「さ、おいで。ゆーくん」
「つばめ先輩……」
良く我慢したね。とばかりに両手を広げ、全てを受け入れてくれそうな優しい瞳に誘われるがまま、石上はつばめの胸元に顔を埋めた。
制服越しでもハッキリと分かる2つの膨らみに大きな安心感と劣情を覚える。
そんな甘えん坊の肩に手を回し、抱きしめる様な体勢で頭をよしよし、と撫でてやる。
昼休みの校舎裏。それは愛し合うつがいの日課であった。
「何か辛い事あった?」
「生徒会室の空気が最悪なんですぅ、グスッ」
別にマジ泣きしている訳ではない。単なる雰囲気作りである。この方がお互いに盛り上がるから……というだけの理由だが、実際問題として最近の生徒会室は過去最悪に空気が悪かった。
まず、会長と副会長の公開イチャつき。これが1番の原因だと石上は考える。
もう誰がどう見ても好き合って付き合っている癖に、当人達はその関係性を頑なに認めない。なら、スキンシップは僕らの様に人目を憚れば良いのに…と、石上は思う。
あの2人を見ていると羨ましいやら、妬ましいやら、熱苦しいやら、腹立たしいやらで室内の空気が目に見えて悪くなる。彼女持ちの身ですら(あ、鬱だ。明日はつばめ先輩にとことん甘えよう)と考えてしまう程のストレス。
実際、独り身の書記と会計監査にはキッツイだろうなぁ。などと、本人達に知れたら間違いなくぶっころされそうな事を考える。
次に書記及び会計監査に向けられる視線がキッツイ。時折、汚物を見るかの如し視線で射抜かれる。会長監査に関しては、昼休み後から急激に機嫌が悪くなる。つまり、この後から明日までずっと不機嫌になる訳で…。一体、自分が何をしたと言うのか?午後からの授業だって代わりにノートを取ってやると言うのに……。
(やっぱり僕から会長達にビシッと言って欲しいって事なのか?確かに伊井野は後から生徒会に入ってる分、面と向かっては言いづらいのかも知れないな)
しかし、石上は傍迷惑な先輩達に対して苦言を呈す気にはなれなかった。まずかぐやが怖い。会長との仲を妨害などした日には玩具では済まないだろう。石上は今、命が惜しかった。加えて、石上はかぐやに恩義を感じている。
奇跡的につばめとの交際をスタート出来たのは『かぐや』のおかげ。石上はそう感じていた。
◆◆◆
『ところであなた、新体操についてどの程度知識があるのかしら?』
「え?新体操ですか?………。さあ?全然、知らないです。あーでも文化祭で見たつばめ先輩の演劇はとても素敵でした。あれこそが芸術なんでしょうね」
『はぁ、何故あなたはそう愚図なのでしょう』
「酷い暴言だ……」
『お黙りなさい。良いですか?惚れた女が熱心に取り組んでいる活動なのですよ?交際したいと思っている癖にろくに調べもしないだなんてあなたやる気はあるの?そんな調子では今世はもう絶望的ですね』
朝から嫌な夢を見たものだ……。その日、石上の寝覚めは最悪だった。いつも見る夢とは違って、やけに鮮明でくっきりはっきりリアルな質感のある夢だった。
けれども夢は夢……。所詮は夢だが…。
(今日は帰りに本屋寄るか……)
その日は会計の仕事を切り上げて早目に帰宅した。
『あなた、わたしを馬鹿にしているでしょ?』
「一体、何の話です?急にそんな」
『では、あなた。今日は学校から帰った後、家でナニをしていたのか言ってみなさい』
「何って……。新体操について色々と調べてたんじゃないですか。四宮先輩がそうしろって言うから」
『そうですね、確かに私が言いました。だけどね、あなた……』
「そんな睨まないで下さいよ。只でさえ怖いんですから」
『-素人超柔軟ボディ愛され軟体ポーズ-だとか、-硬度0!!超軟体スネークボディ-だとか、-最高軟度技!!しゃちほこ-だとか、そんな卑猥なモノを調べろとは一言も言っていないわ』
「な、何故、四宮先輩がそれを……!?」
『私にはなんだってお見通しなのよ。そう、例えばあなたの運命だってね』
「僕の…運命?」
『あなた、今月中に彼女を落とせなければ、地獄に落ちるわよ?』
「またまたそんな……。インチキ占い師じゃあるまいし」
『信じるか信じないかはあなた次第だけどね…私は一度やると言った事は、必ず成し遂げる女よ?どんな手段を使ってでもね』
「…僕に何する気ですか?」
『弑し奉るわ』
「意味はわからないけど、とにかく凄い恐怖を感じる」
『安心なさい。地獄に落ちても私が仲良くしてあげますから。くすくすくすくす』
怖っ!!もうダメだぁ〜〜僕みたいなダメな子は黒髪貧乳おばさんに仕舞われちゃうんだぁ〜
いや違う、違うんです。最初は言われた通り、真面目に調べていたんです。
本屋で買った本も健全極まる書物でした。だけど、読んでるうちにつばめ先輩のレオタード姿を想像してしまって……気付いたらパソコンの画面を開いてしまっただけなんです。
