沙条愛歌は転生者 作:フクロノリ
九校戦の四日目にある新人戦の女子バトル・ボード予選、その第二レースが行われるコースに、沙条愛歌の姿はあった。
彼女はコースのスタート位置で静かに試合開始の合図を待っており、その顔から不安そうな表情は全く見受けられない。
「うん?」
「どうしたの、
三校の一年生である
彼女たちが観客席に座っているのは、観戦と言うよりも敵情視察の面が強かった。
一校の一年生二大エース―――その一人が、この予選の第二レースに出場すると耳にした沓子が、いかほどの実力なのか、と気になって足を運んできたのだ。
その行動に、愛梨は付き合っていた。
最初はスピード・シューティングの予選に出場する一年の
その後も彼女から「心配しなくていい」「予選は個人戦だから問題ない」「その二大エースはスピード・シューティングに出場しない」などと言われてしまえば、流石の愛梨でも彼女の気遣いを無碍にはできなかった。
―――共に高みを目指している彼女が、こんなところで負ける筈がない。
彼女は、そう信じることにした。
「......」
「沓子?」
返事を返さず、黙って何かを見詰めている沓子に、愛梨の目から心配の色が浮かび始める。
そろそろコースの点検も終わり、予選第二レースが始まろうとしている時間帯、手持ち無沙汰で退屈だった沓子は、スタート位置でボードの上に立っている選手たちを何となく眺めていると、あることに気が付いてしまったのだ。
最初は勘違いだと思った彼女だが、どれだけ注意深く観察しても結果は変わらない。
勘違いの類ではないと、彼女は確信する。
「あやつ、CADを持っておらん」
沓子が“あやつ”と言っている人物が、一体誰を指しているのか、すぐに愛梨は理解した。
この敵情視察の目的であり、原因となった人物、二大エースの一人である―――沙条愛歌のことだ。
「確かに......CADを持っていないように見えるわね」
愛梨もしっかりと愛歌を観察するが、そのような物は確かに確認できなかった。
ボードには大会委員が指定する規格があり、試合開始前に大会委員から検査されるので、CADをボードに内蔵することはできない。
選手たちが着用しているウェットスーツでは、体や服のどこかに隠し持てるようなスペースはないし、呪符のようなCADの代わりとなる物も確認できない。
普通CADを忘れる筈がないし、忘れたとしても、すぐに気が付くレベルの忘れ物だ。一試合の準備時間が長いバトル・ボードなら、取りに戻れるだけの時間的余裕も多い。
それにCADを忘れたにしては、沙条愛歌の顔からは不安や焦りが全く見られない。
CADを忘れたとは、些か考え辛かった。
つまり―――
「ちょっと、待って!?もしかして彼女......」
答えに行き着いてしまった愛梨は、小さく叫び声を上げた。
彼女の叫び声が小さかったのは、叫び声を抑えられなかった彼女なりの意地だろう。
それほどの異常だった。
「ああ、多分そうじゃろう......」
沓子も愛梨と同じ答えに辿り着いたのだろう。
戦慄した様子の彼女が浮かべている苦笑いは、とてつもなく引きつっていた。
愛梨は未だ信じられない顔で呟いた。
「彼女、
この場合の彼女が言っているCADとは、感応石を使った魔法工学製品のことではなく、古式魔法に使われる呪符のような魔法具を含む、魔法の発動を補助する物全般を指していた。
愛梨の出した答えに、沓子は同意するように頷く。
彼女たちが驚きで固まっていると、間もなく第二レースが始まる、という旨のアナウンスが会場全体に響き渡った。
アナウンスで我に返った二人は、出場選手たちが集まっているスタート位置に視線と意識を集中させた。
すぐに試合開始へのカウントダウンが始まった。
観客の声が次第に小さくなっていき、会場全体が静まり返っていく。
―――そうして、遂に女子バトル・ボード予選の第二レースの火蓋が切られた。
「速い!」
「......」
愛梨が驚きの声を漏らし、沓子は真剣な表情でレースを見詰めていた。
試合は愛歌の独走状態だった。
完璧なスタートダッシュを決め、今も後続との差をどんどん広げている。
余りにも差が広がりすぎて、後続の選手たちが愛歌に対して妨害の魔法を発動しようにも、彼女の後ろ姿を視界に捉えられない。
達也や真由美のような『眼』を持っていない選手たちでは、視界外へと消えてしまった愛歌に、妨害の魔法を発動することは不可能だった。
遅延術式による罠を仕掛けるも、愛歌の『眼』で簡単に見破られてしまう。
その後も、愛歌と後続の選手たちとの距離が縮まることはなく、バトル・ボードの予選第二レースは、沙条愛歌の圧倒的な勝利で幕を下ろした。
「沓子、どう見る?」
「超能力か、それに迫れるスピードで発動できるぐらい『移動』に特化している魔法師......かのう」
「古式魔法の使い手という線は?」
九校戦の会場では、常にサイオン感知に優れている不正防止の大会委員が、コースだけでも十数人以上で監視しており、その監視網を掻い潜って不正を行うのは普通難しい。
だが、プシオンの感知に優れているわけではないので、霊的存在を扱う類の古式魔法であれば、不正を行えるかもしれない。
そのプシオン感知に秀でている沓子が何も言っていない以上、その可能性は低いと思いながら、愛梨はダメ元で聞いてみる。
「ないじゃろ。古式魔法の使い手なら、姿勢や歩き方で何となく判断できるからのう」
沓子は断言した。
