WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の十 開戦

 林立するモニターの仄明かりが照らす、薄暗く狭い部屋。

 気密された空気は深閑として、室内に奇妙な圧迫感をもたらしている。

 エクリシアの雄、イリニ騎士団が所有する遠征艇。

 そのブリッジで、現在ポレミケス侵攻の作戦会議が行われていた。

 

「以上が、先の威力偵察により判明した敵戦力の概要となります」

 

 円卓に座る一同を見回し、凛とした声でそう述べるのは、騎士団が誇る最年少の騎士、フィリア・イリニである。

 今回のポレミケス遠征は、隊長をドクサ・ディミオス、副長をテロス・グライペインが務め、旗下にメリジャーナ・ディミオス、ネロミロス・スコトノ、フィリア・イリニを加えた五人で行われる。そして、

 

「それを踏まえたうえで、本作戦の説明を行います。ヌース。資料をお願い」

「承知いたしました」

 

 円卓の中央に鎮座するのは、イリニ家が秘蔵してきた自律トリオン兵ヌースである。

 イリニ騎士団総長アルモニアが、本国防衛の兼ね合いから遠征参加を見送らざるを得なくなったため、その代替として彼女に白羽の矢が立った。

 

 文字通り人智を超えた処理能力と記憶容量を持つ彼女は、オペレーターとして、アドバイザーとして、またトリオン兵の操縦者として、申し分ない能力を持つ。

 ヌースの存在が露見せぬよう、遠征の人員は彼女の存在を知るイリニ家直属の家から選ばれた。

 一同は投影モニターを操作し、フィリアとヌースが苦心惨憺して作り上げた資料に目を通す。すると、

 

「随分と回りくどい作戦だな。あまり小細工を弄しては、破綻した時に収拾がつかないのではないか?」

 

 そう険を含んだ声でフィリアに問い掛けたのは、騎士ネロミロス・スコトノである。

 年の頃は二十の前半。天を衝く長身に隆々とした筋骨、逆立った短い金髪に顎髭、炯々と輝く猛獣のような瞳を持つ彼は、勇猛果敢な騎士を体現するかのような容姿だ。

 

 スコトノ家はディミオス家、グライペイン家と共にイリニ家を支え続けてきた普代の家で、一時期は騎士団の兵団長をも務めていた。しかし、スコトノ家の先代当主とアルモニアには何らかの確執があったようで、現在の騎士団での地位はそう高くない。

 それだけではなく、彼は個人としてもノマスの血を引くフィリアを嫌っており、しばしば目の敵にされることがある。

 

「ヌースと意見を出し合い、想定外の事態にも対応できるよう複数の計画を用意しています。煩雑なのは、堅実さの裏返しとご理解ください」

 

 フィリアも知れたことで、ネロミロスとは義理一遍の付き合いを通している。

 直情な性向の男だが愚鈍ではないので、理をもって説けば強硬に反対はしないだろう。

 

「そのヌースだが、トリオン兵の操縦は何体程度可能だ?」

 

 ドクサが確認の意味でそう問う。作戦そのものは隊長である彼の承認を得ており、この会議は細部を詰める為のものだ。

 

「理論上はトリオンの供給が続く限り可能ですが、船内のトリオン量と推定作戦時間の兼ね合いから、二百体程度になると思われます」

 

 ヌースが小気味よく回答する。

 彼女はトリオンを用いて自らの仮想複製体を作成し、それを用いたトリオン兵の遠隔操縦を得意としている。トリオン兵の機能そのものが向上するわけではないが、通常の個体とは比べ物にならない柔軟な運用が可能となる。

 その有用性は、先の偵察任務でも十分に証明された。

 

「よし。強襲部隊は全て操縦しろ。後の分は騎士に付けて作戦遂行を手伝ってくれ。切所となれば備蓄トリオンは使い切っても構わん」

 

 イリニ騎士団の目的は、次代の「神」を捜索し、本国へ連れ帰る事である。

 この遠征には通常の小競り合いとは比べ物にならないほどのトリオンがつぎ込まれている。失敗は許されない。そしてその為には、

 

「作戦目標はこの四か所です」

 

