アイシア   作:ユーカリの木

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第一章:ASU警備部警護課 2

 埼玉県警に設置された捜査本部で開示された情報は、要点を絞れば六つだ。

 

 一:昨夜二十一時頃に日本刀のようなもので児童養護施設の男性職員全四名が殺害された。そのすべてが首を一撃で切断された首切り死体だった。

 

 二:女性職員や施設に居た子ども全員が気づかなかったことから、魔法使いによる隠密での殺害の可能性が濃厚。

 

 三:死体に争った痕跡がなく、かつ犯人の足取りに迷いがないことから、内部犯の可能性が高い。

 

 四:施設長が大事にしていたという日本の鎧が消えている。

 

 五:当時付近で怪しい人物の目撃情報は無し。

 

 六:現時点において施設関係者で身元不明な人物は十一歳の女児、更科那美のみ。

 

 埼玉県警は殺人及び死体遺棄、並びに誘拐の可能性も見て捜査を開始する方針となった。当然ASUの面々もこの方針には従うが、ASUはこの時点をもって更科那美を第一容疑者候補とした。

 

 捜査会議を終えたその足で、弓鶴とアイシアは埼玉県川口市にある児童養護施設光の森へ赴いた。施設の前には制服を着た警官たちがロープを張り、いまだ増え続ける野次馬たちを必死に抑えていた。既にマスコミも集まっており現場は怒号が飛び交うなど騒然としていた。

 

 アイシアに続いて弓鶴はロープをくぐる。警官に睨まれるが、ふたりが着ている服装を見て目礼した。弓鶴たちの制服である深紅のローブは、ASUに所属する魔法使いが着る専用の服装だ。

 

 施設内に入ると、もはや乾いているにも関わらずむっとするような血の匂いがした。玄関ホールには犯人が逃亡するときに通ったと思わしき場所に点々と血が滴っている。いたるところに血痕が飛び散っており、鑑識によってマークされた場所がロビー内を埋め尽くしていた。

 

「入口でこれだと嫌になるね。中はたぶん想像を絶するよ」

 

 渋い顔をしたアイシアが言った。その声を聞いて弓鶴たちに気づいた警官たちが顔をしかめる。警察とASUは現在では協力体制こそ敷いているが、それまでに紆余曲折があったため現在でも仲が悪い。また、かつて魔法使いの事件で多くの殉職者を出した警察は、本能的に魔法使いを恐れてもいるのだ。

 

 警官たちに目礼しつつ先へ進む。廊下を進んで突き当りを右に曲がり、二階へと続く階段を昇る。その間も血痕が足跡のように続いている。二階に上がり職員室に入ると、途端に血の匂いが濃くなった。

 

 子どもの目を気にしてか綺麗に整頓された室内は、血化粧を施されていた。机も壁も天井も床も何もかもがペンキをぶちまけたかのように真っ赤になっていた。地獄だった。これを見ただけで、この場所を作り出した犯人に怒りが浮かぶほどの酷さだ。

 

「人って首を切られると結構血が飛ぶんだよね。幸いすっぱり首を落とすことも落とされたこともなかったけど、人ひとりでこれくらいの量の血は散るね」

 

 アイシアが淡々と言う。少女時代に魔法兵士として不正規戦に参加していた経験のあるアイシアの言葉は重い。だが、さすがに場所を選んで言ってほしかった。

 

「目の前の光景を眺めながらそういうことを言うな」

 

 苦虫を潰したような顔の弓鶴に対し、アイシアは肩をすくめてみせた。

 

「これくらいは慣れて。魔法使い同士の戦いなんて、爆殺とか四肢断裂とか焼死とか、死に方にはバリエーションに溢れてるからね」

 

 アイシアが冷たく言い放つ。弓鶴はまだ二十一歳で、ASUに入って一年目の新人だ。対するアイシアは同じ二十一でも幼少時から魔法教育を受けてASUに入った超エリート。心構えと経験が段違いなのだ。

 

「君はこの事件と同じようにこれからいくつも斬殺死体を作ることになる。だからこれは丁度いい予行演習だと思って。これと同じ現場があと三か所あるからね」

 

 そしてこれだ。どんなに悲惨な現場であろうと、アイシアは弓鶴のための訓練装置としての役割くらいにしか考えていない。被害者に馳せる想いや犯罪者に対する怒りは欠片もない。表情は凪いだ水面と同じ無。つまり、一見するとまともなアイシアも魔法使いということだ。

 

「それで、現場に出て何か分かることがあるのか? こういうのは警察に任せるって研修のときに教わったんだが」

 

 弓鶴の疑問にアイシアが即答する。

 

