虚構彷徨ネプテューヌ   作:宇宮 祐樹

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18 警告:ノワール暴走中

 18 警告:ノワール暴走中

 

 ノワールは、誰よりも女神らしい女神だと、俺は思う。

 別に他の三人が女神らしくない、ってわけじゃない。いや、それもちょっと語弊があるな。ブランはまだしも、ベールとネプテューヌは……うん、これ以上は怒られそうだしやめよう。

 彼女にとって、女神とは在り方ではなく使命なんだろう。ネプテューヌのような生まれついての女神ではなく、自分は女神である、という信念を確かに持っているということ。女神というものを与えられたものではなく、選ばれたもの、と捉えられるのが、ノワールという少女の強さなんだ。

 それは他の女神に比べて劣っているっていうわけじゃない。むしろ、凄いことだ。自分が何者であるかをしっかり理解して、その役割に殉じること。それは誰にでもできることじゃない。

 だからこそ、ノワールは女神として在り続けているのだと思う。

 同時に、誰よりも女神という役割(ロール)に囚われている女神だとも、思う。

 女神とは人々の導きとなる者、国をその一身に背負う者。後ろを振り返ることはできず、ただ自分を信じて前に進むしかない、そんな在り方を定められた者。共に並び立つ者はなく、孤独を宿命づけられた、この世界の機能(システム)として存在する者。

 ノワールに充てられた役割(ロール)とは、そういうものだ。投げ出すことなど許されない。逃げることも、誰かに擦り付けることも。それは呪いと呼ぶに相応しいものかもしれない。

 けれどノワールは、それを受け入れた。女神であり続けることを択んだ。自らの国を守るため、迷える人々を導くため、そしてこの世界の均衡を保つために、ノワールは自身を捨て去ったんだ。

 きっと本当は、誰よりも普通の少女に憧れていたんだと思う。女神としてではなく、ただの少女としての在り方に焦がれていたんだとも、思う。でもそれは叶わない。ノワールという少女は女神だから。女神としてでしか在れない少女、それこそがノワールという存在なのだから。

 何色にも染まらぬ黒い心。名は体を表す、っていうわけじゃないけど、ノワールにはそうした強さがある。残酷な役割(ロール)から逃げ出す弱さも、叶わない少女への憧れにも揺れ動かない、確たる意思。たとえどんな障害が立ちはだかろうと、使命と誇りを胸に前へ突き進む。そうして切り拓かれた道に人々が集い、ラステイションという国は造り上げられたんだ。

 だから、ノワールはこれからも女神であり続ける。どんな苦難が降りかかろうと、そこに女神としての使命がある限り、ラステイションという国があり続ける限り。

 

 そう、俺は何の根拠もなく、思っていた。

 

『本日はゲイムギョウ界に住まう皆様に、大事な報告があります』

 

 携帯の小さな画面だった。ゲイムギョウ界全土へ向けてのライブ配信。珍しく敬語で喋っているノワールの姿に、俺はそれとない違和感を覚えていた。同時に、一抹の不安が脳裏を過ぎる。傍で同じようにそれを聴いているアイリスハートも、同じような感覚を覚えていたのだろう。

 ……違う。ノワールがそんな事を言うはずがない。俺はノワールのことを全て知ってるわけじゃないけど、それだけは確実に言える。彼女の背負う苦しみも辛さも何も知らないけど、その強さだけは知っている。これはひと時の夢、ブランやベールと同じような、一握の憧れなんだ。

 けれど、俺のそんな身勝手な願いなんて、届くはずもなくて。

 

『私、ノワールは本日をもって、女神を引退することをここに宣言します』

 

 小さな画面に映るノワールは、何事もなかったかのように淡々と、そう告げたのだった。

 

 

 事の発端は、ノワールより言い渡されたラステイション近辺の調査からだった。

 ノワール本人からの頼みだった。次の標的がラステイションである可能性が高いこと、それに居なくなってしまったピーシェの代わりを引き継いでほしいということ。断る理由はなかった。

 プルルートとの二人での行動になった。元より組まされることが多かったし、今のところ自由に動けるのが俺と彼女しかいないし。そして何より一人にしてあげないでほしい、ということだった。ピーシェの代わりというのは、そういう意味もあった。

