WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
家令と医者が下がり、部屋には二人が残される。
「私はイリニ騎士団所属の騎士フィリア・イリニと申します。オルヒデア・アゾトンさん。本日は貴方の今後の暮らしについて、説明に参りました」
今日はオルヒデアの身柄を預かるイリニ騎士団から、正式に彼女の扱いが申し渡されることとなっている。
「一先ず、貴方にはトリオンの供給業務に従事していただくことになります」
フィリアは紙に印刷した資料をテーブルの上に広げ、オルヒデアへと渡す。
彼女にはイリニ家の擁する神の候補として、これからトリオン機関を鍛え上げてもらう必要がある。
しかし、神の候補者とは生贄と同義である。
生まれ育った国ならまだしも、自分をかどわかした国に人柱として捧げられるなど、普通の人間なら到底容認できることではない。
過去には他国の生贄になることを良しとせず、自ら命を絶ってしまった捕虜もいた。
その為、彼女には神の代替わりのその日まで、事実を伏せておくことになっている。
イリニ邸の地下に軟禁しているのも、外界との接触を絶ち、エクリシアの国情を悟られないようにするためである。
「それだけでいいのですか? もっと、こう、大変なお仕事を言い付けられるものとばかり……」
これからの生活を聞かされたオルヒデアは、イリニ騎士団の提示した労働環境の良さに困惑を浮かべている。
一日に一回、トリオンバッテリーに向かってトリオンを注ぎ込めば、後は仕事らしい仕事も無く、精々職業訓練が課されるだけなのだ。
いくらなんでも出来過ぎな話である。見るからに警戒感の薄そうな彼女でも、流石に不審に思うようだ。
「稀有なトリオン能力を無駄にしない為の、一時的な処置です。貴方にはその間、職業訓練も並行して行ってもらいます」
フィリアの卒のない対応に、オルヒデアはふむふむと納得したように頷く。
あまり疑念を抱かれないように、彼女には段階を踏んで仮初の仕事を与え続ける予定となっている。
大人しく騙され続けてくれることが、彼女にとっても幸福なのだ。
仮にオルヒデアが事実に気付き、反抗の兆しが見えた場合、彼女は指一本も動かせぬよう拘束され、神の選定の日まで無理矢理にでも生かされ続けることになるだろう。
事実に気付くことさえ無ければ、彼女には安穏とした日常が約束される。
「わかりました。ただ、その……少しお聞きしたいのですが」
「どうぞ」
オルヒデアは書類に目を通し終えると、恐れをにじませた声でフィリアに問い掛ける。
「私のトリオンは、戦争に使われるのでしょうか?」
(ああ、この人は……)
黒髪の乙女の真剣な眼差しに、フィリアの直感が鋭敏に働く。
この女性は、類型で言えば母パイデイアに近い人種だ。
戦火の絶えない
平和主義者、理想主義者、博愛主義者。あるいは夢想家、臆病者、裏切者と呼ばれる人々である。
「確約はできませんが、貴方がそれを望まぬと言うなら、上にその旨を伝えておきましょう」
フィリアは淡々とした口調でオルヒデアにそう答えた。
彼女にトリオン供出を課す目的は、トリオン機関を鍛えるためである。トリオンの使い道そのものについては、別にどうでもいい。
何も軍事利用だけがトリオンの使い道ではない。民生用にも大量のトリオンは必要となる。意見を申請しておけば、そちらに回されることもあるだろう。
「そうですか……ありがとうございます」
オルヒデアは優美な仕草で礼を述べる。
そんな彼女を見詰めて、フィリアは小さく息を吐いた。
少女がオルヒデアを訪ねたのは、彼女に偽りの希望を持たせるためではない。
騎士団がわざわざフィリアを寄越したのは、「直観智」のサイドエフェクトを用いて、オルヒデアが神の候補として大成するかを調べるためである。
