虚構彷徨ネプテューヌ   作:宇宮 祐樹

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『君の隣に、いられるのなら』


20 Fly_High_!

 

 ▼ Fly_High_!

 

 

 ――感じていた浮遊感は消え、次には地に足を付けていた。

 暗闇の中に浮かぶ、透明な円形状の足場だった。大きさは俺一人分しかなくて、厚みもそこまでない。例えるなら、俺のためだけに用意されている、ガラスの足場みたいな、そんな。

 周囲に広がるのは、漆黒。よく見るとそれは闇ではなく、虚無のようだった。伸ばした手の先が、闇に蝕まれることもない。ただ、そこには俺だけが存在しているような、そんな曖昧な感触を覚えていた。

 伸ばした左腕には、白いプロセッサユニットと、緑色の光があって。そうやってもう一方に目をやって、初めて右腕がずたぼろに引き千切られていることに気が付いた。

 ……ああ、ようやく思い出したぞ。

 確か、ピーシェにかかっていた洗脳を解いて、地面に落ちて行って。

 その間中、ずっと右腕に爪が突き刺さったままだったんだ。そりゃまあ、こうなるか。

 もう使い物にならなさそうだなあ。ま、左腕がやられてないだけマシか。

 俺、右利きだけど……そこはまあ、練習するしかないよな。

 ……いや、それよりも。

 

「ここ、どこ?」

 

 口走った瞬間、目の前にぼう、と人影が浮かび上がる。

 

「ごきげんよう」

 

 果たして現れたのは、ぺこりとお辞儀をする小ベールだった。

 そうして顔をあげると、あら、なんていうように、口元を手で覆う。

 

「もう片っぽも、なくしてしまわれたのですね」

 

 ……ああ、右腕のこと?

 仕方ないよ。それに、ピーシェが戻ってきてくれたから、その代わりと思えば。

 

「とにかく、みなさまがあなたのことをお待ちしておりますの」

 

 彼女が告げると同時、俺を取り囲むように、今度は三つの人影が姿を表した。

 

「お久しぶりですわ」

 

 恭しく頭を下げるのは、女神化した中ベール。

 

「退屈だったのよ? ほら、あなたの中って狭いから」

 

 ため息と共に言ってきたのは、偽物のホワイトハート。

 

「私はそれほど待ってないけど。というより、まだあなたに負けたって認めてないからね!? 私が負けたのは、あのうさん臭いクソ女神だから! そこんところ、勘違いしないでよね!」

 

 なんて、無駄に多い口を叩いてきたのが、偽物のうちの一つのブラックハートで。

 ……ええと。

 

「どういうこと?」

「ですから、ずっとお待ちしておりましたの。あなたに敗れた時から、この今まで」

 

 やっぱり言葉の意味が分からなくて、首を傾げてしまう。

 

「ここは……そうね、あなたの夢の中、とでも思ってもらえればいいわ」

 

 俺の考えを汲み取ってくれたのか、ホワイトハートがそう言った。

 夢、か。なるほど。

 だったら、さっきから感じてる違和感も、どこか現実味のない感覚にも辻褄が合う。

 

「私達はずっと、あなたの事をここから見てましたの」

「退屈はしなかったわ。存外、面白かったからね」

 

 ちょっと待て。

 

「プライバシーは」

「にしても、またボロボロになってるじゃない。よくそんなやり方で、ここまでやってきたものね」

 

 俺の意見を無視して、ホワイトハート。

 いやまあ、俺って何かをどうこうする力があんまりないから。

 どうしてもこういうやり方になっちゃうっていうか。

 

「危なっかしくて見てられないわよ」

 

 ブラックハートが溢した瞬間、千切れた右腕の断面から黒い光が走り始めた。

 眩く、けれど昏い光。やがてそれは静かに収束し、思わず閉じていた瞼をゆっくりと開く。

 そこには。

 

「ほら、これで何とかしなさい」

 

 面倒くさそうに言う彼女のものと同じ、黒い輝きを携えた右腕があった。

 

「これでいい?」

「ええ。上出来ですわ」

「もう替えはないから気を付けてよ?」

 

 なんだかいろいろ言われてる気がするけど、その意図を理解することは終ぞできなくて。

 

