WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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第三章 ボタンの掛け違い
其の一 凱旋


 流れる水の音と、苦しげな息遣いが聞こえる。

 間接照明の仄明かりに照らされた洗面化粧室。華やかな細工が施された大理石調の洗面台に、小柄な人影が縋りついている。

 

「――っはぁはぁ……う、ぷっ」

 

 エクリシアが誇る若き英雄フィリア・イリニは、蒼白な顔で嘔吐くと、胃液を流し台へとぶちまけた。

 胃の中の物をそっくり吐くと、少女は荒い息遣いを整え、小さな手で身体を支えてどうにか顔を上げた。

 

 曇り一つない鏡に映っているのは、憔悴しきった己の姿。

 頬は痩せこけ髪は乱れ、落ち窪んだ金色の瞳だけが怪しく輝いている。

 鏡に映る見慣れた顔が、まるで別人のように感じる。少女は居た堪れなさを覚え、視線を手元へと落とす。

 褐色の肌に、未だうっすらと残る傷跡。体に残る、確かな繋がり。

 

「――っ!」

 

 沸き起こった吐き気に耐え兼ね、少女は再び洗面台へと突っ伏す。

 

「そう仰ってくださるのは、きっとフィリア様が誰よりもお優しい人だからですよ」

 

 鈴を転がしたかのような典雅な声が、脳裏に蘇る。

 止むことのない吐き気に、体中から嫌な汗が噴き出す。

 

 張り裂けそうな心臓の鼓動を止めようと、フィリアは咄嗟に寝巻の胸元へと手を伸ばす。

 煌めく銀色の鍵は少女の心の拠り所である。どんなに辛い時も、これに指を添えて家族との思い出に浸れば、彼女はすぐさま心の平穏取り戻すことができた。

 しかし、細い指先は針にでも触れたかのように引っ込められる。

 

 己の手から、鉄の匂いがする。

 

「う……う……」

 

 血に染まった両手を幻視すると、少女は喉の奥から呻き声を漏らす。

 もはや自分には、暖かな家族との絆に縋る資格はない。

 床が抜け落ちるような喪失感に、少女は力なく洗面台の床にへたり込む。

 懊悩は繊細な心を蝕み、絶望の色に染め上げていく。

 

「……我らが誓い、我らが祈り、我らが喜び」

 

 寄る辺の無くなった少女は、半ば無意識で祈るように手を組み合わせると、虚ろな声で聖句を唱え始めた。

 

「我らは恩寵の玉座に侍る者、峻厳たる館を護る者

 我らは苦難の道を歩む同朋の為、剣を取り血河を拓く

 我らは死も滅びをも恐れず、ただ神を畏れ、汝に祈りの歌を捧ぐ

 我らの慰めは汝の恵みの翼、憩いの日は要らず、終わりなき彷徨に身を捧ぐ

 光栄の衣が、汝とその愛し子に掛かるその日まで……」

 

 エクリシアに使える騎士。その心構えを示す聖句を唱え続けるも、フィリアの心には一欠けらの安らぎも訪れない。

 思考の焦点は一向に定まらず、無意味で無価値で、ただ己を責め苛む思考だけが頭蓋を満たす。

 少女の心をここまで追い詰めた一連の出来事。それは彼女がポレミケスから帰国を果たした日から始まった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 雲一つない快晴に恵まれた聖都では、陽光に照らされ赤瓦の屋根が煌めいている。

 目抜き通りのアトレテス通りは多くの人でごった返している。けれど、聖都一の繁華街を訪れている市民たちの目的は、買い物に興じる為ではない。

 見れば、市民たちは大通りの両端に集まり、道の中央を大きく開けている。

 ポレミケスにて国史にも稀な大戦果を挙げたイリニ騎士団が、今日凱旋を果たしたのだ。

 エクリシアの守り神たる騎士を一目見ようと国中から人が集まっており、中には屋根の上にまで登っている者もいる。

 

 そしてどれほど時間が経ったか。

 城門にほど近い沿道から、割れるような拍手と歓声が上がる。

 トリオン兵ボースに騎乗する騎士の姿は、僅か五人。その誰もが鎧を纏わず、簡素な軍服を纏っただけのトリオン体である。

 しかし、騎士たちは堂々たる威風を纏い、民衆の熱気を受け止めながら、颯爽と騎馬を進めている。

 

