天才兎に捧ぐファレノプシス   作:駄文書きの道化

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2014/1/13 これまでの幕間の章だったお話を2章に統合。その関係で中身は変わっていませんがサブタイトルの変更があります。


Episode:16

「なるほど、な」

 

 

 千冬は束とハルから受けた説明に瞳を伏せてそれだけ呟いた。

 ハルの出自、ハルの持つ特殊性から広がった夢の事。ラウラとクロエを保護した事や、束が夢を目指すために選んだ手段、その先の計画まで。束から話を聞き終えて、千冬は噛みしめるように一文字に口を結び、重々しく溜息を吐き出した。

 同じく説明を受けていた一夏はただ呆然としていた。ハルが千冬のクローンで、様々な非人道的な実験を受けていた事。そして同じように実験を受けていたラウラやクロエの存在。束の苦悩や、その果てに出した答えにただ圧倒されるばかりだった。

 

 

「……その、ハルは千冬姉の事」

「怨んでないよ。むしろ感謝してる。色んな偶然とかが重なって生まれた僕だけど、生まれた事を後悔した事なんて一度もない。束と出会えたから」

 

 

 一夏が心配だったのはハルが千冬の事を怨んでいないかどうか。ハルは苦笑をしながら返答をする。千冬には苦手意識がある程度だ。怨んでいない。

 ちらり、と千冬がハルを見たが、ハルは見なかった事にした。思う所もないのに変に責任も負って欲しくないから。

 

 

「僕は僕で、千冬は千冬だ。ただそれだけの話だよ。生まれにちょっとだけ千冬が関わっただけで、僕等の接点なんて何もない」

「……そうか。変な事を聞いて悪い」

「お姉さんが心配なんだろう? 構わないさ。本当に変わらないな、君は」

 

 

 ハルの楽しげに笑う。一夏は少し照れたように視線を落として頭を掻いた。自分があんなにも後悔していた事は、当事者からしてみれば実はまったく気にしていなかった。自分が空回りしていただけ。なんだか恥ずかしくなってしまった。

 あの時は仕方ないと言っても、お互いやれる事があった。そして出来なかったからこそ、ぶつかってしまった。だが、今更それを責め合う必要もない。既に過ぎ去った事だと。

 

 

「……さて。話はわかったが、つまり束。お前は一夏を保護しに来たと言いたいのか?」

「そのつもり。このままいっくんが宙ぶらりんになってたら何が起きるかわからない。上手く事が運んでIS学園に入ったとしてもその先は? IS学園の内部で起きた事には? そう考えたら、やっぱり手が足りない」

「……IS学園には私がいる。それでも、か?」

「ちーちゃんでも限界はある。それに相手が組織だった場合、戦う手段が武力行使だけじゃなくなった時、ちーちゃんは抗える? だから私が後ろ盾になるんだよ。いっくんの居場所を守る盾にね」

 

 

 束の問いかけに千冬はぐうの音も出なかった。千冬は教師であるのと同時に、守護者としてIS学園に身を置いている。表舞台から姿を消したが、かつて最強の名を欲しいままにした“ブリュンヒルデ”その人だ。防衛戦力としては申し分ない。

 だが、それだけでは駄目だ、と束は言う。幾ら迫る脅威を切り払おうとも、事態の解決にはならない、と。確かに、千冬はあらゆる敵を切り払う力があるだろう。陰謀すらも断ち切って一夏を守りきってしまうかもしれない。

 だがあくまでそこまでだ。そこから先は続かない。一夏に必要なのは武力であり、なおかつ一夏の身を保証する居場所だと束は言う。

 

 

「篠ノ之 束の名前はもう世界にとって伊達じゃないんだ。だったら幾らでも活用してやる」

「……お前は戦えるのか? 一度、お前は耐えきれずに逃げただろう?」

「それは私が一人だったからさ。ちーちゃんもあの時は私の手を取ってくれなかった。諦めろ、って言うことしかしなかった。わかるよ。いっくんを守りたかったんだもんね。だから束さんはちーちゃんは諦めたのです。……今は、もう一人じゃない」