身体検査の結果、オルヒデアのトリオン機関はやはり稀有な出力を持つと判明したのだが、次代を担う神としてはやや能力が足りていなかった。
残念ながら彼女が神となった場合、エクリシアの国土は現在よりも縮小することになるだろう。
最低でも国土面積の維持を目標とするイリニ騎士団にとって、オルヒデアはあくまで次点の候補となった。
しかし、彼女はまだ若く、トリオン機関が育つ可能性は十分にある。
神の選定までトリオン機関を鍛えればどうなるか。その伸び白を調べる為に、フィリアが送り込まれたのである。
そして少女のサイドエフェクトは、
(母さんの代わりになる可能性は、十分にある)
との事実を示した。
フィリアの母パイデイアは、現在イリニ騎士団が要する神の第一候補である。
国土維持には十分なトリオン機関を持ち、逃亡や抵抗を企てる危険性もない。
エクリシアから有望な才能が失われることは遺憾だが、国土の維持はそれを上回る重要事項である。このまま候補者が見つからなければ、次代の神はパイデイアになるだろう。
だが、オルヒデアが同格となればどうか。
能力的に遜色が無ければ、同郷の貴族より他国の捕虜のほうが生贄には相応しい。
母パイデイアが生き残る可能性が、確かに生まれたのである。
フィリアは流暢に言葉を操り、オルヒデアを騙しにかかる。
彼女に信頼され、やる気を出してもらわねばならない。すべては家族の幸福の為に。
「フィリア様。少しよろしいでしょうか」
「何でしょうか」
一通り質疑応答も尽きた頃、オルヒデアが恐々とした風に尋ねてきた。
「ひょっとして、フィリア様には妹様がいらっしゃいませんか?」
「……確かにいますが、それがどうかしましたか?」
突拍子もない質問に、フィリアは警戒感を抱いた。彼女は外界との情報を絶たれているはずだ。なぜアネシスの存在を知っているのだろうか。
「ああやっぱり! 私、妹様にぜひ謝りたいと思っていて……」
「謝罪? 一体何について――」
言い掛けて、フィリアはオルヒデアの話に合点がいった。彼女はおそらく――
「きっと、妹様には酷い怪我をさせてしまったと思います。フィリア様も、胸中穏やかではいらっしゃらないのでは……」
フィリアは現在トリオン体であり、外見年齢は十五・六歳ぐらいだ。
イリニ騎士団からの正式な使者であり、また捕虜との対面には多少の危険が伴うため、トリオン体での行動は当然の処置であった。
だが、ポレミケスの戦場にてオルヒデアと組み打ちした時、既にフィリアのトリオン体は崩壊していた。故に彼女は少女の生身の姿しか知らないはずだ。
つまり、彼女は現在のフィリアを、あの時戦った少女の姉だと勘違いしているのだ。
「申し遅れましたが、私は次の誕生日で十二歳になります」
「――え?」
「戦地にて貴方と相対したのは私です。――トリガー解除」
そう言って、フィリアは換装を解いた。
途端に体がぐんと縮み、椅子の上にはあどけない少女の姿が現れる。
命の取り合いをした相手を前に丸腰となるのは不用心に過ぎるが、オルヒデア相手ならその心配も無用だろう。
「…………」
「この身体では不便なことも多いので、トリオン体の外観を調整しています。それで、お話とは何でしょうか」
驚きの余り、口元に手を添え言葉も出ない乙女。そんな彼女にフィリアは淡々と問いかける。
「あ、ええと、……戦場での折、フィリア様を酷く引っ掻いてしまったことを、どうしても謝りたくて……すみませんでした」
オルヒデアは訥々と謝罪を述べると、年端もゆかない少女に仰々しく頭を下げた。
「戦場で傷付けあうのは当然のことです。私も貴方に危害を加えました。謝罪の必要はありません」
「それでも、フィリア様のような小さな子に、私は……」
謝罪を退ける少女に、乙女は消え入りそうな声でなおも取りすがる。
彼女の視線は、包帯の巻かれた小さな手に釘付けとなっている。
