アイシア   作:ユーカリの木

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第三章:善悪の天秤 3

 弓鶴とアイシアは、ブリジットの妖精と共に東棟へと向かっていた。刑事課に警護課、そして警察は既に配置に付いていた。

 

 ラファランの説得という名の圧力により、刑事課は思いのほか簡単にアイシアの指示に従うことになった。やはりASUでの最高位魔導師の権威は強い。ただし、全員が苦虫を噛み潰して更にくさやでも口に放り込んだような顔をしていたが……。第七階梯のアイシアの言うことを訊くのが相当に屈辱なのだろう。

 

 アイシア班以外の警護課は刑事課と共に第二射以降の魔法射撃を行うことが決定していた。

 

 警察側でも話はまとまったようで、アイシアの作戦で行く方針になっていた。まさかここまでの大事件に発展し、あまつさえ最終的には事態の中心に立つことになるとは弓鶴は思いもよらなかった。

 

 弓鶴たちの仕事は更科那美との交渉と、並行して行われる刑事課からの攻撃の防御、そしてその後の戦闘だ。全体を通して一番仕事が多く責任が重い重要な役回りだ。

 

 だが、一番の問題は交渉云々よりも更科那美との戦闘だ。心理的な面はどうとでもなるにせよ、最高位魔導師と直接やり合うのはさすがに緊張した。彼らは指先ひとつ動かさず視界内の敵を秒で殺せる正真正銘の怪物だ。第六階梯の弓鶴では正直力不足だ。

 

「弓鶴」

 

 隣を歩くアイシアに名を呼ばれた。

 

「なんだ?」

 

「緊張でもしてるの?」

 

 直接心の底を見られたようで弓鶴は内心で狼狽するが、なんとか表情に出さないようにした。

 

「まあ、相手が最高位魔導師だからな。足を引っ張らないか心配なんだよ」

 

 くすりとアイシアが微笑む。それは、見る者を安心させる睡蓮の笑みだった。

 

「大丈夫。忘れたの? キミは私が選んだ私のパートナーだよ? そもそも実力不足なら連れてきてないよ。安心して。キミはちゃんと強いよ」

 

 身体の芯に染みわたる言葉だった。アイシアが言うならすべてが問題ないと思えるようだ。これが実戦経験の差かと弓鶴は感じた。

 

「分かった。やるだけやってみるさ。折角最高位魔導師が相手になってくれるんだ。精々最後まであがくさ」

 

「うん、がんばろう」

 

 これは人質二百人超と顧客リストに載る推定犯罪者の命を賭けた大勝負だ。だが、それを考えれば一般感覚がまだ残っている弓鶴の身体は固まる。二十一歳の若造が負うにはあまりにもひどい重圧だ。だから彼はそれを忘れることにした。やることだけに集中して他の一切を思考から排除する。刀と魔法の冴え、そして仲間との連携にすべてを注ぐ。

 

 エントランスホールを抜けて西棟の入口に辿り着く。元型魔法によって張られた結界の前には、更科那美の妖精が浮かんでいた。

 

「あ、ASUのお姉さんとお兄さんだ! また会えたね!」

 

 妖精から光が溢れて立体映像を作り出す。更科那美と鎧の姿が現れた。元型魔法で作られた疑似生命体を介して通信映像を繋いでいるのだ。超高位魔導師は己が魔法のみで簡単に現代科学に迫る。

 

「こんにちは、那美ちゃん。今回は話に来たよ。ちゃんと会って話したいから、中に入ってもいい?」

 

 アイシアの科白に那美が喜んで頷く。まるで大好きな姉に接する妹のようだ。

 

「うんうん、入って入って! 誰も来なくてずっと退屈だったんだよ!」

 

 結界が解かれる。弓鶴とアイシアは中へ進んでいく。この時点で警察は入口付近に待機することになる。

 

 西棟展示場には最新鋭のSot機器が展示されていた。会場の隅には人質たちが集まっていた。誰も彼もが不安そうな顔をして怯えていた。

 

「ようこそ、ASUのお姉さんにお兄さん」

 

 更科那美本人が鎧を引き連れてやってくる。二十メートル程度離れた位置で立ち止まった。傍までこちら側に来ようとする彼女を鎧が引き留めたのだ。ふと、違和感が弓鶴を襲った。すぐに頭から消し去る。無駄な思考はすべきではない。

 

「うん、久しぶりだね。元気してた?」

 

