天才兎に捧ぐファレノプシス   作:駄文書きの道化

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Episode:17

 束の全世界に向けて発信された演説は、瞬く間に世界を混乱へと叩き落とした。

 束のもたらした情報。まずは束が保護したハル、ラウラ、クロエに関する人体実験の概要、その一部。保護された後の日常生活を本人達の言葉で語ったものや写真等が公開された。

 これには当然、反感を持つ者達が多く生まれた。非人道的な扱いを受けたハル達に同情の声が多く寄せられる事となる。これに最も焦ったのが過去、ラウラを切り捨てたドイツだ。ドイツ国内では軍が容認した人体実験に軍への不信が高まるという結果になった。

 他にも束が保有する戦力の公開。ISコア搭載型万能船“高天原”のスペックや概要、そして搭載された無人機達の情報。更には束が提唱した“IS第四世代”の概要と一部、実証したISのデータを公開。

 そして何より衝撃だったのが女性にしかISが使えない原因と経緯。開発の経緯そのものに関してはどうしようもないとしても、現在の状態は女性が生み出してしまった女尊男卑に大きな影響を受けている事が火種となった。

 これには世界が割れそうになった。特に元飛行機乗りや空に携わる仕事を生業としていた者達はこぞって女性達を非難した。中には原因である束を憎む声もあったが、大勢はやはり女性への不満をここぞとばかりに爆発させた。

 ISが公開されてから10年。その間に世界は急激に変化を見せたが、その変化の影響を最も大きく受けたのがISだというのがまた皮肉な話である。

 そして束が乗る高天原。これは束が公開した通り、世界でも撮影された映像などがネットに上げられ、興奮や畏怖を呼び覚ました。

 中には単純に船が空を飛んでいる姿に興奮を覚え、そして先に見える宇宙開発という夢に心を躍らせる者。

 またある者はこの船が“戦力”として扱われた時の事を考え、顔を真っ青にさせる。ISとほぼ同機能、いや、それ以上の戦力と為りうる船は現在、束の乗る高天原しか存在しない。その圧倒的な技術力に恐れを覚える者もまた多い。

 同時に公開された第4世代型のIS。この存在にISメーカーは衝撃を受けていた。一歩どころか二歩先へと進んだ技術力。更には無人機の存在も、束の保有する戦力が並ならぬものである事を指し示していた。

 当然、この束の保有する戦力を危険視する者も多くいる。だが同時に束はこの技術を伝授、公開するとも公言している。そしてハル達のような非合法の人体実験の被害者を保護している等、その行いから束を英雄視する意見もある。

 結果、世界は纏まらないまま半月という時間を流してしまったのだ。

 

 

「まぁ、でも時間の問題かな? 幾ら世論がどうであれ、篠ノ之 束の技術力は文句なしに世界一だ。これだけの技術力と戦力を敵に回したなら世界は保有するIS達を全部纏めでもしなければ対抗出来ない。逆にあっちは移動する活動拠点まであるし、そのスペックは空から深海まで。全力で逃げられて、仮に見失ったら守る事は難しくなる。ゲリラ戦なんてやられたら……お手上げ?」

 

 

 デュノア社本社の一室、そこでシャルロットはくるり、と回る椅子に背を預けながら呟いた。シャルロットは今後の世界について考えを巡らせていた。

 どう足掻いたところで世界が束、いや、束の結成した組織“ロップイヤーズ”に対抗出来ない。独自で補給する拠点まで得て、ISは単騎でありとあらゆる状況に対応する万能機。

 世界が一丸となって挑めば殲滅が出来るかどうか。そもそも束によって公開された情報で世界は既に真っ二つに割れそうなのだ。男の溜め込んでいた不満が、口実を見つけて爆発した事によって。

 

 

「世界は10年前から徐々に女尊男卑には変わったのは事実だけど、だからといってそれは個人レベル、団体レベルだ。世界レベルで見ればまだまだ染まりきってはいない。培われた経験と実績は裏切れないからね」

 

 

