WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
延々と続く無味乾燥とした研究フロアの通路。
地下のため窓も無く、防衛上の観点から道幅も狭い。一向に代わり映えのしない景色の中を歩いていると、だんだんと壁が迫ってくるような圧迫感さえ感じる。
フィリアは現在、研究室を探検している真っ最中であった。
叙任式を無事に終え、騎士の証たる「
ドクサとメリジャーナ親子はイリニ騎士団での仕事があるため、立ち合いを終えるとすぐに教会を離れてしまった。
一人残されてしまったフィリアだが、元々無為に時を過ごすのが苦手な性格である。
ぽっかりと空いてしまった時間はだいたい勉強で潰すことが多いものの、今日は折角研究室まで来ている。これから度々訪れることもあるだろうし、見て回るのも悪くない。
少女はそう考えて、フロアの散策を始めることにした。ところが、
「えっと、ここはさっき通ったかも……」
どうも、道に迷ったらしい。
意図的に曲がりくねった通路に似たような部屋がずらりと並び、むやみに広い敷地内には案内図など一切ないのだから、それも無理からぬことだろう。
現在地さえ分からなくなったフィリアは、観念してサイドエフェクトに頼ることにした。
上階へはどう行けばいいか、と真剣に念じれば、超感覚が階段への道順を明瞭に浮かび上がらせる。
本当は研究室の様々な部署を覗いてみたかったが、もう迷うのはこりごりだと少女は逃げるように階段を目指す。
サイドエフェクトに導かれるまま歩いていると、不意に開けた空間に出た。
テーブルとソファが並び、奥には軽食と飲み物を出すカウンターがある。どうやらラウンジに出たらしい。その時、
「――ん、けほっ」
急にフィリアは猛烈な喉の渇きを覚えた。
そういえば、叙任式で粗相をせぬよう、今日は朝から水分を控えていた。思いもがけず歩き回ったせいで汗もかき、渇きは限界に達している。
ラウンジでは研究員らしい人がまばらに座り、思い思いにくつろいでいた。
別に彼ら専用という訳ではなく、金さえ払えば誰でもサービスを受けられるのだろう。
何か飲み物を注文して渇きを潤し、迎えが来るまでここで時間を潰せばいい。
そう思いながらも、少女はカウンターには近寄らず、じっと周囲を観察している。
これは出自と貧民街での暮らしから、彼女に染み付いた癖のようなものだ。
ノマスの血縁者には無条件で敵意を向ける者も多く、問答無用で暴力を振るおうとする者も少なくない。
まさかこの場でそんな無法に及ぶ者はいないだろうが、それでもフィリアは接触しても大丈夫か、話しかけても害がないかを慎重に確認する。すると、
「えっ?」
少女は自らに向けられた鋭い視線を感じた。驚いて視線の主を探すと、
「…………」
テーブル席に座る一人の女性が、微動だにせずフィリアを見詰めていた。
眼鏡をかけた、うら若い女性である。
年の頃は二十に届くかどうか、セミロングの灰色の髪に茶色い瞳。肌は雪のように白く細やかだが、いささか白すぎて不健康そうに見える。
目鼻立ちは整っているものの、何の感情も浮かべず、瞬きさえほとんどしないその顔はどこか作り物めいていて、まるで人形のようだ。
「……あの」
十秒以上たっぷりと見つめ合ってから、フィリアはその女性におずおずと話しかけた。
「何か?」
すると女性は首を傾げ、さも不思議そうに少女に問い返す。まるで話しかけられた理由に皆目見当がつかないような口ぶりだ。
「私の方を見られていたようなので……何か御用があるのではないかと」
「いいえ、特にはありません。騎士フィリア・イリニの姿を眺めていただけです」
「……そう、ですか」
機械的なまでの女性の口ぶりに、フィリアも返す言葉を失う。
女性はなおも少女から視線を外さない。そう言えば、この女性は先ほどから皆がくつろぐラウンジで飲み物も頼まず、背筋を伸ばして置物のように座っているだけだ。
どうも、よほど変わった人らしい。
少女はそう結論付け、これ以上関わるか否かを考え始めた。だが、
「あなたも先ほどから立ち尽くしていたようですが、何か問題がありましたか」
と、その女性の方からフィリアへと話しかけてきた。
