「それが、上の決定だと?」
「えぇ」
暗がりの中に二人。向き合うのは女と少女のようだ。女は淡々とした口調で語り、少女は女の返答を受けて表情を歪めた。歪められた表情は怒りによるものだ。歯を剥いて、今にも噛み付きそうな表情で、少女は女を睨み付けた。
「納得がいかないかしら?」
「当たり前だ! 決定だと、それが決定だと!? はっ! 結局この組織も篠ノ之 束には尻尾を振る臆病者達の集いか!! 私は、私は!! そんな奴らに使われる為にここに居るんじゃないッ!!」
忌々しいと言わんばかりの少女が叫んだ。掴みかかるように女性へと手を伸ばし、その首を締め上げんとする。だが女性もまた動き、少女の手を掴んで捻り伏せる。そのまま勢いよく少女の身体が床に叩き付けられる。
藻掻く少女の瞳には涙が浮かんでいた。だが、瞳に宿る憤怒と憎悪は消えず、床に爪を立てて女性へと刃向かおうとしている。そんな少女を見下ろしながら、女性はやはり淡々とした口調で告げる。
「どうしても、私達には従えない?」
「従える筈もない……! 殺すなら殺せ!! こんな屈辱を味わうなら死んだ方がマシだ!!」
藻掻きながらも叫ぶ少女を見下ろす女。その瞳に浮かぶ感情の色に少女は気付かない。再度、地に叩き伏せるようにして頭を抑え付け、女性はただ冷ややかな声で告げた。
「――そう、死んだ方がマシね。だったらお別れよ。サヨウナラ」
その声を最後に、首筋に何かが当てられた。少女の意識は闇へと閉ざされていく。ただ胸に秘めていた渇望が、永遠に道を閉ざされた事を理解しながら。
* * *
高天原の艦橋。IS学園に身を置くようになってから定期チェック以外で足を踏み入れる事が無かった部屋にロップイヤーズの面々が集められていた。
普段の和気藹々とした雰囲気はなく、どこかぴりぴりとした緊張感が艦橋を埋め尽くしていた。雰囲気を生み出している原因である束は集まった面々に視線を向ける。
「ごめんね。皆。今日集まって貰ったのは……非合法の人体実験を行っている研究所が見つかったからなんだ」
束の言葉に緊張が高まる。一夏と箒は目を見開き、残った面々は表情を強張らせた。
「束。情報のソースは?」
「……ハルの時と同じ」
「何?」
「まるであの時と同じって訳じゃないよ? “目”と“耳”を巡らせてたんだけど、まるで私ならわかる、って言うような情報を見つけたんだよね。で、蓋を開けてみれば、実験体を再調整・初期化をかける為に、研究所に送り返すって情報がね。で、調べてみれば……出てきたよ」
束はコンソールを操作してディスプレイを展開する。そこには実験体である少女の姿が映し出される。一番早く、そして激しく反応したのは一夏だった。思わず一歩、足を前に踏み出して目を驚愕に見開かせている。
反応の差はあれど皆、同じような反応だ。その中で唯一、目を見開くのではなく目を細めたハルは睨むようにディスプレイを睨み付けた。――そこには千冬とうり二つな少女の姿が映し出されていた。
「個体名称「エム」。……ちーちゃんのクローンだよ」
束の歯の噛む音が響いたのは気のせいだろう。一夏が怒りの余り、表情を歪ませるのを箒が押し留める。
そんな中、ハルは束へと視線を向ける。束はハルの視線に気付いて小さく頷く。表示されていたディスプレイを消して、全員に向き直るようにして束は告げる。
「相手は“亡国機業<ファントム・タスク>”。束さんもなかなか尻尾が掴めない組織だけど……多数ISを保有している可能性がある。だからこそ……ハル、ラウラ、クリス。出撃して貰うよ。クーちゃん、サポートの準備を。高天原は動かさないけど、代わりに小型船を使うから本艦からの援護ね」
「了解しました」
束が淡々とした声で指示を下す。だが誰も逆らう事無く頷いた。そして艦橋を後にしようとしたハルに声をかけたのは一夏だった。
どこか歯痒い表情を浮かべた一夏に呼び止められたハルは眉を寄せて一夏を見る。しかし、すぐに何か察したように笑みを浮かべて、一夏の肩を軽く叩いた。
