天才兎に捧ぐファレノプシス   作:駄文書きの道化

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第1章 目覚める夢
Prologue


「やぁ」

 

 

 声をかけて来たのは何者かだった。逞しい男のようで、華奢な女のよう。狡猾な老人のようで、無邪気な子供。まるで印象がはっきりとしない。

 自分はただ声を聞く事しか出来ない。しかし奇妙だ。声は聞こえているのに、自分がここにいる事を認識しているのに身体を自由に動かす事が出来ない。いや、そもそも肉体があるのかさえわからない。

 声を聞いているこの状況にどうして陥ったのかもわからない。何もかもがわからず、動けず、声を聞く事しか出来ない。なのに不思議と恐怖を感じる事はなかった。まるでそうである事が当たり前のようにさえ思える。

 

 

「随分と落ち着いているね。いいや、落ち着いているんじゃない。抜け落ちたのさ。元からそうだったのか、死んだ際に落としてきてしまったのか、それは定かではないがね」

 

 

 死んだ。投げかけられた言葉に酷く納得した。あぁ、死んでしまったのなら身体が動かないのも仕方がない。そもそも肉体なんてものはもう無くて、今ここにいる自分は所謂、魂という奴なのではないか、と。

 抜け落ちた、という言葉には確かにそうなのだろう。死んだ、と実感してこんなにも落ち着いているなんて普通じゃ考えられない。まぁ、元から淡泊な奴だったのかもしれないけれども。

 あぁ、ダメだ。記憶が蘇ってこない。記憶が保存されるのは脳だから魂には記憶なんて残らないのかもしれない。なら自分は誰だ。わからないのに自分が自分と認識出来ているのは魂が自分のものだからなのか。記憶なんて無くても自分の魂は自分でしかないのだろうか。

 ぐるぐる、思考は目まぐるしく巡っていく。答えが出ないなんて理解しながらも考えられずにはいられなかった。何もしなければ自分は自分である証を失う。だから考える。それが唯一出来る事だから。

 

 

「面白い。君は面白い。ユニーク、とでも言えば良いかな?」

 

 

 相変わらず声は楽しげに語りかけてきている。正直ありがたい。身体も動かせない、自分が誰だったのかも思い出せない。穴抜けの自分自身を認識してしまえばどうしようもなく喪失感が苦しい。

 だからこそ語りかけてくる声はどんな声でも良かった。笑っているのは自分の状態を嘲笑っているだけなのか、それとも好意的に思ってくれているのか。いや、どうでも良いか。死んでしまったのだ。ならば語りかけて貰えるだけありがたいというものだ。

 ところで、話しかけてきているのは一体誰なんだろうか。自分が死んだというのならば死神とでも話しているのだろうか。それとも閻魔様なのだろうか。はてさて、貴方は一体何なのか教えて貰っても?

 

 

「好きに呼べば良いさ。名が何であれ本質は変わらない。君が君であるように。我もまた我。神、閻魔、死神、運命、どんな名前でも良い。君という存在の概念的に一つ上の存在だと思ってくれれば良い。

 さて、さて。こんな風に無為に言葉を交わすのも一興だが、それは出来ない。喜べ、君は新たな未来を手にする。死んでしまった君には新しい未来をあげよう。君は転生するんだよ。新しい世界で、新しい人生を。どうだい? 愉快だろう? 何故ならばこれは君が望んでいた事だ」

 

 

 自分が自分である為のパーツ。目の前に提示されたパーツに食いつかない筈がない。真実かどうかなんて知らない。どうせ何もないんだ。なら反射的にでも良い。考えても無意味ならば直感を信じて動いて何が悪い。

 だからくれるというならば貰おう。新しい未来だかなんだか知らないが貰えるというのなら貰ってやろう。自分が自分である為に。だから拒む理由なんてない。むしろ望むところだと叫びたい程だった。

 

 

「良い返しだ。迷いがない。そう君は死んだ。覆せない事実だ。真実もわからない。そもそも君が本当にいたのかなんて君には証明出来ない。しかし君は君である。

 だからこそ我は示そう。君は現実を愛していなかった。想像を愛した。誰かの想像を。現実なんて君にとって一欠片の価値がなかった。

 いいや、親、友人、世界、どれにも君は価値も思い入れもあっただろう。だが1つだけ。可能であれば全てを投げ捨ててしまう程に望む願いがあった。

 叶えてあげるよ。君の死という代価を引き替えに、君に望む現実<リアル>を与えてあげよう。

 さぁ、見せておくれ。踊っておくれ。我の娯楽の為に。君が君である為の物語を」

 

