ!」

 

 それでもいい。プルルートと傷つけ合わないのなら、それで構わない。

 プルルートが、それもこの次元のプルルートが彼女と傷つけ合うなんて、それはあまりにも。彼女たちは、そのためにこの世界に生きているわけじゃない。家族として生きてるんだ。

 だから。

 

「ピーシェ」

 

 少女の名を。偶像と化す前の名を。女神でも何もない、ただの彼女の名を。

 正直なところ、何か作戦があるわけでもない。ぶっつけ本番、行き当たりばったりで彼女の前に立っている。無謀だと思う。ああ、また間違えちゃった。ネプテューヌも今回はさすがにガチギレするのかな。

 ……でもまあ、それくらいなら、いっか。

 

「……ピーシェ?」

「そう。君は、ピーシェ」

「私が……?」

「……家族だったんだよ、私達は」

 

 こてん、と首を傾げながら、ピーシェは興味を示したようで、ふわりと俺の前へ降りてきた。

 

「私とおねーさんが、家族?」

「……そう。嘘みたいな話だけどさ。でも、君は認めてくれた」

 

 ちょっと傲慢が入るかもしれないけれど、それでも俺はそう思ってる。

 だから今、俺はプルルートとの間に立って、こうやって向かい合ってる。

 

「俺はプルルートを悲しませたくない。それは、君も同じ。同じだった、はず」

「ぷるるー、と?」

「これからずっと一緒に居られるって、離れ離れになんかならないって」

 

 ぶらんと垂れるイエローハート手を、両手で優しく包み込んで。

 

「……だから、もう帰ろう?」

 

 そうやって、ぎこちないだろうけど、精いっぱいの笑みを浮かべた俺に。

 イエローハート――否、ピーシェは、にかりと太陽のような笑みを浮かべて。

 

「やーだっ!」

 

 ――衝撃が訪れたのは、彼女の声が聞こえたのと同時だった。

 閃光にも似た白い景色は、耳鳴りと共に訪れた。晴れた視界に見えてくるのは、横たわった世界と、そこに立つイエローハートの姿。軋む体を立たせると、ずるり、という変な音が左腕から聞こえてくる。同時に体が揺れるような、奇妙な違和感。けれどその正体を突きとめるのは、ピーシェが許してくれなかった。

 

「ぴぃに帰るところなんてないもん! ぴぃはずっと、遊んでたいの!」

 

 …………っ、この!

 

「この、わからずやっ!」

 

 向かってくる彼女に盾を構えようとして、そこで初めて、違和感の正体に気が付いた。

 伸ばした左腕の先、そこからは夥しいほどの血が流れていて――

 

「……あれ?」

 

 腕が、ない。

 そこにあるのは強引に破られた皮膚と、引き千切られた肉と血管で。

 

「あ……っ、うそ……!?」

 

 それを認識して、ようやく悶えるほどの痛みが襲ってきた。思わず声を上げそうになるけど、必死で耐えて、もう一度イエローハートの方を見据える。

 多分さっきので捥がれたんだろう。それはもうしょうがない。それで腕がないとなると、盾も吹き飛ばされたはずだから、回避をしなくちゃいけないわけで、となるとまず体勢を――

 

「つかまえたっ!」

 

 思考を重ねている瞬間に、飛びついてきたイエローハートに、右脚を掴まれる。そのまま彼女は俺の脚を掴んでを頭上へ持ち上げると、勢いよく俺の体を地面へと叩きつけた。

 肺が潰れるような感覚。頭がぐらぐらと揺らされて、朦朧とする意識の中、二度目の地面との激突。既に視界の半分は潰されていて、彼女の立っている床は、俺の血で赤く染まっていた。

 けれど、イエローハートが止まることはなかった。そのまま何度も何度も、何度も何度も何度も何度も地面へ叩きつけられる。意識が途切れ途切れになってきて、次にはっきりと覚醒したのは、背中に鈍い痛みを感じた時だった。