そこには決して、やましい気持ちや後ろめたい気持ちは無いんです。
もう夢から醒めた後だと言うのに、石上は何かに対して言い訳をしていた。
-そして、また明くる日。
『今日は真面目にやっていたみたいね。なんだかんだ言ってあなたも命は惜しいのね』
「最後に苦しいのは嫌なので……」
『なるほど。では、あなたの最期は一思いにあっさりと楽にして差しあげますね。苦しみは一瞬です。その後はあらゆる苦しみから解放されて、とても清々しい気分になりますよ』
「だから怖いですってば」
『ほんの冗談です。あなたがそうして真摯に取り組むのなら、私は力になってあげるのですから』
「四宮先輩……」
『煩悩は結ばれてからになさい。ふふ。けれど目の前であんな可笑しなポーズを取られたら流石に笑ってしまうわ。あんな不自然な体勢で出来るものなのかしらね?』
「知りませんよ。というか、いつの間に四宮先輩の前でやる事になったんですか?ド変態じゃないですか!!人に見せる趣味はないです」
『是非、そう願いたいものね。それで、あなた新体操の事を少しは分かったのかしら?』
「はい。まず男子と女子では種目が違うんですね。僕は新体操と言うと宙返りなんかのアクロバティックなイメージが強かったんですが、女子の種目には無いそうです。男子は力強くダイナミックに、女子は柔軟で華麗な演技が基本だそうです」
『そうね。それで?』
「つまり-アクロバットシリーズ-はフィクションで所詮は創作。作り話で現実には無いって事です」
『ふぅん。駄賃は六文銭で良いわね?これまでご苦労様』
「だから怖いですって!!ちょっとした冗談じゃないですか。というか、四宮先輩につられただけなのに酷い」
『では、明日の夜テストをしましょうか』
「はい?」
『私が彼女役をしてあげますから、あなたは本気で口説き落としてみなさい。まあ、ちょっとした茶番ですよ』
「……わかりました。僕、真剣で落としに掛かりますからね」
『あら?情熱的ね。そうそう、その真剣な眼差しはとても素敵よ。期待しているわ』
-そして、また陽は昇る。それから……。
「今日も同じ夢だ。やっぱり呪いか何かなのかな?」
『失礼ね。こんなにも親切な先輩の慈悲を呪い扱いするなんて。それより準備は出来ているのかしら?』
「はい。ちゃんと考えてきました」
『では。……コホン。-あなたの好意は嬉しいけど、私はあなたと付き合えないわ』
「理由を聞いても良いですか?」
『あなたを愛してない訳じゃあないの。だけど私は諦められない。二足のわらじを履ける程、器用じゃないから……。あなたと付き合ってしまったら、きっとあなたの事しか考えられなくなる。だから、このままお別れしましょう。高校の頃に好きだった、可愛い後輩の事を私は一生忘れないから』
「僕は先輩の支えになれませんか?」
『え?』
「新体操は見る人を惹きつける美しさがあります。それは美しい姿勢という外面はもちろんのこと、内面の美しさの両面から生まれるものです。僕はこの先もずっと先輩の美しさに惹かれていたい。僕の愛は先輩がより綺麗に美しくなる為の支えにはなりませんか?」
『本当に良いの?部活が忙しくてあまりデートも出来ないかも。彼女らしい事もあまりしてあげられないかも。構ってあげられないかも…。それでも良いの?』
「望むところですよ。発表会も体育大会も必ず応援に行きます。デートなんて出来なくても良いんです。レッスンが休みの日には2人で柔軟の基礎ストレッチをしましょう。楽しい事は2倍に苦しい事は半分に。僕は先輩とそんな関係になりたいです」
『……。はいストップ。駄目ね。全然、駄目』
「えーマジすか……。僕なりに精一杯、考えたんだけどなぁ〜。どの辺りがダメですか?」
『途中までは、まあ及第点をあげても良いわ。かなり大目に見てね。……けど、最後が駄目』
「なんでなんすか?」
『白々しい!!ストレッチとかマッサージとかに託けて、乙女の柔肌に触れたいと言うあなたの邪な願望が透けて見えるのよ。あなた、ここぞとばかりに全身を隈なく隅から隅まで、その柔らかな肢体の感触を堪能するつもりなのでしょう!?なんたる破廉恥。なんたる浅ましさ。その性欲に爛れた視線で私を見ないでちょうだい!!この助平』
「ほぼ言い掛かりじゃないですか……。僕はそんな事、全然考えてませんでしたよ。スケベは先輩の方でしょ」
『煩いわね。末代まで祟るわよ?ともかく明日から毎日、特訓するから。そのつもりで』
「え……?あ、ちょ…」
なんて日だ……。目覚めた石上は青ざめる。セットしたアラームが鳴っていない。遅刻だ…。
このところ毎日、変な夢を見るし、マジで呪われているかも知れない…。
(はぁ、朝飯は抜きだな)
今は余計な事を考えている暇は無い。一刻一秒が惜しい。その日はそんな朝であった。
◆◆◆
(あれ?こんなところで何をしてるんだろう?)