 

 

 

 

 ―――君の物語に幸があらん事を。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「胸くそ悪いなぁ」

 

 

 硬質の床を叩く靴の音には苛立ちが募っていた。苛立たしげに歩くのは女性。身に纏うのはまるで不思議な国のアリスのようなドレス。頭の上には兎の耳を模したような髪飾りがつけられている。

 浮かべる表情は笑みであったが、目はまったく笑っていなかった。苛立ちが消えないまま女性は進む。奥へ、奥へと進んでいき、そして女性は遂に足を止めた。

 そこには薄暗い闇が広がっている。その闇の中にある光源、それはポッドだった。筒状のポッドの大きさは人がまるまる入る大きさだ。ライトの色の為か、青色に見えるポッドの液体の中には一人の子供が揺らめいていた。

 口には呼吸器が付けられている。それ以外にも無数のコードが全身につけられていて、まるでモルモットのようだ。

 いや、正しくこの子供はモルモットなのだ。それが女性の心を掻き乱す。噛みしめた歯からは軋む音が立つ。笑みを消して、忌々しげに子供を睨み付けるように見た後、傍にあったコンソールへと近づく。

 

 

「廃棄予定の実験体、ね。ここに置いてけぼりにされた、って訳ね」

 

 

 ふぅん、と。女性は呟きの後、苛立たしげにモニターを殴りつける。流石に砕けるなどと言う事はないが、相当に鈍い音が響いた事から女性の怒りの度合いを察する事が出来るだろう。

 

 

「……巫山戯た真似をする。絶対に見つけ出して報復してやる」

 

 

 呟き、女性は一つ溜息を吐いた。再びコンソールに指を踊らせる。それが何かのコマンドだったのだろう、鈍い機械音を立てて子供が収められているポッドの液体が排出され、中に入っていた子供が解放される。

 液体に濡れた髪の色は黒。顔立ちは東洋人のもの。その子供の顔はとても見慣れた顔によく似ていて女性は苛立ちを隠せなかった。どこから取り出したのか、虚空からバスタオルを出して子供に繋がれたコードを外しながら濡れた身体を拭う。

 ぼんやりとしていた子供の視線が女性へと向けられた。視線を向けられた事で女性もようやく子供が自分を見ている事に気付いて顔を上げた。

 

 

「……篠ノ之 束……」

 

 

 子供の口から紡がれた名に女性は、篠ノ之 束は笑みを浮かべて子供に向き合う。まるで親しい者に笑いかけるように、束は明るく無邪気に振る舞った。

 

 

「そうだよ。束さんだよ。君を助けに来たんだ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 懐かしい夢を見ていた。束が目を開いてみれば見慣れた天井が見えた。

 ふと鼻をつついたのは香ばしい匂い。匂いにつられて残っていた眠気はどこかへと去ってしまった。布団を剥ぎ取って身を起こそうとして……やはり止める。再び布団を被って瞳を閉じる。

 香りは食欲を促進させてくる。涎が抑えきれず、零れそうになるのを飲み下しながら束は待ち続ける。気分としては鼻歌を歌いたいが寝たふりをしているのでそれも出来ない。

 一体どれだけ待っただろうか。束に寄ってくる存在がいた。束は身動きをせず、眠ったふりを続ける。

 

 

「束、起きて」

 

 

 かけられた声は男の子のものだ。束の被っている布団を揺らしながらだったが、反応が無ければどこか呆れたように溜息を吐く。

 束、と。呼びかけた声は今度は束の耳元で囁かれた。ぞくり、と束が身を震わせるのと同時に耳に息を吹きかけられた。声によって震わされていた身体は堪えきれずに声を挙げた。

 

 

「うひゃぁ!?」

「もう……。狸寝入りなんてしてると冷めちゃうよ?」

「うー、もっと起こし方ってものがあるでしょ?」

「普通にやっても起きないでしょ?」

 

 

 ばれた? とぺろりと舌を出して束は身を起こす。もう一度、子供は呆れたように溜息を吐く。暫くジト目で束を見ていたが、すぐに表情を柔らかく緩ませて笑みを浮かべる。

 

 

「おはよ。束」

「おはよ。ハル」

 

 

 ハグハグ、と束は嬉しそうにハルと呼んだ子供に顔を寄せ、腕を伸ばして抱きしめる。

 ハル、それは束が保護した子供だった。彼は束に抱きしめられれば、抱きつき返すように腕を伸ばす。ハルの体温と息遣いを感じながら束は満足げに笑みを浮かべた。

 

 