 内容は以前から確認されていたエネルギーの発生源の調査報告、並びに経過観察。リーンボックスの事件が起きる前に調査した時のアレだ。モンスターが異常発生した原因になってて、俺がそれを報告しなかったらノワールに怒られたやつ。ここまで言えばわかってくれるかな。

 前回確認したときはルウィーとラステイションの国境周辺だけだったけど、調査を進めていくうちに、その発生源はラステイションの深部にまで及んでいることが明らかになった。

 今回はちゃんと逐一報告している。ただ、その発生条件は不明のままで、いくら俺がそれを吸収できるといっても全てを処理するのは難しいことから、不用意に手を出さないよう指示されている。

 だから俺達がやってるのは、日に日に増えていく発生源を発見しつつ、地図に書き記してからノワールへ報告するといった単純な作業。別に嫌気がさしているというわけでもないけど、すぐに動けないもどかしさも感じていた。もっと言えば、イライラしてた、って言っても間違いじゃないと思う。

 そんな、どこへも向けられない感情を抱えながら、地図を片手に今日もラステイションへ。

 この作業を振られてから二週間、ルウィーの事件からは三週間。

 つまりピーシェがいなくなってから、実に一月が経っていた。

 

「ねぷちゃん~、だいじょうぶ~?」

 

 プルルートの呼びかけに、どうしてか言葉を返すのが躊躇われた。

 大丈夫……ってわけでもないんだろうな、今の俺は。すごく不安だし、怖い。

 そりゃ、前向きに考えたいとは思ってる。何とかしてピーシェを取り戻してから、マジェコンヌをブッ飛ばして大団円、みたいな結末を望んでるさ。けれど、そんな簡単にいく訳がない。本当にピーシェはピーシェのまま帰ってきてくれるのか、マジェコンヌを倒す事なんてできるのか、そんな考えがいつも頭を過ぎっている。

 ……こんな考えに至ってる時点で、大丈夫じゃないよな。

 

「心配ないよ~。お姉ちゃんは、ぜったい戻ってくるから~」

 

 どうして……どうして、プルルートはそう言えるのかな。

 プルルートにとって、ピーシェは唯一の家族じゃなかったの?

 絶対に離れちゃいけない、この世界で二人といないお姉ちゃんじゃないの?

 そんな大切な人がいなくなったのに、どうしてプルルートはいつも通りでいられるの?

 どうして君は、俺みたいに悩んだり、怖がったりしてないの?

 

「……私も、心配だよ? お姉ちゃんがいなくなっちゃうかも、って思ってる」

 

 じゃあ。

 

「でもね。私、信じてるんだ~。お姉ちゃんのことも~、ねぷちゃんのことも~」

 

 ……俺のこと、も?

 どうして? 俺は一人じゃなんもできない、出来損ないだぞ?それこそプルルートに頼らないと、空も満足に飛べやしないダメ女神なのに。ピーシェを必ず取り戻すって、そんな保証もできないのに。

 それなのに、どうして俺の事を信じられるの?

 

「でも、ねぷちゃんはお姉ちゃんを助けること、諦めてないんでしょ~?」

 

 それは、そうだけど。

 

「だったら、私は信じてるよ、ねぷちゃんのこと」

 

 ……そう、か。そうだよな。

 ピーシェのことを諦めたわけじゃない。諦めるわけがない。どんなことがあっても必ず助けるって、そう誓ったんだ。それならもう、自分自身を信じるしかないよな。

 プルルートはもうそれを理解してたんだ。だから不安も恐怖も感じるはずないんだ。

 ……情けないなあ、俺。そんなことも分かんなかったなんて。

 

「ありがと、プルルート」

 

 恥ずかしくなって、小さな呟きになってしまった俺の言葉に、けれどプルルートは満面の笑みで返してくれた。それだけでどこか、救われたような気がした。

 やがて俺達が辿り着いたのは、ラステイションの中心部から少し離れた、小さな洞窟だった。

 不思議とモンスターはいなかった。普通ならこういう洞窟にはモンスターが少なからず生息しているはずだが、スライヌの一匹たりともいない、というのはかなり珍しかった。

 万が一に備えて盾を展開してから、洞窟の奥へと進んでいく。ここはまだ調査が及んでいない場所だった。果たして鬼が出るか蛇が出るか、それとも――

 