「ハル、俺が言う事じゃないと思うんだが……この子の事、頼むな。俺は、行けないからさ」
「一夏……大丈夫さ。すぐに戻ってくる」
「……あぁ。お前が戻ってくるまでの間、束さんには俺と箒が付いてるから。未熟者でもそれぐらいはしてみせるさ」
こつん、と。一夏とハルの拳が触れ合う。そのままハルは背を翻して駆け抜けていく。一夏はその背を眩しそうに見つめる。
一夏の様子に気付いたのか、箒が一夏の側によって一夏の肩を叩く。箒に視線を向けて、一夏は箒だと気付けば苦笑を浮かべた。
「……良いのか?」
「それを聞くのは止めろよ。……未熟者だしな。それに」
「それに?」
「無闇に手を伸ばすのは止めるんだ。俺は、まず一人。大事な人を守るって決めたから。それに……ハル達は強い。きっとエムって奴も助けてやれるって信じてるから」
少し照れくさそうにそっぽを向いた一夏。そんな一夏に少し驚いたように箒は目を見開き、そして優しげに微笑んで一夏の頭を撫でた。
「そうか。……頑張れ、一夏」
「頭撫でるんじゃねーよ」
箒の手を払いながら一夏は恥ずかしげに頭を掻いた。一夏から手を離した後も、箒は優しげな視線を一夏に送り続けた。
まだ駆け抜けていく背中は遠い。それでも翼は得ている。いつか必ず追いつくと少年は決意する。己の大切な物を失わない為に、肩を並べられる日を夢見て。
* * *
そこは組織の拠点の1つであった。突破するのが困難な程の警戒網。もしも侵入者として発見されたのならば瞬く間に蜂の巣にするだろう。列べられた兵器群は圧巻の一言に尽きる。
だが、この警戒網の中、無謀にも正面から突撃してくる者が現れる事など、果たして誰が想像しただろうか?
地を這うようにして飛行するのは二機のIS。漆黒のカラーリングを夜の闇に溶け込ませるようにして迫る影は黒兎と黒鉄、ラウラとクリスの二人であった。
「クリス……! 行くぞッ!!」
「応! 友よ!!」
黒兎の背部装甲に足をつけ、肩部のパーツを掴む形で背に乗るクリス。クリスを背にしたまま、ラウラが両手にレーザーライフルを呼び出して握りしめる。
クリスもまた手に持った“叢雲”を巨大な鉄塊を思わせるような巨大刀へと変形させる。彼女たちに反応した兵器群が排除せんと駆動していく。
それを見たラウラの“ヴォーダン・オージェ”に輝きが灯る。暗闇の中、浮かび上がる黄金の瞳は大きく見開かれる。
「――思考制御支援システム“夢想天翔”、起動!!」
瞬間、ラウラの意識は切り替わる。ラウラとは黒兎であり、黒兎とはラウラである。ISとラウラとの感覚の差異が失せ、ロスタイムがゼロとなる。ラウラはISから伝えられる膨大な情報を制御しきって見せる。
機体を有効的に活用する為の計算、迫る弾幕の情報。その規模を把握し、ラウラはイメージで機体を動かす。今やラウラはISコアの生体CPUと言っても過言ではない。ただ効率的に機体をイメージで振り回す。
効率だけを求めた急激な加速と旋回。機動に振り回されるラウラとクリスの表情は歪む。だがクリスは狂気に笑む。快いと巨大刀を振り抜き、構えてみせる。
「斬り捨て、御免ンンンンン!!」
クリスの咆哮と共にラウラが加速する。荒れ狂う二機のISは正に漆黒の暴風。あれだけ堅牢であった兵器群が根こそぎクリスの巨大刀で抉られるように破壊され、ラウラが放つ嵐のようなレーザーによって的確に射貫かれていく。
正面突破。ここまで一切の被弾を許さずに二機のISは警戒網を強いていた兵器群を壊滅させてしまった。その瞬間を狙ったかのように――空に白き流星が駆け抜ける。
「行けぇっ!! ハル!! 外は任せろォッ!!」
「クリス、ラウラ! 任せたッ!!」
翼を大きく広げ、突貫していくハルの背を見送ったクリスは再び加速する。任せた、とハルの叫びにクリスは大きく身を震わせた。
背を預けられる戦友がいる。同じ目的を持って戦える友が。それが心を震わせ、クリスは笑った。かつて腐っていた自分が、こうして友に任された戦場にいる事が何よりもおかしかった。
