Interlude “無限なる疾風” 前編
「――以上となります。如何でしょうか?」
問いを投げた声はクロエのものだ。淡々と説明を終えたクロエに相対する男は息を詰まらせた。彼等がいる場所は高層ビルのオフィス。高級感が溢れる執務机。その上で組まれた男の手に汗が滲む。
男は交渉に臨んでいた。それも一世一代の大勝負。ここでしくじれば自分の人生はおろか、彼が抱える企業は真っ暗闇に転落するだろう。故に、緊張に息を呑んだ。決して動揺を悟られてはいけないとポーカーフェイスを決め込む。
「君達の要求は理解した。だが……」
「だが? ねぇ、ちょっと勘違いしてないかな?」
遮るように冷ややかな言葉が割って入る。男の緊張感が最大限に引き上げられる。遂に動いたか、と男は唾を飲み込む。会話を遮ったのは、相変わらず独特な服装に身を包んだ束だった。今にも射殺さんばかりに男を睨み付けながら束は腕を組んだ。
そんな束を宥めるように前に出たのはハルだった。長く伸ばした髪を三つ編みで1つに纏め、サングラスで顔を隠している。ハルは束の名を呼んで下がらせる。ハルに言われれば渋々と言わんばかりに束は下がった。
場の空気を整える為にわざとらしい咳払いをして、口元にだけ笑みを浮かべるハルに男は身を強張らせる。明らかに空々しいとわかる笑みだったからだ。
「失礼。これは交渉であって交渉じゃありません。貴方は私達の要求にYESと返答なさるだけでよろしいのです。それ以上もなく、それ以下も無い。ご理解いただけますでしょうか?」
「横暴な……!」
「えぇ横暴ですとも。ですが我等の提案にはそれだけの価値がある。それは理解していただける筈ですが?」
「私に、我が社に従属せよと言うのか……!」
「ほんの一瞬。そう、まるで瞬きの瞬間ですよ。たったそれだけの瞬間を受け入れるだけで貴方は成果を得る事が出来る。何も語らず、何も欲さず、ただ受け入れれば良い」
「くっ……!」
「確かに損失はありましょう。ですがそれでも有り余る価値を私は提示しているつもりです。これでも納得して頂けないという事であれば……別に私達としては貴方が交渉の相手でなくても良いのですよ?」
「ッ……ま、待ってくれ!」
サングラスを指で押し上げながらハルは告げる。男は慌てて腰を上げた。ここで交渉を切られるのは不味い、と。この魚は逃してはならない。ならばどうするべきか。
男の脳内には既に答えは出ている。欲を出せば失われてしまうチャンスだ。だが、これだけ旨みがある話を一度で逃したくない、と思うのもまた真理だろう。だが悲しきかな、彼にはハル達を食いつかせる程の餌を持ち得なかった。
男に反応して背後に控えていたラウラが動こうとするも、ハルは片手で制して、僅かに口角を上げて笑みを浮かべる。そしてハルはトドメを刺すように優しげな声で囁いた。
「そちらにとっても悪い話ではないと思いますが? デュノア社長? お互いにより良い取引を致しませんか?」
* * *
「いやー、快くデュノア社長は交渉を飲んでくれたね」
「ハル、お前は“快く”の意味を辞書で見直してこい。あれはどう見たって苦渋の末だろう」
「クーちゃん、説明お疲れ様ー。疲れなかった?」
「楽しかったですよ。こちらに要求が出来ないか穴を探す様を見るのは」
ハルは肩を回しながら身体を解す。そんなハルにラウラは呆れたように冷ややかな視線を送る。その傍らではクロエの頭を撫でてにこやかに笑う束の姿がある。
ハル達は現在フランスにいた。彼等がフランスにやってきた理由は、束の夢の翼の雛形である“船”を造船する為だ。その交渉相手がフランスにいたから、彼等は小旅行の気分でフランスを訪れていた。
束の持つ知識で尤も交渉の優位に立てるのはISの技術だ。ならば交渉先もISに関わる者が相応しい。災難か、それとも幸運か、束が目につけたのはデュノア社であった。
デュノア社は第2世代型ISの量産機“ラファール・リヴァイヴ”を世に送り出した事で有名だ。第2世代の量産機の中で安定した性能と高い汎用性、豊富な後付武装が人気の機体である。
だがデュノア社は設立当初から技術・情報力不足に悩まされており、続く第3世代のISを開発する事が出来ていない。数々の国が第3世代の発表する中、出遅れているデュノア社は何としても状況を打破したい。そこに束は目を付けたのだ。
「ISの第3世代の開発に協力する代わりに私達の船を造船して貰う。ISの開発協力はともかく船のデータまで渡しても良かったのですか?」