 女性優位な社会になりつつはあるが、世界的に見てそれが肯定されているかと言われればそうではない。比較的に影響を受けたのは若い世代だろう。だが既に年を重ねた世代はISが公開されて世界の風潮が変わりつつも、染まりきってはいない。

 そもそものISの数が限られているのだ。ISに搭乗も出来ない、していない女性が粋がった所で人の心は動きはしやしない。ISが関わる業界ならともかく、ISに関わらない所では女尊男卑など言ってられないのだ。

 そんな世界の状態で団結する事など叶わなければ、篠ノ之 束と対抗する事など出来やしない。更に言えば篠ノ之 束は世界に歩み寄る姿勢すら見せているのだ。この手をはね除ける選択肢はほぼ無いと言って良いだろう。

 だが、束を受け入れるという事は、言ってしまえば全てを束によって監視される独裁を許すとも取られかねないだろう。だからこそ世界は揺れている。だがそんなの今更かもしれない、とシャルロットは思う。

 たった一人の開発したISが世界が変えた。軍事力の要となり、今に至るまでISに対抗する兵器が数多く作られたが、どれも完璧にはISと拮抗する事が出来なかった。そして何より世界の人々がISを受け入れたのだから。

 

 

「ISにだって意思がある、か。まだ幼く、僕等と共に歩んでくれるISだけど、ISにだって共に歩む人を選ぶ時が来るかもしれない。……その時、ISは人類を許すんだろうか?」

 

 

 シャルロットは想像してみた。もしこのままISを兵器として扱い続け、その度にISが人を学習して行き、いずれ人と同等の知能を得た時、人を守る為に生まれたISはどうなっているだろうか? 自らの存在が守るべき人を害していた事実を知った時、ISは何を思うだろうか?

 ISを扱う為に、研究する為に人体実験の果てに生まれた改造人間。筆頭にあげればラウラやクロエ。他にもISに人生を狂わされた人間など数多くいるだろう。人を守る事を存在意義として定義しているISが、もしもその二律背反を理解出来た時、ISは何を思うのか。

 

 

「まぁ、先の未来なんだろうけどね。世界の現状を考えれば」

 

 

 今は来るかもわからない将来よりも、生きるべき今の方が大事だ。先を見据えて生きなければならないが、歩むべき足下を疎かにしてはいけない。

 デュノア社としては、さっさと世界にロップイヤーズの存在を認知して貰い、安定して欲しいのだ。シャルロット個人としても。

 

 

「今、立場を公言しようとすれば間違いなく睨まれるし……はぁ、早く落ち着いてくれないかなぁ」

 

 

 世界の意思は纏まる筈がないだろう。どれだけ善意であろうとも強大な力はそれだけで脅威たり得る。けれどまた同時に、その力に従うしかない事も世界はわかっている。

 本当に束がある意味、世界にまったく興味の無い人で良かったとシャルロットは思う。彼女に知識欲や顕示欲はあれど、世界を支配しようなどという思想も無ければ、人の上に立って何かを為したいとも思う人間でもない。

 2年前、束を初めて見て、威嚇されて恐怖を身に叩き込まれたシャルロットだが、落ち着いてみれば取られたくないものを必死に守ろうとする子供のようにも見えた。本当に無邪気で純粋、それが篠ノ之 束の本質なのだろう。それが彼女の持つ技術力と合わさって凶悪なものとなっているが。

 

 

「シャルロット! いるか!」

 

 

 思考に漂っていたシャルロットだったが、突然部屋の扉を開けて入ってきた声に驚いた。それは父のものだったからだ。

 

 

「社長? どうしたんですか?」

「シャルロット、すぐに出撃だ。ラファール・アンフィニィで出てくれ」

「は? 一体何事ですか?」

「ドイツ軍からISを奪った逃走犯がそのままISでフランスへ向かっている。これを迎撃せよ、と政府から打診された」

「はぁっ!?」

 

 

 突然、舞い込んできた事態にシャルロットはただ驚愕する事しか出来なかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「――巫山戯るな! これが……これが上層部の答えだと!?」

「た、隊長……! そ、その、落ち着いて……!」

「これが落ち着いていられるかッ!! くそ、くそっ!!」

 

 

