WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
数日後、フィリアを乗せた軍用車両は聖都を離れ、イリニ家の所領へと向かっていた。
運転を部下に任せ、後席で資料を読み込んでいた少女は、軽く肩をゆすると外の景色へと視線を移す。
長閑な農場の風景が、先ほどから延々と続いている。
直ぐに飽きが来そうな単調な景色だが、緑の色が目に心地よい。
腕輪型の端末から投影されたモニターには、ポレミケスで得た捕虜の個人情報が映し出されている。まだ詳細な情報は記載されていないが、騎士団の職員たちが連日徹夜して作成した資料だ。一読しておくのが礼儀だろう。
しかし、二百人以上の人間のパーソナルデータに目を通すのはなかなかに骨が折れる。
少女は暫しの休憩を終えると、再び資料の山と格闘を始めた。
この日、フィリアは捕虜を検分するため、イリニ家の所領にある収容施設を訪れることになっていた。ちなみに、今日は公務の為トリオン体である。
(あれがそうね……)
農地が途切れてしばらく進むと、茫漠とした荒野に高い壁で囲まれた堅牢な建物が見えてくる。総トリオン製で造られた建物は、丁度刑務所のような外観である。
戦争で得た捕虜は貴族の所有物であり、家々によって管理がなされる。
どんな捕虜も最初は奴隷であり、個人の職能や性格に合わせて領内で働かされる。
とはいえ無慈悲に使い潰される訳ではなく、強制労働はいわば新しい暮らしに慣れさせるための暫定的な処置であり、その扱いは比較的寛大だ。
当人にエクリシアへの帰属の意思が芽生え、また十分な功績を上げた者には帰化の道が開かれる。
貴族の所領に建てられたこれらの収容所は、彼らがいち早く新しい生活に馴染むために建てられた、いわば訓練所といっていい。
門を潜り抜け、車両が収容所の敷地内で止まった。
フィリアは資料読みを中断し、待ち構えていた職員に案内されて収容所へと立ち入った。
「いや、余りの捕虜に職員の数が足りておりませんで……御無礼が有りましたら平に御容赦ください」
「お気遣いは無用です。早速ですが、案内をお願いいたします」
領主であるイリニ家の子女、フィリア直々の視察に、所長自らが対応に出てきた。
人のよさそうな顔をした中年の男性だが、重要施設を預かるだけあって本来一筋縄ではいかない人物だろう。
しかし、アルモニアは捕虜の厚遇を厳命しており、査察も頻繁に行われているため、後ろ暗いことはなさそうだ。
「国史にも稀な大戦果ですからな。受け入れ体制を整えるのが大変でした。……ですがご安心ください。者どもにはすぐさまエクリシアへの忠誠が芽生えることでしょう」
所長は意気揚々とした足取りでフィリアを先導する。
そうして連れられた捕虜の居室では、残念ながらエクリシアへの好意などは一欠けらも見つけることができなかった。
「…………」
少女は無言で格子窓から室内を覗く。
捕虜の多くは虚ろな表情で床を眺め、時折すすり泣く声が聞こえる。
無理もないだろう。住み慣れた故国から無理矢理拉致され、まだ十日と経っていないのだ。また何人かは、一目で高級将校と分かるフィリアの姿を目の当たりにして、怯えた表情を見せる。
一先ず健康状態や衛生状態に問題はなさそうだが、あまり健全とは言い難い光景だ。
「彼らが現実を受け入れるのに、そう時間もかからんでしょう」
しかし、所長は楽観的な様子でフィリアに告げる。彼にとってはこの光景も見慣れたものなのだろう。
事実として、捕虜たちに活力が戻るのはそう遠くないことと思われる。
戦乱渦巻く
そうした世界で暮らしていれば、自然に覚悟も定まるのだろう。
また、彼らには故国へ戻る術も無い。惑星国家はお互いの距離が接近せねば行き来できず、ポレミケスは既にエクリシアの接触軌道から離れた。
今後両国が交わるのは八年後だ。国伝いに帰ろうとも、往還船は個人で入手できるものではない。
この狭い惑星国家には、彼らの逃げ場所など何処にも存在しない。
そして現実を受け入れてしまえば、後は生活に追われることとなる。
エクリシアではそうした心理を見越して、懸命に働けば奴隷暮らしから脱せるように法整備がなされている。
