虚構彷徨ネプテューヌ   作:宇宮 祐樹

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22 ミッシング・プラネテューヌ

 

 女神は夢を見ない。

 それは、変容を望んでいるから。自らが不完全だと認めてしまうから。

 夢を見ること。つまりそれは、現在の自分を否定してしまうということ。

 人々の信仰を糧とする彼女らにとって、それは裏切りにも近い行いだ。

 だから女神は夢を見ない。夢見ることを、許されていない。

 夢から目を背け続ける存在。自らの憧れを殺し、人々の導きとなり得る者。

 それが、彼女たちだ。

 

 たとえばベールは自分の妹が欲しかった。一人であることを怖れていた。

 でも、それは許されない。リーンボックスの女神は、唯一でなければならない。

 だからベールは夢を見ない。

 全てから切り離されたリーンボックスで、たった一人の女神としてあり続ける。

 

 ブランは変わりたいと願った。皆の求める、本当の女神になりたかった。

 でも、それは許されない。ルウィーの女神は、不変でなければならない。

 だからブランは夢を見ない。

 変わりゆくルウィーで、変わらない女神としてあり続ける。

 

 そしてノワールは平穏を望んだ。女神でない少女としての生き方に憧れていた。

 でも、それは許されない。ラステイションの女神は、絶対でなければならない。

 だから、ノワールは夢を見ない。

 皆が平和に暮らすラステイションで、その平穏を守る女神としてあり続ける。

 

 じゃあ、ネプテューヌは?

 彼女にとっての夢、って何なんだろう?

 あるいは、彼女にとっての現在(いま)って、何を犠牲にして得たものなんだろう?

 ……もしかすると。

 彼女にとって、夢か現在(いま)かなんて、まったく意味のないものなのかもしれない。

 彼女にとっての夢は現在(いま)で、現在(いま)が彼女の夢見なんだ。

 だから、ネプテューヌは本当の意味で夢を見ない。

 革新を続けるこのプラネテューヌで、いつまでも女神(ネプテューヌ)としてあり続ける。

 

 そう、俺は信じていた。

 いつまでも馬鹿みたいに、信じ続けていた。

 

 

 夜のプラネテューヌは、冷たい雨が降っていた。

 

「はぁ、っ……くそ……!」

 

 昼間の呆けたような活気なんてどこかへ消えてしまって、残ったのは寂れた雨音だけ。

 レインコートのフードを被りなおすのも忘れて、俺は彼女の手を引きながら、プラネテューヌの裏路地を走り続けていた。そうすることしか、今はできなかった。

 ……なにが女神だ。なにが、大切な人を守るための翼だ。

 そんなもの、何の役にも立たないじゃないか。

 

「ちくしょう……ちくしょう、ちくしょうッ! どうすりゃいいんだよ!」

 

 絞り出した叫び声は、雨音にかき消される。誰も、答えてはくれなかった。

 行く宛はない。かといって、足を止めるわけにもいかない。その先に何が待っているかなんて、分かり切っているから。俺はその結末を、絶対に望んではいないから。

 やがて。

 

「――っ!」

 

 がぃん、と。

 突如として飛んできた一本の槍が、俺達の目の前へと突き立てられる。たまらず足を止める俺と、わぷ、と俺の体にぶつかってくる彼女。どうしたの? と問いかけながら、俺と同じように空を見上げた彼女が、息を呑んだのが分かった。

 

「いい加減、観念したほうがよろしいですわよ」

 

 降りしきる雨の中、グリーンハートがそう告げながら、俺達の前へと舞い降りる。

 

「嫌だ」

「……あなたの行動はいつも突飛ですけど、さすがに今回は理解ができませんわ」

 

 うるさいな。

 俺からしたら、そっちが理解不能だってのに。

 

「それに、あなたが嫌かどうかなんて、関係ないのよ」

 

 その言葉と同時、俺の背後へとブラックハートが表れた。

 彼女をこちらへと抱き寄せる。夜雨の先にいる彼女は、呆れたような顔をしていた。

 

「まだ庇うつもり? いい加減、意味がないって気づいてほしいんだけど」

「……意味があるかどうかは、こっちが決めること」

「あっそ。それが無駄だって言ってるんだけど、馬鹿には分かんないみたいね」

 