 先頭を行くは、百戦錬磨を誇る古豪、イリニ騎士団の重鎮ドクサ・ディミオス。

 その後ろには、知勇兼備の美丈夫、騎士の鑑と誉れ高いテロス・グライペインが続く。

 嫋やかな美貌で苛烈な武技を振るう女傑、メリジャーナ・ディミオス。

 勇猛さではエクリシア随一とも謳われる豪傑、ネロミロス・スコトノ。

 いずれも綺羅星の如き騎士たちが粛々と都の大路を行進している。

 わけても耳目を集めるのは、最後尾を行く褐色白髪の少女の姿だ。

 忌むべき生まれでありながら、類まれな克己心と愛国心で最年少の騎士となった、イリニ騎士団が誇る若き英雄。

 ポレミケスとの会戦では鎧が砕けても奮戦し、(ブラック)トリガーをエクリシアへともたらした彼女こそ――

 

「フィリア様~! こっち向いてくださ~い!」

「騎士様ぁ! これからも俺たちをお守りください!」

 

 フィリア・イリニは民衆の熱気に当てられ、鞍上でコチコチに固まっていた。

 ポレミケスから帰国を果たした彼女たちは、その報告のために教会へ向かっている次第であり、別段凱旋パレードなどを企てた訳ではない。

 多少は市民の出迎えもあるだろうとは思っていたが、この街路を埋め尽くさんばかりの人だかりはどうだろう。少女の想像を遥かに超えている。

 延々と続く人の群れは、まるで聖都中の人間が集まったのではないだろうかと錯覚するほどだ。その市民たちが口々に、騎士に向けて賞賛の言葉を投げかける。

 

 視覚と聴覚に押し寄せる膨大な情報量に、フィリアは平静を保つので精一杯だ。

 しかし、歴戦の騎士たちは慣れたモノで、群衆に笑顔で答え、時折軽く手を振っている。

 ドクサやネロミロスといった武人肌の男は、老若男女問わず人気がある。戦乱極まる近界(ネイバーフッド)では、強い男というのはそれだけで尊敬を受ける。

 メリジャーナは特に男性の視線を集めているようだ。紫水晶を思わせる美貌の彼女なら、それも当然と言える。それだけでなく、年若い女性からも熱い声援が飛んでいる。女性の身でありながら国防の要職に就く彼女は、淑女たちの憧れの的だ。

 そして女性からの支持といえば、やはりテロスが群を抜いている。

 実も花もあるエクリシア一の美男子が甘く微笑むと、若い女性たちの中には失神する者まで現れる始末だ。

 威風を崩さず市民と交流する騎士たち。ただ一人、フィリアだけが仏頂面を提げて馬を進めている。

 

『ねえフィリアさん。ひょっとして緊張してる?』

 

 そんな彼女に、メリジャーナから無声通信が入った。

 

『え、あ、分かりますか!』

 

 少女はビクリと身体を震わせる。動揺が顔に出なかったのは幸いだが、前方を行くメリジャーナが何故フィリアの状況に気が付いたのだろうか。

 

『私も最初はそうだったもの。これだけの人に囲まれちゃうと、どうしえても委縮しちゃうわよね』

 

 苦笑いを声に滲ませて、メリジャーナがそう言う。

 

『でもね。もしよかったら、みんなの歓声に少しでも答えてあげて。こういうのは参加しちゃえば、案外気にならなくなるのよ』

 

 朗らかな先輩の声に押されて、フィリアはおずおずと首を沿道へと向ける。

 市民の熱気はいや増して、騎士たちに飛びかからんばかりだ。

 そんな群衆に向かって、フィリアはぎこちなく微笑み、控え目に手を振ってみる。

 すると帰ってきたのは爆竹を鳴らしたかのような凄まじい歓声。

 余りの反応に少女は肝を潰しかけるが、行進を続けるうちに市民たちの歓声にも次第に慣れていく。

 