 

 

 傍らにいるハルに束は微笑みかける。応じるハルもまた笑みを浮かべ、束の手を取って握り合わせた。千冬はその様子を見て、今度こそ呆気取られた表情で目を丸くした。そして勝ち誇ったように束が笑みを浮かべると、堪えきれなくなったように笑った。

 

 

「あっはっはっは! そうか……そうか! なんだ、まさかお前がなぁ! 変わったよ、本当にお前は変わったよ、束! く、くくっ! ふはははははは! 参った参った! お腹が、お腹が痛い!!」

 

 

 あの千冬が腹を抱えて笑い転げている。目に涙すら浮かべて、身をくの字に折って笑う。千冬の大爆笑に一夏は初めて見た、と目を丸くするばかり。ハルもこんな笑い方が出来るのか、と感心して千冬を見ていた。

 ひー、ひー、と呼吸を整えながら涙を拭って千冬は束に歩み寄った。束の頭を掴んで撫で回す。むぎゅぅ、と束から潰れたような声が漏れる。だが気にせずに千冬は束の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

 

 

「まったく。お前にまで先を超されるとは私も予想してなかったさ」

「やーめーてーよー! ハルにセットしてもらった髪がーっ!」

「なんだ自慢か? ん? くそ、悔しいな! 職場か!? 職場が悪いのか!?」

「ズボラなのがいけないんだよっ!」

「お前だってそうだろうが!」

「私にはハルがいるもん!」

 

 

 ぎゃーぎゃー、わーわー、と。まるで子供のように取っ組み合って束と千冬は反論し合う。互いが互いを罵り合っているが、不思議と楽しそうに見えるのは気のせいじゃない。

 二人を見ていたハルと一夏の視線がぶつかる。ハルが苦笑を浮かべて肩を竦めて、一夏もどうしようもならん、と両手を挙げて見せる。

 

 

「……これで勝ったと思うなよ?」

「もう勝負付いてるからね?」

「黙れ。どうせハルの年齢から見て結婚するには時間がかかる。私には長すぎる時間だ。精々、今だけの天下に浸っていると良い」

「はっ! 結婚して人生の墓場に行き着かないと良いね! いいや、ちーちゃんが引きずり込むのかな?」

「抜かせ。……幸せになれよ、親友」

 

 

 束の顔を伏せさせるように千冬は束の頭を撫でた。束はそのまま顔を伏せて肩を震わせた。

 千冬は視線を束からハルへ移した。ハルは柔和な笑みを浮かべていたが、その瞳だけは千冬に挑み掛かるように鋭く細められていた。

 

 

「……何も言う必要はないか?」

「改めて言われるまでも。……思わぬ所で結婚を約束して貰ったしね」

「は、はぅあぁ!?」

 

 

 先ほどの結婚の話だろう。束は妙な鳴き声を上げて縮こまってしまう。そんな束の様を見て千冬は笑みを浮かべる。ハルも照れたように赤くなっていたが、誇らしげに笑っている。

 一夏は三人の様子をぼんやりと見ていた。三人の会話から束とハルの関係性を察する事は出来た。先ほどまでハルと束が握り合わせていた手を思い出して、自分の手に視線を落とした。まるで何かに思いを馳せるように。

 

 

「一夏」

「お、おう!? なんだ!?」

「お前はどうしたい?」

「手を繋ぎたい……?」

「……お前は何を言っているんだ?」

 

 

 千冬は遂に頭がおかしくなったのか? と一夏を睨み付ける。慌ててぼやけた思考を追い払って一夏は顔を正面に向けた。

 千冬の問いかけは、今後の一夏の身の振り方についてだろう。一夏は一度、考え込むように口元に手を当てて視線を落とした。

 ゆっくりと時間が流れる。皆が一夏の言葉を待つ。そして、答えを決めたのか、一夏は顔を上げて千冬に言った。

 

 

