WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の十一 騎士勇躍

 風景画に墨汁を落としたかのように、漆黒の風穴がポレミケスの遠景に穿たれる。

 

 武都を囲む城壁、その東西南北に開いた(ゲート)は、五十を超えてもなおも増え続ける。

 穴から現れたのは、何百体というトリオン兵の大群である。バムスター、モールモッド、バンダー。そして空中に展開した(ゲート)からは、二十を超えるイルガーと、それに付き従うバドの群れが現れる。

 田畑を踏みにじり、トリオン兵の群れが一斉に城壁を目指す。

 

 そこへ、トリオン弾が豪雨の如く降り注いだ。

 城壁が火山のように火を吹いている。エクリシアの襲撃を予見していたポレミケスの防衛隊が、即座に攻撃を始めたのだ。

 

 しかし、津波のようなトリオン兵の大群は、弾丸の嵐を受けても一向に速度を緩めない。そして、空に浮かぶイルガーは速度を増し、城壁を超えようとしている。

 上空と地上、双方から攻め立てられた防衛軍。だが彼らは迷うことなく眼下の敵だけに射撃を集中させる。

 

 その時、天を光芒が切り裂き、巨大な火球がイルガーを飲み込む。ブラックトリガー「灼熱の華(ゼストス)」の砲撃だ。

 堅牢な装甲を持つイルガーを一撃で破壊するその火力。しかも、砲撃は休むことなく続けざまに放たれ、取り巻きのバドを跡形も無く消し去る。

 

 とはいえ、エクリシアも「灼熱の華(ゼストス)」の存在は把握しており、対策は立てていた。

 イルガーはそれぞれ十分な距離を取り、尚且つ都市の八方から押し寄せてくる。どうあがいても、一射につき一体を堕とすのが限度だ。

 

 しかも射撃ポイントを移動せねばならない為、イルガーを全滅させるにはさらに時間がかかるだろう。

 大部分のイルガーは、市内に到達してしまう。

 

 トリオン兵の数が想定よりも大幅に多い。これはポレミケス側の誤算であった。

 それも仕方のないことで、基本的にトリオン兵は使い捨てであり、行動時間を過ぎた個体の再利用もできず、残骸をトリオンに還元するぐらいしか方法が無い。

 

 つまり、トリオン兵は人間に比べて甚だ効率の悪い兵器なのだ。トリオン兵を大量に用いれば、たとえ捕虜を得ることができたとしても、トータルで損をすることがある。

 それらの事情から、捕虜を目的とする通常の遠征の場合、投入されるトリオン兵の数はある程度上限が決まってくる。

 

 まさかエクリシアが「神」の候補を探すために損益を度外視して攻めてくるなど、流石のポレミケスも想定はしていなかった。

 

「くそ、城壁を超えるぞっ!」

 

 都市まで間近に迫ったイルガーに、流石の防衛隊も焦って攻撃を加える。

 ところがイルガーは一向に爆撃を行わず、それどころか城壁を超えるやいなや、急に高度を下げだした。

 民家の屋根に腹が擦るほどの低空飛行。これは家屋を盾にして「灼熱の華(ゼストス)」の砲撃を避けるためだろう。

 

 しかし、高度を下げたため、トリオン弾の威力も減衰することなく届く。

 これを好機と見た城壁の防衛隊は、挙って集中砲火をイルガーに加える。

 陸戦型のトリオン兵が防壁に取りつくが、このままイルガーに向背を脅かされるわけにはいかない。

 

 市内に展開している防衛隊も火砲を浴びせかけ、イルガーは次々にトリオンを噴出させて堕ちていく。トリオンの漏出が多く、自爆モードにさえ移行できない。市街地に入り込んだ十数体のイルガーは何の戦果も上げられぬまま、家屋を押しつぶし、打ち上げられた鯨のように地に付した。

 

 ポレミケス側としては、この采配ミスに喜ぶほかない。まるで的になるために降りてきたようなものだ。

 いや、事実、イルガーはその為に高度を下げたのだ。

 

「な、何だこいつらっ!」

 

 防衛部隊が喜ぶのもつかの間、堕ちたイルガーの装甲が爆ぜ、中から小型のトリオン兵が次々と現れた。

 馬のように細く伸びやかなデザインをしたそれは、エクリシアが有する偵察用トリオン兵ボースだ。

 