 円卓の上に、ポレミケス首都の詳細な立体映像が投影される。

 その中央。王宮付近に赤くマーカーされた建築群がある。それはポレミケス国防軍の砦にして、有事の際に市民が駆け込む避難所である。

 偵察時の空撮映像を基にフィリアのサイドエフェクトを用いた結果、そこを攻めるのが最もリターンが大きいと確定した。

 とはいえ、曲がりなりにも敵の根拠地である。防備の硬さは推して知るべしだろう。

 

 その無理を通すため、フィリアは水も漏らさぬ戦略を組み上げた。

 作戦の詳細を説明すると、居並ぶ騎士たちは神妙に頷く。

 一見すると無謀な攻撃目標にしか思えないが、フィリアの立案した計画なら、リスクを最小限に抑えつつ、十分な勝算が見込める。

 同輩の承認を取り付け、作戦は無事決定された。ただ、不確定要素はいくらでもある。

 

「懸念事項といえば、やはりあの砲撃ですね……」

 

 メリジャーナが強張った声でそう言う。

 その最たるものは、イルガーを撃ち落としたあの砲撃だ。

 計測された出力とその連射速度から、(ブラック)トリガーの可能性が濃厚である。

 

「未知のトリガーか……もう少し情報が得られればいいんだが……」

 

 テロスが話の穂を継ぐ。

 エクリシアが持つ最新のポレミケスの情報は、八年前のフィロドクス騎士団遠征時の記録である。その際に確認された(ブラック)トリガーは一本のみ。光球を生み出すトリガーで、光に曝露したトリオンの活動を強制的に停止させるという代物だ。

 イルガーを葬り去ったトリガーは、明らかにそれとは別物だ。ただ、

 

「作戦通り速やかに市街地まで侵攻できれば、砲撃についてはさほど気にする必要はありません」

 

 着弾点に巨大な爆発を引き起こすトリガーである。威力の調整はできるだろうが、それでも効果範囲が広すぎる。民の避難が済まない内に市街地へ入れれば、敵も攻撃は手控えるだろう。

 その為には、速やかな進軍が必須となる。

 

 ポレミケスは首都に(ゲート)遮断装置を配備しており、城壁内に直接兵士を送り込むことは不可能だ。侵攻も撤退も、城郭の外側から行わなければならない。

 どうしたところで城攻めになる。

 飛行能力を有する「誓願の鎧(パノプリア)」なら城壁を超えることも容易いが、それでは後が続かない。やはり城壁を破壊しトリオン兵を送り込まなければならない。

 

 とはいえ、その為の装備は既に整えてあるので問題はない。

 国家の命運がかかった遠征である。イリニ騎士団も備蓄を吐き出し、トリオンは潤沢にある。城壁に穴を空けるぐらいは力押しで事足りる。

 やはり問題は、戦略兵器たる(ブラック)トリガーの存在だ。

 

「もう一方の(ブラック)トリガーも気になりますね……」

 

 テロスが懸念を述べると、

 

「そちらが出てきた場合は騎士ドクサに対応をお願いします。相性の関係から「金剛の槌(スフィリ)」で当たるのが最適解でしょう。他の騎士がこれと当たった場合は、戦闘を避け速やかに離脱してください」

 

 フィリアが淀みなくそう答える。

 ここ近界(ネイバーフッド)では(ブラック)トリガーの有無、運用の成否が戦争の趨勢を決する。

 確認されているポレミケスの(ブラック)トリガーは二本。イリニ騎士団が投入した(ブラック)トリガーも同数である。しかし、テロスの持つ「光彩の影(カタフニア)」は、今作戦の中核となるトリガーなので、迂闊にその能力を晒すことはできない。

 

「ポレミケスは小国なれど侮りがたい戦力を有しています」

 

 フィリアはそう言って手元のコンソールを操作し、記録映像を再生する。

 ポレミケスは国民すべてに兵役があり、予備役にもトリガーが貸与される。戦力としては数段劣るものの、トリガー使いの数なら大国にも匹敵するのだ。

 

 またトリオン能力に劣る市民でも、各家庭に簡易トリオン銃が支給されており、有事の際には戦闘に加わる。

 前回遠征したフィロドクス騎士団は、城壁を打ち破り市内には侵攻できたものの、徹底したゲリラ戦によって苦杯を舐めた。

 