「俺、行くよ。束さんと一緒に」

「……良いんだな?」

「もう千冬姉におんぶ抱っこはごめんさ。……千冬姉にも立場があるんだろうけどさ、俺はもう千冬姉に守られ続けるのはごめんだ。だから自分で自分を守れるように、自分で選んで束さんと一緒に行くよ」

「……そうか」

 

 

 千冬は重く息を吐き出した。下げられた肩がまるで落胆するかのように。手に取るように気持ちがわかる。千冬は一夏が言えば守ってくれた。そして心のどこかで選んで欲しいと思っていた。

 けれど一夏はもう選べない。千冬もまたわかっている。あの日、決別した時から決まっていた。約束されていた別れが、ただ単に早くなっただけ。千冬はゆっくりと息を吐き、力を抜いて笑みを浮かべた。

 

 

「寂しくなるな」

「上手く行けばすぐ会えるんだろう?」

「それでも、だ。本当にこれで私はお前に手を差し伸べられなくなった」

「……いつまでも子供じゃない。俺は、貴方の隣に肩を並べに行くよ」

「殻も破れていないような青二才がよく言う」

 

 

 鼻を鳴らして千冬は一夏を笑う。一夏の肩と頭に手を置いて髪を優しくかき混ぜる。

 

 

「行ってこい。元気でな」

「千冬姉も。生活、ちゃんとしてくれよ?」

「お前に教えて貰った事ぐらいはこなしてみせるさ」

 

 

 お互いに涙は要らない。笑みを浮かべて互いの道に幸があらん事を願って。

 そして一夏から手を離し、千冬は束へと視線を送った。千冬にかき混ぜられた髪を直していた束は千冬の視線に気付いて1つ、小さく頷いた。

 

 

「束。……頼んだ」

「任されたよ」

 

 

 二人が交わした短い言葉。それで充分だと言うように千冬は背を向けた。

 

 

「……私は寝るよ。見送りはいらないな?」

「……あぁ、おやすみ。千冬姉」

「おやすみ。一夏」

 

 

 まるで明日も変わらない日々が来るように。いつもの様子で一夏と千冬は言葉を交わした。リビングを後にしていく千冬の姿を見送り、一夏は改めて束とハルに向き直って手を差し伸べた。

 

 

「……こういうのって形から入るものだと思うから。改めて、織斑 一夏です。今日からよろしく頼む」

 

 

 この翌日、織斑 一夏が失踪した事が世界に流れる事となる。

 発見からすぐに行方不明になった事で、発見と合わせてのニュースは瞬く間に世界に拡散されていき、大いに世界を賑わせる事となる。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ハルは束の髪を手に取って櫛を入れていく。さらさらと、櫛を通された束の髪が重力に落ちて流れていく。

 

 

「……ねぇ、ハル?」

「何?」

「上手く行くかな?」

 

 

 束の言葉に不安の色は無かった。あるのは疑心だった。これから為す事に対しての疑心。

 

 

「私はさ、上手くやれるよ。自分の考えを伝える為に色々と考えたよ。でもさ、世界はどうなんだろうね」

 

 

 束の世界に対しての疑心は消えない。これはもう一生治らないな、と束は思っている。嫌なものは嫌だし、面倒なのは嫌いだ。自分の言葉が理解出来ない奴はやっぱり嫌いで、価値を見出す事が出来ない。

 

 

「どうだろうね。賢者と愚者は表裏一体だから。どんなに頭が良い奴でも馬鹿をやれば馬鹿になるし。馬鹿も馬鹿を突き通した結果、世界を良い方向にだって持って行ける事もある。きっと世界だって同じさ。結局、誰が正しいなんて立場を変えれば無数にあって、正しいものなんてない」

 

 

 束の髪に通していた櫛を止めて、代わりに手で触れて、束の髪に指を通していく。

 愛おしい宝物に触れるような手つきでハルは束の髪を撫でる。

 

 

「結局、自分を信じるしかないんだよ。その度にぶつかって、否定されて、傷ついて、苦しんで。でもそれだけじゃ辛いから、受け入れて欲しくて、癒して欲しくて、楽をしたいと思う。だから傍に居てくれる人を愛おしいと思える」