 溜め息交じりに呟いてから、ブラックハートがその手へ剣を握る。

 左手に盾を生成。そして、背後には六枚の翼を。

 どこまで粘れるか分からないけど、なんとかやるしか……

 

「――もうやめようよ、お姉ちゃん」

 

 失望の籠もったその声に、全身が凍り付く。

 この先へと視線を向けると、そこには俺を見降ろすホワイトハートと。

 

「ネプギア」

「……どうして? お姉ちゃん、どうしてこんなことするの?」

 

 どうして、って。

 

「この世界を、正しい形に戻すためだよ」

「正しい? 正しい形って、何? 私達が間違ってるの?」

 

 間違ってるよ。絶対に。こんな世界はおかしい。

 だって。

 ネプギアが、俺の事を「お姉ちゃん」だなんて呼ぶはずないじゃないか。

 

「……そんな……お姉ちゃん!」

「呼ぶなって言ってるだろ!」

 

 叫ぶ。それに呼応するように、黒鉄の翼が旋風を巻き起こした。

 

「こんなでたらめな翼を見ても、まだ俺のことをそう呼ぶのか!?」

 

 力の奔流が、全身へと伝わっていく。アナザーエネルギーの解放。

 それは降り注ぐ雨粒を全て吹き飛ばし、彼女の顔を覆っていたフードを翻す。

 

「どうして……どうしてそんな偽物なんて庇うの!? お姉ちゃん!」

 

 泣き叫ぶネプギアの、その空色をした瞳の先には。

 ぼろぼろになったネプテューヌの姿が、映っていた。

 

 

 ▼ _ ミッシング・プラネテューヌ

 

 

「起きてよお姉ちゃん、もうお昼だよ」

 

 体を揺さぶられる感覚と、そんなネプギアの呼びかけでゆっくりと目を醒ます。

 ぼやけた視界の中、はじめに見えたのは十二時を指そうとしている時計。その後にすぐ、こちらを覗き込むネプギアの顔で目の前が埋め尽くされる。

 

「また夜中までゲームしてたの?」

「…………え?」

「やっぱり。お昼ご飯用意しておくから、顔洗ってきた方がいいよ」

 

 いや……え? なに? なんだって?

 訳が分からない。疑問が多すぎて、逆に目が醒めてきたくらいに。

 どういうことだ? 一体、何が起こってる?

 

「ネプギア?」

「ん? どうしたの、お姉ちゃん」

 

 そうじゃなくて。

 

「なんで俺の事、お姉ちゃんって呼んでるの?」

 

 するとネプギアは、まるで俺がおかしくなったかのように、首をこてんと傾げて。

 

「なんで、って……お姉ちゃんは、お姉ちゃんだよ?」

 

 ……は。

 

「そんなこと」

「もう、まだ寝ぼけてるの? ちゃんと寝ないとダメだよ」

「いやだから、そうじゃなくって……」

「とにかく! まずは顔を洗って歯磨きしてから! じゃ、行ってくるね」

 

 なんて、有無を言わさずにネプギアは部屋を去っていく。

 そこで初めて、俺の眠っていたこの部屋が、いつもの部屋とは違うことに気が付いた。

 ピンク一色の、女の子らしいというか、女児らしい部屋。ゲームや雑貨などいろんなものが床に散らばっている、なんとも生活感の溢れてる部屋。俺は自室をこんな趣味にした覚えも、物を散らかした覚えもないっていうのに。

 それよりも。

 

「ネプテューヌ?」

 

 本来のこの部屋の主である彼女の名を呼んでも、帰ってくるのは静寂だけ。

 それがどこか寂しく感じたのは、気のせいではないようだった。

 

「どうなってるんだよ、一体……」

 

 困惑しながらも、窓の外を眺める。

 その向こうに見えたのは、いつも通りと変わらないプラネテューヌの街並みと。

 そんな景色を呆けたように眺める、プラネテューヌの女神が薄く反射して映っていた。

 

 

 かちゃかちゃと食材を取り分ける音だけが、食卓に響く。

 

「……なんか、静かだね」

「そうかな? いつも通りだと思うけど……」

 

 取り分けてくれたサラダをこちらへ渡しながら、ネプギアが俺の言葉に首を傾げた。

 その様子を見るに、彼女はこの状況に何の疑問も抱いていないらしい。

 俺が黒い脳波コントローラーの場所が分からず、白い脳波コンを付けているのに。

 

「あの二人は?」

「二人って?」

「……ピーシェと、プルルート」

 

 するとまた、ネプギアは不思議そうに俺の顔を見つめて。

 

「誰? その人たち」

 

 は?

