WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の十三 流血

 武都の各地で戦闘が佳境に差し掛かっている。

 両国の(ブラック)トリガーが激突する北部地区でも、戦局に変化が起きていた。

 

「惰弱なモノだなエクリシアの騎士よ!」

 

 バラノスが上空を飛翔するドクサに侮蔑の言葉を吐く。

 市街地でひたすら追いかけっこを続けていた二人の戦士だが、時間が経つにつれて徐々にドクサの旗色が悪くなってきた。

 

 バラノスは超常的なトリオン体操作で縦横無尽に市街を駆け抜け、騎士へと追い縋る。ドクサは瓦礫を投げてけん制するも、その分速度を鈍らせ、距離を詰められてしまう。

 いよいよ「静謐の火(ヘオース)」の影響範囲が近づいてくると、ドクサは双腕を地面に突き立て、座卓をひっくり返すかのように地盤を覆した。

 

 そうしてできた隙をついて、ドクサはスラスターを噴かして上空へと避難したのだ。

 まさかただのトリオン体、それも老境の男がこれほどの機動力を見せるとは。騎士は敵の技量を見誤っていた。

 卑怯と謗られようとも相性の差ではドクサの有利だ。敵のトリガーに遠距離戦の手段はない。だが、

 

「やはり来るかっ!」

 

 王宮の物見塔で、巨大な発火炎が光る。

 ドクサは咄嗟に「金剛の槌(スフィリ)」を操作し、掌で一分の隙も無く「誓願の鎧(パノプリア)」を覆い尽くす。

 

 極光と共に、膨大な熱量がドクサを中心に撒き散らされた。

 天に咲き誇る巨大な火球は、(ブラック)トリガー「灼熱の華(ゼストス)」が放った砲弾である。

 遮蔽の無い上空へと逃げた騎士へ、オルヒデアが砲撃を加えたのだ。

 

「ぐおっ!」

 

 凄まじい衝撃に制御を失い、ドクサの駆る「誓願の鎧(パノプリア)」は地表へと落下する。

 しかし歴戦の騎士は墜落までの僅か数秒で体勢を立て直し、着陸を成功させた。

 

 鎧に目立った損傷はない。イルガーを焼き溶かす砲撃といえども、ただの一射では近界(ネイバーフッド)でも最高峰の頑強さ誇る「金剛の槌(スフィリ)」を破壊することはできない。

 漆黒の巨腕は表面こそ幾らか焼け溶けたものの、動作に一切の支障はない。

 

 それでも、生き残れたのは奇跡といってもいい。少しでも隙間が有れば、あの熱波は鎧さえも溶かしてしまっただろう。

 やはり、上空へ逃げたのは迂闊であった。いや、そこまで追い込んだ敵の手腕が見事なのだ。

 

「ちぃ!」

 

 舌うちと共に、ドクサは再び「金剛の槌(スフィリ)」で「誓願の鎧(パノプリア)」を覆い隠す。

 次の瞬間、眩い光が世界を白く塗りつぶした。

 光を浴びた瞬間、巨腕との接続がブツリと途絶え、全く操作を受け付けなくなる。

 いつの間にか接近していたバラノスが、「静謐の火(ヘオース)」の光を放ったのだ。

 

「おおおっ!」

 

 ドクサは雄叫びを上げて、置物となった巨腕を鎧の腕で殴りつける。

金剛の槌(スフィリ)」の巨腕が前方へ跳ね転がると同時に、スラスターを全開にして後方へと飛び下がる。発光は一瞬だったが、完全に遮ることはできなかった。曝露した鎧は明らかに動作が鈍くなっている。

 

 ドクサは恥も外聞も無く逃げの一手を打った。

 (ブラック)トリガーに挟撃されては強がりを言う暇もない。スラスターを噴かしてとにかくバラノスから距離を取り、砲撃を浴びないよう家屋の影へと入る。

 

 通常ならば撤退もやむなしの状況。しかし、ドクサの戦意はまだ萎えてはいない。

 操作不能になった「金剛の槌(スフィリ)」を放棄し、新たに双腕を造りだす。

 トリオンの消費が大きく長期戦は不可能となるが、得物が無ければ敵を打ち破れない。

 