 勢いよく壁に拳を叩き付けたのは女性だった。目はきりり、と釣り上げられ血走ってすらいる。全身は怒りに震えていていた。

 彼女が纏っているのはドイツの軍人である事を示す軍服だ。彼女を諫めようとするのは同じく軍服を纏う少女達だった。

 

 

「隊長……怒るのはわかるけど、壁に当たったって仕様がないって」

「うるさい!!」

「ッ……! あの子の行方がわかって、その扱いに怒ってるのはわかるけど、私達に当たり散らしたってしょうがないって!」

「ッ――ッ!」

「らしくないよ……貴方がそんなんじゃ」

「……すまない。少し冷静さを欠いた」

 

 

 諫めるように叫んだ同僚の言葉に目を見開き、自らを落ち着かせるように息をゆっくりと吐き出す。

 

 

「落ち着いた? 隊長……うぅん、お姉様」

「……すまない」

 

 

 怒りを撒き散らしていた女性の名はクラリッサ・ハルフォーフ。

 彼女はドイツ軍のISを運用する為の特殊部隊“シュヴァルツェ・ハーゼ”に所属する軍人にして、栄えある隊長の任に就いている女性だ。

 何故彼女がこうまで怒りを露わにしているかと言えば、先日の篠ノ之 束の演説後に公開されたデータが原因だ。そこに表示されていた人体実験の被害者の中にクラリッサの知古の者がいたのだ。

 ラウラ・ボーデヴィッヒ。かつて自分たちと同じ隊に所属し、とある事件を境にその姿を消した少女。

 その経緯となった目に手を触れ、クラリッサは歯が軋むのも関わらず強く噛みしめた。

 

 

「……上層部は?」

「ラウラ・ボーデヴィッヒ除隊後の扱いに関しては我等の認知する所ではない、との事だ」

 

 

 軍人は命令に従わなければならない。規律を守らなければ統率はならない。そして軍は統率されていなければならない。武力を持つ者として。人を守り、国を守るべき者として。

 しかしこれは一体何だ? 人を守り、国を守るべき軍人が事もあろうに人を、ましてや元々仲間であった“彼女”を人体実験の材料として引き渡しただと? 巫山戯るのも大概にして欲しいものだ。

 だが事実なのだ。クラリッサはかつて“ドイツの冷水”とまで呼ばれたラウラの事を思う。

 クラリッサとラウラの交友は決して深くなかった。だが、隊の中でも最年長であったクラリッサは何かとラウラを気にかけていたのだ。元々、親もいない遺伝子強化試験体として生まれた彼女に同情があったとも言える。

 いつか心を開いて欲しい、とクラリッサは願っていた。だが彼女の実力は本物で、クラリッサも彼女に勝つ事は出来なかった。故に誰にもラウラは心を開かずにいた。それをクラリッサは哀れにすら思えていた。

 状況が一変したのはISの登場の頃からだ。ISとのより適合性を高める“ヴォーダン・オージェ”の移植が彼女に不適合を起こした。その後、暴走する瞳に振り回された彼女はかつての絶対者たる姿を失わせていく。

 

 

「……ッ……!」

 

 

 それはクラリッサの後悔の象徴だった。日々、成績を落としていくラウラにかけた言葉も、ラウラには届かなかった。今までのラウラの態度から、ラウラへの反感を晴らそうとした者達を諫めて回り、ラウラがいつ復帰出来ても問題がないようにと尽くした。

 それは生来のクラリッサの優しさだったのだろう。軍人となる事を選んだのも、自分が国を守る為に力を得る事が目的だった。そして自らよりも幼い少女達の姿を見て、次第にそれは仲間を守りたいという思いへと変わっていった。

 しかし無惨にもクラリッサに待ち受けていたのはラウラの除隊だった。結局ラウラは成績を取り戻せずに除隊され、その行方も掴めなくなってしまった。上層部に掛け合おうとも知ることが出来なかった。

 それ以来、クラリッサは強くなろうと足掻いた。自分にもっと力があれば、もっと自分に何かが出来ればラウラの事を救えたのではないか。成績を落としてしまい、瞳が暴走していたラウラがどんな末路を迎えたか、想像すれば後悔が身に突き刺さった。