「問題ないさ。どうせ渡すって言っても廉価版だし、ISコアが限られている以上、2隻目なんて作れやしないしね」
ラウラの問いにどこまでも自信満々に束は言い切った。きっと束の作り出した船はまた世界を騒がす事になるのだろうな、と見せられた完成図を思い出しながら三人は苦笑を浮かべた。
無人ISを通じて制御し、本来は宇宙へ進出する事を想定した束の“船”。世界から見れば発狂してしまいそうな程の数のISコアを使用して運用される事となる。船のオペレーターとなる事が確定しているクロエは恐ろしいと身震いする。
同時に興奮もしているが。今から船の完成が待ち遠しいのは、全員が共通の思いだ。少々、不満に思っていた生活環境も改善されるというのもありがたい限りだ。
4人に用意された部屋は極上のスウィートルーム。明らかに金が掛かっているだろう装飾や柔らかいベッドには慣れない、と言う感想しか出てこない。逆に眠れる気がしない、とハルは思った。
その時だ。来客を告げるインターホンが鳴ったのは。束の除く面々は顔を隠すようにサングラスをつける。束に首で行け、と示されたラウラが入り口へと向かう。ラウラは来客と話す為につけられた内線を操作し、来客の姿を映し出す。
「……女の子?」
ラウラが見た映像では華奢な印象を受ける金髪の女の子が緊張した面持ちでそこに立っていた。ラウラは判断を仰ぐように束を見た。束は悩むように指で唇をなぞったが、すぐに答えを尋ねるようにハルへと視線を向ける。
ハルは束の視線に気付いて、うん、と1つ頷いてラウラにお願いをする。
「とりあえず対応してみて?」
「わかった。……誰だ?」
『あ……は、はい! 私はシャルロット・デュノアと申します。今は本社でISのテストパイロットを務めさせていただいております。こちらが身分を証明するIDカードです。社長の命で皆様の下へ行けと言われましたので……』
デュノア、というファミリーネームにラウラは一瞬眉を寄せた。娘がいたとは事前の調べでは確認出来なかったのだが、養女か何かなのだろうか、と。だが提示されているIDカードは確かにデュノア社の社員である事を示すものだ。
ラウラは意見を求めるようにハルを見た。ハルは中に入れて良いよ、とラウラに伝える。ラウラは頷いて、鍵を外して扉を開けた。シャルロットと名乗った少女がハル達を見て、緊張に身を固めたまま勢いよく頭を下げた。
「は……初めまして! シャルロット・デュノアと申します!」
「とりあえずそこに立たれるとドアが閉められないから中に入って貰って良いかな?」
「……あ! し、失礼致しました!」
慌てたように前に一歩踏み出して部屋に入ったシャルロットを迎え入れ、ラウラが扉を閉める。シャルロットがラウラの挙動の1つ1つに怯えているようで、泣きそうな表情を浮かべている。
それも仕方ないか、とハルは苦笑する。ラウラが先ほどから警戒するように威圧感を振りまいているからだ。ただ警戒するに超した事はないので、そのまま対応させる事にした。事前に調べた情報でデュノア社長に子供がいたという事実は知らないからだ。
確かにテストパイロット一人とISコアを寄越せば作ってやると束は言ったが、とハルは思考を回す。とりあえずは反応を見ようとハルは笑みを浮かべてシャルロットに歩み寄る。
「そんなかしこまらずに。お互い円滑な関係で話を進めましょう。社長もそれを見越して私共の下を訪ねさせたのでは?」
「え、あ、は、はい! 社長からは是非とも仲良くしろと。大事なお客様なので失礼が無いように、とも……」
「では、よろしくお願いします。決して長い付き合いになるとは言えませんし、こちらの要望で連れ回してしまいますが。あぁ、申し遅れました。私はハル、と名乗らせていただいております」
ハルはシャルロットに手を差し出して握手を求める。シャルロットはハルの言葉に一瞬、緊張が高まったがゆっくりと力を抜いてハルの手に自らの手を添えた。
「……ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
「敬語も良いですよ。私共はそういった形式はあまり気にしていないので」
「そ、そんな! 私なんかが……」
「私がそうして欲しいのです。必要以上に畏まられるのは望みません。特に私どもの中で好まない者もおりますのでね?」