 

「……ネプギア?」

「どうしたの?」

「本当に、忘れちゃったの?」

 

 気が付けば机に身を乗り出して、ネプギアの肩を掴んでいて。

 

「忘れるはずないよね? だって、あんなに一緒に過ごしてたじゃん!」

「ちょっ……お姉ちゃん!?」

「……うそだよね? これ、何かのドッキリ? だとしたらすぐに止めて。いくらなんでも趣味が悪すぎるよ……いくらなんでも、俺だって嫌なことは、嫌だし……だから!」

「おっ、お姉ちゃんっ!」

「俺をそう呼ぶな!」

 

 叫ぶ。頭に血が上るという感覚が、はっきりと感じ取れた。

 

「二人はどこ?」

「わ、わかんないよ……」

「そんなはずないでしょ? お願いだよネプギア、こんなこともう……!」

 

 もう一度肩を揺さぶろうとして、その手が強く弾かれる。

 見上げるネプギアの瞳には、恐怖の色が滲んでいて。

 

「お姉ちゃん……怖い、よ……」

 

 肩を震わせながら、ネプギアはそんな声を俺へ向けて絞り出す。

 困惑によってぐちゃぐちゃになった彼女の顔には、明らかな拒絶の色が浮かび上がっていた。

 ……どういうこと?

 ネプギアがあの二人を忘れるはずがない。彼女に限ってそんなこと、あるはずがない。

 じゃあ俺? おかしくなったのは、ネプギアじゃなくて俺だったってこと?

 俺の中にある戦いの記憶も、あの二人との絆もぜんぶ、ただの俺の夢だったの?

 本当の俺は、私はネプテューヌで、得体の知れない誰かの記憶を植え付けられていただけで。

 ……いや、違う。そんなわけがない。

 だって。

 彼女に弾かれた俺の手は、確かにブラックハートのものなんだから。 

 

「……ネプギア」

「な、なに……?」

 

 そこで逃げ出しそうになったネプギアの手を、強く握りしめて。

 

「ごめん!」

「……はい?」

「なんか()ったら寝ぼけてたみたいでさ! さっきまでのネプギアの会話、ずっと夢の続きだと思ってたんだよね! いや~、びっくりした!」

 

 できるだけ陽気に、どことなく傍若無人に。

 曖昧な感情のままで言葉を並べていく。それが正しいのかも分からずに。

 すると彼女は、一度だけ泣きそうな顔になったあと、すぐに頬を膨らませてから。

 

「び、びっくりしたのはこっちだよ! お姉ちゃん、急に変なこと言い出すから……!」

「ごめんってば! 怖がらせちゃったよね、ネプギア。でも大丈夫だから」

 

 優しく声をかけながら、その頬へと手を添える。

 

「私はちゃーんと、ネプギアのお姉ちゃんだよ」

 

 ……嘘だ。

 こんなこと、許されるはずがない。

 あまつさえ俺は、本物のネプテューヌを偽った存在なのに。

 その形を模った上で、ネプテューヌの役割(ロール)を奪おうとしている。

 俺はネプギアの姉なんかじゃないのに。本当なら、彼女に恨まれるような存在なのに。

 でも。

 今この時だけは、そうすることしかできなかった。

 

「うん、そうだよね……お姉ちゃんはお姉ちゃんだよね!」

 

 吐き気がする。頭の中がぐちゃぐちゃになって、全身が粟立つような感覚。

 できることなら今、この舌を噛み切ってこの世界からいなくなりたくなった。

 けれどそんなことは、できない。できるわけがない。

 このおかしくなった世界をどうにかするまで、ネプテューヌが戻ってくるまでは。

 

「……ご飯を食べたら、いーすんのところに行ってくるよ」

「いーすんさんの?」

「うん。ちょっと用事があって。あ、ネプギアは大丈夫だからね」

 

 そう言い聞かせて、椅子へと深く腰を下ろす。

 

「さ、早くご飯たべちゃおっか、ネプギア!」

「そうだね、お姉ちゃん」

 