 そして修練の末、手に入れたのは隊長という栄光の座。だが何も嬉しくはなかった。それでも仲間を守れるのは良い、とクラリッサは時に心を鬼として、時に姉として隊員達を導いてきた。そんな中でクラリッサの傷も少しずつ癒えようとしていた。

 その矢先、公開された篠ノ之 束によって保護されていたラウラのデータ。まるで人として扱われていない事実にクラリッサは激怒した。どういう事だ、と上層部に掛け合っても望んだ返答は聞けない。聞ける訳もない。

 

 

「……お姉様」

 

 

 全ては順調だった。隊員達もまた後悔していたのだ。ラウラの事をクラリッサは守ろうとしていた。誰に隔てる訳でもなくその愛情を注いできた。その説得を受け、隊員達もまたラウラを受け入れようと思い始めて、叶わなかった。

 その時のクラリッサの姿は見ていられない程だった。まるで鉄のような殻に身を包んで、涙を見せないように振る舞った。だからこそ隊員達は敬愛を篭めてプライベートではクラリッサの事を姉と呼んでいる。それが何よりもクラリッサを癒す言葉であったから。

 なのに、こんな事になってしまった。クラリッサの思わぬ所から真実は知れ渡り、今、自分たちの下で笑わなかったあの子は笑えているようになっている。

 クラリッサの心に激情が生まれる。あの子だって笑えた! あの子だって人間だった! それを認めず、実験体として扱った軍とは何か!?

 

 

「こんな……こんな軍の為に! 私は軍人になった訳ではない!!」

 

 

 それはかつての彼女を否定する呪いの言葉。かつての彼女の誓いを穢す言葉。

 それが他ならぬクラリッサの口から吐き出される事が、隊員達にとって何よりも辛かった。ようやくクラリッサが立ち直ろうとしている時に、どうしてこうまで世界は彼女に優しくないのか。

 

 

「……最早、何もかもが虚しい。どうでも良い」

 

 

 自嘲するように笑い、被っていた軍帽を投げ捨ててクラリッサは肩を落とした。自分が身に纏っている軍服を見て、また更に笑いが零れた。自分たちは何だ? と。国を守るための栄えある特殊部隊?

 違う。体の良い道具ではないか、と。国を守るために利用され続ける。そこに意思などない。そこに信念などない。ただ飽くなき欲望が手ぐすねを引いて待っているだけだ。

 IS搭乗者として磨いた腕も、こんな奴らの為にあった訳ではない。誰かを守りたくて力を切望したクラリッサの夢は最早、摩耗し切っていた。

 

 

「ISとは何だ? 蓋を開けてみれば宇宙開発が本来の目的だそうだ。哀れなものだな。本来の目的を歪められ、人に使われるだけの兵器と成り果てた哀れな翼。まるで私のようだ。いいや? 利用価値があるだけ私よりマシかな……?」

「お姉様! しっかりしてよ!!」

「……私はいつも裏切られる。何のために軍人となったのだ、私は。何のために力を磨いてきたのだ。何のために? 何も為せない私に……一体何の価値がある?」

「止めて! 否定しないでよ! 私達を守ってくれたでしょ!? お姉様が部隊の為にどれだけ心を砕いてくれたか皆知ってるよ!? だから否定しないで!!」

 

 

 隊員の一人が投げかけた言葉に、他の隊員達もまた頷いていた。だが、クラリッサには届かない。いいや、届いたとしても彼女には受け止められない。既に笑うだけの優しさは削ぎ落とされた。

 クラリッサはふらり、と無言のまま部屋を出る為に歩いていく。去っていくクラリッサの背中を誰もが見送る事しか出来なかった。

 

 

(……何のために、か。もう見えないな。軍人である意味も、強さを求める意味も)

 

 

 ちらり、と。自身のふとももに装着されたレッグバンドに触れる。それは待機形態のISだ。自らには必要ないと外そうとし、撫でるように触れてみた。ただ何も言わぬISにクラリッサは微笑を浮かべる。

 ISには意思がある。篠ノ之 束はそう言った。そして本来のISの存在意義は宇宙開発、そして人々を守る事であると。なんだ、ドイツは為し得てはいないじゃないか。ならばどうする?