「ここが私の戦場……!! あぁ、快いなぁぁああッ!!」
蹂躙し、吠える。剣鬼の叫びに夜闇に爆炎の華が咲き乱れていく。友が帰還する道に憂いなど残さないように。
* * *
亡国機業の秘匿された拠点。今もクリスによって外の警戒網の一切が破壊され尽くす中、ハルは内部に飛翔しながら進んでいた。
『ハル、敵性反応』
「IS!?」
『違う。EOSが配備されてる』
エクステンデット・オペレーション・シーカー。略してEOS。世界中で災害救助や平和活動に使用されている外骨格性機動装甲。ISとは比べものにはならない程の性能だが、人を選ばずに使用されている兵器だ。
そんなものまで、とハルは舌打ちをする。そして、それはつまり人間を相手にするという事だ。
『ハル』
「雛菊……やれるね?」
『……一緒だよ。ずっと一緒』
雛菊が微笑むイメージがハルに伝わる。それを受けたハルは一度、瞳を伏せる。次にハルが瞳を開いた時、その瞳には一切の感情が消えていた。
角を曲がれば、待ちかまえていたようにEOSの銃弾が迫り来る。ハルは自らの身を守るように翼を前に押しだし、展開装甲によって防御壁を形成する。そのまま疾走し、銃弾の雨をバラまくEOS達へと飛び込む。
「――死にたくなければ動くな」
聞こえたかもわからない警告。ハルの四肢の装甲が開いて刃となる。空中で全身を振り回すようにしてハルはEOSの武装を剥ぎ取っていく。暴発したのか爆炎が上がって人の悲鳴が上がる。
だがハルは気にせずに突き進む。傷つき、倒れた人などに目もくれず、束によってもたらされる情報を頼りに進んでいく。そして閉じられた扉を開く時間が惜しい、と言わんばかりに蹴り抜いて突き進む。
「――ッ!」
交錯。ハルの展開装甲によってエネルギーを纏った脚部を抑え込んだのは金色の繭。だがエネルギーのぶつかり合いによって金色の繭が引き千切られていく。
その先に見えた顔にハルは目を見開いた。互いに弾かれるようにして距離を取って睨み合う。ハルはすぐさま構えを取りながら対峙するISを纏った女性を睨み付けた。
「――やはり貴方だったのね? 3年ぶりかしら?」
「お前……モンド・グロッソの時の!」
「そうよ。スコールと名乗っているの。よろしく」
ハルの叫びに対峙する女性、スコールは笑みを浮かべた。覚えのある笑みだ。忘れたくても忘れられない。あの時の記憶が蘇ってハルは自然と険しい表情を浮かべる。
それでもスコールの笑みは揺るがない。ISを纏っていた彼女だったが、ハルを見据えて目を細める。
「貴方の目的は、ここにいる織斑 千冬のクローン体“エム”を救出する為かしら?」
「……そうだと言ったら?」
「皮肉よね。貴方が彼女を助けに来るなんて。……そう思わない? 破棄された筈の失敗作さん?」
スコールの言葉にハルは答えない。ただスコールの挙動を警戒するように見据えている。ハルの視線を受けていたスコールは静かに腕を下げた。
驚いたようにハルは目を見開く。敵意は無い、と言うようにスコールは腕を下げたままハルに告げた。
「貴方を待っていたのよ。彼女をここから連れ出して貰える?」
「何……?」
「情報をリークしたのは私だもの。囚われのお姫様を連れ出していただけるかしら? 王子様」
スコールの言葉にハルは目を見開かせる。ハルが驚いた様子に可笑しそうにスコールは笑う。ハルは見開かせた目を再度、鋭く細める。真意を探るようにハルは問いかけた。
「何の為に情報をリークした? 証拠は?」
「証拠の提示は難しいわね。何の為かと言われれば……組織にあの子がいらなくなったからよ」
「いらなくなった?」
「亡国機業<ファントム・タスク>はその活動を休止し、潜伏する事が決定したの。それが上層部の決定。……篠ノ之 束が表に出て、ロップイヤーズが結成された以上、私達が活動する事は非常に難しい。だからこそ、貴方たちに対抗策が思い浮かぶか、貴方たちが地球から去った後にでもまた活動するって話よ?」
「お前達の目的は?」