「ねぷちゃん、あれ~」

 

 プルルートの呼びかけと同時に、俺もその姿を捉えた。

 

「やっぱりここにもあったね~」

 

 地表から湧き出ている黒い靄のようなもの。間違いない、エネルギーの発生源だ。

 ……そろそろ名称とか決めたほうがいいんじゃないかなあ、これ。

 

「もやもやとかでいいんじゃないの~?」

 

 それだと曖昧すぎるしなあ……シェアエネルギーの反対でアナザーエネルギーとか。

 

「あんちょく~」

 

 そッ、そんな……。割といいセンいってると思ったのに……。

 予想外の言葉に落ち込みつつも、とりあえず地図へちゃんと印を入れる。

 アナザーエネルギーの発生源の総数は既に百を超えていた。それはルウィーとラステイションどころか、プラネテューヌにも浸食している。海を挟んだリーンボックスには、あまり確認されてないみたいだけど。でも安全っていう保証にはならないよなあ。

 ……いちばん悲しいのは、この現状に対して何も動けないってことなんだよな。

 仕方ないってことは分かり切ってるけど、それでも。虚しくなるっていうか。

 

「でも、今やるべきことをやらないと、また同じことがおこっちゃうかもしれないし」

 

 ……そうだね。頑張るのは後にとっておけばいい。今はとにかくやるべきことをやらないと。そうでないとまた、皆に心配させちゃうしな。皆を不安にさせるのは、嫌だし。

 なら、今できることをもっと頑張らないとな。ありがとう、元気が出てきた。

 

「うん、元気なねぷちゃんのほうが、私もすきだから~」

 

 よし、じゃあ気を取り直して次のポイントの確認、行こっか。

 ここから少し離れてるから、またプルルートにお願いして空路で……

 

「……ん?」

 

 違和感があった。ざわざわという、得体の知れない何かが迫るようなもの。

 プルルートもそれは感じていたようで、俺と同時に背後へと振り返る。

 

「ねぷちゃん、なにあれ?」

 

 黒い陰だった。周囲のアナザーエネルギーが集まって形成された、人の影。それは女性の形を模しているようで、何よりも目を惹いたのは、その背後に背負っている三対の翼で。

 漆黒に色がついていく。髪は白。全身に纏うプロセッサユニットは、黒。

 そして開かれた瞼の下には、碧色の瞳と、電源マークを模した瞳孔があって。

 

「……ブラックハート?」

 

 そう言葉を漏らした瞬間、彼女は髪を振り払いながら、にやりと笑う。

 

「あら、出来損ないじゃない」

 

 ……なるほど。

 

「聞き飽きた」

「そう。いくら頑張っても、何も変わってないってことね」

 

 別に構わない。俺は、俺にできることをするだけだから。

 

「でも幸運だったわ。こんなに早く、あなた達に遭えるなんて」

 

 それはこっちも同じだよ。

 君がノワールの偽物なら、ここで潰せばぜんぶ終わらせられる。

 

「いい度胸じゃない。なら、さっさとやられて――」

 

 言葉は続かなかった。俺の背後から放たれた刺突によって、ブラックハートが大きく吹き飛ばされる。蛇のように撓る刃だった。それは宙を泳ぐように動き、やがて一振りの剣へと戻っていく。

 

「つれないわねぇ……そんなこと言わずに、もっとじっくり楽しみましょうよ」

 

 い、いつの間に変身を……。

 

「へぇ? そっちのはやる気満々じゃない」

「このところ、ご無沙汰で溜まってるのよねぇ……あなたで発散しようかしら?」

「上等よ! 満足するまで付き合ってやるわ!」

「いいわ、存分にイかせてあげる!」

 

 やっぱりストレス溜まってたのかな。心なしかいつもより怒ってる気がする。

 向かってくるブラックハートに対して、アイリスハートが再び蛇腹剣を展開。等間隔に分断された刃が渦のようになって、彼女の周囲を巡り始める。そこへブラックハートの斬撃。一撃、二撃目は漂う刃で返したけど、三撃目の刺突に対してはアイリスハートが剣を振るった。