 イルガーから湧いて出たボースたちは、驚愕する防衛隊を歯牙にも掛けず、脱兎のごとく市街地へ向けて逃げ出す。

 機動力に特化したトリオン兵は、あっという間にイルガーの墜落地点から八方へと走り去った。トリオン兵の市街への侵入を許したのだ。

 

「くそ、やられたっ! 市民を逃がせ!」

 

 市内に配置された隊員が通信を飛ばす。だが、城外ではさらに深刻な事態が起こっていた。

 

「砲撃が来るぞ! 総員シールドを張れっ!」

 

 防衛部隊がイルガーにかまけていた間に、バンダーが射程圏内まで近付いていた。城壁の各所で、バンダーの大群が鎌首をもたげ、城壁に集中砲撃を加える。

 凄まじい轟音と震動。

 堅牢な城壁にひびが入る。だが幸いなことに、何処も崩れてはいない。

 首都を護るために膨大なトリオンを注ぎ込んだ城壁だ。その頑強さは並大抵のものではない。とはいえ、

 

「撃て撃て! バンダーを止めろ!」

 

 防衛部隊が砲撃を再開する。いくら城壁が硬いとはいえ、そう何度も砲撃を食らう訳にはいかない。城壁さえ無事ならば、陸戦型のモールモッドやバムスターは後回しにしても対処できる。

 逆に城壁を抜かれてしまえば、数の猛威に押しつぶされるしかないのだ。

 

 優先目標のバンダーに火力を集中させ、徹底して砲撃体勢を取らせない。だがしかし、彼らが注目すべきは仕事を終えたバンダーではなかった。

 次の瞬間、押し寄せるバムスターの外殻から、多数の細長い何かが発射された。

 

 それはエクリシアが投入した新型、爆撃用トリオン兵オルガの群れだ。

 オルガは破壊力に特化したトリオン兵である。長椅子程の大きさの彼らは、三角錐の強固な頭部に滑らかな流線型の身体を持ち、高速で飛翔する。

 そしてその体躯を目標に突き立てると、内蔵トリオンを全て動員して自爆を図る。

 

 迎撃の弾丸の嵐を潜り抜け、ミサイルの如きトリオン兵が城壁へと殺到する。

 ひび割れた壁面に硬質化した頭部を突き立てると、オルガが一斉に爆発した。

 

「やられた! 崩れるぞっ!」

 

 城壁が崩落し、地面に吸い込まれていく。囮用に繰り出したイルガーからオルガの自爆攻撃まで、完璧にタイミングを合わせた波状攻撃だ。

 同様の攻撃は、東西南北全てで行われていた。

 

 城壁の各所に、巨大な風穴が開く。

 そしてこの時を待っていたと言わんばかりに、トリオン兵の群れが速度を上げて押し寄せる。

 しかし、防衛隊もただでは通さない。すぐさま城壁の崩落個所に飛び降りると、白兵でトリオン兵の群れを押しとどめようと構える。だがその時、

 

「なっ――」

 

 トリオン兵の群れから風のように飛び出した巨大な人影が、すれ違いざまにポレミケスの戦士を車切りにした。

 

「ひっ――」

 

 悲鳴を上げる暇も無く、数人の戦士が長剣で斬り裂かれる。

 彼らの前に現れたのは、猛々しくも流麗な白亜の鎧だ。

 エクリシアの主戦力「騎士」たちが、戦線に投入されたのである。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「市街地への侵攻は成功。作戦を次の段階へ進めます」

 

 抑揚の無いヌースの声と共に、フィリアの視界に武都の地図が映し出される。

 地図にはバドの空撮から得た敵味方の動向が、リアルタイムに表示されている。また先んじて投入したボースの調査によって、有力なトリオン機関の持ち主も次々に捕捉しつつある。

 

「了解。トリガー使いを排除します」

 

 そう交信しながら、フィリアは「鉄の鷲(グリパス)」を無雑作に振るい、進路上の敵を唐竹割りに切り捨てる。

 戦士の携えていた「傍えの枝(デンドロ)」は、何の役にも立たずに両断された。少女の技量と「誓願の鎧(パノプリア)」の力を持ってすれば、予備役の戦士など敵にもならない。

 

 そして彼女はトリオン兵の一部を引き連れ、敵勢の盛んな方角へと高速で飛翔する。

 少女の役割は捕獲用トリオン兵のサポートだ。障害となるトリガー使いたちを襲撃し、注意を引き付ければ、それだけ捕獲用トリオン兵の仕事がし易くなる。

 