 いただきまーす、なんて俺とネプギアの声が、食卓に響く。

 喉を通る食事の味なんて、分かるはずもなかった。

 

 

「それで、話っていうのは?」

 

 謁見の間、対面するイストワールの問いかけに答える。

 

「ちょっと、今までのゲイムギョウ界の記録を見せてほしくて」

「今までの……というのは?」

「んーと、ここ二年くらいかな? ざっくりでいいから、そういう記録ってない?」

「べつに構いませんが……」

 

 するとイストワールは、自分の座っていた本を地面において、ぱらぱらと捲り始めた。

 あ、そこに記録されてんの? 今初めて知ったわ。でもそれ不便じゃない?

 なんてことは心の内に仕舞い込んで、ネプテューヌとして振舞いを続けていく。

 

「それにしても、急にどうしたんですか? 記録が見たいだなんて」

「いやあ、ちょっと気になっただけだよ」

 

 後ろ手で頭を掻きながら、曖昧にそう答える。

 

「気になるとかそういう以前に、もっとそういうことを心掛けてほしいものですが」

「うーん、なにも言い返せないな~……」

「これを機にですね、ネプテューヌさんはもっと女神としての自覚を……」

 

 あーはいはい、分かったから。大丈夫だって。

 全部元に戻ったら、俺からちゃんと言っておくよ。

 

「それで、どんな感じなの?」

 

 イストワールの説教を遮りながら問いかける。

 

「ネプテューヌさんもご存知だとは思いますが、この二年間で目立った事件はありませんよ?」

 

 大丈夫。これくらいは、予想の範疇だ。

 だから動揺なんてしなくていい。状況の確認が優先だ。落ち着け。

 ……落ち着けって言ってるだろ。

 

「本当に? ついこの間、ラステイションとかで何かなかった?」

「だから、何もなかったじゃないですか。記録も残っていませんし」

「リーンボックスとか、ルウィーとかで……女神の偽物とかが出てきた、とか」

「……ないものはない、としか言えません」

 

 うんざりするようなイストワールの言葉に、納得することしかできなかった。

 歴史を管理するイストワールでさえ、ついこの前にあった事件のことを、すっかり忘れている。

 いや、正確には記録そのものが書き換えられてる? 過去改変、っていうのが一番近いのかな。

 とにかく。

 プラネテューヌ以外の三国で発生した、例の事件がなかったことになってるのは確定してる。

 そして、そのことを覚えているのは、この世界で俺だけだということも。

 

 ……駄目だ、これだけじゃ手がかりが少なすぎる。

 何をすれば解決なのかが、明確に見えてこない。

 正確には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、問題なのかもしれない。

 

「……そっか。なら、もういいや」

「ネプテューヌさん?」

「大丈夫だよ。ってゆーか、よく考えてみたらそこまで重要なことじゃなかったし!」

「そうだったらいいのですが……」

 

 なんて、どこか訝しむイストワールの言葉に続いたのは、扉の開く音で。

 

「ネプ子? 何よ、急に呼び出したりして」

「あ、あいちゃん!」

 

 俺の呼ぶ声に、アイエフがはいはい、なんて呆れながら手を上げる。

 ……やっぱりアイエフも、俺の事をそう呼ぶんだ。

 

「イストワール様も一緒ということは……何か、事件でもあったんですか?」

「いえ、私は特になにも聞いていませんが……」

「そう! これからあいちゃんには、とある重要な任務を行ってもらう!」

 

 声を上げると、イストワールとアイエフの視線が、同時にこちらを向いた。

 

「重要な、任務……?」

「私に話を通さずに……?」

「ふふふ……あいちゃん、これは大仕事だよ? なんたってプラネテューヌの女神から直々に渡される任務なんだから。こういうの、私とあいちゃんとであんまやったことないでしょ?」

「まあ、確かにそうだけど……」

「さあみんなそろそろ気になってる頃だよね! 今回のあいちゃんの任務、その内容とは!」

 

 心なしか不安げなアイエフへと指を向けながら、もう一度大きく息を吸って。

 

「あいちゃんには、私のそっくりさんを探してもらう!」

 

 ………………。

 

「帰りますね」

「あ、お疲れ様でーす」

「ああちょっとちょっと! 帰んないでよあいちゃん! お願いだから!」

 

