天才兎に捧ぐファレノプシス   作:駄文書きの道化

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Interlude “心に響く鈴の音”

「……お前何言ってるんだ? 突然過ぎて何の事だかさっぱりだぜ?」

 

 

 口の中がからからに乾いて行くのを一夏は感じた。平静は装えている筈、と一夏は頬に力を込めた。

 鈴音の言葉は一夏の動揺を呼び起こす程に的確だった。なんでいきなり、と言う思いが消えない。鈴音から突き付けられた言葉の意図が見えない。

 挑み掛かるように一夏を睨んでいた鈴音は、急に身を翻した。背を向けて歩き去ろうとする姿に一夏は思わず、おい、と声をかけてしまった。振り返った鈴音は苛立ちを浮かべた表情で一夏を再度睨み付ける。

 

 

「……帰るわよ」

「は?」

「こんな所で話せる訳ないじゃん。アンタの家、誰もいないんでしょ?」

 

 

 逃がさない、と言っているようだった。再び歩き出した鈴音の背を一夏はぼんやりと見ていたが、彼女の背を追うように歩き始めた。

 見透かされているのかもしれない。その事実が一夏に身を震わせる。一夏の傷に触れようとする鈴音に戸惑いしか覚えない。

 どうして彼女は気付いたんだろう? 一夏の抱えるようになった傷を。そして何故触れようとしてくるのか。一夏にはわからなかった。ただ促されるままに、無言で鈴音と帰宅路を歩み続けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……それじゃあ話しなさいよ。あんた、最近おかしいわよ? 何があったの?」

 

 

 家に入り、リビングのソファーを陣取った鈴音は腕を組んだ。ふんぞり返りながら一夏に問いを投げて睨み付ける。睨み付けられた一夏は、竦み立つ事しか出来ない。

 いつまで経っても返答をしない一夏に鈴音は苛立ちを膨らませていく。組んだ腕の上で踊る指がその速度をどんどんと上げていく。

 

 

「……お前には言えない」

 

 

 ようやく絞り出した一夏の答えは鈴音の望んだものではない。拒絶の言葉を選んだ一夏はただ俯き、鈴音と視線を合わせる事が出来ない。

 だから一夏は鈴音の顔を見ていなかった。彼女がどんな表情を浮かべているのか、彼にはわからなかったのだ。

 

 

「言えないって、何で?」

「……」

「私には話せないの?」

「……あぁ」

「じゃあ誰になら話すの?」

「……誰にも言えない」

「じゃあ……。そんな苦しそうな顔して、どうすんのよ?」

 

 

 呆れたように問う鈴音に一夏は言葉を詰まらせた。苦しそうな、と言われて一夏は自分の頬を撫でてみた。

 

 

「アンタがそんな顔してるのってアンタらしくないんだって」

「……俺らしいってなんだよ」

「……一夏?」

「お前の言う俺らしいって何だよ? 俺は、俺の思うままにやってるだけだ。お前にどうこう言われる筋合いは……!」

 

 

 鈴の言葉にどうしても反論したかった。自分らしさなんて知らない。そもそも自分が許せなくて藻掻いているのに、と。だが一夏は顔を上げて、絶句した。

 鈴音の悲しそうな顔が一夏の目に映る。いつも快活で、強気で、眩しいまでに笑顔を浮かべている鈴音が、ただ悲しそうな顔を浮かべて一夏を見ていた。

 

 

「……そういう事言うんだ。ねぇ? 一夏はさ、昔、虐められてる私を助けてくれたでしょ? それって何で? 見てられなかったからじゃないの? だったら私だって同じだよ。一夏が苦しそうにしてるのが嫌だ。見てて辛かった。一夏が笑わなくなってた。ねぇ、気付いてる?」

「……鈴」

「心配なんだよ。ねぇ、心配するのも駄目なの? 私って、迷惑かな? 迷惑だったかな? 一夏がそんな顔する程、悩んでる。だったら助けたいって思うのが、そんなに迷惑だったのかな?」

「……悪い。俺、そんなつもりじゃ……」

 

 

 鈴音から投げかけられる言葉に一夏は眉を寄せ、肩を落として呟いた。自分で吐いた言葉に嫌気がさした。鈴音はただ自分の身を案じて心配してくれたというのにその手を振り払おうとした。