二、三年もすれば、彼らも一先ずは従順になることだろう。捕虜の本格的な登用は、それから行われることになる。
(……相身互いだ。私だって、こうなる未来はあったんだから)
力なく項垂れる捕虜たちを目の当たりにして、フィリアの胸に動揺が起きなかった訳ではない。
しかし、少女は波立つ心を鎮めようと試みる。
強者がすべてを手にし、弱者は己の身さえ護ることができない。
それがこの
フィリアは自分と家族を護るため、まさに血を吐くような努力を積み重ねてきた。
そうして得た力が、彼らと自分との立場を分けたのだ。
彼らにとっては残念なことだが、命が有っただけ幸いと言うほかない。
ありふれた一般論だが、しかしこれは世界の真実を言い表している。
奪われたくないから、奪う側に回る。
フィリアはそうして生きてきたのだ。覚悟はとうの昔にできている。
「では、次に案内してください」
もうここは充分だと所長に伝え、フィリアは視察を続行する。
背中に注がれた恨みの視線を振り払うように、少女は毅然と歩みを進めた。
× × ×
捕虜収容所の視察を終えたフィリアは、所長の軽い接待を受けた後、急いで車へと戻った。
今日の予定はこれで終わりではない。車両に乗り込み、次なる目的地へと向かう。
「ふう……」
フィリアの顔に緊張の色が差す。
次なる目的地は、イリニ家の本宅である。
捕虜の中でも「神」の候補になり得る人材は、その重要度から収容所ではなくイリニ家の本宅で管理されることになっている。
フィリアが捕らえた
穏やかな農園の彼方に、豪壮華麗な館が見えてきた。
敷地の広さは聖都の別邸の数倍はあろうか。トリオン製の広壮な邸宅の側にはいくつも建屋が立ち並び、その周りには見事に手入れされた庭園が広がっている。
エクリシアが土地不足で喘いでいる事を忘れてしまいそうな、絢爛たる大豪邸である。
豪奢な門をくぐっても、まだ館までの道のりは遠い。
しばらく車を走らせ、ようやく館の前までたどり着くと、そこには使用人と思しき人の群れが整然と列を成していた。そして、
「お帰りなさいませ。フィリアお嬢様」
降車したフィリアに向かって、彼らは一糸乱れぬ所作で歓迎の挨拶を述べる。
「……ありがとうございます」
思いがけない丁重な出迎えに、フィリアは咄嗟に言葉が出ない。
しかし、考えてみれば何も不思議なことではない。養子とはいえ、少女は正式にイリニ家の一門に連なる者なのだ。出迎えを怠れば、家人の方に問題があると言える。
そして人の群れの中から、一際背の高い初老の男性がフィリアの側へと近づいてきた。
顔と名前だけは見知っている。彼は屋敷を切り盛りする家令だ。
その男性に案内されて、フィリアは豪邸の中へと足を踏み入れた。
聖都の別宅と比べてもなお広く、調度類は豪奢ながらも華美に過ぎぬよう一部の隙も無く整えられている。
歴史で磨き抜かれた品格が漂う、まさに大貴族の居城に相応しい崇高な空間である。
そんな豪邸を、無骨な軍服を纏った少女は早足に進む。
「……母は、いま不在でしたね」
「はい。パイデイア様は荘園をご視察なさっております。お嬢様の申し付け通り、パイデイア様に今日のご訪問の予定はお伝えしておりません」
「……感謝します」
イリニ家の養女となったフィリアが一度もこの屋敷に寄りつかなかったのは、此処が母パイデイアの療養所であるからだ。
騎士団へと志願し、他国を蹂躙する生き方を選んだ娘は、どうしても博愛主義者の母に会う勇気が持てなかった。
そのため事前に屋敷へと連絡し、母と鉢合わせをせずに済むように段取りを組んだのだ。
最大の懸案事項は無事に片付いていた。しかし、少女は硬く表情を強張らせ、黙然と足を進める。
投影モニターには、これから面会する捕虜のデータが記されている。
激戦の末に、フィリアが捕らえた黒髪の乙女。
その麗しい顔写真の横に記された名前は、オルヒデア・アゾトン。
「…………」
忘れようとしても、決して忘れぬことのできぬ名だ。
ポレミケスにて、フィリアの前に立ちはだかった黒髪の勇士。
戦場の暴威に曝された青年は、勇戦虚しく少女に看取られて息を引き取った。
その彼が、今際の際で譫言のように呼んでいた名前がオルヒデアである。
「この扉の向こうが、御客人が起居なさる空間となっています」