 そして余裕が生まれると、群衆の中でもとりわけ少女に熱い声援を送る者たちの姿が目に付くようになる。

 彼らの多くは、容貌が一般的なエクリシアの民とは少し異なっている。

 フィリアを挙って褒め称える彼らこそ、聖都に住む他国人の血を引く者たちだ。

 彼らはエクリシアによって連れ去られた捕虜をルーツに持つ。世代が変わり、エクリシアの市民となった今でも、彼らは真の意味で国に受け入れられているとは言い難い。

 仇敵ノマスの血を引き、しかし護国の英雄となったフィリアは、彼らにとっての希望の星なのだ。

 

「…………」

 

 少女は顎を引いて背筋を伸ばし、さらに凛々しい面持ちで群衆に臨む。

 

『どう? こそばゆいけれど、慣れてくると嬉しいものでしょう?』

 

 そんなフィリアの気配が伝わったのか、メリジャーナは自分の事のように弾んだ声で少女に語りかける。

 

『……嬉しいかどうかは、よくわかりません。……いえ、やっぱりちょっとは嬉しいです。……でも、なんていうか、身が引き締まるというか、晴れがましいというか、もっと頑張ろうという気になります』

 

 群衆の声援を受けて、フィリアの胸に今まで感じたことのない感情が湧き起こる。

 体がふわふわと浮き上がりそうな、それでいて心の芯に重みが増したような、まったくもって不思議な感情。正体の掴めない情動に戸惑う少女に、

 

『それはきっと、誇らしい。っていうのよ』

 

 と、メリジャーナは優しく語りかけた。

 忌まわしきノマスの子として、また貧民として蔑まれ続けてきた少女にとって、誇りという感情は全く未知のものであった。だが、

 

『……はい。この気持ちは、大事にしようと思います』

 

 少女は静かに頷き、胸に芽生えた崇高な思いを愛おしむ。

 抜けるような空の下、沿道に集まった人々に縁どられ、道は何処までも続いている。

 その終着点。丘の上に聳え立つ教会は、フィリアたちを歓迎するかのように、変わらぬ威容を見せていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「よくぞ無事に帰還を果たした。貴公らのもたらしたトリガーによって、我が国の技術は更なる躍進を遂げることだろう」

 

 ステンドグラスを透して七色の光が差し込む広壮な大聖堂。

 豪奢な僧衣を纏った老人、枢機卿ステマ・プロゴロスは拝跪する騎士たちに向かって、穏やかな声で語りかけた。

 フィリアたち騎士団の面々は、遠征から帰還した旨を報告するため謁見を行っていた。

 教会へと赴いた理由は他にもあり、ポレミケスにて入手したトリガーを教会の地下にある研究所へと引き渡さねばならない。

 鹵獲したトリガーは他国の技術の塊であり、研究所で入念に解析が行われる。

 解析が済んだあとは所有者である騎士団へと返されるのだが、今回イリニ騎士団が入手した(ブラック)トリガーは、しばらくは教会預かりとなる。

 

 これは適合者を探すための処置だ。

 (ブラック)トリガーは通常のトリガーとはことなり、人間がその命を賭して造るトリガーである。その為、(ブラック)トリガーは製造者の人格や歓声が色濃く反映され、相性のいい人間でなければ起動することさえできない。

 なるべく多くの起動者を確保するため、エクリシアの騎士・従士すべてが適合検査を受けることになる。

 (ブラック)トリガーは国家の命運を左右する兵器であるため、遊ばせておくわけにはいかない。こればかりは騎士団の所有権も関係なく、教会によって規則が定められている。

 

 幸い、所有権のある騎士団から適合者が出た場合には、優先的にそちらに配備されることになっている。従士まで含めれば、一人二人は起動できる者もいるだろう。

 また、騎士団が獲得した捕虜についてだが、これは基本的に所有権が騎士団から離れることはない。取扱いについての法は定められているが、各々の領地で管理運営して構わないことになっている。

 

「貴公らの活躍は国民にも知れ渡っておる。これからも我が国の為、忠勤に励んでくれ」

 