「死の商人、と言えば良いかしら? 或いは革命を願う者達。また或いは覇権を狙う者達。私達は数多の顔を持つ。人知れず世界に蠢く亡霊」
「故に“亡国機業<ファントム・タスク>”、か。……複数の思惑が入り乱れるが、共通とした目的は同じ。――今時、世界征服を狙う悪の組織なんて笑えないね?」
「人の欲望は尽きないのよ。ご存知でしょう?」
スコールの笑みにハルは押し黙る。彼女の言っている事がどれだけ真実なのかはわからない。警戒を解かないまま、ハルはスコールを睨む。
「……お前の目的は?」
「それは私個人の、という事?」
「そうだ」
「今は、哀れな囚われのお姫様を救ってあげて欲しいと思っているわ」
「……何故?」
「貴方がいたからよ。ハル・クロニクル。……貴方が自由に空に羽ばたけるならば、あの子もきっと。枷さえ外されれば、ね」
「アンタ、一体……」
「女には秘密が多いものよ。それで? どうするのかしら? あまりもたもたしているとここがどうなるかわからないわよ?」
スコールの言葉にハルが舌打ちをしかけるも、何とか抑え込む。確かにこうしている間にも時間が過ぎていく。幾らISが現行兵器に追従を許さぬ性能があれど、完全無欠の無敵ではないのだ。
ハルは無言で構えを解いた。ハルが構えを解いたのを見てスコールは笑みを深めた。どこか、その笑みに優しさが見えたのは気のせいだったのか。
「オータム」
スコールが誰かの名を呼ぶ。すると部屋の死角となっていた壁から一人の女が姿を現した。どこか野性的で、獣のようにハルを威嚇する女性は、その腕にハルと良く似た少女を抱えていた。
スコールに促されるまま、オータムはハルへと歩み寄る。そしてハルを睨み付けるように視線を送っている。今にも噛み付いてきそうだ。
「……オータム。止めなさい。早くエムを彼に」
「……わかってるよ」
敵意を滲ませるオータムに対してスコールが窘める。窘められたオータムはどこか納得がいかない、という表情でハルを見ながらも、腕に抱いたエムと呼んだ少女を差し出す。
ハルは警戒しながらもエムと呼ばれた少女を預かる。そのままオータムは鼻を鳴らしてスコールの下へと下がった。その間にハルは雛菊にエムのメディカルチェックを頼む。異常なし、と返答を受けるも、まだ警戒は緩めない。
「彼女の懐にこの子が施された処置を記した記憶媒体が入ってるわ。後で確認して頂戴」
「……信用していいのか?」
「……いいえ。しなくていいわ。言っても信用出来ないでしょう? ただそれでも、私は真実しか口にしない。それでどう判断するかは貴方に委ねるわ」
スコールは笑みを崩さないままだ。ハルは無言のまま、エムを抱え直して宙へと浮かび、二人に背を向けて部屋を後にした。いつかの日のように去っていくハルの背を見送ってスコールはふぅ、と吐息した。
「……スコール! 大丈夫だったか!?」
「……大丈夫よ、オータム。心配かけたわね」
「スコールに何かあったら……私は……!」
スコールの存在を確かめるように抱きついてくるオータムにスコールは笑みを浮かべる。うっすらと浮いた汗は緊張によるものだったのだろう。力を抜いて笑うスコールはオータムの背を落ち着かせるように撫でる。
「……これで良いわ。これで私達の“首輪”も外れた。“餌”である彼女はロップイヤーズの下へ。雲隠れするには充分過ぎるわ」
「スコール……」
「オータム。どこに行こうかしら?」
微笑みながら問うスコールの笑みに、オータムもまた満面の笑みを浮かべた。
「スコールと一緒なら、どこへでも!」
「じゃあ流れていきましょうか。亡霊は亡霊らしく、誰にも知られず、ね」
* * *
その日、人知れずに暗躍していた組織の拠点が潰される事となる。それが後の世、再び世に名前が出るまでの最後の目撃情報となる。“亡国機業”はまるで、その名のように世界の闇に潜っていく。
輝かしいまでの星が宇宙<そら>に昇るまで、世界の闇は深淵へと。人々の悪意と欲望を孕みながら。
「ハルと一緒。……例え、ハルがどんな道を選んでも。一緒だよ、ハル」 by雛菊