「……そっか」

「束なら大丈夫。今更な話でしょ? 自分を信じて、なんて」

「へへへ! 当たり前だよ。だって束さんだよ?」

 

 

 自信満々に微笑む姿はいつもの束と変わらない。そんな束の姿を見て、ハルは束を後ろから抱きしめるように手を伸ばす。

 自分の腕の中にすっぽりと束を収めて、ハルは束の耳元で囁くように言葉を続けた。

 

 

「訂正をさせて貰っていいかな?」

「え? 何を?」

「僕は束に全て捧げるって言った。束の許可無く死ぬ事はしない。君のモノになると言った。それを訂正させて欲しい」

「……どうして?」

 

 

 束は不安げな声を出して振り返った。束が振り返るのと同時にハルは束を解放して、束の座る椅子の横に片膝をつけて束に跪く。

 

 

「ずっと考えてた。どうして生まれてきたんだろう、って。僕は君に会いたくて生まれてきた。君に尽くしたくて、君を愛したくて生まれてきた」

「……うん」

「それだけで良いと思ってた。必要とされれば良かった。むしろ……必要とされなければいけないと思い込んでた。束の為に全てを捧げて、束の理想を叶えて、束が幸せになれれば良いと思ってた」

「……今は違うの?」

「違わないさ。束の理想を一緒に叶える。束の幸せを願ってる。それは絶対に変わらない。変わらなきゃいけないのは……僕だ」

 

 

 ハルは束の手を取る。束を見上げるように視線を移し、束を真っ直ぐに見つめる。

 

 

「君と生きたい。この手をずっと握りたい。

 君に尽くしたい。君の笑顔を隣で見たいから。

 君を愛していたい。何度でも君に思いを伝えたい。

 君の傍にいてあげたい。我が儘だとしても隣に居たい。

 君を守ってあげたい。君の傷つく姿を見たくはないから。

 君と共に悩んでいたい。僕も悩むから一緒に考えて欲しい。

 この血肉も、意思も、魂の一欠片の全てをかけて君と共に在りたい。

 一度捨てた命だからもう捨てたくない。ずっと君の隣に居たい」

 

 

 願うようにハルは瞳を閉じる。僅かに震えた呼吸を整えて言葉を紡ぐ。

 

 

「我が儘を言わせて欲しい。僕を好きになって欲しいんだ。その為に貴方の気持ちを教えてください。これからもずっと一緒に貴方の隣に置いてください。僕はずっと貴方の一番でありたい。僕は……――篠ノ之 束。貴方が大好きです」

 

 

 だから、と。

 

 

「これからもずっと貴方の隣にいさせてください。貴方の夢を一緒に追わせて欲しい。僕も、僕も君といる幸せを見つけたから。僕の幸せも叶えさせてください」

 

 

 沈黙が落ちる。

 ハルも、束も声を発しない。ハルは瞳を閉じて束の反応を待っている。

 束の手が、ハルの手に添えられる。束の両手がハルの手を包み込む。

 

 

「顔、上げて。ハル」

「……束」

 

 

 束に促されてハルは顔を上げた。束は、呆れたように、けれど穏やかな表情で笑みを浮かべていた。

 

 

「今更だよ。訂正する必要あった?」

「ちゃんと言っておきたくて」

「……ハルは、今が幸せ?」

「うん。でも、これからもっと楽しくなると思う」

「奇遇だね。私もそう思ってるんだ。怖いし、疑っちゃうし、成功するかなんて人任せだからさ。だけど、だからきっと頑張れる。ハルと一緒なら」

 

 

 束は椅子から立ち上がってハルの手を引く。束の手に引かれるまま、ハルが立ち上がる。

 束は立ち上がったハルに抱きつき、ハルの背中を優しく叩く。

 

 

「大きくなったね。本当に」

「……昔はずっと君の胸に顔を埋めてた」

「そうだね。あの時の君は本当に小さいのに、無茶ばっかりした。ISを初めて起動させた時、モンド・グロッソの時。無鉄砲で、必死で、がむしゃらだったね」

「うん。反省してます」

「なら良し。――大丈夫だよ、ハル」

 