 鞭のように跳ねる剣が、向かってくるブラックハートの剣へ絡みつく。そのまま数秒の硬直。そしてアイリスハートがにやりと笑うと、二人で密着したまま天井へと跳び上がった。

 ……いや、その勢いだと頭ぶつけるんじゃ――

 

「そぉ、れっ!」

 

 なんて活きの良い掛け声とともに、アイリスハートがくるん、と身体を翻す。

 

「ちょっ」

 

 ブラックハートのそんな声が聞こえたと同時、アイリスハートは彼女を天井へと叩きつけた。更にそのまま滑空を続け、ブラックハートの身体を天井で引き摺り回していく。悲鳴はなかったけれど、柔らかい何かがずるずると削れていくような、痛々しい音が響いていた。

 ひとしきり、おおよそ五分ほどそんな行為を続けたのち、唐突にアイリスハートがブラックハートを、今度は床へと投げつける。既に意識は無いようだった。自由落下を続ける彼女に向かって、アイリスハートは天井を蹴りつけた。

 轟音と砂煙。それが止んだころに立っていたのは、ブラックハートをヒールの下敷きにしながら、非常に不満げな表情を浮かべているアイリスハートだった。

 

「足りないわねぇ」

 

 これでか?

 

「言う割にはそこまでだったもの。これじゃあ一人でヤってる方がマシね」

 

 ……まあ、確かに予想より遥かに早く決着がついたけど。

 そのせいでアイリスハートが強いのか、このブラックハートが大したことなかったのか、よくわかんなかったな。いやまあ、アイリスハートが勝ってくれたからなんでもいいんだけど。

 

「でもやっぱりイき足りないわぁ……ねぷちゃん、続けて相手してくれる?」

「やだ」

「んもぅ、そんなこと言っちゃ嫌よ」

 

 いや……だって絶対無事で済まないじゃん。今の見た? スタボロじゃんか。

 痛いのは嫌だし。それに、プルルートとは極力戦いたくないっていうか。

 

「ほら、一回だけでいいから。ね? お願い、ねぷちゃん」

「や」

「……無理やりが好みなのかしら?」

「だから嫌って言ってるでしょ!?」

 

 エロ漫画とかでよく見るそういう曲解するやつ初めて見たわ! どんだけ欲求不満なんだよ!

 

「呑気なもんね、あなたたちは……」

 

 なんてわちゃわちゃプルルートと話していると、下敷きにされているブラックハートから、そんな声が聞こえてきた。というか生きてることに驚きだった。

 

「あら、くたばってないのね。どうする? もう一回やっちゃう?」

「勘弁してちょうだい。あなたみたいな乱暴な奴、二度とごめんよ」

「弱いからいけないのよ」

 

 吐き捨てたアイリスハートの言葉を無視して、ブラックハートが続ける。

 

「それにあなた達、これで終わりって本当に思ってるの?」

 

 ……どういうこと?

 

「今頃、外は大変なことになってるでしょうね。いい気味だわ」

「答えなさい。もっと痛くされたいの?」

「そう焦らなくても大丈夫よ。じきに分かるから」

 

 ネプテューヌからの連絡が来たのは、その瞬間だった。

 ひりついた空気には合わない間抜けな着信音だった。けれどこのタイミングで来たということがどうも不安で、連絡に答えるのに少しだけ勇気が要った。やがてプルルートに目配りをすると、彼女はさっさとしろ、と言わんばかりに顎で返すだけ。

 

『もしもし!? 黒い私、今どこにいるの!?』

 

 果たして、電話の向こうから聞こえたネプテューヌの声は、かなり動揺しているらしかった。

 

「ラステイションの近くの洞窟。プルルートも一緒だけど……」

『そんなところに!? えー……っと、あーどうしよう! かなりマズい状況だよ!』

 

 ……こんなに焦ってるネプテューヌ、初めてだ。

 とりあえず落ち着いて、何があったのかだけ話してもらえる?

