WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
「ホントにいいの? ちゃんと送ってもらうのよ?」
「はい。分かりました!」
テロスを見送った後、イリニ騎士団の駐車場ではメリジャーナが心配そうにフィリアへあれこれと指示を出していた。
今夜すぐに恋人とのディナーが決まったメリジャーナ。あいにくテロスは仕事から離れられないので、レストランの予約やら何やらは彼女が行わなければならない。
また彼女自身も服を選んだり、化粧を整えたりと身支度で忙しい。
そのことに気を使ったフィリアとニネミアは、今日の街遊びはこれで終わりにして、メリジャーナに家へと帰るよう勧めたのだ。
せめて二人を送ろうと申し出たメリジャーナだが、ニネミアは迎えを呼ぶと言い、フィリアも騎士団に車を出してもらうと言い張った。
「頑張ってくださいメリジャーナさん!」
「あはは……」
フィリアはきらきらと瞳を輝かせて、メリジャーナの武運を祈る。男女の機微など何も分からないだろうに、とにかく二人の幸せを心から願っているようだ。
そうしてメリジャーナを送り出すと、広い駐車場にはぽつんと二人が取り残された。
「まったく、バカな話に付き合わされたわね……」
忌々しげに嘯くニネミア。だが、言葉ほどに腹を立てた様子ではない。口では憎まれ口を叩いても、彼女もまた友人の幸せを祈願しているに違いない。
「さ、今日の予定はこれで終わりよ。あなたもさっさと帰りなさいな」
携帯端末を操作しながら、ニネミアが素気無くそう言う。
隣のフィリアはもじもじと戸惑いつつも、
「ゼーン閣下。今日はとっても楽しかったです。ありがとうございました」
と、折り目正しく礼をする。
「な、なによ。別に私は何もしてないわ」
「? 服を選んでいただきましたし、メリジャーナさんのお悩みを解決するのも手伝っていただきました」
きょとんとした様子で見上げる少女に、ニネミアは露骨な渋面を作る。
「メリジャーナに付き合っただけよ。前にも言ったけれど、私はエクリシアに他国の人間を入れるのは反対なの」
「……私は生まれも育ちもエクリシアですが」
珍しく、少女は控え目ながらも反論を試みた。大貴族の当主相手に口答えをするなど、以前の彼女なら考えられない行いである。
ニネミアの人となりを知り、またフィリア自身の心境が様変わりした結果だろう。
「そうね。でもノマスの血を引いているわ」
「それは、そうですが……」
「別にノマスだけを嫌っている訳じゃないわ。単純に信用できないのよ。他国の人間も、その血の流れる人間も」
話に集中するためだろう。ニネミアは携帯端末を仕舞うと、冷ややかな視線でフィリアを見据える。
「他国から連れられてきた人間がこの国でどう暮らしているか、その子供たちがどう扱われているか、あなたならよく知っているでしょう?」
大粒の宝石のような美貌に酷薄な笑みを浮かべ、嘲笑うかのように問いを投げかけるニネミア。
見る者すべてを恐怖させ屈服を強いる、まさに女帝の表情である。
成人もしていない小娘とは思えぬ迫力だが、不思議とフィリアには、何かを無理に取り繕ったかのような、悲しげな表情に見えた。
「多くは奴隷として暮らし、市民となっても差別は消えず、子々孫々までその宿命は付いて回る。そんな彼らが、エクリシアに恨みを抱かないと思う? 忠誠を誓うといって、私たちがそれを信じられると思う?」
この時、フィリアは唐突にある噂話を思い出した。
ゼーン家の先代当主、トラペザ・ゼーン。遠征先で討ち死にしたという話だが、その死には不可解な点が多数あったらしい。
彼は
そもそも、彼は当主、つまりは指揮官である。
指揮官自らが、撤退もままならぬ程に敵地深くまで斬り込み、むざむざ殺されたというのは、戦略上の観点からも考えにくい。
実はトラペザ・ゼーンは謀略に掛かり、それによって命を落としたのではないか。という噂は、一時市民の間に広く囁かれていた。
凄まじい負け戦で、戦闘の記録が殆ど残っていないというのも噂が信ぴょう性を増した原因である。
真偽のほどは定かではないが、生還者はおらず、無人航行モードの遠征艇だけがゼーン騎士団の砦に帰りつき、中には
ニネミアが造反者の存在を疑ったとしても、無理はないだろう。