 

 

「……お前には本来の生まれた意味がある。果たせずにいて、さぞかし悔しかろう。私とお前は同じだな。いいや……お前にはきっと価値があるんだろう」

 

 

 だから。クラリッサはある事柄を思い出す。その為の計画を脳裏に描いて、固めて、そして決意した。

 

 

「連れてってやる。お前が本来はあるべき場所へ。お前はこんな所にいるべきじゃないさ。私がお前の剣になってやる。お前が行くべき場所は……あの空だ」

 

 

 そして、クラリッサ・ハルフォーフは反旗を翻した。

 身に纏うISの名は“シュヴァルツェア・ツヴァイク”。ドイツの最新鋭の機体を身に纏ったクラリッサは虚ろな瞳に決意を篭めて、その身を空へと舞い踊らせた。

 通信が入るが、ISを通じて全ての通信を強制カットする。警告の音も知らぬままにクラリッサ・ハルフォーフは全力でシュヴァルツェア・ツヴァイクを飛翔させる。自身を縛っていたありとあらゆる全てを置いて、クラリッサは空を走る。

 空を飛翔しながらクラリッサは笑う。あぁ、こんなにも縛られずに舞う空は快いものなのかと。ただ早く、早く、どこまでも駆けていこうと舞う。進んで、進んで、飛んで、飛んで。

 

 

 

「――止まってください!」

 

 

 

 オレンジ色の翼が道を塞ぐように姿を現した。

 クラリッサは視線を向ける。あぁ、知っているとも。こいつの事は知っているとも、と。

 

 

「“疾風の姫君<ラファール・ラ・プランセス>”、シャルロット・デュノアか」

「……貴方はフランスの国境を越えています。直ちに武装解除し、投降してください」

 

 

 シャルロットは両手に構えたライフルを差し向けてクラリッサに問う。クラリッサが辺りを見渡せば、あぁ、なるほど。確かに国境付近まで飛んでいたようだと気付いた。

 だが今更戻れる訳もない。このまま戻った所で軍法会議だろう。もう帰る場所もない。ならば? ならばどうするか? 身に纏うISへと意識を向ける。そうだ、こいつは飛ぶ為の翼だ。ならば、邪魔される謂われは無い。ただ飛びに行くのだから。

 

 

「国を捨て、仲間を裏切り、自身すらも見失って……たった1つ残されたのだ。こいつの存在意義を果たすと」

「貴方は何を――」

「もう何も要らん。ただ――果ての果てを夢見るのみ! 貴様が私の果てか、“疾風の姫君”ッ!! 私に果てを見せてみろォォオオオッ!!」

 

 

 クラリッサが叫び、シュヴァルツェア・ツヴァイクの肩部に装着されたレールガンがシャルロットへと照準を向けて、放たれる。シャルロットは放たれたレールガンの弾丸を回避し、両手に持ったライフルをクラリッサへと向ける。

 

 

「くっ、やるしかないのか!!」

 

 

 クラリッサの状態から正気が感じられず、シャルロットは一瞬躊躇う。しかしここで戦わなければ自分が落とされるだけだ。話を聞くのは無力化させてからでもやれる、とシャルロットは戦いに意識を傾けた。

 ドイツとフランスの国境で始まったシャルロットとクラリッサの戦いは熾烈を極めた。しかし優勢に傾いたのはシャルロットであった。

 シュヴァルツェ・ツヴァイクは全距離対応型のISとして開発された。コンセプトとしては全距離対応迎撃型に分類される。リニアカノンやワイヤーブレード、そのどれもが強力無比な武装だろう。

 だがそれも当たればの話だ。リニアカノンも外れ、射出したワイヤーブレードも破壊されてしまった。次々と風が吹き荒れ、1つ、また1つとシュヴァルツェ・ツヴァイクの武装を剥ぎ取っていく。

 

 

「がぁっ!?」

「悪いけど、全距離対応なのはこちらも同じでね! アンフィニィに負けは許されないんだっ!!」

 