 

「あぐ」

 

 浮遊感は既に消えていて、全身に走る痛みが生きていることを証明してくれた。

 ……解放された? なら追撃が、くる。とりあえず、体勢を立て直して――

 

「あれ?」

 

 壁に手をつきながら立ち上がろうとして、気づけばもう一度地面に伏せていた。それが不思議で、もう一度立ち上がろうとしても、すぐに膝をついてしまう。同時に右脚から違和感。どうやらそれが原因らしい。

 

「なーんだ。もうこわれちゃったの?」

 

 なんて、つまらなさそうに言うイエローハートが、びゅん、と何かをこちらに投げてくる。

 果たして、俺の目の前に投げつけられたそれは、乱暴に引き千切られたような、誰かの脚で。

 

「い……っ!?」

 

 痛み。どくどくと右脚から流れ出す血を、必死に抑えつける。けれど出血は収まりそうにもなくて、左腕からも血が流れているせいで、だんだんと意識が朦朧としてきた。ふわふわとした感覚は、夢にも似ていた。

 ……いやあ、まさかここまで持っていかれるとは。さすがイエローハート、って感じ。

 原作でも強かったもんな。それに比べて俺は出来損ないだし、そりゃこういう結果になるか。

 段々と思考が落ち着いてくる。なんでだろう? 死ぬ覚悟が出来たからなのかな。

 ……落ち着きというより、諦め、なのかもしれない。

 

「随分と好き勝手やっているようだな、イエローハート」

 

 ほぼ失われていく視界の中、そんな声が聞こえる。

 

「あ、おそかったね、おばさん!」

「いいか? 次にその呼び方をしたら私も容赦しないからな?」

「えー? でもおばさん、おばさんじゃん!」

「こっ……このガキ……!」

 

 あれは……マジェコンヌかな。やっぱりあいつが関わってたのか。

 というより、今のうちに確保しないと。ようやく姿を見せたんだ。今ここで仕留めておかないと、絶対に大変なことになるし。それに何より、ブランやベールのような事件を、もう二度と……

 

「駄目だよ黒いお姉ちゃん! 動いたらまた血が……!」

「ロムは右脚の止血! ラムはそのままヒール続けて! ネプギア、しっかり黒いネプテューヌさんのこと見てなさいよ! 次に意識が飛んだら、そこで終わりと思いなさい!」

 

 ……そっか。そうだよな。俺がこんなんだから、みんなに手間かけさせちゃってるのか。

 ごめんな、何の役にも立てなくて。それどころか、迷惑までかけちゃって。

 

「無様だな、出来損ない」

 

 何も言い返せない。感情的にも、身体的にも。

 

「……あなたがマジェコンヌね? 私の国に何の用?」

「別に用も何もないさ。ただ、実験するのに丁度よかっただけ」

「実験……? じゃあやっぱり、あなたが今回の主犯ってことでいいのよね?」

「おい、なんだその言い方は。私は貴様らを解放してやろうとしただけだぞ?」

 

 ノワールの言葉に、マジェコンヌが睨みながら返す。

 

「まったく、気分が悪い。帰るぞ」

「えー? まだみんなと遊んでないよ?」

「元より今日はただの顔見せだ。それにお前も少しばかり消耗してるようだしな」

「もしかして、このまま帰れるとお思いですの?」

 

 槍を構えつつ、振り返ったマジェコンヌにベールが問いかける。その隣から回り込むように、ブラン。ノワールはベールと挟み込むようになって、最後にパープルハートが上空からブランの対面へ。

 ……人数有利では、ある。上手くいけば、ここで仕留められるかも。

 

「仕方ない。貴重なサンプルを手放すのは少々惜しいが……」

 

 するとマジェコンヌは、イエローハートの方へと振り返って、

 

「自爆しろ、イエローハート。そして私を逃がせ」

「うん、わかった!」

 

 ――――っ!?