「本作戦の成功は、皆様の御助力抜きではありえません。どうぞ、よろしくお願いします」

 

 居並ぶ面々に、赤心より頭を下げるフィリア。

 攻撃開始の日程、時刻も定まり、会議は終了となった。

 

 そうして皆が退室する中、ブリッジにはフィリアとヌースだけが残る。

 船の操縦を任されているヌースはともかく、フィリアに居座る理由が無い。

 遠征艇はトリオン節約の為、極限まで機能性を突き詰めた造りをしている。居住スペースは極端に狭いが、それでも寝室ぐらいは流石に用意されている。メリジャーナと同室だが、一応扉は付いているため、最低限のプライバシーは確保済みだ。

 

「フィリアも、休んだ方がいいのではないですか」

 

 計器類のチェックを行いながら、ヌースが少女に話しかける。

 この数日は作戦を練るのに掛かりきりで、流石に疲労が蓄積している。彼女の言う通り、休息を取った方がいいだろう。

 

「うん、そうする。でもちょっと、ヌースと話したくて……」

 

 会議の時の凛々しさはなりを潜め、少女は柔らかな物腰で家族に話しかける。

 

「……その、ごめんね?」

 

 他では見せたことのない気弱な表情で、フィリアはヌースに詫びを入れる。

 

「謝罪の意図が不明ですよ。フィリア」

 

 声こそ冷淡だが、トリオン兵の家族は少女を気遣うような調子で意図を問う。

 

「私が伯父様にちゃんと言えば、ヌースは来なくて済んだかもしれないのに……」

「そのことでしたら謝罪は不要です。当主アルモニアの要請は、私にとっても願っても無い事でした」

 

 侵略戦争にヌースを巻き込んでしまったことを、フィリアは深く悔やんでいた。しかしヌース当人は何の感慨も抱いていないかのように平然とした様子だ。

 

「私はあなたの後見として、友として造られました。フィリアの望みを叶えることが、私の存在理由です。同道できるのならば、断る理由がありません」

「でも……ヌースは、どう思ってるの? 戦争は、嫌じゃない?」

「あなたを失うことを想像すれば、如何ほどのことでもありません」

 

 少女の問いかけに、ヌースははっきりとそう答えた。

 家族を思っているのは、決してフィリアだけではない。その当たり前の事実を今更ながらに教えられ、少女は言葉に詰まる。

 

「私の望みはただ一つだけです。……フィリア、必ず生きて帰ってきてください」

「うん……約束、する」

 

 静寂に包まれたブリッジに、誓いの声が響く。

 それは戦火の絶えない世界に生まれ落ちた誰しもが願う、儚く崇高な祈りであった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ポレミケスの中央に位置する広壮華麗な王宮。

 

 総トリオン製の建物ながらも、外観は古色蒼然たる様式に整えられており、荘重な風格を漂わせている。積み重ねられてきた歴史の重みを形にしたような、ポレミケスの誇りを象徴する場所だ。

 文部百官集う謁見の間では、ただいま会議が行われている。議題は、早晩本格的に侵攻を行うとみられる軍事大国エクリシアへの対応策だ。

 

 その隣、香をたきつめられた控えの間に、物憂げな美女の姿があった。

 年の頃は二十歳前後か。絹のような長い黒髪に、濡れたような切れ長の瞳。形の良い鼻梁に、艶やかな唇。旗袍に似た衣を纏った肢体は細く優美で、所作は浮世離れしたに美貌に相応しい気品に溢れている。

 

 この深窓の姫君の名はオルヒデア・アゾトン。

 ポレミケスが有する(ブラック)トリガー「灼熱の華(ゼストス)」の担い手である。

 

 心痛に顔を顰めたまま、彼女は白い指で所在無げに卓を撫でている。するとその時、格子戸の向こうから多数の足音が聞こえてきた。どうやら会議が終わったらしい。

 そして颯々とした男性の足音が、オルヒデアの控える部屋の前で止まった。

 

「――兄様!」

 

