初めは、何を言っているのかわからなかった。
そんなことを言われるなんて、考えたことがなかったから。
誰かが嘘だと言ってくれると思っていた。
でも、これが現実だった。
『………紗夜、』
その日私は、
『…今日限りで、あなたはRoseliaを抜けてもらうわ。』
自分の居場所を失ったのだった───
* * * * * * * *
羽沢珈琲店から家へと帰ってきた私は、真っ先に日菜の様子を確認した。
…まだぐっすり寝ている。本来なら昼過ぎまで寝ていたりしたら即刻起こすけれど、私のために学校まで休んだのだ。今はそっとしておこう。
……いいえ、違うわね。
私が妹に接触するのを未だに怖がっているだけだ。
体は高校生とはいえ中身は25歳。
いい大人がホント情けない。
けれど、今はそんなことを気にしている暇なんてない。
むしろ、しっかりと受け入れて先に進んでいくしかないのだ。
つぐみとの話で決意したこと…
『今を楽しむ』
そのためには、情けない“今”の自分も受け入れなければならない。
そうでなければ、私はいつまでも変われないんだ。
……“今”といえば、
高校時代ということはわかったけれど、正確な時期まではわからない。
わからないというよりは思い出せない、という方が正しいか。
日付はスマホで確認できたが、そのとき何があったのか、などが思い出せない。
何故それが知りたいかというと、今この瞬間の“私”がどういった人間関係を築いているかがわからないからだ。
つぐみにしても、大人になってからは名前で呼び合う仲であったが、高校時代、私は名字で彼女のことを呼んでいたはずだ。
それを考えていくと、つぐみは私のことを『紗夜さん』と呼んでいたから、少なくともお菓子作り教室を参加した後だろう。
他にも手がかりは……
……………
……ダメね。全然わからない。
学校に行けばある程度はわかるのでしょうけど、今日私は体調不良で欠席となっている。日菜に聞く手もあるけれど、今は寝かせてあげないと。
「……そうだわ、電話。」
学校に行けないのなら電話で確認すればいい。
こんな簡単なことをすぐに思いつけなかったあたり、私の人に頼ることの下手さがにじみ出てる。
とりあえずスマホの通話アプリを起動させ、連絡先を持っている人の一覧を見てみる。
そして私は、登録してある人数を見て驚愕した。
「………う、嘘でしょ…」
お、多すぎる……!
こんなに連絡先登録して何をするというのよ。
社会人になってからは仕事上仕方なく登録している人を除けば、つぐみ、長瀬さん、中村さんとあと二、三人程度しかいない。
Roseliaのメンバーはおろか、家族の連絡先ですら持っていなかった。
スマホの画面をスクロールしていくと、懐かしい名前が目に入ってくる。
すると、とある名前を見つけ手を止めた。
宇田川あこ。
当時中学生だった彼女は、Roseliaのオーディションを受けて見事合格したドラム担当。
メンバーで一番年下で昔は背も一番低かったが、大学生になったあたりからは他のみんなと同じくらいにまで身長が伸びていたことを思い出す。
そういえば、つぐみのバンドメンバーに姉がいたような……。
その姉も背が大きかった記憶がある。流石は姉妹といったところか。
と、いけないいけない。
誰に電話するか探さないと。
確かこの子は今中学三年生だった気がする。他の人にしたほうがいいだろう。
そう思い、再び画面をスクロールさせていく。
「あ、この人なら……。」
同級生で同じ学校の人をやっと見つけ、私は迷わず通話ボタンを押した。
* * * * * * * *
────ざわざわ
教室内が騒がしくなっている。
今日が決して特別な日というわけでもなく、ただいつも通りの平日の学校の休み時間。
これだけならばクラスの人たちがざわつく理由がないように見える。
ただ一つ、いつもと違うところがあるとすれば、
“クラスの風紀委員が欠席してる”、ということだった。
恐らく、他の学校であればこれだけで騒ぐこともないだろう。
けれど、花咲川女子学園に限ってはそういうわけにはいかない。
氷川紗夜。
生徒会と風紀委員を兼任しながら、更に弓道部にまで所属している。
そのストイックさは学園内のほとんどの人が認めているが、その近寄りがたい雰囲気のせいか気軽に話せる人はなかなかいないようだ。
……かくいう私も、以前まではそうだった。
しかし、Roseliaに入って一緒にバンド活動してからは氷川さんとはそれなりに仲が深まった…はず。
…だからこそ不安に思う。
自分自身にはより一層厳しい氷川さんが、体調を崩してしまうなんて考えもしなかったからだ。
……何かあったのかもしれない。
………あったのかもしれないが、
…ただ、今は心配よりもとてつもなく混乱している。
『もしもし
スマホ越しに聞こえる氷川さんの声。
自分の名前を呼ばれているはずなのに、初めは誰の名前を呼んでいたのか理解するのに時間がかかった。
昨日までとは明らかに違う呼び方。
それに心なしか氷川さんの声が柔らかくなっている気がする。
あれ…?氷川さんと私っていつもこんな距離感だったかな…??
『……燐子?』
無言でいたため氷川さんがまた声をかけてくる。
どうやら名前で呼んでいたのは聞き間違いではなかったようだ。
これは……、私も名前で呼ばないといけないのかな…?