 アイシアが微笑を湛えて挨拶を返す。那美が嬉しそうに頷いた。

 

「元気だよ! 魔法が使えるとこんなにも世界が変わるんだね。便利過ぎて驚いちゃったよ」

 

「魔法は色々できるからね。実際魔法使いになった人はびっくりすることが多いみたいだよ」

 

 そうなんだ、と那美は心底感心したのか目を丸くすると、ふと思いついたようにポンと胸の前で手を叩いた。

 

「そうそう、お姉さんとお兄さんの名前を教えて」

 

「私はアイシア。アイシア・ラロだよ」アイシアが名乗る。

 

「俺は八代弓鶴だ」アイシアにならって弓鶴も名を告げた。

 

 那美は噛みしめるようにうんうんと頷く。こうしてみるとただの十一歳の子どもそのものだ。

 

「アイシアお姉さんと弓鶴お兄さんだね。ちゃんと覚えたよ」

 

「ありがとう。ところで那美ちゃんは何してたの?」

 

「うん、やることがなくてずっと退屈してたの。端末でメディアニュースを見てもどれも同じ内容ばっかりだから」

 

 那美がぷくーっと頬を膨らませる。そのニュースとやらは確実に国際展示場立て籠り事件のことだろう。彼女は自分がやったことを理解していないのか、それとも理解していてなお退屈だと言えるだけ常識が狂ってしまったのか。

 

 魔法を覚えたての魔導師は万能感に酔いしれる。弓鶴とてそうだった。だが、ISIAの教育で魔法の恐ろしさと魔法使いの現実を徹底的に叩きこまれる。実際に魔法を使用した模擬戦で叩きのめされる。そこでどれだけ自分が自惚れていたかを思い知るのだ。

 

 那美はそうした経験が皆無だ。追っ手をことごとく追い払い、目的である殺人を容易にこなしている。魔法を得てからいままで、挫折を経験してこなかったのだ。そこに付け入ることができる可能性がある。

 

「ねえねえ、アイシアお姉さんたちに訊きたいことがあったの。いいかなあ?」

 

「いいよ、なんでも訊いて?」

 

「ありがとう! ASUって普段何してるの?」

 

 んー、とアイシアが考え込む。

 

「私たちの場合は魔法使い候補者を守ることが仕事かな。いまはほら、魔法適正検査をやる時期だから、実は忙しいんだよ?」

 

「そうなんだ! そんなときに来てくれてありがとう!」

 

 どういたしまして、とアイシアは微笑んだ。

 

 異常だと弓鶴は思った。

 

 こんなことをしでかしておいてどうしてここまで平然としていられるのか。魔法に愛された天才はこうまで精神構造が変わってしまうのかと思うと空恐ろしくなるくらいだ。

 

 弓鶴、とブリジットに小さく呼ばれた。

 

「警戒される。動揺を出すな」

 

 すまん、と弓鶴は仕草だけでブリジットに謝る。

 

 那美がアイシアへと更に質問をぶつける。訊きたいことがたくさんあるようだ。

 

「ねえアイシアお姉さんはどんな魔法を使うの? 魔法っていっぱいあるんだよね」

 

「うん、全部で十二体系あるよ。私は精霊魔法を使うんだけど聞いたことある?」

 

 嘘だ。アイシアは精霊魔法だけでなく因果魔法も扱う、ASUでも珍しい二重の魔法体系を操る魔導師だ。既に戦闘は始まっている。いまこの戦場は情報戦が繰り広げられているのだ。

 

「聞いたことない! どんな魔法?」

 

「風とか土とか出せるんだよ。ゲームみたいでしょ?」

 

「すごい! 私の魔法でも操れるけど、操作元がないと使えないみたいなんだ。やっぱり自分で出せた方が便利だよね」

 

「元型魔法も便利だよ。疑似生命体で遠くの人とお話しできるから端末がいらないよね」

 

「うん、すっごく便利。やっぱり元型魔法もいいよね」

 

「すごく良い魔法だと思うよ。なにかできるようになったことは増えた?」

 

 さり気なくアイシアが探りを入れる。那美は真正直に答えた。

 

「うん、なんか見えない攻撃ができるようになったよ。精神波っていうのかな、念じるとすごい力が出るんだよ。すごく強いみたいだから、危ないしなかなか使えないんだけどね」

 

 困ったように那美が笑う。

 