 ドクサは街路を疾走し、それなりの大きさの広場まで移動する。

 そして掌を上に向け、漆黒の巨腕で誘うように手招きをした。

 

「おや……もう逃げ回るのは止めたのかね」

 

 そう揶揄しながら、矮躯の老人が街路の彼方から現れる。

 

「柄でもないことをするもんじゃないと反省したのさ」

 

 ドクサは巨腕で小石を拾うかのように瓦礫を掴む。

 

「何にせよやる気になってくれたのはありがたい。そろそろ時間も惜しいでな」

 

 光球を背後に引き連れ、バラノスは飄々とした様子で歩を進める。

 

 各地で戦況が大きく動いている。

 凄絶な市街戦の結果、エクリシアはトリオン兵の大半を失い、ポレミケスも戦線を維持できないほど疲弊した。

 現在ポレミケスの将兵には砦まで撤退するよう命令が出ている。当初の予定通り砲撃を行い、市街地に巣食う残敵を追い散らす予定だ。

 

 バラノスは騎士の一挙一動を注意深く観察する。敵の(ブラック)トリガーは「灼熱の華(ゼストス)」の砲撃にも耐えた。あれを生かしておけば作戦に支障をきたす。

 そしてドクサにとっても、今後の展開を優位に進める為にも「静謐の火(ヘオース)」は必ず除いておかねばならない難敵である。

 総身に殺意を滾らせて、二人の(ブラック)トリガー使いが静かに対峙する。そして、

 

「しっ――」

 

 迅雷の如き速度でバラノスが駆ける。「静謐の火(ヘオース)」は既に発光状態であり、距離を詰めるだけで勝敗は決する。

 ドクサは片腕で瓦礫を投げつけ、もう片方の瓦礫は山なりに放り上げる。

 

「っ……」

 

 時間差の投擲で進路を防がれ、さしものバラノスも回避の為に速度が鈍った。その瞬間、

 

「押し潰せッ!」

 

 ドクサはバラノスを握り潰さんと、「金剛の槌(スフィリ)」の片腕を飛びかからせる。「静謐の火(ヘオース))」の光を浴びて見る間に制御が効かなくなるが、慣性そのものを消し去ることはできない。だが、

 

「それしきかっ!」

 

 砲弾の如く迫る漆黒の掌を、バラノスは体術の極みを以て軽やかに避ける。

 もはや騎士は目と鼻の先。あと数メートル「静謐の火(ヘオース)」を近づければ完全な置物と化すだろう。しかし、

 

「とことん厄介な爺さんだ」

 

 あろうことか、騎士はスラスターを猛然と噴かし、残った巨腕を振りかざしてバラノスへと突進してきた。

 

「何っ!」

 

 老雄は危なげなくその一撃を避けるが、困惑は隠せない。もはや敵は「静謐の火(ヘオース)」の射程内だ。あれほど俊敏に動けるはずがない。

 瞬時に状況を悟ったバラノスは、肩越しに後方を見る。すると避けたはずの「金剛の槌(スフィリ)」の掌が、まるで虫を捕まえるかのように「静謐の火(ヘオース)」の光球を握りしめている。

 

「さぁて、あとは殴り合いといこうか!」

「なるほど……思ったよりは小知恵が回るようだの」

 

 ドクサが「金剛の槌(スフィリ)」を繰り出したのは、最初から「静謐の火(ヘオース)」を封じるためだ。

 作戦は図に当たり、光を遮断することに成功した。あとはバラノスを叩き潰すだけだ。

 矮躯の老人を亡き者にせんと、漆黒の巨腕が暴風のように荒れ狂う。

 その速度、威力は尋常ではなく、トリオン体など掠めただけでも原型を残さず破壊されるだろう。

 しかしバラノスはその猛攻を風にそよぐ柳のように受け流し、一撃たりともクリーンヒットを許さない。それどころか、

 

「墳っ!」

 

 老雄は掌打をもって鎧を滅多打ちにする。頑強な鎧を破壊することはできないが、浸透した衝撃は内部のドクサまで届く。

 無論、鎧越しの衝撃でトリオン体が破壊されることはないものの、トリオン体は人体の機能を忠実に再現するが故に、振動によってある種の酔いが引き起こされる。

 

