それでは、続きです。
たった四桁の数字を見ただけで体が硬直してしまう。
スマホの故障、もしくは私が正しく検索していないなどの可能性も考えたが、どれも該当しなかった。
つまりここは、私のいた世界より過去の世界ということになる。
私は、過去にタイムスリップしたということ…?
一番幸せだった、
一番氷川紗夜であり続けた、
そんな、今となっては夢のような時間に、
………………
………………
「………ふっ」
何を馬鹿げたことを。
もっと現実的な答えがあるじゃないか。
恐らくトリガーはあの頭痛だ。
死を悟ってしまうほどの頭痛で、私の脳内がおかしくなったんだ。
そう、
私はこんな幻覚を見るまでに壊れたんだ。
いつまでも過去に執着するから、
いつまでも前を向いて歩かないから、
ついに自分の頭で一番幸せだった世界を作り上げたんだ。
自分から捨て去ったくせに、
あとから欲しくなって、でも手元にないから自分で作り上げる。
一周回って笑える話だ。
最後には、捨て去った全ての幻を作り上げる。
…もう、何もわからない
一体誰なんだ─────
───────
────
──
─
気づけば、私は家の外へ出ていた。
私は、あの家に居てはいけない気がしたから。
だが、だからといってどこか行く場所があるわけでもなく、ただひたすら歩いている。
…………なんだか、私が職を失って放浪していた時期を思い出した。
その時も、目的もなく、意味もなく、ただただ現実から逃げていた。
逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて、
逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて、
もう逃げる道すらなくなった私はその場で倒れることしかできなかった。
…………
…あれ、
あの時は、どうなったんだっけ…?
確か、あの時は……
「え、紗夜さん?ど、どうしたんですかこんなところで?」
……ああ、思い出した。
あの時も彼女に助けられたんだった。
昔も変わらず、誰にでも優しい少女である、
「……つぐみ…」
* * * * * * * * *
「それじゃあ、またねっ」
午前中授業だったため、今日はお昼前に学校は終わった。
バンド練習もないため私は帰る支度をし、教室を出る。
アフターグロウのみんなと遊ぶのも良かったのだが、前々から今日の午後は家の手伝いをすると約束していたのでこればっかりはしょうがない。
さて、少し駆け足で移動していたため、お手伝いの時間まで少し暇ができたことに気づく。
せっかくだし、ちょっと寄り道していこうかな?
恐らく今日午前中授業なのはこのあたりでは羽丘高校だけなのだろう。商店街には高校生はおろか小中学生もいない。
こんな時はいつも、自分たちだけ早く帰ることができることに少しの罪悪感と謎の優越感がこみ上げるのはなぜだろうか。
そんなことを思っていると、綺麗なエメラルドブルー色の髪の女性が立っているのが目に入る。
とても綺麗な髪なのだが、あの色は学校でもよく見かけるのだ。
氷川日菜。
1つ上の学年であり、天文部の部長を務めて…いる?先輩だ。
変わった感性を持っているのだが、頭が良くて、更にはアイドルというまさに才色兼備と呼ぶにふさわしい人だ。
だが、今目にしている人は日菜先輩とは違う箇所がいくつかある。
色は一緒でも、綺麗なロングヘア、
身長も日菜先輩よりも高い、
……もしかして、、
あれ、でも今日ってあの学校も午前中授業だったっけ…?
そう思ったときには、私はその人に声をかけていた。
「え、紗夜さん?ど、どうしたんですかこんなところで?」
今更ながら、急に声をかけて迷惑だったかな?……なんて不安は、
「……つぐみ…」
シンプルかつ予想外な返答によって吹っ飛んでいった。
* * * * * * * * *
羽沢珈琲店。
私の実家が経営している喫茶店である。
先ほど言った家の手伝いというのは勿論お店のお手伝いのことであり、手伝いこと自体は昔からやっていることなので、接客することに今更緊張などはしない。
…………しないのだが、
「すいませーん、注文いいですか?」
私、羽沢つぐみは……、
「ひゃ、ひゃいっ!!い、いま行きまひゅぅ!!」
過去最高にテンパっている。
どうしよう、どうしよう?!
こんなの今までになかったから対処法がわからない。
対処法はわからないが、こうなった原因は分かっている。
『……つぐみ…』
紗夜さんにそう呼ばれた。
たったそれだけだ。
たったそれだけなのに、、
紗夜さんからは「羽沢さん」と呼ばれていたはずだ。
それがなんで急に名前で…??
名前呼びはいいとしても、なんで私はこんなに動揺しているのだろうか?