 これで《観念力動》が使えることが発覚した。危険度が一気に跳ね上がる。

 

 アイシアが更に深堀りをしようと言葉を重ねる。

 

「すごいね。まだ他になにかできるようになった?」

 

「ねえ、アイシアお姉さん」

 

 那美が微笑む。ぞっとした。急に大人びた表情をしたのだ。

 

「お腹の探り合いはやめようよ」

 

 アイシアの表情がわずかに強張る。見た目と態度で忘れていた。彼女は周囲の人間曰く、聡明な子どもだ。魔法だけでなくこちらの考えを読んでいる恐れがある。

 

 那美が口端を吊り上げる。

 

「ねえお姉さん。私ってこれからどうなるのかな? やっぱり殺されちゃうの?」

 

「どうかなあ。人質を解放して大人しく捕まってくれたら大丈夫だと思うんだけどな」

 

「嘘」

 

 那美の笑みが深まる。

 

「どうせASUじゃ抹殺指令が出てるんでしょ? なら、どうしたって私は殺されるよね」

 

 なぜそれが分かる。言いしれない不安感が襲ってくる。十一歳の女児がそんなことを知っているはずがない。

 

 やはり、更科那美の裏には誰かがいる。共犯者の存在は警察やASUも追っていた。しかし、彼女の行動ばかりが目立っていてその姿の片鱗すら見つかっていない。状況証拠では確実にいるはずなのに、あまりにも存在が虚ろなのだ。

 

「なら、どうしたい?」

 

 アイシアが警戒感を出さずに表情を普段のものに戻して問う。那美は微笑んだまま答えた。

 

「うん、顧客リストに載っている犯罪者を殺したいかな。まだ来ないの?」

 

 痛いところだ。警察側でも顧客リストの調査をしているが、まだ情報が集まっていなかった。当然、明らかに殺されるとわかっている死地へ来るような酔狂な人間はいない。既に警察に保護という名の逮捕されている者を含め、顧客リストに載っているであろう者は誰一人として国際展示場には来ていなかった。

 

「さすがに殺されると分かってるんだし警察が止めてるよ。もうちょっと穏便に事を済ませられないかな? ほら、ひとりひとりカメラの前で謝罪させるとかさ。もしくは去勢とかいいんじゃない?」

 

 アイシアもかなり無茶苦茶なことを言っていた。その方法は完全に社会的に抹殺させる気満々だ。去勢という科白の部分は弓鶴も寒気を覚えた。男ならばその言葉はできれば聞きたくない。

 

 那美が首を傾げてアイシアの提案を切り捨てる。

 

「駄目だよお姉さん。生ぬるい。児童買春するような外道は殺さなきゃ。生きてる価値、ないでしょ?」

 

 その発想は至極まともに思えるから困る。確かにそんな野蛮な存在は死滅すべきだ。それは弓鶴も納得する。だが、それを行えば犯罪者は皆殺さなければならなくなる。その先にあるのは、更生の余地などない過酷な世の中だ。それが正しいのかは彼には分からなかった。

 

「うーん、犯罪者を処罰するのは賛成だけど、全部を殺すのは反対かなあ。そうしたら結構殺伐とした世界になっちゃうよ?」

 

「そうかな? 犯罪者がいなくなるんだよ? 平和な世の中になるに決まってるよ。弓鶴お兄さんはどう思う?」

 

 那美の視線が弓鶴に向けられる。ここで迂闊なことを言えばすぐに戦闘が始まる。そんな緊張感が会場を支配していた。思わずこくんと喉を鳴らした。

 

「俺も反対だな。だけど気持ちは分かる。そういう奴らは一掃した方がいい。一生檻に繋いでおくとかな。ほら、そっちの方が結構残酷な仕打ちだと思うぞ?」

 

「あ、確かに!」

 

 それは盲点だったと言わんばかりに那美が手を叩いてはしゃいだ。

 

「ずっと閉じ込められるってつらいよね! 死ぬよりきついよそれ! 弓鶴お兄さん天才! よし、方針変更だ!」

 

 ほっとした。流れが急に変わったのだ。いくら聡明で天才魔導師であろうと、まだ子どもの部分が残っていたのだ。

 

 那美が告げる。

 

「全員両手両足ちょん切って鎖で繋ぐことにするよ」

 

 発想が過激を通り越して残忍過ぎた。場の空気が一気に殺伐とする。那美が纏う空気が新たな殺意に湧き始めていた。さすがのアイシアも咄嗟に何も言えないようだ。

 