 入室を請う声が聞こえる前に戸を開け、訪問者に駆け寄るオルヒデア。

 

「済まない。随分と長引いてしまった」

 

 現れたのは白皙の偉丈夫、ロア・アゾトン。

 年齢は二十の中ほど、意思の強そうな瞳に引き締まった口元、艶やかな黒髪が印象的な美男子である。

 顔の造作がオルヒデアと似ているのは、彼らが血を分けた兄妹だからだ。

 

「それで、評定はどのようになりましたか?」

 

 オルヒデアが恐々とした様子で兄に尋ねる。彼女は(ブラック)トリガーの適合者とはいえ未だ若輩者であり、ポレミケスの首脳陣が集う会議に参加できる立場にはない。

 一方、兄のロアは抜群の武勇を以て国中に知られており、武人として最高位に当たる範士の位を授かった名士である。

 首脳会議にも、当然の如く列席が許されていた。

 

「やはり、先日の襲撃はエクリシアの仕業だった。明朝、総動員が掛けられる。彼の国が接触軌道を離れるまで、最高度の防衛体制が敷かれることになる」

 

 トリオン兵の残骸を調査した結果、やはり送り主はエクリシアであると判明した。貪婪に他国を襲い、トリオンをかき集めるその国情から考えても、先の攻撃は本侵攻の前触れであると考えるべきだろう。

 

 脳裏に去来するのは、八年前の惨禍だ。

 武都を散々に蹂躙した甲冑の軍団。ノーマルトリガーとは一線を画したその戦力に、ポレミケスは大苦戦を強いられた。捕虜に取られた者こそ少なかったものの、市街は荒らしに荒らされ、多くの死傷者を出した。

 この国に深い傷跡を残した狂猛な国家が、今また攻め寄せてくる。

 

「そんな……」

「……すまない。お前にも苦労を掛けることになる」

 

 砲撃型ブラックトリガー「灼熱の華(ゼストス)」を持つオルヒデアは、ポレミケスにとって掛け替えのない防衛戦力である。

 余りの火力故に味方をも巻き込みかねないため、「灼熱の華(ゼストス)」は普段の防衛体制では投入されることはない。

 しかし、相手がエクリシアとなれば話は別である。すでに都の周囲の住居、農地の放棄は決定しており、オルヒデアには敵の出現と同時に砲撃を叩き込み、敵を減殺する任務が与えられる見通しだ。

 

「何よりも争いを厭うお前に、こんなことを頼むのは心苦しいが……」

 

 ロアは渋面を浮かべ、励ますように妹の肩に手を乗せる。

 

「覚悟はできております。私もこの国の一員ですから」

 

 オルヒデアは兄の手に白い指を添わせ、決然とそう言う。

 言葉こそ勇壮だが、不安と恐怖を隠すことはできない。身体は凍えたように震え、瞳は悲しげに伏せられている。

 彼女は稀有なトリオン能力を持ち、また(ブラック)トリガーに適性を見せたために軍に身を置くことになったのだが、その性状は虫も殺せないほどに心優しい。

 音曲を奏でるのが何よりの趣味という、争いには全く不向きな女性なのだ。

 

「それよりも……兄様の方こそ心配でなりません」

 

 しかし、彼女が案じているのは、たった一人の家族の身である。

 

「相手はあの……悪鬼のような鎧武者たちなのでしょう? 兄様がいくらお強いとはいえ、万が一のことがあれば……」

 

 ロアは範士の位を授かった、ポレミケスでも最高の戦士の一人である。

 当然、戦闘では先陣を切って敵に突撃する。それはこの武侠国家においては、最も誉れ高き役目だ。だが、先陣は損耗率も高い。大国を相手取った激戦となれば、無事に帰ってこられる保証はどこにもないのだ。

 

「それこそ、兄の役目というものだ。守るべき者を背負えばこそ、義侠は魂を研ぎ澄ませ、剣は無心の域に至る。……むしろ、俺の方こそ心配だ。お前はどうも、この歳になっても間が抜けたところがあるからなぁ」

 

「もう、兄様! 私は真面目な話をしているんですよ!」

 