 またか。またやってしまったのか。一夏は前髪を掻き上げて歯を噛みしめる。またそうやって誰かの手を振り払う。誰かの善意を踏みにじる。何をやっているんだ、と一夏は自分の心を締め上げる。

 

 

「ねぇ、話してよ」

「……鈴」

「変なんだよ。一夏が笑ってないと。一夏が辛かったら私も辛いんだよ。ねぇ……っ!」

 

 

 わかってよ、と。言葉にはしなかったけれど鈴音の願いはそれに尽きるだろう。

 一夏が心配なのだと、一夏に気付いて欲しいのだ。一夏が思う程に、一夏が傷ついている事に。

 

 

「一夏も笑わなくなって、私どうすれば良いの? ねぇ? 私は何も出来ないの?」

 

 

 何も出来ない。その言葉が一夏の胸を深く穿った。

 それは一夏にとって呪わしき言葉だ。自分の無力さでどれだけ最愛の姉を苦しめた? 数えられない。全部自分が弱かったから、何も為せず、何も守れず、ただ傷ついて、傷つけられて。

 鈴音は無力なのか? そんな筈がない。だって鈴音は心配してくれた。話を聞こうと踏み込んで来た。そんな鈴音が無力? そんな筈がない、と浮かんだ思いを一夏は叫ぶ。

 

 

「そんな訳あるか!」

「だったら! ……だったら話してよ」

 

 

 一夏の叫びに応じるように鈴音もまた叫び、二人の視線が交錯する。

 話して良いんだろうか。曝しても良いのだろうか。こんな無力で情けない自分を。思い返して、一夏は首を振った。もう今更だろう。無様は曝すだけ曝しただろう。

 鈴音をこんなに悲しませてまで、黙ってる事でもない。彼女が無力を嘆く理由になんてして良いはずが無い。だったら話してしまおう。強張っていた身体の力を抜いて一夏は言った。

 

 

「……わかったよ」

 

 

 ただ、何から話せば良いかわからなかった。だからあの日の事件を思い出すように一夏は口にした。

 モンド・グロッソに出場する千冬の応援の為に外国に行った事。

 そこで誘拐されそうになった事。

 囚われていた所を謎のISに助けられた事。

 助けに来た千冬とそのISが戦いになった事。

 そして、助けてくれた謎のISを恐れ、牙を向けた事。

 1つ、1つ当時の思いを呼び起こすように一夏は語った。鈴音はただ黙って一夏の話を聞いていた。

 

 

「……それで全部かな」

「……そう。じゃあアンタが剣道を再開したのも」

「強くなりたかったんだ。強くならないといけない、って。でも、どうすれば強くなれるかなんてわかんなかったから、がむしゃらになるしか無かった」

「後悔してるの?」

「後悔しか無いさ。……俺がもっとしっかりして、俺がもっと強かったら……」

「それ、おかしいよ」

 

 

 一夏の呟きをはっきりと否定するように鈴音は言った。おかしい、と言われれば一夏は眉を寄せる。

 何がだよ、と一夏は反論しようとする。鈴音は首を振って、一夏を険しい表情のまま見た。

 

 

「なんでそうなるの? 悪いのはあんたを攫おうとした奴でしょ? どうしようも無かったんでしょ?」

「それは……」

「しっかりしてればって、私達子供なんだよ? ISも使ってたって言うならどうしようもないじゃない」

「そりゃそうだけど……」

「私だったら怖いわ。何も出来ないまま捕まって、助けようとしたってその謎のISも何も言わなかったんでしょ? 助けに来た、って。じゃあそいつだって怪しいじゃない。別の誘拐犯だったかもしれないじゃない」

「そんな奴が俺に強くなれ、って言うのかよ」

「知らないわよ、そんなの。そいつがそれで助けてやったのに、って言うんだったら、わかりやすく言え! って言うべきでしょ?」

「そう、なのかな?」

「そうでしょ!」

 

 

 一夏の悩みがまるで些細な事だとでも言うかのように鈴音は言う。それは一夏を誘拐した犯人に、鈴曰くわかりにくい謎のISに、そして一夏自身に怒るように鈴音は反論していく。

 不思議な感覚だった。鈴音に言われると、確かにそうかも、と思えてしまう自分が。あんなに自分の胸を苛んでいた事の1つ1つが軽くなっていく。一夏に呆れたように鈴音は肩を落として溜息を吐いた。

 

 

