天才兎に捧ぐファレノプシス   作:駄文書きの道化

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Episode:07

 モンド・グロッソ。

 ISが世に公表され、世界各国でISの研究が盛んになり各国のISの性能と搭乗者の実力を示す為に開催された世界大会がこのモンド・グロッソである。

 このモンド・グロッソは様々な部門と競技が存在し、各部門の優勝者には“ヴァルキリー”の称号が贈られる事となる。そしてこのモンド・グロッソは2回目であり、1回目よりも更に世界の注目を集めて開催された。

 その中でも注目されるのは前回、総合部門にて文句なしの成績を残して優勝者となった織斑 千冬であろう。栄えある総合部門優勝者の“ブリュンヒルデ”の名に恥じぬ活躍を今年も期待されている。

 そんなモンド・グロッソの中継映像を食い入るように見つめるのはハルだ。ラボのリビングで表示された大型ディスプレイ。そこに映し出される映像を一つたりとも逃しはしないと目を皿のようにして見ている。

 そんなハルの様子を眺めながら茶を啜る束は微笑ましそうに見守っていた。テーブルの上にはハルのISとなった雛菊も置かれていて、雛菊もまたデータリンクを用いてデータを集めている事だろう。

 

 

「やっぱり織斑 千冬は圧倒的だね」

「暮桜もまた形態移行してたみたいだしね。あーぁ、間近でデータが取れないのが残念で仕様がないよ」

 

 

 映像の中の千冬が纏うISの名は“暮桜”。束が開発し、千冬に送ったISであり、束も当時の技術で作り得る最高の機体だと自負している。

 束が千冬の下を離れてから更に暮桜は進化を遂げていたようで随所のパーツが異なっていた。スラスター部分の増設が目に見えて増えている事からか、千冬の特性を更に伸ばすように暮桜は進化を選んだのだろう。

 第1回目よりも明らかに千冬の実力は向上している。周りの各国の代表者達も束が見ていた第1回の時よりも腕を上げた者達が見受けられたが、目を見張る事はあれど驚愕とまではいかない。

 ある意味、束が離れた事によってようやく千冬に世界が追いついた、と言っても良い程だろう。だがそれはあくまで千冬と現行の暮桜での話。束の開発は留まる事を知らず、今なお進化し続けているのだから。

 

 

「はぁぁ……いいなぁ、モンド・グロッソ」

 

 

 映像が今までのハイライトに変わる。選手達の順位などが読み上げられる中、ハルは机に突っ伏して恍惚とした声で呟いた。ハルはISを操る選手達の姿に完全に心を奪われていた。

 自分もあんな風に自由自在にISを操ってみたい、と。欲求は膨れあがるばかりだ。ついつい自分ならどんな機体に乗って、どんな風に競技を乗り越えるのか、とシミュレートを始めてる辺り、よほどのめり込んでいるようだ。

 

 

「あはは。ハルがモンド・グロッソに出るなんて事はよほどの事が起きない限り無理だろうけどね」

「……わかってるよ、そんなの」

 

 

 束は笑って言うも、ハルは水を差された事が少し不満だったのか、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 ハルの子供っぽい反応に束はやっぱりおかしくて、くすくすと笑い声が漏れた。

 

 

「あー、映像で見るのも良いけど、やっぱり直に見たいよなぁ」

「所詮、有象無象の戯れだって。ハルが雛菊を完成させたらハルは誰よりも強く、誰よりも早く、誰よりも遠く飛べるよ」

「有象無象って……。窮鼠猫を噛むって言うだろ? それに束はきっと世界を知らないだけだって。現に僕という存在を束は知らなかったんだから」

「むぅ……。そう言われればそうだけどさ。この束さんの眼鏡に適う人なんているのかな?」

 

 

 束が溜息を吐き出すのを見てハルは苦笑を浮かべる。束の場合、束を認めて真っ直ぐに彼女自身を見てくれる人がいるかどうかだと思うけど、と思いながら茶を啜る。

 するとハルが映像を見ていたディスプレイにメールの着信を知らせるアイコンが表示された。雛菊からのメールだろう。一体何だろうか、と思いながらハルはメールを開く。

 