「こちら騎士メリジャーナ。市街地へ侵入。トリガー使いの排除を行います」

 

 同僚たちからの通信が間をおかずに届く。皆滞りなく市街地へ入れたようだ。あとはそれぞれの職分を果たすだけだ。

 

「うぁっ――」

 

 行きがけの駄賃とばかりに、フィリアは視界に入った戦士をすれ違いざまに斬る。弾丸が肩を掠めたが、「誓願の鎧(パノプリア)」には傷一つついていない。エクリシアの誇る鎧は(ブラック)トリガーでもなければ破壊できないほどの防御力を持つ。

 

「敵の動きに変化があります。どうやら合流を優先する模様」

 

 ヌースから通信が入った。分散を誘うためにボースをばら撒き、突入させたトリオン兵を各所に散らしているが、敵は誘いに乗らず、戦力の集中を図るらしい。

 単独ではエクリシアの騎士に適わない以上、当然の措置といえる。しかしそれ故に、

 

「ヌース」

「はい。プランを変更。トリオン兵に市民の避難路を寸断させます」

 

 フィリアも対応策は用意してある。

 ヌースによって設定を変えられたトリオン兵は、市民の残った家屋を壊し、主要な道路を扼するために動き出す。

 

 敵の奥の手が砲撃型(ブラック)トリガーによる爆撃であることは、「直観智」のサイドエフェクトによって既に判明している。

 市民と戦士の収容が終われば、頭上からは(ブラック)トリガーの砲撃が降り注ぐことだろう。それを防ぐ為、トリオン兵で市民の避難を足止めする。無論、防衛隊はその救援に動くほかない。一石二鳥である。

 

 ただし、当然ながら全ての市民を釘付けにすることはできない。普段から訓練を積んでいたのだろう。ほとんどの市民は迅速に避難場所へと向かっている。

 とはいえ、まったく好都合な展開だ。

 エクリシアの最終攻撃目標は市民の避難場所である。獲物が自ら纏まってくれるというのなら、これほど有難いことは無い。

 

「東部三―九、西部六―二、南部五―三。敵の集合地点です。マークして情報を共有」

「承知しました。フィリアは?」

「南部の敵が揃う前に、襲撃を掛けます」

 

 サイドエフェクトを用い敵の合流地点を一瞬で見抜くと、フィリアは「誓願の鎧(パノプリア)」のスラスターを吹かし、風のように街区を飛翔する。

 ポレミケス側もトリオン兵を繰り出しているが、数が少ない。まだまだ戦力はエクリシア側が圧倒的な優位にある。

 

 ――しかし、ここで攻めすぎてはいけない。

 敵にはまだ逆転の目があると、勘違いしてもらわねばならない。彼らには、まだこの戦場から足抜けしてもらっては困るのだ。

 

 その為に、エクリシア側は心を砕いて攻撃の指揮を執った。敵の無力化を優先するならば、イルガーとオルガを市街地で自爆させるだけで事は足りたのだ。

 それをしなかったのは、(ブラック)トリガーの誕生を恐れたからだ。

 

 もし敗北が濃厚となれば、敵方から命を捨てて抵抗を試みる者が現れる。過去、そういった死兵が(ブラック)トリガーとなり、勝利目前だった国家が敗走した例は幾度となくある。

 そのような事態を防ぐためには、敵に真意を隠しつつ、ほどほどに相手をしなければならない。

 

「こちらメリジャーナ。敵上級兵を捕捉。交戦を開始」

「スコトノだ。なかなかの使い手が出てきた。遊ばせてもらうぞ」

 

 騎士たちから相次いで、敵の主力と遭遇したとの報告が届く。狙い通り、敵は戦闘を放棄していない。ただ、

 

「北部に展開中のトリオン兵の反応が一斉に途絶。敵(ブラック)トリガーの疑いが濃厚です」

 

 そう上手くいくばかりではない。懸念通り、敵のが(ブラック)トリガー現れたらしい。

 

「騎士ドクサ」

「分かっとる。――抑えに回る。後は頼むぞ」

 

 戦場の各地でエクリシアとポレミケス、双方の主力部隊が激突を始めた。

 まだ、戦いは始まったばかりだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 エクリシアが戦端を開いて僅か数十分で、ポレミケスは地獄の底へと化した。

 

「なんで、こんな……酷い……」

「うっせぇ! 早く走れっ!」

 