「束、ご飯冷める」

「んー、もうちょっとー」

「暖かい内に食べて欲しいな。折角束の手が空いてるんだから」

「んー、わかったよ! ハル、ご飯食べよ!」

 

 

 束の背中を軽く叩いてハルは言う。ハルのお願いに束は勢いよくハルを抱き抱えて立ち上がる。お姫様抱っこの形で抱き上げられたハルはどこか不満げな表情だったが、文句を言うことはなかった。

 二人が向かった先には二人分の朝食が用意されていた。献立は和食。ほかほかの白米に味噌汁、たくあんに鮭の塩焼きが並べられている。二人は向かい合うように席に着いて手を合わせる。

 

 

「いただきまーす!」

「はい、召し上がれ」

 

 

 束は大きな声で両手を合わせながら言い、すぐさまご飯にがっつく。そんな束の様子に微笑ましそうにハルは微笑みながら自身も食事を口に運ぶ。

 まずは白米を口に含む。ご飯の具合は束が好きな案配だ。水っぽくなく、かといって固すぎず。ふわふわと口の中で踊る白米は甘さすら感じられた。何度かご飯を噛んだ後は鮭の塩焼きを一切れ、口に運ぶ。

 少し強めの塩加減がご飯を進ませる。ご飯を進めさせるのは鮭だけではない。たくあんもまたそのさっぱりとした味付けが鮭とはまた別にご飯をの味を楽しませてくれる。あぁ、箸が止まらない。

 ほっ、と一息をつける味噌汁の味も優しく、束は笑みを浮かべて食事を進めていく。いつの間にか白米が無くなっていた事に気付き、ハルに向けて束は茶碗を差し出した。

 

 

「おかわり!」

「はい、たくさん召し上がれ」

 

 

 茶碗を差し出されたハルは嬉しそうに白米をよそって束に渡す。おかわりした白米とおかずを交互に食べながら束の食事は軽快に進んでいく。

 すぐにご飯もおかずも消えていき、最後に味噌汁の一口を飲み干して束は満足げにお腹をさすった。

 

 

「ごちそうさま! おいしかった!」

「お粗末様でした。はい、食後のお茶だよ」

 

 

 急須から注がれたお茶を渡され、束はお茶を啜る。ほぅ、と一息吐いて束は目を細めた。

 

 

「いやぁ、ハルは本当に料理がうまくなったねぇ」

「そうかな? 自分じゃよくわからないけど、束が喜んでくれるなら嬉しいよ」

 

 

 自分の分のお茶を注ぎながらハルは笑みを浮かべて束に返す。そんな姿を見ながら束は愛おしそうにハルを見つめた。

 束がハルを見つけた切欠は唐突に自分のパソコンに宛先不明のメールが送られた事から始まる。唐突に送られたメールに束は驚いたものだ。どうやって束の下へメールを届けたのか? 相手もわからない、手段もわからない。まるで不可解なメールに束は当初、信じられない思いでいっぱいだった。

 自分が世界において最高峰の頭脳を持つ事を束は自負している。自ら開発したパワードスーツ、IS<インフィニット・ストラトス>の事は勿論の事、自らのスペックは凡俗になど決して劣らない事を自覚している。

 彼女の開発したISは女性しか扱えないという欠点を抱えてはいたものの、ありとあらゆる兵器を超越する性能を秘めていた。束はそれを当然の結果だと受け止めているし、今もISの研究が進む中、束だけは一歩先を行っているのもまた事実だ。

 何から何を一人でこなせる天才。故にそんな自分の防壁を抜け、自身の場所を探り当てて届けられたメールに警戒をするな、という方が無理な話だろう。そして束は興味本位で届いたメールを目にして、怒りに怒り狂った。

 

 

 ――“織斑千冬の遺伝子を使用した実験体の結果報告について”

 

 

 それが束の下に届けられた情報の全てだった。

 束には親友がいる。その親友の名こそ織斑 千冬だ。自分と同じ天才側の人間であり、世界最強のIS乗りとして今も世界に名を響かせている束の大親友だ。

 故に許せなかった。そんな親友の遺伝子を使い、クローンを生み出して実験を行っているという外道共の所行を。メールの情報の裏を取れば、今も尚この研究が進められている事がわかり、怒りが促進されたのは言うまでもないだろう。

 そして千冬のクローンを実験に使った組織の足取りを追っている中、ハルを見つけたのだ。

 ハルは織斑 千冬の遺伝子を使って生み出されたクローンだったが、男として生まれてしまった為に廃棄予定だった。それが何の因果か、生体ポッドに入れられたまま放置されていたのを束が発見したのだ。