いやでも、氷川さんも急に名前で呼ばれたら戸惑うんじゃ…。
「…あ、あっ……あの……!」
ど、どうしよう…、なんて言えばいいんだろう…。
そもそもあこちゃん以外の人と電話するのも未だに緊張するのに…
と、とりあえず……
「た、体調の方はもう大丈夫……ですか…?!」
名前のところは触れず、今クラスのみんなが気になっていることをまずは聞いてみた。
『ああ、体調は……そうね、大丈夫よ。朝少し気分が悪かっただけだから。』
「…そう、ですか……。」
朝少し気分が悪かった……。
他でもない氷川さんであればそれでも学校に来そうだが…、本人がそういうのであればそれ以上踏み込まないほうがいいよね。
「…それじゃあ、今日の放課後のバンド練はお休み…ですか?」
『そうね……。今日、練習後のミーティングはあったかしら?』
「……え?」
……珍しい。
氷川さんが予定を忘れてしまっているなんて。
結論から言うとミーティングはあるのだが、今日のミーティングは氷川さんの提案で予定されたものだ。
……まさかまだ体調が悪いんじゃ…。
しかし、とりあえず聞かれたからには答えないと…。
「そう…ですね。今日はミーティング…ありますよ。」
『そう。なら、そのミーティングだけ参加するわ。』
「……あの、まだ体調が戻っていないのなら……休んだほうが…」
『いえ、大丈夫よ。少し体を動かしたいと思っていたところだったから。』
「…そう、ですか?なら…いいん…ですけど……。」
もしかしたら無理をしているのかもしれないが、氷川さんが元気そうだったので内心ホッとする。
『…ところで燐子』
「…っ!?…は、はい……?」
ダメだ、そう呼ばれるだけで緊張する……
『…今日は、何か特別なこととかあったかしら?』
……??
と、特別な、こと??
な、なんでそんなことを聞いてくるんだろう……
「…え、えっと……」
はっきり言って、今日はミーティングがある程度で普段と変わらない。
だけど、わざわざ聞いてくるということは何かあるのだろうか…?
………
………
…どうしよう、ホントに何も思いつかない…
で、でもなにか言わないと……!
『……燐子?』
「あ、ああ、あの……!」
その瞬間、
「……ひ…」
「…ひ?」
私の頭は真っ白になり、
「…氷川さんに名前で呼ばれたことですっ!!」
…と、勢いのまま答えてしまい、そのまま通話を切ってしまった。
………
……思いのほか大声になっていたようで、クラスのほとんどが私に注目していた。
………
………どうしよう、
「……今日、休んじゃダメ…かな……」
* * * * * * * *
「……はぁ~…」
ため息をつきながら、通話を終了したスマホを静かにテーブルに置く。
全く、自分の失態に呆れ果ててしまう。
つぐみの時に、呼び方には注意しないといけないと学んだばかりなのに…。
放課後のミーティングへ参加するときはほんとに気をつけないと。
燐子や
明確な答えを知るまで質問の嵐になることが容易に想像できる。
とにかく、今は放課後までやることがないので、PCやスマホを使いネットニュースなどからこの時代の情報を収集することにした。
* * *
数時間に渡り情報を集めてみたが、やはり有益な情報はなかった。
といっても、初めから期待していなかったため然程気にせず、今はライブハウスへ向かっている。
学校を欠席しておいて、外を出歩くなんて先生に見つかってしまったら怒られしまうのかしら…?
まあ、ミーティングだけなので大目に見て欲しい……、なんて考え、高校生だった頃の私なら絶対に思わなかったでしょうね。
………そして、
「……懐かしいわね、ここも。」
ライブハウスについた私は、今みんながいる部屋の前まで行きドアノブに手をかける。
ここでひとつ深呼吸…。
…そう、一度落ち着きましょう。
「…すぅ……」
数年ぶりにRoseliaのメンバーに出会う。
それを意識するだけで心臓の鼓動が早くなっていくのが分かる。
「…はぁ……」
もろもろの不安を全て吐き出す。
大丈夫、今は
大丈夫……
大丈夫………
…………………多分
「………よし。」
気持ちを整理した私は、ドアをゆっくりと開ける。
そこには───
「紗夜さんっ!待ってましたよ!!」
「あ、紗夜~!学校休んだって聞いたけど大丈夫?」
「さ……氷川さん、体調は、どう…ですか…?」
「────ぁ」
───ああ、変わらない。
過去であっても、この場所は何も変わらない。
あこ、
リサ、
燐子、
外見は少し違えど、本質は何も変わってない。
みんなが作り上げてくれているこの温かな空間が、昔の記憶を蘇らせる。
一緒に夢を追い求めたこと、
私を支えてくれたこと、
苦楽を共にした最高の仲間との思い出、
「………っ」
……ダメだ、もう泣きそうになってしまっている。
…って、違う違う。
そんなことをしに来たんじゃない。
それに、
これ以上の失態は許されない。
そう思い、震える足を無理やり動かし一歩前に出した。
その時だった、
「紗夜?」
「っ!?」
不意に後ろから私の名を呼ぶその声を、私はよく知っている。
忘れるわけがない。
忘れられるわけがない。
何故なら、その声で私の夢は始まり、
その声で、私の夢が終わったのだから。
「…紗夜、何をしているの?」
確かめるまでもなかったが、私はゆっくりと声のする方へ振り向く。
スラッと靡く銀髪から、私を見つめる目が見える。
その目は私をじっと捉え、私の返答を待っている。
恐らく、
昔から変わらない
「……湊、さん。」