 惨状にショックを受けるトゥリパを叱りつけ、ピニョンたちは市街地を走る。

 避難所である練兵館を目がけて市民たちが走っていく。その人波に逆らって錬士たちが目指すのは、まだ多くの市民が残る東部地区だ。

 次第に戦闘音と地響きが大きくなる。みれば、防衛隊がトリオン兵と交戦中だ。

 

「加勢に来たぞっ!」

 

 掛け声とともにピニョンが「随伴者(アコルティステ)」を起動する。二基の正八面体ビットが空中に浮かび、少年と共に射撃用トリオンキューブを作る。

 そして放たれた弾丸が、雨あられとトリオン兵の群れを打ち据えた。

 

「ぼさっとすんな、突っ込め!」

「――分かってるって!」

 

 涙をぬぐったトゥリパが「連鎖の塔(リネア)」を振るい、敵陣へと駆けていく。同じく「波濤(キューマ)」を操るペタロもトリオン兵の殲滅に加わる。

 精鋭たる錬士の助成を得て、防衛隊は一気に盛り返す。

 しかし、トリオン兵は不利を悟るや、潮が引くように退却しだした。殿にはモールモッドを置き、先頭切って逃げ出したのはバムスターだ。捕らえた市民を一先ず回収しようという肚に違いない。

 

「くそ、あいつら逃げるぞ!」

「待てお前たち! 何か変だ!」

 

 算を乱したトリオン兵に防衛隊が追撃をかける。違和感を覚えたペタロが制止するも、勢いづいた彼らは止まらない。

 隊列の一部が突出した。そこへ、

 

「う、うおっ!」

 

 家屋に隠れていたバンダー複数体が、建物越しに砲撃を打ち込んだ。

 爆炎に呑み込まれ、ひとたまりも無くトリオン体を破壊される戦士たち。すると、背を向けていたトリオン兵たちが一斉に反転する。

 

「釣りだと……」

 

 ペタロが驚愕に顔を歪ませる。このトリオン兵たちは劣勢を利用して罠を張ったのだ。

 通常のトリオン兵の動きではない。先の戦闘と同じく、明らかに操縦者がいる。

 

「負傷者を回収! 急げっ!」

 

 ペタロの下知に、砲撃を免れた戦士たちが一斉に動く。トリオン体の解けた戦士たちではモールモッドの足から逃れられない。彼らが離脱するまで時間を稼がねば。

 

「ピニョン! トゥリパ! 食い止めるぞッ!」

 

 もはや戦局はこちらの大幅な劣勢だ。だが、それでも錬士たちの実力ならば、強化されたトリオン兵であっても殲滅は可能だ。ペタロは群がるトリオン兵を「波濤(キューマ)」で薙ぎ払い、戦士たちの救助をフォローする。

 次の瞬間、救助を行っていた戦士たちの頭が、次々と弾け飛んだ。

 

「――っ」

 

 驚愕の前に体が動いた。三人の錬士たちは咄嗟に頭部を護るようにシールドを展開する。絶え間ない修練によって体に染み込ませた、半ば反射の行動だ。

 次の瞬間、けたたましい被弾音が直近で鳴り響く。

 間一髪である。戦士たちを襲った弾丸が、ペタロたちにも叩き込まれたのだ。

 

「くそっ、とうとう出てきやがった……」

 

 ペタロが冷や汗をかいて毒づく。

 半壊した家屋の上に、佇む孤影がある。

 両手に巨大な機関銃を二丁下げた、純白の鎧。

 エクリシアの象徴たる悪鬼、騎士が錬士たちを睥睨していた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 武都の西部地区。最もエクリシアの攻撃が激しかったこの地区では、数百メートルにわたって城壁が崩落し、トリオン兵が大量に市街地へと侵入していた。

 しかし、ポレミケス防衛隊の奮迅もあり、市民の避難は他の地区に比較して、順調に進んでいた。

 

「その家屋の下にまだ誰かいる。トリオン体の者は瓦礫を撤去してくれ。崩れないように気を付けるんだ」

「ありがとうございます! ありがとうございますロア様!」

「礼は無用です。焦らず、急いで練兵館へと向かいなさい」

 

 取り乱す市民に堂々と対応している黒髪の美丈夫は、範士ロアだ。

 彼は錬士たち精兵を率いて一先ず付近のトリオン兵を制圧した。現在は防衛隊と共に、取り残された住民の救助を行っている。しかし、

 

「また(ゲート)が開きました。トリオン兵が来ます!」

 