 

「だめ!」

「ちょっ、ちょっと黒いお姉ちゃん! 動かないでっ!」

「いいから止めて! 私のことはどうでもいい! あいつを止めて! お願いだから!」

「落ち着いてください黒いネプテューヌさん! それ以上暴れると、血が!」

「そんなもんどうでもいい! 私よりも、イエローハートを! ピーシェを――」

 

 そうやって、押さえつけてくるユニとネプギアを押しのけて、立ち上がろうとしたとき。

 今までこの状況を静観していたアイリスハートが、急に俺のところにやってきて、俺の体を踏みつけた。

 空気が口から漏れる。見上げた彼女の表情は、呆れ切ったような、疲れたようなもので。

 

「怪我人は黙ってなさい」

 

 言い放たれた彼女の言葉に、何を返すこともできなかった。

 

「……なるほど。そいつは賢いな、他の女神どもと違って」

「どういうこと?」

「貴様らのような無謀さを持ち合わせていない、ということだ」

 

 それだけ残してから、マジェコンヌがふわりと空に浮かび上がる。

 

「じゃあな、出来損ない。次に会う時は、せいぜい無様な姿を見せてくれるなよ」

 

 そのまま立ち去る彼女の後を、イエローハートが、ピーシェが追っていくのが、見えた。

 ……なんで行っちゃうんだよ。そんなヤツについてっちゃうんだよ。

 ほんとは止めたいのに、体は動いてくれない。指の一本も動かせないし、何よりもう、一人で立つことすら叶わない。

 ……俺が、出来損ないだから?

 誰かの力を借りることしかできない、一人では何もできないヤツだから?

 今だってそうだ。俺は地面に寝たきりで、彼女は空に飛んでいくばかり。俺一人ではどうにもできない。一人で空を飛ぶことも、そして彼女に思いを伝えることも、何もできない。

 

 ……せめて、空を飛ぶことができるなら。

 どこまででも届く、この世界を駆る翼があるのなら、俺はきっと――

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………これ、生きてますの?」

「ちゃんと生きてますわよ。ほら、息を吸って吐いてる」

「でも腕が一本ありませんわ。それに、足も片方」

「それでも。彼女には生きる意志がある。だから、まだ終わりではありません」

「……さっきから、何の話をしてるのかしら?」

「あら、忘れてましたわ。ごきげんよう、新入り」

「ごきげんよう、偽物のルウィーの女神様」

「あなた達だってそうじゃないの?」

「ええ。同じく、本物に負けたことも」

「残念ですが仕方ありませんわ。夢は、現在(いま)を生きる意志には勝てませんもの」

 

 声が、聞こえる。

 

「……で? ここは結局どこなのよ」

「あら、それはあなたも何となく理解しているのではなくて?」

「それとも、あなたが聞きたいのはここに存在する意味ではありませんの?」

「意味なんてあるのかしら、私に」

「さあ。本当は無いのかもしれませんわ。もしくは、これから見つけるか」

「少なくとも今の私達にできることは、彼女の抱いた夢を終わらせないこと」

「この子に夢なんてあるの?」

「ええ。たった今、ここに産まれましたわ」

 

 どこかで聞いたことのある、声だ。

 

「私たちにできることは、手を貸す事だと思いますわ」

「ええ。同じ夢を追う偽物として、彼女の夢を叶えて差し上げましょう」

「……どうして、そこまで彼女に肩入れするの?」

「強いて言えば、気に入ったから、ですわね」

「ええ。そうですわ。それに、夢は夢だからこそ、美しい」

「であるならば、私達の存在する理由は、それを証明することだと思いますの」

「なるほど。まあ、そうね。悪くないわ」

 

 ……うるさいなあ。

 せっかく人が気持ちよく寝てるのに。ぺらぺら喋りやがって。

 

