WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の四 先輩の悩み事

「ん~っ! 久しぶりにいい買い物したわ」

 

 服飾店で買い物を終えた一行は、その近所にあるレストランで昼食を取っていた。

 高級店の立ち並ぶ界隈では珍しくドレスコードが無く、家庭的で飾らない雰囲気が魅力の店である。気楽な休日を過ごすにはもってこいだ。

 

 テラス席に案内されたメリジャーナはさも心地よさそうに背伸びをする。

 百を超える服を品定めしたのだ。流石に疲れたことだろう。

 

「まあ、なかなか悪くない店だったわ」

 

 軽い食前酒を優雅に傾けながらニネミアが応じる。涼しげな態度だが、服の見立てについては間違いなく彼女の方が熱中していた。

 

「あはは……」

 

 数時間以上ひたすら着せ替え人形を続けたフィリアはというと、曖昧な笑みを浮かべるばかりだ。途中からは新手の訓練だと割り切って取り組んだので、幸いなことに疲労のほどはそこまででもなさそうだ。

 買い付けた大量の衣類は全てイリニ家へと運ばれる手筈となっている。仕立て服も遠からず届けられるため、フィリアのクローゼットは直ぐに一杯になるだろう。

 

「でもすみません。あんなに沢山買っていただいて……」

 

 代金を全て出してもらったことを気にしているのか、フィリアは恐縮した面持ちだ。

 

「そこはお礼の方がうれしいなあ」

 

 けれどメリジャーナは気にした風でもなく笑顔で応える。

 

「……はい。ありがとうございます。メリジャーナさん。ゼーン閣下」

「別になんてことはないわ。あなたに貴族としての嗜みを教えただけよ」

 

 少女の感謝を、ニネミアはつんとしたすまし顔で聞き流した。

 店の棚を総浚いにするような買い方がはたして貴族として相応しい振る舞いだったかはさておき、少女に物を買い与えることには何の抵抗もないらしい。

 

「お待たせしました。鱒のチャウダーとローストビーフです」

 

 三人が談笑していると、店員が料理を運んできた。

 大皿のスープは熱々の湯気を立て、スライスされた牛肉は豪快に山盛りにされている。

 

 貴族の御令嬢方が食べるには少々品が無い盛り付けだが、気にすることはない。今日は晩餐会ではないのだ。

 それに彼女たちは温室育ちの花ではない。戦場を駆ける騎士たちに、食について本気でとやかく言い立てる者は存在しない。

 

「御恵みを与えたもう我らが神に感謝の祈りを捧げます。今日の糧が、我らの心に誠実なる力をお与えくださいますよう」

 

 最年長のメリジャーナが食前の祈りを捧げ、ニネミアとフィリアもそれに倣う。

 

「――おいしい、です!」

「そう? よかったわ」

 

 魚介の旨みがたっぷりとしみ込んだスープに、噛めば噛むほど味がしみ出す牛肉。

 焼き立てのパンは芳ばしい匂いを漂わせ、外はぱりぱりと、中はしっとりと柔らかい。

 付け合せのサラダも新鮮で瑞々しく、ドレッシングの爽やかな酸味が効いている。

 あまり食べ物に頓着のないフィリアでも、素直に美味だと賞賛するほどだ。

 

「粗野だけど、そこそこまあまあね。食べられないほどではないわ」

 

 ニネミアも何やかやといいながら、食事の手は滞りなく進んでいる。

 貴族の会食ならば優雅に時間をかけて会話を楽しむところなのだが、あいにく三人とも現役の騎士である。戦場暮らしが体に染み付いているため、意識せずとも食事のペースが速まってしまう。

 結局、食事中は殆ど口を利かず、三人は猛烈な速さで料理を平らげてしまった。

 食後のデザートと飲み物が出される段になって、彼女たちもようやくそのことに気付く。

 

「慣れって、怖いわね」

「仕方ありませんよ。砦ではいつも時間に追われていますから」

「…………んんっ」

 

 皿を下げた時の店員の驚き顔に、メリジャーナは苦笑を浮かべる。フィリアは特に気にしていない風だが、ニネミアはほんのりと顔を赤らめて咳払いをした。照れ隠しのつもりらしい。

 反省を踏まえ、今度はゆっくりと味わってケーキとお茶を頂く三人。するとその時、

 

(――あれ?)