「なんで一夏はすぐ自分で抱えたがるのよ? そういう所、千冬さんにそっくり」

「俺が?」

「そうよ。……頼れば良いじゃない」

「頼る……?」

「千冬さんには一夏の性格じゃ嫌かもしれないけど、色んな奴があんたの周りにはいるでしょ。辛いなら辛いって、困ってるなら困ってるって。言ってよ。そしたら助けてくれる奴なんて幾らでもいるんだから」

「……そうなのか?」

「私は助けるわ」

 

 

 真っ直ぐに鈴音は一夏を見て言った。強く言い切った言葉には力があった。思わず一夏が目を見張る程に。

 

 

「……べ、別に勘違いしないでよ! あんたが変な顔してると私の調子が狂うだけなんだから!」

「なんだよ、それ」

 

 

 一夏は笑った。あまりにも鈴音らしくて、それがどうしようもなくおかしくて笑ってしまった。そんな一夏の顔を見て鈴音が呆けたように目を瞬かせた。突然呆けた鈴音に一夏は首を傾げる。

 

 

「鈴?」

「……やっと笑った」

「え? ……あ」

 

 

 鈴音の指摘に一夏は自分が笑った事に気付いた。いざ笑ってみると、あぁ、確かに最近は笑ってなかったかもな、と思った。ただ自分の弱さが嫌で払拭しようとがむしゃらになっていたから、笑う暇など無かった。

 一夏が笑った為だろう。鈴音もまた笑みを浮かべた。安心したように鈴音が笑っている姿を見て、何故だか一夏も自然と笑みが零れた。

 凄いな、と鈴音を見て一夏は思った。昔から真っ直ぐで、人にすぐ噛みついたり、喧嘩しそうになる奴だけども悪い奴じゃない。そんな事を昔から知っていた筈なのに。

 

 

「本当、しっかりしなさいって。しっかりするってそういう事よ? ちゃんと自分の状態を把握して、困ったら誰かに相談したりしなさい」

「あぁ。鈴に聞いて貰ったら楽になったぜ。……ありがとうな」

 

 

 心の底から一夏は感謝を込めて鈴音に告げた。きっと鈴音がいなければ、自分で自分を押し潰していたかもしれない。ようやく自覚出来たのだ。だからこそ心配してくれて、真っ向から向かってきてくれた彼女が本当にありがたい存在なのだと思えた。

 一夏の礼に鈴音もまたいつものような笑みを浮かべる。あぁ、これで元通りだな、と一夏もようやく実感できた瞬間だった。

 

 

「ようやくいつものアンタに戻ったじゃない。これで私がいなくなっても心配ないわね」

「……あ?」

 

 

 だから鈴音の言った言葉が耳に残った。呆けたような一夏の反応に鈴音が首を傾げ、すぐにはっと自分の口元を抑えた。更に口元を抑えてしまった事で反応を示してしまった事に鈴音は、しまった、という表情を浮かべた。

 

 

「……どういう事だ? 鈴」

「……や、やぁね。言葉の綾って奴よ?」

「お前が俺に言ったことを全部自分に言ってみろ。それでもそう言えるのか?」

 

 

 一夏の問いに鈴音は表情を崩す。まるで笑みを作ろうとして、失敗したような不器用な表情。一夏は鈴音の肩を掴んで自分に顔を向けさせる。近づいた距離に鈴音が息を詰めたが、すぐに諦めたように眉尻を下げた。

 

 

「……あー、失敗しちゃったな。アンタには言うつもりはなかったんだけどなぁ。最後まで格好付かなかったわ」

「どういう事だよ? いなくなるって……」

「私、中国に帰るからさ」

 

 

 鈴音が軽い調子で告げた言葉は遠い別離を知らせるものだった。

 

 

「は? なんでだよ? まだ学校だって中途半端だろ?」

「まだわかんないけど、それはもう確定って話。それが一ヶ月後とか、今年が終わってからなのかは言えないけどさ」

「なんでそんな事になってるんだよ?」

「……ウチの両親さ、離婚するんだ」

 

 

 離婚。思わぬ言葉が鈴音の口から飛び出た事に一夏は目を見開かせた。そして言葉を失ってしまった。

 離婚が何を意味するのか知らない一夏ではない。自分に両親と呼べる人はいないけれども、いや、いないからこそ一夏には我慢ならなかった。

 

 