「ぬぅ……」

 

 衝撃と震動で鎧がぐらりと揺れる。トリオン兵をも破壊する豪打の嵐に、内部のドクサは酩酊にも似た状態に襲われる。

 徒手での戦闘は比べるまでも無くバラノスが上手だ。流石は他国にまで名を轟かせる達人である。ドクサは鎧を纏っていながら防戦に追い込まれている。

 しかも密着されてしまっては「金剛の槌(スフィリ)」で薙ぎ払う事も難しい。

 

「これしきでは倒れんぞ!」

 

 ドクサは 「誓願の鎧(パノプリア)」の重量と速度を生かし、強烈な拳打をバラノスに見舞う。

 エクリシアの騎士は剣や銃を専門とするが、戦場で起こる万が一の事態に備えて、徒手格闘の訓練も積んでいる。しかし、

 

「ぬおっ!?」

 

 バラノスはドクサの豪拳を紙一重で避けると、踏み込んだ騎士の膝を斜めから踏みつけた。

 鎧の硬度のおかげでへし折れはしなかったものの、ドクサが大きく体勢を崩す。

 同時に老人は甲冑の内懐に潜りこみ、渾身の掌打を胸へと打ち込む。

 

「がっ――」

 

 重量級の「誓願の鎧(パノプリア)」が、ボールのように跳ね飛ばされて家屋へと激突する。

 猛烈な一撃だが、幸いにも内部のドクサのトリオン体には、そこまでのダメージは通っていない。右ひざの関節を破壊されたことを除けば、ほぼ無傷といっていいだろう。

 とはいえ、徒手空拳での戦いでは明らかにバラノスの方が上手だ。鎧を着込んでいたとしても到底勝ち目はないだろう。

 

「薙ぎ払えっ!」

 

 瓦礫の山に埋もれながら、ドクサは巨腕を操作してバラノスを攻撃する。

 ここで不味いのは、老人に再び「静謐の火(ヘオース)」の展開を許すことだ。

 光球を捕らえただけでは敵のトリガーを完全に無力化した訳ではない。先ほどドクサが新たに巨腕を造りだしたように、光球を消して造りなおせば済む話だからだ。

 故に、ドクサはひと時もバラノスを休ませる訳にはいかない。

 

「まだまだこれからよっ!」

 

 スラスターを噴かして、騎士は半壊した家屋から勢いよく飛び出す。

 だがそれを待ち構えていたかのようにバラノスが動いた。

 老人は音も無く踏み込みつつ、体を地面すれすれまで下げる。そしてあろうことか突進する騎士の股を抜けて、背後へと回り込んだ。

 

「な――」

 

 瞬く間に視界から消えた老人。騎士が次に感じたのは、己の首と頭部に絡み付いた手足の感触だ。

 エクリシアの誇る鎧を素手で攻略するには、関節を攻めるよりほかない。

 バラノスは強烈な打撃を囮にして、組みつく好機を窺っていたのだ。

 老雄が騎士の首を捻り挫くまでほんの数瞬。だが、ドクサは鎧の内部で獰猛な笑みを浮かべると、

 

「ありがとよ」

 

 と、そう呟く。

 同時に、異様な音と共に鎧の首があらぬ方向へと捩じれ曲がる。

 バラノスが見事に騎士の首を折ったのだ。

 エクリシアの騎士にして(ブラック)トリガーの担い手。おそらくは今回の敵でも最強の敵を、ポレミケスの老雄は見事に退けた。しかし、

 

「ぬ――」

 

 バラノスが苦悶に満ちた表情を浮かべる。

 鎧の腕が、彼の足を力強く押さえつけているのだ。

 トリオン体は致命的なダメージを受けても、すぐさま崩壊するわけではない。その僅かな時間さえあれば、

 

「っ――」

 

 騎士へと目がけ、「金剛の槌(スフィリ)」の巨腕が真っ向から迫る。おそらくはバラノスが組みつきを狙った時には既に軌道を設定していたのだろう。

 