「いえ、その、喉が渇いたのですが、私も飲み物を頼んでいいのかな、と……」
「このラウンジはフロアに立ち入りが許可された者なら、無償で飲食が可能です。騎士フィリア・イリニ、あなたも例外ではありません」
女性はそう言って立ち上がると、フィリアの前を歩き出した。付いて来い、という意味らしい。
「注文方法は分かりますか?」
「あ、はい。なんとなくですけど」
謎の女性に促されるまま、フィリアはカウンターでミルクとチキンのグリルサンドを頼む。女性もミネラルウォーターを頼んだが、どうやら少女に手本を見せたつもりらしい。
程なくして注文した品を受け取ると、二人はその流れで同じテーブルへと付いた。
対面に座る女性は、変わらずフィリアを眺めている。
この女性とは初対面のはずだ。少女は意を決し、謎の女性に話しかける。
「初めてお目にかかります。イリニ家のフィリアと申します」
「存じています。叙任式にも列席しました」
「…………」
そう言って、女性は平然と座っている。何やら馬鹿馬鹿しくなってきたフィリアは、
「平に御容赦下さい。お名前を伺ってもよろしいですか」
と、直截に尋ねることにした。すると女性は気を悪くした風もなく、
「フィロドクス家のオリュザです」
と、平静そのものの顔で答える。
「――御無礼をお許しください。騎士オリュザ・フィロドクス」
名前を訊くや、フィリアは恐縮したように頭を下げた。
オリュザ・フィロドクスといえば、三大貴族の一角フィロドクス家の令嬢にして、
なぜ今まで気づかなかったか。騎士の身でありながら、
「? 謝罪の意図が不明です」
「ああ、いえ……」
だが、オリュザは気を悪くした様子も無く、小首を傾げて応じる。
変わった人、という印象は、どうやら間違っていなかったらしい。
ともかく叱責を免れたことに安堵したフィリアは、言葉を濁してサンドイッチを片付けることにした。物を口に入れている間は喋らなくてもいい。
オリュザも少女の観察に飽きたのか、通路の方へと視線を向け、また置物のように固まってしまった。
「…………」
「…………」
沈黙が辛い。
パンをミルクで流し込みながら、フィリアは何とも居た堪れない空気を味わっていた。
自分が社交に向いていないことは百も承知だが、それにしてもこの女性の態度はどうだろう。これで貴族としてやっていけるのだろうかと、少女は他人事ながら心配になる。
とはいえ、注文できずに固まっていたフィリアに助け舟を出したことを考えると、まんざら悪い人でもないようだ。
「ナウタでは大戦果を挙げられたとお聞きしました。おめでとうございます」
サンドイッチを食べきって間が持たなくなると、フィリアは緊張した面持ちでオリュザにそう切り出した。
先の遠征にて、フィロドクス家は洋上国家ナウタへと派兵した。
戦闘は終始優勢で、三十人を超える捕虜を得たと聞いている。
「ありがとうございます。あなたも、防衛戦では活躍したそうですね」
「そんな、私なんてまだまだで……」
「その功績が認められての叙勲です。誇るべきだと思いますが」
オリュザは相変わらず無表情で少女に応えるものの、別に嫌悪や敵意といった悪感情も抱いていないようだ。
なんとなく、彼女との会話のコツが分かってきたような気がする。
「はい。一層精進に務めます。ところで、騎士フィロドクスは……」
「当主と混同を避けるため、オリュザと呼ぶようお願いしています」
「えっと、騎士オリュザは研究室に何の御用があったんですか」
「解析の済んだ鹵獲トリガーの引き取りです」
「ああ、なるほど」
遠征先で得たトリガーは他国の技術の塊であるため、一旦教会の研究室で隅々まで解析されることになる。教会はトリガーの研究開発に余念がなく、有用な機能が見つかればすぐさまそれを基に新たなトリガーが作られる。
研究元となったトリガーは各騎士団の正統な戦利品であるため、解析が終われば返却される。場合によってはそのまま実戦で使われることもあるようだ。
「加えて、先の乱星国家についての解析情報も受け取りに参りました」
「何かわかったんですか!?」
淡々と告げるオリュザに、フィリアは身を乗り出して尋ねる。