家令に案内され、フィリアは地下階へと降りてきた。
彼女の前には、厳重に施錠された防壁のような扉がある。
この扉は許可されたトリオンの持ち主以外では決して開けることができない。窓も無い以上、中から逃げ出すことは不可能だ。
「神」の候補を保護するためなら仕方ないが、まさに牢獄といった趣である。
そしてロックが外され、分厚い扉がゆっくりと開く。
館の意匠とかけ離れていた扉だが、その先に見える廊下は上階と殆ど変わりない。
窓が無い分、調度には気を使っているらしく、廊下には絵画や彫刻が並んでいる。空調も行き届いており、地下室にありがちな空気の淀みは微塵も感じられない。
フィリアにとっては少々落ち着かない空間だが、少なくとも捕虜が健康を崩さぬように細心の注意が払われていることはよく分かる。
「御客人の部屋はこの通路の先を右に……」
地下階の説明を続けていた家令が、唐突に口を閉ざした。
廊下の奥から、何やらくぐもった音が聞こえる。耳を澄ませてみると、それが韻律に則った撥弦楽器の音色であることが分かった。
「あれは?」
フィリアが問い掛けると、謹厳な家令は僅かに焦った様子を見せる。
「はっ。御客人に何か御所望のものは無いかとお聞きしたところ、楽器をお求めになられましたもので……」
軟禁生活で体調を崩さぬように、神の候補には最大限の配慮がなされる。嗜好品や遊具の類も、別に禁止されている訳ではない。楽器を与えたからといって、特に問題は無いだろう。
「今日フィリア様がお尋ねになることは、御客人には確とお伝えしましたが……」
「構いません。案内は此処までで結構です」
「お言葉ですが、しかし……」
「部屋はもうわかります。捕虜との会話は機密となりますので、どうかお引き取りを」
フィリアは家令に案内の礼を述べ、一人でさっさと廊下を歩きだした。
途切れ途切れだった音色が、徐々にはっきりと聞こえてくる。
「…………」
まさか少女を歓迎するために音曲を奏でている訳ではあるまい。余裕を見せているつもりか、またはエクリシアの暴虐に対する可憐な抗議のつもりか。
どちらにせよ、相手の英気が充実しているというのなら有難い。
正直なところ、フィリアは捕虜収容所でみた光景に随分参っていた。絶望に顔を曇らせ、落ち窪んだ瞳でじっと見つめられるぐらいなら、いっそのこと食って掛かられた方がまだしも気分が楽でいい。
(……あれ?)
しかし、音曲の流れ出る扉の前に立つと、どうも様子が違う。
楽器はエクリシアでもよくみられるリュートだが、どうにも曲調が異なっている。霞が山間に棚引くような嫋々とした響きは、エクリシアの楽曲の調べではない。
芸術に関心の薄いフィリアは音楽の事などまるでわからないのだが、奏でられている音曲が、怒りや恨みとは無縁のものなのはよく分かる。
深々と心に染み入るような、どこか物寂しく、そして優しい曲だ。
「……あ、いけない」
優美な調べに聞き惚れたフィリアは、ついつい曲が終わるまで扉の前で立ち尽くしてしまった。
時間を無駄にするわけにはいかないと、少女は意を決して扉をノックする。すると、
「な――」
突如として、ガラガラと調度品を倒したようなけたたましい音が室内で鳴り響いた。
「――失礼します!」
異変を感じ取ったフィリアは扉を開き、即座に室内へと踏み込む。
「…………なにこれ」
少女が目にしたのは、豪奢な部屋の真ん中、精緻な織り模様の絨毯の上で、うつぶせに倒れている乙女の姿だ。
純白の長衣に身を包んだ彼女は、床の上に身体を投げ出してピクリともしない。絹のような長い黒髪が、床に渦を描いている。
椅子とサイドテーブルが横倒しになり、床には譜面が散らばっている。そして何故か、演奏に使っていたはずのリュートはベッドの上に転がっている有様だ。
「はあ、なるほど」
サイドエフェクトが知らせた事実に、フィリアは思わず気の抜けた声を出す。
この女性はどうやら、来訪者の事をすっかり忘れていたとみえる。
演奏に夢中になっていた彼女は急なノックに慌てて対応しようとした挙句、立ち上がった拍子に服の裾を踏んづけ、転んでしまったらしい。
しかも楽器を両手に抱えていたため、受け身も取れなかったようだ。