「さて、では本題に戻りますわ」

 

 俺一人を置いてけぼりにしたまま、小ベールが続けていく。

 

「よくぞ、ここまで戦い抜きました。あなたの夢を守る意思は、確かなものです」

 

 どうやら褒めてくれているらしい。そんなことをした自覚はないんだけどなあ。

 

「だから、私たちからあなたに、ご褒美をあげますわ」

 

 ごほうび。

 ………………。

 

「俺、そういう趣味はないんだけど……」

「なに卑猥なこと考えてんのよ!」

 

 男のままだったら喜んで受けたんだろうけど。なにぶんネプテューヌの体だからなあ、これ。

 本人が別に居るとはいえ、できるだけ大事にしたいし。そういうのはよくないと思う。

 いや……でも……食わず嫌いはよくないしな。据え膳喰わぬはなんとやら。

 第一、そういうことをするにあたって、ネプテューヌに許可を取るのも馬鹿らしいし。

 あっ、その……じゃあまず、一人ずつ順番に脱いでもらって……。

 

「自分で提案して言うのも何ですが、取り下げたくなってきましたわ」

「なんで私達、こんな奴に負けたのかしら」

 

 そりゃまあ、なんていうか……然るべき結末っていうか。

 きっと、俺達が偽物でしかないからだと思う。

 

「……とにかく。私たちは、あなたに力を貸す事に決めましたの」

 

 若干の沈黙を置いてから、中ベールがそうやって話を切り出した。

 でも力を貸すって、一体どういう?

 

「察しの良いあなたなら、分かると思ったのですが」

 

 そして中ベールが、まっすぐと俺の瞳を見つめてから。

 

「あなたにとっての夢は、何ですか?」

 

 ――夢。

 俺にとっての、夢?

 

「私たちは、女神の夢を叶える存在。それ以上でも、それ以下でもありませんわ」

「だから私達にできることは、誰かの夢を叶えることだけ。それが、どんな夢であっても」

 

 あ、そう。

 つまりあれか、今までブランたちにやって来たことを、俺にやってやろうってことか。

 でも、それって意味あるの? 別に中ベールたちが解放されるとか、そういうわけでもないはずなのに。

 

「さあね。そんなこと、私達が知る訳ないじゃない」

「もしかすると、無駄なのかもしれませんわ。徒労に終わるだけかも」

 

 じゃあ、どうして。

 

「では、皆の夢を守るために戦うあなたの夢は、誰かが叶えてくださるのですか?」

 

 ……それは。

 

「けじめみたいなものですわ。私達、今になって自由になろうとは思ってませんの。だったら私達は私達らしく、役割を果たそうと思いまして。だってほら。敗者にできることは、勝者を称えることだけですもの」

「私は負けたなんて思ってないけどね。でも、こいつらがやるって言うから仕方なく……」

「あら、『こういう役回りも悪くないわね!』なんてワクワクしてたのは、どこの誰だったかしら?」

 

 うるさいわね、なんてブラックハートが叫んでから、皆がごたごた騒ぎ始めた。

 それを傍目に眺めながら、ふと思考する。

 夢、かあ。改めて問いかけられると、パッと思いつかないな。他の人に聴くことはいっぱいあったけど……ああ、そうか。皆が少しだけ答えづらそうにしてたのって、こういうことなんだ。

 ……でも、やっぱり、俺にとって一番大切なことは。

 

「プラネテューヌの皆が、平和に暮らせること」

「それは、ネプテューヌという女神の夢ではありませんこと?」

 

 答えると、すぐに中ベールが言葉を被せてきた。

 ……確かに、そうだ。これは俺の夢じゃない。ネプテューヌという女神が抱いている、夢。

 俺もそれを願っているのは事実だけど、俺にとっての夢かっていうと、そうじゃない。

 

「じゃあ、もう一度聴いてあげる。あなたにとって、夢って何?」

 

 ブラックハートの言葉に、靄が晴れた。

 俺の、夢。ネプテューヌとしてではなく、偽物である(ネプテューヌ)の夢。

 そう考えると、自然と手のひらへ目が行った。

 