 岩盤をも砕く鉄槌が、ドクサごとバラノスを殴り潰した。

 巨大な爆発が起こり、辺り一帯が土煙とトリオンで覆い隠される。

 そうして視界が晴れると、そこには生身となった二人の戦士が立っている。

 バラノスは土煙に塗れ、ドクサは粉々になった鎧の残骸を払う。

 

「……」

 

 対峙する両名は互いに無言。

 戦場においてトリオン体を失うことは死に直結しかねない危機だ。しかもお互いに戦略兵器たる(ブラック)トリガーを所持している。

 (ブラック)トリガーを鹵獲できれば、まず第一級の戦果となる。このまま生身で殺し合いが始まったとしても、何も不思議ではない。

 次の行動を慎重に探る二人。すると、バラノスが徐に片足を上げた。そして、

 

「墳っ!」

 

 パンっ、と巨大な破裂音が響く。震脚で地面を打ち鳴らした老人に、ドクサは思わず身構えた。だが、

 

「な――」

 

 騎士が身体を強張らせたと見るや、老人は踵を返して雲を霞と逃げ去ってしまった。

 

「……なるほど、最後まで喰えない爺さんだ」

 

 ドクサが呆気にとられていると、廃墟と化した街の向こうから馬蹄が聞こえる。

 ヌースの操るトリオン兵ボースが、ドクサの救援に来たのだ。

 

「おおご苦労。やはりお主がいると何かと助かるな」

「恐縮です。北方方面に敵の姿はありません。脱出地点までお運びいたします」

 

 耳に納めた通信機で、ヌースと連絡を取る。

 トリオン兵を操縦して騎士を援護する任務を与えられていた彼女だが、「静謐の火(ヘオース)」の特性上戦場に近づくことができなかった。幸い付近に待機させていたトリオン兵はいくらか残っているので、ドクサを安全に撤退させることができるだろう。

 

「状況はどうなっておる」

「間もなく騎士グライペインと強襲部隊が配置に着きます」

「正念場で引き下がるのは無念だが……」

「御身は代替なき騎士団の要。ここは御自重をお願いいたします」

「分かっとる。ただ、嬢ちゃんに任せるのが心苦しくてな……」

 

 ドクサは渋面を浮かべながらボースに跨った。

 (ブラック)トリガーを堕とした以上、彼の仕事は完遂している。これ以上戦場に居ては味方の邪魔にしかならない。

 廃墟と化した街並みを駆け抜け、ドクサは一路城壁の外へと向かった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 武都の南方で防衛部隊を撫で切りにしていたフィリアは、ヌースからネロミロス敗北の報を受けるやいなや、戦闘を中断して同僚の元へと向かった。

 

「ヌース。敵の情報を頂戴」

「解析の済んだ情報から逐次送信しています」

 

 管制担当のヌースは、ネロミロスの戦闘映像から敵の装備と能力を解析し、疾走するフィリアへと送る。

 エクリシアの誇る「誓願の鎧(パノプリア)」が撃破されたとの知らせは、俄かには信じがたいほどの衝撃をもたらした。しかし、映像を見れば納得せざるを得ない。

 

 敵の技量は明らかに達人の域に達している。

 黒髪の青年は、ポレミケスのエースと考えてまず間違いあるまい。

 ネロミロスもイリニ騎士団では十指に入る腕前を持ち、また「誓願の鎧(パノプリア)」を纏ってはいたが、それでもアレを相手にしては、不覚を取ったことを責められはしないだろう。

 

「鎧はまだ、敵の手には渡っていない?」

「付近のトリオン兵に時間を稼がせています。騎士スコトノはまだ離脱していない模様」

 

 敵地にて味方が敗北した場合、何よりも優先されるのがトリガーの回収である。戦略兵器である(ブラック)トリガーはもちろん、エクリシアの軍事的優位を確固たるモノにした「誓願の鎧(パノプリア)」は、絶対に他国へ渡す訳にはいかない。

 

 トリガーの確保、隠滅は最優先事項であり、団員の生命よりも優先される。

 その為「誓願の鎧(パノプリア)」には自爆装置がついているのだが、ネロミロスは未だに鎧を破棄していない。敵が付近にいる為、鎧を脱ぐことができないのだろう。

 現在はヌースがトリオン兵を操り、ネロミロスを撃破した戦士と交戦している。しかし、敵の技量は相当なモノで、ヌースの操るトリオン兵でも時間稼ぎが精一杯といった様子だ。