 

『そうだ、そうだよね。とりあえず今送ったの見てくれる?』

 

 そうして送られてきたのは、一分ほどの小さな動画のファイルだった。

 一応スピーカーフォンにして、と。

 

『本日はゲイムギョウ界にお住まいの皆様へ、大事なご報告があります』

 

 果たして、携帯の小さな画面に映ったのは、ノワールの姿だった。場所はラステイションの教会。改まって丁寧な口調になっていることが、無性に怖かった。後ろにある時計は今よりちょっと前を示して、それはおそらく、偽物のブラックハートが出現すると同時だった。

 そうやって思考しているうちに、ノワールは続く言葉を口にして――

 

『私、ノワールは本日をもって、女神を引退することをここに宣言します』

 

 ……は、い?

 

『それに伴って、このラステイションも本日をもって解体することに決定しました。この教会も、女神ブラックハートも、そしてラステイションの国民も全て、なかったことになります』 

 

 待て。

 いや、おかしい。

 いくらなんでもそんな、急に女神をやめるなんて。

 

『それでは、さようなら』

 

 なんて言葉を最後にして、画面には何も映らなくなった。

 ……どういうことだよ。一体、何が起きてる? 

 ノワールがいきなりあんなこと言い出すはずない。だってノワールは女神で、人々を導くための存在で、そんな彼女がいきなり国を捨てるなんて、ついてきてくれた皆を見捨てるなんて。

 

「やっぱり、枷じゃないの」

 

 吐き捨てたブラックハートの言葉に、ゆっくりと振り返る。

 

「あなた達があの子を縛り付けていたのよ。本人がどれだけ重責を背負っているのかも知らないで、勝手に女神だの国の象徴だのと崇め奉って。言いかえれば、そうね、あなた達があの子をいじめたせいで、あの子は拗ねて女神をやめちゃった、ってわけよ」

「お前に何が分かる」

「分かるわよ。私は、あの子の夢なんだから」

 

 ……嘘だ。

 

「嘘じゃないわ。ルウィーの時も、リーンボックスの時も、私達が女神たちの気持ちに嘘を吐いたことがある? 彼女らの夢を真正面から裏切ったことは、一度でもあった?」

 

 それ、は。

 

「それとも、あなた達にとって、夢が叶うことは間違ってることなのかしら?」

『間違ってるよ』

 

 ……ネプテューヌ?

 

『君がどこの誰かは知らないけれど、それは間違いだよ。確かにこれはノワールの夢なのかもしれない。女神の仕事も本当は面倒だし、何もかも全部投げ捨てて自由になりたい、っていうノワールを私は否定しないよ。ノワールがそうしたいって言うなら、そうすればいいって思う』

「なら」

『でもね、ノワールはそれを望んでないんだ。絶対に女神っていう役割から逃げ出したりなんかしない。どれだけ辛くっても、悲しくなっても、ノワールが女神を辞めるなんて望むはずないんだ。だから、その夢が叶うはずもない。叶えられちゃ、いけないんだ』

 

 そうだ。そうだよ。

 叶っていないからこそ、叶えられないからこそ――

 

『叶わないからこそ、夢は夢でいられるんだよ』

 

 ……動揺してた俺が馬鹿みたいだ。

 ノワールが女神をやめるなんてあり得るはずがない。それこそゲイムギョウ界がまるごとひっくり返ったってないことなのに、俺はそれを信じてしまった。彼女の強さを信じられなかった。

 駄目だなあ。皆に信じてほしいって言ってるのに、皆を信じられないなんて。

 

『とにかく、私達もすぐにそっちに行くから! また後でね!』

 

 それを最後にして、ネプテューヌの声が聞こえなくなる。

 

「……おかしいわよ。それがあの子を縛り付けてってることを、まだ分かってないの?」

 

 分かってるよ。でも、ノワールはそれを覚悟したうえで、女神として在ろうとしてる。

 それを邪魔することは、たとえ本当の想いを知っている君でも、いけないことなんだと思う。

 

「知らないわよ、どうなっても」

 

 いいよ。それに、いざとなったら君にも協力してもらうから。

 

「はぁ? あなた、何言って――」

 

 口答えをしようとしたところで、アイリスハートが再びブラックハートのことを踏みつける。

 

