沙条愛歌は転生者 作:フクロノリ
あれから九校戦―――夏休みは何事もなく原作通り終わりました。
いや、何事もなくとは言い難いですが、おそらく原作からは逸れていないでしょう。その証拠に、銀行強盗の失敗が小さなニュースとして流れてきましたし。
わたしの夏休みですか?
ライ○セイバー作ってたら終わってました。いい感じの鍔迫り合いができるようにするのは難しいんですよね。
何も斬れない鈍らなオモチャですけど、わたしは満足しました。と言うか、本物なんて作ったら法に触れます。
ここが中世ファンタジーなら大丈夫かもしれませんが、生憎ここは近未来ファンタジーの世界なんです。
それに使う場所もありませんので、オモチャ程度で充分でしょう。
閑話休題。
わたしは達也とその愉快な仲間たちと一緒に喫茶店『アイネブリーゼ』でお茶していました。
と言っても、エリカとレオは今席を外していますが。
「そう言えば、九校戦で愛歌が最後に使った魔法って何?」
突然、雫がそう聞いてきます。
思い出してみると、まだ誰かに説明したことはありません。
「あれは水の摩擦係数―――粘度を変えたのよ」
「そうなんだ。ほのかの言ってた通りなんだ」
「雫、もしかして疑ってたの?」
どうやら、ほのかは自分の推察を雫に伝えていたようです。かなり自信があったのか、彼女の顔には心外そうな表情が浮かんでいました。
そんな顔をする彼女を、わたしは珍しいと思いました。いつもは保険を掛けたり、自信なさげな態度をとったりするものですから。
「うん」
「酷い!」
にべもない雫の返答に、ほのかはショックを受けたようで、カウンターの上に突っ伏しました。
わたしは彼女らの漫才から目を逸らし、エリカとレオの席に視線をやります。
二人の席は未だ空席でした。
喫茶店での会話の裏で、エリカとレオは先程から付き纏っていた謎の男と交戦を開始していた。謎の男は、そのがっしりとした大柄な体型からは信じられないほどの俊敏さでエリカとレオを翻弄する。
明らかに戦い慣れた者の動きだった。
そして、そんな手練れの三人に気付かれずに戦いを観察している存在がいた。
髑髏の仮面を付けた褐色の少女―――アサシンだ。
彼女も付き纏っていた男の存在に気が付いていた。しかし害意を感じなかったので、こうして様子を見ていた。
彼女の考えでは、謎の男は敵ではない。
今もエリカたちと戦っているが、やはり殺意のようなものは感じず、寧ろ動きからして無力化しようとしている。
ジェネレーターも害意などという感情は発していなかったが、あれは兵器だ。そんな兵器を人に紛れ込むように置いている時点で、危険性としては充分だ。
「わたしはスパイではなく、それを阻止する立場だ。わたしは君たちの敵ではないし、わたしと君たちの間に利害の対立もない」
レオから良い一撃を貰った男は、どうやら観念したようだった。彼は自身の名前と目的を話し始め、そして最後に忠告を残して逃走した。
あの男が敵ではないことを理解したアサシンは己のマスターの下へ戻ろうと踵を返す。
そのとき―――
「(っ!?)」
―――殺気を感じた。
自身に向けられたものではない。
殺気を向けられているのは、先程逃げた男の方だ。
「(......マスター、どうやら付き纏っていた男は敵ではないようです)」
「(そう......)」
「(ただ......付き纏っていた男が何者かに狙われています。どうしましょうか?)」
アサシンが念話で愛歌にそう告げると、しばし愛歌は沈黙した。
きっと嫌そうな顔をしているだろう、そうアサシンは己のマスターである愛歌の表情を予想しながら返事を待つ。
しばらくして―――
「(―――助けなさい、見逃すのは気分が悪いわ)」
アサシンの思っていた通りの返答が返ってきた。
愛歌はかなり甘い人間だ。責任を押しつけるように命令を請えば、助けるように命令するのは簡単に予想できた。
そういう命令を下すように、彼女は誘導した。
内心にある嬉しい気持ちを隠しながら、彼女は念話で短く「(了解)」と短く返す。