「なんでだよ……俺が遊びに行った時はそんな雰囲気無かったぞ!?」

「他人様の前で家庭事情なんて晒せる訳ないでしょ。それにアンタが家に来たのは結構前よ。……まぁ、深くは言わせないでよ。そういう訳で私、近々中国行っちゃうからさ。アンタにはさっさとシャキッ、と元気になって貰わないと気持ち悪くてさー」

 

 

 けらけら、と辛さを感じさせないままに鈴音は笑った。だが、どうしても一夏には作り笑いにしか見えなかった。

 鈴音が作り笑いなんて浮かべるなんて想像したことも無くて、鈴音の知らない部分が見えて。それが一夏には衝撃だった。

 

 

「だからアンタに言いたくなかったのよね。アンタってさ、気を使うでしょ? なんかアンタに同情されたみたいで私が嫌だったの」

「……弾は知ってたのか? 他の奴らは?」

「……ごめん。一夏にだけ言ってなかったんだ」

 

 

 俺だけ知らなかった。

 それもまた衝撃だった。ただ呆然と一夏は鈴音を見つめる事しか出来なかった。裏切られた、とかではなくて、ただ蚊帳の外に自分がいた事が衝撃的すぎて一夏は言葉を失う。

 

 

「……ごめん。一夏にだけは言わないでって私がお願いしてたの」

「なんでだよ?」

「一夏、ただでさえ両親がいないでしょ? ほら、今話したら凄い悩んでる。これはね、私の問題なの。一夏もどうしようも出来ないでしょ? だったら悩ませるの癪じゃない。それだったら普通に学校に行ってさ。遊んだり、笑ったりしてさ、笑ったり、……して、さ……っ……」

 

 

 声がどんどんと消えていく。笑おうとした鈴音の顔が歪んでいく。小さな両肩を震わせて、堪えるように両手を握りしめるも止まらない。

 ぽろ、と。一粒零れた涙はまた1つ、また1つと鈴音の頬を伝っていく。涙が零れた事で鈴音が遂に堪えきれなくなったのか声を震わせて呟いた。

 

 

「ッ、だから、言いたくなかった……! アンタに言ったら! 泣くってわかってたから! 言いたくなかったんだよぉ……!」

 

 

 こんな鈴音の姿を一夏は見たことが無かった。子供のように顔を歪めて泣く鈴音の姿に一夏は何を言えば良いのかわからず、ただ竦む事しか出来ない。

 何かしなきゃ、と思った故の行動だろう。せめて鈴音の涙を拭おうと一夏の手が鈴音の頬に触れた時、鈴音が一夏に飛び込むように抱きついた。

 

 

「うわぁああああっ! やだよぉっ! 別れたくないよぉっ! 一夏とも、弾とも、蘭とも! 皆と別れたくないよぉ! 日本に居たいよぉ! 私、私ぃ……!! まだ何も言えてないのにぃ……!!」

「鈴……」

「言えないよぉっ! 別れるってわかってて言えないよぉ! こんなのって無いわよっ! なんでよ……、なんでよぉ……!!」

 

 

 一夏の服を掴み、自分の顔を押しつけながら鈴音は泣いていた。何度もしゃくりを上げるように。心の中に堪っていた不満を、全部吐き出してしまうように鈴音は泣き叫ぶ。

 鈴音を頬を撫でようとした手は、ただ無様に宙を空振る。一夏には何も言えない。かけてやる言葉がなかった。せめてと言わんばかりに鈴音の頭に手を置いて撫でる。胸を貸して鈴音が泣き止むまで。

 一夏の手が鈴音の頭に触れた瞬間、鈴音の震えは大きくなって泣き声は強くなる。鈴音の泣き声をただ聞く事しか出来ず、一夏はただ鈴音の頭を撫でた。これぐらいしかしてやれない事にどうしようもない無力感を感じながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 それから。鈴音は一夏を避けるようになった。一夏もかける言葉が見つからず自分を避ける鈴音を目で追う事しか出来なかった。

 誰も何も言わなかった。二人と仲が良かった筈の弾でさえ二人に何も言えず、ただ時間だけが過ぎていく日々が過ぎ去っていった。

 そんな日々の終わりは唐突だった。一夏が部活の用意をして、部室へと向かおうとした。その道中の廊下で一夏は親友である弾の姿を見た。

 

 

「一夏」

「なんだよ、弾。俺、これから部活なんだけど」

「明日だってよ」

 