 何故ハルだけが残っていたのか? ハルだけ残して施設が放置されていたのかは束にもわからない。束が追っていた組織は行方を眩ませてしまったからだ。まるでその存在が無かったかのように。

 自身にすら追えなかった組織に怒りと苛立ちと僅かばかりの疑念を抱いていた束だったが、ハルを引き取って育てる内に消えていってしまった。

 ハルの状態は酷いものだった。廃棄する予定だった為か、かなり身体を弄くられていた。それが奇跡のようなバランスで保たれていたのだから束も逆に感心した程であった。

 投薬は当たり前。脳に知識を直接転写する実験や、成長促進剤のテストベット。上げればキリがない程に外道の手を尽くされたハルはまともな精神を持っている筈が無かった。

 事実、束が引き取ってから暫くハルの反応は機械的であった。転写された知識があったのか、束を認識してからは束に付き従う人形のようだった。まるでそれしか知らない、と言うようなハルが不憫に思えて、束は彼を弟のように扱った。

 ハルは千冬の遺伝子から生み出された為に千冬に似ているのは勿論だったが、千冬の弟である一夏を思い起こさせたのが束にハルを引き取ろうと思わせた要因だった。

 実際は束の知る二人とは似ても似つかない子になってしまったのだが。多種多様の知識を詰め込まれた際に人格をコントロールする為のテストベッドにされていたのも確認している。それが原因だろうと束は推測している。

 ハルは大人しく甲斐甲斐しい男の子となっていた。いつの間にか電子端末を使ってレシピを検索し、食事を作れるようになっていたし、身の回りの掃除や世話を自主的にこなしてくれるようになった。

 束はISを発表し、その性能を世に晒した“白騎士事件”以降、自分の名を轟かせて世界から畏怖の念を集め続けていた。だがある日、思い立ったように世界から姿を消して逃亡生活を続けていた。束とて望んだ状況ではなかったが致し方なかった。

 愛おしい人たちと別れて過ごす孤独の時間は寂しくもあった。研究を気兼ねなく出来るのは美点だが、愛おしい人たちと気軽に顔を合わせられないのは苦痛であった。

 それがハルを保護してから変わった。ハルは決して束に何かを望む事はない。望んだとしても束の為に何かをしたいが為だ。甲斐甲斐しく尽くそうとしてくれるハルに束は愛おしさを感じていた。

 

 

「……束? どうかした?」

「んーん。何でもないよ?」

 

 

 ハル。それが束が彼に贈った名前。千冬、一夏という名前から連想して春。そして束の孤独を晴らしてくれたというお礼を篭めて晴。二つの意味を込めてハル。

 自分が救って、自分を救ってくれた大事な子。だから束はハルを愛している。彼は自分を一心に愛してくれる愛し子なのだから。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 目が覚めた時、目の前には一人の女性がいた。濡れていた身体をタオルで優しく拭ってくれた女性を自分は知っていた。

 篠ノ之 束。世界にISという兵器をもたらし、世界を変革させた人。世界が認める天才で、自分の興味・好意がある人間以外は路傍の石も同然に扱う。“記憶”からわかったのは世界に対してのトリックスターとも言えた彼女の経歴。

 無邪気に振る舞い、世界への不満を示唆しながら己がままに振る舞う姿にどうしようもなく惹かれていた。そんな彼女が目の前で動き、話し、自分に触れているという現実を暫し、信じる事が出来なかった。

 流されるままに日々を過ごし、現実をようやく認識出来た頃、自分は歓喜に打ち震えた。篠ノ之 束に憧れ、尊敬し、恋い焦がれていたから。もしも傍に行く事が出来たなら彼女にとって特別な存在で見られたいと願っていた。

 それが自分がこの世界に生きる切欠となり、今もなお原動力として息づいているもの。自分の存在がなんであろうと構わないとさえ思える程、重要な事。

 わかっている。自分がここにいるのは何者かに与えられた“未来”というものなんだろうと。だがそんな事はどうでも良い。目の前に愛おしい人がいるという事実があれば何でも良い。

 

 

「束」

 

 

 呼べばそこにいる愛おしい人。振り向いて、抱きしめてくれる。

 それが堪らなく嬉しい。だから彼女の為に全てを使おう。与えられただろう境遇も、力も、意思も。全ては彼女の為に用意されたものだ。

 担うのは自分。原動力は彼女へ捧げた親愛。迷う事なんてない。止まる必要もない。ただ全てを彼女の為に使う。それがこの世界に自分が生まれた意味だろうから。そう信じて今日も生きていく。

 

 

 

 


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