沙条愛歌は転生者 作:フクロノリ
新人戦女子バトル・ボード決勝戦のスタートの合図を、ほのかは静かに待っていた。
息を吸って、吐く。
リラックスしながらも、ボードの上で集中力を高めていく。
彼女の心の中は、それほど不安に震えてはいない「どうにでもなれ」というヤケクソ精神が多大に含まれていることは間違いないが、それ以外の想いもある。
それは―――
沙条愛歌は目立ちたくないわけではない。
ほどほどに目立ちたいし、ほどほどに活躍したい。
その“ほどほど”の線引きは非常に曖昧だが、少なくとも戦略級魔法師のような悪目立ちはしたくなかった。
こうして余り目立ちたくない彼女が、今も試合に勝ち上がっているのは、妹のためと一校の先輩たちのためというのが大きい。そうでなければ、わざとどこかで負けていたかもしれない。
しかし、今は違う。
今の彼女には違う感情が芽生えている。
奇しくもそれは、ほのかと全く同じ感情だった。
レースの開始の合図であるブザーが鳴る。
先に飛び出したのは愛歌の方だった。数秒遅れてほのかが飛び出す。
「(向こうの方が速いのは想定内!)」
ほのかは焦ることなく愛歌の背中に食らいつく。
この競技において大切なのは魔法発動のスピードでもなければ、ボードのスピードでもない。如何にして相手の姿勢を崩すか、自分の姿勢を保つかだ。
開幕の閃光魔法による目潰しを防ぐため、愛歌は黒いゴーグルを掛けている。それは少々の痛手ではあるが、その対策は彼女と達也も講じていた。
彼女はカーブに差し掛かかる愛歌の背中を捉えながら、妨害の魔法を放つ。
「追い付いてきてる......」
エリカから驚きの声が漏れる。
レオ、美月、幹比古も彼女と同様に驚きの表情を浮かべている。
試合は既に終盤、ほのかがスタートの遅れを取り戻すようにジワジワと追い付いてきていた。
「......コースの明暗の操作は愛歌にも有効のようだね」
落ち着きを取り戻すように発した幹比古の声に、エリカたちも段々と落ち着きを取り戻していく。
「でも、どうして効いたんでしょうか?準決勝で見せている筈ですよね?」
疑問を口にする美月に、幹比古は答える。
「多分だけど......まだ慣れてないんだと思う」
「慣れ、ですか?」
納得がいっていないように、美月は小さく首を傾げる。エリカとレオも美月と同じ気持ちのようで、視線で続きを求めてくる。
「うん、あの魔法のために光井さんは練習を積んでるだろうけど、沙条さんはそうじゃないだろうからね。頭で理解していても暗いところに突っ込むのは勇気がいるよ」
「ならゴーグルを外せばいいじゃねえか」
すかさず放ったレオの発言に、エリカが呆れるように反論した。
「そしたら次は閃光魔法で目くらましをされるだけでしょ。そもそもゴーグルは閃光魔法を防ぐためのものなんだから。......ホントいやらしい作戦だわ」
エリカの言う賞賛混じりの「いやらしい」は、ほのかではなく達也のことだ。それを瞬時に理解した幹比古は、「あはは......」と乾いたような苦笑を浮かべるしかなかった。
「(なるほど、思ったより怖いわね......)」
幹比古の言う通り、愛歌は暗いところに突っ込むことを躊躇していた。
彼女の持つ『眼』はそこにコースが存在することを示していたが、人間は視覚に八割も依存する生き物だ。わかっていても難しい。
「(ボードの移動スピードは互角。こっちも結構練習してきたつもりだったけど......)」
バトル・ボードの移動スピードは魔法だけで決まるわけではない。いくら魔法でボードを加速させたところで、ボードに乗っている人間がそのスピードに付いてこれるかどうかは別問題だからだ。
この競技においてボードの移動スピードは、ボードの姿勢制御技術と魔法の資質によって決まり、愛歌は前者が少し欠けていた。
「(魔法に集中しながら出せるスピードはこれが限界。なら―――」