 

 互いの機体は奇しくも全距離対応型。だがこの二機の対決はシャルロットのラファール・アンフィニィに軍配が上がる。クラリッサの技量も決して低くはない。シュヴァルツェ・ハーゼの隊員として、隊長として、かつての後悔を払拭する為に磨いた力は伊達ではない。

 けれどシャルロットもラファール・アンフィニィに注いだ思いも決して負けてはいない。この機体を使いこなそうと、ありとあらゆる武装群を使いこなすために訓練と研究を重ねてきたのだ。

 同じ全距離に対応する万能型。そして手数が多く、機体を乗りこなしているシャルロットの優位は揺らがなかった。あの手、この手と武器を変え、距離を変え、変幻自在にクラリッサを責め立てるシャルロットはまるで嵐のようだった。

 

 

(負ける? ここが、私の果て――?)

 

 

 シャルロットの猛攻に晒されながらクラリッサは自問する。あれだけ乗りこなそうとした機体も、最強を目指して鍛え上げたこの力も、ラファール・アンフィニィを駆るシャルロット・デュノアの前では無力。

 笑い声が口から零れた。このままでは勝てない。特徴を変え、なおかつ淀みなく換装し、姿を変える変幻自在の力の前には無力でしかない。

 

 

「なら――要らぬ」

 

 

 ならば放棄する。

 シャルロットはその光景に目を見開いて叫ぶ。

 

 

「武装解除……!? いや、違う、捨てた!? この状況下で!?」

「最早、武装など重荷にしかならない。ならば――要らぬッ!!」

 

 

 リニアカノンが、ワイヤーブレードのユニットが、全てが機体から弾け飛んで地に落ちていく。残されたのはクラリッサが纏うISの装甲のみ。

 

 

「要らぬ、要らぬ、要らぬッ!! 最早、私には何も――ッ!!」

 

 

 手を引いて抜き手を構える。逆の手はシャルロットへ手を広げるように。

 その瞬間、シャルロットが硬直したように身を固めた。いいや、実際に固められたのだ。シャルロットがいる空間ごと。

 それはシュヴァルツェア・ツヴァイクに残された切り札。PICの発展型であるAIC<アクティブ・イナーシャル・キャンセラー>。対象の行動を一切許さない絶対の結界がシャルロットを捉える。

 

 

「これはAIC!? 完成してたの!? くっ、動け、動いてラファールッ!!」」

「貴様の命運、ここまで!! 貫けやぁああああああああああああああああああッッ!!!!」

 

 

 シャルロットは藻掻こうとするも、それよりもクラリッサの方が早い。全ての武装を捨て去ったクラリッサは推力に余したエネルギーを注ぎ込んで加速する。抜き手はプラズマを放つ手刀となり、シャルロットを貫かんと一直線に迫る。

 

 

 

「――そこまでだ」

 

 

 

 声と共に盾がクラリッサを遮った。シャルロットを貫かんとした手刀を防いだ盾の主は――黒兎を纏うラウラだった。

 シャルロットはクラリッサとの間に割って入るように現れたラウラの姿に目を見開く。

 

 

「ラ、ラウラ!?」

「久しいな、シャルロット。……色々と調査の為に傍受していればドイツ軍からISが奪取されたと聞いてな。たまたま通りかかっていたもので、見に来てみればお前の危機じゃないか。駆けつけてやったぞ?」

 

 

 シャルロットはラウラの言葉を受けて思い出す。そう言えば高天原の航路予定ではそろそろ欧州を通過する頃だったか、と。

 ラウラはシャルロットに微笑みかけた後、もう一人の人物、クラリッサへと視線を向けた。眉を寄せ、隠しきれない疑問をぶつけるようにラウラは問うた。

 

 

「……何故だ。何故お前程の者がこんな真似を? クラリッサ・ハルフォーフ」

「……名を、覚えていてくれたか」

「当たり前だ。……お前こそ、私を覚えていてくれたのか」

「忘れた事など無い。お前が軍を去った後もずっと。私は何も出来なかった。何もしてやれなかった」

「……そう、か」

 

