アイシア   作:ユーカリの木

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第三章:氷の園に這い出る悪魔 8

「面白そうなことやってるね。ボクも混ぜてよ」

 

 ふいに、無邪気な声が戦線に響いた。明らかに魔法で響かせた声だ。

 

 ラファランの脳裏に最大級の警報が鳴る。

 

 遂に奴らが来たのだ。

 

 誰よりも天高い位置にそれはいた。十代中盤にも見える小柄な少年。長い髪は老人のように真っ白で、蛇がのたうつように風の中を舞っている。表情は楽しそうな満面な笑みだというのに、纏う空気は暗く虚ろ。生と死という相反する雰囲気を同時に纏っているかのような、奇妙な少年だ。

 

「我が名はアイナル! 今宵ここに破壊を齎す者なり!」

 

 アイナルと名乗った少年の周囲に光が一気に収束。その数、実に千は軽く超える。それは、熱の波動を生み出し増幅させ、白く発光するまで熱量を上げた単純なものだ。だが、ひとつひとつの破壊力は想像もしたくない。

 

「悔い改めろ! 母なる世界に仇成す者らよ! 微塵となって死ぬがいい!」

 

 熱線のレーザーが流星群もかくやと降り注ぐ。

 

 アイナルの哄笑。

 

「アハハ、アハ、アハハハハ、アーハハハハハハハハハハハハ! 死ね死ね死ね! 魔法使いはみんな死んでしまえ! この世に魔法使いはいらない! 必要なのは人間だけだ! さあ死ね! すぐ死ね! さっさと死んで灰になれ! お前たちはみーんないらない子だ!」

 

 直撃の寸前、流星群をステファンが《概念殺し》によって掌握、破壊。紙一重の神業だ。しかし、これによりクローセルが自由になる。

 

 アイナルの攻撃が、笑いが止まらない。再び生み出した光を連続発射。

 

 ASU対フェリクスの構図に、《ベルベット》アイナルが加わった。まさに魔法使い戦場の地獄だ。戦場は完全に混乱するかと思われた。が、ステファンの次に動いたのがフェリクスだった。

 

「待っていたぞ《ベルベット》! わざわざ始末されに来るとは愚かな! 茶番ばかり撒き散らす災厄よ! 俺の花道の轍となるがいい!」

 

 フェリクスが使役する悪魔が、いまや彼の意思に従ってアイナルへ向かって一斉に攻撃を始めた。眼前にいるASUらを無視してだ。他の説話魔導師らもアイナルへ焦点を変える。急な行動にASU魔導師らが動揺していた。

 

 そこで、ラファランはフェリクスの意図がようやく読めた。

 

「最初から言ってくれ……。ASUを巻き込むにしてもやり方は他にあるだろうが……」

 

 つまり、フェリクスの最終目的はASUではない。《ベルベット》だ。一連の事件は、すべて《ベルベット》を誘き出すためだけに起こされた陽動だ。

 

 おそらく、《ベルベット》の始末に説話魔導師が貢献したとラファランに言わせたいのだろう。

 

 やり方が滅茶苦茶だ。全責任を自分で負い、世界に散る説話魔導師達の立場を少しでも上げんと、フェリクスは文字通り人生最期の賭けに出たのだ。

 

 《ベルベット》は、超高位魔導師の中でも最上位級の実力者の集まりだ。超エリートである重犯罪魔導師対策室でも手に余るのが現状だ。去年アーキを《次元回廊》で封印するしかなかったのもそれが原因だった。

 

 要は、強すぎて殺せないのだ。ならば、悪魔すら動員して殺すべしというのがフェリクスの理論なのだろう。

 

「目標変更! 《ベルベット》を第一優先目標としろ! フェリクスの援護に回れ!」

 

 そこに膨大な頁が舞い散る。フェリクスや説話魔導師らのものではない。新たな参戦者が現れたのだ。

 

 その人物は、奇妙な恰好をしていた。左右と上下が白と黒に塗り分けられた、道化師のようでいて聖職者にも見える不可思議な服装。頭には同じく、左右を白と黒色に染まる、二股に分かれ先にボンボンが付いている道化師の帽子。面貌は男とも女とも知れぬ中性。一抱え程もある大量の書が、その人物の周囲を輪となって浮いている。

 

「せっかくの《レメゲトン》収集の機会。悪魔どもを消滅されては適わん」

 

 中性の美貌の唇に微笑みが生まれる。それは、あまりにも人間離れしていて、夜に見る人形のような怖さがあった。

 

「そういう訳だ、ASU諸君。余も混ぜろ」

 

 最悪だ。ラファランは心の中で罵る。《ベルベット》で参謀役とされるフーリィンまで出てきたのだ。

 

「なに、安心せよ。悪魔どもを収集したら皆殺しにするゆえ、ゆるりとアイナルと遊んでいるといい」

 