 ……俺は、一人じゃ何もできない。ここ最近、そうひしひしと感じている。

 ネプテューヌや皆みたいに、誰かを守ることもできない。

 こいつらみたいに、誰かの夢を叶えるといった、明確な役割(ロール)がある存在でもない。

 出来損ない、っていうのはあながち間違いじゃないんだと思う。

 ネプテューヌはこんな小さな手でも、誰かを助けることができるのに。

 この偽物の手では、誰も助けられない。何も、救うことなんてできない。

 

 ……でも、さ。

 本当にそれでいいのかな。

 俺のこの手が届かないから諦めるなんて。助けられない事実から、目を背けるなんて。

 そんなこと俺にはできない。ネプテューヌの姿を借りている身で、できるはずがない。

 無謀ってことは分かってる。身の程に合わない願いだってことも。

 でも、それでまた大事な人を失うなんて、そんなことはもう二度としたくない。

 だから。

 

「俺の、夢は」

 

 プラネテューヌのみんなだけじゃない。

 ゲイムギョウ界に生きる、全ての人を救うため。

 助けを求める人に、この手を届かせるため。

 誰かの夢を、夢で美しく終わらせるため。

 大切な人を二度と失わないため。

 この手で、守り抜くため。

 俺、は――

 

「空を、飛びたい」

 

 虚構は晴れ、世界に色彩が戻り始める。

 

 夢から醒める刻が来た。

 

 

 はじめに見えたのは、透き通るような空の色だった。

 

「……あれ?」

 

 感じるのは内臓が浮かび上がるような感覚。強い風が、俺と、ピーシェの頬を撫でていた。空色の瞳と目を合わせる。それは一度だけ地面へと向けられた後、またこちらへ。

 

「ねぷてぬ?」

「なに」

「……落ちてるんだけど?」

 

 …………。

 

「うわあああああああああ!?」

「ちょっとおおおお!!!」

 

 何が力を貸すだバーカ! 現状、どうにもなってねえじゃねえかこれ!

 アレか?「力が欲しいか?」「欲しい!」「アンケートにご協力頂きありがとうございました」みたなノリなのか!? そこそこ古いから知ってる奴少ないだろ絶対!

 なんで心の中で叫んでも、それを聴く奴なんて誰もいるはずなくて。

 

「ねぷてぬ、やばいやばいやばい! そろそろ潰れちゃうって!」

 

 迫ってくる地面に、ピーシェが叫んだ。

 ……落ち着け。さっきのは走馬灯なんかじゃない。幻想でもない。

 あれは確かに、俺が見た夢なんだ。俺の中に居るあいつらが見せてくれた、夢。

 その証拠に右腕には、ブラックハートがくれた黒い腕がある。

 それなら。

 

「……ねぷてぬっ!」

 

 小さな、震える声のピーシェを抱きしめる。

 守らないと。二度と離れ離れにならないって、一緒に帰ろうって誓ったんだ。

 だったら、どうすればいい? どうすれば、大切な人を守ることができる?

 

 ……ネプテューヌは。

 彼女はどうして、この世界を、大切な人たちを守れるんだろう。

 どうやって、こんな小さな手でみんなを救ってるんだろう。

 どうすれば――彼女みたいに、この空を自由に飛べるんだろう。

 そう考えれば、すぐに答えは見つかった。

 

 ああ、なんだ。

 そんなに簡単なことだったんだ。

 だとすれば、俺が口にする言葉は、ただ一つ。

 

「――変身っ!」

 

 体の中に、二つの力の本流を感じる。片方はシェアエネルギー。もう片方は……アナザーエネルギー、なのかな。その白い力と黒い力はぐるぐると混ざり合って、俺の中心に集束したあと、一気に解き放たれた。

 全身が作り替えられていく感覚。小さな少女の体から、女神の体へ。全身に纏うのは、光すら呑み込む暗闇みたいなプロセッサユニット。……ちょっと悪役っぽい気がするけど、言ってられないか。

 そして、背中には――六枚の、黒鉄(くろがね)の翼。

 鋼鉄によって形作られた、天使のような、それでいて荒々しい羽。鈍い光を携えたそれは、それぞれが意思を持ったかのように動いている。その中央には、光。上から紫と菖蒲、黒と金、白と緑の結晶が、それぞれの翼の中央で輝いていた。