 

 クラリッサは脱力したように空を漂う。向き合うようにクラリッサを見つめるラウラの表情は暗い。

 

 

「私の事を思ってくれたのか」

「変わったな。お前は。私は終ぞ、お前の笑顔を見る事は出来なかった」

「あの頃は知らなかったからな。だが私は知った。私が人である事を。そして……伸ばされていた手があった事を」

「……篠ノ之博士には感謝せねばならないな。いや、私が感謝など言える立場でもあるまい」

 

 

 自嘲するように笑うクラリッサに、ラウラは左右に首を振りながら問う。問いかけを投げる表情は辛そうに歪み、ラウラの眉を寄せる。

 

 

「クラリッサ。何故だ。何故こんな愚かな真似をした?」

「IS本来の意義を見失わせた愚かな祖国にISなど不要! ならば母たる博士の下に返すのみ!」

 

 

 クラリッサの言葉にラウラが、そしてシャルロットが目を見開いた。ISを篠ノ之束の下に返還する為に。ただそれだけの為に軍を離反し、国境をも越えようとしたという彼女に。

 クラリッサは虚ろな瞳をしていた。ラウラは知っている。この瞳は挫折を味わった者の目だと。世界の全てに絶望して、希望など持っていない敗者の目だ。

 

 

「クラリッサ、お前は……」

「軍は私の夢を裏切った。何度も、何度も、何度も……! 私は! 誰かを守る力が欲しくて軍に入ったのに!! 何故守れない!! 何故守らせてくれない!! 私は体の良い道具になる為に軍人になった訳ではない!! なら、そんな奴らの為に力を持たせておくなどそれこそ愚かではないか!! 共に国を守ろうと誓った友も!! 教えを授けてくれた教官も!! 積み重ねてきた努力も!! 全てが無意味ではないか!!」

 

 

 クラリッサは涙を流して絶叫した。ラウラに懺悔をするように頭を下げてクラリッサは叫ぶ。

 

 

「頼む。ボーデヴィッヒ。このISを篠ノ之博士にお返ししてくれ。ISはお前達の夢なのだろう? なら……本来の意義の為に使ってやってくれ。意思があるのだろう? ならば、そうだ。こんな悪意に縛られるぐらいならば、きっと本望だろう」

「……貴方は、それだけの為に全てを捨てたの?」

「もう、私には何も残っていない。何も残らない……」

 

 

 シャルロットの問いにクラリッサは答えを返さない。ラウラはただ、クラリッサの姿を見つめていた。

 ふと、シャルロットが顔を上げればドイツ側から迫るISの反応があった。恐らくクラリッサを追撃してきた部隊。何があっても取り返したいのだろう。シュヴァルツェア・ツヴァイクはドイツの最新鋭の機体なのだから。

 

 

「クラリッサ・ハルフォーフ。ドイツ軍に私の存在は残っているか?」

「……除隊の時までは。その後の事は認知はしていないとの事だ」

「な、なにそれ!? 言い逃れるつもり!?」

 

 

 シャルロットも公開された事でラウラの出生の経緯などを把握している。故に、ドイツ軍が言い逃れを行おうとしたとシャルロットは感じた。いや、事実その通りだろう、とラウラは思った。

 そうか、とラウラは呟いてクラリッサの傍に近づき、肩部の装甲に己の手を置いた。

 

 

「クラリッサ・ハルフォーフ。礼を言うぞ。――束様、彼女はこう言っていますが?」

『――喧嘩売られたと解釈するけど?』

 

 

 突如現れた空間ディスプレイに映るのは束だ。どこか寒気のする笑みを浮かべながらラウラと問答をする姿にシャルロットは背筋を震わせた。

 

 

『ラウラ、君にとってその女は何?』

「我等に救いを求めてきた者であり、我等の理念の理解者であり――何より私の友です」

『……成る程。良いよ。機体は返しちゃって。別にいらないし、一応、今はドイツのものでしょ。あぁ、それとその女はウチに連れてきて良いよ』

「なっ――!?」

 

 

 クラリッサは束の言葉に勢いよく顔を上げた。何故、と問うように。

 