 

『ハル、母、雛菊もハルと飛びたいです』

「んー。そうだねぇ。ハルも映像見たら我慢出来なくなるだろうと思ってたから……」

「え、いいの!?」

 

 

 ハルは思わず席を立って束に確認を取った。束の言葉から想像出来るのは雛菊にISを組み込むという事なのか、と。期待の眼差しを向けてくるハルに束は笑みを浮かべたまま、小さく頷いた。

 

 

「うん。雛菊のコアをISに組み込もう。そして最適化<フィッティング>をしたら、飛んでも良いよ」

「やった! 雛菊! 聞こえないだろうけど聞いて! 飛べるよ! 束からお許し貰ったよ!!」

 

 

 ハルはテーブルの上に置いていた雛菊を手にとって喜びを露わにする。今一度、空を飛べる喜びを全身で表現しながら。そんなハルの様子に微笑ましそうに束は視線を送った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 雛菊に組み込まれたISは前に雛菊のコアが搭載されていた第四世代の実験機だ。改めて雛菊と名付けられた機体は今、束の手によってハルに適合する形態に生まれ変わろうとしていた。

 灰色だった装甲は白を基調としたカラーリングに変わっていた。コントラストを描くように桜色が混じる白色。所々に黄色のラインで彩られた機体は灰色一色だった頃に比べて鮮やかさを増していた。

 これも雛菊と名を付けた為、実際の雛菊の花の色を参考に束がカラーリングをしたのだ。ハルは色が変わった装甲を嬉しそうに眺めている。束による最適化が終わるまで大人しく、だが興奮を隠しきれずに待ちわびていた。

 

 

『ハル。雛菊は楽しみ』

 

 

 ハルの視界の隅に雛菊からのウィンドウメッセージが表示される。意識をISコアの深層に持って行かれると、そもそも操縦する事が出来ない。故に雛菊から提唱されたのが意思疎通の方法がこのウィンドウメッセージだ。

 メールで意思疎通をする事を覚えた雛菊ならではの提案だろう。茶目っ気も増してきたのか雛菊のウィンドゥメッセージは白の背景に桜色の意匠を凝らした特殊なものになっていたのだから、これにはハルも笑みを浮かべざるを得ない。

 

 

『僕も楽しみ。今度は二人で飛ぼう。雛菊』

『ハルは雛菊を一人として扱ってくれる?』

『だってパートナーだろう?』

 

 

 ISを纏っている間は思い浮かべるだけで雛菊に全てが伝わる。ハルの意思が伝わると雛菊の新たなウィンドウメッセージが開かれる。言葉はなく、にっこりと笑った顔を現すような顔文字が飛び出してきてハルは思わず吹き出した。

 

 

『どこで覚えたのさ? 頼むから変な知識まで身につけないでよ?』

『雛菊はハルの言葉の意図が理解出来ない』

「何々~? 作業をしている束さんを放って置いて仲良く二人だけの会話?」

「ごめんごめん」

 

 

 どこか非難するように束がハルに声をかける。だがその表情は笑みを浮かべていて、からかうつもりなのが見て取れる。ハルは苦笑を浮かべながら束に軽く謝罪する。

 そんなハルに溜息を吐きながら束は最後の処理を終える。束が作業を終えるのと同時にハルは身に纏っているISの感触が変わるのを実感した。具体的な違いを挙げるとすれば今まではISを身につけていたが、今はまるでISを着ているかのような、そんな軽さの違いを実感する。

 

 

「最適化、完了。さぁ、ハル。貴方が待ち侘びた空に行こう。束さんに見せてみて。貴方と私の子が空を飛ぶ姿をね?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 第4世代検証実験機改型『雛菊』。

 それが今の雛菊に与えられた名だ。ハルと意思疎通を深める事によって前代未聞の適合率を以て雛菊はハルを空へと飛ばす。

 束が夢見る宇宙進出と、ハルが望んだ束の夢の達成。白騎士から始まる全てのIS達の経験をネットワークから拾い上げた。かつては未知であったハルの思いが手に取るようにわかる。人の感情に触れた幼き電子の意思は確かな成長を見せていた。