リュートがベッドの上に載っているのは、借り物の楽器を壊すまいと、咄嗟に柔らかい場所へと投げたためだろう。
お蔭で彼女は鼻面から地面に激突する羽目になったようだ。
「あの、大丈夫ですか?」
フィリアは急いで倒れ伏す乙女へと近づき、安否を確かめる。
頭を打っていては大変だ。人間の頭骨は部位によっては意外なほどに脆い。転倒といえども決して軽視してはならない。
「……いたいです」
フィリアの呼びかけに、蚊の鳴くようなか細い声が床から返ってきた。
「起きられますか」
「はい……」
少女の問いかけに、黒髪の乙女はおずおずと顔を上げた。厚手の絨毯がクッションになったようだ。鼻が少し赤くなっている程度で、怪我らしい怪我は無い。
身動きしなかったのは、醜態を曝して気恥ずかしかったかららしい。
「……」
間近で顔を眺めれば、眼の冴えるような美女である。
透けるように白い肌に、濡れたように輝く漆黒の髪。
秀でた眉に、通った鼻筋。顎は小ぶりながらも形が良く、薄めの唇は艶やかな桜色をしている。
そして何より目を引くのが、切れ長の美しい目元である。
長い睫毛に縁どられた黒曜石のような瞳は、どこか憂いを帯びたような怪しい雰囲気を纏っている。
未だ少女の瑞々しさを残しながらも、女の色気を滲ませる淑やか容貌。そしてその中に何処か退廃的な空気を漂わせた、男を虜にして止まない傾城傾国の美しさである。
ただ、同性のフィリアにそこまでのことは分からない。
どちらかといえば、目も眩むような美人でありながら、ぶつけて赤くなった鼻を涙目で擦っている乙女に、奇妙な愛嬌を感じているようだ。
「どうぞ、座って落ち着いてください。いま冷やす物を持ってきますから」
「……すみません」
オルヒデアを椅子に座らせると、少女は急いで部屋から出ていく。
使用人を呼べば住むだけの話だが、貧民時代の癖が抜けない彼女は、何か用があるとついつい自分で動いてしまう。
それに三人の弟妹を持つ姉としては、他人の世話を焼くのも慣れたものだ。
地下階を隔てる扉まで戻り、控えていた家令に事の次第を告げる。
すると壮年の男性はまたかといった様子で頭を振り、館の常勤医にアイスバッグを持ってくるように指示を出す。
「彼女はいつもあのような調子で?」
「ええ、まあ……」
家令に聞いたところ、オルヒデアは館に連れてこられたその日から、一日も欠かすことなくドジを踏み、怪我をしたり調度を壊したりしているそうだ。
当人には罪の意識もあり、また気を付けると何度も口にしてはいるようだが、一向に改善する様子はないらしい。
「心根の善い方ではあるのですが……」
あまりに面倒を掛ける為、最初は迂遠な反抗のつもりかと疑っていたらしいが、物を壊すたびに哀れなほどに狼狽して謝罪する彼女の姿に、屋敷の使用人たちはすっかり毒気を抜かれてしまったらしい。
程なくすると、要請を受けた医師が上階から降りてきた。
フィリアは彼を連れて、オルヒデアの部屋まで戻る。
「……またしてもご迷惑をおかけして、本当にすみません」
医師の診断を受けながら、乙女は心底申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にした。
人を連れてくる間に掃除したのだろう。物が散らばっていた居室は丁寧に整理整頓されている。
奇妙なほどに鈍くさいことを除けば、根は几帳面で潔癖な性格らしい。
育ちの良さが窺える。ただ、軍人には絶対になってはいけないタイプだろう。
「お約束を失念していました。お詫びの言葉もございません……」
そして彼女はフィリアに向かって深々と頭を下げた。
無聊を慰めるために音曲を奏でていたら随分と興が乗ってしまい、時が経つのを忘れていたらしい。
約束を違えたことを本当に後悔しているようだ。彼女は端正な顔を真っ青にして、見ているフィリアが恐縮するほどにペコペコ頭を下げている。
反抗的だったり無気力だったりされるよりはマシだが、憎き敵軍の将校を相手にこの態度とは、いったい如何なる人物なのだろうか。
「構いません。では予定通り面談を始めたいと思いますが……」
「は、はい! よろしくお願いします」
フィリアが平然とした様子で応接テーブルに着くと、オルヒデアは背筋を伸ばし、緊張した面持ちで応じた。