 

「ま、待ってください! それではこのISが――」

『ラウラ、適当に誤魔化しておいて。責任は自分で取りな』

「了解です」

 

 

 途切れてしまった通信にただクラリッサは唖然とするしかない。さて、とラウラは溜息を吐いてクラリッサを見た。

 

 

「という訳だ、クラリッサ。その機体はドイツに返す。そしてお前の身柄は私達で預かろう。シャルロット、お前の手柄で良いからソレはお前がドイツに返してやってくれ」

「しかし!」

「聞き分けてくれ。そのISもお前を守れた事を誇るだろう。良いんだ。それは世界に預けた子だから。――クラリッサ、もう居場所がないなら私達の下へ来い。お前にはその資格がある。ISの未来を、そして私を思ってくれたお前ならば」

 

 

  ラウラはクラリッサへと手を差し出して満面の笑みを浮かべた。

 

 

「あの頃、私を救おうとしてくれた手の温もりを知らず、その手を取る事は出来なかった。どうだ? 今からではもう遅いだろうか?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――結果として。

 クラリッサ・ハルフォーフが持ち出したシュヴァルツェア・ツヴァイクはフランスの代表候補生、シャルロット・デュノアと“たまたま”機体の運用テストを行っていたロップイヤーズの協力で奪還された後、ドイツへと返還された。

 その際に共同戦線に応じたシャルロット・デュノアには、篠ノ之 束から直接感謝の言葉を贈ったと世界的に公表。シャルロット・デュノアも記者会見に応じ、こう語った。

 

 

『彼等の理念は人の為、そしてISの為のものです。一人の人間として、ISに携わる者としては彼等の理念には憧れますね。デュノア社としても今後のお付き合いを考えさせていただいている所です』

 

 

 そして首謀者であるクラリッサ・ハルフォーフは公的に死亡したものとされた。

 ドイツはこの事態に情報封鎖と統制を行おうとしたようだが、何者かによって流された情報によって事件の一連の流れが公表される事となる。以降、ドイツ国内では国民達が政府と軍への疑念を誘発させるという事態が発生し、暫し内政は荒れる事が予想された。

 

 

「……」

「……複雑か?」

「……いいや、もう全てを捨てた身だ。もう憂う事はないだろう」

 

 

 高天原の食堂にはクラリッサとラウラがいた。クラリッサは軍服を脱ぎ捨て、私服姿となっていた。その姿に新鮮さを感じながら、ラウラは艦橋から覗ける空をクラリッサと眺める。

 そんな二人に近づいたのは、コーヒーを注いだマグカップを持ったクロエだった。ラウラはクロエの姿を認め、姉上、と彼女を呼んだ。

 

 

「コーヒーです。どうぞ」

「……姉上が煎れてませんよね?」

「……ハルに煎れて貰いました」

「煎れようとしたんですね? 何故姉上が煎れようとしたのですか……?」

「良いじゃないですか。お礼のつもりだったんですよ」

「姉上、毒物を渡すのはお礼じゃない。どちらかと言えばお礼参りだ」

 

 

 ラウラは以前、見様見真似で煎れてくれたクロエのコーヒーで酷い目を見た事がある。その経験が苦々しく残っている為に若干、トラウマになっている。ちなみに束は平気で飲み干していたが、ハルの分は絶対に飲ませないようにしていた。

 かつての失敗を持ち出された事が不満だったのか、クロエは眉を寄せてラウラを睨む。そんな二人のやり取りを見ていたクラリッサは静かに笑みを浮かべた。

 

 

「本当に変わったな。ボーデヴィッヒ」

「その名は既に捨てている。私はただのラウラだ。クラリッサ・ハルフォーフ」

「私もその名は捨てたよ。……ラウラ」

「あら……名無しさんですか。だったら良い名前を考えないと駄目ですね」

「名前、か。ふふふ、そうか……。まるで生まれ変わるような気持ちになるな」

 

 

 クラリッサは笑みを浮かべてクロエの運んだコーヒーを口に含んだ。

 苦い味がした。けれど、どこか優しい味に一筋、涙が零れて落ちていった。

 


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