「あら、そろそろお目覚めの時間ですわ」

「でも、もうすぐ終わりますから」

「……いいわ。私も見届けたくなってきた。あなた達の言う事が正しいのかどうか」

 

 だから、誰なんだよ。俺の中でぶつぶつ話してるのは。

 

「ごめんなさいね、うるさくしてしまって」

 

「でも大丈夫です。後は私達にお任せになって?」

 

「さあ、夢から醒める刻ですわ」

 

 

「――――っ!?」

 

 今のは? 誰? いや、確かに聞きおぼえのある声だった。決して夢じゃないはず。

 どういうことだ? というか今のは何の意味がある? 誰かが俺に何かを残そうとした?

 分からない。いつもこの世界は疑問だらけだ。それでいて、誰も何も教えてくれない。

 

「あ、黒ねぷねぷ! 目が醒めたですか!」

 

 混乱と苛立ちの中、そんなコンパの声が聞こえてきて、我に返る。

 プラネタワーの自室だった。いつものベッドに寝かされていて、今回は包帯とかだけじゃなくて、点滴も打たれているらしい。右腕を持ち上げようとして、肘の内側がちくりと痛んだ。

 ええと、どうなったんだっけ。確かルウィーに行ってからホワイトハートを倒して。

 それからイエローハートと戦うことになって……それ、から。

 

「酷い怪我だったわよ。生きてるのが不思議なくらい」

 

 聞こえてきたのはアイエフの声だった。姿はベッドから離れた扉の傍。

 

「女神が頑丈っていうのは知ってるけど、まさかここまでとはね」

「私もびっくりしたです。こんな大怪我を治療するの、初めてだったんですよ?」

 

 それは……ありがと。感謝してもしきれないな。

 

「でも……やっぱり、無くなったものはダメだったです」

「お手上げらしいわよ。ネプ子は勿論、他の女神様もなんとか手を尽くそうとしたけど」

 

 何の話か分からなくて、首を傾げていると、アイエフがため息と共に答えてくれた。

 

「腕。それに足も。覚えてないの?」

「頭にもいくつか傷害があったですから。どうですか、黒ねぷねぷ? 思い出せるです?」

 

 あー……そういえばなんか、持っていかれたような。うん。思いっきりやられてたわ。

 その時は別のことで必死だったから、忘れてた。いや、自分でもびっくりしてる。普通、腕と足が無くなったこと忘れないよな。でもまあ、あの時は……やっぱり、別のショックの方が大きかったし。あれがああなったときは、本当にびっくりしたよね。

 でもそっか、腕と足、なくなっちゃったのか。それはちょっと残念だな。

 

「ごめんなさいです。元に戻す方法も、何も見つからなくて」

 

 そりゃまあ、仕方ないよ。

 元々、俺が勝手にやったことなんだし。簡単に戻るものとは思ってない。

 けど、やっぱり物悲しいって言うか、これからどうしよう、って言う不安はある。

 義足とか用意してくれるのかな。そうでなくても、杖とか用意してくれれば歩けるはずだけど。

 腕はまあ……他人に任せっきりになっちゃうかも。このままだと、服も一人で脱げやしないし。

 

 ……駄目だなあ。いつまでたっても、他人に頼りっぱなしだ。情けない。

 ピーシェを連れ戻すこともできなかったし、その後を追うこともできなかった。

 俺が出来損ないだから? 役に立たないから?

 一人で空も飛べない、偽りの女神だから?

 

「ちょっと、黒ネプ子……」

 

 どうして、俺は何もできないんだろう。どうして俺は、何者にもなれないんだろう。

 俺のせいでみんなが迷惑してる。いらない心配も、かけさせてる。

 それなのに、俺はただただやられるばっかりで。

 虚しいなあ。それに、とても悲しい。今すぐここからいなくなりたい。

 でも、そんなこと許されない。だからといって、何かができるわけでもない。

 ……いっそのこと、俺の命と引き換えに、全てが元通りになってくれたらなあ。

 

「黒ねぷねぷ、落ち着くです。今は安静にするですよ」

 

 そうやって休んでいたら、ピーシェは戻ってきてくれるのかな?