 

「もうすぐ接敵します。ヌースも援護をお願い」

「承知しました。フィリア。どうか気を付けて」

「……うん。分かってる。でも後少しで準備が整うの。此処が正念場だから」

 

 荒れ果てた街路を疾駆しながら、少女は長剣の重みを今一度確かめる。

 戦闘音が徐々に大きくなる。

 ヌースからの情報により、戦闘地点付近の地形は全て把握済みだ。鎧を纏った少女はスラスターを噴射し、倒壊しかかった家屋へと飛び込む。

 そうして体当たりで壁を突き破ると、今まさにトリオン兵と戦闘中のロアに、背後から斬りかかった。

 

「――っ!」

 

 ヌースが操るモールモッドと連携した、完全なる不意打ち。しかし、

 

(浅いっ……)

 

 必殺のタイミングであったにも関わらず、フィリアの剣はロアの左腕を掠めたのみ。切断できたが、致命傷には程遠い。

 

「はっ!」

 

 鋭い呼気と共に、ロアは残った右手でモールモッドの顔面を鮮やかに切り捨てる。

 敵の増援に不意打ちされたというのに、動揺した様子は一切ない。技術のみならず、精神面でも入神の域にある。

 フィリアは初撃を凌がれたとみるや、トリオン兵の頭上を飛び越え戦線を離脱する。

 

「ヌース。もう少し時間を稼いで」

 

 戦闘をトリオン兵に任せ、フィリアは擱座した「誓願の鎧(パノプリア)」へと向かう。

 彫像のように立ち尽くす鎧に近づくと、フィリアはその肩に手を添えた。

 

「トリガー臨時接続」

 

 フィリアの「誓願の鎧(パノプリア)」とネロミロスの鎧を接続し、機能を回復する。

 即座に外殻解除コマンドを入力すると、鎧の背面が速やかに開いた。

 

「騎士スコトノ。動けますね」

「あ、ああ。騎士フィリアか……」

 

 消沈した様子のネロミロスを鎧から引きはがし、ヌースに指示してトリオン兵ボースを呼び寄せる。

 

「南から離脱してください。敵は部隊を再編中のはずです」

「分かった。だが……」

「私はアレの相手をします」

 

 馬型トリオン兵にネロミロスを跨らせ、有無を言わさず尻を叩いて走らせる。

 武都の南部地区はフィリアが荒らしまわったため、防衛隊の数は少ない。またトリオン兵も十分残っているため、比較的安全に城壁の外まで出られるだろう。

 

「後は……」

 

 抜け殻となった鎧に、自爆コマンドを入力する。「誓願の鎧(パノプリア)」の製造には莫大なコストがかかるが、技術の漏えいに比べれば微々たる損失だ。最後の指令を打ち込まれた鎧は、緑の輝線を体に奔らせて指示に応える。

 一先ず最大の懸念事項であった鎧の始末を完了し、安堵の息をつくフィリア。だが、

 

「フィリア。注意してください」

 

 そんな彼女に、ヌースが警鐘を鳴らす。

 見れば、黒髪の美剣士がトリオン兵の包囲を破り、疾風のように少女へと迫っていた。

 

「――っ!」

 

 繰り出された鋭い斬撃を、フィリアは長剣を翻して寸でのところで受け止める。

 首を刎ねんとする殺意に満ちた一撃だ。報告によれば、この男は鎧さえも切り裂く技量を持っている。首や胸など、致命傷に至る部位への攻撃は無視できない。

 ロアは素早い身のこなしでフィリアの内懐に入り込むと、変幻自在の剣舞を一時も休むことなく繰り出す。

 

(厄介な……)

 

 フィリアは猛攻を凌ぎながら内心で毒づく。

 少女と密着しているロアに、ヌースの操るトリオン兵は手が出せない。

 ヌースと連携し、物量で押しつぶすつもりだったが、まんまと一対一の状況へと追い込まれてしまった。

 だが、それしきの事で怯む少女ではない。

 

「はっ!」

 