 一瞬で白けた顔になったアイエフの腕を掴みながら、ずるずると引き留める。

 

「何よ、こっちは忙しいの! あんたの暇つぶしに付き合ってられないんだから!」

「そうじゃない! ほんとに! ちゃんと考えてるから行かないでぇー!」

 

 なんて、俺を引き剥がそうとするアイエフになんとか食らいつくこと、数分。

 ぜえはあと息を整えながら、ようやく彼女は俺の話に耳を傾けてくれた。

 

「……それで? ネプ子、あんたの考えってのは?」

「えっとね……」

 

 床で大の字になりつつ、荒ぶる呼吸を落ち着かせながら答える。

 

「私も常日頃考えてるんだよね。どうすれば、プラネテューヌのシェアを稼げるかって」

「とてもそうは思えませんが……」

「そこで今朝、私は一つの答えに辿り着いたんだよ。シェアっていうのはプラネテューヌの人たちの信仰心、一人一人の力はささやかなものかもしれないけど、集まれば大きな力になる――」

「まあ、それはそう……」

「――つまり、投げ銭みたいなものだって!」

 

 ぴょん、とその場に立ち上がって、その指を天井へ向けて突き立てる。

 

「だから私、アイドルやってみるよ! それでたんまり投げ銭もシェアも稼いでくる!」

 

 ………………。

 

「今すぐ信者のみんなに土下座してきなさい」

「え!? なんで!?」

「当たり前じゃない! そんなことしたって、プラネテューヌのシェアが上がるわけ……」

「でも、リーンボックスでは実際にシェアが上昇したって、ベールが言ってたよ?」

 

 間髪入れずに答えると、アイエフが少しだけ言葉を詰まらせた。

 ……別に嘘は言ってない。だってゲーム内でそういうシーンあったじゃんね。

 というか、PPのシステム上、女神が歌って踊ればシェアなんて上がってくんだよ。

 だって実際、俺の前でネプテューヌが踊ってたらキュン死するか、一生この身を捧げるって誓うかのどっちかだもん。俺がそうなら絶対みんなそうだって。

 

「だからって……どうするんですか、イストワール様」

 

 話を振られると、イストワールは顎に手を当てながら。

 

「日頃の信者へ対する謝礼ということなら、一定のシェアは保たれるでしょうね」

「ほ、本当に言ってるんですか?」

「さっすがいーすん! 分かってるぅ!」

 

 マジで? なんでイストワールそこで納得したの?

 個人的に彼女が強敵だと思ってたけど……納得してくれるんなら、別にいいか。

 

「でも、だからってなんで私がネプ子のそっくりさんまで探さなきゃいけないのよ」

 

 それは……

 

「アイドルといったらやっぱりユニットでしょ! それに最近、双子ユニットがトレンドだし!」

「またそんな単純な考え……」

「名前ももう考えてるんだよ? 今はツインクロスネプテューヌかダブルクロスネプテューヌ、どっちかで迷っててさー。あいちゃんはどっちがいいと思う? 私はダブルクロス・ネプテューヌの方がいいと思うんだけど」

「知らない知らない知らない! どうでもいいわよそんなこと!」

 

 両耳を塞ぎながら、アイエフがそうやって叫んだ。

 

「アイドルとして活動することは止めません。それがネプテューヌさんがやりたいことなら、できる限りの支援をしますよ。それにこの際、シェアが上昇するならなんでもいいです」

「たぶんそっちが本音だよね、いーすん」

 

 そこまで追い込まれているということがよく分かる、呆れた声だった。

 

「でもネプテューヌさん。あなたにそっくりな方なんて、本当にいるんですか?」

「いるよ。絶対に」

 

 訝しむようなイストワールの視線に、そうやって言い放つ。

 この世界がどれだけ狂っていたとしても。自分の存在が忘れ去られたとしても。

 ネプテューヌは必ず、ここにいる。このプラネテューヌのことを、見守っているはず。

 だって彼女は、誰よりもこの国を愛してるんだから。

 たとえ女神でなくなったとしても、彼女がこの国を立ち去るなんて、あり得ない。

 

「……分かりました。ではアイエフさん、よろしくお願いしますね。こちらでも何か協力できることがあれば、遠慮せずにお伝えください。」

「はあ……了解です……」

 