先日エクリシアを強襲した謎の国家については防衛の観点から反攻作戦が見送られ、教会とフィロドクス家が主導しての偵察が行われていた。
フィリアも随分と気にしていたのだが、騎士団の上からは情報が降りてこず、半ば諦めかけていたところだった。
「直に教会から正式な情報開示が行われるでしょうが、私に分かる範囲の事ならお教えしましょう」
オリュザの語るところでは、偵察部隊が持ち帰った情報から乱星国家の名はアンキッラと判明したそうだ。国土面積は中規模程度、人口は国土に比してやや少なく、取り立てて優れた産業も見当たらない。乱星国家というあり方ぐらいしか特筆すべき点のない平凡な国のようだ。
軍事力も国力相応のもので、エクリシアが派遣した様子見程度のトリオン兵団を相手に、アンキッラの防衛部隊はやや損害を出したらしい。
「それはつまり……」
フィリアが形の良い眉を顰める。
偵察部隊がもたらした情報が確かならば、そのアンキッラという国にあれほどの軍勢を送り出す国力があったとは考えられない。
無意識にカップを持つ手に力が入る。
エクリシアの国情を察知していたかのような襲撃のタイミング。国力からはありえないトリオン兵の大量投入。それらが導く事実は――
「アンキッラには何れかの有力国が影響を及ぼしていると推測されます。我が国に奇襲を仕掛けたのはその国の意向によるものでしょう。しかし残念ながら、アンキッラの同盟国、ないしは宗主国の特定には成功していません。接触軌道を離れたため、現段階ではこれ以上の調査は不可能です」
オリュザは淡々とそう言い終えると、水の入ったグラスを口元に運ぶ。
「……そうでしたか」
フィリアも一先ず頷くと、カップに残っていたミルクを飲み干した。
エクリシアはこの数百年、
どちらにせよ、神の代替わりという不安定な時期はまだ続く。
教会は各騎士団と協議して、防衛体制の再検討を行っているらしい。
「あとは、先の戦闘で確認された新型トリオン兵の解析が完了したようです。遠からず試作機が製造されるでしょう」
「あの捕獲用ですか、それともイルガーに搭載されていた小型でしょうか」
「両方です。捕獲用をワム。爆撃用をオルガと呼称します。試作機は各騎士団に配備される見通しです」
オリュザは急に話題を変え、鹵獲したトリオン兵について話し出した。
土中に潜り、分裂機能も備えた捕獲用トリオン兵ワム。
自爆を前提に、高速飛行する爆撃用トリオン兵オルガ。
どちらも有用さは身を持って味わっている。自国でも生産の目途が立ったというなら、実に頼もしい話である。
「教会からの通達事項はこれぐらいのものでしょうか」
「いろいろとお教え下さって、ありがとうございます」
丁寧に礼を述べるフィリア。
本来ならばもう少し別の話を、具体的にはフィロドクス家の神の候補について尋ねてみたいところであったが、オリュザのこの性格なら、機密にかかわることは絶対に明かさないだろう。
無駄な探りを入れて不信感を持たれても得が無いので、フィリアは質問をぐっと飲み込み、当たり障りのない話題を探す。
「騎士オリュザのかけていらっしゃる眼鏡、とても素敵ですね」
なんとなく口から出た言葉だが、感想は偽らざるものである。ほっそりとした優美な銀色のフレームが、オリュザの知的な面立ちに良く似合っている。
トリオン体は生身の不都合が解消されるので、視力も自動的に矯正される。その為、騎士団内ではあまり眼鏡をかけた人物を見ることがなかった。
そのこともあってだろう。オリュザの眼鏡姿はとても印象的に見えた。
「そう。ありがとう」
「な……」
フィリアの口から思わず間の抜けた声が出る。
眼鏡を褒められたオリュザはやや俯いて目を伏せ、照れたように礼を述べた。
いや、実際に恥ずかしがっているのだろう。病的に白い頬には、仄かに赤みがさしているのだから。
初対面からずっと無表情を続けてきたオリュザの、初めて見せる感情の揺らぎ。
木石のような人物だと思っていただけに、衝撃はかなりのものだ。
「どうかしましたか」
「ああ、いえ。何でもありません」
フィリアが言葉を濁すと、オリュザは思考を纏めるかのように数拍置いて、訥々と語りだした。