そうしてハルが目を向けたのは束だった。束はシャルロットには興味が無いのか、つまらなそうに腕を組んでそっぽを向いていた。まぁ、わかりきっていた反応だったので特に言うことはない、とハルはシャルロットに視線を戻す。
シャルロットも束を見て、その反応から察したのか、再びハルへと視線を戻して口調を正そうとする。
「……わかりました。……えと、じゃあこれで良いかな?」
「結構ですよ。私も……いや、僕もデュノアさんって呼んでいいかな?」
「う、うん! 大丈夫です! ……あ!」
「緊張しなくて良いんですよ。ほら、息を吸ってー」
「え?」
「吸ってー」
「あ、……すぅ」
「吸って……」
「……ッ」
「吸って……」
「……ッ!」
「吐いてっ!」
「ぷはっ! ……はっ!? あ、遊ばないでよ?」
ようやく緊張が解れたのか、シャルロットは顔を赤くして叫んだ。その様子にハルは満足げに頷いて笑みを浮かべる。
「それじゃあ詳しい話はラウラ、クロエ。説明してあげて。デュノアさんも出来れば二人に質問するように心がけてくれるかな?」
「え?」
シャルロットがハルの言葉に戸惑ったように声を上げる。すると、ぬっ、とハルの背後から両手が伸びて、ハルの身体を抱きしめる。ハルを抱きしめた束は威嚇するようにシャルロットを睨んでいた。その気迫たるや正に猛獣のソレである。
束の気迫にシャルロットは短い悲鳴を上げた。足が生まれたての子鹿のように震えだしてその場に尻餅をついてしまう。正に構図は威嚇する肉食獣と怯え竦む哀れな獲物だ。
「……こういう事。OK?」
こくこく、と勢いよく首を上下に振るシャルロットはその日、本気で命の危機を感じたという。
* * *
「……なんというか、最初から私が対応していれば良かったとも思わなくもないんだが、どういう危険があるかは理解して貰った方が良いと思ってな。私はラウラだ、よろしく頼む、シャルロット」
「私はクロエです」
「あ、どうも。ラウラにクロエ、だね。うん、予め教えておいてくれた方が助かるよ。その……二人はそういう?」
「察してくれ」
「そっか……」
シャルロットはラウラの煎れたお茶でようやく平静を取り戻したようで、ほぅ、と安堵の息を吐いた。ちらり、と視線を移してみればベッドに座ってハルの髪をもみくちゃにしている束の姿が見えた。
遊ばれるがままに髪をぐしゃぐしゃにされているハルは困っているようにも見えるが、それでも楽しげなのはやはりそういう関係だと見ているからなのかな、とシャルロットは思う。
「さて。本題に移ろう。シャルロット。……いや、その前に1つ確認したいのだが、私達の事前の調べではお前の情報は見当たらなかった。これについてお前の身の上を確認させて貰っても良いか? 疑う訳ではないが」
「あ、うん、そっか……。その、私は最近、お父さん……じゃなくて社長に引き取られて、その検査でISの適正が高かったからテストパイロットになったんだ。ちょっと事情があって秘匿されてたんだけど……その、調べた方法は詳しくは問わないけど、私がデータベースに登録されてない理由はそれ」
「なるほど。私達も色々と話せぬ事情があるから深くは問わないが、不躾な質問をしてすまないな」
「いや、そんな……」
頭を下げるラウラにシャルロットは気にしないで欲しい、と言うように首を振った。シャルロットの反応にラウラは顔を上げて笑みを浮かべる。
「それではシャルロット。早速商談、まぁ本題に入らせて貰おう」
「う、うん。第3世代の開発協力をしてくれる、って事で聞いてるけど……私はどうすれば良いのかな?」
「それについては……姉上」
「はい。貴方のISの作成は私が担当させていただきます」
「え? 貴方が?」
ここでようやく言葉を発したクロエを見てシャルロットは目を丸くする。シャルロットの表情には困惑の色が見える。困惑を察したのか、ラウラが事情を説明するように語り出す。
「あぁ。話が違う、とは思うかもしれないが、束様が直接手を貸すと思うかどうかはさっきの反応から察して欲しい」
「あぁ、うん……」
「だからといって手を抜く訳ではない。なにせ姉上は束様の助手を務めていらっしゃるからな」
「実際に作るのは初めてですが。けれど束様の名代として全力を尽くさせていただきます。よろしくお願いします、シャルロット」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
クロエが差し出した手をシャルロットは自らの手を重ねて握手を交わす。