「ないね」

 

 凄惨な現場にも関わらず脱力しかけた。

 

「ならなんで来たんだ?」

 

「君、こういうのに怒れるタイプでしょ? だから怒ってもらおうと思って」

 

「は?」

 

 思わずアイシアを見つめるが、彼女の顔は真剣そのものだった。

 

「私たち魔法使いは昔から基本的に命が軽い。争いになれば個人同士のいざこざ程度で人が死ぬ。ASUが出来てからはそういうことは無くなったみたいだけれど、根本のところは変わらない。自分が生きていれば他が死んでも構わない。そういう血も涙もない種族なんだよ。だけど君は違う。ある程度成長してから魔法を使えるようになった魔法使いは、人としての価値観を持っている。それを大事にしてほしい」

 

 つまり、とアイシアが続ける。

 

「人の立場にある警察と連携を上手く取るには、ASU側にも人の価値観を持つ魔法使いが必要ってこと。彼らと同じ怒りを共有する仲間がね。それは私たちみたいな純粋な魔法使いじゃ無理だから」

 

 ほら、私たちって頭おかしいでしょ、とアイシアが苦笑してみせた。

 

「まあトチ狂ってるのは否定できないな」

 

「ひどい言いようだ」

 

 くすくすとアイシアが笑む。フランス人形のような容姿をしているから、ひとたび笑えば急に可憐さが現れる。事件現場とアイシアの雰囲気の落差に落ち着かない気分になって、弓鶴は言葉を吐き出す。

 

「で、本当に意味はそれだけか? せめて正確な魔法体系と使用した魔法くらいは知っておきたいだろ」

 

「魔法は元型体系。使用した魔法は《元型投影》に《深層干渉》」

 

 アイシアは即座に答えてみせた。

 

「会議の時も言ってたな。理由は?」

 

「斬殺現場を作り出す魔法体系ですぐに思いつくのがひとつ。君と同じ錬金体系。でも錬金魔導師は基本的に刀剣類の扱いが下手なんだよ。逆に得意なのは、刀剣類を生み出してひたすらに飛ばす運用法。でも現場を見てごらん?」

 

 アイシアがさっと手を動かし、死体があった場所の周辺へと指を向ける。確かに資料は散逸しているが、特に室内のものや壁に傷らしきものは見当たらなかった。

 

「現場を見る限り錬金魔導師の常套手段じゃないってことか」

 

「そういうこと。まあ、君みたいな変わり種もいるからあてにはならないけどね」

 

「なら使用魔法は?」

 

「少し復習しようか。元型魔法は“諸存在が持つ精神は世界を記述する”という観点から世界を記述する魔法。精神の操作や、諸存在に精神を吹き込むことによって擬似生命体を作り出すことができる。命を作り出す天命体系とは違って自律する生命体は作れない。さて、この魔法でどうやってこの現場は作られたかな?」

 

 弓鶴は魔法学校時代の教育を思い出す。

 

 ――《元型投影》は、精神を諸存在へ吹き込み擬似生命体を作る、元型魔法の基本魔法だ。作られた擬似生命体は遠隔で操作ができる。魔法使いの技量にもよるが視覚や聴覚などを共有しており、擬似生命体が見聞きした情報を得ることができる。

 

 ――《深層干渉》は、諸存在の精神の方向性を操作する魔法。統一魔法規格で禁止魔法指定されているが、人の精神を直接操作することも可能だ。

 

「《元型投影》で鎧を操作し、日本刀を使って対象を殺害。同時に、《深層干渉》で殺害現場が周囲にバレないよう、現場へ向く目を無理やり逸らす人払いもしくは防音結界のようなものを張っていた。そんなところか?」

 

「正解」

 

 満足げに頷いたアイシアが周囲を見やる。

 

「大体予想通りだね。現場に来て核心に変わったよ」

 

「複数犯の可能性は?」

 

「もちろんあるね。魔法は割となんでもありだから、他の魔法体系が関わっていたかもしれない。でも現場の情報じゃ分からないね」

 

 さあ次へ行こうか、とアイシアが踵を返す。男子便所、多目的室、和室を回るも、すべてが同じような現場だった。血に塗れ、周囲にそれ以外の痕跡がない。人間がやったとは思えないほど鮮やかな殺人現場。

 

 すべてを見終えた弓鶴たちは児童養護施設を出て外の空気を吸う。十二月の北風は凍えるが、血の匂いが纏っていたからか清涼剤に思えた。アイシアが、んっ、と軽く伸びをする。

 

「やっぱり血の匂いは嫌な気分になるね」

 