 

 何が、とは問わなかった。ただ言葉を失った。手に持っていた荷物を落としそうになり、慌てて手に力を込める。軋む音が虚しく耳に届いた。

 一夏は弾を睨み付けた。一体それを伝えて自分に何をしろ、と言うのか、そう問うように。一夏の視線を受けた弾もまた挑みかかるように視線を険しくした。

 

 

「……いいのか?」

「……何がだよ」

「このまま別れても良いのか、って事だよ」

「……」

「鈴は駄目だ。意地張りやがって。学校まで休みやがった。……で? お前はどうなんだよ? 一夏」

 

 

 弾の言葉は確信を突いていた。一夏は息を呑んで視線を落とした。

 あれからずっと避けられて、その度に目で追った。あれから鈴音が笑った顔を一夏は見ていない。それが落ち着かなかった。そして気付いた。これが自分が鈴音達にやってきた事か、と。

 情けなかった。確かに心配になる。どうした? って声をかけたくなる。悩みがあるなら相談に乗ってやりたい。けど、それを聞いて一夏は何も出来なかったのだ。

 

 

「今更だが、黙ってた事は悪かった」

「弾……」

「説得しようとしてたんだ。一夏にも言おう、って。結局、俺が知らない所で何かお前等やらかしたみたいだったけどな。あぁ、お前は悪くねぇよ。いや、悪いけど……その場においてお前は悪くない。大方慰めてやれなかったとか思ってるんだろ?」

「なんでわかるんだ!?」

「アホ。親友だろうが」

 

 

 にっ、と笑みを浮かべて見せる弾は実に男らしかった。親友と呼ばれる事がこんなにも嬉しい事だと一夏は思わなかった。

 

 

「正直言えば、鈴の自業自得もあるけど……。まぁ、仕様がないよな。引っ越しって言ったって国外だぜ? 流石に会いに行くなんて気軽も言えねぇ」

「そうだな……」

「だから良いのかよ。きっと今日明日中が鈴に直接会えるチャンスだぜ?」

「けど、鈴の奴は俺の事を避けて……」

「人を寄せ付けなさそうな空気を放ってたお前に鈴はどうした? 言いたい事とか、聞きたい事があるならぶつかれば良いじゃねぇか」

「――!?」

 

 

 落雷を受けたように一夏は弾の言葉に目を開いた。呆れたように弾は肩を竦めてみせる。

 

 

「わかったか? 鈍感野郎」

「……悪い、弾! 目が覚めた!」

「おっと! ついでに止まれ突撃馬鹿! これ、持って行け」

 

 

 駆け出そうとした一夏に弾が放り投げたのは彼自身の携帯だった。何故一夏は弾が自分の携帯を渡すのかわからず、首を傾げる。

 

 

「馬鹿野郎。どうやって会うつもりだよ。普通に会いに行っても門前払いだぞ?」

「じゃあ……」

「だから俺の携帯で電話しろ。んで、引き摺り出してこい。お前なら出来る」

「なんだよ、その信頼は」

「やかましい。無自覚フラグメーカーめ」

「意味がわかんねぇって。……サンキューな、弾」

「おう。明日返せよ。彼女のメアド入れる予定だからよ」

「予定かよ!」

「うるせぇ! さっさと行ってこい! 部活の方には俺が言っておいてやるからよ!」

「あぁ、わかった!」

 

 

 弾と交わすこんな馬鹿話も久しぶりだな、と思いながら一夏は荷物を抱え直し、弾から預かった携帯をポケットに突っ込み廊下を駆け抜けていく。

 駆け抜けていく一夏の背を見送った弾はふん、と鼻を鳴らして呟く。

 

 

「マジで頼むぜ。一夏。……あぁ、これで蘭には睨まれるなぁ。まぁ、仕様がないね。アイツも今回はわかってくれるだろうし。

 ……にしても友達と妹、どっちも応援してやらないといけないのがお兄ちゃんの辛い所って奴だぜ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 一夏は肩で呼吸しながら足を止めた。もう長い事、足を運んでいなかった鈴音の家は閑散としていた。鈴音の家が営んでいた中華料理店は閉店の看板が下げられていて電気も消えている。

 それが否応なしに一夏に現実を教える。だがどうしようもない事だった。それに何を思おうが鈴音が中国に帰ってしまう事実は変わりがないんだから。

 