「これは頂き物です。私が選んだ訳ではありません。良い品だというのなら、それは見立てた人の感性が優れていたのでしょう」
相変わらず平静そのものの声だが、その表情にはどこか優しげ柔らかさがある。
「綺麗なだけじゃありません。その眼鏡は騎士オリュザにとってもお似合いです」
「ありがとう。でもこの話はもう止めましょうか」
フィリアがそう褒めると、今度ははっきりとオリュザの頬が上気する。
あれほど冷たい印象の人が、此処まで変わるとは。少女も何やら嬉しいやら楽しいやら、自然と顔がほころんでいく。
よほど大事な人からの贈り物なのだろう。その気持ちはフィリアにもよく分かる。
意外な共通点を見つけたためか、フィリアはオリュザにぐっと親近感を抱く。
もう少しこの人のことを知りたいと、珍しく少女は積極的に他人と話そうという気になった。しかし、
「――!」
眼前のオリュザがピクリと首を動かした。まるで何かを見つけた猫のような仕草である。
彼女が見つめているのは通路の向こうだ。フィリアも何事かと顔を向けるが、
「……どうされたんですか?」
通路に変わったものはない。通行人の姿さえなく、無愛想な壁と床が伸びているだけだ。
「お話できて光栄でした。騎士フィリア・イリニ」
オリュザは立ち上がるとグラスを返却し、足早にラウンジから立ち去ろうとする。
「あの、ちょっと……」
フィリアは戸惑いながらも、その後を追いかけることにした。
オリュザが突然の奇行にはしった理由は、彼女のサイドエフェクトにある。彼女はおそらく聴覚系に関する何らかのサイドエフェクトを持っており、通路の奥から何事かを聴き取ったのだろう。
足早に廊下を進むオリュザ。角をいくつも曲がり、五十メートル以上は歩いたところで、前方に人影が見えた。
「――お疲れ様です。お父様」
その姿を見るや、小走りになるオリュザ。心なしか声も弾んでおりで、先ほどの機械のような印象は見る影もない。
「おお、ラウンジで待っていてくれてよかったのに」
「随分と会議が長引いたようで……何か懸案事項がありましたか」
オリュザが話しかけているのは長身痩躯の老人だ。
白髪で深い皺の刻まれた顔に、滝のように長い真っ白な髭を蓄えている。
彫りが深く鼻梁が高く、とび色の小さな瞳は知性の光に輝いていて、一見すると酷く厳格そうな印象を受けるが、オリュザ相手に相好を崩すその様は、孫に出迎えられた好々爺のようだ。
「ああ、これはどうも、お久しぶりです騎士フィリア・イリニ」
と、フィリアに声を掛けたのは、老人の隣に立つ男性だ。
「一別以来ご無沙汰を重ねております。カナノス卿」
彼はフィロドクス家の宰領、エンバシア・カナノスだ。先の防衛戦では、彼がフィロドクス騎士団の指揮を執っており、彼とはその折に会ったことがある。
「おや、君は……」
白髪の老人が少女に気付き、好奇心に溢れた視線を向けてくる。
「初めて御意を得ます。フィロドクス閣下。イリニ騎士団のフィリア・イリニと申します」
フィリアは礼を尽くして自己紹介をする。
万が一にも粗相があってはならない。目の前の老人こそ、フィロドクス家の当主「賢人」クレヴォ・フィロドクスその人だ。
五十年以上の長きに亘ってエクリシアを導いてきた貴族の中の貴族である。
「素晴らしい叙任式だったよ。あれほど凛々しい騎士の誕生に立ち会ったのは初めてだ」
クレヴォは穏やかな物腰で少女を褒めた。
同じく大貴族の当主、ニネメア・ゼーンとの会談を思い出して身構えていたが、別段敵愾心を見せつけられることは無い。
少女の出自について実際の所はどう思っているか分からないが、少なくとも表面的には非常に穏やかな印象を受ける。
クレヴォは貴族の中でも穏健派として知られた人物である。
またフィロドクス家は市民階級にも比較的寛容な施政しており、特にトリオン優良児を手厚く保護し、引き立てることで有名だ。フィリアも貧民時代には、フィロドクス家に自分を売り込もうと考えていたことがある。
オリュザはクレヴォを父と呼んでいるが、年の差を考えると彼女も養子に迎えられた口だろう。なるほど忠誠心に溢れているのも理解できる。
「オリュザが人を連れて来るとは珍しい。この子はまあ、見た通りの子でなあ。仲良くしてやってくれると嬉しいのじゃが」