 敵は城壁の向こうから切れ目なくトリオン兵を送り込んでいる。また、南部、東部は未だトリオン兵が跋扈しており、一向に市民の避難が進んでいない。

 

「錬士たちは市民の避難が完了するまでトリオン兵を迎撃せよ。私は南部の援護に向かう」

 

 救助に拘泥するわけにもいかず、錬士たちは次なる戦地へと急ぐ。

 ロアのみは一団から離れ、単身で他の戦線の救援に回る。範士である彼の技量は突出しており、一人で一部隊に匹敵する戦力を持つ。

 

 ロアはブレードトリガー「刑吏の杭(ラピス)」を二刀提げ、音も無く荒れ果てた道路を疾走する。南部地区の敵を駆逐し、市民の避難を促さねばならない。

 もはや市街地の奪還は不可能だろう。エクリシアを撃退するには、予ての作戦通り「灼熱の華(ゼストス)」による砲撃を行うしかない。

 

「……くそっ」

 

 破壊の限りを尽くされた街並みを見て、ロアの端正な顔が苦悶に歪む。

 彼の脳裏に浮かぶのは、妹オルヒデアの姿だ。

 

 彼女はポレミケスでも最高のトリオン機関を持ち、何の因果か(ブラック)トリガー「灼熱の華(ゼストス)」にも適合を見せた、まさに運命に見初められた女である。

 そして稀有な資質に胡坐をかかず、絶え間なく武術の修練を積む彼女を、人々は挙って護国の女神だと褒め称えた。

 

 しかし兄であるロアは、妹がそんな重荷を到底背負える人物ではないことを、痛いほどに知っていた。

 戦場に立つには、オルヒデアはあまりにも臆病で、優しすぎる。

 

 虫も殺せず、花が散ることにさえ儚さを感じる彼女に、どうして人を討つことができようか。ロアはそんな妹を戦場に立たせぬため、血の滲む修練を重ねてきた。

 しかし、目の前の惨状はどうだ。一個人の戦力など、押し迫る軍勢には何の役にも立たない。結局、妹は街を灰塵に帰する引き金を引くしかないのだ。

 

 途上、戦列を離れたモールモッドがロアの前に立ちはだかった。

 両者がすれ違った後、コアを切り裂かれたモールモッドが音も無く崩れ落ちる。

 

 胸中はいかに複雑な感情が渦巻いていようとも、達人の域にまで達したロアの剣は、意識とは無関係に万象を切り裂く。

 それほどの技量が有りながらも、戦局は覆せない。戦略兵器たる(ブラック)トリガーが己の手にこそあれば、とロアは改めて歯噛みする。するとその時、

 

「――っ!」

 

 狂猛な殺気を感じ取り、ロアの足がピタリと止まった。

 トリオン兵の蹂躙で更地となった広場に、巨大な人影がある。

 真っ白な鎧を纏い、長剣と大盾で武装したその姿は、エクリシアの騎士だ。

 

「名のある戦士とお見受けする。俺はネロミロス・スコトノ。立ち合いが所望だ」

 

 そして騎士は堂々と名乗りを上げると、長剣を振りかざしてロアへと躍りかかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 そこは戦場でありながら、場違いに静かな一画であった。

 

 モールモッドは壁に張り付いたまま、バムスターは家屋に首を突っ込んだまま、身動き一つ取らない。街を破壊し市民を襲っていたトリオン兵たちは、今では巨大な置物として転がるばかりだ。

 まるで時が止まったかのような光景。しかし、多くの市民たちは恐れ慄きながら道路を走り、避難所へと逃げていく。

 

 高層建築の上に陣取り、それを眺める矮躯の老人がいる。

 彼の名はバラノス。(ブラック)トリガー「静謐の火(ヘオース)」の担い手にして範士の位を持つ、ポレミケスの伝説的な戦士だ。

 

 胴衣を着た老人の足元から、ガシャガシャと耳障りな音が聞こえる。

 音はどんどん近づき、ついには壁面をよじ登ったモールモッドがバラノスの前に現れる。

 しかし、老人は何の変化も無かったかのように虚空を見詰めつづけている。モールモッドはブレードを振りかざし、バラノスの首を刎ねんと突撃する。

 

 その瞬間、眩い光が空間を塗りつぶした。

 目も眩むような発光は僅か一瞬のこと。ホワイトアウトした世界は直ぐに元に戻る。

 すると、老人に襲い掛かろうとしていたモールモッドは、塑像のようにピクリとも動かなくなっていた。

 