 フーリィンの尊大な科白にフェリクスが大笑する。

 

「災厄風情がよくぞ言った! 説話の頂上決戦といこうではないか!」

 

 フェリクスが白金の剣を消し、新たな書を開く。

 

 その瞬間、世界が揺らいだ。

 

 フェリクスの手元に槍が降りる。神の威容を放つその槍は、《北欧神話》に登場する主神オーディンが持つ伝説の武器。あまりに有名過ぎるゆえ、説話魔導師でも扱えるのは彼のみとされる究極の幻想。必ず的へ当たるとされる槍。神槍グングニルだ。

 

 その様を一瞥したフーリィンの瞳に嘲りの色が宿る。輪となった書の内の一冊が燐光を放つ。

 

「人の叡智を借りている分際で粋がるか。どれ、余が真の説話を見せようか――」

 

 そこに、レーザーの群が撃ち込まれた。アリーシャの荷電粒子砲だ。百条を超すレーザーがフーリィンを飲み込む。さすがのラファランも唖然とした。

 

 アリーシャは、フーリィンが長々と口上を垂れている隙に多重に魔法を展開し、横合いから魔法で殴りつけたのだ。登場した瞬間に攻撃されるのは、敵であるにしても哀れに思えた。

 

 しかし、これくらいで倒せるならば《ベルベット》は災厄などと呼ばれない。

 

 フーリィンは無傷だった。彼を覆っていた極光が消える。書はまだ開いてすらいない。

 

「ああ、本当に愛らしいなお前らは。その程度の攻撃で余を殺せると思ったか。その愚鈍さは涙を誘うよ。あまりにも可愛らしい」

 

 フーリィンは対極体系の《両義》でアリーシャの攻撃を防いだのだ。彼は説話体系と対極体系の二体系を操る稀有な魔法使いだった。

 

「だからこそ、余が死を与えよう。これが余の送る最大の慈悲と知れ」

 

 書が開く。纏燐光は煌びやかに、フーリィンが《説話筆記》により生み出した自らの幻想を記した書がベールを脱がんとす。

 

 それに恐怖を抱き、誰よりも先に動いたのはジャンヌだった。律法魔法による《法策定》により、物理法則だけを適用した空間を作成。それをフーリィンへと押し付ける。

 

 書の燐光が止まらない。ジャンヌの正義の瞳に焦燥。フーリィンの目には相も変わらず侮蔑が光る。

 

「律法体系は確かに強い。万物を支配する法を操るのだからな。だが知っているか? 律法魔法が括れる事象には限界がある。汝が操る法を超える存在には無力なのだ」

 

 律法体系において、世界のすべては法の下でできている。だからどんなものも操作できるし、法を作り替えて物事を変化させることすらできる。ならば、律法魔法は法のすべてを操ることができるのか。

 

 答えは否。

 

 錬金魔法で括れる“物質”が、弓鶴とステファンでは異なるように、個々の力量で変化する。つまり、ジャンヌではフーリィンを律法魔法で捉えられない。

 

 すなわち、フーリィンはそれほどまでに人の領域を外れた魔法使いなのだ。

 

 魔法使いとは、魔法世界を知覚し、その法則を扱う者だ。ならば、極まれば全身を魔法世界へ置くことで、現実世界の物理法則を完全に超越することが可能となる。

 

 ジャンヌは超高位魔導師だ。現実に存在する法ならば大抵操れる。だが、他の魔法体系の世界には手が出せない。そこは律法魔法の法則によって作られているわけではないからだ。

 

 フーリィンは現実世界にいながら魔法世界に生きている。ここにいるのは、いわば魔法世界から滲み出た影だ。そこに生じる法則は現実世界の物理法則ではなく、説話体系と対極体系の法則だ。現実の法則では括れない。

 

 フーリィンは書を開いたまま、未だ幻想を召喚していない。横殴りの豪雨のごとくに叩きつけられる荷電粒子砲を、いまや対極魔法の《両義》すら使わずに防いでいる。

 

 説話魔法の媒体である魔導書は、物語の世界と現実世界を繋げる一種の扉だ。その扉が開いているとき、その空間は物語の世界へと通じている。それを利用すれば、あらゆる攻撃を物語の世界へ逸らすことが可能だ。

 

 エルヴィンが得意としたこの防御方法は、扱える者が希少な超技術だ。基本的に、書は開けば幻想を召喚し扉はすぐに閉じる。それが説話魔法の法則だからだ。エルヴィンですら二秒程度開き続けるのが限界だ。それを捻じ曲げてまで扉を開き続けているフーリィンはあまりに異常だった。

 

「分かるか? これが格の違いだ。そろそろ悟れ、精霊魔導師よ。いくら雑多な攻撃を投げようが、余には当たらん。路傍の石ころと変わらんよ」

 