 

 束はハルの手を取って、その手を自分の胸元に当てた。手に感じた豊かで柔らかい感触にハルは思わず顔を紅くする。

 

 

「た、束!?」

「聞こえるでしょ? 私の心臓の音」

「え……? う、うん」

「私が生きてる証の音。――これが貴方の生きてる証明だよ、ハル。貴方はここで生きてる。私を生かしてくれてる。それが君の価値だよ」

 

 

 とくん、とくん、と。

 手から伝わる鼓動の音は生命の証。束が生きてる事を示す音。触れる熱が彼女の存在が、ここにいる事を教えてくれる。

 それが証だと束は言う。必死に証を求めていたハルに対して差し出すのは存在の証明。それがハルの価値だと束は言う。

 

 

「生まれてきてくれてありがとう。私を生かしてるのは君だ。だからずっと傍に居て。これからずっと一緒だよ、ハル。私がいる事が貴方の生きてる証明になるなら、貴方の価値になれるなら――こんなに幸せな事はないよ」

 

 

 お互いが生きている事で、お互いの生を実感し合う。

 互いにもう欠かせない。互いの心臓の音は誤魔化せない。

 そっと手を胸から外して、もう一度束はハルを抱きしめる。耳をハルの心臓に当てるように。

 

 

「これがハルの生きてる音。私が愛されてる証明の音。君を確かめる為の音。私はもう一人じゃない。そしてハルも一人にさせない」

「……うん」

「君が転んでいかないようにずっと手を繋いで行くよ。もう離さないから」

 

 

 指を絡めるように束はハルの手を手に取る。そして微笑む束を前にしてハルもまた微笑んだ。一筋、涙がハルの頬を伝っていく。

 

 

「僕はここに生きてる」

「うん」

「君がここに生きてる」

「うん」

「それが何よりも嬉しい」

「うん」

 

 

 確かめるように、束と指を絡めた手に力を込める。空いた片手で束の身体を抱きしめる。

 束はハルの身体を支えるように力を込める。その場にしっかりと立って、ハルの顔を覗き見る。それから二人の視線が重なり、距離がゼロになるのは自然の流れにも思えた。

 

 

「愛してるよ、ハル」

「僕も、愛してる。束」

 

 

 互いに身体を離して、ただ握った手は離さない。互いに微笑み合って。

 

 

「じゃ、行こう」

「うん」

 

 

 堂々と歩む束の歩幅にハルが歩幅を合わせるように二人は歩き出した。

 長い廊下。たった2年ほどしか住んでいないこの廊下にも色んな思い出が出来た。

 そして進んだ先に扉がある。扉を抜ければそこは艦の制御を司る艦橋へと出る。

 艦橋には高天原に乗る全ての人が集っていた。

 織斑 一夏に、篠ノ之 箒。篠ノ之夫妻に、そして……ラウラとクロエ。

 

 

「お待ちしてました」

「……始めましょう」

 

 

 ラウラとクロエが笑ってハルと束を呼ぶ。皆が見守る中、束はハルの手を離して艦橋の中央に立つ。

 

 

「行こう。私達の夢を叶えに。――世界に私達を知らしめよう。高天原、初の全機能の解放を行うよ! クーちゃんッ!!」

 

 

 束がクロエの名を呼ぶ。艦の制御を司るクロエは束の呼びかけに力強く頷き、異色の瞳を見開いた。同時に彼女の纏う衣装が巫女装束へと替わり、狐耳型のセンサーが宙に浮く。

 すぅ、と息を吸えばクロエの身体が宙に浮き、クロエの周囲の空中ディスプレイが無数に表示される。クロエの周りを旋回するように飛び、クロエの手に収まった球体型のインターフェースが光り輝く。

 

 

「本艦はこれより浮上を開始。その後、全システムを起動し、“飛翔”致します。各コア正常に起動、船体チェックに異常なし。ネットワークは正常に接続を確認。全機関、全システムオールグリーン。――高天原、浮上致します」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 静かな海景色が広がっている。空は快晴。雲もまばら。絵にもなる穏やかな海の景色は、やがて変貌していく。