 バラノスの背後に、人の頭ほどの大きさをした光球が浮かんでいる。

 これこそポレミケスが誇る「静謐の火(ヘオース)」の光。曝露した全てのトリオンを不活性化し、問答無用で機能停止に追い込む(ブラック)トリガーだ。

 

静謐の火(ヘオース)」の光に曝されれば、トリオン体やトリオン兵は言うに及ばず、飛翔中のトリオン弾まで推力を喪う。

 対象の大きさと距離で効果は減衰するが、モールモッドなら十メートル圏内であれば一秒も満たずに行動不能にすることができる。

 バラノスは置物と化したトリオン兵に歩み寄り、口中のコアに拳を添える。そして、

 

「――!」

 

 パンッ、と乾いた音が響き、コアが内側から破裂するように壊れた。

 零距離からの打撃。いわゆる寸勁を以て、行動不能のモールモッドを破壊したのだ。

静謐の火(ヘオース)」は直接的な攻撃力を持ち合わせていない。しかし、それを操るバラノスはポレミケスでも最高峰の武芸者だ。たとえ武器を携えていなくとも、彼の全身は余すところなく凶器である。

 

「ここいらの避難は済んだか……」

 

 広範囲を無差別に無力化する(ブラック)トリガーによって、北部地区のトリオン兵は粗方片付いていた。

 既にバラノスの立つ場所より城壁側に、逃げ遅れた市民はいない。

 

 老人は通信ログを辿り、各地の情報を纏める。西部地区は精鋭部隊の活躍でトリオン兵を駆逐しつつあるが、東部、南部は未だに敵勢が盛んだ。

 助成に行きたいが、「静謐の火(ヘオース)」から放たれる光は敵味方を問わず行動不能にする。防衛隊の退却とタイミングを合わせねば、味方側にも被害が出かねない。

 

 またその兼ね合いから、北部地区には最小限の人員しか配備されていない。敵の増援を抑えるには、もう少し兵力の補強が必要だろう。

 防衛作戦の指揮を執る王宮に意見を述べようと、バラノスは通信を開く。その時、

 

「――」

 

 突如バラノスは横っ飛びに跳躍すると、高層建築の屋上から飛び降りた。

 

 数瞬遅れて、建物の上層部が発破を掛けたかのように吹き飛ぶ。それを成したのは砲撃ではない。高速で飛来したモールモッドの残骸だ。

 百戦錬磨の老人は地上へと落下しながらも、冷徹に敵の存在を見定めた。

 

 目測三百メートル先の民家の屋上。

 白い鎧を纏ったエクリシアの騎士が、悠然と佇んでいる。

 

 彼の獲物は剣でも銃でもない。騎士の左右の空間に、長さ十メートル以上はあろうかという、人間の肘から先を模した漆黒の双腕が浮かんでいる。

 その奇怪な腕が掴んでいるのは、バラノスが始末したモールモッドの残骸だ。

 

「――っ!」

 

 先の展開を予見した老人は、追尾してきた「静謐の火(ヘオース)」の光球を足場にし、空中で軌道を変える。

 回避軌道をとったバラノスのすぐ側を、砲弾も同然の速度でトリオン兵が通り過ぎる。

 

「まったく、面倒な相手を寄越すの」

 

 見れば、漆黒の巨腕は瓦礫の山を両手に掴み、既に投擲体勢に入っている。

 バラノスは着地と同時に横道へと転がり込む。榴散弾が爆裂したかのように、辺り一帯が吹き飛んだ。

 この長距離でこの威力。騎士が有するのは(ブラック)トリガーに違いない。

 

 おまけに敵は「静謐の火(ヘオース)」の特性を知り尽くしている。「静謐の火(ヘオース)」はあくまでトリオンを不活性化するトリガーであり、固形化したトリオンやただの物質。あるいは物体に働く慣性などを消し去ることはできない。

 また、あれほど距離を取られては光も届かない。敵は安全圏からひたすらに瓦礫を投げつけ、バラノスを生き埋めにする腹積もりだ。

 

「どうやらエクリシアも本気らしい……」

 

 苦々しくそう呟くも、老人の口角は上がり、眼はギラギラと輝いている。

 敵は(ブラック)トリガー。しかもこちらの手の内を知り尽くしており、おそらくは相性も悪い。だが、

 

「相手にとって不足なし」

 

 武人としての魂が騒ぐのだろう。バラノスは気焔を上げて走り出した。

 

 

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