 

「それは……」

「黒ネプ子、いい加減にしなさい。今あなたが出来るのは、ちゃんと休むことよ」

 

 分かってる。分かってる、けど。それで何かが解決するわけないじゃないか。

 それとも俺は、プルルートとピーシェが傷つけ合うのを、黙って見ることしかできないの?

 だったら、やっぱり俺は何もできないんだ。二人に関わることすらできない。どれだけ手を伸ばしても届かない。この手であの二人を繋ぎ留めることなんて、叶わない。

 ……なんで。なんで、俺は。

 

「なんで俺は、何にもできないんだよっ!」

 

 そうやって、勢いよく振り下ろしたのは――あるはずのない、左腕だった。

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 ………………は?

 

「黒ねぷねぷ? それ……何ですか?」

 

 いや、俺に聞かれても……。 

 え? まじでなに?

 知らん……怖……

 

「コンパ、黒ネプ子の左腕は欠損した、って聞いたけど」

「はい。確かにさっきまでは無かったです。十分前にも確認したですよ?」

 

 それじゃあ、これはどういうわけなんだろう。

 普通の腕じゃなかった。白いプロセッサユニットで形作られた腕。全体にかけて緑色のラインが入っていて、それは俺の知る限り、ベールの――グリーンハートのものを模ったように見えた。

 それこそまるで、グリーンハートの左腕をそのまま取ってつけたような、そんな。

 ……まさか!

 

「……どういうことよ、それ」

 

 めくった毛布の下には、引き千切られたはずの右足。それも腕と同じ、白いプロセッサユニットで形成されたもの。違うのは全体に走る光の筋が青色をしていることで、それはブランの――女神ホワイトハートのものを、模ったようで。

 

「わ、私、ねぷねぷたちを呼んでくるです!」

「うん、お願い! 黒ネプ子、あんたはそのまま寝てて……」

 

 これ立てるかな? お、いけそう。ちょっと違和感あるけど楽勝だな。

 腕も簡単に動かせる。義手ってよりは本当に腕が生えてきた感じ。あ、でもプロセッサユニットってつまり、シェアエネルギーで形成したもんだから、実質的には身体の延長とかになるのか?

 とにかくこれで日常生活に支障はないな。あー、よかった。

 ……いやでも、ネプギアにあーんとかされてみたかったよな、正直。

 だって合法じゃん。腕がないんだもん。

 都合よく着脱できるとかないかな? いっちょ引っ張ってみるか。せーの、

 

「やめなさいったら!」

 

 思いっきり引き抜こうとした直前で、アイエフに頭を強く叩かれる。

 そ、そんな勢いよくぶたなくても……

 

「遠坂……」

「だからトーサカって誰なのよっ! 最近気になって眠る前とかに思い出すからやめてくれる!?」

 

 そんなにか。いや、確かにちょっとクマできてるな。ごめんなアイエフ。

 これからはちゃんと呼ぶから。

 

「……本当、意味わかんないわよ。さっきまで沈みかけてたと思ったら、急に腕と足が生えて、元気になるんだもの。あなた、ネプ子並みについていけなくなったわよ」

 

 それはまあ、そうかも。最近自分でもそう思う。

 ……もしかして、ネプテューヌに引っ張られてるのかな? それとも。

 

「にしても、まあ良かったじゃない。しばらく経過を観察して異常がなかったら、復帰できそうで」

 

 そうだね。何より、これできっと――

 

「……ねぷちゃん?」

 

 続けようとした言葉は、そんな問いかけによって遮られる。

 

「プルルート?」

 

 果たして、彼女は開かれた扉の前で、じっと俺の事を見つめていた。そのまま俺と視線を交わすことしばらく、とことことこちらへと歩いてくると、俺のベッドの上へと身を乗り上げてきた。