「ねぷちゃん、いいわよ」

「ありがと」

「ちょっ……ちょっと待ちなさいよ! 何するつもり!?」

 

 いやあ、実際三回目ともなると、割と攻略法が分かってきたというか。お決まりのパターンができたっていうか、なんだろうね。俺の前にノコノコやってきた君が悪いって言うか。

 

「なッ、ちょ……やめ……ちょっとおぉぉぉおおお!」

 

 下敷きにされたままのブラックハートへと手を触れると、彼女は黒い粒子となって、俺の手の中へと入っていった。いつもの感触。自分の中にまた、別の何かが入ってくる。

 そして展開。右腕が黒いプロセッサユニットに覆われて、黒い剣が右手の中に現れる。

 ……割と、普通だな。髪の色とかも変わってないし、翼とかも生えてない。

 それとも、足りてないってことなのかな?

 

「それでねぷちゃん、これからどうするの?」

 

 そんなの、決まってるよ。

 

「ラステイションに行って、ノワールを助け出そう」

 

 

 なんて啖呵を切ったはいいけど、実のところ細かい所は何も分かってなくて。

 あれも偽物のノワールなのかな。それとも何かによって操られているとか? それとも本物が何者かによって脅されてるとかも考えられるし、その他もいろいろ。

 とにかく、このラステイションの解体がノワールの意思でないということだけは分かってる。

 だったら俺達が今するべきことは。

 

「首謀者を見つけて、ぶっつぶす」

「ねぷちゃん、いつもより張り切ってるわね?」

 

 ん、まあ戒めみたいなものでもあるのかな。

 ネプテューヌに言われるまで、俺はノワールを信じられなかったんだ。だからその分頑張るっていうか、償わなきゃいけないっていうか。自分でそう思ってるだけだけど。

 そうやって、アイリスハートに吊られながら辿り着いた、ラステイションにて。

 眼下に広がる光景に、俺は目を疑った。

 

「あら、随分派手にやってるじゃない」

 

 ラステイションが、燃えてる。

 国のあちこちでは黒い煙が立ち上っていて、その周囲を蝿のように跳んでいるのは、ブラックハートに似た何か。街は瓦礫の山になっていて、所々で銃声が鳴り響いている。

 ……思ったよりもまずいな、これ。

 

「国家の解体、ってそういうことね。いいじゃない、楽しそうで」

 

 い、言ってる場合じゃないでしょ!

 ノワールの詳細を突きとめるのは後にして、とにかく今は人命救助を優先しないと!

 

「なら、あそこは?」

 

 俺の言葉にアイリスハートが示したのは、ラステイションのギルドだった。よく見ると民間人はそこに避難しているっぽくて、入り口はラステイションの軍が防衛線を張ってるみたい。

 そして、そこで指揮を執っているのは、ブラックシスターに変身したユニだった。

 

「民間人の避難はこれで全部!?」

「報告にあったものは全て完了してます!」

「なら引き続き捜索隊を派遣して! ここは私がなんとかするから!」

「了解しました!」

 

 彼女の命令に従って、数人が入り口から街の中へと離れていく。

 それを見計らったようにして、空から幾つかのブラックハートが向かっていった。

 

「ユニ様、来ます!」

「ああもう、全然休ませてくれないわね!」

 

 って、見てる場合じゃない! 俺達も加勢しないと!

 早く早く! 手遅れになる前に!

 

「んもぅ、ねぷちゃんはせっかちなんだから」

 

 なんて言葉と共に、アイリスハートが俺の体をぐい、と背負う。

 ……ちょっと待て。何しようとしてるの?

 

「思いっきり投げてあげるから。イっちゃダメよ?」

 

 なんで? どうしてそう変な方向に思い切りがいいの?

 あ、でもそっか、早く行かないと間に合わないのか。けどだからといって……。

 いや、もういい! 全部任せた!

 

 

 ……あー、でもやっぱちょっと、心の準備っていうか――

 

「そぉ、れぇっ!」

 

 もおおおぉぉぉぉおおおおおおおおっ! 話聞けよおおおおぉぉぉおおおっ!