 

 フィリアは何やら視線を感じ、それとなく店内を窺う。

 すると先ほど配膳をしていた女性店員がテラス席を見ながら、何事かを同僚と囁き合っているようだ。

 

 直感が、自分たちについて語っているのだと断じる。

 別に不思議な事ではない。テラス席に座っているのはエクリシアでも指折りの美女二人だ。装いはカジュアルでも纏う雰囲気は変えられないため、貴族のお忍びだという事は先刻承知だろう。話の種には十分だ。

 

 ただ奇妙な事に、店員たちの視線はフィリアに集中しているようだ。

 貴族の御令嬢に連れられたノマスの少女、という取り合わせは確かに目を引くだろうが、その割には負の感情は見られない。どこか浮足立ったように、妙にそわそわした印象だ。

 

「あの、すみませんお客様」

 

 すると、お茶のお代わりを配膳に来た店員が、

 

「お客様は、ひょっとしてイリニ騎士団のフィリア様ではありませんか?」

 

 と、少女へ話しかけた。

 

「え、はい。そうですけれど……」

 

 まさか声をかけてくるとは思わなかったため、つい怪訝な表情で応えてしまうフィリア。

 自分の名前を知っているとはどういう事だろう。この店に来るのも初めてだし、店員とも初対面だ。もめごとの気配はないが、過去の経験から少女はつい構えてしまう。

 

「わ、わ、本物だ! あ、あの、私フィリア様のご活躍に感動して、えっと、あの……」

 

 ところが、店員はフィリアの返答を聞くやいなや、上擦った声ではしゃぎだした。

 

「え、えっと」

「もしよかったら、あ、握手していただけませんか?」

「――へっ?」

 

 おずおずと手を差し出す店員に、フィリアは呆然として成す術がない。

 百歩譲って、少女のファンだというのはまだ分かる。イリニ騎士団広報が作った宣伝映像は彼女も見たが、羞恥の余り逃げ出したくなるほどの持ち上げぶりであった。あの出来栄えなら騙されてしまう人もいるだろう。

 しかし、まさか握手を求められるとは。

 

 ノマスの血縁に対するエクリシアの民の嫌悪はあまりにも根深い。メリジャーナのように分け隔てない態度を取れる人物はごく僅かなのだ。

 多くの市民にとって、ノマスの血縁は視界にいれるのも忌まわしい存在だ。例えばこの店の店員が、フィリアの使っていた食器を裏でゴミ箱に捨てていたとしても、別に何も驚くようなことではない。

 

「……あの」

 

 少女が何も反応しないせいだろう。店員が不安そうに瞳を泳がせる。

 フィリアはチラリと同席の先輩たちを見る。

 ニネミアは無関心そうな表情だが、メリジャーナは小さな目配せを寄越してくれた。

 

「……私でよければ」

 

 心を決めたフィリアは、おっかなびっくりと店員の手を取った。

 壊れ物を扱うかのように優しく触れ、徐々に握る力を強める。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 店員は歓喜に打ち震えた様子で、ギュッと少女の小さな手を握り返した。その時、

 

(――あ)

 

 フィリアの直観が、ある事実を示した。

 わずかだが、この店員にもノマスの血が流れているのだろう。ほとんどエクリシアの民と区別がつかないが、面差し、目の色、肌の質感。それらの些細な特徴から察することができる。

 

 元より数多の対外戦争を行ったエクリシアには、他国の血を引く者は珍しくない。戦利品として連れてこられた捕虜の内、取り立てて才幹の無い者は奴隷として扱われるが、年季が開ければ市民としての権利を得ることができる。

 

 そうした奴隷上がりの市民は、ここ聖都でも珍しくはない。

 この店員も、そのような家の出身なのだろう。

 

「フィリア様、ずっと応援します。これからも頑張ってください!」

 

 店員は興奮冷めやらぬ様子でそう捲し立て、名残惜しそうに仕事へと戻って行った。

 

「…………」

 

 フィリアは未だ熱気の残る、小さな掌を無言で眺める。

 きっとあの店員も、出自に起因する困難を経験してきたのだろう。それ故に、フィリアの活躍を自分のことのように喜んでくれたのだ。

 

 いや、はたしてそれだけだろうか。

 エクリシア初となる、ノマスの血を引く騎士の誕生。

 出自に依ることなく、功績と忠誠を示した者には名誉が与えられることを、少女は確かに示したのだ。一命を賭して奉じる者に、国は必ず報いてくれる。

 

 その政治的な、社会的な意味は計り知れない。

 少女は秘めたる信念の為に我意を貫き通した。徹頭徹尾、利己的な行動である。

 

 それが巡り巡って、エクリシアの社会に変化を与えようとしている。おそらくは、彼女にとっても好ましい形へ。

 その事実をどう受け止めればいいのだろうか。

 思いもがけない状況に、少女はただ呆然と店員を見送るばかり。すると、

 

「言ったでしょ、みんなあなたの頑張りを見てるって。――ふふ、フィリアさんも、そろそろ自分の魅力に気付かないとね?」

 