余程フィリアに怪我を負わせたことを悔やんでいるらしい。これは彼女の性分による所だろう。少女に喉を潰されんばかりに首を絞められたにも関わらず、そんなことに気を病んでいるなど、よほどのお人好しと言うほかない。
「……分かりました。双方痛み分けということで、あの時の事は水に流しましょう」
埒が明かないと見て取ったフィリアは、早々に謝罪を受け入れることにした。するとオルヒデアは、
「ありがとうございます。フィリア様はお優しいのですね」
と、花が咲くような可憐な微笑みを浮かべた。
「戦場でのことはもういいでしょう。これからの事をお話したく思います。建設的な、実りある未来のために、協力をお願いしたのです。私も可能な限り便宜を図りましょう」
「……はい。不束者ですが、どうぞよしなにお願いします」
フィリアが作り笑顔を浮かべてそう語りかけると、オルヒデアはさも安心したように表情を緩めた。
乗せやすい性格で有難い限りだ。彼女には立派な神として成長してもらわねばならない。その為には、どんなに豪奢な生活をさせても構わないとイリニ騎士団からは仰せつかっている。
そんなフィリアの冷徹な心算を知ってか知らずか、オルヒデアは晴れやかな表情に憂いの色を浮かべ、少女に向かって言葉を紡ぐ。
「ところで、フィリア様には他にもお聞きしたいことがありまして……」
「私にお応えできることでしたら、どうぞ」
「はい。私の兄も、この国の捕虜となっているのか知りたいのです」
「――」
フィリアの鼓動が跳ね上がる。
動揺を辛うじて面に出さなかったのは、日ごろの過酷な訓練の賜だろう。
予想はしていたが、やはり彼女はあの剣士の肉親であるらしい。
「……他の捕虜については、共謀を防ぐために情報をお伝えすることはできません」
「ああいえ、そういうつもりは無くてですね。……ただ、兄は頑固な所のある人で、ひょっとしたら、皆さんにもご迷惑をおかけしているかもしれません。私がこの国にいると知ってくれれば、そう無茶なことはしないでしょうし……」
兄について語るオルヒデアの表情からは、深い親愛の情を読み取ることができる。
よほど、仲のいい家族だったのだろう。
「あ、名前はロア・アゾトンと申します。私と同じ髪と瞳の色で、戦場では二本の剣を用いていたはずです」
オルヒデアは縋るような表情で、フィリアへ嘆願する。
少女は無表情のまま手元の端末を操作し、空々しく名簿を調べる。そして、
「残念ながら、そのような名前の捕虜は我が国にはいません」
ロアはエクリシアの毒牙にかかっていないと、乙女に嘘をついた。
あるがままの事実を語ろうかと迷ったフィリアであったが、サイドエフェクトは危険な可能性を示していた。仮に兄が死んだことを告げた場合、彼女との関係が決定的に決裂し、協力を望めない可能性が高い。
「そうですか……よかった」
兄は国元で無事だと結論付けたのだろう。オルヒデアは心から安堵した様子で面持ちを緩める。
今にも涙を溢しそうなその仕草に、フィリアの胸が罪悪感で焦がされる。
「……ポレミケスに帰ろうなどとは思わないでください。彼の国は既に遠く離れており、次の接触機会は何年も先です」
「はい。それは分かっています。ただ、兄様が無事なのが嬉しくて」
己の嘘に耐えられなくなったフィリアは、面会を終えるために話をさっさと終わらせることにした。
今後課される業務を事務的に指示し、また進捗を調べに定期的に査察に訪れる旨を伝える。するとオルヒデアは、
「まあ。それではまたフィリア様とお会いできるのですね!」
と、両手を顔の前で打ちあわせて喜んだ。
「……あの、私は貴方を捕まえた張本人ですよ? なぜそうまで好意的に振る舞えるのか、理解しかねます」
無邪気極まる態度の乙女を、フィリアは半眼で睨みつける。