 まず波が立った。海鳥たちが恐れを為すように彼方へと飛んでいく。やがて波は次第に膨れあがり、海面を突き破って現れたのは鋼鉄の塊だった。

 海水を弾き、その船体を日の下へと晒した船は海面へと浮上した。だが船は止まらない。波が震えるように海面を走り、やがて船体は波から浮いた。

 徐々に上へ、上へと昇っていく。やがてその船体は存在を誇示するかの如く、白き船体は悠々と空を行く。

 

 

「す、すげぇ……! お、おい! 箒、見ろよ! マジで空飛んでる! この船飛んでるって!!」

「え、えぇい、うるさい! わかっている! 見ればわかる!」

「す、すっげぇーっ! くぁあああ! 男なら燃えるしかない!! マジで束さんすげぇぇええ!!」

 

 

 深海から飛び出した事で艦橋の窓が解放され、外の景色を映し出す。艦橋の窓から見渡せる世界に興奮した声を上げているのは一夏だった。傍にいた箒を引っ張り、身体全体で窓にへばり付いて興奮を示している。

 そんな一夏に引っ張られるまま、窓際まで連れて行かれた箒。彼女は実際に船が飛んでいる事よりも、自分の手を握る思い人の手の方が気になるようであった。

 篠ノ之夫妻は唖然としていたようだったが、やがて諦めたように苦笑をした。それはいつかこうなる事を予想していたとも取れる表情で息を吐く。

 

 

「……飛びましたね」

「……これはクるね」

 

 

 まるで現実が感じられない、と呆けたようにラウラが呟いた。その隣でハルは目元を抑えていた。艦の制御をするクロエもまた言葉を忘れて艦のセンサーから広がった世界を見ていた。

 通常のISよりも遙かに巨大な世界を感じさせるハイパーセンサー。ただクロエは圧倒された。これが空を飛ぶ事。夢を為の翼の勇姿に、胸の中で何かが生まれる。熱い何か込み上げてくるようだ。熱を放つソレにクロエは口元を抑えた。

 

 

「……浮上、成功。高天原はこれより……通常飛行へ移行します」

 

 

 ようやく言えた言葉は震えていて、流れ落ちる涙をクロエは止めず、眩しげに艦橋から見渡せる空を見た。

 誰もが言いしれぬ感慨に耽る中、ただ一人前を見据える者がいた。当然の如く結果を受け止めるのは当然、篠ノ之 束その人。彼女は片手を振り払うようにして空中ディスプレイを展開。

 

 

「それじゃあ束さんもお仕事を始めよう。お久しぶり、世界。――私は帰ってきたよ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――それは世界各地で起きた現象だった。

 あらゆる映像機器にそれは映し出された。街頭の広告用テレビに、インターネットに繋がれたパソコンに、誰もが目に留まる場所で。

 映し出されたのは篠ノ之 束の姿。高天原の艦橋の様子を撮影した篠ノ之 束の映像はリアルタイムで全世界へと発信された。

 

 

「世界に住まう皆様、如何お過ごしでしょうか。ご存じの方はお久しぶり、初めての人には初めまして。私はIS開発者の篠ノ之 束です。このように映像を拝借させて頂いてのご挨拶に酷く驚いていると思いますが、暫しのご静聴を。

 

 ……さて、畏まるのはここまで。まず世界の皆さんには一言。私の生み出したISを使ってくれてどうもありがとうございます。本当の目的とは全然違う理由で使われてるから束さん的には大いに不満だけど、世界には必要なんだと言うことで目を瞑ります。

 

 けれど束さんは許せない事があります。――それはISを扱う為に繰り返される非人道実験の数々。私がISを生み出したのはこんな横暴をさせたいが為に開発したんじゃない。後に全世界に私が保護した子達のデータを公表します。誤魔化そうったってそうはいかないんだからね。徹底的に暴き倒してやる。今もこんな実験を繰り返している奴がいるんだったら探し出してでも潰してやるから覚悟しておいてね。この子達はもう私の大事な家族だ。私は私の家族にした非道の数々を赦しはしないよ。