 三対の翼が風を切る、ふわり、と浮かび上がるような感覚。そうして彼女の体を抱えてから、ゆっくりとラステイションの教会の屋上へと降り立った。

 ……意外と、素直に言うこと聴いてくれたな。あいつらが送ってきた物だから、もっとこう、乱暴というか、手心があると思ってたけど。

 

「ねぷてぬ? それって……」

 

 呟いたピーシェの瞳を、まっすぐと見据えながら。

 

「君を守りたかったから」

 

 それはきっと、どこまでも遠くへ飛べる、世界を、皆を救う翼。

 助けを求める人に、この小さな手を届かせるため。

 誰かの夢を、夢のままで美しく終わらせるため。

 そして、大切な人を二度と失わせないために。

 

「飛べるようになったんだ、俺」

 

 ピーシェを守るためなら。君が、隣にいてくれるのなら。

 どこまでだって高く、飛んでみせる。 

 

「怪我、ない? 大丈夫?」

「……だ、大丈夫。ありがと」

 

 すると、ピーシェは少しだけ俯きがちになって、小さく言葉を漏らす。

 …………。

 

「もしかして、照れてんの?」

「なっ!? いや……だったらどうしたのさ! 照れて悪い!?」

「ううん。可愛いな、って思った」

「はぁ?!」

 

 うわっ。

 

「あ、あんま暴れんなよ! 落っことしちゃうから!」

「なら急に変なこと言わないでよ! ねぷてぬのくせに生意気!」

「悪かったって! 普段も可愛いって思ってるから!」

「はぁ~~~!?!?」

 

 なんッ……ちょ、蹴るな! 蹴るなって! 痛い痛い痛い!

 

「本当に何なの……女神のねぷてぬもプルルートも、変身したら性格変わるし」

「……もしかして、今の俺もそんな感じ?」

 

 自覚はない。ただ、変身する前よりかはだいぶ気分というか、調子が良い気がする。

 浮かれてる、って言えばいいのかな。今なら何でもできそうな、そんな全能感。

 

「でもさ、女神化しても考えてることは変わんないって聞いたけど」

「ねぷてぬ、いつもそんなこと考えてたの……?」

 

 え。

 

「俺、ほんとになにかマズいこと言ったの?」

「……ねぷてぬがいいって思うなら、それでいいと思う」

「何その言い方……ちょっ、こっち向け! 俺の眼を見て言えよ! おい!」

「きっと他の女の子にもそういうこと言ってるんだ」

「だから何を!?」

 

 駄目だ、本当に何を言ったかの自覚がない。考えてることがそのまま口に出てる感じ。下手すると愚痴とか失言とか平気で口にしちゃうな、これ。どうにか制御する方法ってないのか。

 

「とにかく、早くここから降りようよ」

「……うん」

 

 再び背中の羽を広げて、空へ。

 ずどん、と腹の底に響くような爆音が響き渡ったのは、その直後だった。

 

「今の……」

「ねぷてぬ、下っ!」

 

 言葉が紡がれるよりも先に、俺達の周囲を黒い陰が取り囲む。

 ……いや、違う。これは。

 

「掴まれ!」

「うん!」

 

 頷いたピーシェと視線を交わしてから、上空へと一気に舞い上がる。

 俺達が居た場所に無数の剣閃が迸ったのは、その数瞬後だった。

 

「あれ……もしかして、全部?」

「そう」

 

 ブラックハートの分身体。それも、さっき戦っていた数より遥かに多い。

 ……どうして? 乗っ取られていたノワールは隔離したから、そこまで力は残っていないはず。

 そうして思考していると、ブラックハートの一人がこちらへ飛んでくるのに気がついた。

 すぐに右手に剣を展開。ピーシェを抱えつつ、向かい来る彼女へ腕を振り上げて――。

 

「ちょっと! 私よ私! 本物だから!」

 

 なんて言葉をかけられたのと、大ネプとワレチューを吊り下げているところを見て、すんでのところで剣を収めた。ああ、本物か。今回、小さかったり大きかったりがないから区別しづらいんだよね。

 