昼休みの校舎裏。-滅多に人が来ない所なんで-の、筈である。
実際、石上とて貴重な昼休みの時間を割いてまで、わざわざこんな寂しい場所に来たくは無かった。
『明日の昼休みは校舎裏へ行きなさい。必ず行くように。良いわね?』
最近、毎日見る変な夢。そろそろ病院で詳しく診て貰おうかどうか、真剣に検討している。
『渡り鳥の生態について勉強なさい』
『地球温暖化について勉強なさい』
『有酸素運動について勉強なさい』
『体幹トレーニングについて勉強なさい』
等々、ここ最近は『夢』で言い渡された課題をこなし続ける日々を過ごす石上であった。
(これで何か酷い目にあったら絶対に病院へ行こう。何かあってからじゃ遅いもんな……)
そう固く決意した石上を待っていたのは、憧れの先輩だった。こちらに背を向け校舎を眺めている想い人は何に耽っているのだろうか?かなり近くまで歩を進めたが、気付く様子がない。
「つばめ先輩、どうしたんですか?こんな場所で」
「優くん!?あービックリしたよ〜〜」
ビクンッと跳ねる様に振り返り、つばめはいつもの笑顔で応えた。けれど、今日は少しだけ元気が無い様に見える。
「すみません。驚かせてしまって」
「いいの、いいの。それより、私がここで何をしてたか知りたい?」
「えぇ。何かあったんですか?」
「ううん、何も。強いて言うなら……ここで待ってれば、優くんが来てくれそうな気がしたから……かな?」
「え!?」
ドキリとした。このドキドキは恋の動悸だったのか、はたまた別の何かだったのか…石上はそれを深く考えなかったが、ともかく心臓が跳ねる様な思いには違いない。
「なんてね。冗談だよー。ねぇ、立ちっぱもなんだから、あそこに座ろっか」
この場所は、かつて2人で花見の約束をした場所だ。
「失礼します」
「んー。何でそんなに遠いのー?じゃあ、私から距離詰めちゃお」
よいしょと。って、こんなに近くに座られると緊張しちゃうじゃないか……。だからと言って本人を目の前に「クラクラするので離れて貰えませんか?」などと言える筈も無い。
何か話をしないと間が持たない。本当に不思議な事だが、こんな時の練習はしていた。ここ数日の間。
(聞いてない!!こんなに良い匂いがするなんて聞いてないぞ!!)
クリスマスイブに一度は体験している筈だが、免疫はまるでついていなかった。
「ほら、私はもうすぐ卒業しちゃうから…。だから3年間お世話になった、この校舎を目に焼き付けておこうかなーなんてね。らしくないかな?」
「そんな事は無いですよ。もうすぐ、つばめ先輩が卒業するんだって思ったら……。僕も寂しいですから」
そうだ、もう卒業なんだ。あと2ヶ月もない。去年交わした花見の約束をつばめ先輩は覚えてくれているだろうか?