 と、メリジャーナが悪戯っぽい微笑みと共にそう言った。

 フィリアは返す言葉も無く、顔を耳まで真っ赤に染めてただ俯くばかりであった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「――さて、それでどうするの」

 

 ゆったりとしたティータイムの空気が流れる中、それぞれのカップが空になった頃合いを見計らって、ニネミアがそう切り出した。

 

「午後の予定の話ですか。ゼーン閣下」

「今日の本題の話よ。何メリジャーナ。この子に言ってないの?」

 

 フィリアがそう尋ねると、ニネミアは呆れたようにメリジャーナへと向き直る。

 

「わざわざ休暇に引っ張りまわして、成果なしなんて許さないわよ」

「メリジャーナさん?」

「う~ん、ごめんね。ちょっと言い出し辛くて……」

 

 と、メリジャーナは薄紫の髪を指先で弄りながら、さも困ったような顔をする。

 彼女のこんな表情は今まで見たことが無い。

 

 思えば、今日は一緒に街まで出ようと誘われただけで、予定は何も聞いていない。服飾店の寄ることになったのは今朝決まったことで、これも本来の目的ではない。

 フィリアに加えてニネミアにも声を掛けていたということは、メリジャーナは何か相談したいことがあるのだろうか。

 

「何でも仰って下さい。私にできることなら何でも協力します!」

 

 席から立ち上がらんばかりに気合を込めて、フィリアがそう言う。敬愛する先輩に苦難が待ち構えているというなら、労を惜しむつもりはない。だが、

 

「そんなに熱くならなくても大丈夫よ。惚気話に付き合わされるだけだから」

 

 と、ニネミアが半目でメリジャーナを睨め付けた。何やら心底気だるげな様子である。

 

「のろけ、ですか……」

 

「婚約者への贈り物選びに付き合えって話よ。今日呼びつけられたのは」

「――えっ!?」

 

 思いもがけない話に、フィリアの顔がボッと茹ったように赤くなる。

 

「け、結婚なさるんですかメリジャーナさん!?」

「ちょ、ちょっと、声が大きいわフィリアさん!」

 

 大声を上げる少女を慌てて制するメリジャーナ。

 

「その、まだ内々だけで決まった話よ。でも、まあそう言うことなの……」

 

 いつも悠揚として、大人の女性としての魅力に満ち溢れた彼女が、困惑と羞恥に目を伏せている。その仕草には不思議な色気があった。

 

「それで、えっと、お相手はどなたなんですか?」

「あなたも良く知ってる人よ」

 

 フィリアが興奮冷めやらぬ様子で尋ねると、ニネミアがからかうように混ぜっ返した。メリジャーナは観念したように息を吐く。

 

「グライペイン家の当主、テロス殿です」

「――テロス様とですか! え、わ、おめでとうございます!」

 

 思いもがけない人物の名前に、フィリアが今度こそ歓声を上げる。

 

 イリニ騎士団第二兵団長テロス・グライペイン。彼とは少女がイリニ家に養子入りした時からの付き合いだ。

 (ブラック)トリガー「光彩の影(カタフニア)」を担う誉れ高き戦士であり、騎士の鑑とも称される高潔なる精神の持ち主だ。勇猛で思慮深く、公平で寛大で慈悲深い。特に女子供に対する優しさは極め付けで、彼は初対面のころから一度もフィリアを粗略に扱ったことが無い。

 

 家柄も三大貴族には劣るものの、その歴史の古さはエクリシアでも屈指のモノだ。

 容姿も端麗であり、男も女も見惚れるエクリシア随一の美男子ときている。

 おそらくエクリシアで最も人気の高い騎士の一人だろう。そんな彼と婚約するというのなら、これはもう手放しで喜ぶしかない。

 

「それがどうもこうも、面倒くさい話なのよ」

 

 お茶のお代わりを注文しつつ、ニネミアがさも詰まらなさそうに言う。

 

「だいたいなんで余所の家の話を私に持ってくるわけ? あなたの婚約者の好みなんて私が知る訳ないでしょう」

「そんなこと言わないで、友達でしょう?」

「何か問題があったんですか?」

 

 聞けば聞くほど非の打ちどころのない縁談だが、こうして相談してきた以上、何らかの懸念があるようだ。

 フィリアは戦場に臨むのと同じ気迫でメリジャーナに応じる。

 

「えっと、それはね……」

「ほんっと馬鹿らしい話よ。付き合いきれなくなったら帰ってもいいわ」

 

 メリジャーナの話を要約するとこうだ。

 