「しょうがないよ。私も何回か本物のノワールちゃん攻撃しそうになっちゃったし」

「しっかりしてよね。というよりあなた、その姿……」

 

 ……まあ、それは後でゆっくり話すとして。

 

「どうしてこいつを連れてきた?」

「ちょっ、やめるっちゅ! お前、オイラに当たりキツくないっちゅか!?」

 

 いや、そりゃだって。

 

「敵だし……」

「でも、かわいそうだったから連れてきちゃった。それにあの偽物のノワールちゃんたち、このネズミさんも攻撃しそうだったの。だから、放っておけなくて」

「……どういうこと?」

 

 剣の先で何回かつっつくと、ワレチューはすぐに口を開いた。 

 

「そもそもオイラ、あのオバハンに言われて手伝ってるだけっちゅよ……だから見逃して」

「んなこと今聞いてねーんだよボケ」

「はいっちゅ!」

 

 それで。

 

「あのブラックハートの狙いはイエローハート……っていうか、今お前が抱えてるそいつっちゅ」

「あたし?」

 

 こてん、とピーシェが首を傾げる。そこでようやく、納得がいった。

 

「実験してたんだ、ピーシェで」

「そうっちゅ」

「でも、壊しちゃった」

「え」

「いや、何か触ったら壊れちゃって。何もしてないのに」

「何てことしてくれるんっちゅか! あれ一つ作るのがどんなに大変か知らないんっちゅか!?」

「知るわけねーだろ」

「……話が見えてこないんだけど?」

 

 少し苛立ったような様子のノワールに向けて、説明。

 

「つまり、マジェコンヌはイエローハートを使って、人工的に女神を生み出す実験をしてたんだと思う」

「……なにそれ。私達にケンカ売ってる?」

 

 青筋を立てながら言うノワールに、ワレチューはばつが悪そうに視線を逸らしていた。

 

「だって……全部、あいつがやれっていうっちゅから……」

「話は後で聞く」

 

 だから、まずは。

 

「あいつらを何とかしないと」

「そうね」

 

 眼下のブラックハートは、未だに増殖を続けているようで、それは蠢く影にも見えた。

 

「あああああああ!」

 

 最早、言葉すらもなかった。獣のような慟哭を挙げながら、黒い陰がこちらへ迫ってくる。

 狙いは、俺――否、腕の中のピーシェ。

 

「奴の狙いはピーシェだから、俺が引き付ける」

「え?」

「だから、ノワールは二人を下ろしてから、構えてて」

「ちょっと……ああもう! どうなっても知らないからね!」

 

 大丈夫。きっと、ノワールなら。君なら、自分の夢を絶ち切れる。

 ノワールにはその強さがある。その黒い心は、こんなもので砕けるはずがない。

 

「翔ぶよ、ピーシェ!」

「うん!」

 

 暗闇から逃れるように。雲すらも突き抜けて、太陽の真下まで。

 もっと高く、果てしなく。君と一緒に――空へ!

 

 ――そして。

 

「わあ……」

 

 眼下に広がる光景に、ピーシェは目をきらきら輝かせながら、そんな声を漏らしていた。

 太陽は未だ遠く、しかし地面も遥かな距離に。それはきっと、深海に似ていた。どちらに落ちてもおかしくないような、けれど心が透き通るような解放感を感じる、そんな光景。ピーシェを抱えたまま、その場でくるりと一回転すると、世界そのものがぐるりと回るような、そんな錯覚を覚えていた。

 これこそが、女神の見てる光景なんだ。世界を守るために空を駆ける、守護者の視線。

 

「すごい……すごいよ、ねぷてぬ!」

「うん」

 

 髪をさかさまに垂らしながら、ピーシェはそうやって俺に笑いかけた。

 

「……ごめんね、ピーシェ」

「ねぷてぬ?」

「今まで、君に何もできなかった。諦めるしかなかったんだ。俺は一人じゃ何もできないから。こんな小さな手じゃ、君を守ることなんてできなかった。ずっと、君を一人にしてた」

 

 でも、今は違う。

 俺のこの背中には、大切な人を守るための翼がある。

 

「もう一人になんかさせない。寂しい思いも、させたくない」

「うん。私も信じてるよ、ねぷてぬのこと」

 