 妹の悲痛な心境を、下手な冗談で晴らそうとするロア。

 堅物な兄の精一杯の思いやりに、オルヒデアは怒りと喜びを混ぜたような、微妙な表情を作る。

 そうして涙目となった彼女は兄の胸に縋りつき、

 

「お願いします兄様。……私を、一人にしないで」

 

 と、そう呟いた。

 

「……ああ。約束する、必ずだ」

 

 妹の震える背中をそっと撫でてやりながら、ロアは力強くそう答えた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 玉の雫となった汗を、捻りを加えて突き出された棍が打ち抜く。

 全身の捻転を用いて振り抜かれた木の棒が、大気を燕のように切り裂いた。そして振り回した勢いをそのまま用いて、強烈な回し蹴りを宙に放つ。

 薙ぎ、打ち、突き、払う。ひと時も留まることなく型を繰り出す栗毛の少女を、そばかす顔の少年と、長躯の青年が眺めていた。

 

「あいつ、最近ずっとああだぜ……」

「身体を動かしてないと落ち着かないんだろ」

 

 ポレミケス防衛軍の砦、「練兵館」の訓練室。その一画で、ピニョンとペタロが過酷な訓練に励むトゥリパを案じていた。

 

「それにしたって限度があるぜ。ぶっ倒れるんじゃないか、あいつ」

「そんなに心配なら直接言って来いよ」

「はぁ!? 誰が心配したってんだよ。潰れられると困るんだよ」

 

 エクリシアの襲撃を受け、現在ポレミケスには最高度の警戒態勢が敷かれている。錬士たちは一人残らず招集され、防衛任務に就いている。

 ピニョンたちは現在休憩時間中だが、砦から出ることは許されない。もし敵襲があれば、彼らもすぐさま出撃する。

 しかし、トゥリパは防衛シフトから帰っても一向に休まず、訓練室で型取りを始めた。

 トリオン回復のためトリガーの使用は禁じられているが、彼女は生身で棍を振り、一心不乱に汗を流し続けている。

 

「だいたいアイツは気負いすぎなんだよ。この前だって俺らがミスした訳じゃねえんだし……」

「それでも責任はあるだろ。俺たちは錬士なんだ」

 

 先の防衛戦で、イルガーの爆撃により多くの犠牲者が出た。それ以来、トゥリパは己を追い込むように訓練に明け暮れている。

 一見平然とした様子の少年たちも、胸の内は少なからず動揺している。

 小競り合いは日常茶飯事の近界(ネイバーフッド)だが、彼らは未だ大戦を知らない。いつ攻め寄せるとも分からぬエクリシアの影に、凄まじい重圧を感じているのだ。

 

「お、やっと終わった」

 

 見れば、型取りを終えたトゥリパが残心の体勢で調息をしている。

 

「ほら、持って行け」

 

 ペタロはピニョンにタオルを渡し、顎でしゃくるように少女を指す。

 

「な、何で俺がだよ!」

「飯食う時間がなくなるだろうが、さっさと行け」

 

 先輩に問答無用で命令され、不承不承と少年は訓練室へ向かう。

 

「あ、ごめんね。ありがと」

 

 そんなピニョンを、道着姿のトゥリパが出迎えた。花が咲くような笑顔に何処か陰が差しているのを、付き合いの長い少年は見逃さない。

 

「おう。ペタロが腹減ってしゃあねえってさ。食堂行こうぜ」

「あ~もうそんな時間だったか……」

「お前さ、もうちょっと落ち着いた方がいいんじゃねえか。その、見ててなんつーか、調子が狂うってか、いやべつに心配してる訳じゃねえけど……」

 

 昨日以来、トゥリパが気を張り続けているのは明白だ。ピニョンは不器用ながらも励まそうと、何とか言葉を探す。

 そんな少年の気持ちが届いたのか、トゥリパは困り顔を浮かべ、

 

「やっぱりさ、怖いよ。いっくら棒を振っても全然吹っ切れない。情けないよね。みんなの盾になるのが私たち錬士なのにさ……」

 

 と、弱音を吐く。

 勝気な幼馴染の弱り果てた姿に、少年は勢い込んで、

 

「そんなの俺だっ……誰だってそうだろ! ぐっと前向いて、必死に気張って何とかするしかねえじゃんか!」

 