呼び捨てだって、色んな人からもされているのに。
………だが、私はすぐに冷静になった。
余計な考えは、カウンターの隅に座っている紗夜さんを見るとすぐに消えていった。
違うんだ。
今考えるべきことはそんなことじゃないんだ。
考えるべきはあの人の
全てを諦めてしまったかのような表情で、まるで生気を感じられない。
そんな表情をしていたため、私は半ば無理矢理にお店に入れてしまったんだ。
事情は全くわからない。
どういった経緯があったかも知らない。
ただ、放っておけば紗夜さん自身消えてしまうのではないか……
そう思ってしまったのだ。
余計なお世話だったのかもしれない。
ただの勘違いかもしれない。
だけど、これだけは言える。
あの人には、あんな表情でいて欲しくない。
ただその一心で、休憩をもらった私は紗夜さんの隣へ座った。
「あ、あのっ!急にお店に入れたりしてすいませんっ!…迷惑、でしたか?」
「…え?……ああ、違うのよ。むしろ落ち着くところへ行きたかったから助かったわ。」
そういうと紗夜さんは笑って頭を撫でてくれた。
その行為に戸惑いはしたが、相変わらず元気のない紗夜さんを見ると心が落ち着かない。
「…どうして」
「え?」
「どうして、そんな顔しているんですか…?」
直接聞くつもりはなかったのだが、思わず聞いてしまった。
いつも凛としている紗夜さんが、
いつも優しい笑顔を向けてくれる紗夜さんが、
どうしてこんなにも元気をなくしているのか、それが気になった。
「……つぐみは…、いや違うわね……確かまだこの時は…、羽沢さん。」
慣れない呼び方から普段の呼び方へ戻した紗夜さんは、
「……」
私の目を見つめて、
「…氷川紗夜とは、どんな人ですか?」
そう、問いかけてきた。
* * * * * * * * *
「…氷川紗夜とは、どんな人ですか?」
などと、思わず言ってしまったことを後悔する。
何を言っているんだ私は。
そんなことを聞いてどうすると言うんだ。
それに、聞かれたつぐみだって困ってしまうじゃないか。
現に戸惑った顔をしたまま固まっている。
もう、恩人をこれ以上困らせてはダメだ。
早くここから出よう。
「ごめんなさい羽沢さん。今のは忘れて?」
そう言って立ち上がり、出口へ向かった。
「それでは、さような──」
「待ってください!!」
と、叫ぶつぐみに袖を掴まれた。
予期していない行動だったため、少し体勢が崩れる。
「は、羽沢さん…?」
どうしたのだろうか?
私が何か失礼なことをしてしまったのか?
考えていると、つぐみは私を見つめ口を開けた。
「私にとっての紗夜さんは、いつも凛々しくて、とても真面目で、頼りになる先輩です!」
………
……思わず目を見開いてしまった。
……あなたという人は、
あんな意味のわからない問いに、わざわざ答えてくれるなんて。
「…そう。ありがとう。」
本当に嬉しい。
そこまで高評価をされていたとは思っていなかったから。
だけど、
そんな私は、もうどこにも──
「ですけど!!」
また、声を大きくしてこちらを見つめるつぐみ。
「本当は、違っているのかもしれません。」
つぐみは一歩、私に詰め寄る。
「私が知らない紗夜さんがいるのかもしれません。」
さらに一歩、私へ詰め寄る。
「でも、それでも私にとっては、
私の目をじっと見つめ、つぐみはそう言った。
今のは全て、本心だと目を見ればわかった。
「紗夜さんは、ご自身のことをどう思っているんですか?」
呆気を取られていると、今度はつぐみから質問された。
私のことをどう思っているか…、ですって?
そんなのは決まっている。
嫌いだ。
大嫌いだ。
考えれば考えるほど、そんな言葉しか出てこない。
「……私は──」
「嫌い、って思っていたりしませんか?」
!?
なぜわかったの?
安直だがそう思ってしまった。
「私も、同じようなことを思っていたことがあります。」
その時と同じ顔をしている、とつぐみは言う。
「紗夜さん」
わたしを呼ぶ彼女の顔から目が離せない。
「ご自身のことを嫌いと思っているのは、
────っ
今を、変える。
その言葉が耳に残る。
変わりたい。
確かにそう思っているのかもしれない。
………だけど、
「…変われないわよ、私じゃあ……」
…何年経っても変われない自分に、どれだけ失望したことか。
「変われますよ、誰かと一緒になら」
「…誰かと、一緒……」
…思い返してみればそうだ。
会社を辞めてからつぐみと再会したことで私生活が変わった。
新しい会社で、中村さんと長瀬さんに出会ってからも社内での生活も変わった。
何か変化したときは必ず誰かと一緒にいる時だった。
…全く、後輩に律されるなんて、私はホントに堕ちたものね。
だが、不思議と悪い気分ではなかった。
「…あなたは、変われたの?」
「私、ですか?」
先ほどつぐみは、同じようなことを思った事があると言っていた。
そのつぐみは、どう変わったのだろうか…
「今はまだ変わっている最中ですよ!」
変わっている最中。
つまり、完全には変われていないということだ。
だというのに、つぐみは何故か嬉しそうだった。
それを問いかけようとしたが、それより先につぐみが答えた。
「その
………
………これだ。
………これだったんだ。
私に足りなかったものは。
『今を楽しむこと』
今までの私は、
妹に負け続けた“過去”と、ロゼリアの“未来”にしか目を向けていなかった。
だからこそ私はかわれなかったんだ。
何故なら、変われるのはそう思った“今”しか出来ないからだ。
「……羽沢さん、ありがとう。」
「いえいえ!紗夜さんの顔色が良くなったみたいなので安心しました。」
つぐみにお礼を言い、今度こそお店から出た。
正直もっとつぐみと話していたかったが、流石にこれ以上いると店側の迷惑になるだろう。
それに、今は家へ行くべきだと思った。
私は、今度こそ変わらないといけないんだ。
25歳の私が何故この時代にいるのか、
これは幻覚なのか、夢なのか、
そんなことはもう気にしない。
恐らく“この機会”を逃すともう次はないだろう。
だからこそ、私は前を向くしかないんだ。
……もういいでしょ?
……もう飽きるほど後悔したでしょ?
もう、失うものがないほど全てを捨てたでしょ?
もう、これ以上自分のことを嫌いになりたくないでしょ?
なら、私は
そう、
再び『
というわけで、プロローグ的な話は終わりです。
次から本編になりますので、次もよろしくお願いします。