「うん。それでさ……、ぼんやり校舎を見てたら見つけちゃてさ。ほら、あの蛍光灯のところに……」
振り向いたつばめが指指す先には、野鳥の巣があった。野鳥の姿は無く、もぬけの殻である。時期が時期だ。今頃は南国で暖かく過ごしているのだろう。
「燕……ですね」
形状やサイズから言って間違いないだろう。呼び捨てにしたみたいで、なんだかむず痒い気持ちになる。
「ねぇ、優くんは知ってる?燕はね、雛を育てている間に親鳥のうちどちらか一方が何かの理由で欠けちゃうと、つがい外のツバメがやってきて育てている雛を巣から落としちゃうんだって……」
なるほど、合点がいった。心優しい先輩は空になった巣に感情移入をして、ややセンチな気分になっている様だ。
そういう事なら是非も無い。僕が慰めてあげないと。石上は付け焼き刃の知識を披露する。
「確かにそういった行動が観察される例はあるそうですね。自然は厳しいですから。でも、先輩は知ってますか?つがいのうちメスが欠けた場合はどこからともなく複数の他のツバメが集まり、その中から選ばれたように一羽ツバメが新たなつがい相手となって子育てを継続する様子も観察されているんです。厳しい自然界であっても優しい鳥なんですよ、燕は」
これはイケたろ。嫌々でも野鳥の生態を勉強しておいて良かった。得意げに話した石上は一瞬のうちに後悔した。
「うぅ……ぐす」
つばめは泣き出してしまった。あまりに急な事で石上も動揺を隠せない。
(え、なんで?痛かった……?僕の格好付けた台詞が泣く程、恥ずかしいやつだった?)
「やだ。ヤダよ、ゆーくん。私、卒業なんかしたくない!!私が卒業した後で、ゆーくんが他の女の子と好き同士になるなんてヤダ。もうそんな惨めな思いをしたくないから!!だから好きになりたくなかったのに。だから綺麗な想い出のまま、ゆーくんとお別れしたかったのに、なのに……ねぇ、責任取ってよ!!!ゆーくんのバカ!!」
すみません、四宮先輩。せっかく色々『夢』で教えてくれたのに、やっぱり僕はうまくやれないみたいです。先輩の期待に応えられず、本当にすみません。今度また謝ります。
(だけど、このまま女の子を泣かせたままにして良いのか?男だろ!?石上優!!しっかりしろよお前!!そんな用意して来た言葉じゃなくて自分の言葉でぶつかってフラれろよ!!)
怖くても戦える奴に僕はなりたい。2度も同じ相手に拒絶されるのは怖い。けど、良いんだ。僕のこの胸の痛みなんかは、とてもちっぽけなものなのだから。
◆◆◆
『やっぱりあの子が適任だよね。僕は王道が好きだよ』
『そうね。そして、その王道を成した立役者の事を忘れてはいけないわ。決して』
『……ねえ』
『なによ』
『全然、駄目だったじゃないか。彼は自分の力でどうにか乗り越えたけれど、最後まで君の指示通りにやっていたら轟沈してたよ』
『馬鹿ね。あたしはちゃんと、こうなるだろうって予想をしていたわ。計算通りよ』
『君って時々、しょーもない嘘を吐くよね』
『何を根拠にそんな事を言うの?』
『言ったじゃないか、君のことはなんだってわかるって』
『……。だって、仕方がないじゃない。あの子の運が良くないのが悪いのよ。普通、あそこまで的確に人の心を傷付ける言葉は出せないわ。しかも無意識だって言うのだから本当に怖いわね』
『まあ、運は無いよねあの子。君が付きっ切りになるのも仕方がないのかな?』
『あら?あらあらあら。そう、ふふっ。なぁんだ、そう言う事……』
『なに?』
『妬いているのね。いつになく突っかかってくるものだから君らしくないな、と思っていたけれど。あんな可愛い後輩に対してやきもちだなんて、凄く君らしいわ』
『妬いてなんかいないさ。元々、僕が君に頼んだ事だ』
『そうね。君じゃこの役は出来ないものね』
『そうだね。僕は誰にも似ていないから』
『言うまでもない事だけれど、あたしは君の頼みだからこそ真剣にやっているのよ。確かに可愛いらしい後輩達だけれど、あたしは皆の名前すら分からないんだから』
『まあ……、そうだね。僕もそうさ』
『だから機嫌を直してよ。あたしには君しか居ないのだから』
『僕だってそうさ』
その後、石上優が不思議な夢を見る事はあまり無かった。
番外編は守護霊達の活躍により因果律が捻じ曲がっています。
守護霊ルールその1
『七不思議に関わりのない人間には干渉出来ない』