 ステマから激励を受け、帰国の謁見報告はこれにて終了となった。

 慣例に則り、次は騎士団に戻って総長アルモニアに帰還の挨拶を行う。

 それが済むと、フィリアは教会へと取って返した。

 ポレミケスでの激戦で、彼女のトリガー「誓願の鎧(パノプリア)」は全損している。

 研究所に依頼し、早急に新しい鎧を用意してもらう必要があった。

 どちらにせよ装備の更新、申請はイリニ騎士団から行われるのだが、鎧は個人の体格や反応速度に合わせて一つ一つ調整が必要となる。前もって研究所の予定に、調整の日程を入れておいてもらわねばならない。

 

「ふう……」

 

 研究員にはどこか風変わりな者が多い。

 腕は確かなのだが、こちらの都合を聞いてもらうのはなかなか大変だ。彼らとやりあい、無理から予定をねじ込んだフィリアは、疲れた様子で殺風景な地下通路を歩いていた。

 ついでに言えば、今のフィリアは生身の姿である。

 トリオン体で長く活動すると、どうしても肉体は運動不足になる。成長期真っただ中の少女にとって、それはあまりよろしいことではない。

 健全な発育を促すため、取り立てて必要のない限り、少女は生身の体で過ごすように心がけている。

 

(そういえば、アヴリオ様はどこだろう……)

 

 そうして小さな歩幅でトコトコと通路を歩いていると、ふと、彼女は以前に会った空色の瞳を持つ少年を思い出した。

 彼は教会に務めている筈だ。少し探せば、会えるかもしれない。

 

(……いえ。やめておこう)

 

 しかし、少女はその考えをすぐに改めた。教会といってもセクションは多数に分かれ、敷地は広大だ。探し回るのも大変だし、仕事中なら相手にも悪い。

 用事は済ませたので砦へと帰ろうと昇降口を目指す。

 途上、少女はラウンジを通りかかった。

 すると、よく知った顔を見つけた。眼鏡をかけた怜悧な顔立ちで、人形のように椅子に座っているのはフィロドクス家の騎士オリュザだ。

 

「おつかれさまです。騎士オリュザ」

 

 フィリアはオリュザの座るテーブル席に近付くと、気さくな調子で声を掛けた。

 

「どうも」

 

 オリュザは面に何の感情も浮かべず、一瞥してそう答える。

 無礼千万な態度であるが、これが彼女にとっては普通のやり取りである。

 少女もそのことは先刻承知なので、別に気を悪くした風も無く会話を続ける。

 

「その後如何ですか。フィロドクス騎士団は今回防衛任務に当たっておられましたよね」

「はい。山岳国家アクラーよりけん制の兵団が二度にわたって送り込まれましたが、問題なく撃破しました。イリニ騎士団のアルモニア閣下も勇戦なさいました」

 

 オリュザとコミュニケーションをとる場合は、こちらから積極的に質問すると丁寧に答えてくれる。

 フィリアの問いかけに、オリュザは頼まれてもいないのに彼女の留守中の出来事を縷々とはなしてくれた。

 

 今回、留守を預かったのはフィロドクス騎士団だ。

 本国防衛は全ての騎士団の責務だが、遠征とかち合うと戦力が分散してしまう。

 別けても(ブラック)トリガーは本国防衛の要であり、なるべくなら国元に温存するのが望ましい。

 

 その為、三大騎士団の持ち回りで遠征を行い、常に一つの騎士団が主戦力を防衛任務に当てるように協定が結ばれている。

 オリュザが持つ「万鈞の糸(クロステール)」と、フィロドクス騎士団総長クレヴォの持つ「潜伏の縄(ヘスペラー)」。

 そして今回は、イリニ騎士団から「懲罰の杖(ポルフィルン)」の担い手、総長アルモニアも防衛に参加していた。

 先の乱星国家による襲撃を受け、多大な被害を蒙ったための処置である。

 三本の(ブラック)トリガーによる盤石の布陣の前では、トリオン兵での偵察部隊など、敵にすらならなかったことだろう。

 

「イリニ騎士団の活躍も耳にしています。特に騎士フィリア。あなたの抜群の功績には、私も驚いています」

 

 言葉とは裏腹に、毛ほども表情を変えずに淡々と告げるオリュザ。

 しかし、それが彼女なりの賞賛だと気付くと、フィリアは顔をほころばせ、

 