 う、なんだ。若干太ももとか踏みつけてるから、ちょっと痛いんだけどな。

 

「おけが、ない~?」

 

 怪我……まあ、あったけどなんとかなったよ。

 それにほら、腕も足も元通り……ってわけじゃないけど。カッコよくなったでしょ。

 

「でも~、痛かったでしょ~」

 

 そりゃ、まあ。正直、泣きたいくらい痛かったよ。でも、もう大丈夫。

 これならもう一度ピーシェが来ても、プルルートじゃなくて俺がなんとか……

 

「ねぷちゃんも、私の家族だよ?」

 

 ……え?

 

「お姉ちゃんもねぷちゃんも、みんなも同じ家族なの。だから、ねぷちゃんだけが傷つくのはおかしいよ。だったら、わたしも一緒にがんばる。がんばって、お姉ちゃんを取り戻すから」

「プルルート……」

 

 ……そっか、そうだよな。よく考えれば分かることだよ。

 俺はプルルートには傷ついてほしくない。それと同じで、プルルートも俺に傷ついてほしくなかったんだ。それだけ、プルルートは俺の事を大切な存在だと思ってた。なのに俺は、勝手に俺だけで背負ってて。

 信じてなかったんだ。プルルートのことを。プルルートが寄せてくれた信頼を。

 ……ああ、もう。どんだけ馬鹿なんだろうな、俺は。

 

「プルルート」

「うん」

「一緒に、お姉ちゃんを……ピーシェを、迎えに行こう」

「……うん! いっしょに、ね!」

 

 頷くと、プルルートはにっこりと、朗らかな笑みを浮かべてくれた。

 ……そうだよ。こうやって、また三人で笑える日が来るはず。

 弱音を吐いてる暇なんてない。プルルートを、それに自分を信じて、前に進まないと。

 

「ちょっとー? できれば私たちも仲間に入れてほしいんだけどー?」

 

 なんて茶化すような声と共に、現れたのはネプテューヌとネプギア、それにイストワールで。

 

「私たちも、ぷるるんやピー子と一緒に暮らしてきた仲なんだから! 二人だけにいいカッコさせないよ! 特に黒い私とか、また無茶して今度は両手両足無くしてきそうだからね!」

「そういえば、もう大丈夫なの? コンパさんがすごい顔で呼んできたけど……」

 

 ああ、それね。なんか生えてきてさ。ほら見て。

 

「うおおー! なにそれめっちゃカッコいい! ズルいズルい!」

「……あなたは、本当に何でもアリですね」

「いーすん、私もあれできないかな!? ラステイションのシェアとかちょっと借りてさ!」

「ネプテューヌさんは今ので我慢しててください!」

 

 でも分かるぞネプテューヌの気持ち。これ自分でもカッコいいって思うもん。

 変身できない代わりになんかこう、その場しのぎの急ごしらえモードっていうか、切羽詰まった状況感が出ていいよね。男の子はそういうのに憧れるから。

 

「お姉ちゃんたちのツボ、たまにわからなくなるんだけど……」

「いいのよ、ネプギア。勝手にやらせておきなさい」

 

 困惑するネプギアに、アイエフがそうやってため息をひとつ。

 

「とにかく、今後の計画を練らないといけません。黒ネプテューヌさん、歩けますね?」

 

 余裕。今ならフルマラソンも完走できそう。

 

「なら場所を変えましょう。お二人とも、こちらへ着いてきてください」

 

 

 果たして、イエローハートの襲撃の後、俺は三日間ほど寝たきりだったらしい。 

 その間にルウィーの国勢は順調に回復。影響も多少は残っているが、おおむね解決に向かっているらしい。だけど未だマジェコンヌ、並びにイエローハートへの警戒態勢は健在。大きな事件は過ぎ去ったが、未だ気が抜けない状況になっている。