 

 

『ハル、行こう』 

 

 

 ラボの搬出口から空が見える。各国の防衛圏内の隙間を縫うように選出された海のど真ん中に浮かぶ孤島。その孤島の砂浜に陣取った束の移動式ラボ。そこから望める景色を前に雛菊は告げる。

 かつてはここで間違えた。ハルを千冬と誤認し、最適解である彼を千冬としてトレースさせるという過去の後悔。この記録は戒めとして雛菊の中で最重要事項として残されている。

 そう。言うなればこの時こそ、雛菊が産声を上げる瞬間なのだ。初めて望む空を前にして雛菊はありとあらゆる状況を想定し、ハルの為に尽くす事を望む。

 雛菊の意思を感じたハルもまた昂ぶっていた。以前の飛行はISに操られるままに飛んだ。確かに空を自由に飛べる万能感は何にも代え難かった。だからこそ、今度こそあの万能感を自分の意思で、自分の力で感じたい。

 ハルは振り返る。束はデータ取りの準備をしていたのだろう、コンソールの上で踊らせていた指を止めて笑みを浮かべる。ひらひら、と見送るように手を振る束にハルも応じるように拳を握り、親指を上に立てて笑みを浮かべた。

 

 

「行こう。雛菊!!」

 

 

 背部のウィングユニットが展開する。淡い光を漏らしながら開かれる翼は装甲の色と同じように白色を基調とし、翼の先につれて桜色のコントラストを描くように着色されていた。

 鳥の羽ばたきのようにウィングユニットが開閉し、感覚を掴んだようにウィングユニットは速力を得ようとその翼を大きく広げ、同時にハルの足が宙へ浮く。

 身を倒すように前へ。ゆっくりと、だが確実に加速し、ハルの身が水平線に向かっていく。ハルは待ちきれないと言わんばかりに加速し、風が弾けるような音を残して空へと飛び出した。

 

 

 ――空に一輪の花が開花した。

 

 

 淡い光を振りまいて飛翔する様を束は眺めて、雛菊を纏ったハルの姿をそう称した。鳥が羽ばたくようにウィングユニットが滑らかに装甲を開閉させて空を舞い踊る。

 こここそが我が領域だと主張するように軽やかに雛菊は空を舞う。無骨だった筈のウィングユニットは飛翔の度にその細部を変えていく。鳥が畳んでいた翼を広げるようにウィングユニットは当初の姿から最適な姿を変えていく。

 ただ自由に空を舞いたいと願う搭乗者の為に雛菊は己の身を組み替えていく。主との意識に沿うように自らの身を組み上げていく感覚は言い様のない衝動を雛菊に与えた。まるで思考にバグが起きたように。だが雛菊はバグを不要だとは思わなかった。

 翼だけでは飽き足らない。もっと早く飛ぶための術を。ハルの身に纏う装甲すらもその姿を変えていく。より流線的に、空気抵抗を無くし、身を縛る全てから逃れるように。

 雛菊が絶えず変化する中、ハルもまた実感していた。以前よりも増していく飛翔の実感。ISとの違和感が徐々に消えていく。ISを纏っている実感も消えていく。ISが自分自身の身体であったかのように。雛菊が自分に適合していく感覚にハルは笑みを隠しきれない。

 

 

「ははは、楽しいなぁ!」

 

 

 まるで雛菊に手を引かれるように飛んでいる。それがどうしようもなく楽しくて心が躍った。

 感覚のすれ違いは消えていく。その度に自身を見つめ直せる。自分はただ浮かべて貰っているだけだ。重力から解き放たれただけ。だからこそハルは飛ぶ事に意識を集中させていく。