 だが、これが好奇だった。

 

「いまだ」

 

 ブリジットの号令がかかる。

 

 刑事課が放った魔法砲撃が国際展示場西棟の壁をぶち抜いた。寸前、ブリジットが妖精を介して防御結界を展開。人質たちを魔法と衝撃と瓦礫の破片から守る。

 

 轟音と共に会場が白い閃光に溢れた。衝撃が荒れ狂って会場全体が突き上げられたような揺れが走る。人質たちの悲鳴があちこちで響いた。

 

 警官たちがなだれ込んでくる。作戦通り人質を助けに駆けつけてきたのだ。

 

「警察です! 助けに来ました! 我々の指示に従って外に出てください!」

 

 警官が拡声器を使って人質たちに呼び掛ける。

 

「ブリジット! あとは結界頼んだよ!」

 

「了解だ! 武運を祈る!」

 

 アイシアと共に弓鶴は前にでる。会場はまだ初撃と同じ光に溢れている。明らかにおかしい。砲撃は一度だけのはずであとは刑事課が個々に攻撃を加える算段だ。

 

「無駄だよ。気づいてたから」

 

 那美の声が不自然に響く。よく見れば光は壁状に展開されて、魔法砲撃が発射された方向の壁を覆っていた。元型魔法で砲撃を捕まえて新たな結界としたのだ。あまりにも馬鹿げた反応速度と魔法支配速度だ。人知を超えている。

 

 弓鶴は端末を操作して即座に両目に遮光機能を付与する。一気に視界が開く。更科那美と鎧は、先ほどから一歩も動いていない。首だけを極光に向けていた。

 

「砲撃以降の刑事課と警護課側の攻撃が通ってない!」

 

 ブリジットが叫んだ。

 

「ディディエ! なに使ったの⁉」

 

 アイシアが妖精を通じてランベールに怒鳴る。以前返り討ちにあった彼も、魔法で治療して現場に戻ってきていたのだ。そして、返ってきたのは動揺した声だ。

 

「まさか荷電粒子砲を防がれるとはな」

 

 砲撃内容の選択にぞっとした。

 

 荷電粒子砲とは、電子や陽子、重イオンなどの荷電粒子を亜光速まで加速して発射する砲撃だ。誰が見ても威力が高すぎる。刑事課の連中は弓鶴たちを巻き込んででも初撃で決着を付ける気だったのだ。那美が魔法で捕獲しなければこの場の全員が殺されていた。

 

「バカなの⁉ 私たちごと殺す気⁉」

 

「結果として止められたのだから問題なかろう」

 

 アイシアの怒りにランベールが調子を取り戻した声で答えた。

 

「いいからそっちはさっさとなんとかして! 無能じゃないところを私たちに見せて! でなきゃ一生無能のそしりを受けるよ‼」

 

 挑発したアイシアがそのまま魔法を展開する。まだ背後では警官たちが人質を誘導している最中だ。ここで更科那美を防御で手一杯にしなければ人質たちの命が危うい。

 

 アイシアが精霊魔法で土系分離魔法を発動。四大元素を内包した精霊世界から、土のクオリアが切り離され現実に染み出していく。彼女の周囲に精製が用意な鋭利な石英が無数に出現する。即座に螺旋円錐に変化した石英が回転を始める。

 

「弓鶴! 側面から飽和攻撃開始!」

 

 弓鶴も既に移動して魔法を展開していた。彼が扱う錬金体系は、“世界は物質で出来ているのなら、物質の中にこそ世界を記述するものがある”という観点で世界を記述する魔法である。主に金属精製を得意とする魔法体系だ。

 

 弓鶴は己が精製可能な限界量の金属片を作成。刀の形に変化させる時間も惜しく、そのまま一気に那美へと側面から射出した。

 

 完全に視界外からの攻撃なのに、那美がすぐに反応した。散らしていた妖精での観測で気づかれているのだ。

 

 極光の結界から光の弾が放たれる。アイシアと弓鶴両名の飽和攻撃が一瞬にして蒸発した。

 

「続けて弓鶴!」

 

「分かってる!」

 

 弓鶴が次弾を展開しようとしたところで鎧が動いた。一瞬にして距離を詰めてきた鎧が彼へ目がけ横凪に抜刀。空間すら斬り裂かんとする速度で刀が彼の胴へ向かう。

 