握手を終えたクロエは早速ですが、とコンソールと空中ディスプレイを表示する。
「実を言うと、楽しみにしていたので既に1つ、考えてきた設計図があります」
「え?」
「デュノア社が輩出したIS、ラファール・リヴァイブ。データ上ではありますが、拝見させていただきました。安定性と汎用性に優れた機体だと評価します。第2世代の後期に世に出された事もありますが、第2世代の集大成と呼んでも過言ではないでしょう」
「えっと……その、それがラファールの売りだからね」
自社の製品であり、自分も乗っていた機体の事だ。クロエの評価には些か高評価だとは思いつつもシャルロットは頷く。
「ところでシャルロット。ISの第3世代の定義をご存じですか?」
「え? う、うん。搭乗者のイメージ・インターフェースを用いた特殊兵装の搭載を目標とした世代だよね」
「今から私達が開発しようとしているのはその第3世代です。さて、ではシャルロット。ラファール・リヴァイブから想像される第3世代のイメージは浮かびますか?」
「うーん……ラファールの特徴は汎用性が高い、って位しか。そこから第3世代に繋げろって言われても、ちょっと僕じゃ思いつかないかな?」
「はい。ラファールは万人受けする機体ではある事は事実ですが、逆にこれといった特性がありません。第3世代型のISはその性質から特徴的な機体が多く、一芸に特化した機体が多いです。戦いという物は流れを掴んだ者が勝ちます。一芸特化は自らの領域にさえ持ち込めれば強力なアドバンテージを得られる分、有利になります」
「えーと……クロエが何を言いたいのかわからなくなってきたんだけど」
矢継ぎ早に紡がれるクロエの声は淡々として抑揚が少ない。ついついシャルロットは眠気を感じて、頬を抓って眠気を追い出す。
これは失礼しました、とクロエはサングラスを指で押し上げながら謝罪した。
「特化型は汎用型に勝る、ここまでの私の話はそんな所でしょう。しかしですよ? シャルロット。ならば全てに特化する汎用型が出来れば良いとは思いませんか?」
「それは万能って言わない?」
「そうですね。そんなの作れる筈がないんですよ」
ウチの束様ぐらいしか、とはクロエは言わない。無用な情報を流す必要もないだろう、と。
「だから全てに特化した汎用型です。これなら作れますし、勝てます」
「それが万能とどう違うの……?」
「言ったじゃないですか。その場で作れば良いんですよ。ISにはそれが出来るじゃないですか」
「……えーと、私には出来ないとしか思えないんだけど」
シャルロットは首を振ってそう言った。元からある武装を使うのと、新たに武装を作って使うのとでは話が違い過ぎる。確かにクロエの言うことが出来るラファールがあればそれは正しく第3世代のラファールと言うべきだろう。
だがそんなの机上の理論にしか聞こえない。だがシャルロットは知らない。クロエは既に机上の理論を体現した束から教えを受けた者だと言う事実を。
「シャルロット。ブロックで遊んだ事はありますか?」
「え? ブロック。それは、まぁ……」
「ブロックは面白いですよね。幾多のパーツを組み合わせて自分の思い描いたものを形にする」
「……まさか、その場での武装の組み上げをやれって言うの!?」
「武器なんて言ってしまえばパーツの塊です。拡張領域の拡大の技術、社の生存をかけ挑んだラファールの為に蓄積された知識と経験があれば……。ほら、形が見えてきたでしょう?」
目を見開いて絶句するシャルロットにクロエは口角を上げる。指をちっちっ、と振る様は保護者から受け継いだ名残なのだろう。得意げに指を振り、シャルロットに指を向けながらクロエは告げる。
「誰よりも優れられないなら、優れるものを作ってくれば良い。足りないものは補えば良い。ラファールに特徴が無いのであれば特徴を生み出してしまえば良い。ラファール、フランス語で疾風を意味する言葉でしたね? 風はどこにでも存在し、その姿を幾重にも変えていくでしょう。ならば、ラファールもそうあれば良い。時に鎌鼬となり、時に竜巻となり、時に嵐となり、時には凪いで、再び吹き荒べばいい」
笑みを浮かべるクロエは気付かないだろう。自信に満ち溢れるその姿は束と良く似ているという事を。
「貴方には無限に吹き荒ぶ風を届けましょう。何にも負けず、どこにでも届く貴方の為の風を。ISの母の助手として恥ずかしい真似は出来ません。さぁ、構想に詰めましょう。付いて来てくださいね? シャルロット」