 翼をどう動かせば加速するのか、確かめるように翼がせわしなく開閉を行う。傍目から見れば危なくも見えるだろう軌道を描きながらハルは飛翔の感覚を確かめていく。

 こんな無茶が出来るのは雛菊がいるからだ。雛菊が手を引いてくれる。雛菊が意を汲んでくれる。この一体感は何にも代え難い。あぁ、これはじゃあまるで――。

 ハルが思い浮かべた瞬間だった。雛菊が表示したウィンドウメッセージがハルの視界の隅に見えた。雛菊からのメッセージを見たハルは目を丸くして、すぐさま笑みを浮かべた。

 

 

『Shall We Dance?』

 

 

 表示された文字。私と踊りませんか、と表示されたメッセージに堪えきれずハルは笑う。

 本当に妙な茶目っ気を身につけた。だが良いだろう。そんな茶番に戯れるのも悪くない。いいや、むしろ一緒に戯れたいとさえ思える。

 くるり、くるくる。手を伸ばして空を舞う。どこまでも世界は広大で縛るものなど在りはしない。どこまでも自由に、どこまでも奔放にハルは空を舞う。胸の奥から沸き上がる喜びを表現するように。

 

 

「……あれ?」

 

 

 その光景を見ていた束は、自らの頬に伝った涙の意味を問うていた。どうして自分は泣いているんだろう、と作業の手すら止めて束は涙を拭う。

 何度も、何度も。手で涙を拭っても涙は零れていく。涙腺が決壊してしまったかのように束は涙を落とす。

 データを取る事を忘れて束はハルが空を舞う姿を見つめていた。目を離す事も出来なくてただ、ただ涙を落としてハルの姿を追う。そして束の口から吐息が零れた。あぁ、と震えた吐息を。

 

 

「そっか。そうだったね。あれが……あれが私の目指してた夢だ」

 

 

 搭乗者とISが意思を通わせる。文字通り一体となって空を舞う。束が見出した夢の為の翼の到達点。その片鱗をハルは見せつけてくれた。束がISに託した願い。搭乗者を空へと舞わせるISの姿は束の胸を震わせた。

 ここにようやく辿り着いた。それを成し遂げてくれたのは自分を一心に愛してくれた少年がもたらしてくれた奇跡。彼の特異性が産んだ希望の道標。

 

 

「ハル。……貴方の願いは叶うよ」

 

 

 いつかハルは束に語っていた。貴方の特別になりたい、と。だから束は言うのだ。貴方の願いは叶うだろう、と。

 束にとって掛け替えのない希望をもたらしてくれたのだから。今、ハルは本当の意味で束にとって特別となったのだ。束の希望という名の特別に。

 

 

「やった……! やっと、ここまで来れたよ……!」

 

 

 自分の身を抱きしめて束は言葉を漏らす。誰も認めてくれない世界で、自分の夢を認めてくれる人が、叶えてくれる存在が生まれる瞬間を束はずっと待っていたのだ。

 ハルと雛菊。束の夢を肯定してくれた人と、束の夢の片鱗へと到達したISと。抑えきれない嗚咽を漏らして束は立っていられずに膝をついた。

 

 

 

「――束」

 

 

 

 ふと、声が聞こえて束は勢いよく顔を上げた。いつの間にそこにいたのか。まだあどけない幼さが残る顔。束の親友と良く似た顔を満面の笑みに変えて、束の夢を纏ったハルは束に手を差し伸べる。

 暫し呆然としてハルが差し出した手を束は見つめていたが、おずおずと束は手を伸ばす。ハルは束の手を握れば優しく握りしめて、膝をついていた束の身体を横抱きにする。

 

 

「わ、わわっ!?」

「行こう。束。一緒に飛ぼう」

「え、ちょ、ちょっと!?」

「大丈夫。絶対に落とさないから。ほら、捕まって」

 

 

 束よりも小さい身体でもISを身に纏えば楽々と束の身体を抱き上げる事が出来る。しっかりと束を抱き上げ直してハルは再びその身を空に飛ばした。

 どこまでも上昇していくハルと束はそのまま雲を突き破って日の光に身を晒す。どこまでも広がる空と白い雲海。その下から覗く海の青さに束は目を奪われる。

 ゆっくりと世界を見せつけるようにハルは束を抱えて空を舞う。くるり、と飛行しながら身を回し、どこまでも広がる世界を束に晒す。

 束はハルの首に抱きつくように腕を回した。ハルの首下に顔を埋めるように抱きつきながら小さく震える。

 