「――はい。頑張りました」

 

 と、照れたようにそう答えた。

 それから二人は同じテーブルに着き、飲み物を片手に談笑を始めた。

 例によって、オリュザは会議に出ているクレヴォを待っているらしい。

 折角なので、フィリアもクレヴォに挨拶してから引き上げることにした。今日は帰還の挨拶回りが済めば、それで予定は終了だ。少々遅くなっても構わないだろう。

 

 フィリアは積極的に話題を振って、オリュザの長く説明的な返答に耳を傾ける。

 声には抑揚も無く、表情すら変えない彼女だが、飽かずに話し続けていることを考えると、会話自体は嫌いではないらしい。

 聞き上手のフィリアを相手に、オリュザの舌は休むことなく回り続ける。ところが、

 

「――!」

「あ、会議が終わりましたか?」

 

 オリュザは唐突に話を止めると、猫が物音を聞きつけた時のような仕草で、通路の奥へと視線をむけた。

 彼女の養父クレヴォが、用事を終えて出てきたのだろう。

 

「騎士フィリア」

「はい。私もお迎えに御一緒して構いませんか?」

「……無論です」

 

 フィリアはいかにも慣れたようにオリュザの台詞に先回りして応え、席から腰を浮かしかけている彼女に付いていく。

 道々談笑しながら歩いていると、すれ違った研究員たちは一様に怪訝な表情を浮かべる。

 変わり者として有名なオリュザに、近頃何かと話題のフィリア。妙な取り合わせの二人が仲良くしていることが意外なのだろう。しかし、

 

「おやオリュザ。今日はフィリア君と一緒かね」

 

 滝髭の老人クレヴォ・フィロドクスは、そんな二人を見て暖かく微笑む。

 

「御無沙汰しております閣下」

「うむうむ。遠征では大活躍だったそうだのう」

 

 まるで遊びに来た孫に接するかのように、クレヴォは衒いもなく相好を崩す。

 

「エクリシアで君の話を聞かない日はないよ。アルモニア殿もお喜びだろう」

「いえそんな……武運に恵まれただけの事です。それに、私一人ではとても成し遂げられることではありませんでした」

 

 二言三言挨拶を交わすと、フィリアはクレヴォたちに付き添って研究所を後にする。

 

「オリュザによくしてくれているようで、私も嬉しいよ」

 

 道すがら、白髭の老人はそんなことを言いだした。

 

「いえ、私こそ騎士オリュザには色々と教えていただいて……」

 

 あくまで謙遜する少女に、老人は長躯を屈めて顔を寄せると、

 

「いやいや。アレは良い子なんだが……如何せん人付き合いが苦手での。君のように怒らず付き合ってくれる子はおらんかった」

 

 と、フィリアの耳元でささやく。

 

「よければ、あの子に社交を教えてやってはくれんか」

「――えっ」

「いやなに、そう難しいことではないよ。遊興に出かけるときにでも、誘ってやってくれれば嬉しい。……人は誰しも、友人が必要だからの」

 

 まさに孫を気遣う祖父そのものの声で、クレヴォは少女にそう頼みこむ。

 

「はい……勿論です!」

 

 胸の前で両手を握りしめ、フィリアは力強くそう答えた。

 エクリシアでも一二を争う名門貴族、フィロドクス家がフィリアに友誼を求めている。これは彼女にとっても国家にとっても、計り知れない意味がある。

 無論、そんな影響を抜きにしても、オリュザと仲を深めることに何ら異存はない。

 見れば、前を歩くオリュザの耳が微かに赤く染まっている。優れた聴覚を持つ彼女には、内緒話など筒抜けなのだろう。

 それでも気付かない振りをしているのは、照れ隠しに他ならない。

 

「……なにか?」

「いえ。何でもありませんよ?」

 

 小走りでオリュザの隣に並び、横目で表情を窺おうとするフィリア。

 オリュザは眼鏡をくいっとかけ直し、少女を振り切るように足を速める。

 そんな彼女を見ると、フィリアとクレヴォは顔を見合わせ、どちらからともなく微笑みを交わした。

 

 

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