幼い頃から色々な所作や心構えを教える古式魔法の家は多く、違いが大きい動作も存在するが、それよりも似た部分―――通ずる点の方が多いので、何となく判別できる古式魔法の使い手は多い。
系統や宗派、そして流派まで正確に判別できるほどではないが、これには沓子も自信アリだった。
彼女自身、かなり鍛えられていると自負しており、相手の背景を何となく察することができた。
そして彼女から見た沙条愛歌は、司波深雪や北山雫のような、良い家のご令嬢という雰囲気は、まるで感じ取れなかった。
いや寧ろ、そこらにいる一般人と大差ないとさえ、彼女は感じていた。
「(何とも不気味じゃな)」
凄いのに、凄味を感じない。
一般の人間からも優秀な魔法師が生まれることは、沓子も理解している。しかし、それを疑ってしまいたくなるほど、沙条愛歌の才能は余りにも突出しすぎている。
―――限度を超えている。
それを頭で理解していても、納得できる範囲を、許容できる範囲を超えてしまっている。
しかし沙条愛歌自身から、あれほど突出した才能を持ち得たことに納得できるだけの背景は、まるで感じ取れない。
それが、沓子には何ともチグハグで不気味に見えた。
「それで沓子、勝算はあるの?」
沙条愛歌が使った手段を考えても仕方がない、愛梨は思考を切り換えることにした。
そして彼女は、どう愛歌に対応していくつもりなのか、沓子に尋ねた。
「ボードが水面を走行しなければならない以上、どれだけ『移動』に特化していようと、わしが有利じゃ」
自信満々に沓子は言い切った。
彼女は怖じ気づくどころか、戦うのが待ち遠しそうな表情を浮かべており、どうやら彼女の戦意は失われていないようだった。
その様子を見た愛梨は、ホッと安堵の息を小さく吐いた。
「やはり圧倒的だね、愛歌は」
「う、うん......」
スバルの口から飛び出た感想に、ほのかは顔を青くして頷いた。
彼女たちは愛歌が出場する第二レースを、最初から最後まで観客席から観ていた。
そして、いずれは対戦するかもしれない相手である愛歌が、圧倒的な勝利を収めている姿を見て、ほのかは思わず萎縮していた。
「大丈夫さ、ほのか。君も練習してきたんだ」
ほのかの予選レースは午後からだ。つまり彼女は、まだ試合に出てすらいない。
この調子ではマズい、そう感じたスバルは、ほのかに励ましの言葉を掛ける。
「......そうだよね。達也さんが考えてくれた作戦もあるんだし、頑張らないと」
ひとまずスバルの言葉で、ほのかの顔色は若干だが良くなる。
ほのかとスバルの二人が観客席にいるのは、試合の観戦や愛歌の応援と言うよりも敵情視察の面が強かった。
この敵情視察は、ほのか一人でも問題なく行えるが、わざわざスバルは「付き合うよ」と言って、同行してきてくれたのだ。
ほのか自身、一人だけでは心細いと感じていたので、スバルからの同行の申し入れは、彼女にとって有り難かった。
そして、彼女たちが敵情視察をしていた相手は、三校の彼女たちと同じく、クラスメートである沙条愛歌だ。
いずれ戦う相手の試合を、彼女たちは目に焼き付けていた。
「それにしても、CADを使わない方が魔法を速く発動できるなんて、どうなってるんだろうね?」
「達也さんは、体質的な何かが原因なんじゃないかって言ってましたけど......」
愛歌がCADを所持せずに高速で魔法を発動している光景は、愛歌自身から予め目の前で実演されていたので、二人から特に驚きは見られなかった。
「体質か......便利そうだが、愛歌の処理速度ありきの力って感じだね。普通の魔法師じゃあ、CADのスピードに勝てるとは到底思えない」
「そうかもしれないけど......」
実際には、愛歌が持っている体質だ。スバルの言う仮定は、ほのかには慰めにならない。
更に、その魔法を発動するスピードも凄まじい速さだ。
その発動スピードの速さが、達也や他の技術スタッフが調整したCADを使うよりも速かったため、彼女に技術スタッフは不要だと判断されて、割り当てられていないぐらいだ。
「ほのか、そろそろスピード・シューティングの会場に戻らないか?流石にエイミィの予選試合は間に合いそうにないが、雫の予選試合なら間に合うかもしれない」
そう提案するスバルの顔は、良いものが見れた、と若干ながら満足気な表情をしており、その目からは闘志が見え隠れしている。
その様子を少し不思議に思ったほのかは、少し考えてみると、スバルと愛歌はクラウド・ボールで戦う可能性があることに思い当たった。
「(わたしに付き合ってくれたのって、スバルも愛歌の試合を観たかったから?)」
違う競技の試合だが、魔法力を把握するだけなら、どの競技でも関係ない。
可能性がない、とは言えなかった。
自分は敵情視察に付き合ってくれたスバルに、有り難いと思っていたが、実はスバルも渡りに船だったのではないか、そんな考えがほのかの脳裏をよぎる。
しかし、彼女にそんな思考を口に出せる勇気は持てず、ひっそりと胸に仕舞って、スピード・シューティングの会場に向かうべく、観客席から立ち上がった。
それから二人は、何とか雫が出場するスピード・シューティングの予選試合に間に合い、彼女の活躍を目にすることができた。
その活躍ぶりに奮起されたのか、その後のほのかの顔からは不安が消え失せ、バトル・ボードの予選試合を危なげなく突破した。
手加減しすぎると舐めプで、全力を出すと大人気ない
線引きが難しい