 

「……ハル。もう少しこのままでいさせて」

「うん。良いよ」

 

 

 束をしっかりと抱きしめてハルは束の好きにさせる。身を震わせていた束は子供のように泣き声を上げた。縋るようにハルを抱きしめながら束は泣く。

 心の中に堪っていた淀みを吐き出すように、ハルの目すらも憚る事無く。ただ心が震えるままに、止まらない涙を落とした。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「はわー……。やっぱりハルってデタラメだ」

 

 

 あれから暫く空に留まっていた二人だったが、ラボに戻ってくる頃には束もいつもの調子を取り戻したのか、雛菊から取れたデータを眺めて呆れたように呟いた。それでも束の目が兎のように真っ赤になっているのは隠せないのだが。

 待機状態のロケットペンダントに戻した雛菊を首から下げたハルは束の言葉に苦笑を浮かべている。

 

 

「デタラメって何さ」

「展開装甲の稼働率100%を観測。更に展開装甲の変化も確認。取るべきデータが増えちゃって暫くこれは徹夜かなぁ。それに通常装甲だった部分にも展開装甲が加えられたから最早別物かな。雛菊は」

 

 

 最早見る影もない、と呟く束のディスプレイには当初の姿から大きく変貌した雛菊の姿が映し出されている。無駄を省いた流線型の装甲は飛ぶ事に特化している為、装甲の弱体化も確認出来た。だが、それを含めても貴重なデータには変わらない。

 これがISと心を通わせた人間が生み出す事が出来るIS。束が夢見た人とISの理想型。束の目指していた研究の到達点。束は愛おしげに展開されたデータに触れる。その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

 

「これはもうお祝いするしかないでしょ! ハルー! なんかおいしい物作ってー!」

「はいはい。わかりました」

 

 

 両手を挙げて要求する束。ハルは笑みを浮かべて腕まくりした腕を上げて答える。

 すぐさまキッチンに向かい、料理の支度を始めようとしたハルを束は呼び止める。何? とハルが束の方へと振り返る。束は振り返ったハルの両肩に両手を置いてハルと視線を合わせる。

 どうしたの、とハルが声をかけようとするも、ハルの声は束には届く事は無かった。ハルの視界には一杯に束の顔が広がっている。唇には柔らかい感触が触れているのがわかり、咄嗟にハルは呼吸を止めた。

 

 

「……ん」

 

 

 啄むように束がハルの上唇を挟み、ぺろり、と舌で舐める。そのまま束はゆっくりと触れていた唇を離してハルへと視線を送った。

 ハルは呆然と束を見ていた。暫しどこかぼんやりとしていた束だったが、まるで重みに負けるように頭を下げる。頭を下げてしまった為に束の顔を見る事が出来なかったハルだったが、逆に頭を下げた事で束の耳が赤くなっている事に気付く。

 

 

「――ッ!!」

 

 

 ハルが束の名前を呼ぼうとした瞬間、束は悲鳴にならない悲鳴をあげてハルから逃げるように研究所に入り込んでしまった。一連の動作が素早すぎて唖然と束を見送る事しか出来なかったハルは自分の指で唇をなぞった。

 

 

「……まいったなぁ」

 

 

 顔熱いや、と小さく呟いて自らの頬を指で掻く。暫し立ち竦んでいたハルだったが、どこか夢心地のままキッチンへと向かった。

 一方で研究所に逃げ込み、扉に背を預け、開かないようにしていた束はずるずると背を預けたまま座り込む。

 

 

「……うわぁ……どうしよう……」

 

 

 僅かに震える指を自らの唇をなぞらせて自分の膝に顔を埋めるように蹲った。悶えるように膝を抱え込みながら束は震える。

 二人がこの後、顔を合わせられるようになったのは数時間後の事だったという。

 

 


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