 もう全てを諦めたといったような表情で、アイエフが答える。

 

「じゃあよろしくね、あいちゃん! 私も何か手伝うから!」

「いらないわよ。あんたが手伝ったら、また面倒なことになるでしょ、絶対」

 

 う。

 いや、そんなことは決して……ある……ありそうだなあ……。

 でも自分で言った手前、任せっきりっていうのもなんだか。

 

「別に、あんたに振り回されるのは慣れてるから」

 

 その言葉に、全身の熱がさっと引いていくのが分かった。

 

「じゃ、行ってくるから。いつもみたいに仕事サボるんじゃないわよ、ネプ子」

 

 そうやって去っていくアイエフに、何か言おうとして、でも口が動かなくて。

 ……嘘を吐いている。決して許されない、命を絶つことでしか償えないほどの。

 でも、それを今言って何になる? ネプテューヌは帰ってくるのか?

 そう考えると、俺は二度と口を開けない気がした。

 

「ネプテューヌさん?」

 

 心配そうにこちらを覗き込むイストワールの視線ですら、厭になって。

 

「ごめんね、振り回して」

 

 そこから会話はなかった。

 俺は逃げ出すように、謁見の間を後にした。

 

 

 アイエフにネプテューヌの捜査を依頼してから、四日が経ったころ。

 

「おッ……おエ……! げほッ、かッ……ぁ……!」

 

 洗面台から流れる水音に混ざって、聞くに堪えない俺の声が鳴り響いていく。

 幸い、吐いてはいなかった。吐くものが胃の中になかったから。

 

「はぁ……ッ、くそ……! やめろ……やめろ、やめろ……!」

 

 鏡を見るのが怖くなって、それに背を向けながら、ゆっくりとその場へ腰を下ろした。

 顔を覆う手が、震えているのが分かる。感覚も朧げで、頭もくらくらと揺れていた。

 曖昧な意識のままで壁に掛かった時計へと目を向けると、時刻は朝の五時を指している。

 今日も、眠れなかった。

 

 限界を迎えていたんだと、思う。

 ネプテューヌがいない毎日に。ネプテューヌを偽らないといけない毎日に。

 俺だけが狂っていると知っている。でも、この世界は何事もなく続いていく。

 こんな世界はおかしいはずなのに。正さないといけないはずなのに。

 みんなはいつも通り、平穏な日常を送っている。 

 こんな異常な世界の中で、いつもと変わらない笑顔を浮かべている。

 そんな乖離に、耐えることができなかった。

 

 でも、だからといって、この現状を見過ごせるわけがない。

 アイエフからはまだ、これといった結果は得られていなかった。別に、身を隠しているとかそういうわけではないはず。だって、そもそもそんなことをする意味が無いし。

 となると、どこかに捕まってるって考えたほうがいいのか?

 ネプテューヌの実力から考えて、現実的にはありえないかもしれない。

 でも、世界がこんなに狂ってしまっている以上、何が起こってもおかしくないのも事実で。

 ……となると、どこに拘束されてる?

 四日間、プラネテューヌの警備なんかをすり抜け……

 いや、そもそも事件として認識されてないんだ。

 だって、俺がここにいるんだから。ネプテューヌがいなくなった、その認識があるわけない。

 じゃあどうすれば、ネプテューヌを助け出せる?

 ……いや。

 そもそも、俺がここにいる理由はなんだ?

 ヤツは――マジェコンヌはどうして、俺を女神へさせたんだ?

 

「……お姉ちゃん?」

 

 思考の奔流に呑み込まれそうなところを、ネプギアのそんな声で引き戻された。

 

「あ、ネプギアおはよー。今日も早いね!」

「……早いのはお姉ちゃんの方だよ」

 

 なんてことを言いながら、ネプギアが俺の肩へと手を置いた。

 

「最近のお姉ちゃん、変だよ」

「変? どこが?」

「ここ最近、眠れてないでしょ。目の下のクマ、ひどいよ」

「それは……」

 

 ……鏡を見てなかったのが仇になったかな。

 だって、ネプテューヌの姿をしている俺なんて、見られなかったもん。

 

「ここ最近、積んでたゲームの消化が忙しくてさー。今日もまた徹夜しちゃって」

「じゃあ、ご飯を食べてくれないのはどうして?」

「それは……体調が悪くて、でも最低限は食べてるから大丈夫……」

「……じゃあ、なんで毎朝ここにいるの?」

 