こうまで楽天的な風だと、何やら己が馬鹿にされたように感じる。少女は戦場に赴くため、死に物狂いで己を鍛え上げた。
それは敵方も同じであるべきだ。祖国の為に心身を賭し、全力を以て戦う。だからこそ、命のやり取りさえも許容することができるのだ。
「だって、フィリア様はとても優しいお方ですもの。仲良くしたいと思うのは自然な人情ですわ」
だが、オルヒデアは恬然としてそう言う。
真正面から投げかけられた褒め言葉に、フィリアの頬が動揺して赤く染まる。
「な……貴方に私の何が分かるというのですか」
「ふふ、お気を悪くしたら御免なさいね」
口をとがらせて抗議するフィリアを見詰め、オルヒデアはニコニコと笑うばかり。
座には何やら弛緩した空気が漂い始めている。乙女の能天気な雰囲気に、少女も呑まれかけているようだ。
「とにかく、私はこれで失礼します。何か要望があれば、館の者に遠慮なく申し付けてください」
「あ、でしたら最後に、一曲お聞き下さいませんか。実は、フィリア様にお聞かせするために練習していたのです」
そう言いながら、オルヒデアはベッドに置いていたリュートを拾い上げる。
「私にはそんな時間などありません」
「そんな……どうしてもいけませんか?」
退室しようと腰を浮かしかけたフィリアを、オルヒデアは子犬のようにうるんだ瞳で見つめる。
「~~っ、仕方ありません。一曲だけですよ」
弟妹に駄々をこねられたような気分になったフィリアは、椅子に座りなおして鑑賞の姿勢を取る。
オルヒデアは満面の笑みを浮かべると、いそいそとリュートの音を確かめ始めた。
調弦が済むまで、取り留めのない雑談が交わされる。
曰く、オルヒデアは祖国では王族の傍流に当たる名家に生を受けたそうだ。何不自由ない幼少期を過ごした彼女だが、数年前に両親が他界し、その際に父が
「でも、私は昔から間が抜けていたもので……」
図抜けたトリオン能力以外に、戦士としての適性を何一つ持ち合わせていなかったオルヒデアは、それでも彼女なりに必死の努力を行ったそうだ。
もちろん自分の国を護るため、そして何より、彼女の敬愛する兄の力となるために。
「兄様は、お前は家で音曲を奏でていればいい。と常々仰っていたのですけれど……やっぱり、向いていないことは駄目みたいですね」
音合わせが済んだらしい。オルヒデアは苦笑いを浮かべて、リュートを抱えた。
「それでも、音楽だけは上手だと、皆さまに褒めていただけるんですよ」
そう言って、乙女は演奏を始めた。
川のせせらぎのようなリュートの調べが、豪奢な客間に深々と響く。
徐々に音調は色彩を増し、幽玄かつ壮大な世界を作り上げていく。
まるで深山幽谷が立ち現れたかのような、凄まじい表現力である。
目の前で奏でられるオルヒデアの演奏に、感受性の強いフィリアはただ感動に身を震わせるばかりで、ともすれば息をするのも忘れてしまう有様だ。
そして演奏が終わると、フィリアは知らずと間に小さな手を打ちならしていた。
時間にして僅か数分の演奏であったが、まるで異国の景勝地を旅したかのような、奇妙な興奮と充足感が少女の胸を満たしていた。
「……素晴らしかった、です」
「良かったぁ。ありがとうございます」
オルヒデアはリュートを脇に置き、満面の笑みを浮かべる。技能を誇示しようとした訳ではなく、純粋に自分の音楽を聴いてもらったことが嬉しいらしい。
それにしても驚くのは、彼女がリュートを触ってまだ三日と経っていないことだ。
彼女はエクリシアに捕虜として連れられてから初めてこの楽器に触ったらしい。にも関わらず、彼女はまるで長年親しんだ相棒のように音曲を奏でて見せた。
これには彼女の持つサイドエフェクトが影響している。
彼女はあらゆる音階を正確に聞き分け、再現することができる超感覚を持っている。演奏に関して言えば、非常に有利な特性だろう。