 ステファン、リューシエン、クローセル、そして再び召喚されたレライエはアイナルを。その他全員の戦意がフーリィンへ向く。

 

 フーリィンの書から幻想が解き放たれる。

 

 それは道化師だった。黄と赤の縦縞模様のだぼだぼな服に身を包み、顔には真っ白な化粧を施したピエロだ。世を儚むように、左目の下には涙のマークがあった。両手には宵闇に光る銀の輝き、シャムシール。

 

 音も無くピエロが消えた。

 

 女のうめき声。

 

 ジャンヌの脇腹をピエロのシャムシールが薙いでいた。血が迸る。

 

 ピエロは律法魔法による防御結界ごと斬り払ったのだ。常識を超えた強さだ。ジャンヌが脇腹を押さえてピエロへ魔法を発動させようとし、動きが止まる。既にピエロは消えて彼女の背後を取っていた。彼女の右首筋が血を吹き出す。

 

 速い。目にも留まらぬ速さとはこのことか。

 

 フーリィンが目を細めて笑う。

 

「余が作り出した殺人ピエロだ。魔法に頼り過ぎの汝らでは相手にならんよ」

 

 ラファランは内心で舌打ちしつつ、ジャンヌをアリーシャの下へ転移させる。即座に意味に至ったアリーシャがジャンヌの治療を始めた。

 

 神の槍を携えたフェリクスが動く。

 

「うるおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼」

 

 聞く者の臓腑を委縮させる、野獣の雄叫びが響く。フェリクスが槍投げの態勢を取る。グングニルが神々しい輝きを纏う。

 

 殺人ピエロが動く。瞬きひとつの間すらなく、フェリクスの傍に移動しシャムシールを振う。それを転移したラファランが短刀で受け止め――きれない。重すぎる。すぐに受け流す。

 

 ピエロの瞳が怪しく光る。ラファランの背筋に悪寒。一度間合いを開けたピエロが斬りかかってくる。《因果改竄》で左手に短刀を呼び出し、両手でシャムシールの斬閃を逸らす。

 

「早く投げろフェリクス!」

 

「応とも!」

 

 グングニルが放たれ、閃光となってグリーンランドの夜空を駆け抜ける。

 

 ラファランはそれを一瞬だけ横目で見て、連続で舞うピエロの攻撃を流し続ける。受けきれなかった斬撃が肩や腕を斬り裂く。

 

 交差したシャムシールが首を取りに来る。転移して避ける。背後を取ったラファランがピエロの背に短刀を振り下ろす。が、文字通りピエロが消えた。

 

 ピエロは死角となった真上に移動していた。逆さになったピエロがラファランの首を狙う。

 

 それを新たに現れた白金の剣がシャムシールを弾いた。

 

 フェリクスだ。

 

 ピエロが再び間合いを取る。互いに隙の読み合いに入る。

 

「獲ったか?」

 

 ラファランの問いに、剣を構えなおしたフェリクスが苦い声で答える。

 

「渾身を込めたつもりだが、奴の防御結界に阻まれている。あとは天に運を任せるのみよ」

 

 視線はフーリィンに飛ばせない。僅かでも目を離せば、次の瞬間にはピエロに首を落とされる。

 

 伝承では、グングニルは決して的を損なうことはなく、敵を貫いた後は持ち主の元に戻る。かの槍が戻ってきていない以上、いまも槍はフーリィンの防御結界を削り続けているはずだった。

 

「久方ぶりに六冊開かされた。そう長くはもたん」

 

 フェリクスは、魔導書を五冊同時に開く超高位魔導師だが、極限まで集中力と気力を動員すれば六冊開ける。当然、長時間の展開には向かない。

 

 災厄をすべて詰め込んだような面倒な状況に、ラファランは苦笑しかなかった。

 

「自分で呼んだ奴らだろ。ひとりでなんとかしてくれ」

 

「そう言うな。無い知恵を絞りここまで駒を進めたのだ。最後まで付き合うのは弟子の甲斐性だろう?」

 

「仮にも師を名乗るならもう少しまともな巻き込み方をしてくれ。はっきり言って迷惑だ」

 

「《二十四法院》を動員するにはこれしかあるまい。現に、ここまでして出てきたのがステファン老だけだ。さすがに連中の臆病具合には呆れるわ」

 

「それは同感だがな。頼むから事前に話を通してくれ。やりようは他にあるだろ」

 

「言っただろう、無い知恵を絞ったと。俺は不器用でな」

 

「いまこの状況でその言い訳を聞くと本気で腹が立つな」

 

 で、とフェリクスが目を細める。

 

「時間稼ぎはこれで良いか?」

 

 ふっとラファランが微笑む。視界の端に目的の人物が飛び込んでくる姿が見えたのだ。

 

「ああ。あとは頼む、弓鶴」

 

 

 

 


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