 う。

 バレてたのか。気づいてないと思ってたのに。

 

「お姉ちゃん、何があったの?」

「……ネプギアには関係ないよ。だから、大丈夫」

「そんなわけないよ。お願いだから、話してよ」

「いいよいいよ。ネプギアは何も心配しなくてもいいの」

「駄目だよ。これ以上放っておいたら、お姉ちゃんが……」

「だから、大丈夫だって!」

 

 何度も詰め寄ってくるネプギアが鬱陶しくて、置かれたその手を払いのける。

 それが思いのほか強くなってしまって。言い放った言葉は、拒絶にも近くて。

 気が付けばネプギアは、俺の事を怯えるように見つめていた。

 それでも。

 

「……私じゃ力不足なの?」

 

 こちらへ歩み寄ってこようとする彼女に、俺は。

 

「うん」

 

 そうやって頷くことしか、できなかった。

 

「……ごめんね」

「そんな」

「これは他の誰にもできない。()にしかできないことなんだ」

 

 あ。

 思わず俺って言っちゃった。やばいな、偽ることにすら疲れてるのかもしれない。

 ……まあ、でもいいか。

 きっとネプギアも、半分くらいは気づいてるんだろうし。

 

「……分かったよ」

 

 目を閉じて、一度だけ頷くと、ネプギアは俺に背を向ける。

 

「どうしても力が必要になったら、遠慮なく言ってね」

「うん」

「私はいつまでも、どんなことがあっても、お姉ちゃんの味方だから」

 

 そこで会話は途切れた。

 朝日が、窓の外から照り始めた。

 

 

 まともな仕事なんて、手につくはずもなかった。

 

「……ふぅ」

 

 プラネテューヌの教会、その謁見の間にて。

 一通り拭き終えた窓を眺めてながら、溜息をひとつ。

 元より、ネプテューヌが仕事をしていないお陰で、俺がこんな状態でも教会の運営は難なく続いていた。本当はダメなことなんだろうけど、ここはネプテューヌに感謝するべきことなんだろう。

 それに、今までのネプテューヌの仕事は、俺がこの世界にきたことによって起こったものだ。

 その認識すらもなくなった今では、俺に回される仕事なんてほとんどなかった。

 あと、やっぱりネプギアに距離を置かれているような、そんな気もする。

 ……まあ、無理もないよな。

 あんな態度を取った手前、面と向かって話ができるなんて、とても。

 でも、こっちを気遣ってくれるだけ、本当にネプギアは優しい人なんだなって思う。

 それに比べて、俺は……。

 ……いや。

 

「こんなんじゃ、駄目だ」

 

 頬を両手で強く叩く。確かな痛みと共に、もやもやとした感情が消えていった。

 この事件を解決できるのは俺しかいないんだ。だから、俺が頑張らないと。

 弱気になんてなってられない。何が何でも、みんなを助けないと、いけない。

 それで、仮に俺の存在が無くなったとしても。

 ……本当は怖い。死にたくなんて、ない。

 でも、プラネテューヌのために、ゲイムギョウ界のために。

 そして何より、ネプテューヌのために、成し遂げなくちゃいけないことなんだから。

 

「……怖がってなんて、いられない」

 

 呟きながら、窓に映る自分の像へと言い聞かせる。

 だって、俺の知るネプテューヌは怖がりなんてしないから。

 いつだって物語の主人公らしく、勇気と愛を持って、この物語を――。

 

「よぉ、ずいぶん気ぃ詰めてるじゃねえか!」

 

 なんて、こちらを少し小馬鹿にしたような声が響いたのは、突然のことで。

 振り向いたそこに立っていたのは。

 

「おはよ、小っちゃい(ネプテューヌ)!」

 

 彼女と同じような笑顔を浮かべながら、手を振っているネプテューヌだった。

 

「いや~、結構久しぶりだね! ひと月くらい? 最後に会ったのがラステイションだから……うん、ひと月ぶりだ! 色々大変だったけど、また会えてよかったよ!」

「どっかでくたばってると思ったけど、結構ピンピンしてるじゃねえか」

「もー、クロちゃんったら、それはないよ。この子は小っちゃいけど、仮にも私なんだから! そんなヤワに育てた覚え、お母さんはありません!」

「お前はどこ視点からモノ言ってんだよ……」

 