 弓鶴は鞘に納刀したままの刀でぎりぎり受け止める。鞘が砕け同田貫の刀身が露わになる。剣道での経験で反射的に動けていた。真面目に稽古を積んでいなかったら今の一撃で死んでいた。

 

「弓鶴!」

 

「こっちはなんとかする! アイシアは攻撃を続けろ!」

 

 鎧の居合を捌いて弓鶴はその場から下がる。間合いを開けようとした彼の意図を汲んだか、鎧が刀の切っ先を真上へ向けた八双の構えを取って一歩踏み出す。

 

 鎧による袈裟斬り。一撃が重いと判断。弓鶴は身体を捻って斬撃を避ける。その場で反転して両足を床に付けた瞬間に新たに魔法を発動。足元に鉄板を仕込み、更にその下に金属を精製し、一瞬にして気化させ一気に膨張させる。沸点にまで達した金属が爆発。鉄板が彼と共に天井高く飛び上がらせた。

 

 錬金魔法が《物質精製》と《四態変換》の組み合わせにより、高速でその場を離脱したのだ。宙に浮かんだ弓鶴はそのままAWSを起動。三次元立体機動を行わなければ死ぬと勘が言っていたのだ。

 

 そのときだった。極光の結界から再び光の弾が襲い掛かってきた。空中を蹴って横に避ける。荷電粒子砲の残滓が天井の一部を蒸発させる。

 

 魔法戦闘は選択の連続だ。一度でも選択を誤れば即座に死に繋がる。それはまるで死神と一緒にダンスでも踊っているかのような酔狂な地獄だ。

 

 弓鶴は空中で会場の様子を伺う。那美はアイシアの攻撃を、その場で捕まえた荷電粒子砲で撃ち落としていた。逆に攻撃を仕掛けている始末だ。アイシア側へ加勢しないともうじき詰む。

 

 警察はなんとか順調に避難誘導ができている。人質たちも三分の一近くが会場の外に逃れていた。

 

 絶望的な悪寒。

 

 咄嗟に蹴って急降下する。一瞬前まで弓鶴の首があった場所に鎧が刀を振っていた。鎧が両足にそれぞ妖精を踏んで宙に浮かんでいるのだ。あまりの光景に唖然とした。最高位魔導師はなんでもありか。

 

 鎧が刀を構える。刀の周囲がにわかに揺らいだように見えた。何か魔法を使っている。理解できない攻撃は絶対に受けない。アイシアやラファランから徹底的に教え込まれたことだ。ここは逃げの一手を打つ。

 

 鎧が何もない空中で刀を振る。不可視の衝撃波が無数に解き放たれる。錬金世界の視点でかろうじて拾えたのは、斬閃をかたどった三日月状のなにかが、猛烈な速度で弓鶴へ疾駆している姿だ。

 

 人質側とは反対方向へと必死に避けながら記憶を検索。解明。元型魔法の《観念力動》――すなわちサイコキネシスだ。威力のほとんどを切断に特化させた三日月が会場の壁や床を無慈悲に切断していく。避け方を失敗すればブリジットの防御を貫通して警官や人質を殺してしまう。

 

 鎧が刀を振り続ける。三日月が次々と発射される。弓鶴は細心の注意を払って全力で逃げるしかない。防戦一方だ。このままだとこちらもすぐに詰む。彼が死ねば攻撃がアイシアに集中する。そうすれば彼女も瞬殺される。手数が欲しかった。

 

「刑事課は何をやっているんだ……!」

 

「呼んだかね?」

 

 ローブに仕込んだブリジットの妖精から声が聞こえた。刑事課のランベール・ディディエだ。

 

「結界を突破した。砲撃を開始するぞ。そちらは適当に避けるがいい」

 

「遅い! 無駄な口上はいいからさっさとしろ!」

 

「口に気を付けたまえ。第六階梯の魔導師ごときが――」

 

「いいから早く打て! お前は戦闘中に敵前で喋るアホか!」

 

 ランベールとの会話に気を取られ過ぎて三日月が弓鶴の首筋を掠めた。頸動脈が逝った。熱い感触と共に血しぶきが飛ぶ。致命傷だ。即座に錬金魔法を使用。金属膜で傷口を覆う。多少出血したがまだ戦える。

 