 裂帛の気合と共に、フィリアが「鉄の鷲(グリパス)」を振るう。

 幼い少女とはいえ、彼女もエクリシアでは名の知れた剣士だ。手負い相手に尻尾を撒いて逃げ出すような鍛え方はしていない。

 それに何より、彼女は「剣聖」アルモニアの愛弟子である。

 彼に比べれば、如何なる達人といえども決して太刀打ちできぬ相手ではない。

 

「っ……」

 

 フィリアが反撃に移ると、天秤は見る間に少女へと傾いていった。

 技量に関してはロアの方がやや上回っているが、彼は隻腕であり、何よりフィリアには「誓願の鎧(パノプリア)」がある。鎧の強度に訴えて、決め技以外は無視することができる。

 真正面から打ち合っては、流石の範士といえども勝ち目はない。にもかかわらず、

 

「シっ!」

 

 ロアの瞳には闘志が漲っており、勝負を諦めた様子はまったく見受けられない。

 

(…………)

 

 やはり、一方ならぬ相手である。フィリアは「直観智」のサイドエフェクトを用いて、勝利への道筋を探る。

 剣戟の嵐の中、ついにその時は訪れた。

 激戦に耐え兼ね、ロアの操る孤剣が鍔元から折れたのだ。だが、

 

「おおおっ!」

 

 柄だけになったトリガーを握りしめ、美剣士は雄叫びを上げてフィリアへと突撃する。

 

(それはもう見た)

 

 一見無防備に見えるロアだが、彼の奥の手が「誓願の鎧(パノプリア)」に届くことは判明している。

 フィリアは迫りくるロアの拳を、神速の手刀で迎撃する。その時、

 

「シィッ!」

 

 ロアは「刑吏の杭(ラピス))」の柄を手から落とし、地を蹴って跳躍する。

 そしてフィリアの手刀を掻い潜り、肩車をされるかのように鎧の頭部へと取りついた。

 

(なるほど…)

 

 鎧を攻略する手段は、何も正面からの力押しだけとは限らない。いかに全身を強固に固めていても、関節部は柔軟性を確保しなければならない。

 ロアは見事にその弱点を突いた。

 青年は残った右腕をフィリアの顔面に巻きつけ、首を捻じり折ろうとする。しかし、

 

(それでも、一手遅い)

 

 突如として沸き起こった閃光と爆風が、ロアとフィリアを飲み込んだ。

 

「何だと……」

 

 トリオン体を破壊され、地面に投げ出された範士ロア。

 千載一遇の好機を遮ったのは、彼が破壊した鎧の残骸だ。

 フィリアによって自爆モードに移行していたネロミロスの「誓願の鎧(パノプリア)」が、まさに絶妙のタイミングで爆発したのだ。

 

 ロアのトリオン体は爆風に巻き込まれてひとたまりも無く四散した。一方、フィリアの纏う「誓願の鎧(パノプリア)」には傷一つない。

 全ては少女の掌の上。「直観智」が示した事象に則り、もっとも確実な方法で勝利を掴んだに過ぎない。

 

「捕縛します。無意味な抵抗はしないように」

「……」

 

 敗者を睥睨し、無慈悲な声を掛けるフィリア。ロアを捕らえるべくバムスターが地響きを立てて近づいてくる。

 ここでロアを捕らえることができたのは大きな戦果だ。

 

 トリオン能力に関して言えば並より上といったところで、残念ながら遠征の目的である「神」の候補にすることはできないが、彼がポレミケスでも最上位の使い手であることに疑いはない。

 懐柔しエクリシアに仕えさせることができればよし。

 

 それが叶わずとも、人質としての価値は素晴らしく高い。

 彼をエサにすれば、ポレミケスには大幅な譲歩を迫れるだろう。上手くいけば、彼の身代りに「神」の候補を得ることも可能かもしれない。

 しかし、フィリアのその構想を、思いもがけぬ出来事が打ち砕いた。

 

 ――乾いた発砲音が響く。同時に、目の前の青年が鮮血を撒き散らしながら崩れ落ちた。

 

「な――」

 

 少女は驚愕に言葉を失うが、身体は染み付いた訓練通りに「玻璃の精(ネライダ)」を張り、射撃先へと警戒姿勢を取る。

 果たしてそこ居たのは、離脱したはずのネロミロスであった。

 