「(ええ、気を付けなさい)」
愛歌からの心配の言葉に、彼女は感極まりそうな勢いだった。
エリカたちから逃走したエージェントである男―――ジロー・マーシャルは、自身の正面に立っている男の気配に圧倒されていた。
彼の目の前に立っていたのは、大柄で引き締まった東洋人だ。顔立ちはハンサムでもなければ醜いというわけでもないが、人を捕食する猛獣のような印象を受ける。
ジロー・マーシャルは、目の前に立つ大柄な青年を知っていた。
会ったことがあるわけではない。
彼が一方的に知っているだけだ。
「呂剛虎......」
正面に立つ大柄な青年―――大亜連合軍特殊工作部隊エースの名前を無意識に呟く。
するとジロー・マーシャルの意識が、瞬時にエージェントとしてのものへと切り換わった。
彼は銃口を呂剛虎へと狙いを定める。しかし呂剛虎の行動は彼が引き金を引くよりも早かった。
呂剛虎は一気に懐まで距離を詰め、そのまま右手でジロー・マーシャルの喉を貫こうとした―――
―――そのとき、おぞましい死の気配を感じた。
直感的に呂剛虎は男から離れた。
離れると、彼は先程のような自然体ではなく、戦闘の構えを見せる。
完全に戦闘態勢へと移行した呂剛虎の目の前には、先程まではいなかった褐色の少女が一人、ジロー・マーシャルを庇うように立っていた。
呂剛虎は警戒の視線を少女に向ける。
目の前に現れた褐色の少女は顔を髑髏の仮面で隠しており、両手には二本の短刀が握られていた。
「......」
「......」
二人の間に会話はない。
しかし既に互いの目的は察していた。
それが決して交わらないことも。
助けられたジロー・マーシャルは地面に尻餅をついてポカンとした顔をしていたが、自分が助けられたことを理解すると、すぐさま彼は逃走を選択した。
協力して倒す選択肢は、彼にはなかった。
そうするには相手が悪すぎるし、あの少女が味方としても戦力としても信用できない。
助けてくれた少女の正体や目的は気になるが、ひとまず逃げるのが彼にとって安牌の選択肢だった。
しかしそうはさせまいと、呂剛虎が追う姿勢を見せる。
彼の標的はジロー・マーシャルだ。目の前の少女に構う必要はない。
それを阻むべく少女―――アサシンが動いた。
しかし、それは呂剛虎の釣りだった。
最初から彼の狙いはアサシン。
彼は一撃でアサシンを殺し、その後すぐにジロー・マーシャルを殺すつもりだった。
彼は自分を阻むように近付いてきたアサシンの喉元に、不意打ち気味の貫手を放つ。
だがアサシンはそれを読んでいたかのようにスルリと彼の貫手を回避すると、すれ違うようにナイフを彼の左脇腹に通した。
彼女のナイフは呂剛虎の服を裂き、そしてその下の肉を―――
―――裂くことはなかった。
ナイフは彼の服を切り裂いただけで、肉体に刃が通ることはなかった。
呂剛虎がアサシンを振り払うように腕を振るう。
常人であれば数メートル吹っ飛ぶないし、肉が抉られるであろう攻撃だ。
アサシンは呂剛虎から距離を取ってその攻撃を回避すると、すぐさまナイフを彼に投擲しながら接近する。
呂剛虎は一瞬怪訝な顔をしたが、彼は直感に従って触れられる前に距離を取った。
投擲されたナイフが彼の対物障壁に弾かれ、地面に落下する。彼は己の使用する魔法を情報強化の鋼気功から対物障壁の鋼気功へと変更していた。
また瞬時にアサシンが間合いを詰める姿勢を見せたが、既に呂剛虎は構えている。対物障壁へと魔法を変更しているのもあり、彼女は迂闊に飛び込めなくなっていた。
そんな膠着状態が何秒かほど経過すると、呂剛虎はその大柄な体型からは想像できないほどの俊敏さでその場から逃走した。
それをアサシンは追跡する。牽制として短刀を呂剛虎に投擲するが、全て彼の対物障壁によって弾き返される。
しばらくしてアサシンは足を止めた。
諦めたのではない。アサシンの方が足は速いので、追跡するのは簡単だ。
彼女が追うのを止めたのは、呂剛虎がジロー・マーシャルを捕捉していないことを察したからだ。