 元々、彼女のディミオス家とグライペイン家は同じイリニ家に使える貴族として、長年の交流があったそうだ。メリジャーナの父ドクサと、テロスの父も親友同士であったらしい。

 ところが、テロスの父が夭折し、若い青年貴族は天涯孤独の身となった。

 ドクサが親友の息子を捨て置く筈も無く、彼はテロスが成人するまで後見人を務め、無事に家督を継承できるように取り計らった。

 

 そんな訳で、ドクサはテロスにとって育ての親のような間柄なのだ。

 実際に長い間ディミオス家で暮らしたこともあり、実の家族のように繋がりは濃い。

 歳の近かったメリジャーナは特にテロスと馴染み、毎日盛大に遊び回って、まるで実の兄妹のように仲良くなった。

 

「それって、つまり……」

 

 どうにも歯切れが悪そうに、フィリアが尋ねる。

 

「兄みたいに思っていた相手と縁談が持ち上がって、どう接していいのか分からなくなって、それで困って私たちを呼びつけたのよ」

 

 凛呼とした雰囲気は何処へやら。心底げんなりした様子でニネミアが答える。

 

「だって、私の知ってるテロスは外向きの彼とはちょっと違うし……。別に嫌いな訳じゃないけど、結婚って話になると、やっぱり身構えちゃうっていうか……」

「小娘みたいなことを……」

 

 赤くなって俯くメリジャーナに、ニネミアは眉間を抑えて頭を振る。

 一人興奮気味に話を聞いていたフィリアは、

 

「あの、メリジャーナさんは、テロス様がお好きなんですか」

 

 と、思いついた疑問を直球で投げ込んだ。

 

「……それは……好きよ」

「――それじゃあ!」

「けどね、彼が私をどう思っているのか考えると、不安になるの。私は本当に彼の伴侶として相応しいのかどうか、よく分からなくなって……」

 

 メリジャーナはそう言って、物憂げにため息をつく。

 

「だから贈り物をして反応を窺おうって考え? 付き合わされる身にもなってほしいわ」

 

 ニネメアは湯気を立てるカップに口を付け、やれやれとぼやく。すると、

 

「意見を具申いたします!」

 

 フィリアがテーブルにぐっと手を付いて立ち上がった。

 

「対象の情報を集めるべきと考えます。諜報の許可を頂けますか」

 

 と、力強い口調でそんなことを言いだした。

 

「諜報って……あなたどうするつもりよ?」

 

 ニネミアが疑念を呈する。呆れたような口調だが、その紅い瞳は興味深そうに少女に向けられている。

 

「はっ! 私がテロス様に接触し、その御心を探ってまいります! 最終目標はテロス様の御婚約へのお考え、副次的目標としてテロス様の好物を調査いたします」

 

 フィリアのサイドエフェクトを用いれば、テロスの本心を探ることも可能だ。

 とはいえ、正確な答えを求めるなら、情報は多ければ多いほどいい。

 

 練度、つまりは慣れの問題なのだが、少女のサイドエフェクトは使えば使う程に答えが正確に、必要な情報が僅かで済むようになる。

 これが顕著に表れているのが戦闘時の状況判断で、こと戦闘に於いては微かな変化から予知のように戦況を見抜くことができるのだが、こうした人間関係の機微を扱った問いは、当人の人となりを知ったり表情を読んだりと、正確な答えを出すにはある程度の接触が必要となる。

 

「いかがでしょうか?」

「う~ん……」

 

 少女の提言に、メリジャーナは困ったように唸る。下手にテロスを突いて、余計に話が拗れることを警戒しているのだろう。フィリアがまさか、ここまで真剣に応じるとは思っていなかったようだ。

 

「許可します。全うしなさい」

「ちょっとニネミア!?」

 

 だが、ニネミアは二つ返事でフィリアの提言を採用した。

 

「ここでうじうじ愚痴を溢しているよりはるかに建設的だわ」

「そうは言っても……」

「拝命しました。では作戦行動に移ります」

「「えっ?」」

 

 フィリアはサッとテーブルを離れると、テラス席から街へと走り出していった。

 その行動の迅速さたるや、メリジャーナもニネミアも声を掛けることさえできない。

 

 ワンピースの裾を靡かせ、陽光の下を軽やかに走るフィリア。

 心臓の鼓動は高鳴り、頬はすっかりと上気している。

 

 今まで彼女が修めてきた技術・経験は、すべて他人を害し、奪うためのものである。

 どうしてもその行いには、ある種の冷徹さ、残酷さが求められる。こうしてただ善意だけを胸に動くことが何と心地よいことか。

 

 人の恋路を助けるという初めての体験に、少女はすっかり舞い上がっていた。

 

 

 

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