そして動機の面から考えれば、エクリシアに住む外国の民こそが怪しい。
多くの者は貧民同然の暮らしをしているが、中には市民となって高位顕職に就いている者も少なくない。
彼らは一般に共同体意識が非常に強く、エクリシアに馴染んでいても、出身国への思いを捨てる者は少ない。
市民でさえそうなのだから、貧民や奴隷はなおさらで、むしろエクリシア人からの不当な扱いから、自らのルーツに傾倒していく者は後を絶たない。
彼らが先代当主を後ろから刺した。という可能性を、笑って排することはとてもできない国情なのである。
「だから、私はあなたを信用しないのよ。他家のやり方にまで口は出さないけど、分かったら、あまり近寄らないで頂戴」
断固とした口調でニネミアはそう言い捨てる。
取りつく島もない拒絶だが、父を亡くした彼女の心境を思えば、むしろ理性的な対応といえるだろう。
「……」
もはやこれ以上の問答は不要と考えたのか、返す言葉も無く項垂れる少女を置いて、ニネミアは颯爽と歩み去る。
「あ……あの」
それでもフィリアはニネミアの後を恐々とした様子でついていく。掛ける言葉はなにも思いつかない。それでも、乙女の孤高な後姿を見ると、胸に迫る感情があった。
「……」
二人は会話もないまま、イリニ騎士団の正門前まで戻ってくる。
ニネミアはこのままゼーン騎士団の砦まで歩くつもりだろう。此処まで配下を迎えに越させれば、彼女がイリニ騎士団を訪れていたことが周囲に知れてしまう。三大騎士団はそれぞれをライバル視しているため、総長が非公式に別の騎士団を訪ねるのは、あまり体裁の良い話ではない。
一方フィリアも、イリニ邸に帰るためには砦に入り、車両の手配を頼まねばならない。
ここが二人の分かれ道となる。
結局、ニネミアと親睦を深めることはできなかった。彼女の思いを知ることはできたが、それは結果として、決して埋まらぬ溝を再確認しただけであった。
「……それじゃあね」
チラリと背後を振り返り、ニネミアがぽつりと言う。
「……はい。今日はありがとうございました」
肩を落とし、フィリアは消沈した様子で答えた。
するとその時、正門前の広間に荘重な造りの高級車が入ってくる。紋章を掲げたそれは、イリニ騎士団の公用車だ。
駐車場に入るためだろう。車はゆっくりとカーブし、フィリアたちの前を横切ろうとする。その時、
「これはゼーン閣下。如何いたしましたか。我が騎士団に御用が?」
車が停止し、窓が開いた。中から顔を覗かせたのは、イリニ騎士団総長、アルモニア・イリニその人だ。
「――――っ!」
声を掛けられるや、ニネミアはびくりと身体を震わせ、石のように固まってしまった。
「それにフィリアもどうしたんだ。今日はメリジャーナと出かけるんじゃなかったのか?」
車から降りたアルモニアが、不思議そうな表情でフィリアとニネミアを見比べる。確かに、事情を知らなければとても珍妙な組み合わせに見えるだろう。
「えっと、今日はゼーン閣下も御一緒くださったんです。メリジャーナさんは急用ができて……」
奇妙なまでに沈黙を続けるニネミアの代わりに、フィリアは事情を掻い摘んで説明する。
一通り話を聞き終えると、アルモニアは得心したように頷き、
「それはそれは……姪がお世話になりましたゼーン閣下。この子はなかなか人見知りが激しいもので、閣下のような素晴らしい方と知遇を得られたなら、嬉しい限りです」
と、翠緑の瞳を細め、優しく微笑みかけた。
姪に友人ができたことに加え、排外主義で有名なニネミアがフィリアを受け入れたことを心から喜んでいるらしい。
「え、ええ。そうですね。とても聡明な子で驚いていますわ。イリニ閣下もさぞ頼もしいことでしょう」
立ち尽くしていたニネミアが、ようやくアルモニアに応じた。
するとどういうことだろうか。普段の凛然たる佇まいとは打って変わり、彼女はしおらしく目を伏せ、白い頬を桜色に染めて、吐息のようなか細い声で切なげに話す。
誰がどう見ても、極端な変貌ぶりである。
「これからも姪とお付き合いくださるよう。心よりお願いいたします」
「願っても無いことですわ。こんなにいい子でしたら、我が家にも迎えたいほどです」
愛想笑いとするにはあまりに魅力的な微笑みを浮かべ、ニネミアはアルモニアと暫し談笑に興じる。
乙女の豹変を目の当たりにしたフィリアは、ただ呆然とした様子でその成り行きを見守るばかりだ。