ただ楽器の操作そのものは、彼女の弛まぬ努力の賜である。いくら音階が全て把握できるからといって、円熟した演奏には長い修練が必要となる。
それを僅か数日で成し遂げたということからも、彼女の非凡な才能が窺える。
「……本当にすごかったです。私は音楽の事は何もわかりませんが、きっと何処の国でも最高の評価を得られると思います」
フィリアの素直な賞賛に、オルヒデアは照れて頬を桜色に染める。
これだけの才能を生贄に捧げなければならないとは、本当に惜しい。少女は改めてこの世界の無情さを呪いたくなった。
今度視察に来るときは、何か手土産を持ってくると約束し、フィリアはオルヒデアと別れた。
使用人たちに見送られ、イリニ家の本邸を後にする。
待たせていた部下を労い、車へと乗り込んだ。
既に時刻は夕刻に差し掛かっている。これから聖都に帰れば真夜中になるだろう。残務を片付けることを考えれば、今日は家に帰れないかもしれない。ただ、
「ふふ……」
フィリアの胸の内は不思議なほどに軽やかだった。
捕虜の視察は色々な意味で気遣わしい仕事であったが、最後に聞いた音楽が、彼女の疲れを吹き飛ばしている。
少女は奇妙に満ち足りた心で帰路に付いた。
× × ×
来訪者の去ったオルヒデアの居室には、うら寂しい空気が流れていた。
イリニ本邸の地下階は、元は倉庫や貯蔵室として用いられていたのだが、先代の当主によって、不届き者を収容するための座敷牢へと改修された。
外部との関係が遮断された地下階には、家人の立ち入りも制限されており、食事の運搬や清掃などの業務以外で人が訪れることは無い。
必要があれば地下から連絡を入れることができるが、幽閉された身で意味も無く人を煩わせることはできない。
必然、オルヒデアは豪奢な調度に囲まれた部屋で、一人寂しくリュートの弦を爪弾くばかりであった。
「…………」
己の不幸を嘆く思いは確かにあるが、それでも乙女に絶望はなかった。
祖国ポレミケスは目を覆いたくなるほどの被害を受けたが、それでも彼女の最愛の兄は無事であったのだ。
生きてさえいれば、きっとまた会える。
その思いが、彼女の軟禁生活に希望を与えていた。それに、
「いい子でしたね……」
初めて言葉を交わした、あの少女。
ポレミケスを蹂躙した悪鬼の如き兵士の一人であり、己を異国へと連れ去った張本人。そして彼女から父の形見である
恐怖もあった。憎悪もあった。しかし、実際に会ってみると、その思いは朝靄が晴れるかのように消え去ってしまった。
少女は決して、人の心を失った怪物などではなかった。
凪いだ湖面のように無表情を装っていても、オルヒデアにはよく分かる。彼女はとても感情が豊かで、他人の痛みが分かる善良な娘であったのだ。
年端もゆかないそんな少女が、苛烈な戦場に身を投じているのだから、きっと何かただ事ならぬ事情があるのだろう。
かくいうオルヒデアも、
好むと好まざるとに関わらず、この世界は戦乱と流血を求めている。
その無慈悲な運命に、オルヒデアは繊細な心を痛めるばかりであった。
「ごめんください。少しいいですか」
「え、は、はい!」
物思いにふける乙女に、突如として柔らかな女性の声が聞こえた。
どうやら随分前から扉をノックしていたらしい。オルヒデアは思いもがけなかった急な来訪者に、わたわたと慌てて対応する。
「良かった。もうお休みになられているのかと思ったわ」
ドアを開けると、薄暗い廊下には妙齢の貴婦人が立っていた。
黄金を溶かして梳いたかのような金髪と、翠玉のように輝く瞳をした美しい女性である。その典雅な物腰と纏う風格から、一目でこの屋敷に住まう貴族であることが窺えた。
ゆったりとしたナイトガウンを纏ったその女性は、困惑に目を瞬かせるオルヒデアへ、
「私はパイデイア・イリニと申します。よければお話などいたしませんか」
と、慈母のような微笑みを浮かべてそう言った。