 

「……鈴」

 

 

 アイツは今、どんな思いでいるんだろうか。そんなのわかる訳ない。けれど無視は出来ない。したくない。だから今更ながらここに来たんだろう。来ようと思えばもっと早く来れた筈のここに。

 弾から預かった携帯を取り出して一夏は電話帳を開き、鈴音の名前を探し出す。そして見つけた鈴音の電話番号をプッシュして携帯を耳に当てた。

 着信音が響くように耳に届く。コール音が長く感じる。まさか弾の携帯でも出ない? と一夏が不安になり、1分過ぎようとした所でコール音が途切れる。そして鈴音の怒声が耳に飛び込んできた。

 

 

『しつこいって言ってんのよ!! 私は一夏に告白もしないって言ってるでしょ!! もう良いの!! 放っておいてよ!!』

「……へぇぁ?」

『は?』

 

 

 一夏の口から思わず間抜けな声が漏れた。いや、きっと鈴音は弾に向けて言ったつもりなのだろう。だが幸運か、不幸かそれを聞いていたのは一夏だった。

 

 

『え? え、あ、い、いいい、一夏!? 何で!? 何で弾の番号でアンタが出てくるのよ!?』

「え、あ、はい。これは弾の携帯で、俺は今、鈴の家の前にいるんだが…」

『は、はぁ!? あ、アイツ……! 何してくれてんのよ! 最悪ッ! 死ねッ! 馬鹿、この馬鹿一夏ッ!! 地獄に落ちろッ!!』

「ちょ、ちょっと待て!? なんで俺が罵られてるんだ! い、いや! 丁度良い、俺もお前に聞きたい事があるんだ、ちょっと出てきてくれないか?」

『は、はぁ!? 嫌よ! 絶対嫌! 帰ってよ! 今、誰にも会いたくないの!!』

「俺はテコでもここから動かないぞ!」

『……ッ……!』

 

 

 鈴が息を呑む。その後、すぐに通話が切断される。一夏は切断を知らせる無機質なコール音に舌打ちを零して、再度鈴に電話を入れようとした時だった。

 勢いよく扉が開いて私服姿の鈴音が飛び出してきた。目が赤く、普段ツインテールに纏めている髪はぼさぼさ。肩で息をするように一夏を睨み付けながら鈴音は震える声で言った。

 

 

「なんで今更来たのよ、馬鹿」

「……悪い」

「しかも、弾の電話借りてくるとか。小細工が過ぎるでしょ」

「ごめん」

「……最悪よ。本当、最悪……」

 

 

 声を震わせながら鈴音は俯いてしまう。握りしめた拳は力を込めすぎて震えている。

 鈴、と一夏が名前を呼んで声をかけようとした時、鈴音が一歩を踏み出して素早く一夏の襟首を掴みあげた。

 

 

「や、やり直し!」

「え?」

「や、やり直しを要求するわ! こんな告白でバレるなんて私は認めないわ!」

「やり直しって……その、告白、をか……?」

 

 

 一夏の問いに鈴音は言葉を失って俯いてしまう。一夏も顔を紅くして俯いた。告白の意味ぐらいわかる。鈴がどういう気持ちで告白と言ったかなんて、ここまで来ればわからない筈がない。

 

 

「……たら」

「…え?」

「戻ってきたら! もう一回告白する! だから今回のはナシ! いや、でも、……やっぱナシ!」

「鈴?」

「もう一回日本に戻ってきたらちゃんと告白する! だから、だから、その……」

 

 

 言葉尻にどんどんと力を無くし、鈴音は襟首を掴んでいた手を一夏の胸の上で拳に変えて顔を再び俯かせていく。

 自分は何を言っているのか、と鈴は唇を震わせた。いくら何でも無理だろう、と。自分は明日には中国に旅立っていて、いつまた日本に戻ってこれるかなんて、わからないのに。自分な勝手な言い分に鈴が後悔を覚えた。正にその時だった。一夏が返答したのは。

 

 

「わかった」

「……え?」

「待ってる。……その、告白、もう一回するんだよな?」

「……う、うん」

「じゃあ待ってる。だから必ずまた帰ってこい」

 

 

 胸に置かれた鈴の手に、自分の手を重ねながら一夏は言う。

 

 