クレヴォはオリュザとフィリアを眺め見て、何やら得心したように頷く。
「お、お父様。彼女と私は先ほどあったばかりで……」
オリュザが困惑顔で経緯を説明しようとするが、
「騎士オリュザには困っていたところを親切に助けていただきました」
「おおそうか。この子がなぁ……」
「あ、あの……」
「はい。とても優しくしていただきました。もし友誼を結んでいただけるのなら、これほど嬉しいことはありません」
フィリアは満面の笑顔でそう答えた。クレヴォは満足げにほほ笑んで、
「どうぞ娘をよろしく頼みます。イリニの小さな騎士よ」
と、懇切丁寧に頼み込んだ。
若すぎる騎士。それもノマスの出自の者に、過分な対応である。
フィリアは恐縮も露わに応じるが、クレヴォは鷹揚な態度で笑うばかり。
結局、フィリアは迎えの到着時間も忘れ、暫しフィロドクス家の人々と話し込んだ。
長い歴史を誇る大貴族であるため、きっと厳格で保守的な考えの持ち主だろうとの少女の思い込みは、あっという間に覆された。
少女は特に不快な思いをすることも無く、大いに歓迎されたのだ。
彼女の属するイリニ家とは決して味方と言い切れる間柄ではないが、それでも彼らは同じ祖国を守護する誓いを立てた者たちだ。親交を深めることに何の問題もないだろう。
名残惜しい談笑を終え、少女は帰途に就く。
新たな立場、新たな力、そして新たな仲間を得て、フィリアはこの日を大いなる満足の内に終えた。
× × ×
教会の地下深くに広がる巨大な空間。
神を奉る至高の座から、一本の縦穴が地上へと延びている。そこに設けられた昇降機は、地の底から現世へと戻る唯一の手段だ。
今まさに地上を目指して稼働する昇降機には、一人の男が乗っていた。
大人の胸ほどの背丈しかなく、まだあどけなさの残った少年である。年の頃は十一、二といったところだろう。
肌は白く透き通り、目鼻立ちも涼やかな美少年だ。ただ、少年の髪と瞳はエクリシアでも類を見ない、蒼天を映したかのような明るい青色をしている。
「ん~~っ!」
少年は腕を天に突き上げ、大きく背伸びをする。近寄りがたい閑雅な雰囲気を纏った少年だが、その仕草は市中に住む悪戯好きな子供そのものだ。
そもそもトリオン体とみられる少年の体に、如何ほどの疲労があるというのだろうか。それでも彼はぐるぐると首を回し、億劫そうに肩を揉み、仕事疲れが抜けない大人のように振る舞う。
やがて、少年はいくつかのフロアを経由し、地下一階、研究室フロアへと立ち入った。
防衛の為、故意に複雑な造りをした通路を、少年は勝手知ったる足取りで迷いなく進む。昼夜問わず常に人の詰めている研究室だが、流石に夜明けも近い時刻にうろついている者はいない。少年は上階へ進み、大聖堂へと出る。
「お勤めご苦労様」
地下への出入り口を護る聖堂衛兵が、最敬礼を以て少年を迎える。
ひらひらと手を振って衛兵を労うと、彼は足取り軽く聖堂を横切り、尖塔の基部へと向かう。
トリオン体の脚力でらせん階段を三段飛ばしに駆け上がり、あっという間に頂上へと辿りつく。尖塔はエクリシアで最も高い建造物であり、そこからは聖都が一望できる。
丁度夜明けの時間である。あるいは、この一時に居合わせる為に走ったのだろうか。
深閑とした暗黒が、徐々に目も覚めるような群青色に変わっていく。
薄明に染まる聖都の壮麗な街並み。
空には
数多の人々で賑わう都市が今だけは呼吸を止めて、ただ時の移りゆくままに光を浴び、様相を変えていく。
「――ああ」
何度見ても、ため息を禁じ得ない。
果て無き闘争を宿命づけられたこの残酷な世界で、それでも生き続ける人の営み。
少年は晴れやかな笑みに一抹の寂しさを浮かべながら、明けゆく空を眺める。
今日もまた、新たな一日が始まる。
「っ、おっと」
その時、階下から足音が聞こえてきた。夜明けを知らせる鐘を鳴らすため、人が昇ってくるのだろう。
見つかると面倒なことになる。少年は困ったように顎に手を当てると、
「うん。今日は休日にしようか。たまにはいいよね」
悪だくみを思いついたようににやりと笑い、トンと床を蹴る。
そうして高さ百メートルを超える尖塔から、真っ逆さまに飛び降りた。