 そんな、二人のいつも通りの会話なんて、耳に入ってくるはずもなくて。

 気が付けば。

 

「……あれ?」

「お?」

 

 ……あ、れ。 

 

「ちょちょっ、なんで泣いてるの!? え!? そんなに私と会うのイヤだった!?」

「そんな……わけ……」

「あーっはっはっは! こりゃ傑作だな! おいネプテューヌ、こいつ、お前と会いたくなかったらしいぜ! まあそうだよな、お前みたいな自分勝手で傍若無人なヤツに会いたくなんて……」

「黙ってろ」

 

 手に持った雑巾を、クロワールへ向けて投げつけた。

 

「うえ、ばっちぃ! おいお前! いきなり何すんだよ!」

「いやー……今のはクロちゃん、雰囲気台無しだよ……」

「うるせえよ! そもそもこいつが急に泣き出したのが悪いんだろうが!」

 

 そりゃ、そうだけどさ。

 でも。

 俺の事ネプテューヌじゃなくて、偽物として見てくれる人なんて、今まで一人もいなくて。

 どうしようもないからネプテューヌを演じてるけど、そうしてるうちに疲れてきて。

 嘘を吐いてるのが辛くて、みんなの笑顔が俺を責めてるみたいに感じて、怖くなって。

 それでも俺はネプテューヌじゃないといけないから、何が何でも演じ続けてたのに。

 なのに突然、俺の事を知ってくれる人が、急に目の前に現れたら。

 そりゃ、もう。

 

「うぅ…………ひっ、ぐ……えぅ……!」

「ああほら、大丈夫だから! 私達、あなたのこと忘れてないよ!」

「よく分かんねえなぁ……勝手に一人芝居してただけじゃねえのか?」

「クロちゃん、今はお口チャック!」

 

 気が付けば、泣き崩れている俺の事を、ネプテューヌは優しく抱きしめてくれて。

 こんなことじゃ駄目だ。こんなの、ネプテューヌらしくない。

 ネプテューヌはこんなことで泣かないのに。こんな惨めな姿なんて、晒すはずがないのに。

 そう心の中で何度も言い聞かせても、涙が止まってくれることはなくて。

 必死に堪えようとする俺の頭を、ネプテューヌが撫でてくれた。

 

「ごめんね、一人にさせて」

「ネプ、テューヌ」

「もう大丈夫。私達がいるからね」

 

 一度きりの、強い抱擁。その後に、ネプテューヌが離れていく。

 もう少しだけ、なんて我儘を口にすることはできなかった。

 ……いや、できなかった、じゃない。

 そんな情けない姿、もう見せられないから。

 

「うん、いつも通りだね、小っちゃい私!」

 

 そうやって親指を立てるネプテューヌに、いつも通りの笑みで、返した。

 ……さて。

 

「一体、どうなってるの?」

 

 色々含めた質問だった。

 今のこの次元の現状について。ネプテューヌについて。マジェコンヌについて。

 問いかけを投げると、ネプテューヌはその前に、と前置きをしてから。

 

「会わせたい人がいるんだ。小っちゃい私に」

「……俺に?」

「おう。つーか、お前とこいつを会わせねえと話が進まねえ気がするからな」

 

 誰だろう。全く思い当たらないのが、悲しいところだけど。

 でも、ネプテューヌじゃなくて、俺に会わせたいって、どういうことなんだ?

 なんて色々と疑問を抱えていると、ネプテューヌが入り口の方へ振り返って。

 

「いいよー! 入ってきてー!」

 

 そして。

 

「は~い!」

 

 響いたのは、聞き覚えのある間延びした、呆けたような声。

 菖蒲の色をした薄い紫の髪と、ほおずきみたいな優しい赤の瞳。

 服装はパジャマみたいな、ゆったりとしたふわふわのもので。

 この国の女神を模ったぬいぐるみを抱いているその子供は、紛れもなく。

 

「プルルー、ト?」

 

 名前を呼ぶと、彼女はちょっとだけ驚いたような顔をしたあとに。

 

「はじめまして、めがみさま~」

 

 にっこり笑いながら、ぺこりと頭を下げたのだった。

 

 


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