 二度目の衝撃が会場を揺らした。極光結界を完全に消した刑事課と警護課による一斉魔法射撃だ。あらゆる魔法体系による攻撃が更科那美へ殺到して爆発を引き起こしていた。爆炎と煙が一気に広がる。弓鶴は即座にブリジットの結界内に入った。

 

 ブリジットは器用に弓鶴とアイシアだけを通り抜けられるように複雑な結界を組んでくれていたのだ。

 

 ブリジットの結界が刑事課の攻撃による衝撃と熱波を受け止める。結界内に戻らなければ焼死していた。

 

「そちらは大丈夫か!」

 

 傍にいた警官がASUを心配してくれて声を張り上げた。

 

「こっちはなんとかする! 警察は引き続き人質救出を頼む!」

 

「分かった! 死ぬな!」

 

「了解!」

 

 応えて弓鶴は刀を握りなおす。隣には息を荒くしたアイシアがいた。

 

「しんどいね。さすが最高位魔導師。刑事課側が一秒遅かったら死んでたよ。生きてるのが不思議なくらい」

 

「こっちは頸動脈をやられた。今のうちに治療を頼む」

 

 アイシアが弓鶴の首筋に触れる。激痛が走っていた傷口に温かい感触が生まれた。精霊魔法が《生態結合》による治癒だ。即座に傷口が塞がる。金属膜を乱暴に剥がした。

 

 軽く背後を振り返る。まだ人質は三分の一ほど残っていた。戦闘を開始して何分経ったのか分からない。一時間以上戦っている気になるほど緊迫した戦いだった。

 

 そして、いまも死と隣り合わせの戦場が弓鶴たちを待っている。嫌気が差すほど命の価値が軽くなる仕事だ。

 

「弓鶴、まだ行けるよね?」

 

 弱腰になりかけていた弓鶴の背をアイシアの声がはたく。同年齢の女上司に後れを取るわけにはいかない。なにより彼は彼女のパートナーなのだ。情けない姿を見せるわけにはいかない。

 

「当然だ」

 

 弓鶴は強気に答えて深呼吸する。

 

 そこで、ブリジットが狼狽した声で叫んだ。

 

「襲撃だ! こっちに魔導師密売組織が来た!」

 

 最悪のタイミングだ。狙っていたとしか思えない。

 

 アイシアが即応する。

 

「ブリジット、状況報告!」

 

「こちらは検査を終えて候補者たちと学校から出ようとしているところだ! 三名全員が候補者たちと固まっている。クソッ! 警察が構築した警備網を突破された! 奴ら魔法使いをかなり動員しているぞ!」

 

 ブリジットの声は焦燥の他に自戒も含まれていた。恐らく魔法処理能力に多大な負荷が掛かって敵の接近察知が遅れたのだ。今回はあまりに彼の負担が大きい。

 

「ブリジットはそちらを第一優先! 前衛を担当して! それからそっちの指揮権を渡すよ! オットーは防御に回って、必要なら適宜攻撃も加えて! エルは基本的に狙撃で敵を近づけないで! あとはブリジットの指示に従って! 以上!」

 

 オットーが喜びの声を出す。

 

「ようやく面目躍如の機会です。精々暴れてみせましょう!」

 

「……頑張ります」ラファエルのやる気があるのかないのか分からない声。

 

「我はここからは適正検査側に注力する。そちら側の人質救出が終わったと同時に結界を解くぞ! 死ぬなよふたりとも!」

 

 唯一全体を把握しているブリジットだけが真剣な声で言う。彼は普段適当だが一度仕事に取り掛かると真面目になるのだ。

 

 ブリジットの結界が無くなるのは痛いが、あちら側の心配は無くなる。ああ見えても第八階梯の高位魔導師なのだ。単純な戦力で言えば弓鶴はもちろんアイシアをも超えている。

 

 高位魔導師の頼もしさを感じた。

 

 アイシアを見る。彼女も弓鶴を見ていた。互いに頷く。

 

 爆炎と煙が唐突に晴れる。那美が大気を元型魔法で支配して周囲を無理やり正常化したのだ。超高位魔導師らしい強引な力業だ。

 

 開けた視界では、既にASU魔導師が那美へ向けて外部から飽和攻撃を加えているところだった。すべて防御結界で防がれているが、やはりかなり支配力を使っているようだ。周囲に散っていた妖精が消えていることがその証拠だった。

 

 これなら殺れる。

 

 弓鶴はアイシアと共に結界外へと足を踏み出した。

 

 

 

 


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