 その言葉をくれるだけで。そうやって、笑顔を浮かべてくれるだけで。

 

「……ありがとう!」

 

 直後に聞こえたのは、頭の上から鳴り響く慟哭だった。

 

「ああああっ! 返せっ! 私たちの……みんなの、夢を!」

 

 体の所々から分裂体を生み出しながら、ブラックハートがこちらへ手を伸ばしてくる。いや、もう手なのかも分からない。指はいくつも生えてるし、肘もめちゃくちゃについてる。偽物どころの話じゃない。

 あれはもう女神の偽物でも、夢を叶えるための装置でもない。ただの怪物。夢の残骸。

 確かなのは、絶ち切らなくてはならないもの、ということだけ。

 

「ピーシェ、行くよ」

「うん!」

 

 ぎゅっ、と強く抱きしめられる。彼女の息遣いが、鼓動が、体に直に伝わってくる。

 ピーシェが傍に居てくれることが、俺に確かな強さを、絶ち切るための勇気をくれた。 

 ……いける。これなら、きっと!

 

「はあああっ!」

 

 右腕にブラックハートの剣を展開、そのまま盾と接続、アナザーエネルギーの剣を展開。

 思ったよりも刀身が大きくなって驚いたけど、むしろ好都合。このまま、一気に!

 

「いっけええええ!」

 

 漆黒の刃が暗闇を切り裂いていく。隙間から覗くのは、青空。

 そうして突き抜けた先、目を見開いた彼女の胸へもう一度、ブラックハートの剣を突き立てた。

 落ちていく。頬を撫でる風は強く、女神化によって伸びた髪はびゅうびゅうとはためいている。流れ星になったようだった。黒い羽を広げ、暗黒の尾を引いていく。昏く落ちていく俺の、その先には。

 

「ノワール!」

 

 俺と同じ剣を構えているブラックハートが、こちらへ舞い上がっている姿が見えた。

 二人は安全な場所へ避難させたらしい。それなら。

 

「もっと……もっと、速く!」

 

 俺の言葉に応えるように、六枚の翼が羽ばたき、漆黒が輝きを増していく。

 

「合わせて!」

 

 うん!

 

「インフィニットスラッシュ!」

 

 あ、技!? うわっ、やばい! 必殺技とかなんも考えてなかった!

 あーっと、えーと――

 

「――アナザースラッシュ!」

 

 剣閃。俺とノワールの影は重なって、二つの光がブラックハートを切り裂いた。

 その瞬間、俺達の周囲を覆っていた陰が、ぼろぼろと崩れていく。それは、零れ落ちていく砂のようだった。どれだけ大事に掬っても、手のひらの隙間から垂れていくような、そんな儚さがどこかにあった。

 それはきっと、夢の残骸。決して届くことのない、ノワールの望んだ理想。

 

「どうして……あなたたちは……」

 

 消えゆく最中、ブラックハートがぽつりと言葉を漏らす。

 

「私はただ、あなたを救おうと……」

「救うだなんて、勝手なこと言ってるんじゃないわよ!」

 

 ぴしゃりと、強くノワールが言い放った。

 

「ここは私の国! 私の全てなのよ! それなのに、あなたはこの国をめちゃくちゃにして……! 私を信じてくれる人を、裏切ろうとするなんて! そんなこと、私は望んでない! だって……だって……!」

 

 そこでふと、ノワールは静まって。

 

「信じてくれる人がいるからこそ、私は女神でいられるのよ」

 

 ――呪いなのかもしれない。それはノワールを縛り付ける枷。一人の少女を殺す信仰心。

 でも、その信頼があるからこそ、ノワールはノワールで、ラステイションの女神でいられるんだ。

 

「……そう。あなたは……強い、女神ね」

「当たり前よ。そうじゃないと、国民を守れないからね」

 

 剣を構える。その切っ先は、消えゆくブラックハートの額へと構えられて。

 

「さよなら。私の夢」

 

 言葉と同時、静かな剣閃がブラックハートを――彼女の夢を、絶った。

 黒いアナザーエネルギーの粒子が、空へと舞い上がる。それは一度宙を漂ったあとに、俺の方へと集まってきた。また、あの感覚。俺ではない何かが、心の中へと入っていく。もう、怖くはなかった。