ほのかは愛歌を抜いても油断していなかった。寧ろ一層ボードに掛けている移動魔法に集中していた。
「(後は逃げ切るだけ!)」
ほのかは明暗を作り出し、堅実に焦らずリードを広げていく。カーブを曲がり、後は直進するだけのコースに入る。
すると―――
「―――え!?うわっ!?」
突然ボードがつんのめった。
彼女の目の前に広がっている水面には
彼女はボードから放り投げられるように水面へと落下する。
「(魔法の兆候は感じ取れなかったのに!?......あれ?)」
彼女は驚きのまま水面へと落下したが、ある違和感によってその驚きは脳から吹き飛んでいった。
最初に水面へと触れたのは彼女の手の平だった。しかし、水の感触がおかしかった。
まるで蜂蜜のような粘りを感じた。すぐにその感触は消えてしまうが、ほのかは愛歌が使った魔法を既に察していた。
だが、それを確かめる時間は彼女にはなかった。
急いで立て直しを図る。
愛歌が自分を追い抜いていく姿が目に入ったが、彼女は焦らずボードを回収する。
「(こうなったら!)」
ほのかは全力で移動魔法を行使する。
バランスを崩しかねないほどのスピードを出しているが、残りは直進するだけのコースだ。制御は余り気にしなくてもよかった。
一歩誤れば暴走してボードから振り落とされる可能性があるが、こうでもしないと勝てないと彼女は踏んだ。
それは自分の心に従った結果だった。
一方の愛歌は、猛烈なスピードで追い上げてくるほのかに焦りを覚えていた。
ほのかと同じことをする度胸は流石になかった。
あれはエレメンタルの精神性あっての行動だ。一般人の精神性である彼女には考えつかない。
「(あのスピードじゃあ、さっきの妨害は流石に使えない。なら、このまま勝負するしかない!)」
「(絶対追い付く!)」
両者が覚悟を決め、コースの先にあるゴールを見詰める。
両者の思いはどちらも同じ。
「((―――負けるものか!))」
そして、ゴールを告げるブザーが鳴った。
試合が終わった後、ほのかは着替えのために部屋へと戻っていた。部屋には、自分より先に試合が終わっていた雫が既に居た。
「惜しかったね」
雫からそう言われ、ほのかは「あはは」と乾いた笑いを返した。
あの後、横に並びそうな所まで追い付いたのだが、一手足りなかった。もう一つ何かがあれば、勝っていてもおかしくはなかった。
「雫も...えっと......」
反射的に「惜しかったね」と言おうとしたが、クラスメートから聞いた話では全くそんなことはない。気まずさに目をキョロキョロと動かしてしまう。
「ううん...完敗だった」
「......」
その言葉が彼女の気まずさを更に助長したが、雫が放った質問によって吹き飛んでいった。
「ほのかは悔しくない?」
それは言外に「わたしは悔しい」と伝えていた。
ほのかは少し口ごもった後、「悔しいよ」と内心を吐き出す。
「わたしさ......最初、愛歌と戦うのに乗り気じゃなかったじゃない?雫が挑戦してほしいって言うから、流されて従ったけど......」
「うん......」
「いつもこうじゃない、わたしって。けど、あのときは負けたくないって思ったんだ。誰のためでもない、自分のために」
「うん......」
声に嗚咽が混じる。
何が言いたかったのか不明瞭になる。
ただ“悔しい”という感情が、ほのかの胸の中を埋め尽くす。
「悔しい...悔しいよ!雫......」
「うん、わたしも悔しい」
こうして彼女たちの九校戦は終わりを告げていく。
中華マフィアの妨害工作など、彼女たち一般人には関係がないのだ。
そんなものは、どこかの誰かが勝手にやってくれる。
夏の九校戦は一校が総合優勝と新人戦優勝を飾り、その幕を下ろした。
語られていない設定
スバルの『認識阻害』は対象を自分自身にしか設定できず、完全な解除が不可能。
これは『認識阻害』の魔法式がエイドス・スキンという無意識の情報強化の魔法式に混じっているから。