 

「ユニ様、上空からまた何か来ます!」

「今度は何……って、黒いネプテューヌさん?!」

 

 風を切る音に紛れて、そんなユニの困惑した声が聞こえてくる。

 とりあえず誤射は避けられるみたい。だったらもう、一気にやるしかないか。

 

「らああぁああっ!」

 

 右腕に黒い剣を精製、そのまま宙を漂っているブラックハートの背中へと思いっきり突き立てる。その瞬間、ブラックハートの身体が黒い靄になって、俺の中へと吸収されていった。

 ……やっぱりそうだ。今までで何となく分かってたけど。

 女神には女神の力で対抗できる。ホワイトハートの盾を破った、あの時みたいに。

 だから、このブラックハートの剣なら!

 

「黒いネプテューヌさん、後ろ!」

 

 ユニの声に振り向いたと同時、握った剣を横に振る。その剣先は、ブラックハートの脚を掠っただけだけど、その体を黒い靄へと変えた。再び違和感。体の中へ力が溜まっていく。

 ……触れただけで倒せるのは、楽だな。これならなんとかなるかも。

 次に真下を飛んでいたブラックハートの背中に飛び乗って、そのまま隣を浮遊する個体へ跳躍。その際に下敷きにしていた方に剣を掠らせて、正面に捉えたブラックハートへ向けて、一閃。

 そこでようやく地面が見えてきたから、脚を女神化して着地。

 真上から降りてくる靄は、すぐに俺の中へ入っていった。

 

「……だいじょうぶ?」

「助かりました。でも、どうして……」

「近くにいたから。それより、今はどうなってるの?」

「民間人の避難はほとんど完了してます。逃げ遅れたり報告のない国民も捜索隊を派遣していますが……今はここを守るので精一杯で、現状はどうにも」

 

 そっか。みんなで頑張ってくれたんだ。

 ここからは俺達も手を貸すから、好きなように使ってよ。

 

「あ……ありがとうございます!」

「それで、おしゃべりはそれで終わり?」

 

 だん、と地面へブラックハートを叩きつけながら、アイリスハートが聴いてくる。

 

「増援みたいよ。それも、さっきより多めに」

「……とにかく、今はここを守ることを優先します」

「ノワールはどうしてるの?」

「今は分かってません。私としても心配だから早く探しに行きたいんですけど」

 

 でも、とユニは雑念を払うように、首を横に振って。

 

「きっとお姉ちゃんなら、みんなを守ることを優先すると思いますから」

 

 ……うん、そうだ。ノワールならきっと、そうやって言ってくる。

 自分がどれだけ大変なことになっても、絶対に国民を見捨てるはずがない。

 ユニはそれを誰よりも分かってる。妹として、一人の女神候補生として。

 

「行きましょう、二人とも!」

 

 強く響いたユニの声に、頷いて剣を構える。

 ……けど、さ。

 

「さすがに多すぎじゃない?」

「そうねえ。いくらなんでも、これだけ相手するのは疲れちゃうわ」

「さっきの威勢はどうしたんですか!?」

 

 いや、だって……見上げただけでざっと百は超えてるみたいだしさ。

 いくらこっちの武器が強くても、あれだけ数が多いと、守り切るのは難しいって言うか。

 

「ま、やるだけやってみるわよ。ねぷちゃん、地面に逃がしたのはよろしくね」

「私はプルルートさんの援護に回ります」

「あらそう? 別に構わないけど、あんまりおイタしちゃダメよ?」

「き、気を付けますから……」

 

 そんな会話をしつつ、二人が上空へ昇っていく。

 ……やっぱり、飛べないと不便だな。こういう時、加勢ができないし。

 いや、今はよそう。弱音を吐いたって、なんも変わんないんだし――

 

「ねぷちゃん、行ったわよ!」

 

 は、え、もう!? ああはいはい、やるよ!