 と、大声で励ました。てっきり嘲り混じりでからかわれると思ったトゥリパは、目を丸くして少年を見詰める。

 

「お前がそんなんでどうすんだよ。確かに俺たちはまだひよっこだし、ロア師兄やバラノス師父に比べりゃ全然雑魚だけどさ。……俺だっているし、ペテロもいる。三人で組めば今まで負けなしだっただろ?」

 

 柄にもない激励に顔を真っ赤に染めながら、それでも少年は力強くそう言う。

 そんな少年にトゥリパは莞爾として笑うと、

 

「そうだよね、私は暴れるしか能がないもん! うだうだするのは止め止め。とにかく不埒者をぶっ叩いて回るのが、私の仕事だよね」

 

 と、多分に空元気だが、それでも英気を取り戻す。

 

「じゃ、早速腹ごしらえと行きますか。お腹ペコペコだ」

「……汗まみれで行くのかよ。トリオン体になっとけよ。臭うぞ」

「なっ、最低だ、酷い奴だ! 折角ちょっと見直したのにっ!」

 

 と、二人はいつものように口喧嘩を始めながら、ペタロも加えて訓練室を後にする。

 

 そうして食事を済ませると、三人は練兵館の物見塔へと登った。

 別に考え合っての事ではなく、腹ごなしに階段を上り、外の風に当たろうというだけである。しかし、そこには意外な先客がいた。

 年の頃は七十がらみの、痩せて小柄な男性である。柔和な顔立ちをした老人は、物見塔からジッと城壁の彼方を眺めている。

 

「師父!」

 

 口の悪いピニョンまでもが、低頭して礼を尽くす。

 この老人こそポレミケスでもその人ありと謳われた範士、その名をバラノスという。

 (ブラック)トリガー「静謐の火(ヘオース)」の担い手にして、多くの武人たちを鍛え上げてきた伝説的な教官だ。トゥリパたちも例外ではなく、彼らが若くして錬士となれたのも、バラノスの教導の賜であった。

 

「おや、お前たちか。相変わらず騒々しいの」

「はっ。申し訳ありません」

 

 普段は口をきくのも面倒くさがるペタロが、ハキハキと礼儀正しく応じる。師弟の関係は絶対であるが、それ以上にバラノスはその人徳で皆から慕われている。

 

「いやいや責めとりゃせんよ。楽になさい」

 

 白髪頭の男性は糸のような目を殊更に細めて、少年たちに優しく語りかける。

 体格に恵まれず、老境の域にあるバラノスだが、培った技術はまったく錆びついていない。トリオン体での戦闘となれば、ポレミケスでも未だに最強の武人である。

 

「まあゆっくりしていきなさい。一人で空を睨むのも虚しくていかん」

 

 と、少年たちの師匠はまるで孫でも迎えるかのような調子でそう言う。

 

「師父、それではすぐにも敵が現れるとお考えですか」

「いやいや、砦に居ても手持無沙汰でな。儂が居ると皆も落ち着かんだろうしの」

 

 緊迫した様子で訊ねるペテロに、老人は頭を振って答える。

 動員が掛けられて以降、平時の業務は全て休止している。バラノスは(ブラック)トリガーの担い手のため、防衛シフトにも入っていない。ひたすら待機で暇なのだろう。

 

「……先生。この度の戦の展望を、どうお考えでしょうか」

「ちょ、ちょっとピニョン!」

 

 すると、ピニョンがそう問う。トゥリパは師匠に対する不敬を咎めるが、少年は撤回する気は微塵も無い。

 バラノスはこの国で最も経験豊富な戦士である。八年前のエクリシア襲撃にも防衛に参加し、勝利をもぎ取った立役者だ。

 どんな助言でも、少年たちの糧になるはずだ。

 

「そうさなぁ……お前たちなら話しても構わんか」

 

 師父は恬淡とした気配はそのままに、眼光だけを鋭く尖らせる。

 

「お上は今回、勝てぬことも視野に入れて作戦を立てておる」

「なっ――」

 

 開かされた真実に、若い錬士たちの顔が驚愕に染まる。

 