「何をなさるのですか騎士スコトノ!」

 

 ボースに跨り、簡易トリオン銃を構えた大男は激情に顔を歪ませてフィリアを睨む。

 

「何をするだと? それはこちらの台詞だ騎士フィリア! その男を生かしておいてはならん! まして祖国に連れ帰るなど以ての外だ!」

 

 ネロミロスは狂気じみたヒステリックな声で、忌々しげにそう叫んだ。

 この男狂ったか。とフィリアは疑うものの、「直観智」のサイドエフェクトは同輩が凶行に走った理由を明らかにしていた。

 彼が捕虜に銃を向けた理由。それは常日頃から抱いている他国民への嫌悪感と、自らが敗北したというやり場のない怒りによるものだ。

 

「あなたは……」

 

 あまりにも幼稚で短絡的な行動に、フィリアの胸に怒りが込み上げる。

 だが、今は作戦行動中である。曲がりなりにも同輩相手に争う愚は避けねばならない。

 

「~~っ!」

 

 フィリアは無理矢理ネロミロスから視線を背けると、膝を付いて倒れ伏すロアを見る。

 弾丸は全身のいたる所を貫通しており、夥しい量の血液が流れだしている。即死していないのが不思議な傷だ。

 最早手の施しようがない。辛うじて意識はあるようだが、長くは持たないだろう。

 

「……何か、言い残すことはありませんか」

 

 フィリアはロアを抱き起し、優しい声で語りかける。

 戦場には無用の感情だが、少女は情動に突き動かされるままに青年を介抱する。

 

「おる……ひであ? どうした、こんなところで……」

 

 もはや出血で視力も失い、事の前後も混濁しているのだろう。ロアはフィリアを何者かと間違え、場違いに優しげな声を掛ける。

 

「くらい……さむい。ちゃんと、ふくをきこんでいるか? かぜを……ひいてしまう。おまえは、からだが……よわいん、だから……」

 

 ごぼりと血を吐きだし、ロアは弱々しく手を伸ばす。

 咄嗟にフィリアは「誓願の鎧(パノプリア)」の兜を解除した。

 血にまみれたロアの指先が、フィリアの頬を撫でる。

 

「さあ……かえろうか。とうさまも、かあさまも、きっとしんぱいなさって……」

 

 不意に言葉が途切れ、腕が力なく地面へと落ちる。

 

「……」

 

 フィリアは青年の息が止まる瞬間を、瞳から光が失われていく様を、ただひたすらに見つめ続ける。

 そうして少女は無骨な鎧の指先で青年の瞼を閉じてやると、亡骸を大地に横たえさせる。

 少女は再び兜を被り直し、その表情は窺えない。

 ただ、未だに怒気を滾らせるネロミロスへと向き直り、

 

「騎士スコトノ。もはや敗残兵の貴方に、この場所に立つ資格はありません。命が有るうちに疾くと失せなさい」

 

 一切の感情を排した底響きする声で、冷厳にそう告げる。

 

「な、何をぬかすか新参者が……」

 

 少女の気迫に呑まれ、ネロミロスも語勢を弱める。

 フィリアはそれ以上言い合うつもりも無く、次なる戦場へと歩を進める。

 

「ヌース。状況はどうなってるの?」

「……襲撃部隊、騎士グライペイン共に配置に着きました」

 

 母船へと通信を繋ぐ。応じるヌースの声はいつも通り冷静だが、付き合いの長い少女は、その声に微かな沈鬱さを感じ取った。

 ヌースは各々の騎士の行動を全て把握している。

 当然、先ほどのフィリアが直面した出来事も見ていたはずだ。

 

「わかった。すぐに作戦を始めて」

「了解しました。……フィリア、大丈夫ですか?」

「……平気だよ。損傷も全然ない」

 

 少女は務めて無感情に応えた。今は感傷に浸っている暇はない。

 別働隊の準備が整った。作戦は次の段階へと移る。

 

 これからさらに多くの人が死ぬ。いや、フィリアたちが殺すのだ。

 いまさら躊躇うことなど、許されはしない。

 

 

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