 ギルドを目掛けて飛んでくるブラックハートに、こちらも足を女神化しながら跳びつつ、切り伏せる。続いて横から飛来してきたブラックハートと一回剣を交わせてから、刺突でその体を靄へと変えた。

 そこで一旦、地面に着地。それからもう一度宙に浮かび上がって、三人目を身体で受け止める。肺から空気が押し出される感覚。それに耐えつつ、剣を無理やり振りかざして、ブラックハートの翼へ掠めた。

 二度目の着地。荒くなった息を、無理やり肩で整える。

 ………………。

 

「逃がしすぎじゃない?」

「無茶言わないでくださいよ! これだけの量は捌ききれないんです!」

「……めんどくさいわねえ」

「さ、さっきまでの威勢はどうしたんだよ……!」

 

 なんて愚痴を言ってる間に、また新たなブラックハートが向かってくる。

 今度は同時に二体。先に来てる方を一気に片付けてから、後続のをさっさと――

 

「う”!?」

 

 突然の横からの衝撃。視界がぐるぐると転がって、空を見上げたところで止まる。

 どうやら俺の死角をついて、三人目が横から来ていたらしい。今にも俺を踏みつぶしそうなそいつに剣を突き立ててから、痛む体を無理やり起き上がらせる。

 ……まずい、ちょっと距離を離された。ここからじゃ追い付かない。

 

「ねぷちゃん!」

 

 足を女神化、それもダメ。なら二人に増援……も、一人で迎撃ができなくなって、数で押されるから詰み。かといって中に侵入させたらそれこそ終わり。一般人じゃ女神に適うはずがない。

 どうする、どうすればいい。ええと、ああもう、何も思いつかないよ!

 

「ちくしょう!」

 

 渦巻く思考を無理やりかき消して、剣を大きく振りかぶる。

 

「どうにかなれっ!」

 

 そして勢いのままに、思いっきり手にした剣を投げつけた。

 ブーメランみたいに飛んでいったそれは、奇跡的に先行するブラックハートの頬を掠めて、その体を吹き飛ばす。けれど後続は未だに飛行を続けたまま、剣も都合よく戻ってくることなく、遠くの地面で転がって、止まってしまう。

 

「ユニちゃん、こっちはなんとかするから、アレの狙撃して!」

「駄目です、動きが速すぎて……ギルドの方にも被害が!」

 

 ……駄目だ。明らかにこちらの数が足りてない。

 せめてもう一人、誰でもいいから味方が来てくれれば――

 

「とぉーっ!」

 

 ――バイクのエンジン音があたりに鳴り響いたのは、その時だった。

 視界に広がるのは、灰色のオーロラ。それはきっと、世界にかかる橋だったんだろう。

 水面のように揺らめくそこから姿を表したのは、紫のバイクにまたがった、一人の少女。

 髪は紫。黒いパーカーの一枚に身を包み、頭には俺と同じような、黒い脳波コントローラー。

 突如として空中から現れたその少女は、ギルドへ突撃しようとするブラックハートをバイクで轢き捨てながら、地面へと着地した。それから、しばらくの沈黙。

 やがて言葉を放ち始めたのは、彼女からだった。

 

「……や、やばいよクロちゃん! 適当に出たらなんか轢いちゃった! これって事故だよね? 私悪くないよね? だって向こうが勝手に入って来たんだもん。ね? そうだよね?」

「いやお前、今のを避けろっていう方が無理じゃねーか? 証人もこんなにいるんだし」

「そんなぁ! あー、えっと、ごめんね! これは不可抗力っていうか、こういうことは前にも結構あったんだけど、なんていうかその、言っちゃえばマジな事故っていうか! 私は轢くつもりとか一切なかったっていうか! そこだけは分かってほしいなー、なんて!」

 

 ……まじで?

 

「あなた……」

「あ、もしかしてあなたがこの国の女神? こういうこと言うと怒られるかもしれないけど、どことなく悪役感ある見た目してるね! で、こっちが妹さんなのかな? それにしてはちょっと似てない……? ん、いやそういう次元もあるってことなの? どう? クロちゃん」

「俺がわかるわけねーだろ、そんなこと。それよりもさ、なんだか放っておけないって顔してるぜ、奴ら」

「ああそっか、いけないいけない! 自己紹介はちゃんとしないとね!」

 

 そうして彼女は俺達の方へ向き直ると、胸をむん、と張ってから。

 

「私の名前はネプテューヌ! 通りすがりの、次元の旅人だよっ!」

 

 高らかに、そう告げたのだった。

 

 


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