彼を捕捉していたのなら、呂剛虎の逃げるルートは目的地に向かうように直線的になる。しかし実際の彼が逃げるルートはグネグネと曲がっている。
まるで自分の追跡を撒きたいかのように。
「(時間稼ぎは充分。それに深追いして誘い込まれるのは危険)」
ジロー・マーシャルの生死には余り興味がない彼女は、助けたと言えるぐらいの義理は果たしたと判断し、そのまま追跡を中止した。
別に彼女はジロー・マーシャルの言葉を信じているわけではないのだ。彼女が欲しいのはジロー・マーシャルを助けたという結果だけだ。
いや、彼女はジロー・マーシャルの語る話に嘘があるとは考えていない。それは暗殺者としての経験であり、普段は自分に自信がない彼女も、間違っているとは思っていない。
尋問や拷問をする側、される側、両方の訓練を経験してきた彼女にも、そのぐらいの矜持は持ち合わせている。
「(マスター、付き纏っていた男を助けました。ただ彼を始末しにきた男を殺すには至りませんでした)」
「(そう、珍しいわね)」
「(すみません)」
「(謝らなくていいわ。どうせ相性が悪い敵だったんでしょう?)」
「(......はい)」
呂剛虎の展開していた鋼気功という魔法―――対物障壁は、確かにアサシンにとって相性が悪かった。
何故ならアサシンの毒は命あるものに対しては特大の神秘を発揮するが、命なきものには効果が薄いからだ。
「(触れ続けていれば......)」
あの対物障壁は突破できるだろう、そんな確信が彼女にはあったが、あの相手がそれを許すとも彼女は思えない。
「(まあ、お疲れ様。帰ってきなさい)」
「(はい)」
そう念話で返事をするアサシンの顔は、嬉しさを抑えきれていない。ただ労いの言葉を掛けられただけだが、それだけで彼女の胸の中は幸せに満ちていた。
「(見捨てなくて正解でした)」
アサシンは心の中で呟く。
あのとき見捨ててマスターに報告しなければ、こうはならなかっただろう。
そもそもジロー・マーシャルを見捨てたところで、彼女やマスターである愛歌に大した損はない。
マスターを守れればいいアサシンにとって、機密情報を守る者を助けたところで意味はないのだ。敵対することはないだろうが、助けたところで協力はできない。
それでも彼女が危険を冒してまでジロー・マーシャルという男を助けたのは、ひとえに自分のマスターである愛歌に褒めて貰いたかったからだ。
もっと言えば、彼女は居場所が欲しかった。捨てられたくなかった。
そのためだけに、彼女は愛歌を誘導してまでジロー・マーシャルを助けたのだ。
孤独だった彼女は、どうしようもないくらいに
役に立つから
役に立ちますから
役に立ってみせますから
だからどうか―――
―――わたしを捨てないでください。
「人間ではない?」
大亜連合軍特殊工作部隊隊長の陳祥山は、任務に失敗した呂剛虎からの報告に眉をひそめた。
「人形か?」
陳祥山の質問に、呂剛虎は首を横に振った。
あれは実体のあるものを操っている雰囲気ではなかった。寧ろ雰囲気的には仲間が使役している化生体に近い、彼はそう感じていた。
「なるほど」と陳祥山が呟く。
彼の顔は険しかった。
これからの作戦に支障が出ないか心配なのだ。不確定要素が増えるのは好ましくない。
しかし考えても仕方がないと、陳祥山は割り切ることにした。正体不明の相手一人に作戦を変更する時間はないからだ。
「呂上尉、次は勝て」
「是」
そう言って、呂剛虎は獰猛に笑う。
彼はもう一度あの少女と戦えば、九分九厘勝てると考えている。
あの少女のナイフでは、自身の対物障壁を越えられないからだ。ナイフを捨てて無手で接近してきたのは気になったが、おそらく接触型の呪いか何かだろう。ならば対物障壁の鋼気功で防げるし、そうでなくとも一瞬で殺せば触れていようが呪いも何もない。
彼はそう判断し、次は殺すと心に決めた。
こうして騒乱の幕が開けていく。
実は十文字先輩とも相性が悪い静謐ちゃん