「それでは私はこれで。どうぞ良い休日をお過ごしください」
「……はい」
簡単な挨拶を終えると、アルモニアはニネミアに挨拶して砦へと向かった。
立ち話で済ませたのはアルモニアの心遣いだ。三大貴族の当主ともなれば、不意の訪問であってもそれなりに供応するのがマナーである。折角の休暇を堅苦しい物にしてはならないと、あえて無礼を承知で会話を終えたのだろう。
「…………」
ニネミアはアルモニアの後姿に、輝きに満ちた眼差しを送っている。
磨き抜かれた宝石のような美しさとはまた違った、年頃の乙女らしい可憐な横顔に、フィリアの目はくぎ付けになる。
「――なによ」
その視線に気付いたのか、振り返ったニネミアが険しい顔で少女を睨み付ける。大の男も押し黙らせる女傑の憤怒も、今は可愛らしく拗ねたようにしか見えない。
「なんでもありませんよ?」
諸々の経験に乏しいフィリアでも、ニネミアの豹変の理由はすぐに察しがついた。
少女は晴れやかに笑って、わざとらしく恍けてみせる。
「……ちょっと生意気なんじゃないかしらっ」
少女はトントンと軽やかに地を蹴って、乙女の前に周りこむ。先ほどの暗澹たる空気が嘘のようだ。彼女も決して、冷厳な為政者としての顔だけを持つ訳ではない。
「ただの社交辞令よ。あなた何か勘違いしてるんじゃなくて?」
「何を仰られているのか、よく分かりません」
「くっ……」
苦々しく弁解するニネミアに、フィリアはニコニコと笑みを浮かべて応じる。
ニネミアがアルモニアに特別な感情を抱いていることに、少女の胸にはほんの少し、しこりのように疼く思いがある。本人に自覚は無いが、それは小さな妬心であった。
しかしそれよりも、敬愛する伯父を好いている人がいるという事実に、彼女は歓喜した。あるいは自分が褒められたことよりも嬉しいかもしれない。
「イリニ閣下は尊敬に値するお方よ」
「はい。存じ上げています」
誤魔化すのは無理と判断したのだろう。ニネミアは羞恥と苛立ちの混ざった顔で、諄々と少女を諭しにかかる。
「彼こそ、騎士の美徳すべてを体現した、まさに万民が範とするべき人物よ。だからこそ、私も礼を尽くすことに異存はないの」
と、ニネミアはアルモニアが如何に優れた人物かをフィリアに力説する。
とはいえ、好意の理由はそれだけではあるまい。フィリアのサイドエフェクトは漠然と、ニネミアの胸にアルモニアとの思い出があることを示した。
「だから、あなたも決して彼を裏切るような真似はしないことね。もしそうなったら、私はあなたを決して許さないわ」
はいはいと頷くフィリアに業を煮やしたのか、ニネミアは強い口調でそう言い放つ。
他国民とその血を引く者を決して信用しないという、彼女の思いの表れだ。
「……ゼーン閣下」
と、それまで頷くばかりだったフィリアが、急に態度を変えて、毅然とした様子でニネミアを見据える。
金色の瞳は鋭く輝き、小娘とは思えぬ凄みを発している。
「閣下が私を信用なさらずとも、私は伯父様を、騎士団の同朋を、それにゼーン閣下の事も、我が身を預けるほどに信頼しています」
誠実な声で、フィリアはそう宣言する。
ニネミアはそんな少女をじっと見つめ、
「騎士フィリア・イリニ。あなたは何故、戦いに身を投じるの?」
と、疑問を投げかける。嘘やごまかしは決して許さないという雰囲気だ。
フィリアは一つ深呼吸をして、
「……こんな私にも、大切なモノがあります。戦うべき時に戦わず、背中を向けて逃げ出せば、私はきっと自分を許せなくなるでしょう。嫌われても謗られても構いません。でも失うのだけは嫌です。それを護るためなら、私は何だってします」
小さな体に見合わぬ迫力と共に、少女は静かにそう告げる。
彼女が成し遂げた前人未到の功績を考えれば、その言葉が偽りであろうはずがない。
「そう。分かったわ」
ニネミアは小さく頷く。
「先にも言ったけれど、私はあなたを信用しない。でも、あなたの行いを決める権利もないの。――まあ、精々頑張りなさいな」
少女の決意が伝わったのだろう。微笑みとは程遠いが、ニネミアは幾分穏やかな表情を浮かべる。
そうして、乙女はフィリアの前から去って行った。
砦の前広間に、少女は一人残される。時刻はまだ昼を少し回ったばかり。陽光はさんさんと輝き、地面に小さく濃い影を映していた。