「いい気分になる奴は殺人鬼くらいだろうさ」

 

「私たちが相手にするのはその殺人鬼だよ」

 

「戦いは避けられないのか?」

 

「無理だね。散々今年で仕事して分かったでしょ。魔法使いと対峙して会話なんて通じると思う?」

 

 一年目で弓鶴はいくつかの事件に遭遇し、何人かの敵を排除――即ち殺してきた。そこには説得が入り込む余地など微塵もなく、相手は常に即座に殺しにかかってきた。

 

 過去を回想していた弓鶴の顔を見たアイシアが苦笑する。

 

「話し合いで解決できればそれがいい。相手が素直に逮捕されてくれれば楽だからね。でも、そうじゃないから私たちASU警備部が存在する。だから弓鶴も入ったんでしょう?」

 

 そうだ。弓鶴の父親は魔法使い同士の事件に巻き込まれ重傷を負い、医師の治療も空しく命を散らした。それが理不尽だと思ったのだ。魔法で世界は便利になった。だが、我が物顔で世を席捲する魔法使いが蛮族では、世界に暮らす一般人は堪らない。そんな理不尽を無くそうと願い、奇跡的にも魔法を使えることが判明したから弓鶴はASUの門を叩いた。

 

 悪い魔法使いから市民を守る。恥ずかしくて早々口にはできないが、それが弓鶴の持つこの職に対する信念だった。

 

 弓鶴の闘志が燃えたことを見て取ったアイシアが口元を緩めた。弟子を見る目で彼を眺めた彼女が端末を取り出して操作する。

 

 登録されている弓鶴の右目網膜にアイシアの端末から映像が写し込まれる。埼玉県警の捜査本部を指揮する本部長である稲垣泰三(いながきたいぞう)が現れる。五十代半ばの明らかに武闘派と思われる精悍な体つきをした男性だ。真剣を絵に描いたその表情にある瞳には、怒りと憐憫が宿っていた。

 

「こちらASU警護課のアイシア。捜査本部応答願います」

 

「こちら捜査本部。報告を」

 

「現場を確認したところ、やはり魔法使いの犯行の可能性が濃厚。魔法体系は元型体系。使用魔法は《元型投影》および《深層干渉》。操作対象は床の間に飾っていたという鎧でしょう」

 

「断定はできないか?」

 

「ASUでもこれが限界と思っていただければ。衛星映像からは何か判明しましたか?」

 

「犯行時刻過ぎに更科那美と思わしき女児が鎧武者と共に児童養護施設を抜け出した姿を確認している」

 

「その後の足跡は?」

 

「地下に潜ったな。衛星映像も監視カメラからも逃れている」

 

 稲垣とアイシアの表情が険しくなる。

 

「いますね、これ」

 

「ASU刑事課の連中と同じ見解だな。いる線で捜査に当たってくれ。全捜査員にはこれから伝える」

 

 一瞬、稲垣の視線が弓鶴に移った。同志を得たような笑みを浮かべるとすぐに表情を元に戻す。

 

「了解しました。ブリジット達と合流します。通信終了」

 

 アイシアが通信を切って一呼吸つく。風向きが変わる。アイシアが弓鶴を見た。いつもの試す視線だ。

 

「分かった?」

 

「犯人は複数。実行犯は更科那美の可能性が高く、バックに協力者がいるってところか?」

 

「正解」

 

「いくらなんでもいまの社会で子どもが警察の監視網から抜けられるはずがない。元型体系の《深層干渉》じゃ機械的な目は誤魔化せない。元型魔法の魔法転移はさすがに使えるはずがない。つまり、他に協力者がいる。おそらくは元型魔導師以外のな」

 

「その通り。随分頼もしくなったね」

 

 アイシアが睡蓮を思わせる微笑みを浮かべる。

 

 捜査に新たな道筋ができた。協力者の存在。警察との合同の本格的な捜査は初めてだから、徐々にだが進展していくことに不謹慎ながらも弓鶴は興奮を覚えていた。

 

 端末を操作していたアイシアが呼び掛けてくる。

 

「じゃあ、ブリジット達のところへ行こうか。場所は……イタリアンのお店かな。お昼食べてるね」

 

 時刻は昼食の時間帯を過ぎようとしているところだった。店選びは確実にラファエルの希望だろう。カルボナーラを食べているに違いない。

 

「捜査はこっちに任せてあいつらは飯か……」

 

「まあ、ちゃんとご飯は食べないとね。魔法使いも身体が資本だから」

 

 行こうか、とアイシアがAWSを起動し宙に浮く。弓鶴も同じくAWSを使用して波に乗って飛び上がった。

 

 

 

 


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