 

「これで、終わりね」

「うん」

「……あなた達には世話になったわ。この埋め合わせは、どこかで」

「別にいいよ」

 

 ノワールが無事でいてくれれば。今も変わらず、この国の女神でいてくれれば。

 

「何よそれ」

「俺も、ノワールを信じてるってこと」

「……あっそ。移民はいつでも歓迎してるから」

 

 言葉の強さとは裏腹に、ノワールは確かに笑ってくれた。

 ……さて。

 

「帰ろうか、ピーシェ」

「うん」

 

 ピーシェが頷いた、その瞬間。

 景色がぐいん、と上に引きずられていくのが、見えた。

 

「ちょっ」

「うわっ!?」

 

 風を切る感覚。頬に当たる風は、今まで感じたどれよりも強い。

 やばい、気が抜けてたかな。えっと、翼……翼……。

 あれ。

 

「ピーシェ? 今の俺ってどう見える?」

「え? いつものねぷてぬだけど……」

 

 なるほど。つまり、変身が解けたっていうことか。

 ………………。

 

「なんでええええええええ!?」

「たすけてえええええっ!」

 

 あっ、声がちょっと遅れて聞こえてくる! めっちゃ早く落ちながら叫ぶとこうなるんか!

 いやそんな気づきを得てる場合じゃないわ! ノワール! ノワール助けて!

 

「ちょっと……! 駄目、追い付かないわ! なんでいきなり変身解除してんのよ!」

 

 いや知らんて! 知らんてーッ!

 

「ねぷてぬ、もっかい変身! 変身して!」

 

 あっ、そっか! それでいいじゃん!

 じゃ早速……

 

「変身!」

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

「ダメでした」

「なんで!?」

「俺が聞きたいよおおおっ!」

 

 え、何なのまじで!? 時間制限アリ!? なら最初にそう言えや!

 ……あれ? これ本当に詰んでない? ノワールも追い付けなさそうだし。

 そんな。ここまできて、そんなことって。

 

「ピーシェ、掴まってて」

「ねぷてぬ!?」

「できるか分かんないけど」

 

 両足を女神化、体勢を整え直して、ピーシェをしっかり抱きしめる。

 

「ねぷてぬ!? ダメだよ! そんなことしたら、ねぷてぬがしんじゃう!」

「でも、ピーシェを守れなかったら何も意味ないんだよ!」

 

 叫ぶと、ピーシェは驚いたように、すんと黙り込んでしまった。

 ……ああ、そういえばピーシェの前で叫ぶのって初めてだったかな。

 ごめんね、怖い思いさせて。別に怒ってるわけじゃないんだよ。

 それだけは、最後に伝えて――

 

「ちょっと」

 

 なんて声が聞こえたのは、俺が口を開くのと同時で。

 

「プルルート!」

「早すぎるわよ、諦めるの。私達のこと、忘れてたわけじゃないでしょうね」

 

 なんて面倒くさそうに言うと、俺の手からピーシェを受け取ってくれた。

 

「プルルート……」

「ピーシェちゃん、無事だったのね。やっぱりねぷちゃんに任せて正解だったわ」

 

 なんていう二人の会話は、すぐに聞こえなくなっていく。

 ………………。

 

「俺は!?!?!?!?!??」

「大丈夫ですわ、黒ネプちゃん。私がいますから」

 

 なんて、急に表れたグリーンハートが俺のパーカーをつかみ取った。

 

「ぐえ」

「あら」

「ちょっ……もうちょい優しく」

「ごめんなさい。でも、無事でよかったですわね」

 

 そりゃまあ、そうだけど。

 なんて返すと、俺の意思を汲み取ってくれたのか、ベールは俺を二人の傍へと近づけてくれた。

 

「プルルート、ねぷてぬ……」

 

 空色の瞳が潤む。零れ落ちそうになった涙を、ピーシェがぐっ、と堪えて。

 

「ただいま!」

 

 陽だまりのような笑顔を浮かべる彼女に、俺とプルルートは。

 

 

『おかえり、ピーシェ!』

 

 

 


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