「そ、それはどういうことですか老師! 勝てないって、降伏でもするつもりですかっ!」

 

 血気盛んなピニョンが噛みつかんばかりの勢いで捲し立てるが、老人は揺るぎない視線で少年を射抜き、押し黙らせる。

 

「エクリシアは先の戦を上回る戦力を送り込んでこよう。激戦は必定。そして国を残すためには、勝つためではなく負けぬための算段が要る」

 

 明かされたポレミケス指導部の計画は、少年たちにとって衝撃的なものだった。

 骨子は基本にして確実な作戦、すなわち籠城だ。

 こちらからは打って出ず、防壁を盾にして敵を食い止める。市民は街の中心部の王宮と砦に避難させ、もし城壁が破れられた場合、防衛ラインを砦まで引き下げる。

 ここまでは至って常道の作戦だ。しかし、

 

「防ぎきれぬと判断した場合、敵を市街地まで引き入れ「灼熱の華(ゼストス)」でこれを焼き払う」

「――――」

 

 バラノスの言葉に、ピニョンたちは絶句する。

 守るべき街を自らの手で破壊するという非道の計略だが、これには明確な理由がある。

 

 この近界(ネイバーフッド)で何より重要な資産は、人間が生み出すトリオンに他ならない。確かに市街地を焼き払うことは莫大な損失だが、それはあくまで金銭的な事象にすぎない。

 

 トリガー技術は王宮が管理し、食料は郊外で産出される。

 人さえ無事ならば、トリオンを用いて街を造りなおすことはそう難しくない。もちろん文化や個人の思い出といった、失われるモノの価値は計り知れないが、それでも人民を拉致され国力を大幅に削がれるよりは遥かにいい。

 国を残すための策、とはこういうことだ。そして。

 

「出鼻さえ挫ければ、エクリシアは引き上げざるをえん」

 

 戦略上の観点からも理由はある。

 まず、エクリシアが短期決戦を仕掛けてくることは確実だ。

 ポレミケスとは軌道の接近周期が長いため、仮に支配できたとしても統治が難しく、エクリシア側に旨みが無い。派兵目的は制圧ではなく市民の拉致に間違いないだろう。

 となれば、送り込まれる戦力は限定的になる。本国から増援を寄越し、腰を据えて事を構える気はないだろう。そして何より、

 

「敵のトリガーはその強力さ故に、トリオン消費が凄まじいはずだ」

 

 エクリシアが誇る鎧トリガーは、継戦能力に難がある。

 通常トリガーとは一線を画すその能力は、膨大なトリオンをつぎ込むことで成立している。その事実を、ポレミケスは八年前の侵攻データから解析していた。

 もちろん現在では装備も更新されているだろうが、それでも二度も三度も攻撃を行う余裕はない筈だ。

 最初の侵攻さえ凌げれば、エクリシアは撤退するほかない。

 その為の確実なる策が、市街を囮にしての爆撃であった。

 

「なら、敵を防げれば街は守れるんですよねっ!」

 

 と、それまで無言を貫いてきたトゥリパが、願うようにそう言う。

 

「もちろんだとも。街を傷つけたいと思う者など誰もおらぬ。ただ、国の行く末の為ならば、時には非情な決断も迫られるものだ」

「簡単な話じゃないですか。俺らが気張ってエクリシアの連中をぶちのめしますよっ!」

 

 バラノスの言葉に、ピニョンは勇んで拳を握る。

 

「それでですか。不利になったら無理せず撤退するように指示が出てたのは……」

 

 ペタロだけが冷静に、師父から明かされた作戦内容を吟味する。

 

「実際のところ、エクリシアの「鎧」は生半な相手ではない。錬士であっても単独ではまず勝ち目はないだろう。お前たち次代を担う若者こそ、なんとしても生き延びねばならんのだ。決して無茶はするんじゃないぞ」

「はい。肝に銘じます」

 

 師父に礼を述べ、三人は物見塔から降りようとする。

 もうすぐ昼の休憩が終わる。防衛シフトの交代の為、三人は城壁へ向かわねばならない。

 まさにそのタイミングを見計らったのだろう。

 ポレミケスの天地に、激震が走った。

 

 

 

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