 イエローハートについての情報は、今のところ不明となっている。

 なっている、っていうのは変身者がピーシェであるということを、国民には伏せているということ。ピーシェはネプテューヌやプルルート、俺と違って一般の市井の人間なのだ。それが単純に操られるどころか、女神化して暴走させられるとなると、国民に不安を煽ることになってしまう。だから今、イエローハートがピーシェだということを知っているのは、あの場に居た全員と、そしてここにいるコンパとアイエフ、イストワールだけ。

 まあ、正直それは些細な問題だ。もっと大きな課題となること、それは。

 

「マジェコンヌとイエローハート、それぞれが同時に別の場所で現れることですね」

 

 モニターに映ったゲイムギョウ界の地図を眺めながら、イストワールがそう告げた。

 視聴覚室あるんだな、プラネタワー。まあボウリング場もあるしおかしくはないか。

 

「正直、マジェコンヌへの対策ってまだ無いもんね」

「それにイエローハート……いや、ピーシェちゃんを元に戻す方法も分からないし……」

 

 ネプテューヌとネプギアも同じようにため息を吐いていた。

 こういう仕草のタイミングが同じなところ、結構姉妹って感じがするな。

 

「どこかにおびき出せないですか? 何か餌になるものを用意すれば」

「なにが餌になるか、よね。そこもまだ分からないし、正直あいつらの目的もよく分かってないもの」

 

 アイエフとコンパも顔を見合わせながら、そうやって話を続けていた。

 手詰まりって感じがするな。正直、打つ手が……

 

「ねぷちゃんは~? どうおもうの~?」

 

 ……一個だけ、ある、のかなあ?

 

「黒い私? 何かいい考え、あるの?」

 

 考え、っていうかほとんど勘っていうか、もしかすると、って感じなんだけど。

 

「いいわ、話して。この際、推測でもなんでもいいから」

 

 まず、この事件はリーンボックスから始まったでしょ?

 リーンボックスでベールの妹、つまりベールの偽物が表れた。それが解決すると次は、ルウィーにホワイトハートを騙る女神、ブランの偽物が表れた。その事件もついこの間に解決した。

 ここまでは正直みんなも解ってると思うんだよ。自分で言ってアレだけど、分かりやすいし。

 

「問題は、次に襲われるのはラステイションかプラネテューヌのどちらか、ってことだよね?」

 

 ネプギアの言う通り。おそらく次に襲われるのは、その二国だと俺も思う。

 そんでもっておそらく、次に襲われる国もほとんど決まってる。

 

「どうやってそう判断したんですか?」

 

 たぶんこの順番に法則ってないと思うんだ。最初に事件が起きるのがルウィーだったかもしれないし。次がラステイションで、最後がリーンボックスとプラネテューヌの二択になってもおかしくはない。その逆でもいい。最初と二番目はあんまり重要じゃないんだ。

 

「……ん? どうしてプラネテューヌだけは最後の二択に入ってるの?」

 

 そう、そこだよ。プラネテューヌだけは、多分最後の二択に入ってくる。

 今までの事件を整理すると、それぞれの国家に、それぞれの女神を騙る偽物が出てきたんだ。それでその偽物をやっつけると、また次の国家に女神の偽物が出てくる。次もおそらく同じ。そして、最後も。

 ……こうなってくると、もうほとんど答えを言ってるみたいなもんだけどさ。

 

「プラネテューヌには、俺が居る」

 

 つまり、もうパープルハートの偽物は表れてるってわけ。

 でも俺が表れたのは、最初のベールの事件が起きる前。その間にプラネテューヌで大きな事件が起こることはなかったし、多分これからも起らない。だって俺、起こす気ないもん。

 となってくると、今まで女神の偽物がひとつも出てない国があって。

 

「そうだね。ということは……」

 

 地図の上、皆の視線が集まったその先は。

 

 

「ラステイション――きっと、そこが最終決戦の場所だよ」

 

 


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