 

 そんな訳で束さんは世界の現状に呆れ果てました。元々、本来の意義を見失ったISの開発にこりごりで行方を眩ましていたけど……私の可愛い子供と言えるISをこんな人殺しの為に使われるならどうしてやろうか、なんてずっと考えていた。

 

 だから私、篠ノ之 束はここに私をトップとする組織“ロップイヤーズ”の設立を宣言するよ。ロップイヤーズの目的はISの平和利用。誰もがISの為に犠牲になる事がなく、ISは人類のパートナーとして成長していく為に活動する。

 

 ロップイヤーズはあらゆる国家、組織に所属せず活動する。ISが必要な場面に率先して支援を行い、先ほども上げた非人道的な人体実験の阻止、被害者の保護を行うよ。そしてISの本来の目的である宇宙開発を込みとしたISの開発研究の促進もだ。

 

 同時に私は世界各国に技術協力をする用意があるよ。その為に私達は現在、完全中立地帯となっているIS学園にその拠点を置いての活動を世界が認知する事を要求する。世界にISが受け入れられた。ならばその形を私は尊重したい。それが我が子の願いならば私はIS達の為に私の技術を世界に伝えよう。

 

 ただしISコアの譲渡は無い。私は今、世界に預けた子達の成長によって世界の成長を見定める。そして人類がISと歩めると確信した時、私はISコア製造の方法を全世界に公開する事を誓う。

 

 その判断をするのはIS達だ。私はISの意思を直接聞ける。ISコアは誤魔化せない。ISコアにした事は全て返ってくるからね。だから、いずれISコア達が人類と対等に歩む事を望む時が約束の時だ。その時が来れば私はコアの製造方法を公開しよう。

 

 さて、先んじて活動してしまったけれども世界初の男性でISを動かす事が出来た織斑 一夏くんは私が保護しているので心配しないように。よからぬ事を考えていた奴は下手な事を考えない方が良いよ? 織斑 一夏の存在がISコアに男性を受け入れさせる鍵と為り得る存在になるかは全世界次第だからね。そうそう、私はISが何故、女性にしか扱えないか、そのプロセスを解析する事に成功したから。一応伝えておくよ。

 

 ロップイヤーズは当然だけど武力を有している。だけど私達は絶対にISを戦争の為にも、支配の為にも使わない。IS達には意思がある。願いがある。私は私の子供にそんな罪を犯させたくはない。故に私達が武力を有するのは自衛とISの力を必要とする時、真っ先に駆けつける為に。

 

 今は私が開発したISコアによって稼働するISコア搭載型万能船“高天原”で活動している。現在飛行テスト中だから予定航路は公開しておくよ。見に来たければ見に来れば? 態度によってはこちらにも考えがあるけどね?

 

 それではロップイヤーズは世界からの返答をお待ちしております。返事の確認は……そうだね。今から1ヶ月後、IS学園で窺おうか。直接出向くから迎えは要らないよ。

 

 それでは拝聴ありがとうございました。この演説はエンドレスが出来るようにネットで配信して置くからご自由に。同時に人体実験のデータも一部公表するよ。保護した子達のその後とかも一緒にね。人体実験のデータは気分が悪くなる事間違いなしだから心の弱い人とかは遠慮しておいた方がいいって注意しておくからね? それだけの事を世界はやらかしてるんだ。

 

 だけど、そもそも私がISを作った事が原因だと言うなら。なら私は改めてその責任を果たそう。私の夢の為に。私の子達の為に。そして私の子達を愛してくれる人達の為に。私は望むよ。この世界と共に生きる事を。――良い返事を期待しています」

 

 

 

 ふぅ、と。リアルタイムでの撮影が終わり、束は熱を逃がすように吐息を吐いた。

 すかさずハルが、ラウラとクロエが束の傍に寄り添う。三人に支えられて束は笑みを浮かべた。そして三人を纏めて抱きしめるように手を伸ばすのだった。

 

 

 


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