「……その、俺も、正直、テンパってる」

「……うん」

「だから考えさせてくれ。中国に行くって言うのに……こんな返答になって、本当に悪いと思ってるけど」

「う、うぅん……。私も、ごめん。勝手な事言って……。いつまた日本に来れるなんてわからないのに…」

「良い。俺は待てるから」

「……い、一夏! あ、あの! それって! ……それって、脈があるって受け取って良いのかな?」

 

 

 一夏の全身が硬直した。真顔で石像のように硬直してしまった一夏に鈴音も釣られるように固まってしまう。鈴音の片手を包むように握ったまま一夏は微動だにしない。鈴音は一夏に手を握られている事に気付いて顔を真っ赤にした。

 

 

「……い、一夏?」

「……す、少なくとも」

「う、うん」

「……お前は可愛いよな、って思ってる」

 

 

 ふにゃ、と。鈴音の口から妙な言葉が零れる。鈴音は呆けたように一夏を見てみれば真顔で難しい顔のまま、一夏は唸り声を上げていた。

 照れている、という訳ではない。ただ、ただ一夏は悩んでいた。だが、思考が働かない。まるで解けない難問にぶつかったように、もどかしそうに一夏は呟く。

 

 

「ごめん。本当にわかんねぇ。そういう事、まったく考えてなかったから」

「……うん。知ってる。知ってるよ。私こそ、ごめんね?」

 

 

 鈴音はそっと自分の手に添えられていた一夏の手を解く。強張っていた一夏の指が鈴の手によって解かれていき、二人の手が離れた。

 

 

「……もしさ、私が帰って来る前に好きな子とか出来たら、私の事、気にしなくて良いから」

「それはわからない。でも、待つ」

「え?」

「待つって言ったら待つ」

 

 

 最早、意地のように一夏は口にした。鈴音は知っている。こうなった時の一夏は本当に何をしようとも自分の意見を覆さない事を。それが申し訳なくて、不覚にも嬉しかった。

 

 

「……馬鹿。そういう事言って。一夏が好きな子とかいて告白してきたらどうするのさ」

「それでも――」

「それはやめて! ……待たなくて良い。やっぱり待たなくて良い。ごめんね、勝手な事ばかり言って。だから、せめて忘れないで。もう一回、日本に戻ってきたら必ず会いに来るから。……その時、ちゃんと言わせて?」

「……わかった」

 

 

 一夏は重々しく頷いた。一夏が頷いたのを見て、鈴音は嬉しそうに満面の笑顔を浮かべた。

 

 

「本当に、馬鹿なんだから。でも、一夏のそういう所、大好きだよ。ありがとう」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ただいま……? 一夏、寝ているのか?」

 

 

 千冬は家に帰宅すると家に灯りが付いていない事に気付いた。リビングの灯りをつけると一夏がソファーに座ってぼんやりとしていた。

 ぎょっ、と千冬は目を見開く。電気もつけないリビングでぼんやりとしているだなんて何かがあったとしか思えない。正面に回って一夏の顔を見れば更に千冬は驚愕する。まるで魂が抜けたように呆ける一夏の姿を見たからだ。

 

 

「一夏!? 一夏、一体どうしたんだ!? 何があった!?」

「……千冬姉?」

 

 

 今まで焦点の合っていなかった一夏の瞳が千冬の呼びかけでようやく焦点が合い、正気を取り戻したように呟きを零す。

 

 

「何があったんだ!? 病気か!? 具合が悪い所は!? 熱は!?」

 

 

 千冬はおろおろと慌てふためきながら一夏の様子を窺う。こんな一夏の姿は初めて見たものだから千冬もどう対応して良いのかわからなかった。この手間のかからなかった弟が、今日ほど理解出来ない日はなかっただろう。

 千冬がおろおろしている姿をぼんやりと眺めていた一夏だったが、不意にぽつりと零した。

 

 

「……千冬姉」

「な、なんだ!?」

「……恋って、なんだろうな」

「はぁっ!?」

 

 

 後日、この質問を弾に持ちかけ、弾を阿鼻叫喚の地獄に叩き落とす未来を一夏はまだ知らない。

 ただ、一夏はぼんやりと去っていってしまった幼馴染みの姿を思い描く。尽きぬ悩みに、ただ惑うしか出来なかった。

 

 

 

 

 

「い、一夏!? どういう事なんだ、恋って何だ!? まさか彼女でも出来たのか!? 呆けてないで答えろ一夏ぁあああああああ!?」

 


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